初めに言い訳を
最近、 ケーススタディばかり書いている。ああいったものは私の経験を若干脚色して(そのまんまのこともある)、登場人物に役を割り当てればあっという間にできてしまう。しかしそれでは手抜きだし、そもそも私がここに書きたいのは、ISO審査や企業の活動を良くしようよというメッセージである。
ということで本日は初心に帰って、 星条旗よ永遠なれ、ではなく、 ISOよ永遠なれと・・
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最近、とみにISOの価値、いやISO認証の価値が問われている。問われているということは、ISO認証の効果が出ていないと思われているからだろう。ISO認証の効果が実際にあるのか、ないのかはわからない。しかし「ない」と思われているということは事実のようだ。世の中、行いの良い人が良い人だと思われるわけではなく、悪いことをしている人が悪人とみられるわけではない。真実や実態ではなく、いかに見えるか、見られるかが大事なのだ。実態ではなくどのように見えるのかが大事であり、それが社会的評価を決定してしまう。そういえば、「会社人生は評判で決まる」なんて本もあった。
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「会社人生は評判で決まる」
ISBN978-4-532-26152-8 日本経済新聞出版社 2012/2/15 ¥850
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中国人が言うじゃないか、「嘘も100回つくと本当になる」って。だから彼らは尖閣諸島が中国の領土だなどと、ミエミエの嘘を必死に繰り返すのだろう。そして中国の子分である韓国は竹島を韓国領土といい、日本海を東海と呼ぶ。最近は対馬まで韓国領土だと言っている。そのうち博多も大分も近畿も東京も、韓国領土だといいだすだろう。おっと新宿大久保は既に韓国領だ。彼らは何度も語れば嘘が真実になると信じているのだろう。そして、実際に何年も続けていれば、彼らの主張が世界に通じてしまう。日本人は彼らのしていることをアホだと笑ってはいられない。
偽薬だって、プラセボ効果というものもある。人は自分の目で見た事実ではなく、信じたいことを真実と認識する。ISO認証の効果があるかどうかよりも、効果があると思われることが大事である。そして現実は、効果があると思われていないということなのだろう。
とはいえ、ISO認証は実際に効果があって、それが知られていないだけなのか、あるいは実際にも効果がないのかは、何とも言えない。私は、ISO認証の効果として具体的な数値で表したものを見たことがない。
ISOに批判的な人は、ISO認証の効果が「環境意識向上」と「紙ごみ電気」というのも、あながち嘘だとも言い切れない。
JABやJACBは信頼性回復のアクションプランなんてものをもう3年も前に公表しているが、その活動の効果がいかほどあったのかを広報していない。広報していないのは効果がないからなのだろうか?
ところでISO認証の効果とはなんだろうか?
ISO14001規格は「遵法と汚染の予防」を目的としているが、では認証とは、なにをどこまで保証するのか?
実はこれは、ISO第三者認証の元締めであるIAF(国際認定フォーラム)が「認証を受けた組織は、環境との相互作用を管理しており、汚染の予防と法的およびその他の要求事項を満たしていること、環境マネジメントシステムを継続的に強化するコミットメントを実証している」としている。ものすごく立派なことをいっているようだが、平たく言えば、ISO規格の意図である「遵法と汚染の予防」に、認証を受けた組織は努めていることを確認しましたよということだろう。もちろん、その企業が努めていることを保証することであって、その企業が遵法が確実で、事故を起こさないことではない。そのような結果までを保証することは、神様以外できない。
ところで、第三者認証の利害関係者といっても多種多様であるが、それらの人々が認証に期待していることはそんな当たり前のことではないようだ。
主婦連や消費者団体の人々は「ISO認証している会社なら、認証範囲以外の祥事も許せない!」といいました。(参照:2009年度、2010年度、JAB環境ISO大会)
「企業倫理に反することをしたら認証取り消しよ!」とセーラームーンのようなことを言います。
外為法違反は認証取り消しに当たるといった方もいました。
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外為法(がいためほう)違反とは、北朝鮮に不正輸出をしたり、中国に高精度の機械を輸出したりすることをいう。
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会社の環境経営を良くしなければだめだと語る大学の先生もいました。ところで環境経営って、法律では定義されておらず、大学の先生方も語る人によってその概念はさまざまです。果たしてこの先生が語る環境経営とはなんなのでしょうか?
まさか、俺の気に入ることが環境経営だなんて・・・
しかし前述したように、認証を授けているIAF(JABも加盟している)が認証の意義として説明しているものにはそのような高いレベルでもなく、また認証範囲以外までを保証するものではありません。一般的な企業不祥事、セクハラも、外為法違反も、脱税も、カンケーないのです。
しかし、いろいろな人の語る要求といいますか期待を眺めると、これはカテゴリーが異なるのではなく、期待水準が異なるのではないかという気がします。
つまりもっとも基本的なベースにあるものがIAFのいうところの、遵法や汚染の予防であり、その上に会社(組織)のパフォーマンス向上つまり省エネや廃棄物削減などが重なり、製品やサービスの環境性能向上がその上に重なり、ISO認証範囲にとどまらない企業倫理全般の向上がその上に重なり、社会貢献あるいはCSRがその上に重なり、そういう全体を社会は期待していると考えられる。
そして利害関係者によってその期待するレベルが異なることから一見期待するカテゴリーが異なるように見えるのではないだろうか。
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社会貢献とCSRは重なるところもあるが、別物であることは認識している。ここでは単に併記しただけだ。
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とすると、IAFが保証しようとしているレベルは、あまりにも低く当たり前のことであり、利害関係者が期待するものではないのかもしれません。
それをISO認証が保証する・・いや正確に言えば違反しないことを保証するのではなく、法を把握して運用し自己点検をする仕組みがあることを保証するのであるが・・それは最低限のレベルであって、社会の要求に応えないのではないだろうか?
だが、社会が本当に必要としているのは、そういった環境経営とかセクハラを起こさないこととか、脱税しないことなのだろうか?
話はパット変わる。
彼女にするなら背が高く、賢く、やさしく、そして美人がいいと思うのは男の身勝手であろう。「赤毛のアン」の中で、賢い人、美しい人、優しい人のどれが結婚相手としてふさわしいかというお話があった。そんなことは洋の東西、時代に関わらずに人間ならだれでも思い悩むことなのだろう。
もちろん、女性だって負けてはいない。カレシにするなら、背が高く、学歴も高く、賃金も高く、心優しく、ハンサムで、家があって、両親と別居を期待する。
だが、それはプライオリティの異なる各種要求の積み重ねであり、もっとも基本的なことは健康で、行いが正しい人であることだろう。
これらをまとめて図示すると・・・
ISO14001への期待 | 彼氏への期待 | 彼女への期待 | | 重要性 |
環境ブランド向上 | 背が高いこと | ダンスが上手なこと | | なものいらない |
社会貢献 | ハンサムなこと | 背が高いこと | | なくても困らない |
企業倫理全般向上 | 学歴が高いこと | 美人であること | | ないよりはあったほうが |
すべての法の遵守 | 賃金が高いこと | 賢いこと | | そりゃ望ましい |
製品の環境性能向上 | やさしいこと | 気立てのよいこと | | 大事なことですね |
環境パフォーマンス向上 | 健康なこと | 健康なこと | | ぜひとも |
違反や事故のないこと | 悪人でないこと | 悪人でないこと | | 絶対に譲れない |
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(注1)人によって上記順序は多少違っても、ベーシックなものは変わらないだろう
(注2)企業倫理向上は当然ではあるが、ISO14001認証に期待するのは筋違いである。
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しかしこんなものを一瞬ででっちあげる私は天才?
つまりISO認証への期待の基本は、やはり事故を起こさないこと、法違反をしないことではないのだろうか?
ISO認証している企業は、認証していない企業よりも法違反が少ないどうかは知らないが、ISO認証している企業が、認証していない企業よりも事故が少ないとか、法違反が少ないと社会に認知されていないことは事実だ。
なぜなら、前述した消費者団体も学者先生も、ISO認証企業に不祥事が多いから信頼できないと言っているが、その不祥事は排水データの改ざんや垂れ流しなどを指摘しているのであって、環境に関わらない不祥事はついであり、傍証というか刺身のつまなのである。
だからISO認証が利害関係者の多くを満足させるには、認証範囲にとどまらずにすべて面においての遵法と道徳的なことまでを含めて保証しなければならないのではなく、認証企業は事故や法違反が少ないということを認知してもらうことである。
そして残念ながら現時点ISO認証に信頼性がないと言われているのは、ISO14001認証が始まってからの15年間で、社会から信頼を得るだけの遵法や事故防止のアウトプットを出していないからではないのだろうか? いや、社会から信頼を得られるような情報提供をしてこなかったということではないのだろうか?
それはISO認証制度にそのような効果がないのか、あるいは制度には効果があるのだが、その成果を広報してこなかったことのいずれなのだろうか?
ともかく現実は、社会がISO認証にその効果がないと認識していることである。効果の有無ではなく、効果があると説明できなかったことは事実であるから、それができない制度なら信頼を失うのは当然で、滅び去るのもやむを得ないのかもしれない。
会社人生は評判で決まり、ISOの信頼性も評判で決まるのである
いずれにしても、ISO認証の評判をあげる責任はISO認証制度、つまりJABや認証機関、そしてそこで働く人々に全責任がある。なぜなら認証制度を作ったのは、行政ではないし、その他の利害関係者、消費者や消費者団体でもなく、企業でもない。ISO9001規格が制定されたとき、それは二者間の品質保証協定に用いることが目的であった。それを第三者認証制度というものを作り上げ、さらに環境だ、労働安全だ、事業継続、情報セキュリティなどなど、お金儲けの仕組みを拡大してきたのはIAFとその傘下(参加?)機関であったのだから。だから創設者が創造物の価値を説明する責任があり、それができなければ社会に評価されないのはやむを得ない。
古い映画「第三の男」の中のセリフに次のようなものがある。
「イタリアではボルジア家30年間の圧政下は戦火・恐怖・殺人・流血の時代だったが、ミケランジェロやダ・ヴィンチの偉大なルネサンスを誕生させた。片やスイスはどうだ? 麗しい友愛精神の下、500年にわたる民主主義と平和が産み出したものは何だと思う? 鳩時計だ!」
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観覧車を見てなにも思い浮かばなければ「第三の男」を観てない人だ。
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これに倣っていえば
「1960年代は公害がひどい時代だったが、公害防止や省エネを推進してきた。片やISOの時代はどうだ? 麗しい理想と美辞麗句の下、産み出したものは何だと思う? 環境意識の向上と紙ごみ電気だ!」
本日のまとめ
つい先日(2012.4.22)山口県和木町の化学プラントで爆発事故があり、死傷者がでた。事故がおきた三井化学岩国大竹工場はもちろんISO14001を認証していた。認証機関はKHK(高圧ガス保安協会)であった。
環境管理とは、かっこいいことや、高尚なことではなく、事故を起こさないこと、法を守ることであると再認識したい。
当社は化学物質を使っていないとか、事故は起きないなんて言わないでほしい。そういう会社だって複数の環境法規制に関わっているはずだ。その遵法をしっかりしましょう。
名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012.04.24)
茶々です。「彼氏に期待するもの」の順序について、最近の実態と合ってない気がしますw
今、イチバン「譲れないもの」は「背が高いこと」です。まずコレ。
続いて「四年生大学以上の学歴」で、「年収」と来ます。この時、最低ラインは600万円スタートで、鶏の知る限り最高希望額は「資産1.5兆円」だとか。無論、当人は本気・・だとか?
まず、それらをクリアした上で所々の条件の吟味に入るのです。善人とかケンコーとか同居とか、そういう「条件」はあまり聞きません。
世の中は厳しいものですわ。
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鶏さん そりゃ・・絶句ですね
私は学歴も背の高さも年収も低かったので、家内は結婚して40年も経った今でも私を可哀そうだと思ったからといぢめます
娘は結構難しい条件をいってましたが、買い物の店で出会った男と即結婚。現実はあまりこだわらなかったようです
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ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/4/25)
資産1.5兆円と150億円の違いがわかりません。私にすれば同じことですし。
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たいがぁ様
私は毎回ジャンボ宝くじを買ってます。そして家内と1億当たったらなにを買うか話すのですが、とても1億円を使う方法が思い当たりません
150億・・・考えると夜も眠れなくなりそうです
1.5兆円・・・もう想像も不可能です
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自己レスです(2012.04.28)
ISO認証の効果といっても、ここではISO9001またはISO14001認証の効果に限定する。
私が過去20年にわたって認証するとか指導するとかに関わってきており、はたして認証の効果とはいかほどあったのか、あるいはなかったのか、それとも逆効果であったのかを考えたい。
私自身がISO認証に関わったのを数え上げるとQMSが4回、EMSが4回、指導したのは数知れない。おかげさまで20年食べて家族を養ってきたのだ。まさにISO認証の効果である。もしISO認証制度がなかったなら、もう15年も前にリストラされて路頭に迷っていたに違いない。もちろん現在まではISOとは関わりのない環境遵法監査をしていたわけだが、その職に就くにもISOがなかったなら難しかった。
というのは個人的な効果であって、ここでは日本の産業界、あるいは個々の企業にとっては効果はあったのかなかったのかを考える。
大手企業はISOに関わらず、1970年頃から公害防止あるいは省エネのために社内ルールを整備して環境管理を行ってきた。ISO認証といってもそれらの文書や活動を参照することにすぎなかっただろう。つまり効果はなかったといってもよい。
なお、環境側面や法規制の把握方法について、繁文縟礼を重ねたのははっきり言って無駄であった。あんなおバカな方法で環境側面や法規制が把握できると考えた人々は、現実の環境管理をしたことがないに違いない。日本のISO14001をだめにしたのは、ISO14001黎明期の認証機関にいた人々である。もっともわしらも知らないけどそれなりに頑張ったのだなんて言い訳するかもしれないが、悪を働いたことは間違いない。
もちろん当時は公害が主であり、ISOによって製品やサービスに環境配慮が広がったという反論を予測するが、そんなことはない。なぜならフロン規制、製品の省エネ規制、環境配慮製品、エコロジスなどなどISOがなくても法規制、社会的要請に対応せざるを得ず、純粋にISOの効果なんていえるものはないと私は断言する。
不文律のルールがあって運用していた会社は、認証に当たりルールを明文化せざるを得ず、その効果があったか否かということになる。しかし過去長い間不文律で会社が動いていたならばそのルールを明文化することはなかろう。そしてコンサルがしっかりしていれば、ルールすべてを明文化することは無用であるとアドバイスすることは間違いない。反対にルールが明文化されていないことによって不具合があったなら、ISOなど発生する前から明文化しておくべきであって、ISOの効果ともいえないだろう。
まったくなにもない会社で、ISOのために社内ルール(ISOではかっこよく手順書というらしい)を作った場合、その多くは役に立たないゴミであろう。ISO代行会社という不可思議なものが存在するのだが、そういう会社は無用な社内文書のごみ掃除をしてくれるらしい。そもそもQMSやEMSというものは会社のシステムの一部であり、その部分だけ文書化しようとルール化しようとあまり会社経営に寄与しないし、アンバランスなだけである。もちろん審査においてシャンシャンと行くという効果はある。しかし、そんなことに価値があるかどうかはさだかではない。
そんなことを考えると、ISO認証って思考実験するだけでまったく無用であることがわかる。
会社を良くしようという場合は、一部門とか一分野だけ向上させることは無意味だし、不可能だろう。たとえば、経営者が遵法は確保したいと思ったとしても、環境遵法だけを完璧にしても意味がないのだ。労働法、下請法、安衛法、外為法、税法その他もろもろを遵守しなければならない。公害を出しませんと胸を張っても、社有車の運行に無理があって事故が起きたら困るのである。
そんなことをいろいろ考えるとISOって壮大なお祭りだったのではないだろうか?
祭りが終わるのに20年かかったというわけか・・まだ終わっていないけど
こんなことを書くと、加藤さんや寺田さんから苦情が来るか?
もっともそういったISOの重鎮が、QMSやEMSによって、日本に、あるいは個々の企業にいかほどの効果があったのかご存じなのだろうか?
ぜひ、知りたい。
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