「AK-47 世界を変えた銃」

2013.10.13
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、ぜひ読んでいただきたいというすばらしい本だけにこだわらず、いろいろな本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからこの本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本、そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

著 者出版社ISBN初版定価巻数
ラリー・カハナー学習研究社978-4-05-403568-32009.04.142,200全1巻


原爆 今の若い人、といっても漠然としているから、1975年以降の生まれとしよう。その年代以下の人たちは冷戦とか核戦争の恐怖というものを、実感として持っていないだろうと思う。
私は太平洋戦争が終わってから生まれたから、もちろん太平洋戦争もナガサキもヒロシマも知らない。また朝鮮戦争の時は生まれたばかりで何も知らない。しかし原爆マグロとか第5福竜丸などのことは大人から聞かされた。また中国の核実験の放射能が日本にくるから、雨に当たらないようになんて学校で言われたりもした。放射能の雨にぬれると髪の毛が抜けると言われたので、雨が降ると必死で木陰に走った。そして中学時代のキューバ危機のときは、明日にも世界戦争、それも核戦争が起きるのではないかと心配した。
ケネディ
今の人たちはキューバ危機なんて知らないかもしれない。
アメリカとソ連が、一触即発で核戦争が起きるという事態になったのです。
当時のアメリカ大統領ケネディも忘れられたと思ったら、2013年に娘が日本大使になってやってきたのでまた思い出されたようだ。

1960年代は宇宙時代の始まりなんて思われるかもしれないが、現実はICBMや宇宙での戦争を米ソが研究推進した時代であり、そのおこぼれで月面探査や宇宙通信が始まったにすぎない。核戦争の危機は1970年代も継続し、毎日々々、今日こそ核戦争が起きるのではないか、という恐怖を持って生きていた時代である。
レーガン ジミー・カーター ジミー・カーターがデタントなんて言い出したけど、飴作戦はうまくいかなかった。
1981年レーガンが大統領になってアメリカの考えが変わった。レーガンは鞭作戦、つまりソ連に負けないぞと通常兵器の増強、そしてスターウォーズ計画というものを推進した。ソ連もそれに負けまいと先端兵器の開発と軍備を増強しようとしたが経済力が追い付かず、ソ連という国家そのものが1991年に崩壊した。
別にカーターがサヨクだから左に、レーガンが右翼だから右に絵を置いたわけじゃありません。
ともかくソ連が崩壊して私たちはホッとした。核戦争の恐怖は遠のいたから。

もちろん当時だって、中東でも、インド・中国でも、南米でも、その他世界中で常にドンパチはあった。そして核兵器開発はそれらの国々もしていたわけだが、世界が全滅するような大規模な核戦争は起きないだろうと思った。世界を二分した核戦争でなければ、人類が全部死滅するほどにはひどいことにはならないだろうと思った。例えばインドとパキスタンが核戦争をすれば双方で億の単位の死者をだすかもしれないが、人類滅亡はしないだろう。
ソ連崩壊後、世界中で共産主義という言葉は魅力を失った。しかし日本のマスコミと大学そして革新政党には、いまだに共産主義が輝いて見えるのは、世界の七不思議の一つである。
「9条の会」の人たちは、現実が見えず、世の中の動きが聞こえないらしい。もっとも呼びかけ人のほとんどが鬼籍に入っているので今更考えることはできないか、

しかしソ連崩壊によってソ連が保有していたさまざまな兵器とその技術が、後身のロシアがお金を得るために第三世界や中国に売られ、兵器と危険は拡散していった。核戦争の恐怖も米ソ間の大規模な戦争ではなく、インド、パキスタン、イラク、イラン、北朝鮮とドンドンと拡散しつつあり、偶発的な事故の恐れは増えるばかりだ。
また貧者の核兵器といわれるものもある。化学兵器や細菌兵器だ。オウム真理教がわずかのサリンをまいただけで日本中は恐怖におちいった。といってもあのときの恐慌は20歳以下はもう分らないだろう。
仮に北朝鮮や中国が日本中に、いやほんの10か所程度サリンをまけば、日本は壊滅するだろう。それを予防するには、細菌戦争対策ではなく、しっかりした出入国管理とか海岸線の警備強化しかないだろう。
このように問題はいろいろあるが、40年前のように明日にも地球が崩壊すると思われた核戦争の恐怖は、今はない。
そして今の日本には国会でも街頭でもマスコミでも、世界は平和を願う人たちで満ちていると考える人たちがいて、日本が憲法9条を守れば日本と日本国民は安全に暮らせるのだと信じて、あるいは信じ込ませようとしている。
それは本当なのか? 真実なのか?

話しは変わる。
人を殺すというのは結構大変なことだと思う。ここでは倫理とか精神力ではなく、単に物理的、肉体的なことを考えてみよう。首を絞めて殺すには力がないとできない。相手の顔を水につけようとすれば、それこそ必死に暴れるだろう。殴り殺すなんてことは、空手とかボクシングをしている人でないと無理だ。顔面を殴れば、相手に頭がい骨骨折をさせるより、自分のこぶしを骨折する可能性が高い。小さな子供とか女性が、体格の良い男を殺すことは簡単ではない。
自分が日本刀を持っていても、相手が2mの物干し竿を持っていて広い場所なら物干し竿の方が有利だ。よほど剣道の心得があり固い意思がなければ勝てないだろう。そして下手をすると相手に得物えものを奪われてしまうかもしれない。
得物とは手で持つ武器をいう。獲物ではない。

ピストルがあれば簡単に人が殺せるかといえば、これが結構難しい。私は海外に観光や出張に行ったとき、ピストルやライフルを何度か撃ったことがある。正直言いますと、私はそういうのが大好きなのです。
でもなかなか当たりませんね。
普通の人は、ピストルで10m先の直径10センチの的に当てることはかなり難しい。当てるには、両手で持って慎重に狙いをつけて撃たなければならない。相手が必死なら10mを1秒で走り寄りとびかかって来るか、あるいは10m遠くに逃げているだろう。どちらにしても、その間に相手を撃って当てるということは難しい。そしてもし20mの距離まで逃げられたらターゲットが人間の大きさでも、素人ならピストルでは当てることはまずできない。
じゃあライフルならどうかとなると、あまり至近距離では使いにくいけど、10m以上ならピストルよりも使いやすいしけっこう当たる。もちろん自衛隊とか射撃選手のように才能もあり練習をしている人とは月とすっぽんであるが、私の経験では30mの距離で直径10センチの的なら簡単に当てることができる。もちろんスコープなしでだ。
銃を撃つと作用・反作用の法則で、銃弾に与えるエネルギーと同じ反動を体が受ける。ピストルといっても22口径なんて全然反動はなく、38口径くらいでも素人でも撃つだけなら撃てます。それより口径が大きいと、撃ったことがないからわかりません。たぶんものすごい衝撃なんでしょう。へたすると自分が手首を骨折するかもしれない。
ライフルのエネルギーはピストルよりはるかに大きいですが、両手と肩を使いますからピストルよりはるかに楽だったと記憶しています。
銃のエネルギーはジュールで表す。100グラムのものを1m持ち上げる仕事がだいたい1ジュールになります。
空気銃でだいたい40ジュール、22口径で150Jくらいで、これはプロ野球の投手が投げる球と同じ。強烈なデザートイーグルで1000Jくらい。ライフルになると、カラシニコフやM16で1500〜2000Jくらい。これは体重40キロの子供が全速力で走ってきてぶつかったくらいの衝撃力
ちなみにエアガンは0.989J以下に規制されている。
またピストルは撃つこと自体けっこうたいへんです。引き金なんて軽いもんじゃありません。引き金を引くには、1キロとか1.5キロくらいの力が必要です。人差し指1本で1キロのものを静かに持ち上げられますか? 普通の人はピストルを動かさずに引き金だけを引くということはできないでしょう。ですからしっかり狙っても、引き金を引くときに銃がグラグラと動いてしまい狙いが外れてしまいます。シングルアクションでもそうですからダブルアクションではまず当たりません。数メートル離れた人にさえ当たらないと思います。
ピストル
撃鉄が起こされた状態から撃つのがシングルアクションで、撃鉄が倒れた状態から引き金を引くことで撃鉄を起こし、引き金を引ききったときに撃鉄が倒れて弾が発射されるのがダブルアクション
ダブルアクションでしか撃てないピストルもあるし、シングルアクションでしか撃てないピストルもあり、どちらでも撃てるものもある。
大砲の手入れ
もうひとつ、鉄砲にしてもピストルにしても鉄です。水に濡れれば錆びるし、撃てば火薬の燃焼ガスで錆びる。手入れが大変です。山本七平は太平洋戦争では砲兵隊だったが、射撃した後の手入れが大変だったといろいろな本に書いている。それは現在の大砲でも鉄砲でもピストルでも同じだ。
もう山本七平なんて知っている人は少ないか・・・
手入れしないと動作が悪くなり、不発や暴発などの危険が増します。暴発も危ないけど、不発では自分の命が危ない。

さて、今までは前振りというか、以下を理解するための準備運動なのです。
ソ連は第二次大戦末期にドイツに負けない小銃を開発しようとした。第二次大戦には間に合わなかったけど、カラシニコフが開発した小銃が1947年に制式採用された。1947年にカラシニコフが作ったオートマチックライフルだからAK-47と命名されたそうな。
このライフルはオートマチックで連射ができ、頑丈でろくな整備をしなくても弾が詰まったり壊れたりしなかった。当時ソ連では、そういうのが求められていた。というのは一つの部隊でも複数の言葉が使われるようなありさまで、徴兵した兵士を訓練する暇もなく、戦場で役にたつようにするには、難しい操作とか整備などしなくてよい、簡単に使えて頑丈なものが要求されたからという。いくら精度がよくても故障しては武器として使えない。
AK-47はソ連軍で使われ、ワルシャワ条約機構国家群で使われ、ベトナムで、そして中国、中東、アフリカに広まっていった。もちろんそういった国々でも生産された。一説によると現在使えるAK-47は世界中で1億丁あるという。人間60人に1丁あることになる。
そして歴史上、世界で一番人を殺した銃と言われているそうだ。
カラシニコフAK-47カラシニコフAK-47
M16M16
AK-47がソ連を代表する小銃なら、M16がアメリカを代表する小銃である。M16は初期のベトナムでは故障とか多くて不評だったというが、それは銃になにを求めるかで違うだろう。AK-47とM16では、命中精度や使用条件などの要求が違う。初期のM16を熱帯ジャングルで使ったのが間違いということかもしれない。その後M16は改良されて、ジャングルで使用しても故障は激減した。

ともかくAK-47は素人でも使え、整備が簡単で壊れにくかった。そしてそれ以前の小銃に比べると、小型で軽く、誰でも使うことができた。それでソ連が崩壊した後も、動乱があるとカラシニコフは使われ、治安が悪化すると人々から欲しがられるようになった。
手軽に扱えるということは、ゲリラなどが子供や女性を拉致して兵士に仕立てることができるということである。アフリカではゲリラの兵士の相当数は女性であるそうだし、また10歳そこそこの子供の兵士も多い。おもちゃとカラシニコフを持っている少年兵士も多いそうだ。
そして人を殺す能力は性別も年齢も関係ない

カラシニコフは製造国とか新品中古で値段は大きく違う。そして需要と供給の関係で戦争になると高くなり、また戦乱が治まると大幅安になるらしい。安いときでは10ドル、1000円程度で手に入る。日本の自衛隊の対戦車ミサイルは1発何千万もするから、そんな高価なものを誘拐してきた字も読めない子供の兵士に使わせるわけにはいかない。しかし1000円のライフルなら惜しげなく与えられる。もちろんAK-47はごまんと普及しているから、その弾薬もいくらでも手に入る。
そのようにカラシニコフが身近にある暮らしは、一つの生活習慣であり風俗である、それをカラシニコフ文化であるとする考えもあるという。
例えば、近所に強盗が入れば、ウチではカラシニコフを備えておこうと考えたり、家の子供が10歳になったら鉄砲の打ち方を教えるという習慣が確立すれば、それはまさにひとつの風俗であり生活習慣であり、文化であり、名づけるならまさにカラシニコフ文化である。
M16文化がなぜ発祥しなかったかというと、AK-47よりも扱いが難しく、なによりもお値段が一桁高かったためらしい。

私たち日本人は銃も刀も取り上げられて一般人は持つことができない。そして時々アメリカで乱射事件や暴発事故が起きたと報道されると、おお怖いと目をひそめて、銃を禁止すればいいのにと言っていれば自分が良心的で上品にみえると思っているようだ。
だが、鉄砲がごろごろしている世界からみれば、現在の日本はむしろ異常である。 そして鉄砲がごろごろしている国はたくさんある。いやごろごろしているだけでなくそれを使った犯罪が多かったり、内戦をしている国もたくさんある。
その理由は、宗教やダイヤ、金、石油、勢力争い、あるいは理由などないのかもしれない。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持(日本国憲法前文)」するのは不可能であるのと同じく「平和を愛する隣人の公正と信義に信頼して、我が家の安全と生存を保持」するのも不可能な世界は多い。

仮にどこかのテロ組織が100人程度、カラシニコフを持って日本の町で虐殺を開始すれば、それを止めることはほとんどできない。警察はそんな能力を持っていないから、まずなにもできないだろう。アメリカの警察でさえ、犯人側がカラシニコフを持っていると、警察にももっとパワーのある銃器を配備してくれと言っているそうだ。
そういうときは怪獣映画にあるように、自衛隊が出てきてくれると思うかもしれないが、法律上、現時点は不可能だ。 いや侵略でなくて、何者かが日本にAK-47を数万丁放出したらどうなるか? 自暴自棄になっている人は乱射事件を起こすかもしれないし、恨みを持つ人は仇を討つかもしれないし、暴発事故は多々発生するだろう。まさにカラシニコフ文化である。
子供でも扱えるから、犯人が子供の場合どうするのか? 少年法を改正するのだろうか?

少年法第二条第一項
(2013.10.13時点)
「この法律で「少年」とは、二十歳に満たない者をいい、「成人」とは、満二十歳以上の者をいう。」
 
矢印
少年法の一部を改正する法律案
第二条第一項を次のように改正する。
「この法律で「少年」とは、二十歳に満たない者をいい、「成人」とは、満二十歳以上の者をいう。
但し、武器を持っている場合はすべて成人とみなす。」

私は日本でも銃を持てるようにしようなんて言うわけではない。そんなことに断固反対する。
だが、世界には銃があふれ、少年、少女が麻薬をやって元気をつけてカラシニコフをバンバンと撃って、人を殺している国々があるのだということを認識しなければならない。それは遥か彼方ではなく、飛行機で半日も飛ぶ距離なのだ。そして日本にそんなアブナイ銃器が入ってこないように、アブナイ武器を持った暴力組織に侵略されないためにどうするのかということを考えなければならない。
それは主義主張とは違う。リベラルであろうと保守であろうと、私たちの国の治安を守るためにどうするかということを考えなければならない。そんなことありえないという思い込みでは明日はない。
現代の脅威は核兵器だけでもなく、化学兵器や細菌兵器だけでもない。昔からある原始的な小火器が安全な社会を崩壊させることを忘れてはならない。

2013年9月21日ケニアのショッピングモールでイスラム過激派によるテロで一般市民60名以上が殺された。2013年1月にはアルジェリアで石油プラントがアルカイダに襲撃された。これらのように大きな事件や日本人が巻き込まれたものは日本でも報道されるが、日本のマスメディアが報じない事件もたくさん起きている。

日本人よ、目覚めよ、世界は平和ではないのだ。


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