「歴史の見方考え方」

2013.07.10
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、ぜひ読んでいただきたいというすばらしい本だけにこだわらず、いろいろな本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからこの本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本、そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

著 者出版社ISBN初版定価巻数
板倉 聖宣仮説社47735006461986/4/71500全1巻

最近の私は、記紀(古事記、日本書紀)や魏志倭人伝、卑弥呼なんて日本の古代に凝っている。市の図書館から毎週5冊くらい借りてきて読んでいる。このたぐいの本を読むようになってもう半年近くなるから100冊は読んだと思う。
ちなみに私は年間250冊以上読む。もちろん月刊誌やコミックを除いてだ。

当時の出来事を書いた歴史書というものは非常に少なく、また考古学的には天皇陵あるいはそうだと言われているところは、発掘が禁じられているので物的証拠も非常に乏しい。
だからほとんどの本は、三国志魏書や記紀など限られた本をいかに読み解くかというアプローチか、頭で考えただけの大胆な仮説でもって人目を引こうとするものに分けられる。そして学者が語ろうが、市井のアマチュアが語ろうが、証拠に基づいたものが少なく、想像、妄想、希望、思い込みなど言いたい放題、SFかファンタジー小説のレベルが多い。だからマンガであろうと、大学の先生が書いた活字が並んだ本であろうと、信頼性という観点では似たようなものに思える。
活字の本ばかりでなく、古事記とか邪馬台国なんて名の付くマンガ・コミックもたくさん読んだ。安彦良和のナムジとか神武とかも読んだが、ありゃイマイチどころかイマニかイマサンだったね。彼もガンダムで止めておけば良かったのにと思うが・・
安彦良和
突っ込みが入る前に若干解説する。
安彦の絵はきれいだが、その発想が常識的で、ストーリーは平凡だ。安彦は超自然的なものを排除して、古事記の世界を実物大の人間の物語にしているのはひとつの選択であるが、解釈にあっと驚くトッピさがない。
多くのプロ・アマの研究者のほうがはるかに想像力たくましく、安彦どころではないトンデモストーリーを考えている。安彦はそういった主張を知っていながら、あまりトッピだと受け入れられないことを恐れて書いているようだ。だがそんなアプローチでは古事記をそのままコミックにしたものに負けてしまうのではないか?
アニメならなおのこと、そういうトンデモ本に負けないように頑張ってほしいところだ。

とはいえ愚かな私はそういうものの中に真実が見えないかと、こりずにひたすら読むのであった。
単なる時間つぶしだという声も聞こえたような気がする。

そんな本の一冊が引用していたのがこの本である。
何という本であったか忘れたが、「『歴史の見方考え方』に書いてあるようなアプローチをするべきだ」と書いてあった。そう褒めるほどの本ならば読まなくてはならないと強迫観念にとらわれる私である。
さっそくアマゾンで調べた。驚くことに30年も前に出版された本であった。しかしアマゾンではいまだ新品を売っている。よほど売れなかったのだろうか?
好奇心から調べたのだが、この本は13ケタのISBNコードを持っている。ISBNが10ケタから13ケタに切り替わったのは2007年だから、それ以降も発行されているようだ。とすると相当数売れているのだろうか?

ともかく買うのはもったいないから図書館で探した。しかし、市図書館の蔵書になかった。
残念なり
図書館の人に相談したら、隣町の図書館にあり取り寄せできるという。ということで1週間ばかり時間がかかったが手にすることができた。
借りたのは1986年の3刷であった。30年前の本とは思えないようにきれいだ。図書館の本としては破格に美品である。よほど読まれていないのかもしれない。
本を開くと「江戸時代の農民は何を食べていたか」という問いから始まる。
私は別の本でこの設問を見たことがあった。全く同じ設問で全く同じ答えであった。もちろん年代からすると、この本が元ネタであることは間違いない。するとこの本は有名というか、そうとう影響力があった本に違いない。

この本の著者、板倉先生は「原子論的に考える」ことを主張しています。原子論というのがどういうことなのか私は分りませんが、平たく言えば良く考えろということと同意のように思えます。
私は以前江戸時代の百姓が何を食べていたかという問をみたとき、答を見ずに理屈で考えてわかりました。みなさんもこの本を読むまでもなく少し考えればお分かりと思います。もし、わからなければ図書館で借りて読んでください。
この本は子供でも読めるように平易に書いてあり、2時間あれば読めるでしょう。いや楽しい2時間を持つことができるでしょう。

板倉先生によると、イデオロギー闘争も、国家間の争いも、すべては物理の原理から説明が付き、予測がつくという。もちろん事前に十分な情報があるという前提は必要だろう。いやわずかな情報であっても、それを元に考えることに意義があると考えているようだ。統計などに関わった人はそう考えるのかもしれない。これは良い意味で使っている。

チャンチャンバラバラ 関ヶ原の戦いでなぜ東軍が勝ったかという設問はこの本にはないが、その頃、東日本が豊作で西日本が凶作だったと書いてあった本がある。豊作であるということは単に侍たちが腹いっぱい食べることができたということではなく、農村も豊かで年貢も労働力も調達できたことであろう。飢饉であれば、農民を徴用することは難しいだろう。もちろん食い詰めた者が村を飛び出して夜盗や足軽になるということもあるかもしれないが・・
徳川家康が領地の綿栽培で富を蓄えていたのに対して、武田信玄は経済力が弱かったという。馬であろうと武具であろうと、結局はお金、軍資金のないところは戦う前に滅びるしかない。
江戸幕府開闢当時は羽振りが良かったけど、段々と力が弱くなったのは、佐渡金山からの金銀産出が減ったからというのも明白なこと。だから田沼であろうと吉宗であろうと松平定信であろうと、政策だけでは起死回生は無理だったのだ。金山開発とか産業育成をすべきだったのだね。
だが金山開発といってもそうあるわけではなく、抜本的な産業育成はとりもなおさず社会が変化することであり、身分制、藩幕体制、鎖国という定常的な社会を否定することになり、江戸幕府の目指したものとは異なる。
つまり、江戸幕府は本質的に時限爆弾を内蔵していたということになるのだろうか。
とはいえ幕末にはそういったことをほとんど否定して、将軍家の保全を図ったわけだが、それさえも叶わなかった。
はじめから将軍家の保全ということを最上位の目的において、社会制度や施政の革新をいとわなければ目的を果たしただろうか?
私は可能だったと思う。その実例として天皇家がある。
明治維新でなぜ薩摩長州が幕軍に勝ったのかというのは、この本では江戸時代の間の各藩の経済成長が地域によって異なり、西日本の諸藩、それはつまり関ヶ原の時の西軍であるが、それらの経済成長と人口増加に対して、東日本の諸藩つまり関ヶ原の東軍では、経済が低迷し、人口減少がはなはだしかったのがその原因だという。
江戸時代末期には、同じ何万石といっても経済成長している藩と人口減少している藩では実際の実入りは4倍以上も違っていたらしい。仙台藩は62万石と称されているが、内高は100万石を軽く超えていたという。とはいえ、それでも藩財政は赤字だったのだが。
ともかく経済成長した藩では、侍も農民も豊かな暮らしができたわけだ。
さいころ
侍だけが豊かになって百姓は貧しかったと考えた人は、振出しに戻って、「江戸時代の農民は何を食べていたか」をもう一度考えよう。
この本を読んで驚いたのは幕末、相馬藩(茨城県)では「子供を10人以上産み育てたら苗字帯刀を許す」と定めていたそうです。苗字帯刀ということは侍になるということとは違いますが、当時としては医者や豪商並みにみなすということです。非常に人口減少が深刻だったということですね。しかしなにか現代の子供手当を思い浮かべてしまいました。
そういえば苦しい藩政を立て直そうとした「なせばなる」の上杉鷹山も、米百俵の長岡藩も、二宮尊徳も、みな東日本のことであり、西日本では窮乏に苦しむ藩を立て直すというお話はあまり聞かない。
日本がアメリカに負けたのは産業も経済も弱かったというのは誰でも知っている。だけど明治維新とか家康となると、そういう考えが思いつかないのではないだろうか。
結局、国力とは経済が基本であって、軍隊を維持するにも戦争をするにも、先立つものは金なのである。
私は日清戦争や日露戦争の本をだいぶ読んだ。明治時代の陸軍の将軍や海軍提督たちは、戦争は物量がないと勝てないということを良く知っていたようだ。しかし現実は武器弾薬が足りない、だから大和魂で補うんだという悲壮な覚悟で戦ったように思える。決して、精神力があれば物量にまさる敵に勝てるなどという非科学的な考えではなかった。これは明治維新、日清・日露という実戦を経験しわが身・わが命を賭けて戦った人としてはまともな発想だろうと思う。
だが、それはいつしか変質し、精神力があれば十分という発想になってしまった。そんなアホなことを考えた将軍たちは実際の戦争をしなかったのだろう。

麻生閣下の御真影
「国力こそすべて」と語る麻生太郎や三橋貴明は、その点で真理をとらえている。
人口減少を止めるのは、子供手当ではなく継続的な経済成長が必要であり、明日は今日よりも良いという希望というか確信が必要なのだ。
「コンクリートから人へ」と叫ぶやからは、それを知らないのか、知っていて日本を弱くすることを目指しているのかのどちらかだろう。いずれにしても日本には無用な思想であろう。いや、どの国でも無用だろうけど。
そう言えば「二番目じゃだめですか」なんてボケを語っていた女性議員もいたが、選挙では二番目はないということに思い至らなかったようだ。

おっと、ギリシアは科学が進んでいても敗れたとか、ローマは経済力はあっても滅んだとか、反論する人がいるだろう。だが、この本ではギリシアやローマが低迷し崩壊していったのを人口減や経済力の低下という証拠をあげて説明している。つまりギリシアは科学が進んでいたが敗れたのではなく、経済が弱くなって数学や科学を研究する余裕もなくなって敗れたと書いてある。
ローマもしかり、

遠い昔のことではなく、ソ連が崩壊したのは軍備競争に経済が追い付かなかったためなのはご存じのとおり。そして、今アメリカの軍事力が相対的に弱体化してきたのは、ズバリ、アメリカの経済が陰ってきたからであり、中国が覇権を争うようになったのは中国の経済発展によってである。中国のバブルが破裂すれば、空母とかステルス戦闘機なんてはしゃいではいられないだろう。もっとも中国の場合はソ連以上に独裁だから、何を犠牲にしても軍事増強をするという選択はあるけれど
偉大なり中国空母
偉大なり精強な中国空母
最近のニュースでは中国は高さ838メートルのビルを2016年までにつくるという。入居者、利便性、投資効果などどうでもよくて、世界一になることに意義があると考えているとしか思えない。

歴史に限らず、何事も良く考えることがだいじだ。
振り込め詐欺にあえば、驚きあわてて犯人の話に乗せられてしまうことだろう。だが、ちょっと待てよと考えることができるかできないかで大違いになる。

お金 ねずみ講というのは私が子供の頃からあった。就職したとき、同期で入った短大卒の女性が新入社員を集めて参加を募った。初任給が2万円くらいの時代だから、投資額は数千円だったと思う。
多くの人が加入したが私はどうもおかしいと思って入らなかった。だって払ったお金の総額ともらうお金の総額は等しくなるはずだ。ということは多くもらえる人がいるなら、少なくしかもらえない、あるいはもらえない人も多くいるはずだよね。
その後、そのねずみ講は破たんしたのはもちろんだ。社内で勧誘した女は損をした大勢から責められた。もっともそんなことを気にするようではねずみ講の勧誘などできないだろう。その後も会社で働いていた。

私は高卒であったが会社に入ってからも勉強したいという意欲はあった。それは私以外の高卒の連中も一緒だった。あるとき大学の通信教育を受けようなんて誘いがあった。当時、東北の田舎ではスクーリングに行くことが最大の難関だった。会社勤めしていて2週間とか休みをもらって大学に行くなんてことは不可能に近かった。その案内では各地で講演会をするので、その講演を聞けばスクーリングの単位がもらえるという。何人もの仲間が大金、当時で10万とかそれ以上だったと思うが、払ってそれに参加した。
そんなうまい話があるわけがない・・・と私は思った。
大学生 それで部署は忘れたけれど当時の文部省のどこかに電話して、そういう大学通信教育があるのかどうか問い合わせた。するとそれは正規の大学通信教育ではないという回答だった。それで私は参加しなかった。
もっともそれはまったくのウソというか詐欺ではなかったようで、毎年配本があり、年に何度か講演会があったのは事実だ。その後、参加したやつにその通信教育がどんなものかを聞いたことがある。そいつは、騙されたと思うけど、今となっては講演会とか聞いて元を取るしかないとこぼしていた。

私がはたちの頃、1960年代末、民青とか社青同とかが会社の中でも街でも勢力を持っていた。当時はまさに大学紛争真っ盛りである。高校を出たばかりの何も知らない若者を、共産党や社会党に引きずり込もうと毒牙を隠して活動していた。
ある晩、私は会社帰りの夜道で見知らぬ人から声をかけられ、いくつもの冊子を渡されて「読んで来い」と言われた。なんで見知らぬ人が「読んでください」でなく「読んで来い」というのかという反発はともかく、しょうがないと押し戴いて家に持って帰って読んだ。
まあ、内容はトンデモ満載、今の民主党のマニフェストもどきって感じだった。労働者は搾取されている、私たちは革命を起こしてすばらしい社会を作るなんてのが書いてあった。
連合はその由緒ただしい嫡子である。
だから私は連合が大嫌いだ。
当時、私から見て社会党と共産党はまったく同じだった。どちらも我々労働者を食い物にすることは同じで、しかもお互いに相手を憎み合っていたということも一緒だった。
ともかく、私は借りたのかもらったのかわからないが、翌日も夜道に立っていたその男に、その冊子をお返しした。その男はその後もなんだかんだと声をかけてきたが無視した。あのとき共産党や社会党に入っていたら、今頃は共産党とか社民党から参議院議員選挙に立候補していたのだろうか? ひょっとしたら国会議員になれたかもしれない。
歩
、単なる使い捨ての駒だって?
ま、そうでしょうねえ・・・
私を勧誘した男も使い捨てだったのだろう
私の知り合いでもそういう毒牙にかかって人生を棒に振ったのは一人二人ではない。政治運動にお金も時間も捧げ、会社を辞めたのもいたし、活動に専念するとかでどこかに引っ越して行ってしまったのもいた。既にみんな還暦を過ぎている。今生きているなら何をしているのだろうか、社会主義を呪っているのか、それとも今でも信奉しているのか、どちらだろう?
ひょっとすると私を勧誘した人は、自分の人生を恨んで、無垢な青少年を共産党や社会党に引きずり込むことによって憂さを晴らしていたのかもしれない。
社会主義恐るべし。サヨク恐るべし。

ともかく何事でも一歩踏み出す前に、考えることは必要だ。それもあまり難しい理論とかではなく、常識でどうなのかということを良く考えることだ。
今現在、毎日たくさんのメールが来るが、お金やバイアグラやエッチなものが多い。ともかくそんなものを読んで、常識で考えればおかしいと思うだろう・・普通は
実は最近、複数の方からISO・・・ここではISOマネジメントシステム規格のことであるが・・・を使って会社の改善を図りたいというお話を伺った。会社の改善は永遠の課題であるし、ISOを使おうというのも常套手段かもしれない。
だが、ISOで改善ができるのか考えることは必要だ。
そもそも、ISOは改善の手法になるのかと考えることが必要だ。どの規格にも「改善しろ」と書いてはあるが、「こうすればよくなる」とは書いていない。
いやもちろんその要求事項を組み合わせて改善手法になるとかツールとして使えるのかもしれない。使えないかもしれない。どうなのかを良く考えてほしい。
私のスタンスをはっきりさせるが、私はISO規格など改善にならないと考えている。いやマネジメントシステム規格などということ自体、僭称というか身の程知らずの表現ではないかと思う。だってISO規格がそれほどすばらしいとか包括的、大規模なものだとは思えない。そして重要なことだが、ISOマネジメントシステム規格が発祥して17年になるが、いまだその価値を実証していないと思う。少なくても私はその証拠を見ていない。
ISOマネジメントシステム規格が制定されてから26年経ったという方は間違いである。
ISO9001:1987年版は品質保証の国際規格であり、マネジメントと称したのは1996年制定のISO14001である。

哲学とか深淵を考えることはないが、日常生活でも決断するときは、やはり立ち止まり良く考えることは必要だ。
みなさん良く考えましょう そんなこと言われても、考えるってどうするのよ? とおっしゃる方へ
この本をお勧めします。
もっともすぐに手に入るかどうかはわかりませんが・・・

 本日のまとめ
この駄文を読んで、この本を買おうとかした方は・・・・いけませんねえ〜
ネットでこの本の評価をみて、私がうそをついているか、世の中の評価はどうかをチェックした方は合格です。



きたむら様からお便りを頂きました(2013.08.03)
久しぶりにお伺いしました
あっという間に歳月は過ぎるものですね、久しぶりにお伺いしたら佐為様も第一線を呉引退なされた由。しかし、考えてみれば老人が元気で長生きできる我が国は幸福な国ではないでしょうか!?「生産年齢人口」っていいますが、要するに70歳でも80歳でも元気で生産年齢を保てばそれでいいわけで・・・

きたむら様 お便りありがとうございます。
大変申し訳ありませんが、きたむら様から以前メールを頂いたのかどうかわかりません。パソコンが壊れたりしまして2008年以前のメールは消えてしまいました。お詫びします。
おっしゃる通り我が国は幸福な国です。
しかしそれはいつまでもそのままということはありません。どんな機械でも建物でも維持していくことは大変です。お金だけでなく、その努力、そして維持していくという意思が必要です。
日本がいつまでも幸福な国であるようにするためには、私たちひとりひとりが幸福な国であるようにし続けようという強い意思と行動が必要です。
いえ、そんなたいそうなことではありません。選挙の際には良く考える、棄権はしない、小さなことでも誰も見ていなくても法を守る、人に親切にする、そんなことの積み重ねだと思います。
私もこんなアホみたいなウェブサイトを開設して、なんともう12年になります。その効果があったかどうかは定かではありませんが、多くの友人もでき飲んだり語ったりしております。これもありがたいことです。
お互いに、日本を良くするためにできることをし続けましょう。
なにせ私は毎日が日曜日ですから頑張らないといけません。
ありがとうございました。

倉山満,嘘だらけの日中近代史,扶桑社新書,アベノミクス,白川日銀総裁,改憲,護憲,平和憲法,憲法9条,支那,破綻,自虐史観脱却,民主撲滅,宇宙人退治,,うそ,800,,,日本人よ誇りを持て,日本,祖国,おばQ
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