塞翁が馬

13.06.16
いつも世の中を斜めに見てアホなことを語っております。それで本日は少し殊勝に自分の人生を反省し、明日のことを考えようかと・・
もっとも明日のことを考えるならともかく、明日を思い煩うとなると神の教えに背くようですね。
っと気が付いたら私は60代半ばになっていた。もう還暦男なんて言っては詐欺になりそうだ。これからは緑寿男、いやすぐにも古稀男と言わなければならないだろう。そしてあっというまに喜寿となり、傘寿と・・・そこまでは長生きしないか
さて、人は常に振り返り、己を反省し今後に生かさねばならにと言われている。
誰が言ったか? なんて突っ込まれると困るから言ちゃいかん
もっとも私に将来があるのかはどうかがより大きな疑問である。

日本の私の世代は、65歳になったとき何割の人が生きているか、生き残っているかというと、そういうデータは政府が公表している生命表というのを見ればすぐわかる。

生命表
政府統計より引用

当然だがグラフで生存率が50%となるところが平均寿命である。
このグラフをみると、私の年代で65歳まで生き残る人は87%くらいになる。多いとはいえ全員が65歳まで生きるわけではないのだから、私がまだ生きているというのは運が良いと言ってよいのだろう。私は宝くじは一度も当たったことがないが、65歳まで生き残る確率は宝くじより高いのだから当然か。

しかしこのグラフをみると驚くことがある。昭和22年に20歳まで生きる人の割合と、平成22年に70歳まで生きる人の割合が同じなのだ。昔は生まれた子供の2割が20歳までに死んだのだ。私も姉二人が1歳前に死んでいる。今65歳になっても長生きしたとは感じないが、良く生き残ったとは感じる。それと同じく60年前は二十歳になるとよくぞ生き残ったと感じたと思う。そういう状況であれば成人になったということはうれしかっただろうし、成人式は意味があったことだろう。全員が成人式まで生きるなら、はたちになったことを喜ぶという感情は起きないことは間違いない。
入学式が誇らしいのは、入学できなかった人がいるからで、卒業式が誇らしいのは、落第したりドロップアウトした人がいるからじゃないのか?
そういうことを、堂々と言えない人は心が貧しい人だ。
勇気がないのかも? 言う気がないのは間違いないが
ともかく、このグラフを見ただけで老人が増えるのは当たり前だ。だが老人が増えちゃ困るというなら乳幼児や若者が死ねばいいのかといえば、それも良いことじゃないだろう。じゃあ、高齢社会をどう設計するかということが課題じゃないのか?

私が小学校の頃、一学級は60人以上いた。当時は小学校を作るにも先生を採用するにも、国が貧乏だったからなかなかできなかった。だからマンモス校、過密教室は当たり前だった。今1クラス20人とか聞くと驚くしかない。それではいろいろな人がいる社会というものを、学ぶことができないのではないか?
それともう一つの問題がある。私は会社勤めが長いし、管理職もした。それで職場というのはどういう力学で動くのかということを学んだ。人が複数いると必ず派閥というかグループができる。ひとつひとつのグループの人数は多い少ないがあるが、それはどうでもよい。ともかくよほどのへそ曲がりでなければどこかに加わり、一緒に雑談したり飯を食ったり、たばこを吸ったりする。大人の社会だからグループ間の抗争はあまりない。
ここでグループ内でもめたりすると、はじかれた人はそのグループから離れて他のグループに参加するというのが一般的だ。つまりグループがたくさんあることは良いことである。私はリストラなどを何回も経験したが、人員削減で職場の人数が減ってくると、グループの数が減ってくる。そして人が減ると最終的に一つの職場にグループがひとつしかなくなってしまう。そうなるとそのグループではじかれた人は居場所がなくなり、最悪会社を辞める人もいる。
これは職場だけではない。私の住んでいるマンションでは毎朝奥さん連中が小学校や幼稚園に行く子供たちをマンションのロビーまで送ってくるが、そのまま家に帰る人はいない。庭やロビーに三々五々集まって昼前までおしゃべりをしている。人数が多いから3人とか5人とかが集まったグループは10以上になる。おしゃべりは子育てやお料理の情報交換もあるだろうし、息抜きもあるだろう。そしてグループがたくさんあるから、今までのグループに居ずらくなっても別のグループに移ることができるということが良いことなのだ。
何を言いたいのかと言えば、一学級の子供の数が少なくなれば、はじかれた子供は居場所がない。イジメというのは主観的なものだ。いじめるのではなく単に排除するだけでも、排除された子供はもう学校に行きたくないということになりそうだ。私の場合、60人も同級生がいるわけで、けんかが弱い者はそれなりに集まって対抗し、一方的にいじめを受けたわけではなかった。
そういう意味で一学級の人数が少ないと先生の目が届くなど良いことよりも、悪いことの方が多いように思う。いじめるなというのは命令しても良いし、客観的にもわかる。しかしいっしょに遊びなさいという命令はありえないし、そもそも実行不可能のように思える。

それはともかく私が入学した小学校は児童が1800人以上いた。さすがに子供が多すぎ新しい小学校が作られて、私は転校した。中学校は1クラス50数人いた。私は大人になって何度も引っ越したので、小中学時代のクラスメートで今でも年賀状をやりとりしているのは数人しかいない。だから小中のクラスメートが何人生き残っているかはわからない。
高校は一クラスちょうど50人だった。これも同級会なんて卒業した数年後に一度しただけなので、果たして今何人生きているかは定かではない。しかし10年前まではしばしば近くに住んでいる仲間と飲んだりだべったりしていたので、誰それがどうしたという情報はけっこう入った。
一番初めに死んだのは30歳になる前に事業を始めた奴で、そいつは事業に失敗し負債を抱えて自殺した。それを聞いたとき死ぬことはなかっただろうと思ったが、本人の心中がわたしにわかるはずがない。
もう一人はやはり30前だったが、ある冬、酒を飲んで表で寝込んで凍死した。みんなはそれを聞いて青くなった。我々はそんな体験はしょっちゅうしていたからだ。自分もアホなことをしていると、凍死するかもしれないと思うとゾッとした。
もう一人は20歳を少し過ぎた頃、外国旅行といってもジャルパックとかJTBツアーではなく、放浪の旅に出て、中東で消息を絶った。以降彼を見た人はいない。たぶんどこかでのたれ死んだのだと思う。間違っても異国の美女と結婚して幸せに暮らしているとは思えない。

会社に勤めてからも生きるということは楽ではない。人生は物語のように順調ではない。
今ほど残業規制とかサービス残業が悪だという認識がない時代で、働き過ぎで体を壊す人は多かった。胃潰瘍、過労、結核、そんなので入院したり通院したりする人は多かった。正直な話、私がはたち頃、職場では胃潰瘍にならないとまともに働いていないとみなされた。トンデモナイ時代である。
ストレスで円形脱毛なんてなる人もいるが、私の先輩は頭の毛が全部抜けてしまった。まだ30代だったが上司にいじめられたからだとみんなで噂した。そして本当に上司が代わったらまた真っ黒な毛が生えてきたものだ。
ただうつ病というのは今ほどなかったと思う。うつ病になるということはそういう状況になれるということであり、みんな食うや食わず、とにかく会社に行って家族を養わなければならないという状況では、体を壊しても髪の毛が抜けても、会社を辞めるとか、会社に行かないという選択はありえなかったからかもしれない。
うつ病のひとからは抗議されるかもしれないが、私の経験からうつ病が多くなったのは1990年以降だと思う。

それだけではない、私のまわりにもいろいろな人がいた。
競馬が好きで、ときどき新潟まで行くのだが、あげくに帰りの電車賃も使ってしまい、知り合いにねだったとかいう話を聞いたことがある。結局その人はサラ金に追われて蒸発した。今も元気に生きているのだろうか。
今私が住んでいる千葉県には有名な中山競馬場がある。競馬でお金を使い果たし、駅までのバスにも乗れず帰りの電車賃だけを握り締め、トボトボと駅まで歩く道をオケラ街道と呼ぶそうである。日本全国ではそういう人が大勢いるのだろう。

同僚で通信販売とか道での勧誘を断れない男がいた。新興宗教には入らなかったが、百科事典、英語教材、その他おびただしいものを買い、いや買わされて、本人が住んでいたアパートには開封もしないそういうものが積み重なっていたそうだ(私はそいつのアパートに行ったことはない)。二度ほど親兄弟に助けてもらって借金をチャラにしたが、仏の顔は二度までだったらしく、三度目は自己破産した。そのときの負債は800万で、それまでを合わせると2000万くらいになったらしい。それを聞いて正直あきれた。会社を辞めて親元に帰ったがどうしているやら、生きているやら・・

車を買う時に知り合った販売会社の人は、詳細はわからないが詐欺で捕まり、執行猶予もつかず刑務所に行った。数年して出所してきてまた車販売などをしている。それまでの付き合いでは悪い人とは思えなかった。本当のことはわからないが、とにかく個人的には大変だったろうと思う。

若くても死ということはある。
高校で同級だった男は結婚して子供が生まれたとたんに、奥さんが病気で亡くなった。まだ20代半ばだった。幸い本人の両親と同居していたので子供の世話をしてもらっていたが、今と違い育児休暇どころか社会制度も周りの理解も乏しい時代だったから夫婦だけの核家族だったら大変だったろう。
前に勤めていた会社で一つ年下の同僚が結婚したが、これも結婚して二三か月後に奥さんが病気で亡くなった。その男は葬式するために結婚したようなものだとぼやいていた。もちろん好きあって結婚したはずだが、そう言いたくなるのはよく分る。あれから20年以上たつが、その男は結婚なんてもうしないと言って、ずっと独身で奥さんの墓守をしている。かわいそうだ。
本人の例もある。やはり前に勤めていた会社の同僚は40代後半、通勤電車から降りた途端、駅で倒れ救急車で運ばれたがそのまま死んだ。心筋梗塞か何かだったらしい。
私より10歳くらい上の先輩は、定年になったら大いに遊ぶからそのために定年前に人間ドックで検査すると語っていたが、検査でがんが見つかりそのまま入院して定年を迎えずに亡くなった。
もう一人の先輩は定年になって、念願だった海外でゴルフをすると言ってグアムか台湾に行った。行った先で倒れ、帰国して精密検査を受けたら白血病と言われ何年か闘病生活した後亡くなった。
もちろんそういった人を全部含めても、65歳まで生き残る人は87%ということなのだが、心ならずも病を得て亡くなる、事故で亡くなる人は13%つまり1割以上いるのだ。これは低くはない確率だと思う。

本人が健康に定年を迎えても幸せいっぱいとは限らない。
私の知り合いに、熟年離婚とか定年離婚された方はいない。しかしいろいろな人がいる。
自分の親が認知症になって介護しているというのは良く聞く話だ。しかし最近は一人っ子が多い。だから夫が一人っ子、妻が一人っ子ということも多いわけで、双方の親が認知症になって夫婦で介護をしているという人が私の知り合いに二人いる。ご飯を食べるのも夫婦交代だと笑っていたが、その心中は穏やかではないだろう。それとも悟りを開いているのだろうか?
私が会社を辞めて毎日がヒマでたまらないなんてそいつにメールしたら、マジに叱られた。すまない。
私の場合、親父は私が30前に亡くなった。母親はその数年後亡くなった。まあなにごとにも先払い、後払いがあるのだ。私は先払いしたので人様から恨まれることはないだろう。
ともかくそういうことで私は親を介護する心配はない。もちろん自分たち夫婦がボケることを心配しなければならないが、家内は私よりずっと年下で活発に活動しているから、私より前にボケることはまずないだろう。私がボケたら粗大ごみに出すと家内は言っているので、私のことも心配はない。

病気でなくても心配事はいろいろある。
10年ほど前住んでいた近所に、当時30代半ばになった息子が引きこもっている家があった。大学を出た後いったんは就職したが、ほどなく会社を辞めてそれっきりだ。その家のご主人は息子は作家志望だと語っていたが・・あれから10年経つがまだ本を出した気配はない。もう40代半ば過ぎか・・・親も大変だな
やはり近所の家で、我が娘より二三歳年上の女の子がいた。この子、高校を卒業してから職に就かず家にごろごろしていて、犬のトリマーをやりたいとか、なにをやりたいと語る。そのたびに親はその専門学校に入れたりしたがなにをやっても長続きせず、辞めてしまう、そしてまた何をやりたいと語っていた。あの子も30代半ばになる。今はどうしているのやら・・親バカで甘やかしすぎだったのだろうか?
スバル 私の田舎に真面目な若者がいた。私より7つくらい年上だったと思う。高校を出て自動車修理屋に勤めていたが父親の援助で独立した。1975年頃のことだ。4号国道沿いの場所の良いところに開店して、結構お客もついてはやっていたようだ。しかし半年もしないうちに閉店して建物は売りに出た。どうしたのだろうかと近所の人に聞くと、雇っていた人が交通事故を起こし、相手がヤーサンだったとのこと。あとは推して知るべし。
私が30歳くらいのとき、職場で定年になった方がいた。その方は退職の送別会で娘婿が事業を起こすので自分もそれに参加する、退職金はそれにつぎ込むと自慢話をしていた。半年もしないでその会社が倒産したと聞いた。その後、同僚が、その先輩と道で会ったが、手が震えていたと言っていた。

とまあ、人間は生きていくことは大変なことなのです。怪我、病気、家族との関係、世の中との関係、偶発的な事故、破産、そういった落とし穴を踏まず、地雷を踏まず、向こう岸(彼岸)までたどり着くことは相当困難なのです。
おっと、地雷を踏めば即彼岸に行けるなんて突っ込んじゃいけません。

そんなことを思うと、私は幸せなのかと考えた。
私は会社で出世もせず、リストラされ、流れ流れてさすらい漂いました。しかし妻も子も死なずに今まで生きているし、大病もしなかった。
定年になり嘱託も勤め引退した今となると、出世した奴と違いがない。
もちろん持っているお金は私より多いとか、クレジットカードがゴールドカードとか違うかもしれないが、そんなものが人生の価値ではないだろう。「真の財産とは健康と教養と家族」というけれど、その指標なら私は人生の成功者だと思う。
教養がないぞと言ったのは誰だ
孫がいないのがちょっとさびしいが、贅沢も言えない。そもそも孫がいる人はどのくらいいるのか。ある調査によると年と共に、結婚しない人、子供を産まない女性が増えているという。
またある推計によると、1990年生まれの女性は将来的に、未婚は4人に一人、子供なしは4割、孫なしは5割に達するという。我が娘はそれよりも年代が上だけれど、私に孫がいないのは不思議でもなんともないようだ。ひょっとすると孫がいるということは宝くじに当たるようなものになり、そういう人は70歳まで生きないのかもしれない。

愚妻である
何をバカ語ってんのよ
財産がないとはいえ、私には暮らすところはあるし、食べるのにも困らない。おっと勘違いなさらぬように、私は、ホテルでコース料理を食べるとか、三つ星のレストランで食べるなんてことは無縁である。
昨夜の我が家の献立は、鮭の切り身、小松菜と油揚げの油イリ、芋サラダ、茄子とみょうがの味噌汁であった。私にはご馳走である。IHIや東芝を立て直した土光さんみたいじゃないか。
なお、家内はできあいの惣菜を買ってきて出すということは絶対にない。私には過ぎた妻である。

今時点は私の最高の時のようだ。人生万事塞翁が馬というから、そのうちまた下り坂になるのだろう。そして全部ひっくるめるとみーんな平等になると思えばそれもまた楽しいだろう。どんな不幸がやってくるのか期待していよう。
わしは六無斉じゃ
落ち葉 本日の総括
「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る」と言われた侍もいるが、私は「金も欲しい、名誉も欲しい、命も欲しい」どうしようもない俗人である。
「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と自称した侍もいるが、私は「死にたくはなし」だけが共通するものの、この方の足もとにも及ばない。
上記お二人のお名前をご存じでしょうか?
お二人ご存じなら5ポイント、一人なら2ポイント差し上げます。
このポイント、何に使えるか・・・わかりません

落ち葉 本日の反省
以前書いたものと同じになってしまったようだ。
私のアイデアもついに枯渇したか、それともボケの始まりか 嘆


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2013/6/16)
小学校2年のときに、先天性の心臓疾患を抱えた同級生がいました。いつも青い顔をして、体育は見学のみです。ある日「手術をすることになった」と聞かされ、クラス全員で千羽鶴を折った記憶があります。もっとも、その後どうなったのかは教えて貰えませんでしたが。
生き残ることは大変です。

名護屋鶏様 毎度ありがとうございます。
私の甥が心臓奇形で生まれ3歳までは生きないと言われました。実際に5歳にもならずに亡くなりました。あれから40年、今なら手術とかで生きながらえたと思います。技術の進歩はすばらしいと思います。
私が小学生の頃、毎年夏休み前に腐ったものを食うな、生水飲むなと学校で言われましたが、毎年のように赤痢疫痢になる子供が大勢でて隔離されたりしていました。そして二三年に一人くらいは死んでしまいました。そんな時代が50年前にあったのです。
今はすばらしい時代だと思います。それを忘れてはいけませんよね

N様からお便りを頂きました(2013/6/16)
最初は山岡鉄舟。西郷さんの言葉か。次は、林子平かな。
このサイトを見るまで知りませんでした。
教養の差が出てしまいます。

N様 毎度ありがとうございます。
実を言いまして、私は山岡鉄舟の言葉は最近電車の中つり広告を見るまで存じませんでした。
六無斉は子供の時マンガでみて、かっこいい言葉だと覚えていました。要するに私も教養とは無縁です。
でも人間は名誉、金、命にこだわって、大きなこと、世のため人のための仕事はなかなかできません。そういう人がいたことを知るだけでも一歩前進かと思います。

ひとりごとの目次にもどる

Finale Pink Nipple Cream