13.02.10
最近、企業でISOを担当されている方とお会いする機会があった。初対面であったがきさくな方で、ざっくばらんな話ができて楽しいひとときを過ごした。本日の駄文は、その時のお話から始まる。
その方の会社ではISO認証に当たっては、コンサルタントを頼んで指導を受けました。認証機関の審査を受ける前に、コンサルに模擬審査を受けることを勧められて、模擬審査を依頼することにしたそうです。模擬監査といってもそのコンサルがするのではなく、専門の方を頼んだのです。
さて模擬審査の主任審査員役は、雑誌などでお顔とかお名前をよく見かける方であった。私もそのお名前を聞いて「
おお!」と思った。それほど有名なお人であったから。
その主任審査員役の方は、審査員役の弟子を数名引き連れてきたそうです。そしてとりまきから「先生」「先生」「それは先生」と呼ばれていたそうで、まさに
森昌子かと。
ところがその会社の人たちは模擬審査で応対するときに、そのお方を「先生」と呼ばず「○○さん」と呼んだので、その「先生」は驚いたというか、ご機嫌を悪くしたらしい。「先生」と呼ばれるといやな顔をする人が多いご時世であるが、きっと古武士のようなお方なのであろう。
そしてその大先生一派の審査は、重箱の隅を突っつくような細かいことばかりで、大局的でもなく、本質をとらえるものでもなかったという。例えば提示した資料のタイトルが規格の名称と異なると「不適合!」とのたまわったという。
お会いした方はISOの経験は長くないがしっかりしたお考えをしており、大先生があまりおかしなことを言うのであきれた、もしもめたら抗議しようと思っていたとのこと。まあ事なきを得たというか・・・いやその会社が事なきを得たのではなく、大先生が事なきを得たのであるが・・
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もっとも模擬審査で異議申し立てというのはあるのだろうか?
まさかJABも受け付けないだろう。
これは難しい問題だ・・笑
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その後行われたホンチャンの審査は外資系の認証機関によって行われ、まっとうで大局的な考えでの審査であったとのこと。重箱の隅を突っつくこともなく、提示した資料が規格通りのタイトルでないとダメなんて駄々もこねなかったという。メデタシ、メデタシ
その方は「あの模擬審査はいったいなんだったのだろう?」とおっしゃっていた。単にお金を無駄にしただけでなく、おかしな審査員がはびこることに消極的であっても助長したのではないかと。
しかし模擬審査を受ける側が、そこまで反省する必要はないだろう。当然だが、コンサルや模擬監査をする人が反省しなければならないことだ。
世の中の常識はお金を払う方が偉いと決まっている。有名なコンサルや大学教授がお金を取って敬われるのは、敬われる価値を提供するからである。なんら価値を提供しない審査員やコンサルが尊敬を求めるのは筋違いだろう。先生と呼ぶことを期待することとは、尊敬を求めることだと私は思う。
おっと、先生と呼ばれるほどのというのもあったが・・・
その模擬審査を行った主任審査員は有名だと書いたが、私はご本人にお会いしたことはない。しかし今まで何度か接点があった。ではそんなことを書く。
今私は退職してブラブラしているが、8か月前までは某社で環境監査をしていた。現役の時、監査でお邪魔したある会社でのこと。
その会社では規制を受ける法律を見逃していた。もちろん規制を受ける法律に気が付かないと即違法ということではない。法律そのものを知らなくても法規制の詳細を知らなくても、たまたま法律を守っているというか幸いに違反していないことは多い。法律とは広い道路のようなものであり、酔っ払い運転とか相当スピードを出していなければ、道路からはみ出したり事故を起こしたりはしないものなのだ。
ともかく、その会社では規制を受ける法律に気が付かなかったという事実があった。もちろんその会社もISO14001の認証を受けており、過去数年にわたりISO審査を受けてきたが、今まで問題にならなかったという。まあISO審査も抜取だし、そういうこともあるのだろうと私は思った。私は物わかりが良い老人なのだ。
もちろんそのままでは困る。誰が困るかといえば、第一義にはその会社が困るのだが、放っておいて問題が起きれば社会が困るだろうし、そうなると見逃した私の責任問題になり、私も困る。
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ISO認証機関が見逃しや間違った判断をしても責任を問われないが、私の場合、見逃しや間違った判断をすると責任を問われた。なぜってISO認証機関が信頼できないから私の仕事があったわけで、見逃したら私の存在意義がない。
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とりあえず私は、その会社が気付いていない規制を受ける法律があること、その対応手順を作る必要があることを説明した。先方はそれに納得した。
お話をしているとその会社はISO14001認証のときコンサルタントを頼んでいたということがわかった。じゃあそのコンサルは法規制をしっかりと教えてくれたのか、法規制の把握が大丈夫と考えていたのかということになる。もちろんそんな疑問は私の頭の中だけで口には出さない。その会社の担当者はコンサルの指導通り行って、その出来栄えにそのコンサルの先生はいたくご満足であったという。
おいとまするときに参考までにそのコンサルタントのお名前を聞いた。有名な大先生であった。
そのときはその大先生も間違いをすることもあるんだと思ったに過ぎない。その大先生は元々QMSの審査員だったから環境法に詳しくないのだろう。
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環境法に詳しくなくてISO14001審査員やコンサルタントをしてよいのか、できるのかという問題もあるが、まあ暮らしていくためにはやむを得ないこともあるだろう。私は物わかりの良い老人なのだ。
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また別の会社に行った時のことである。
私が監査した結果、その会社では順守評価をしていないことが判明した。もちろん順守評価をしていないということは法違反しているという意味ではない。ISO規格の構成は、関係する法律を把握せよ、把握した法律のすべきことを社内展開せよ、そのとおり実施せよ、ちゃんと守っているかを順守評価せよという流れであって、最後の順守評価をしなくても法違反が起きるわけではない。順守評価をしないと、法違反しても気付かないというだけだ。とはいえ運用をチェックせずフィードバックがかからないということは、やはりシステム仕組みの欠陥だろう。
この会社もISO14001の認証を受けて10年近くになる。未だ審査で指摘されたことはないという。困ったものだ。
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最近は認証件数が減っている。そのためか審査員もしっかりと規格要求事項を満たしていなくても不適合を出さないような気がする。
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しかし順守評価をしていないということを、内部監査で見つけないものだろうか?
内部監査の状況はどうなのだろうか? 内部監査の教育などはしているかと聞いたら、その担当者は笑顔で「当社は有名な方のご指導を受けてしっかりやっています」という。それじゃその資料を見せてくださいというと、私が監査に行く少し前に実施したという内部監査教育資料を出してきた。
なになに・・・「内部監査には演繹的方法と帰納的方法がある」そんなことから始まる内部監査のテクニックとか注意事項など、まあ立派なことが書いてある資料であった。特段おかしなことは書いてないが、どうも変だという感じは否めなかった。
なぜ変なのか?
私が「依頼したコンサルは、内部監査教育をする前に、御社のマニュアルや過去の内部監査記録をご覧にならなかったのでしょうか?」と問うと、
会社「もちろんそういった資料は事前にお渡しして、それを基に教育してほしいとお願いしています」という。
その会社は過去何年もISO14001を認証しているのだから、初心者にする一般的な内部監査教育ではなく、その会社のマニュアルの問題点や改善点を見つけるとか、過去の内部監査の状況を見て、その強みや弱みを分析して、問題点、弱いところを改善するための教育をしなければならないだろう。
だけどそれらの資料を見てその会社の現状を理解できなかったのか、通り一遍の内部監査教育をしているわけだ。そんな教育ならしてもしょうがないだろうと私は思った。だって問題を見つけていないのだから。この内部監査員教育の効果は、せいぜいISO審査の時に内部監査員教育をしたことを立証する記録になった程度だろう。
ともかく順守評価をちゃんとしないとまずいよといい、先方はそれに納得した。
最後に一応その内部監査教育をした有名というコンサルタントのお名前を聞いた。確かに有名な大先生であった。
そのときは大先生ともなれば、小さな会社から内部監査員教育をしてほしいなんて依頼されても、その会社がどんなレベルなのか、どんな問題があるのか、どういう方向に指導していくべきかなどまで考えていたら身が持たないのかもしれないと思った。
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なお、その会社を認証している認証機関には、「順守評価をしていないのに過去それを指摘していないのは問題です。ちゃんと順守評価をチェックしてほしい」と苦情を言っておいたのはもちろんです。
何の権利があるかって思われるかもしれませんが、私は親会社の経営者の代理人であって、十分当事者能力はあるでしょう。認証機関も文句を言いませんでしたし・・
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もうお分かりでしょうけど、ここにあげた3つの事例の「大先生」は同一人物です。
実をいえば、その大先生と私の直接的な接触が過去一度ありました。リアルでお会いしたのではなく、ある問題についてメールを何度か交換したのですが、私はその方のお考えにいささか驚きました。それを書くと私とその大先生の実名が特定されるので、ここではさし控えます。
さて、これらから、いくつか考えられることがあります。
その大先生が、雑誌に「私は経営に寄与する審査をしている」と書いていても、現実には規格文言をカルタ取りのように追いかけているだけの審査をしていること。
法規制を知らないだけならまだ許せますが、コンサルをしていてシステムの欠陥を残していること
教育するのに、その目的を理解していないのではないかということ
要するに、大先生は大した力量はないと思ったのです。そして雑誌に書いていることや発言していることは、真実ではないということです。
力量というのは審査員ばかりではなく、すべての人に要求されます。今、私はハウスキーパー(主夫)の力量をつけようと、家内の厳しい指導と叱咤激励(悪口)を受けながら、洗濯をしたり掃除をしたり、味噌汁やカレーを作っております。いや、それは関係ない。
ISOコンサルとか審査員の力量をどのように測るのか?
- 雑誌に書いている人だから信頼できるだろう・・そんなことありませんよ。
まず雑誌に書いていることはまっとうでも、実際の審査や指導内容がウソばっかという方もいるわけです。
いや雑誌に書いている内容がハチャメチャとか、いい加減な人もいます。過去には審査員の語ったことをすべてメモしていない会社はロクなもんじゃないとアイソス誌に書いていた方もいましたが、そういう人はダメですね 笑
- 本を書いているから信頼できるだろう・・・そんなことありませんよ。
本を書いても内容がウソばっかという方もいるわけです。
私は過去にそんな書籍を例に挙げております。まだ名誉棄損とか民事訴訟を起こされていないのでそれを妥当と認めたのでしょう。
あるいは私の批判に気が付いてないという可能性も大きいですが。
- 有名な人だから間違いを語らないだろう・・・そうとも限らないようです
ここに書いたように、有名な人イコール力量のある人ではないようです。いや有名な方は間違えないということもなく、有名であっても間違えている人は多いようですし、有名であっても間違えてばかりという人もいることは間違いない。
じゃあ、どうすればよいのでしょうか?
自分たちだけではISO認証するのが難しいから大金を払ってコンサルを頼み、あるいは大金を払って模擬審査を受けるのに、おかしなこと、間違ったことを指導されたのでは踏んだり蹴ったりじゃありませんか。
そもそもそれほどまでしてISO認証しなければならないというものかどうかも考えなくちゃなりませんがね。
おっと、私がここに書いているのも、うそ800の中国に劣らぬねつ造かもしれません。そうかどうかはみなさんが判断するしかありません。
ただ私が嘘をつくなら、ここに書いているようなチマチマしたことではなく、もっと大きなこと、例えばISO-TC委員を集めて教育したとか、JABに怒鳴り込んだなどと書くでしょう。泥棒をするなら、小さなものを盗むのではなく、国を盗れって言いますから。
本日の迷い
タイトルをどうしようかと悩みました。「大先生の実像」、「大先生の素顔」「ほらふき先生」などが思いついたのですが、まあ最終的にこのようにしてみました。
「先生」から離れて、「知名度と力量」とか「虚像と実像」なんてのが良かったでしょうか?
お断り
冒頭にも書きましたが本日の駄文は、お会いした方のお話がきっかけになりました。
ありがとうございます。
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