ケーススタディ 規格改定

13.02.24
ISOケーススタディシリーズとは

山田が打ち合わせコーナーで環境雑誌をながめていると、横山がコーヒーカップを持ってやって来た。山田が雑誌を見ているから暇だと思ったのだろう。確かに息抜きしているのだが・・
横山
「山田さん、今ISO規格の改定が進んでいるでしょう、それについて山田さんのお考えをお聞きしたいですわ」
山田
「すべてのISO規格は5年毎だっけか? 改定とか廃止あるいは確認をしなければならないことになっているが、実際にはその通り順調にはできずにISO9001もISO14001も8年おきとかに改定されている。更に今回はMSS規格の構成を統一することになったので、それが決まるまで改定が停止していたということもある。ともかく次回改定は2015年目標となっているね。
ところで改定についてのコメントと言われてもねえ〜、あまり関係ないというしかないね」
横山
「関係ないとおっしゃいますと?」
山田
「文字通りそういう意味さ。当社の工場でも本社でも、ISO認証の意味というか位置づけが重大でなくなってきたということ。そして認証のために何かするということもない。我々が今現在、認証を受けているのはなぜかと言えば言いにくいけど、惰性というか付き合いという程度だろうね」
横山
「情報セキュリティとかエネルギー管理とかありますが、ああいったものもですか?」
山田
「情報セキュリティは対外的にしっかりしていると説明するために必要かもしれない。でもね、我々は防衛産業でもないし、よその会社から委託された仕事をしていることもなく、仮に情報漏えいを起こしても他社に迷惑をかけることはないだろう。そして現実問題として情報漏えいで騒がれるようなことは起きていないし、あまり情報漏えいも関係ないんじゃないかなあ。そもそも情報セキュリティのシステムで漏えいが防げるのかという疑問もある。
認証って姿勢というかカッコだけであって、行為を保証するもんじゃないからね、
情報セキュリティでも食品安全でも、認証するよりも実際に事故を起こさないことの方が重要なのは当たり前だ」
横山
「そりゃそうですよね、品質マネジメントシステムが良いですよと認証機関に言ってもらっても誰もそれを考慮しませんよね。消費者はマネジメントシステムより自分が買う品物の品質が良いことを望んでいます。環境だって近隣住民はISO14001認証していることよりも環境事故や法違反がないことが最大の望みですから」
山田
「結局はそこに行きつくわけだよね。結婚相手を決めるには、まわりが素敵な人だということよりも、本人が素敵だと思うことが大事なことだ」
横山
「もっとも自分自身で判断できないから、周りの人の論評を気にするわけですが・・」
山田
「おやおや、横山さんも検討中かい?」
横山
「よしてよ山田さん、例えばのはなしですよ。身長とか年収とか家族状況なんて考慮はするけれど、それで決まるわけじゃありません。考慮はするけど参考程度なんて、環境目的決定における環境側面の位置づけのようね
それに、結局ISO認証とは代用特性なんですよね」
山田
「完璧に代用特性というわけじゃない。そもそもはそのものズバリだったわけだし・・」
岡田
「そのものズバリってどういう意味ですか?」
岡田もコーヒーカップを持って打ち合わせコーナーに入ってきた。
山田
「おいおい岡田さんまでかよ、仕事をしてくれよ。仕事もせずに雑談していると廣井さんが怖いぞ」
廣井
「何か俺に用か?」
廣井もコーヒーカップを持って顔を出した。
山田は天を仰いだ。
山田
「いやいや、廣井さんの話じゃありません。ここにたむろして雑談してちゃまずいなあと・・」
廣井
「まあいいから続けろよ、どんな話なんだ?」
横山廣井岡田山田
山田
「ISO認証とはなんだろうというお話です。
そもそも1987年にISO9001規格が発祥したときISO9000sといって3種類あったのですけど、それはマネジメントシステムの規格ではなく、品質保証の規格だったのですよ。
品質保証とはなにかご存知ですか? 岡田さん」
岡田
「えっつ、品質保証ですか? もし不良品だったら、無償修理とか交換することでしょうか?」
山田
「そう受け取る人は多いでしょうねえ。日本語の保証からは本来のニュアンスがはっきり伝わらないのです。原語のアシュランスとは、品物が悪かったら取り替えますとか弁償しますということではありません、大丈夫と説明することです。
もちろん単に大丈夫と言われても何の意味もないわけで、通常品質保証とは製造や設計プロセスにおいて計画通り行っていることを記録でもって立証することです」
岡田
「それはどんな価値があるのですか?」
山田
「確かに結果には結びつきませんねえ〜、でも無意味ではないのですよ。
例えば私が岡田さんの会社にある品物を発注したとする。納品されたら受入検査をして合格なら引き取るけど、検査だけではわからないこともあるわけだ。それで岡田さんに製造においてはこういう管理をしなさいとか作業をする人にはこういう教育をしなさいと要求することは商慣習としておかしくはない。そういうものを品質保証要求といい、売り手と買い手の当事者間でそういったことを要求し受け入れて守りますという品質保証協定を結ぶのが1970年から1980年頃はさかんだった」
岡田
「よく品質保証という言葉を聞きますが、保証とはそういう意味だったのですか!」
山田
「面白いことにISO審査員でも保証という意味を理解していない人がいる」
廣井
「俺にとっては面白くないが・・」
みんな廣井のボヤキを無視した。
岡田
「でもそれはISO9001だけでしょう?」
山田
「ISO認証というのは品質保証そのものなんだよ」
横山
「ちょっと待って、私に言わせて・・・ええと、ISO14001でもセキュリティでも要求事項があって、それを満たしているかどうかを第三者が審査して社会に対して適合していると公表するということは、そのプロセスを大丈夫と裏書することだから、それはアシュランスそのものだということですね」
山田
「そうだよ、だから認証とはアシュランスであり保証であるということだ。そしてこの場合、保証するのは直接の特性つまり品質とか遵法ではなく、代用特性であるマネジメントシステムがISO規格に適合していることを保証しているだけだ。あるいは代用特性ではなく基本的な条件というべきかもしれないが」
岡田
「二者間の品質保証協定の内容は契約する当事者が決めるわけでしょうから、その契約内容に当事者は納得しているわけですが、第三者認証は最終的な被害・・・いや影響を被る一般社会が関与していませんよね。それでは代用特性ではまずいのではないでしょうか? 期待する指標を保証してもらえなければ価値がありません」
横山
「そうよねえ、品質システムが良いと言われるよりも品質が良いと言ってほしいし、環境マネジメントシステムが良いと言われるよりも、事故が起きませんと言ってほしいのは当然よね」
山田
「まさにそれが問題だ。保証する指標が代用特性であることが第一の問題で、第二の問題は保証はするけど責任を負わないということだ」
岡田
「責任を負わないとは?」
山田
「品質を例にとると、認証している会社の品質マネジメントシステムの問題で不良品が世の中に流通したとき、その被害を誰が救済するのかとなると認証機関も認証制度もそれには責任を負わない。環境での事故や違反も同じだ。もちろん原因者である企業は社会的にも刑事的にも責任を負うけど、認証制度は責任を負わない。それっておかしいという前に、認証制度の存在価値の問題だよね。
横山さんが近所のおばさんから『この人どうかしら』と写真を見せられて見合したとき、いや所帯を持った後でトンデモナイ野郎だということが分ったとき、そのおばさんが責任を取るかとらないかということが、横山さんがそのおばさんを信用するかしないかという分岐点になる」
岡田
「まあ、横山さん、そうなんですか!」
横山
「いやだあ、山田さん、それってセクハラですよお」
山田
「いやたとえだよ、例えばの話だ。
ISO認証の場合、認証を受けた企業に問題があっても認証機関など認証制度は責任を負わないことになっている」
横山
「ISO17021には抜取だからって逃げを書いてありますよね」
岡田
「そうしますと、私の質問に戻りますが、品質保証の価値というか意義はなんですか?」
山田
「二者間の協定であれば、買い手が信頼する条件を要求するのだから意味はあるだろう。第三者認証となると、何もないよりは少しは安心感が増すということじゃないのだろうか? そうとしか考えられない」
横山
「でも品質保証ならまだそういう価値があるといえますが、今は品質保証の規格ではなくマネジメントシステムの規格ですから、保証するものが製品とか環境のアウトプットではなくプロセスが規格に適合しているということの『保証』であれば、その意味はなんなのでしょうか?」
山田
「私にはわからないね。自己満足、自家撞着、ないよりはあったほうが良い程度、どの程度かはわからないけど、あるいはまったく意味がないのかもしれない」
廣井
「規格では対外的な保証だけでなく、その組織つまり企業の改善ができると書いてあるぞ」
横山
「廣井さん、ISO規格に適合することによって企業は良くなるのですか?」
廣井
「オイオイ、俺を問い詰めるなよ。規格に『組織の環境上及び経済上の目標達成を助けることができる効果的なEMSを提供する意図がある(序文)』と書いてあるというだけだ。それは立証されているわけじゃない。真犯人だって『俺は無実だ』と言うこともあるだろう。これも同じ程度かもしれない」
横山
「それを言うなら虚偽の説明でしょ」
廣井と山田は笑ったが、岡田はきょとんとしている。
山田
「廣井さんがおっしゃるように、そもそもISO規格を満たしたシステムなら有効であるという証明もされていない。まして効率的であるなんて誰も分らないでしょうね」
横山
「まず二者間の取引において品質保証協定を結んだ時、作成すべき記録を指定して、監査においてそれをチェックするということは意味があると思います。なぜなら買い手が重要だと考えることを売り手に要求するから当たり前です。
しかし二者間ではなく第三者認証となったとき、売り手が設定した記録がいかなる意味を持つのかということを認証機関の審査員が判断できるとは思えません。そこんところで既に論理が破綻しているのではないでしょうか」
山田
「私も横山さんに同感だ。ISO9001が2000年に品質保証の規格ではなく、品質マネジメントシステムの規格だといったときに、その問題が露呈したんじゃないのかなあ」
横山
「山田さん、異議あり。それは2000年版じゃなくて、1994年版で二者間ではなく第三者認証を容認したときに問題というか矛盾が生じたんじゃないかと思いますが」
廣井
「おいおい、山田よ、お前のほうが分が悪いぞ」
山田
「すみません、発言を撤回します。2000年じゃなくて1994年であったと訂正します。
そして横山さんがおっしゃるように、品質保証というものが二者間では成り立つことは間違いありませんが、第三者認証というものが成り立つはずがないということですね」
横山
「第三者だからというよりも、正確に言えば顧客要求したものを審査するかどうかという点にかかっているように思います。二者間の協定を第三者が監査するにしても、要求事項の詳細を顧客が決めていてそれを確認するというなら意味があるでしょう」
廣井
「俺もそう思う。セクター規格というものは、そういう本来の狙いを多少は残しているように思える。そうでない汎用と言えば聞こえがいいが曖昧模糊のISO規格を審査基準とした第三者認証を、購買者、消費者、一般社会が意味があるものとみなすかどうかということが問題だろうねえ」
岡田
「今ISOでISO14001のアンケートをしていますよね。ああいったことは一般社会の期待や評価を把握しているということじゃないですか?」
廣井
「そうはいえんだろう。一般社会の人が積極的にあんなものに関与するわけがない。岡田さんは環境部門にいて関心が高いから、あのアンケートに気付いたかもしれない。しかし一般サラリーマン、大学生、主婦、そういう人たちがアンケートに気付いて、そしてわざわざISOのウェブサイトにアクセスしてアンケートに回答すると思うか?」
岡田
「確かに一般の方々は、認証にも関心はなく、それについてのアンケートなどまったく気にもしないでしょうね。
廣井さんにとって規格改定ってなんでしょうか?」
廣井
「役にも立たないものをいじってもしょうがない。それこそエネルギーの無駄使いだ。
フフフ、そして規格改定になると、またそれに対応して社内のルールをどう直すべきかという大議論が起きるだろう。おっと当社ではないだろう。当社ではそんな無駄、無意味は許さない。
ともかく規格改定になると、研修機関と解説本を書く人と出版社が儲けるだろうね。それこそが規格改定の最大の目的じゃないのか。
結局産業界には何のメリットもないし、社会が求める品質にもパフォーマンスにもコンプライアンスにも改善はなかろうね」
岡田
「廣井さんのおっしゃることはつまり・・」
廣井
「ISO規格なんて大金と手間をかけて、それこそ世界中をまたにかけて審議して作成しているのだろうが、そんなもの一般消費者とか社会が望んでいるものであるという保証なんてないってことさ」
岡田
「ISOの自己満足で作って、IAFがお金儲けに使っているということでしょうか?」
廣井
「俺の本音はね、そうだね・・・フフフ、そういっちゃ抗議がジャンジャン来るかもしれんな。」
横山
「でもISO14001の起こりはリオ会議での要請なんでしょう」
廣井
「リオ会議の人がISO14001をイメージしたのか、1996年版をみて感激したかどうかも定かではないね。それがあたかも環境保護に役立つとか持続可能性を実現すると受け止めたのが大間違いじゃないのか」

ISO14001が制定された頃、たまたま法事で会った私の叔父は法宴で「あんなもの全く無意味だ。誰にとってもお金の無駄使いだ」と語った。叔父はそのとき既に引退していたが、田舎の中堅企業で長年総務課長をしていたので、ああいったものの有効性というか価値を直感的に理解したのだと思う。当時ISO9001の認証を指導していた私はその意義を説明した記憶がある。私の説明を叔父は笑っていた。
だいぶ前、叔父は亡くなったが生前にISO14001が環境保護に役立たないことを確認できたから幸せ者だろう。私は先見の明がなかったのだ。


岡田
「でもそれに基づいた活動をすれば少なくても良くはなるわけでしょう」
横山
「ISO9001の方はまだ因果関係はありそうですね」
廣井
「でもさ、品質保証の規格なら使い道はあるけど、品質マネジメントシステムの規格っていったい誰が使うんだ、何のために? そして効果はあるのか? 俺にはわからんよ」
横山
「審査員研修機関では品質マネジメントシステム規格といっても、コアは品質保証でほんのわずかマネジメントシステムの部分があるだけと習いましたが」
廣井
「2000年改定ではそう言われたが、改定されるたびに品質保証部分が改悪というか排除されて今じゃ訳の分からないものになってしまったというのが俺の感じだね」
岡田
「品質でも環境でも、一定レベルの会社の仕組みを要求しているという意義はあるでしょう」
廣井
「スタンダードと自称しているわけだからそうであってほしいのだが、本当にそうなのか? 某認定協会などが不祥事を起こしたのは虚偽の説明だ、規格を満たしていなかったのだとか言っていたけど、規格を満たせば不祥事が起きないという保証というか説明を聞いたことがない。同様に規格を満たしていなければ不祥事を起こすとか品質問題を起こすという説明も見たことがない。
ちょっと待てよ、不祥事が起きなければ規格適合で、不祥事が起きたら規格不適合というなら簡単な話だ アハハハハ」
山田
「廣井さん、マネジメントシステムとは個人的力量では間に合わなくなったときに必要になるとEMSの序文にありますよ」
廣井
「俺は規格に書いてあることが真実だなんて思えないね。個人的力量で間に合わなくなるという保証もないし、ISO規格を満たせば間に合うという保証もない。
お前、考えてみろよ、天才ナポレオンを破ることはシステムじゃできなかったんだ。一定要件を満たしたマネジメントシステムであれば、天才がいなくてもうまくいくなんて言ったらおれは笑うよ。
あるいは何十人のドクターが束になっても、アインシュタインを超えることはできないだろう。アインシュタインを超えるのは天才だけだ」
横山
「廣井さんのご意見は、ISOのマネジメントシステム規格とは結局なんの裏付けもない、信じる者は救われる程度ということですか?」
廣井
「まさしくそうだね。もっとも信じても救われないかもしれない」
横山
「でも全く何もないところでは、ひとつの指標となるでしょうね」
廣井
「企業というものは物を売り買いして事業を営んでいるわけだ。品質に関しても環境に関してもそれ以外でも、全く何もないというのはありえるのだろうか?」
横山
「もちろん何もないということはないでしょうけど、不十分という会社は多いでしょうね。
そのとき会社の仕組みを改善しようとしたときISO規格は一つのひな型になりえるとは言えると思います」
廣井
「待った、待った、ISO規格がひな型になると考えるのはMSS規格を設計図とみなした場合だ。だが、ありゃ仕様書であって設計図じゃないよ」
横山
「仕様書と設計図って何が違うのですか?」
廣井
「オイオイ、お前もメーカーの人間とは思えないな。岡田さん知ってるか?」
岡田
「設計図とは仕様を満たす方法を書いたもので、仕様書とは要求性能を書いたものでしょう」
廣井
「まあそんなところだ、ISO規格は『shall することにあるべし』と聖書のようなことばかり書き綴っていて、『How どうするかという』については一切書いてない。
まあ期待水準を理解するという意味はあるだろう。だが、ISO規格の期待水準が世の中の期待水準であるという保証もない。もちろん規格改定は世の中の期待に合わせるという意味があるのだろうけど」
横山
「じゃあ、仕様書でない設計図のISO規格を作るべきなのでしょうか?」
廣井
「すべての人はユニークであり、すべての会社もユニークだから、その方法はうまくいかないだろう。一つのことを成すには様々な方法があり、会社によって最善な方法は違うはずだ。
例えば俺が岡田さんと横山さんに環境計量士の資格を取れと言った時、二人の勉強法は違うはずだ。俺が勉強方法を指定しても、みなさんにはその方法は合わないだろう」
岡田
「あのう、本当に雑談モードになってしまいましたが、今ISO規格改定が行われていますが、当社として改定されたものにどう対応すべきかということは、考える必要がないということでしょうか?」
廣井
「『ない』というのが俺の考えだな。2015年時点、ISO9001でもISO14001でも認証する必要があるかというのがまずある。日本では独禁法でISO認証を義務付けることはない。また現時点、お客様からそういう要求もない。当社の製品が国交省の入札に関わることもない。輸出でも特段要求はない。社会的には認証よりもアウトプットマターズという声が大きい。
エネルギーマネジメントについても、あんなもの認証するよりも、省エネ法対応の方が最優先だ。もちろん法だけでなくコストの観点でも重要だ。
ということを考えれば、2015年の規格改定を機会に、当社グループはISO第三者認証を一切返上というのがあるべき姿かもしれないな」
横山
「それは当社のビジネスを推進する上で、コンペティターとの比較でどうなりますか?」
廣井
「山田、お前はどう考える?」
山田
「日本は何でも横並びですからねえ、非常な決断を必要としますが、メリットがないという廣井さんのご意見には全く同意です」
廣井
「お前も政治家的発言がうまくなったなあ〜、ISOのために当社だけでいくらくらいコストをかけているかわかるか?」
山田
「ISOといっても当社が認証しているのは、9001、14001、情報セキュリティですか、私が把握しているのは14001だけですが、年間1000万から1200万というところでしょうか?」
廣井
「それは審査費用だけだ。いくら内部化したとはいえISO担当者というのがいる。また審査のために社員が時間を取られることもある。そういうことを考慮すると5000万以上は軽くいくだろう。岡田さん、5000万利益を出すには何億売らなくてはならないかわかるか?」
岡田
「当社の利益率が3%から3.5%ですから、150億から170億ですか?
えー、それって当社の売上の1%ってことになりますよ」
廣井
「まあフェルミ推論ってやつであてずっぽだけどさ、ISOは利益を伸ばすどころか、ISOのためのコストは甚大だよ」
山田
「仮定の話ですが、今ISO14001認証を返上すれば利益が5000万増えますかね?」
廣井
「そうはならんだろう。だけどそうするのが管理だな」
山田
「おっしゃるとおりですね。可能な限り認証を返上する方向で考えましょう。
しかし廣井さん、その理屈なら2015年まで待つことなく今認証返上しないのはなぜですか?」
廣井
「我々にとってはISO14001が対象でそれは2004年に改定されている。もう8年になるわけだ。物事はきっかけがないと動きにくいってわけだ。もちろん山田が一念発起して提案するなら止めはしないよ」
横山
「認証返上にはなにか理屈をつけないとなりませんが、どう説明するのでしょうか?」
廣井
「改定された規格を検討した結果、もはや当社は規格以上であることを確認したのでもはや規格適合することも認証も必要ではないと言ったらいいじゃないか」
山田
「2015年に廣井さんはいないでしょうし、私も定かではありません。なにか先送りにしか見えませんね」
廣井
「まあな、それじゃ次年度のテーマとして考えようか。
おいそろそろ仕事に戻るとしよう。油を売るのもたまにだから楽しいんだよ。
元同業者のおばQって奴を知っているんだが、昨年引退したものの毎日が日曜日で塗炭の苦しみらしい」

うそ800 本日のトピックス
最後の最後ですが、おばQの名前が登場しました。アハハハハ

うそ800 本日のきっかけ
ひと月ほど前、Yさんという方に会ってISOにまつわる話をした。
そのときYさんは「ISO認証ってなんでしょうね?」という。
いったいISO認証ってなんだろうか? 私も分らない。
そこで考えた。
プライズではなさそうだ。そもそもお金を取るプライズってあるのだろうか? 形容詞なしで「プライズ」といえばノーベル賞のことで、ノーベル賞は有償どころか賞金を出す。ISO認証は断じてプライズではない。お金を払うと学位がもらえるなんてのはディプロマミル
では免許なのだろうか? 基本的に禁止しておいてそれ行う許可を与えるのが免許だ。だがISO認証がなければできないということはない。
企業改善のツールだろうか。しかしISO規格は改善ツールになると言われるとなんとなくそんな気もするが、ISO認証が改善ツールになるはずがない。だって認証の成果物は審査報告書だが、それにそのような効用があるはずがない。
これがYさんの疑問への私の回答だ。

うそ800 本日のダメ押し
私は提案する。
ISO9001とISO14001はマネジメントシステム規格であることを止めるべきだろう。
今現在、品質が高値安定しているわけでなく、リコールや偽装とか発生しているし、チャイナ製品は壊れるのが当たり前という状況である。品質マネジメントシステムなんて大言壮語を語るよりも品質保証の規格にてっするか、品質を良くしていきましょうというガイドラインであるべきだろ。
環境についても、環境マネジメントシステムなんて虚言を語るのではなく、ペキンの大気汚染をなんとかしないと中国人も日本人も韓国人も呼吸器疾患で大量死ですよ。
ですから、ISO26000に倣って「品質経営の手引き」とか「環境経営の手引き」というガイドラインに発展的解消するのがあるべき姿ではないのだろうか。当然、ガイドラインでは認証という行為は成り立たない。だがコンサルは可能だ。そうしたほうが世のため人のためになるだろう。
ISO9001であれば25年前に戻って「品質保証の国際規格」に戻るのもある。
そして一つ提案だが、独立した規格ではなく「マネジメントシステムの共通要素」ならぬ「品質保証の共通要素」として定めて、セクター規格はこれに基づくものとする道もある。いかがなものであろうか。
このアイデアを私は聞いたことはないから、私が最初に唱えたものとする。


湾星ファン様からお便りを頂きました(2013/2/24)
始めるときよりも、止めるときのほうがエネルギー要るんですよね。恋愛と一緒で・・・。


湾星ファン様
おっしゃるとおり、ですから私の駄文も止まらず暴走中ですわ

名古屋鶏様からお便りを頂きました(2013/2/24)
鷽八百社はついに認証返上でしょうか?ウチの見習いたいものですね
そんなゼニがあったら、いい測定器のひとつでも買った方が遥かに(以下略

名古屋鶏様
日本の産業の弱体化を狙って設備投資のお金を認証機関に使わせるのが目的だったのかも
孫守りしてりゃいい爺様をうやうやしく崇め奉って(以下略)

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2013/2/24)
ウチも、次の更新審査はないかもしれません。
いつ返上してもかまわないと、個人的には考えています。

たいがぁ様 毎度ありがとうございます
三巨頭のご意見は一致しているようですね(残念ながら私は引退の身)
命運は尽きたようですね
成仏


外資社員様からお便りを頂きました(2013.02.26)
おばQさま
ISO認証の意義、目的で、見合いや結婚の例えを面白く拝読しました。
少なくとも仲人なり、紹介があれば、問題があった時の補償は期待できないにせよ、調停の仲介や、評価へのある程度の裏書き程度は期待できるかもしれません。
とは言え、それは役割として明確に負えないから、期待値なのでしょうね。
ISOを例えてみると、見合いの「釣書き」の確認と考えるのは如何でしょうか?
釣書きの内容は、双方が求める情報により異なりますし、それなりの家同士ならば2,3世代前までの社会的地位やら、遺伝的問題の有無、出産など、知りたい情報はあるのだと思います。 釣書きを見て全てが判る訳もありませんが、書式と内容、解釈の仕方が第三者により確認済ならば、そこにある情報は信頼できるのだと思います。
重ねて言いますが、それが結婚の成功とは無関係なのは、品質保証体制が不良品や欠陥が無い事を保証できないのと同じです。 とは言え、フォーマットが決まり、記載される情報の意味が明確ならばそこで得られる情報には意味があります。
ISO認証の話しに戻れば、それが釣書き(社内体制)の「情報」に関する審査だと明確ならば誤解を招きません。
ところが、相手が素晴らしい人(企業の優劣)だとか、問題が無い事を保障できるかのように言えば、それは誤った解釈になります。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
浅学といいますか世の中の常識を知らず、釣書きという言葉を初めて知りました。
私が結婚したときはずっと付き合っていましたし、結婚する前から両家承認で同棲していまして、そのようなものを取り交わすこともありませんでした。私の地方は、足入れとかいって、そんな形態が異常ではありませんでした。何か最近は足入れって女性蔑視とか悪習という表現が多いですが、現実問題として破談になった場合は離婚と同じ責を問われますし、単に結婚式をあげる前から一緒に暮らすという意味合いで、決して女性蔑視ではありませんよ。結婚式は費用とか日取りとか簡単にあげられない事情がありますので。
言い訳というか閑話休題
おっしゃるとおり「保証する」なんてことは人間には不可能です。ただ少しでも信頼できるほうがよくて、トラブルが起きたら頼りになるものがいいですね。
ISO認証というのはそこが不十分だと思います。
ULを考えてみましょう。ULではイエローブック掲載の部品を使えとか、保管の際の識別などを要求しています。それが確実ということを保証してはくれないかもしれませんが、ISOの要求とは違い、要求は妥当であり信頼に足ると思います。
ISOの場合、記録にしても識別にしてもその会社が自分で決めてするだけです。まして環境の場合、該当する法規制をその会社が調べる方法、対応する方法を審査するだけです。法律を知らない審査員がなにができるのでしょうか?
そんなところからして信頼に足るとは思えません。
もっともULの場合、その領域は限定的で審査員が習熟できることもあると思います。他方ISOの場合はあいまいもこですから手におえないということもあるでしょう。でも、ということはそもそもISO認証なんて不可能なのかもしれません。
改定では、パフォーマンス向上とコンプライアンス向上を求めるそうですが、単に規格で要求しても向上するはずがありません。厳しく求めれば認証件数が減るだけでしょう。
そうじゃなくて規格とおりすればパフォーマンスが向上して、コンプライアンスが向上するものでなくちゃ意味がありません。もっともそんなすばらしいことがISO規格でできるとも思えません。
そんなことを考えると、ますますISOのマネジメントシステム規格なんて意味がなさそうで、それに基づく認証制度なんて空虚な感じがします。
裸の王様もいよいよ命運が尽きたのかと思っております。


外資社員様からお便りを頂きました(2013.02.26)
UL認証
難燃性試験などでは、試験方法も明確で、客観性があります。
証明が必要な場合には、試験データを米国の窓口に申請すれば、認証を受けられます。
代行をする会社もありますが、面倒な事は言わず、お客の目的が証明書の取得と判った上で対応してくれます。
部品や製品の場合には、認証のある材料を使っていれば、それで足ります。(個別の証明は不要)
それでも大きな問題が無く、今までも上手く動いているのは、費用と効果の関係に問題が無いからですね。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
結局、制度として生き残るか否かということは、役に立つか立たないかということにあると思います。
規格を改定しようと審査方法を変えようと、認証した場合のメリットが何かということではないでしょうか。
認証してもしなくても内部も外部も何も変わらないなら・・



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