マネジメントシステム物語10 佐田、相談を受ける

13.11.17
マネジメントシステム物語とは

朝、始業時間になると同時に、上野部長から佐田にすぐ来いと電話があった。
佐田が何事かと部長のところに出頭すると、上野部長の脇に川田元部長がいる。

佐田
「これはこれは、川田部長、お久しぶりです。引越しの時は工場見学のときにはぐれてしまい、挨拶もせずにそのまま帰宅して失礼いたしました」
川田取締役
「いやいや、大変お世話になった。実は今日もお世話になる話なのだが・・」
上野部長
「まあ、あっちに行って座って話しましょう」
上野部長が会議室に連れて行く。
佐田がしげしげと川田の顔をみると、だいぶ老けたというかやつれている。苦労しているのだろう。それに顔色が悪い。内臓が悪いのではないだろうか?

上野部長 川田取締役 佐田
上野部長 川田取締役 佐田
川田取締役
「向こうはいろいろとトラブルが多くてね、毎日トラブルシュートしているようだ。当面処置も難しいのだが、恒久対策が徹底しないものだから、似たような問題が繰り返しおきている。再発防止には、口頭で指示したとか紙に書いて掲示しただけではすまない。やはり会社の正式なルールにしておかないとね、
ところが向こうの会社では、そもそも会社のルールというものがないんだ。それで会社規則を作ろうと考えているのだが、全く何もない状態だから、いったいどんな体系とか様式にすべきか見当もつかない。
おれも払い出し伝票というものの手順書を作ってみたが、現場の人から使い物にならないと言下に言われてしまったよ。要するにルールの書き方というか作法も知らないんだなあ〜
それで上野部長に会社規則の作り方のご指導をお願いしたら、佐田君が一番の権威だというじゃないか」
上野部長
「佐田は品質保証を担当しています。品質保証とは会社の仕組みを作ることと同じですからね」
佐田
「部長それは違いますよ。そんなに卑下することはありません。当社の仕組みは他社に誇るべきレベルですし、我々はそれに基づいてしっかりと仕事をしています、ですから我々にとって品質保証とは、お客様から要求を受けたとき、そんなことなら以前からしていますと説明することです」
上野部長
「ほら、ここからもって普通の品質保証屋とは大違いでしょう。彼は心底、革新ではなく保守なんですよ」
川田取締役
「保守というと現状是認ということか・・」
上野部長
「そうじゃありません。保守とは改革ではなく改良という意味です。現実と離れて理想を追うのではなく、地に足をつけて改善していくというのが本来の保守の意味でしょうねえ〜
それはさておき、どうだ佐田よ、今それほど忙しくないなら、ちょっと川田さんのお手伝いをしてくれんか。急で悪いんだが、今日これから向こうに行ってもらえないかという話なのだが」
佐田
「会社規則を体系から考えるということになりますと、簡単ではないですね。一度二度ヒアリングして、結果をまとめて報告書を出すだけではすみません。私が担当するならば、じっくりと関係者のヒアリングや現場を調査して現状を把握した上で、その会社に見合った体系や様式を先方の関係者と議論して決めて骨となる規則を作り、更にそれに基づいていくつか具体的な規則を作って見本として示す必要があると思います。それも1本2本じゃなくて、ある程度作成して、その規則で仕事が動くレベルまで整備しないと、後に続くというか残りの規則を作れないでしょうねえ」
川田取締役
「そこまでやってくれるのか?」
佐田
「お待ちください、まだ受けるとは言っていません。一般論です。
まず会社規則というのは、その会社の文化を反映したもの、いや違うか、文化そのものでなければならないし、そうでなければ定着しません。私が品質保証に来て2年近くなり、この工場の規則についてはだいぶわかってきたつもりです。
この工場の規則には、実際に運用されている規則もありますが、運用されていない規則もあります。どうして運用されていないかと言えば、お客様から要求されたとか法律ができたからと、それに対応して作られた規則が、その後、法ができても施行されないとか、お客様の監査がなかったとか、そんな理由で作った規則が空文となってしまったのです。
反対に、現場で必要がありその要望を受けて作られたものや、事故が起きてその対策として作られた規則は、生きて使われていますね。
川田さんの会社でも、その実態を反映したものでなければ、作ってもすぐに空洞化してしまうでしょう」
川田取締役
「そうなんだよ、実はおれも調べたんだが、うちの会社でも創立時は素戔嗚すさのおの会社規則を一式持って行ったそうだ。だがこちらの規則の固有名詞を書き換えたようなものでは、誰も使わず、いつしか規則集そのものが棚から消えてしまったという」
上野部長
「今回は必要だから規則を作るというなら、今回作った規則は使われることは間違いないだろう」
川田取締役
「いや、私自身の経験から、規則を作ること自体、技能というかノウハウが必要だ。それが分らない素人には、初めから使われないというか、使える規則を作れないという感じを持ったよ」
佐田
「規則もある意味商品ですから、お客様が求めるものでないといけません。そしてそれはお客様に合わせたものであることが必要です」
川田取締役
「お客様とは?」
佐田
「私はお客様とは注文をした人とかお金を出す人ではなく、製品を使う人だと理解しています。ディズニーランドのお客様は、お金を出す祖父祖母ではなく、連れて行く両親でもなく、楽しむ子供ですからね。規則のお客様といえば、規則を使う人、あるいは規則で規制される人でしょう」
川田取締役
「なるほど、その考え方から出発しないとならないのだな。
では、お客様のためにはどんな規則を作るべきなのだろう?」
上野部長
「どんな規則という前に、作るべき範囲というものを決めなければならないのではないか?」
佐田
「そうです。そこでまず考えなければならないことは、どこまで文書にするか、どのようなことまで規則で決めるかを決めなければなりません。そしてそれは、一律的に決まるわけではないのです。
会社規則、一般的には手順書といいますが、業務手順を示す文書をどれまで作るかという範囲、そしてどの程度の詳しさで書くかということは一律には決まらないのです。それはお客様の状況、つまりその会社の業務の複雑さ、運用方法、それに従事する人によって決まります」
川田取締役
「ちょっとストップ、おれが先日作ってみた払い出し伝票を例にして考えてみたい。
業務の複雑さということは、その場合どういうことをいうのだろうか?」
佐田
「おたくの払い出し伝票というものを見たことがありませんから、当社のものからの類推です言いますと、伝票のフローが簡単であれば伝票そのものにそのルートを書いてしまえば、規則で記述する必要はないでしょう。伝票にルートを示すには、文章でも矢印でもフロー図でもいいのです。せいぜい数枚の複写伝票なら、そんな方法で間に合うのではないでしょうか。
もちろん伝票に使い方を書いたとしても、なんらかの規則で伝票の存在を定めなければなりません。伝票を定義するというかお墨付きを与えるということですね。お墨付きなんていうとおかしいならオーソライズといいましょう。
伝票程度なら、誰が、どこに、何を書くか、保管方法なども伝票の中に書ききってしまうことができるのではないでしょうか?
そうすると伝票の規則は、伝票の目的と、伝票を作成して常備しておく部門や、先ほどの伝票の様式を記述することで間にあいます。伝票の様式や複写枚数などの内容は、規則で定めておかなければなりませんよ」
上野部長
「そう言うと簡単だなあ〜、そんなに簡単に行くものか?」
川田取締役
「いやまったく、そんな簡単とは思えない。
私は実際に伝票の規則を作ろうとしたのだが、現状を調べてみると記入する人も決まっていないし、人によっては伝票の2枚目と3枚目の用途を逆にしていたりしているので、まとまらないのだよ」
佐田
「もちろんそういうこともあるでしょう。しかし標準化とは、現状をなんでもOKとして文書化して固定することではありません。現場の仕事を観察しても、みなが同じ方法でしていることはめったにありません。一人一人がそれぞれ工夫をしたり、自分がやりやすいと思った方法でしているわけです。そういうのを調査して、比較検討して一番良い方法を決めてみなに同じことをやらせることが標準化です。もちろんどれに決めるのかということは、品質や安全を考慮して、従事者の意見を聞いて決めることになるでしょう。
伝票の書き方、ルートが多々あるなら、それを全部調べて、一番妥当な方法を取るべきでしょう。とはいえいずれも一長一短でしょうし、現実には問題があるでしょうから、その問題を解決する新しい方法を考えて今後の標準とするということになりそうです。多くの場合、その結論は伝票の様式も枚数も従来とは違ったものになるでしょう」
川田取締役
「なるほど・・・えっと、先ほど佐田君は、もうひとつ従事する人にもよると言ったが、それはどういうことなのか?」
佐田
「一例をあげますと・・・・従来は日本なら日本人が仕事しているのが普通でしたが、数年前から中国、韓国、ブラジル、ペルーなどからの外国人労働者が増え始めています。そういった人たちに日本語を学べというのが筋なのかもしれませんが、現実にはそうもいきません。万が一事故が起きたり不良を作ったりしたとき、言葉を理解しないからだといっても後の祭りです。ですからそのようなことが起きないように、トイレの男女とか、非常口とか消火器など、誰でも知らなければならないことは、それぞれの言葉で表示しなければなりません。
ブラジル人がいるなら、伝票に日本語とポルトガル語の二か国語を表記することが必要になるでしょう。
また逆の場合もあります。例をあげると、うーん、そうですねえ、例えば危険物の取扱いを考えてみましょう。危険物とは消防法で燃えるものや酸化剤をいいます。消防法で危険物に指定されているもの、ガソリンとか硫酸 硝酸などを一定量以上取り扱うときには、危険物取扱者という国家資格を持つ人がいなければなりません。但し少量のときは資格がなくても良いですから、そのときは扱う人に火気厳禁とか換気とか安全とかを教えなければなりません。一方、有資格者が取り扱うときは当然そういったことを知っていますから、教える必要はありません。
ボイラーやフォークリフトになると、そもそも免許を持っていない人は、その仕事に従事できません。つまり有資格者しか従事しないなら、その業務には手順書はいらないことになります」

文書化するボリュームのイメージ図
個人の力量に依存文書化個人の力量
文書化に依存文書化個人の力量
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業務遂行に必要な情報量
(実施段階では力量となる)

川田取締役
「なるほどなるほど、規則や作業指導書を作るときは、そういうことを考えるのか・・」
佐田
「何事も同じですよ。そのほかつまらないことですが、論文は漢字を多くしたり難しい言い回しをしないといい点が取れないでしょう。他方、現場の人に読んでもらうためには文章を短く漢字を減らして、難しい言葉を使わずにわかりやすく書かないと読んでもらえません」
上野部長
「佐田よ、お前が現場でいろいろと指導書とか指示を文章にしていた時は、そういうことを考えて書いていたのか?、いや今お前が規則を作っているときも、そんなことを考えているのか?」
佐田
「もちろんです。普通文章を書くとき、漢字の割合を40%以下にすべきと言われています。ちなみに法律は40から50%くらいが漢字です。もっとも法律も時代と共にだんだんと漢字は少なくなってきています。
私が会社規則を作るときは40%以下にするようにしています。会社規則では固有名詞とか特定の動詞を漢字で書くことになっていますので、どうしても漢字が多くなりやすい。ですからそれ以外のところで普通は漢字で書く言葉、多くの場合形容詞とか動詞ですが、かな書きにして、これを実現しています。接続詞は法律でも社内規則でも、漢字にするものとかな書きのものが決まっているので自由にできませんし、名詞はカナ書きしないほうがわかりやすいです。
現場向けの書きものは漢字は30%かそれ以下にすべきでしょう。私の経験からそうしないと読んでくれないだけでなく、いい加減に読むことにより間違いが発生します。現場の人は漢字が多くて真っ黒な文章は読みたくないのです。かなを多くすると、文章が白っぽくなって抵抗なく読んでもらえるのです」
川田はそれを聞いて、以前、組合の伊東委員長が演説で難しい言葉を使わないと言っていたことを思い出した。そういったことは世間の常識というか当たり前のことなのだろうか。それとも伊東や佐田が独自に考えたのだろうか。
上野部長
「だけど単純にかなを多く、漢字を少なくしたら、間の抜けた文章になるのではないかなあ」
佐田
「間の抜けたというのはどういう意味でしょうか。実用文では見た目を気にしてはいけません。いや見た目がそうでなければなかなか読んでもらえないのです。
アメリカ軍では兵器の取扱説明書は、13歳までに学校教育で習う単語しか使ってはいけないと聞いたことがあります。(参考:「マニュアルバイブル」p.154)格調高い文章よりも、使う人が読んでわかる文章の方が実用的です。
また文章にこだわらず、絵やフロー図を活用して読まなくても良いようにする工夫も必要です。
私たちの作る文章が、相手に感動を与えることが目的でなく、間違えなく情報を伝えることが目的であるなら、目的達成のための表現をすることは当然でしょう」
川田は、佐田が部長に対等に発言するのをみて、おれはこの佐田の態度と言い方が嫌いだったんだなあと思いだした。だが上野はそんな佐田の態度を気にしないようだ。
上野部長
「確かにそう言われればそうだなあ、我々は小説や詩を書いているわけじゃないんだから、間違いなく情報が伝わることを大事にすべきだ」
佐田
「もうひとつ例をあげましょう。例えば変体仮名というのをご存じでしょう。今は一音にひとつのかな文字しかありませんが、大昔は『あ』でも『い』でも何種類もの変体仮名がありました。そして書を書くとき同じ文字が並ぶと美的でないという理由で、わざわざ違う変体仮名を使いました」(参考:「とめはね」8巻、p.47)
注:『お』と『を』について昔は音が異なっていたものであり、一音に二つの文字があるのではない。
逆に『は』を『わ』と読むのはハ行転呼によって音が変化したからという。類似なものに『オウ』を『オー』に、『オトウサン』を『オトオサン』と読むなどがある。将来的には音の通りに書くように変化していくのではないだろうか。
そんなことを思うと『ら抜き言葉』などに目くじらを立てることもなさそうだ。
佐田
「規則や要領書ではその考えと逆に、述部はパターンを決めておいた方が良いですね。『なになにすること』と書くと決めたら、『なになにせよ』とか『なになにする』などのゆらぎは禁物で、常に同じ表現をしなければなりません。そういうふうに統一しますと、読む人が最後の一文字まで読まなくてもすむのです。
あのですね、法律なんて難しい言い回しが多いと思うでしょうけど、実際に読んでみると、述部の表現は数通りしかありません。ですから慣れてくると、条文の最後の一字一句まで読まなくても分るんですよ。そういうのが実用文というか、社内文書のあるべき姿でしょう。と思います」
上野部長
「いやはや、お前が会社規則をさらさらと書いているように見えるが、そういう基本を決めて仕事をしているのか。凡人にはできないな」
上野は何度もうなずいている。
川田も自分が払い出し伝票のドラフトを作るのに半日かけたことを思い出した。そのとき言い回しをどうしようか、前の文章では『・・・とする』だったから、こちらは『・・である』としようかと悩んだことを思い出した。佐田はそんなことははるか以前に卒業して、より高い視点で考えているのだ。
川田は佐田に会う前は、本当に会社規則の専門家だろうかと疑っていたが、今まで佐田が語ることを聞いてなるほどと思うばかりだった。そして佐田が主張するのは、自己顕示ではなく、本人がこれが良いと確信したことを、相手に理解してもらおうとしているためだということを感じた。
川田取締役
「上野部長、どうでしょう、とりあえずと言っては失礼ですが、とにかく一度佐田君に私どもの会社に来て状況を見ていただき、今後のことを相談させていただくということにしていただけないでしょうか」
上野部長
「佐田よ、とりあえず1回行ってこい。ちょっと待て」
上野部長は電話をかける。
上野部長
「おお、野矢課長か、俺だけどよ、素戔嗚に出向された川田部長が佐田に指導してほしいというんだ。とりあえず今日、今から出張に出していいか? いい、そうか、それでだ、その結果次第なんだが、その後も数回出張で指導をすると考えおいてほしい。よしよし」

上野は電話を切って二人に向き直り、
上野部長
「聞いた通りだ、川田部長は今から向こうにご出勤でしょう。佐田、一緒に川田さんの車に乗って行け、帰りは適当に、
じゃあ川田部長、そういうことでよろしいでしょうか?」
川田取締役
「ありがとうございます。
ええと、それと先ほどお願いした遊休のローラーコンベアの件、よろしくお願いします」
上野部長
「ああ、わかりました。設備課長に聞いたら50メートル分くらいならすぐになんとかなりそうです。それと脚も必要でしょう。多少のサビはよろしいですよね?」
川田取締役
「手続きはどうしますかね? 後で利益供与なんてことになるといけませんので・・・」
上野部長
「返してもらってもしょうがないから、貸与ではなく廃棄するものを買ってもらうということで処理しましょう。金額はまあ鉄屑扱いで、担当に話しておきますよ」
川田は頭を下げた。川田の態度も工場にいたときとは大違いである。


車中、佐田も川田も黙ったままだった。佐田は特に川田と話すこともない。元々、佐田は上長にヨイショするタイプじゃない。自分が黙っていたければ黙っているだけど。今回の目的は、向こうで状況を見せてもらうことだ。
11時過ぎに会社に着いた。
川田は一旦事務所に行って何かあったかを見て、特段早急にすることがないことを確認してから佐田を工場案内した。
川田取締役
「引越しの時は工場が動いていなかったから良く分らなかっただろう。まあどこにでもあるプレス工場だ。塗装とスクリーン印刷(シルク印刷)を少ししているが、メッキはメッキ屋に頼んでいる。最近はジンクも多いし、ラミネートもあるのでメッキは減っているね」
佐田
「ちょっと拝見しただけで言うのもなんですが、ロットが大きいですね。これほど大量の注文があるならウハウハですね」
川田取締役
「佐田君は見ただけでわかるのか! さすがだね、実をいってまとめ生産しているんだ。それで棚残の回転数が悪くなっている。文書だけでなくこれも大きな問題だよ」
佐田
「そうですか、そこらへんは鈴田さんの活躍の場ですね」
川田取締役
「いやなかなかの難題で、我々全員の課題になっている」
佐田
「上野部長とお話されていましたが、マテハンはコロコンにするのでしょう。現在のパレットで運搬では能率が悪いでしょうからねえ」
佐田は歩きながら、整理整頓の悪さ、物の置き方が水平、平行、直角でないとか、床に抜きカスが落ちていて安全上問題だとか、消火器の表示が見えないとか指摘する。川田も気が付いていることもあるが、佐田に言われて気が付いたこともいくつもある。
川田は連れてくるなら、鈴田よりも佐田の方が良かったなあといささか後悔した。本当を言って、能力のあるなしではなく、佐田の態度が好かなかったからだ。鈴田のほうが使いやすいと思ったのだが・・

たまたま組合の伊東委員長が歩いてきた。
伊東
「おや、佐田さんじゃないの! どうしたの?」
佐田
「これはこれは、伊東さん、ご無沙汰しております。お元気ですか」
川田は佐田が伊東と面識があったのにいささか驚いた。
川田取締役
「委員長は佐田君をご存じでしたか?」
伊東
「いやいや、知り合いってほどではありません。川田取締役の引越しのとき、お手伝いに来た佐田さんが工場の中で迷子になって、組合事務所に流れ着いたので一緒にお茶を飲んだだけです」
川田取締役
「なるほど、そうでしたか。それなら話は早い。伊東委員長、実をいって佐田君は会社規則の専門家なのだ。今日は工場を見てもらっていろいろアドバイスをしてもらおうと思ってね、こちらに来てもらった」
伊東
「そうですか、それは頼もしいなあ。もうすぐ昼ですからみんなで昼飯を食べませんか。近くのドライブインまで行って美味いもの食べましょう」
川田取締役
「すまないが今日はそんなこんなで、たった今会社に来たところで昼は仕事を片付けたい。佐田君がよければ伊東委員長と昼飯を食ってきてくれ。
委員長、すまないが領収書もらってきてくれ」

伊東は昼のチャイムが鳴る前に、佐田を自分の車に乗せて少し離れたレストランに連れて行った。
注文すると、伊東は話を切り出した。
伊東
「前回お会いしたとき、また会うような気がすると言ったでしょう。私は第六感が鋭いんです。
川田取締役が会社規則を作るのを手伝いに来たと語っていましたが、そうなんですか?」
佐田
「今朝突然、川田さんが来ましてね、とにかく一度来てくれと強引に言われましてお邪魔した次第です。
しかし伊東さん、正直言って会社規則を作るよりもしなければならないことはたくさんありそうですね」
伊東
「ほう、どんなことでしょう?」
佐田
「まず工場の整理整頓がありますし、生産ロットの見直し、マテハンの改善、それから作業者教育がありますね」
伊東
「なるほどと思うことも多いですが・・・・作業者教育って? 何か問題がありましたか?」
佐田
「作業を見ているとわかるんですよ。どんな仕事でも常に同じ行動を繰り返さないと、正しい作業じゃないんです」
伊東
「わからないなあ、佐田さんが一目見てダメだってことが」
佐田
「ダメというと言い過ぎですかね。熟練していないと言った方がいいですか。
具体例をあげると、プレス加工した金具にプラスチックの部品を付けている作業がありました。単純な作業ですが、作業台の上で、金具とプラスチックの部品をそれぞれの箱から取って組み合わせる、それから電動ドライバーを取ってねじ締めする、組みあがったものを箱に入れる、この繰り返しです。
本来なら同じ部品を取るのは常に同じ手で取り、同じ方法で取り付け、同じところに置かないとなりません。だけど見ていると、部品を取るのが右手だったり左手だったり、電動ドライバーを置くところもそのときによってバラツクし、ねじ締めするときの部品の向きもその時によって違う、仕上がったものを置く場所も一定じゃありません。だから作業に習熟せず時間がかかって仕事がはかいかないのです。
そればかりじゃありません。プレスだって、検査だって、見ていると作業のたびに動作が違います。あれを見ていると監督者が良い仕事はこうあるべきというイメージを持っていなくて、ちゃんと指導していないのでしょうねえ。もちろんまっとうな技能者なら自分でやりやすい方法を見つけて、常にその動きをするはずなんですが」
伊東
「佐田さんも言いたいことを言う方だね」
佐田
「あ、お気に触りましたか。私は元々現場の係長でした。だから少しでも生産をあげよう、品質をあげようと頑張ってきたものです。だから常にその観点で見てしまうので・・」
伊東
「鈴田課長は、向こうでどんなお仕事をしていたのでしょう?」
佐田
「彼は生産管理システム、なんというのかなあ、コンピュータを使って日程を立てたり出荷指示をするようなシステムを作ってましたね」
伊東
「生産に関わるようなことはしていなかったのですか?」
佐田
「彼は私と違って、日々の生産に追われるとか、不良の山を前にして悩むなんて苦労はしていませんね。幸せな人です。もちろん私はコンピュータを使ったシステムなんて作れませんけど」
伊東はなにやら考えているようだった。


午後は川田が作った払い出し伝票のドラフトを見せてもらったり、技術課にあるわずかばかりの規則類、設計の手順を決めたり、図面採番のルールなどの説明を受けた。確かに業務を決めたルールはほとんどないに等しい状態だ。
川田と佐田が話していると、星山専務が現れた。
星山専務
「失礼、そちらが佐田さんですか?」
この人が何者か分らなかいが、佐田は立ち上がり挨拶をする。
佐田
「素戔嗚電子の佐田と申します」
川田取締役
「これは星山専務、佐田君、こちらは星山専務だ。専務どうかしましたか?」
星山専務
「いや、会社規則の専門家が来てくれたと聞いたのでご挨拶をと思って」
佐田
「専務さん、専門家なんて言われると恥ずかしいですよ。私は単なる品質保証屋です。それにまだ御社のお仕事を引き受けたわけではありません」
星山専務
「なんだって、川田取締役、ちゃんと話を付けてこなかったのか?」
川田取締役
「専務には決まってからお話しようと思っていました。実を言って今朝向こうに行きまして、佐田君の上司に会社規則を作るのを支援してほしいとお願いしたところで、まだ了解は得ていません。佐田君ももちろん本来の仕事があるわけで・・」
星山専務
「そうか、まあそれはそれとして、
佐田さん、この会社の会社規則を整備するとしてどれくらい工数がかかるものかね?」
佐田
「まだ会社の仕組みといいますか、業務の流れも分りませんので確かなことは言えませんが、ここの人数と仕事の内容から考えると、いわゆる会社規則レベルで80本は必要かなと思います。人事とか経理はわかりませんから除きます。
製造ラインを見たところでは加工工程ごとの指示書がないようでしたので、これを整備するととんでもない時間がかかるでしょうね。ただこれについては様式や体系についてはアドバイスはできるとしても、作ることは私にはできません。専門技術が必要ですから」
川田取締役
「ラインをながめただけでわかるのか?」
佐田
「だいたいは見当付きます。それと現在の生産の問題も分ったような気がします。
専務さんのご質問に戻りますが、その回答ですが、いずれにしても私が全部はできません。それにこの会社で働いている人が一番詳しいということも事実です。ですから私が支援することになったとして、まずヒアリングや実情調査をするのに40時間、規則体系を考えて20時間、それからこちらの方々と議論して体系を決める。そして主要な規則を、そうですね最低10数本作るとして、会社規則を1本作るのに40時間かかるというのが私の経験則ですから500時間くらいでしょうか。全部合わせて残業してふた月というところでしょうか? それくらいの時間をいただければできるでしょう。
もちろん先ほど言った必要な会社規則80本から10数本を差し引いた、60数本はこちらの方が継続して作るという前提です。はっきり言って私の上長である上野部長がそれだけ時間をかけてやれと命令されるならやります。私も中途半端な仕事をしたくありません」
川田は唖然とした。あっという間に作るべき規則の数とか所要時間を見積もれるものだろうか。まさか口から出まかせではあるまい。
川田取締役
「なるほど、先日、上野部長からお前が社内で『歩く会社規則集』と呼ばれていると聞いたことがあるが、さすがにそう呼ばれているだけのことはあるなあ〜」
星山専務
「すばらしい、佐田さんは生産現場を担当していたと聞いたが・・」
佐田
「昔のはなしですよ。能がなくて解任になり品質保証に移りました」
星山専務
「もうすぐ定時だ。どうですか、せっかくお見えになられたのですから、ちょっと一杯ご一緒にどうでしょう? 川田取締役も一緒に」
川田取締役
「すみません、今日は午前中素戔嗚に行きましたので、残業で片付けなければならないことがありまして、
今晩、星山専務が佐田君を今後支援してくれるように説得してくれれば、これからこちらに来てもらえますので飲む機会はまたあるでしょう」
星山は、川田が参加しないのをむしろ歓迎したように見えた。
星山専務
「そうかそうか、じゃあ佐田さん、今晩ちょっと付き合いなさい。なあに、電車に乗れば福島まで1時間半だよ。都会なら毎日の通勤時間だ」
佐田はヤレヤレと思ったものの、まあこれも仕事だろう。
佐田
「それじゃお言葉に甘えます。川田部長、すみませんがお先に失礼させていただきます」


星山は佐田を自分の車に乗せて、駅前の小料理屋に連れて行った。帰りは運転代行を頼むのだろう。福島でも同じだ。なにしろ田舎では公共交通機関がないから、どこに行くにも車が必要だ。だから飲めば運転代行しかない。
星山に押されるようにして佐田が店に入ると伊東委員長が座っている。
佐田
「あれ伊東委員長もご一緒ですか?」
伊東
「俺がいちゃまずいか?」
佐田
「いえいえ、意外だったものですから」
星山がまあまあといって三人座る。

星山専務 生ビール サラダ 生ビール 佐田

伊東委員長 生ビール 刺身

乾杯をして飲み始める。
星山専務
「佐田さん、今日ご覧になられた印象はどうですか?」
佐田
「まあ、いろいろですね。あのう、お断りしておきますが、私は歯に衣を着せないで発言しますので、気に障ったらごめんなさい。私のそういう態度が嫌いな方も多くて、例えば川田さんには嫌われていましたから」
星山専務
「ほう、お二人がそんな関係なら、川田取締役はどうして今回、佐田さんに依頼したのかね?」
佐田
「それが私にも不思議なんです。逆に安斉さんと鈴田さんは、川田さんのお気に入りというか、はっきり言えば川田さんの子分でしたから」
佐田がそう言うと伊東が吹き出した。
伊東
「星山も、回りくどい言い方でなく本心を語れよ」
佐田は伊東委員長が星山と呼び捨てにしたので驚いた。
伊東
「実はね、昼前に佐田さんを見かけたので、どうして川田取締役が佐田さんを連れてきたのか興味を持ったのさ。それで福島工場の人事課長に電話したんだ」
佐田
「はあ?」
伊東
「あの人事課長は10年以上前、ここに出向していたんだ。だから俺と星山とは昔馴染みというわけだ。そしてね、佐田さんの人となりとか、どんな仕事をしていたのかとか聞いたわけ。佐田さんのすごい実績を聞いたよ。そして課長の試験に何度も落ちたというのも」
佐田
「伊藤さん、なんでそんな手間をかけたのですか? 私によほど興味があるのでしょうか?」
星山専務
「実を言って伊東と俺は、前からこの会社を改革しようと考えている。
川田取締役たちが出向してきたとき、期待したのだが・・・三人がこちらに来てかれこれ10か月になるけれど、まだこれといった成果を出していない。状況を把握するのに時間がかかるだろうと思っていたが、最近は彼らには力がないんじゃないかと思うようになった。
佐田さんは、安斉課長のことを知っているか?」
佐田
「どんなことでしょうか?」
星山専務
「奥さんがレストランを経営しているとのことだけど」
佐田
「ああ、そういえばだいぶ前ですが、レストランを始めたからと安斉課長が私のアパートにチラシを持って来ましたね。それまで私と街で会っても挨拶もしなかった人なので、いささか驚きました。あのとき安斉課長は全社員を訪問してチラシを配っていたようです。そして知っている人にも宣伝してほしいと語っていました。でもチラシのメニューをみると私が行けるようなお値段ではないので、行ったことがありません。それ以上のことは知りませんが」
星山専務
「なるほど、そうですか。
話を戻すと、川田取締役と彼が連れてきた二人ではうちの立て直しには力不足ではないかと思ったわけだ。それで今回、川田取締役が助っ人に頼んだ佐田さんとは、どういう人かと伊東が興味を持ったのだよ。
それで伊東が今日の午後、いろいろと佐田さんのことを調べて、佐田さんなら力になるのではないかと私に言ってきたんだ。それで私もどんな人かと様子を見に行ったというわけさ」
佐田
「そんなに買いかぶらないでくださいよ。私は単なる品質保証屋ですから」
星山専務
「佐田さんは会社の規則というかルールを作る専門家と聞いたのだが」
佐田
「確かに品質保証とは規則も作りますが、とはいえ、会社の規則を作れば、会社が良くなるわけじゃありません」
伊東
「いやいや、人事課長から、佐田さんは品質保証だけでなく計測器管理においても、ものすごい成果を出されたと聞きましたよ」
佐田
「うーん、御社を改善するには、ルールを作るとか計測器管理とかいう、単発的というか個々の対策だけではできませんよ」
星山専務
「佐田さん、そこんところを聞きたいのだが、今日工場を見た結果について、ぜひとも感想を聞かせてもらいたいですね」
佐田
「はっきり言いますが、改善しなければならないことがいろいろあるように思います。会社を良くするには、固有技術、管理技術、士気のみっつの要素があると思います。御社は、そのいずれにおいても改善が必要でしょう」

成  果
矢印矢印矢印

固有技術


管理技術


士気


星山専務
「具体的にはどういうことですかね・・」
佐田
「まず固有技術ですが、私はプレス加工なんて専門外で全く知りません。でもレイアウトにしても作業にしても、今まで見てきた工場よりも素晴らしいと感じたものがなかったですね。」
星山専務
「手厳しいね」
佐田
「管理という観点では、まず今すぐ整理整頓をしたいですね。工場内外に小さな抜きカスがたくさん落ちていました。安全上からもこれはすぐに対策しないと。それから物の置き方がなってません」
伊東
「先日、安斉課長と鈴田課長が仕事を止めて従業員に通路の掃除をさせていたけど、それでも君の基準ではだめか・・」
佐田
「ほかに気になったのは作業者同志が話をしていることです。無駄話ならもちろん問題ですが、仕事のことを作業者同志が相談しなければならないなら管理が悪いですね。その他、段ボール箱やパレットを探している姿も気になりました。そういうのを管理不備と言います。管理者や監督者は、自分の部下に適切な指示をして、遊ばせたり迷わせたりさせてはいけません。適切な指示をすることにより、今より1割や2割は能率が上がると思います。
勘違いしてはいけませんが、こき使うということではありません。作業者は適切な指示を受けて勤務時間一杯働くことは喜びというか、うれしいことなのです。指示があいまいで何をしたらよいか分らない状態を嫌います。戦場で兵士が恐怖を持つのは、劣勢になったときではなく、指揮官を信頼できなくなった時だそうです」
伊東
「士気とは?」
佐田
「作業者が歩く速さが遅いです。それと屋外にたばこの吸い殻が落ちてますね。どうも身を入れて仕事をしていないように思います。軍隊じゃありませんが、決まりを守るとかメリハリをつけて動くということが身に付いてないように見受けられます」
伊東と星山は顔を見合わせた。
星山専務
「それじゃ、ここを改善することはとても難しいということですか?」
佐田
「いや、そうとは思いません。固有技術は私の手に負えませんが、従業員にやる気を持たせて、仕事に前向きになってもらえればすぐに良くなると思います。そのためにはいろいろと仕掛けが必要でしょうけど」
伊東
「仕掛けとは?」
佐田
「なにかひとつでも改善して良くなったと認識させることでしょうね。頭の中でウダウダ考えているのではなく、現実に目に見えることをするのです。とにかく一度成功体験を持たせることが必要です。それが更なる改善を進めるための必要条件です」
星山専務
「具体的には?」
佐田
「なんでもいいんですよ、工場の壁を塗りかえるとか、使う当てのない在庫とか遊休機械を廃棄するとか、通い箱を更新するとか」

うそ800 本日の言い訳
だらだらと小説を書いてんじゃねえ、なんてご不満をお持ちかと・・・
本日は文書とはいかにあるべきかという、ISO規格にもあるありがたいお言葉をやさしく説教を・・あ、石を投げないで


T-I様からお便りを頂きました(2013.11.17)
マネジメントシステム物語10 佐田、相談を受けるについて
硫酸は還元性の酸なので、危険物には該当していなかったと...

T-I様お便りありがとうございます。
ご指摘ありがとうございます。
信じてほしいのですが、私も甲種を持っていたのですが、ぼけが始まったのか、忘却の彼方となってしまったのか間違えてました。まことにあいすみません。
単に直すのは失礼と思いまして、硫酸を残して取り消し線をつけて、ここにリンクするようにしておきました。
間違いを見つけられましたら、またご指導をお願いします。

名古屋鶏様からお便りを頂きました(2013.11.17)
ISO規格にもあるありがたいお言葉をやさしく説教
摩訶般若ISO波羅蜜多心経〜・・・

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
私がISO9001と出あったのは1991年頃です。しかし、それ以前から品質保証を担当していまして、文書とはいかにあるべきかとか、作業指示(工程管理)はどうあるべきか、必要条件などを自分の頭で考えていました。そんなことを思い出すと、ISO規格なんてたいしたもんじゃありません。私を含めた先人の成果をまとめたものにすぎないと思っております。
不遜かな?



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