マネジメントシステム物語11 川田、入院する

13.11.19
マネジメントシステム物語とは

佐田は朝起きると頭がガンガンした。昨日は大蛇おろち機工に行き、夜は星山専務と伊東委員長と飲んだのだ。星山専務も伊東委員長も酒が強く、それにつきあって少し飲み過ぎた。その上、帰りは1時間半も電車に揺られてきたが、居眠りして乗り過ごさないように、ガラガラであったが佐田は立って帰ってきた。

始業前に上野部長に電話して都合を聞く。上野部長はすぐ来いという。佐田は部長席に伺った。
上野部長
「おう、ご苦労だったな、どんな塩梅あんばいだった?」
佐田
「報告しなければならないことがいくつかあります。
まず本題ですが、会社規則を作ることについては、難しいことはありません。但しボリュームはけっこうになります。それを実行するには私がふた月は向こうにいる必要があります。私にやれと指示されるならその期間で達成します。
しかし向こうで気が付いたこととして、規則がないことよりも、製造管理と固有技術にいろいろ問題がありそうです。
個人的見解ですが、気が付いたことを率直に申し上げますが・・
第一に、出向した安斉課長に技術力がないと思われます。彼は金型設計に詳しいようですが、プレス加工そのものとか、現場管理の能力ははなはだ疑問です。もう一つの問題は、ご自分がしているレストラン経営に気を取られ仕事に身が入らず、向こうでの評判がだいぶ悪いです。
また川田取締役は向こうの幹部の中で浮いているように見えました。」
上野部長
「ほう、いろいろと面白そうだなあ〜
まとめると、向こうに対して何か支援を考えないといけないということのようだな?」
佐田
「もちろん出向者たちがいろいろ努力している様子はあります。今回、川田さんが規則を作ろうとしているのもそのひとつです。しかし大蛇機工は悠長にしていられない状況と見受けました。品質問題が頻発していて、早急な品質改善が必要な状況と思います。会社規則より品質向上が優先でしょう」
上野部長
「実は本社の宍戸専務からおれに、良く状況をみて必要なら支援しろという指示が来ているんだよ。専務も川田部長で大丈夫かと心配しているようだ。昨日も佐田が来る前に川田部長と話をしたんだが、だいぶ困っているようだった。佐田がみて時間的余裕はどれくらいあると思う?」
佐田
「財務的ことはわかりませんが・・・品質問題から考えるとお客様に見放されないためには、すぐさま手を打たなければならないと思います。つい最近も客先で不良が発生したので、抜き打ちの品質監査を受けたと聞きました。評判がこれ以上下がる前になんとかしなければなりません」
上野部長
「三人が出向して10か月か・・・・あとふた月様子を見るか。
支援するとして、まず何が必要だ?」
佐田
「まず人です。プレス加工に詳しい人を送り込みたいですね。具体的には単なる技能者ではなく、作業や段取りの指導だけでなく、レイアウトや加工方法についてアドバイスできる人、職長クラスが適任と思います。ただこれも当面対策としてはそうなのでしょうけど、恒久対策は向こうが自らそういう人を育成してほしいところですね。
生産管理については、生産計画も出荷も向こうの専務が仕切っているようですから、特に手を打たなくても良いかと思います。
各種業務のルール化については私が行って実際に文書体系を作り上げてしまう方が速いと思います。向こうには適任者が見当たりません。しかしこれも将来的にどうするのか、最初は私が仕事をしても、いつまでもというわけにはいかないでしょう。そのあたりが問題ですね。
次に設備や工具ですが、こちらに遊休品があれば貸与とかした方が良いですね。もっとも向こうでは何が不足しているか必要なのかさえ分からない状況のように見えました」
上野部長
「だいたい状況は分かった。川田部長はあまり実戦向きじゃないんだなあ。前からそうじゃないかと思っていたが改めてそう感じるよ。それに彼が選んだメンバーもミスキャストだったようだ。
わかった、とりあえずお前は大蛇のことは忘れて今まで通り仕事をしてくれ。ひと月もしたらまた相談する」
佐田
「私が個人的に休日に向こうに行って、指導や調査をしてもよろしいでしょうか?」
上野部長
「かまわんよ、だけどお前は川田部長に義理はないんだろう?」
佐田
「そうですが、上野部長が先方の状況を把握する必要がありませんか?」
上野部長が苦笑いする。
上野部長
「お前の好きにしろ」



佐田は伊東と川田に土曜日に出勤してほしいと電話でお願いした。
週末に佐田が行くと、二人は出社していた。
佐田
「会社規則を作る支援のことですが、先日こちらでお聞きしたことは上野部長に報告しました。しかし上野部長は私に支援しろという指示はしませんでした。上野部長はとりあえず出向者に頑張ってほしいと考えているとご理解ください。もちろん私の話は個人的非公式なものですから、川田さんから上野部長に問合せ確認してください。
上野部長が会社として御社を支援しないとしても、私個人として御社の改善に力になりたいと思い、個人的に休日お邪魔したいと思っています。そういうことでよろしいなら毎週来ることにします」
川田取締役
「確かに先日私がお願いしたことは、会社規則の専門家にアドバイスしてほしいということだけだからなあ。それに上野部長としても動きにくいことはあるだろう。私たちが出向したのも工場の事情ではなく、本社からの指示でもあるし・・今以上人を出してもらうにも、我々が目に見える成果を出さなくちゃ言い出せないし」
伊東
「おれはいいよ、佐田君は口は悪いが、知識もアイデアも豊富なのはわかった。改善の指導をぜひともお願いしたい」
佐田
「それであれば、今後ともよろしくお願いします。
さっそくですが、私から仕事をお願いします。
まずその一ですが、この会社で使っている伝票を全部集めてください。それからいろいろな記録を全部集めてください。もちろん全部といってもそれぞれ様式がひとつあればいいです」
伊東
「わかった、来週までに集めておく。だけどそんなのがどんな役に立つのかい?」
佐田
「会社規則集がその会社の文化を表すってことを、以前申し上げたと思います。帳票類と記録はその会社の業務フローを表すんですよ」
川田取締役
「会社の仕組みが完璧ならそうだろうが、この会社では存在している帳票類と記録では会社の業務全部をカバーしているとは思えないが・・」
佐田
「それはそうでしょうけど、会社の仕組みを調べる切り口としては最適なものではないでしょうか。というか、それ以外のどんな方法で進めたらいいでしょうか?」
川田は佐田の言葉を聞いて、しまったという思いがした。今まで半年以上、そんなこともせずに過ごしてしまった。こちらにきて会社のルールがない、規則を作らねばと思うだけでなく、手に入るもの、現在ある帳票や各種記録を集めるだけでも、現状の仕組みを把握でき、改善のベースにすることはできたはずだと思い、今まで無為に過ごしたことを後悔した。
佐田
「それから段取り替えの指導は伊東さんがするとおっしゃいましたが、どんな進み具合でしょう?」
伊東
「モデルチェンジのときは俺が立ち会って、作業者が悩むことがあれば都度声をかけて指導している。とは言っても毎度同じことを言っている気がするよ」
佐田
「ここで生産している部品の種類はどれくらいありますか?」
伊東
「そりゃめったに作らないものまで数え上げれば、数百はあるだろう。でもメインのものといえば、そうだなあ50種類くらいだろうか?」
佐田
「私の言うのをバカにしないで聞いてくれませんか」
伊東
「バカにするかどうかは聞いてみなくちゃわからないな」
佐田
「模造紙ってわかりますか? 大きな白い紙です。あれを100枚くらい買ってきてください。そしてそれぞれの部品を段取りするたびに、その金型がどこにあるかとか、どういう手順でなにをするかを大きな字で5センチ角くらいで、マジックがいいですね、書いてください。それを壁に貼りだすんです」
伊東
「わかった、明日からやってみよう。だがそんな大きな紙を何枚も貼るスペースはないぞ」
佐田
「いつも全部を貼っておくのではなく、加工しているものだけ、機械のそばに掲示しておけばいいんです」
伊東
「どういう効果があるのかわからないが、佐田君のいう通りやってみるよ。信じる者は救われるというからな」
佐田
「川田さんにお願いがあります」
川田はぎょっとした。なにごとか?
川田取締役
「なんだ?」
佐田
「この工場の入場者が守るべきことを、入り口に書きだしましょう」
川田取締役
「はあ?」
佐田
「まず、帽子、安全靴着用しないものは入場禁止、次は、喫煙は指定されたところで喫煙し、吸い殻はもみ消して灰皿に入れる、それに、作業者以外は通路を歩行すること
そんなところでいいでしょう。あまり多くても守られませんから。これを各工場の入り口全部に掲示します」
川田取締役
「あまり乗り気ではないなあ。以前、落ちている吸い殻を拾おうという運動をしたとき、えらい反発にあったからなあ」
伊東
「川田取締役、それは当然じゃないですか。あのときは休憩時間に清掃を強制するということでしたから。そんなこと法違反ですよ」
佐田
「まあまあ過去のことはいいでしょう。この場合は就業規則からも安全上からも、おかしくありません」
川田取締役
「まあ毒にも薬にもならないと思うけど、それが何か効用があるのか?」
佐田
「効用があるかないか、やってみてからのお楽しみ」
川田取締役
「わかった。数日内に看板を作って掲示しよう」
佐田
「ひとつお願いがあります。今回のこともこれからすることもすべて、他の方には私が言い出したとは絶対に言わないでください。すべて伊東さんや川田さんが考えたこととして推進してください」
川田取締役
「それはまたどうして?」
伊東
「佐田君の言い分はわかった。組合運動だって、委員長はいろいろな人から意見を聞くけど、決定したのは自分だという信念というか覚悟がなくちゃいけないもんね」



翌週、佐田が行くと二人は佐田を待ち構えていた。
佐田
「先週打ち合わせたことをしていただけたでしょうか?」
伊東
「まず、帳票類と記録の様式を集めた。伝票が20数種類、こんなに多いとは思わなかった。もっとも物と一緒に動く伝票ばかりではなく、器具備品の購入依頼とか、建物や機械の修理依頼などもある。
記録は30数種類、倉庫の帳簿、材料の帳簿、出荷記録、工場の温湿度記録、まあいろいろだ」
佐田
「ありがとうございます。じっくり眺めて考えますから少し時間をください。次回かそれ以降にこれについて議論したいと思います。
その他についてはやっていただけたでしょうか?」
伊東
「プレスのモデルチェンジのときに脇に衝立をおいて模造紙を貼り、段取り作業を一つずつ順に書いてみたよ。何番の金型をどの棚から持ってくるとか、クレーンでどうすると、作業をこと細かく順々に書いた。俺が作業をひとつひとつ書くのを、作業者が面白がっていた。
実際は何度も書き直して汚くなったので、決まったことを後で清書した。いやいや金型交換といっても細かく書くと何十にもなるものだ。ベテラン技能者は頭に入っているから自然と次の仕事に進めるのだが、あまり段取り替えをしたことのない人は次に何をするか考えることが大変なことが良く分った。
今週は4部品の段取り手順をまとめた」
佐田
「みなさんの反響はどうでしょうか?」
伊東
「まだ具体的な成果はない。次回の段取り替えのときは、俺は口を出さずに、これを見て仕事をさせるつもりだ。
これを作ったところ、作業者が段取りだけでなく、加工の手順も書くべきだと言い出して、その下に作業の流れに沿って、作業動作や、寸法チェックについても方法とその頻度などを追加している。まあ、それも悪くないと思って黙認している。
ところで、たまたま通りかかった組み立てのリーダーが俺たちがしているのを見て、それを参考にこんなのを作ったんだよ。どう思う」
伊東はそういってA4サイズの紙を取り出した。そこには表が書いてある。
客 先部品番号使用ドライバドライバビット備 考
先端形状長さ
白兎電気45103HIOS+NO.160mmトルク管理
プラスチックねじなので、新しいドライバビットを使うこと(かじり防止)
大国主機械PANEL56HIOS+NO.260mm 
黄泉の国産業236-784瓜生US4+NO.282mm 
黄泉の国産業236-740瓜生US46角ボックス
対辺5.5mm
100mmボルト頭に傷がつかないよう、ボックスビットの奥にフェルトを貼る
ナムジ工業N221-05HIOS+NO.1100mmトルク管理
ナムジ工業N221-08HIOS+NO.1100mmトルク管理

     

伊東
「今まで生産するたびに、どんなドライバやビットを使うか考えていたそうだ。おれがプレスの段取り手順を書いているのを見て、それを参考にいちいち考えなくても良いようにと、この表を作ったという。
ドライバービット 連中はそれだけでなく箱を仕切って、ドライバやドライバビットを種類ごとにきれいに置くようにしたよ。今までドライバを入れていた箱には、もういろいろなものをごちゃまぜに入れていたけど、今はビット取付け部の形状ごと、先端の形状ごと、長さごとにきれいに分けて保管している。
だからどのビットがなくなりそうとか、すぐにわかるようになった。そして箱の手前には『在庫が5本以下になったら手配を頼むこと』と書いてある。今までビットがなくなっていて仕事にならなかったことがあるからだそうだ」
川田取締役
「なるほど、当たり前といえば当たり前だが、この表を見れば必要な工具がすぐにわかるな」
伊東
「しかしこのまとめ方は、以前、佐田君が部品ごとに要領書というか基準書を作ったほうがいいと言っていたのとは方向が違うね。どうしたものか・・」
佐田
「伊東さん、要領書でも規則でも、縦割りにするか、横切りにするか、あるいはその他の方法といろいろあっていいと思うのですよ。組み立ての人がこの方が分りやすいならそれでいいのではないでしょうか」
伊東
「なるほど、それが前回、佐田君が言ったお客様本位ということか」
佐田
「そうです、使う人がこれがいいなら、この方法が一番良いでしょう。もちろん時が経って別の方法が良いとなれば、そのときは躊躇せずに変えるべきでしょうね」
川田取締役
「ところで、このドライバの一覧表だが、実際の効果はあるのだろうか?」
川田の声は効果があるのか疑わしいなあというニュアンスである。
伊東
「川田取締役、それが大ありなんです。今まで作業を切り替えるたびに、リーダーがドライバを準備したり、どの工具を使えと口頭で指示していたのです。ところが今はパートの人がこの表をみて、自分たちで仕事を切り替えてますよ。
しかしこの表には使用するねじの寸法とかメッキが書いてないので、今連中はそれも書き込んで部品もパートの人が準備できようにしようと考えているところです」
川田たちが来て1年近くなるのに、何もしていない。しかし佐田は一度来ただけで改善を提案し、しかも成果を出してしまった。川田にはそれがが悔しくてならない。ましてそれが非常に初歩的というか誰でも思いつくような簡単なことだからなおさらであった。
佐田
「川田さんのほうはいかがですか。例の掲示はどうでしょうか?」
川田は苦笑いした。
川田取締役
「いやはや、これも大きな反響を呼んだんだ」
川田が語ったことは次のようなことだった。



掲示を掲げたその日のことである。星山専務がいつものように工場を巡回しようとして工場に足を踏み入れた途端、入り口近くにいた作業者が専務に声をかけた。
作業者
「専務、安全靴と帽子を着用していない人は工場に入っちゃいけません」
星山専務
「なんだと! そんなこと誰が決めた?」
作業者
「この看板をご覧ください」
作業者は、川田の指示で安斉が作って掲げた看板を指さした。

指さし

注意事項

  1. 帽子、安全靴着用しないものは入場禁止
  2. 喫煙は指定されたところで、吸い殻はもみ消して灰皿に
  3. 作業者以外は通路を歩くこと


星山はしげしげとそれを見て、それから黙って事務所に戻った。
そして10分もしないうちに真新しい帽子とピカピカの安全靴を身に着けて戻ってきた。それから工場をいつものように巡回する。

一人の作業者がサンダル履きでボール盤作業をしている。
星山専務
「おい、お前、安全靴をどうしてはかないんだ?」
作業者
「痛風で足がとても痛いんです。靴が履けません」
星山は黙って現場事務所に行く。そして吉田部長と安斉課長がいるのを見て
星山専務
「現場で安全靴を履かないのがいる。聞くと痛風で痛いからというが、あれはだめだ。なんとかしろ」
安斉課長
「なんとかと言いますと」
星山専務
「お前の首の上にのっかっているのは何だ? 少しは頭を使え。
安全靴がはけないのなら、組み立てでも伝票の整理でも掃除でもなんでもいい、安全靴を履かなくてもいい仕事に回せ」
安斉課長はあわてて外に出ていく。
星山専務
「いったい誰があの看板を付けたんだ?」
吉田部長
「川田取締役が安斉課長に指示したそうです。私はまあいいかと思っていたのですが、専務のお気に召さなかったでしょうか?」
星山専務
「ほう、川田取締役もたまにはいいことをするものだ」



佐田
「よかったじゃないですか。私が一番気にしていたのは吸い殻ですが、それは良くなりましたか?」
川田取締役
「まず看板を出してからは、みんな灰皿のあるところで喫煙するようになった。それで吸い殻をその辺に捨てる人は大幅に減った。いつまで続くか分らないが」
伊東
「大丈夫ですよ。奴らだって悪い人間じゃないから、決まりが妥当なものなら守りますよ」
佐田
「じゃあ一歩前進したと・・・来週はもう一歩前進しましょう」
伊東
「佐田君は成功体験が必要だと言ったね、確かにおれもやってみてうまくいったと感じて、うれしかったよ。現場の連中も同じだと思う。次はどんなことをするのか楽しみになった」
佐田
「川田さん、鈴田さんから、お客さんに納入荷姿のアンケートをしたと聞きました。それに基づいて箱を作ってみませんか。ワンロットくらいやってみるのです」
川田取締役
「鈴田の話ではお客様からの回答ではプラダンケースというのか、それにしてほしいという希望が多かったらしい。しかし切り替えるとなると10個20個ではなく、大量に必要になるからなあ。それに中仕切は製品によっていろいろだし・・」
佐田
「もちろん今使っている中古段ボール箱よりも安い方法なんて、ちょっとないと思いますよ。しかしこの際10万円くらいかけてトライアルしてみませんか。大国主さんの不良でも、選別や出張や追加生産などの対策で数十万かかったんでしょう。箱をきれいにしても儲けが増えることはないでしょうけど、お客様の要望に応えるために多少は投資をしてテストしてみましょう」
川田取締役
「鈴田からも何個かプラダンを作って試験をしたいと言われているんだが・・予算がないからと止めているんだ」
佐田
「川田さんの決断でそういったことはできると思います。ぜひお願いします」
川田取締役
「わかった、月曜日に鈴田にテストをしても良いと指示しよう」
佐田
「ありがとうございます。
それと聞いた話ですが、この会社には600ミリまでのノギスしかないということでしたね。でも生産している部品でそれよりも大きなものがあるとか」
川田取締役
「そうなんだよ、お恥ずかしい話だ」
佐田
「福島工場には、遊休になっている1メートルのノギスもピッチノギスもありますよ。川田さんから上野部長に売却してくれるよう依頼したらどうでしょう。二束三文と言っては語弊がありますが、低廉で対応してくれると思います」
川田取締役
「お前と話がついていると言えば良いのか?」
佐田
「いえ、私は担当者ですから、あくまでも川田さんから上野部長へ依頼したという形でないと動けません」
川田には佐田が絶対に表に出ないように気を使っていると分る。たてまえは川田やこちらの会社の面々が考えて行動しているのだ。
川田取締役
「伊東委員長、どうだろう、あの件はゲージを作って対応済みかと思っていたが、大きなノギスがあったほうがいいか?」
伊東
「そりゃあった方がいいですよ。これからのことを考えると必要です」
川田取締役
「わかった、来週、上野部長に売却依頼をすることにしよう」
今回も佐田は、伊東と川田それぞれにいくつかの依頼、見方を変えると宿題をだして帰った。



翌週の金曜日の昼前のこと、佐田に鈴田から電話があった。
佐田
「ハイ、品質保証の佐田です」
電話
鈴田課長
「佐田君か、おれだよ鈴田だよ」
佐田
「やあ、お元気?」
鈴田課長
「俺は元気だけどさ、川田さんが入院しちゃったんだ」
佐田
「ええ、入院!? どこが悪いの?」
鈴田課長
「俺も良く分らない。今日の朝、星山専務から川田取締役が入院したって連絡があったんだ。昨日の午後、気分が悪いなんて言っていたんだけど、夕方こちらの市立病院に行って、そのまま入院したそうだ」
佐田
「どんな状況なんだろう?」
鈴田課長
「とりあえず命に別状はないらしい。疲れがたまっていたんだろうと思う。最近は顔色も良くなかったからなあ」
佐田もそれは感じていた。
佐田
「鈴田君はお見舞いに行ったのかい?」
鈴田課長
「いや、こちらではみなで申し合わせて、とりあえず星山専務が代表してお見舞いに行くことにした。あまり大勢で行っても、ご本人にも病院にも迷惑をかけてしまうだろうと思ってね」
佐田
「確かにそうだろうなあ。それじゃ俺も今すぐは行かないほうがよさそうだね。
ところで少し前に鈴田君が出荷荷姿を段ボール箱からプラスチックにしたいとか言っていたのはどうなったの?」
鈴田課長
「ああ、あの件かあ、今週月曜日に川田取締役が試験をしてみろとおっしゃったので、すぐに200箱ほど手配した。俺だって、やるとなるとそういうことは早いんだ。
しかし先週川田さんに提案したときは乗り気でなかったんだけど、どういう風の吹き回しなんだろうねえ〜」
佐田
「いずれにしてもよかったじゃないか、それで結果はどうだったの?」
鈴田課長
「まだ1社しかして試していないけど評判は良いよ。社内でも見た目が良いし、丈夫でいいという声が多かった。ということでテストだけで終わるわけにはいかなくなった。
更に出荷だけでなく生産ラインからプラダンを使うべきだという声もでて、今いろいろな製品に使えるように箱の寸法とか中仕切を検討中なんだ」
佐田
「すばらしい。鈴田君のヒットだね」
鈴田課長
「いや、それほどでも・・でもこちらにきてから今まで何も成果がなかったからうれしいねえ〜」
佐田
「じゃあ、川田さんの様子が分ったらまた連絡してもらえるかな」
鈴田課長
「わかった、今日か遅くても来週になればはっきりするだろう。そのとき連絡するよ」


鈴田の電話が終わるとすぐに、今度は伊東委員長から電話が来た。
伊東
「やあ、佐田君、川田取締役が入院しちゃったよ」
佐田
「先ほど鈴田君が知らせてくれました」
伊東
「そうか、せっかく川田さんがやる気を出してきたのに残念だ。川田さんがいなくても、佐田君は、明日は来てくれるのか?」
佐田
「そのつもりです。ただ川田さんの見舞いにも行きたいですね。お宅では専務が代表していくことにしたと聞きましたが、どんな容体なのでしょうか?」
伊東
「星山から聞いたところでは、疲れがたまっただけでなく、どこか内臓が悪いようだ。まあ1年近く慣れない仕事で気苦労しただろうし、食事は毎回インスタントとレトルトだったそうだからなあ〜」
佐田
「川田さんもそちらで入院とはいろいろ大変でしょうねえ。こちらの病院であればご家族が看病するにも都合がよろしいでしょうけど」
伊東
「まあ、どちらにしても大変なのは変わりないよ。星山専務の話では奥さんが今日こちらに来たそうだ。
別件だけど、専務が動き出したよ」
佐田
「動き出すってなんですか?」
伊東
「お前を出向させてくれって、うちの社長がお宅の工場に申し入れるそうだ。
毎週佐田君が来て、川田取締役と俺とで打ち合わせていることは、安斉課長と鈴田課長や他の連中には内緒にしている。しかし星山には全部話しているんだ。星山はますますお前にぞっこんでさ、それで社長に話して社長も乗り気になって、ぜひお前に来てほしいというわけだ。
なにしろ三人組が来て1年近くなるけど、具体的になにも成果を出していないのに、お前は俺たちを使っていろいろと改善を進めているからな。成果を出す人が望まれるのは当たり前だ。
こんなことを言ってはまずいけど、川田取締役が入院してしまったので、その代りにというのが専務と社長の腹だよ」
佐田
「だって川田さんだってそんな重病じゃないんでしょう。それって再起不能のような言い方ですね」
伊東
「俺は細かいことはわからないが、ひと月くらい入院するような話だったね」
佐田
「ともかく、そういうことは、私がどうこう言うことじゃありません。会社から何か言われるまで待つことにしましょう」
佐田が伊東の電話を切ると、今度は工場の人事課長から電話が来た。話があるから人事課に来いという。ヤレヤレ、何事かと思いながら佐田は人事課に向かった。



人事課長
「やあ、佐田さん、ご足労すみませんねえ〜、あちらでちょっと・・」
人事課長は佐田を小さな会議室に案内する。
人事課長
「大蛇機工はご存知ですよね。川田部長が出向している会社ですが・・」
佐田
「存じております。川田部長が引っ越すときはお手伝いにも行きましたし、先週も指導に行きました」
人事課長
「ああそうでしたか。実を言いましてその大蛇が、佐田さんに出向してほしいと考えているようなのです。それについてはご存じでしょうか?」
佐田
「初耳ですね」
人事課長
「そうですか、ご存じではないと・・佐田さんはご自分から出向したいというようなことをおっしゃったことはないですか?」
佐田
「ありませんね、どういうことでしょうか?」
人事課長
「向こうの社長が佐田さんに出向してほしいと考えているようなのですが、どうも川田さんと話をしていないようなのです」
佐田
「おっしゃる意味が全然分かりませんが・・」
人事課長
「うーん微妙な話なのですが・・・ともかく佐田さんが出向したいと動いているわけではないのですね」
佐田
「そういうことはありません。いったいどういうことなのでしょうか?」
人事課長
「大蛇の労働組合の伊東委員長をご存じでしょうか?」
佐田
「知っています。川田部長の引越しのとき工場でお会いしました」
人事課長
「そうでしたか。実は私も昔、大蛇に出向していましてね、伊東さんとはその時からの知り合いです。その伊藤さんから、社長が佐田さんを欲しがっているという話を聞きまして、これは問題だなあと思ったわけです」
佐田
「あのう人事課長の話を聞いていると、奥歯に物が挟まったというか、なにをおっしゃっているのか分りませんね。まず私は出向したいと言ったことはありません。そして仮に私が出向すると何かまずいことがあるのでしょうか?」
人事課長
「川田さんは、本社の宍戸専務からのじきじきの依頼で大蛇に出向したと聞いています。ところで大蛇の池村社長は当社から出向転籍した方ですが、この方は山本取締役の派閥なのですよ」
佐田は人事課長が言う意味が全然分からない。
佐田
「あのう私は社内の派閥とか人間関係には疎いのですが、要するに何が問題なのでしょうか?」
人事課長はしばし押し黙っていたが・・
人事課長
「佐田さんはそうだよねえ、天真爛漫というべきか、空気を読めないというべきか、そういうことにまったく気を使わない人だもんね。だから何度も課長の資格試験にも落ちたんだよねえ。
あのですね、川田さんは宍戸専務の子飼いで彼が失敗すれば専務の失敗、成功すれば専務の成功です。わかりますか?」
佐田はわからなかったが、人事課長が言うならそうなのだろう。
人事課長
「それでですよ、川田さんに大蛇建て直しができないからって、佐田さんが送り込まれて成功したら、宍戸専務の顔は丸つぶれでしょう。そして大蛇の池村社長の成果は山本取締役の成果となるわけです。その結果、佐田さんは、宍戸専務からは好ましからぬ人物と認定されて、出向していても工場に戻ってきてもつらい処遇になることがミエミエですよ。まあ、宍戸専務よりも山本取締役の方が年下ですから専務が引退するまでの辛抱と言えばそうですが、それまで何年もかかりますよ」
佐田
「いやはや、当社はまさに江戸時代のしがらみの世界ですね。人事課長がおっしゃるのは、私が大蛇に出向すると非常に立場が悪くなるということですね」
人事課長
「そういうことです」
佐田
「教えてほしいのですが、まず私は大蛇に出向したいと言ったことはなく、また現時点大蛇から私に出向要請の話はありません。この場合、どうすればいいんですか? 誘いがあったら断ればいいのでしょうか?」
人事課長
「そうすると山本取締役からにらまれることになりますし・・・」
佐田
「わかりました。簡単な解決策があります」
人事課長
「ほう! いい方法がありますか?」
佐田
「大蛇の社長からではなく、川田さんから私に出向してほしいと言ってくればいいことじゃないですか」
人事課長
「そうですよね、でも向こうの社長と川田さんの関係はあまり良好ではないようです」
佐田
「困りましたね。それじゃ救いがないじゃないですか。仮定の話を悩んでも仕方ありません、その時になって考えましょう。
ところで私個人の損得を考えたとき、大蛇に出向するのと、このまま品質保証課にいるのと、どっちがいいものでしょうか?」
人事課長は少し考えてから
人事課長
「佐田さんが課長になりたいなら、現在の部署では難しいでしょうね。野矢課長は年齢からいってまだ当分現職に留まるでしょう。そうなるとポストが空くのは相当先になります。といって佐田さんが製造に戻って課長になることは、いきさつから考えてありません。
次に、もし出向を命令されてそれに応じない場合、それが宍戸専務からの指示であろうと、山本取締役からの指示であろうと、命令に従わないと先は見えてしまいます。
仮に理想がかなって向こうの社長と川田さんで折り合いがついて大蛇に出向したとして、どうなるかと言えば・・・どんどん伸びる会社であれば、向こうで役職についてゆくゆくは転籍、やがては役員という可能性もありかもしれません。あるいは向こうで成果を出せば、戻ってきてもそれなりの処遇を受けるでしょう。
しかし、私もあそこにいたことがあるからわかるのですが、はっきり言ってあそこは伸びる見込みは薄いです。まさか倒産ということはないでしょうけど、会社をたたんで清算することになれば、出向者は全員、詰め腹を切らされるといいますか責任を取らされて他の子会社にというのが普通のパターンですね。もちろん行き先はさえない会社に決まっていますよ」

出向を指示された場合出向を指示されない場合
出向命令出向命令出向命令他部門に異動品質保証に残る
矢印矢印矢印矢印矢印
出向しない出向して成功出向して失敗ありえない当分昇進の可能性なし
矢印矢印矢印 矢印
冷や飯見込みうすいどこかに飛ばされる 部屋住み
これじゃ上がりのないすごろくだ

佐田は笑い出した。人事課長は一瞬驚いたようだが、やがて一緒になって笑った。
佐田
「いやはや、八方ふさがりでどうしようもないじゃないですか。じゃあ、人事課長さんが聞いた話が嘘だということを祈りましょう」

うそ800 本日の解説
世の中の会社なんて、だいたいこんな風な仕組みで動いています。
奥さん、子供さん、お父さんを大事にしよう!




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