マネジメントシステム物語20 トレーサビリティ

13.12.18
マネジメントシステム物語とは

佐田と武田が出向してくる前は、川田は始業時間の15分ほど前に出社していた。川田は一人暮らしなので、朝はけっこう忙しい。朝食も食べなくちゃならない。ところがここは都会と違い、朝食べるところがない。松屋もなければデニーズもなくマックもない。 川田取締役 だから前日の夜コンビニで買ってきたサンドイッチとか買い置きしている冷凍食品を温めて食べる。使った食器を後で洗うのは嫌だからすぐに洗う。洗濯は毎日ではないが休日だけでは間に合わないので、週の真ん中に1回は洗濯し出勤前に干さなければならない。だから自転車に乗れば数分で会社に着くとはいっても、始業時少し前に来るのがやっとである。星山専務は1時間以上前から出社しているようだが、出社時間を競うこともあるまいと気にしなかった。
しかし新参者二人は、会社が命とばかり早く出てくるし、遅くまで仕事しているので、出向者の責任者として自然と二人と同じくらい、つまり始業時より1時間位早く出社するようになってしまった。でもはじめはつらかったものの、慣れれば通勤途上は人通りも少なく気分もいい。早く会社に来た分、書類を見たり、昨日の問題を振り返ったり、今日やるべきことなどを考えたりすることはけっこうためになる。
素戔嗚すさのおにいたときは、これほど熱心に仕事をしていなかったことを反省する。当時は部下がしっかり固めていたので、持ってくる書類にハンコを押すか押さないかしか考えていなかった。今はなにごとをするにも、それをスケジュール、詳細手順、時系列的な目標までにブレークダウンして、部下に指示しないとものごとは進まない。そして自分の指示が不適切であれば必ず失敗し、その責任は自分が負うのも当然だ。管理職とはハンコを押すことではなく、企画し教育し実施させることが本当の仕事だなと、最近川田はつくづく思う。少しは進歩したのかと自嘲的に思う。
そして自分に比べると、星山専務はやはり専務と名乗っているだけのことはあると感じる。そりゃ有名大学を出ていないとか、大企業ではないといっても専務という仕事をまっとうしているのは事実だ。自分と何が違うのかと考えると、いろいろ思い当たることがある。まず自分のタスクを認識して、それを達成しようと頑張ることが違う。ここ数か月クシナダの仕事を取ろうと、星山が必死に頑張ってきたのを川田は知っている。自分が星山の立場だったらどうだろうと思うと、あれほど頑張ったかどうか自信はない。また人を好き嫌いではなく、能力があるか役に立つかということを良く見ている。佐田はこちらにきても口が悪いし、上司にヘイコラしないが星山はそういう佐田を嫌っていない。そして判断や評価に感情を持ち込まない。そういうことを見習わなければと思う。

隣の部屋で、星山と佐田たちが雑談をしている声が聞こえる。昨夜はクシナダの品質監査の打ち上げということで、関係者で飲んだ。当然、川田にも声がかかったのでちょっと顔を出したものの、安斉のことがあり一緒に騒ぐ気にはなれなかった。
クシナダの監査結果は合格ではあったものの、今の川田の心中は穏やかではなかった。まず安斉の敵前逃亡がある。家庭の事情と聞いたが、いったい何があったのだろう。どうせまた奥さんが経営しているというレストランでお客さんとのトラブルでもあり、呼び出されたのだろう。安斉を懲戒しないわけにはいかない。しかし懲戒といっても・・川田はどうしたらよいのか途方に暮れる。こんな行動をする人間を放置することは、管理側の信頼が失われてしまう。だが現実には、懲戒解雇どころか課長解任も難しいだろう。
そんなことを考えていると役員室に入ってきたのは当の安斉課長だった。無意識に時計を見ると、まだ始業時より40分も前だ。安斉はいつも始業時間スレスレ、場合によってはチャイムが鳴り終わってから来ることもある。こんなに早く出社したのは、出向して初めてのことじゃないだろうか。
川田取締役
「おお、安斉君、おはよう」
安斉は川田の席の前に来て、頭をさげた。
安斉は青い顔をしている。
安斉課長
「昨日は突然帰ってしまいまして誠に申し訳ありません」
そのとき星山専務が部屋に入ってきた。
星山専務
「安斉課長がここに入ってくるのを見かけたんでね」
安斉課長
「星山専務にも今までお世話になりました。いろいろ考えましたが、家内が事業をしていては、私も会社勤めと両立することはできないと分りました。ついては退職いたしたく、ご報告とお願いに上がった次第です」
川田は安斉の言葉を聞いて驚いたものの、厄介事が片付いたという気もした。昨日のことで安斉に何もしないわけにもいかないだろうし、あまり厳しい懲戒も難しいと思っていたから、自発的に辞めてくれるなら渡りに船だ。今となって川田は安斉に何も期待していなかった。
星山専務
「ここじゃなんだから、あっちに行こうか、私も話を聞く権利はあるだろう」
三人は隣の会議室に入りドアを閉めて入り口近くの椅子に座る。
星山専務
「安斉課長、会社辞めてレストラン専業で食っていけるのか? まずこれからの生活設計が成り立つ見込みがなくちゃ思い切ったことしちゃいけないよ」
川田は星山がそういうのを意外な思いで聞いていた。
安斉課長
「実はレストランは店じまいすることにしました。昨日のことだけではありませんが、退職させていただきます。今までお世話になりましてありがとうございました」
安斉は再び頭を下げて「辞表」と書いた封筒を星山に差し出した。
星山と川田は同時にため息をついた。
星山専務
「会社も辞める、店も閉めるでは、これからどうするの?」
安斉課長
「もうみんな正直に話しますが、レストランはずっと赤字でして私の給料をつぎ込んでいました。働いている人も先の見通しがないと考えていて、ウェイトレスは一人辞め二人辞めして、家内が料理を出していました。昨日はシェフが辞めると言ってきまして、とうとう家内も店をたたむ気になりました。
私は会社の仕事に身を入れて働いておらず、まことに申し訳ありませんでした」
星山専務
「これからの暮らしはどうするの?」
安斉課長
「私はまもなく50歳になりますので、定年退職扱いになり退職金が満額いただけます。それで早期退職して、退職金で借金を清算しようと思います。
店を初めて2年少々になりますが、借金がかさんで私の賃金で月々払っていくのは難しそうです。住宅ローンと違い金利が高いですから。自宅に抵当権を設定していたりいろいろありまして、それでとにかく清算してしまおうと、
家内と話し合ったのですが、しばらくはなにもせずにこれからのことを考えようと思います」
星山専務
「借金を返してたとしても年金をもらうまで10数年あるだろう。うーん、まあ子供じゃないんだから、君がそう決めたなら私が口をだすこともないか。
出向者の退職などの扱いはこちらではなく出向元の扱いになる。とりあえず辞表は私が預かっておく。数日経てば気持ちも落ち着くだろうから、もう一度会って話をしたい。今日はもう帰りなさい」
安斉は頭を下げて出ていった。
星山と川田はフーとため息をついた。
星山専務
「まあ、いつかこんなふうになりそうな予感はしていたんだがね。二足のわらじは難しいよ」
川田取締役
「星山専務、辞表を預かるってどうするのですか。退職させるしかないでしょう」
星山専務
「彼本人も私たちも数日すれば、頭が冷えて新しい考えも湧いてくるかもしれん。この話はここだけにして他には話をしないでくれ、誰にもね」
川田取締役
「わかりました」
星山専務
「とりあえず製造課の管理者をなんとかしなくちゃならんな。わしとしては武田を課長代行にしたいが何かあるか?」
川田取締役
「若すぎませんか。安斉は今年50と言いましたね。武田は35か36でしょう」
星山専務
「実力のあるものを取り立てなければ、こんな小さな会社はつぶれちゃうよ。素戔嗚すさのお電子工業とは違うからね。社長がお見えになったらその話をしよう。社長の了解を得たら、武田に采配を振ってもらう。
それとどうだろう、佐田は鈴田と同期といったね。佐田にも肩書を付けてやらんといかんと思うのだよ」
川田取締役
「異存ありません。しかし佐田はそんなことを欲する男ではないように思います」
星山専務
「そうだなあ、課長なんて肩書をもらっても本人はうれしくもないだろう。それに私は奴には部長の肩書きでないと釣り合わないような気がする。まあそれはまた別の機会に考えるとしよう」

川田は星山専務がいなくなると、福島工場の人事課長に電話した。
川田取締役
「安斉君のことですが、本日、彼は退職したいと辞表を提出しました」
人事課長
「ほう・・何かあったんでしょうか?」
川田取締役
「いろいろありましたが、直接的には奥さんが経営しているレストランがうまくいかないので、退職金で清算するつもりと言ってました」
人事課長
「ああそうですか、こちらにいたときから無理気味でしたからね。やはりというかとうとうという感じですねえ〜。それで辞表は受け取ったのですか? 出向者の退職は派遣元が取り扱うのですよ」
川田取締役
「存じています。こちらの星山専務が少し時間をおいてもう一度、安斉君と話をしてみるとのことです」
人事課長
「ああ星山さんか、存じております。あの人ならいろいろ考えがあるだろう。分りました。星山さんからお話があるまで待つことにしましょう。わざわざご連絡、ありがとうございました」
川田は電話を切りながら、星山専務とはそれほど信頼されているのかと思った。

昼前に、社内の掲示板に人事異動通知が掲示された。
そこには『製造課長長期欠勤のため、武田を課長代行に任ずる』と書いてあった。
それを見た作業者の多くは、その方が良いというようなことを噂していた。実を言って既に2か月くらい前から武田が製造課内を指揮しており実質的な課長だったので、実際にはなにも変化はなさそうだった。


翌日のこと、星山専務が鈴田課長と白兎電気からの注文をどうさばくかという打ち合わせをしていると、営業課長が飛び込んできた。
営業課長
「専務、大変です。黄泉の国よみのくに産業から先日納めた部品のメッキが不具合だと言ってきました。使い物にならないからすぐ来いということです」
星山専務
「なんだと、まず安斉課長と検査係長を呼べ」
鈴田課長
「専務、安斉課長は・・・」
星山専務
「そうか、武田君と検査係長を呼んでくれ、それから佐田さんにも来てもらおう」
10分後関係者が集まった。
営業課長
「1週間前に納品した部品1万個全部が、図面指定の高耐食メッキじゃなくて汎用基準のメッキだというのです」
星山専務
「それは間違いないのか?」
営業課長
「先方の話では削って顕微鏡をみると処理層が分るとか言ってます」
武田
「あれはこちらでメッキを外注しているのではなくメッキ鋼板を使っています。事実とすると、購入時の現品違い、あるいは当社で材料の取り違いしかありませんね」
鈴田課長
「今回のクシナダ対応で、記録の作成や保管は徹底してきたんだ。
まず当社で購入したときの材料証明は保管している。それから払い出しの伝票などから社内で間違えないことは証明できそうだ。
今はロット対応でしか生産していないから、前回の残りが混じるということはない。そういえば今回生産したものが何十個か残っている。あれを見れば材料違いかどうかわかるはずだ」
星山専務
「そうかそうか、倉庫に残っているか、それは今回出荷した材料と同じということは証明できるのか?」
鈴田課長
「そりゃ完璧に証明するのは難しいですが、伝票上同じロットであることは言えますね」
星山専務
「高耐食と汎用は見て色が違ったな?」
武田
「見れば違いはありますが、それだけじゃ弱いですね。在庫を向こうに持って行って調べてもらったらいいじゃないですか」
星山専務
「そうか、良いも悪いも行ってみなくちゃわからんな」
営業課長
「それじゃ、当社の製品が材料受入から出荷まで一貫している証拠と、今回の残品をもって説明に行ってくださいよ。へたしたら損害賠償など大変なことになります」
佐田
「黄泉の国って、どこにあるのですか?」
営業課長
「大宮だよ。新幹線を使えば1時間、在来線を乗り継げば2時間、車で行けば2時間少々というところかな」
佐田
「今、何時でしょう? 11時前か、今の時刻なら新幹線でも在来線でも同じですね。星山専務、私が説明に行きましょう。
鈴田課長、材料証明と社内の伝票、材料払出から出荷までつながる帳票一式と、今回ロットの部品数個用意してくれますか。それから当社の規定を持っていきましょう。あとはなんだろう?」
鈴田は準備するために席を立った。
武田
「私も同行しましょうか?」
佐田
「武田君は現場の管理者なんだから、自分の持ち場を離れちゃいけないよ。それに私一人で処理できないこともないだろう」
営業課長
「ええと、これが先方の担当者の名刺で、これが地図です。大宮駅から行くバスの乗り継ぎが難しいから、駅でタクシーに乗って会社名を言ってください。タクシー代は2000円はしないでしょう」
ほどなく鈴田が一式を小さな段ボール箱に入れて現れた。
佐田
「専務、じゃあ今から行ってきます。夕方までに戻れるかなあ」
佐田は気負いがない。
営業課長が車でJRの駅まで送ってくれた。


黄泉の国よみのくに産業は埼玉や群馬にある車メーカーや電子機器メーカーに機構部品を納入している。大蛇機工はそのプレス部品を作っているのだ。
佐田は担当者に来社を告げる。すぐに資材部門の会議室に呼ばれた。相手は資材課長資材課長、検査の担当者検査担当者の二人である。
名刺交換すると第一声は
資材課長
「オロチさんは、困ったことをしてくれましたね。それに佐田さんは担当者ですか。お宅はこんな問題を起こして役職者もよこさないんだ」
佐田
「このたびは大変申し訳ありません。問題の対応につきましては私が全権を委任されておりますので、よろしくお願いします」
検査係
「まず問題は大蛇さんの納入した部品が仕様と違うことなんです。これがそのものです。
代品の納入はいつになりますか?」
佐田
「仕様違いということ、大変ご迷惑をおかけしました。なるほど、これはメッキが薄いですね。弊社に残っていた部品はこれですが、見たところ表面が全然違いますね」
検査担当が手に取る。
検査係
「これなら問題ないですよ。先週入ったロットはこちら。これはメッキ厚が薄いのです」
佐田
「私どもで使用した鋼板はワンロットでして、また前のロットの残も皆無に近かったですから、この現物と御社に先週納入したものは同一のはずなのです」
資材課長
「それは証明できるのですか?」
佐田
「ご説明させていただきます。御社の指定される材料は弊社で他のお客様に物に使用しておりませんので、御社のご注文に合わせてメーカーさんから購入しています。メーカーさんからはロットごとに材料証明が付いてきまして、これが今回のロットのものです」
検査担当者は佐田が差し出したラベルをとる。
日付をみるとひと月くらい前の日付だ。
佐田
「その材料が御社の製品に使われたというつながりを示すものとしまして、弊社内部の払い出し伝票がこれでして、まあブランク加工をしてしまえば他の部品になることはありません。伝票上の流れはこの通り最終的に倉入れになるまでつながっております」
資材課長
「形はそろっているようですな。実際にそうかどうかはわかりませんが」
佐田
「おっしゃるとおりです。しかし御社の部品を製作した時期に、他社さんの部品で類似鋼板を使用したものはありません。日程計画とその部品仕様を見ていただければわかると思います。もし材料を取り違えたとしますとメッキ仕様が異なるのではなく生板になってしまいます」
検査係
「今回受入検査でメッキ仕様違いが見つかってから、お宅のロットからあちこち抜き取ってみたけど、すべて同じだった。ロットの中でメッキのバラツキはないようだった」
佐田
「もう一つの証拠ですが、弊社の金型には当社の記号として部品のすみっこに『O』という文字を小さく刻印しています。こちらのものにはその刻印がありません」
検査係
「おお、これはお宅の記号なのか。確かにメッキが薄いのには刻印がない」
佐田
「弊社の納入荷姿は40個入りの青いプラダンなのですが、それは間違いないですね」
検査係
「ちょっと待てよ、大蛇さんは従来から段ボール箱で納入ですよね?」
佐田
「いや4ヶ月ほど前から段ボール箱は廃止しまして、すべてプラダンの通い箱に切り替えております」
検査係
「ややや、それじゃこちらの間違いだろうか?」
資材課長
「どうした?」
検査係
「私が検査するとき、段ボールから抜き取ったのを記憶してます。確かに同じ部品でプラダンに入っていたのもあったが、そちらが根の国ねのくにプレスのものとばかり思っていたが・・」
資材課長
「確か今回生産分は根の国プレスと大蛇機工から入っていたはずだが」
資材課長は電話を取る。
資材課長
「ああー、俺だけどさ。今回の大蛇からのメッキ違いの件、あの部品は二社から入っているんだけど、どれがどちらから入ったか分るのか?
なんだと、数が違うって、良品が1万だから明日の昼には切れるって! 朝の話では良品が1万5千で明日の夕方まで持つって・・・大蛇からは1万個だったよな、え、不良は1万5千あるって?」
しばらく資材課長は黙って聞いていた。
資材課長
「ああ、わかった。じゃあ」
資材課長は腕組みをしてドサッとパイプ椅子に座り込んだ。
検査担当者と佐田が資材課長をじっと見つめている。
しばらくして
資材課長
「佐田さんでしたか、大変すまないことをしてしまったようだ。オロチさんと根の国を取り違えたのは間違いない。今までお宅が段ボール箱で納入だったので勘違いしたようだ。数量からも間違いない」
佐田
「間違いと分ったことは弊社としてはありがたいことです。しかし御社の生産は大丈夫なのでしょうか?」
検査係
「メッキをし直すという手もありますが」
資材課長
「そりゃ時間がかかりすぎるよ。不良の手直しにはともかく今の間には合わない。
今、根の国のほうに代品をいつ納入できるか調べさせているのだが・・納期が厳しいから」
電話が鳴った。
資材課長がとる。
資材課長
「代品はどうなった? えー、明後日の午前中だって、それじゃ手遅れだろう。うーん、」
佐田
「間に合いそうないのですか。お電話をお借りできますか」
佐田は星山専務に電話する。
佐田
「佐田です。幸いウチの問題ではないことは分っていただけました。しかし黄泉の国さんで生産がショートしてしまうのですよ。ウチで1万5千すぐ作れませんか? ウチに次回納入分の材料ありましたよね。 1万個分しかない?
課長さん、当社には材料が来月納期の1万個分しかないそうですが? それでもいいですか?
専務、1万でいいそうです。今から加工してどうなりますか? そりゃ一刻も早い方がいいです、明日午前中とかできませんか。お願いしますよ、
明日の昼頃出荷ですか、
課長さん、明日の昼なら間違いなく出荷できるそうです。運送に2時間くらいでしょう」
資材課長
「昼休みをみて1時間ラインストップか・・・しかたない、それだけでも助かる。あとは根の国のほうで頑張ってもらって、明後日の朝に5千入れてもらうしかない」
佐田が電話を切ったあとに、資材課長が電話をかける。
資材課長
「ああ、俺だ。根の国の部品の件、根の国は5千に数を変更だ。そして新規に1万を大蛇に発注してくれ。そうだ、大蛇は明日の午後には入れてくれるそうだ。根の国は明後日の朝は大丈夫だな?」


話が早くついたので佐田は5時前に会社に戻った。佐田が星山専務のところに行くと、専務はニヤニヤしている。
佐田
「専務、ただいま帰りました」
星山専務
「おお、お疲れ、ご苦労だった」
佐田
「何か良いことでもあったのですか、ニコニコされてますが」
星山専務
「明日の昼って言っただろう。あれは実はサバを読んでんだ。もう武田課長と伊東が段取りして加工に入っているよ。トラックも手配済みだ。今日残業をかけるから明日午前中早くにできあがり、昼休み中には到着するだろう。君が向こうを出た後、営業課長からそれを先方に伝えたらだいぶ感謝されたらしい」
佐田
「なるほど、でもよく押し込めましたね」
星山専務
「今週は例のクシナダの監査を考慮して、残業なしで計画していたからな」
佐田
「それはよかったです。黄泉の国にも恩を売れましたね」
星山専務
「しかし今までウチの品質が悪いってのは定評があったから、何か問題が起きるとウチだって思うのはしょうがないことかな。これからは品質が良いというイメージを作り上げないといけないな。
しかし部品の流れが説明できてよかった」
佐田
「専門語でトレーサビリティというのですが、材料入着から出荷までのつながりが分るようにしておくと、こんな時に非常に役に立つのです」
星山専務
「トレーサビリティ・・・・トレース アビリティ なるほど追跡ができることか。これもクシナダのために社内の製造記録を整備したおかげか」
佐田
「そうです。クシナダ対応にいろいろしたのは無駄ではなかったですね。
ところで専務、ちょっとご相談ですが、私が社外に行くときは肩書の付いた名刺を持っていきたいのです。私個人は気にしないのですが、先方が気にしますので」
星山専務
「わかった。考えておくわ」


数日後のこと、川田が休暇をとった翌日出社すると星山専務が声をかけてきた。
星山専務
「川田取締役、ちょっと話があるのですが」
川田取締役
「ハイ、なんでしょうか?」
星山専務
「昨日安斉君が来ましてね、あいにく川田取締役はお休みでしたので、私が会って話を聞きました」
川田取締役
「すみません、昨日は通院のためにお休みをいただきました。それで安斉君はどうでしたでしょうか」
星山専務
「いろいろ話をしましたが、彼の決心は固く、その旨を福島工場に伝えました。本人も福島工場へ状況説明をするとのことです」
川田取締役
「そうですか・・」
川田は安斉のことを思い返した。こちらで活躍とか成果と言えるものはひとつもなかった。社長をはじめ上からも従業員からも冷たい目で見られていたが、それも自業自得だと思う。いやそれを指導できなかった自分の責任だろうか・・
川田は星山が話を続けているのに気が付いた。
星山専務
「素戔嗚電子さんは辞表提出を受けて、弊社との安斉君の出向契約を解除した。一旦出向から戻って退職する形になり、その手続きは素戔嗚さんがすることになる」
なるほど、そういう手順になるのかと川田は思った。
星山専務
「実は私の知り合いの金型屋が金型設計者を探していたので、向こうの人事課長に安斉君と会ったときに、そこを紹介してくれと頼んでおいた。向こうから通勤できるところにある。まあどうなるかは安斉君次第だがね
それと、こうなったら武田君を正式に課長にしよう」
川田は頭を下げた。そんなに都合良く安斉にあった仕事が見つかるはずがない。星山専務があちこち安斉の仕事口を探してくれたのだろう。
そのあとに星山専務は安斉の代わりの出向者はいらないねと続けたが、それは川田にとってはきつい言葉だった。こんなことになったのも自分たちがロクな仕事をしなかったせいだ。もっと精鋭をそろえてくれば良かったなあ。初めから佐田と武田を連れて来ればよかったのだろうか。いや、自分自身が大蛇建て直しには不適だったのだろう。川田の気分は滅入る一方だった。

翌週、社内の掲示板に人事異動の通知が貼りだされた。

人事異動通知 1992年**月**日

氏名新職務前職務
安斉 太郎出向解除 素戔嗚電子に復職 製造部 製造課 課長
武田 正義製造部 製造課 課長
改革プロジェクト兼務
改革プロジェクト
佐田 一郎品質保証 担当部長
改革プロジェクト兼務
改革プロジェクト

社長


注:担当部長という意味はいろいろだ。そもそも課長とか部長という管理職名は、課とか部と名がつく部門の長という意味であり、課や部がなければ存在しない。しかし部がなくても部長として遇するとか、対外的に部長を名乗らせようということは多い。そんなとき単純に部長、課長という肩書を与えるのも支障があるので、多くの会社は専門部長とか担当部長という風にする。あるいは長をつけずに、参事とか参与という肩書を与える会社もある。会社によってさまざまで、一般化はできない。まあ、どうでもいいことか・・

うそ800 本日の言い訳
ストーリーが陳腐すぎるぞとか、お前はメッキ鋼板を知らないだろうとか、トレーサビリティは非常に難しいんだという声がありそうだ。
そうなんですけど、これは人生を考えるお話でもなく表面処理鋼板について語るのが目的でもなく、マネジメントシステム(ISOじゃありませんよ)の考え方を示す教訓劇なわけです。その旨、ご了解ください。
金型に『O』って刻印していたなら、初めからそれを言えばいいじゃないかって声もありそうですが、そりゃ力道山の空手チョップとかウルトラマンのスペシウム光線ようなもので、最後の最後でないといけません。




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