審査員物語3 本社に来ました

14.11.06
審査員物語とは

4月1日の朝、三木は本社の営業本部に出頭した。
ところで会社によって組織構造も部門名も機能も異なる。そして部門名がその体を表しているわけでもない。三木の勤めている会社は、電気製品を作っているが、製品カテゴリーごとにいくつかの事業本部があり、それら事業本部は、それぞれ複数の工場と研究所を持ち、開発・設計から製造して販売するまで一つの自己完結した集団である。社内分社化ってやつかな? 当然それぞれの事業本部の営業部隊はその製品を売ることに特化していて、ある事業本部の営業と別の事業本部の営業は縁がない。事業本部をまたいだ人事異動というのはなくはないが、めったにない。他方同じ事業本部内で、設計から営業へとか、研究所から工場へ、その逆などの異動のほうが普通にある。
三木
私が三木である
だが営業部門がバラバラだと困ることもある。例えば行政とか代理店に対応するためには、製品によって会社の窓口がたくさんあっても困る。また多種の製品を組み合わせて販売するような場合もある。また地域において会社を代表する機関(部門)もほしい。それで営業部隊の横通しをして、また共通の業務をまとめて支援する部門が営業本部である。営業本部という名前から、営業全般を仕切っていると思われることが多いが、実態はそうではない。営業本部の具体的な業務は、ひとつには営業マンの教育訓練の実施とそれに伴うマニュアル類の作成、もうひとつは営業部隊の住む支社や支店の大家さんとしての機能、そして行政や代理店との窓口業務である。だから営業本部長というのは、そういった営業活動支援組織のトップであって、実際の営業活動や売上とかクレーム対応とは無縁である。
ちなみに支社長は営業本部長の指揮下にあり、営業部隊が住む建物の管理、そしてそこで働く営業マンの活動支援や福利厚生を担当する部門の長であって、その支社におけるビジネスの指揮を執る人ではない。三木は関東支社の営業第一部の部長として組織上は関東支社長の下にいたが、実際の業務においては、自分が担当する製品の事業本部の指示によって活動していたのである。営業活動において判断に迷うときは支社長ではなく、本社の事業本部にお伺いを立てるのである。
だからもし三木が支社長に昇進したとすると、今までのビジネスから離れて、その地において会社を代表して地域社会との交渉とか広報、そして支社の大家さんとして庶務事項が仕事になる。はっきりいって支社長は営業の責任者ではなく、営業部門というスゴロクの上がりにすぎない。それを思うと、支社長に昇進したいどうかは、その人の好みもあるだろう。支社長にならず関連会社に出向して営業部門を担当して、生涯一捕手ならぬ、生涯営業マンを貫きたい人もいるし、それはおかしなことでもない。

ともかく三木は認証機関に出向するまで、営業本部所属となった。営業部門から社外に出向する場合、事業本部の仕事に関係する関連会社や業界団体であれば、その事業本部所属で出向するのが通例だが、今回はISO認証機関という営業と無縁の毛色の変わったところだから、一旦営業本部という総務的部門に所属するのだろうと三木は想像した。

営業本部長は執行役、つまり役員である。三木は挨拶に行ったが、役員が部長風情と細かい話をするわけはなく、「まあガンバレヤ」という言葉を頂いただけで三木は営業本部の業務部にやってきた。
ともかく今日から座るところはどこか、明日から何をするのか、誰が指導してくれるのか、そういう具体的なことを教えてもらわないとどうしようもない。
業務部長の所に顔を出すと、明らかに迷惑顔である。そして挨拶もそこそこに、総務課長がすべてを対応するからそちらと話してくれという。三木は好まれざる客扱いだなと感じた。
ともかく次は総務課長の席に行って挨拶する。
三木
「私は本日付で営業本部に異動してきた三木と申します。本部長や業務部長にご挨拶したところですが、詳細は総務課長と話してくれとのことです。私としてはまず座るところとか、明日からの研修などについて教えていただきたいのですが・・・」
津川課長
「ああ、三木部長さんでしたね。いや、本日は異動する人が多くドタバタしておりましてご迷惑をおかけしております。まあ、あちらでお話しましょう」
総務課長は部屋の片隅にあるテーブルといすが置いてあるところを示す。
給茶機で紙カップ2個にコーヒーを注いでテーブルにおいてから総務課長は三木の対面に座った。
津川課長
「実はですね、三木さんが出向することは決まったものの、その前に教育研修しないといけないということになりました。まあ、全く畑違いの仕事に行くわけですから、それは当然なのですが。
ところがいまだかって営業部門から環境のISO審査員に出向された方はいない。ですからどんな研修が必要なのか、どのくらい期間が必要なのか、まったく分からないのです。そんなことがありましてとりあえず営業出身の方ですから営業本部で預かってほしいということになりまして・・
私どもとしてはお席の確保はしましたが、これからどのようにしていくべきかまったくなにも考えていないということで」
三木は呆れた。二週間ほど前、家内のつてで会った六角氏から聞いたような体系的なカリキュラムによる教育研修は期待していなかったが、ある程度研修計画があって、その研修を受ければ出向できるレベルにはなれるものだと思っていたのだ。
津川課長
「ええと、三木さんの研修予算としては特別に予算を設定しておりまして、金額は年間80万ほどとっております。どういったことをされるかは三木さんが調査して計画していただきたいと考えておりまして」
三木
「自習しろということですか?」
津川課長
「いや、そのう、我々としてはまだ細かいことを決めていないという状況でして・・・・」
三木
「いやあ、課長さん、いろいろあるのかもしれませんが、ちょっと冷たいんじゃないですか。お話を聞くと、早期退職の場合に、職探しする1年間は賃金保証する制度のように思えますね」
津川はギクッとしたような顔をする。
津川課長
「いえ、そういう意図はありません。ただ出向前に教育しなければならないということは認識しているのですが、どういったことをすれば良いのかわからない。そこんところはビジネス経験豊かな三木さんのことですからご自身で考えて対応していただけるのではないかと考えたということです」
三木はどうしたものかと首をひねった。今ここで課長を追い詰めても良い結果はなさそうだ。すこし考えて口を開いた。
三木
「課長さん、まあ先は長いでしょうから今後考えるとして、とりあえず私の席と勤怠などの庶務事項はどうするのかといったことを教えてくれませんか」
津川課長
「ハイハイ、わかりました。」
津川は三木を総務課のオフィスの一番隅に連れて行く。他の机から離れた非常口のそばに、一つだけ所在している机がそれだという。
段ボールに入ったままのパソコンが机の下にある。そして三木が支社から送った私物が入った段ボール箱が机の上に置いてあった。
津川課長
「すみません、明日でも情報システムの者がパソコンを使えるようにします。勤怠はあのポニーテイルの子、美奈ちゃんといいます。あの子に言ってください。文房具が欲しいときや出張、まあ出張というのはあまりないかもしれませんが、研修会などに行くときの費用などは美奈ちゃんに相談してください。
三木さんは部長級ですから基本的に入退場の時間は自由ですが、万一のことに備えて一応出勤、退勤の予定をあの掲示板に書いてください。外出のときもですね」
三木
「わかりました。今日は第一日目なのでちょっと考えさせてもらいます。また相談させて頂くかもしれません」
津川課長
「そうでしょう、そうでしょう。できることは最大限お手伝いしたいと思います」
津川はサッサと自分の席に戻ってしまった。
三木はまず自分の席に座り、関東支社から送っておいた私物が入った段ボールを広げて、机に入れ始めた。しばらくすると突然脇から声がかかった。
美奈子
「三木部長、よろしいですか?」
三木が驚いて顔をあげた。ポニーテイルの子がいた。といっても若くはない。30半ばだろう。
三木
「ああ、美奈子さんですね。苗字はまだ聞いてませんでした。本日からお世話になる三木良介と申します。よろしくお願いします」
美奈子
「岸本美奈子です。こちらこそよろしくお願いします。ええと、お名刺を作っておきました」
三木
「名刺ですか? よその人と会うことなんてあるんだろうか?」
美奈子
「研修とか行けば必要になりますよ」
三木は名刺の箱を受け取り中を見た。
三木
「オイオイ、肩書までついているぞ。アハハハハ、業務部長付か」
美奈子
「まあ三木さんはラインじゃありませんし、なにもないと寂しいでしょうから私が適当に付けました。毒にも薬にもならないでしょうけど」
三木
「いやあ、お気づかいありがとうございます。美奈子さんとは仲よくやっていけそうだ」
美奈子
「アハハハハ、私もですよ
ロッカーとか入退場についてご説明しますね」
それから三木は岸本に連れられてあちこち歩き、朝会社に来てからお昼を食べて帰るまでの一通りを教えてもらった。三木は煙草を吸わないが、このビルは禁煙であるだけでなく、喫煙室もないのに驚いた。スモーカーはどうするのだろう。
入退場の際の身分証明書の使い方の説明に受付に行って、ふたりは受付の隣にあるロビーに座った。ウエートレスがやってくる。
コーヒー
美奈子
「ホットコーヒーでよろしいですか? それじゃホット2つお願いします」
三木
「ここでコーヒーを飲んでも良いのですか?」
美奈子
「本当は来客と一緒でないと、つまり中の人だけでは飲んじゃいけないことになっているの。でも三木さんは今日初めてここに来た人ですからいいんじゃないですか」
美奈ちゃんは、かなり融通無碍な考えのようだ。
三木
「ちょっと話を聞いてくれませんかね?」
美奈子
「不倫のお誘いですか? アハハハハ」
三木もつられて笑った。
三木
「いや、そんな楽しいことじゃありません。私のことはお聞き及びと思いますが・・・」
美奈子
「おっしゃりたいことは想像つきます・・・異動が発表になってから噂になってましたから」
三木
「そうですか。噂になっていましたか。いやあ、まったくお門違いのところに行くわけですからね。それで私の話ですが、出向するまで営業本部で研修を受けるという話だったのです。しかし津川課長の話では研修計画は特になく自分で計画してやってくれという」
美奈子
「私がお話をする前に、ご理解いただきたいのですが、私は部長や課長の回し者ではありません。つまり部長や課長から頼まれて話すわけではないということです。これから話すことは、私自身の考えです」
三木
「なにか難しい問題でもあるのですか?」
美奈子
「三木さんは営業本部に異動になりましたが、元々営業本部は三木さんを預かるつもりはなかったんです。出向するときはそれぞれの事業本部からというのが普通です。いろいろあってやむなく営業本部が引き取ったという話です」
三木
「はあ? 私がそんな危険人物とも思えませんが」
美奈子
「私も噂しか聞いてませんが、別に三木さんが問題ということではありません。現在は部長級の行先がとても不足しているらしいのです。それで人事は従来は課長級の出向先だったISO審査員の口を、部長級の出向先にしようと考えたんですね。ところが具体的になるにつれてやはり専門性が必要ということに気がついて、はっきり言いますが三木さんの経歴では出向してもうまくいかないんじゃないかと懸念したのですよ。ところがそのときはもう辞令発令が押し詰まっていて、どうしようもない。すぐに出向していただくのではなく社内で教育が必要だということになりました。ところが人事も事業本部もそんな能力はなく、環境管理部も関わり合いになりたくなく、残った営業本部がババを引いたということです。
一旦営業本部が引き取れば三木さんは営業本部から出向という形になりますから、事業本部も人事部も縁が切れますよね。もし三木さんが出向先から戻って来ても、それ以降三木さんの面倒見るのは人事でもなく、事業本部でもなく、営業本部ということになります」
三木はなるほどと思う。支社長の話でも過去にISO審査員に何人も出ていたが、みな品質保証課長とか環境課長の経験者だったと言っていた。そして部長級が行くのは初めてといっていたことを思いだした。つまりなんだ、なんとか三木の行先を見繕ったものの、経歴から見て俺は審査員に出向しても、うまくいかないだろうと思われたというわけだ。イヤハヤどうしたものだろう。
美奈子
「お気を悪くされました?」
三木
「いやいや、はっきりと教えていただいたので聞き歩く手間が省けました。うーん、となるとISO審査員ではない出向先を自分で探すことでも考えるとするか」
美奈子
「三木さん、先は長いですから少しのんびりと構えた方がよろしいんじゃありません。業務部長も三木さんが1年くらいここにいると考えているようですし、そのうちうまい話が転がり込んでくるかもしれません。三木さんだって暇を見て心当たりに聞いてみるということもできるでしょう」
三木
「岸本さん、ありがとう。そうだね、来たばかりであわててもしょうがない」
美奈子
「美奈子って読んでください。営業本部で私の名字を知っている人なんてまずいませんよ、アハハハハ」
三木は岸本に救われた感じがした。まあ、先は長い。このままコケにされてたまるか!



翌日、三木は東海道のチョー混雑になんとか耐えて会社にたどり着いた。昨日もつらかったけど今日もつらい。こんな混雑に慣れることができるのだろうか。三木は3年前まで神奈川支社で仕事をしていたので、東京横浜間の通勤地獄はそれほど経験していない。
始業後すぐに情報システムの女性が現れて、三木と雑談しながらパソコンをセットアップしてくれた。三木がパソコンを動かして大丈夫と応えると去っていった。

さてと、三木はメールソフトを立ち上げた。メールアドレスは支社にいたときと同じなので、転勤通知を送った相手からの返信が多数来ていた。みんな俺のことをどう思っているのだろうかと三木は自虐的な考えが浮かんだ。支社長になれなかったのは特段成績が悪かったとは思わないだろうが、ISO審査員に出向というのは珍しいから、なにかチョンボしたか、上ににらまれたのかと思っているのだろうか?
数十件のメールを見て返信を返すと、とりあえずすることがない。三木は「ISO検討 VOL.1」と書かれたノートを取り出す。
三木はまずノートの要検討事項を一瞥して、何からしようかと考える。とりあえず一番簡単なインターネットでISOに関するウェブサイトをみることにした。
「ISO14001」とか「認証」というキーワードで検索すると、認証機関や、コンサルタントのウェブサイトが多いが、審査員や企業の担当者が個人で開設したウェブサイトもかなり見つかった。
認証機関やコンサルタントは、ISO認証がいかに素晴らしいかということと、自分の会社が他に比べてお客となるであろう会社により多くの貢献をすると宣伝している。だがその効果とはどんなものか、いかなる方法によって効果が出るのかは少しも書かれていない。普通の商品なら仕様とか定格とかを明記するものだが、ISOというものはイメージだけで商売するもののようだ。
他方、個人が開設しているウェブサイトでは、ISOや審査の疑問、問題点、いろいろな悩み事、その対策などがいろいろあって見ていて面白い。だが三木が経験を積まないとそれらの内容を正しく理解できないようだ。
「いそいそフォーラム」というのを見つけた。企業でISOに関わっている人たちのメーリングリストのようだ。過去のやり取りを読むと、ISOが仕事というよりも趣味と考えているようだ。仕事を楽しむのは三木も嫌いではないが、少し度が過ぎているように感じた。例えば勤めている会社を「わが村」と呼ぶとかその他に隠語もどきがたくさんあって違和感を持った。まあ、とりあえずはパスしようと思う。
三木はお昼までインターネットを見ていた。昼になったので始めて本社の昼飯を食べる。本社だからと言って特別なものではなかった。



午後になって、三木は人事を訪れた。今後の扱いについて確認しておかなければならないし、ともかく挨拶をしておいた方が良いだろう。
支社にいれば部長の序列は支社長から数えて五指に入るわけだが、本社では偉い人が多くて知らない部門に顔を出すのが心細い。もっとも人事部長というのは役員である。だから人事部の部屋にはいない。
幸田課長
人事課長の幸田である
考えてみれば、会社では物を作り物を売る人が一番偉いのであって、人事でも経理でもそのおかげで食べているわけだ。でもまあそんなことを言える雰囲気ではない。
三木は本社人事課という看板の出ているところに行く。一番手前の机に座っている男子社員に声をかけた。
三木
「本社に異動してきた三木と申しますが、出向などの担当の方をお願いしたい」
担当者は立ち上がりその並びに端の人となにやら話している。その人が立ち上がって三木のところに来た。
幸田課長
「本社人事課の課長をしております幸田と申します。三木さんのことは存じ上げております。ご相談とのことですね。あちらでお話を承りましょう」
幸田は小さな会議室に案内する。
三木
「幸田さん、私はISO認証機関に出向を命じられた、本日営業本部に来ましたら営業本部としては研修を考えていないようなお話でした。人事が担当するとも聞いていませんが、まず私の研修の責任はどの部門にあるのか、計画がどうなっているのか確認したいのですが」
幸田は困ったなあという顔をして話し始めた。
幸田課長
「三木さんは部長だったので隠し事なく状況を説明いたしましょう。三木さんの出向先は当社が株主になっているナガスネ環境認証機構を想定しています。先方と三木さんの出向について話をした結果ですが・・」
三木
「ほう、それで・・・・」
幸田課長
「ナガスネには当社は10%出資しておりまして、ですから当社からナガスネに1割、だいたい15名くらいになりますね、の出向者を出しても良いわけですが、なかなかウチにも人材がなく今まで10名も出していません。
それと話は変わりますが三木さんもご存じと思いますが、バブル崩壊後失われた10年と言われていますが、どうも10年どころか20年になりそうな気配ですが、それはともかく、当社グループにおいても全体的な売り上げの伸び悩みで、従来のように部長級は50代前半で引退して関連会社に出向するということが困難になって来ているのです。もう関連会社に押し込むのは難しいんですわ」
三木
「なるほど・・」
幸田課長
「三木部長、お分かり頂けるでしょう・・・それで従来は課長級の出向先と見ていたISO審査員に部長級の出向先にあてることにしたのです。それにあたってはナガスネと話し合いをしましたが、先方としても誰でもいいってわけにはいきません。それで環境管理未経験者の場合は出向受け入れの条件として『審査員補に登録していること』と『公害防止管理者水質1種』と『公害防止管理者大気1種』の資格取得をだしてきたのです。それがほんのひと月前のことでした。そのときには三木部長だけでなく異動などがほぼ決まっていまして、単に辞令を出して出向していただければおしまいというわけにいかなくなったわけです」
三木
「なるほど」
幸田課長
「ところが当社としては出向者、つまり三木部長ですが、その教育研修の担当をどうするかいまだに決まっていないという状況なのです」
三木
「いきさつはわかりました。あのう〜、それじゃですね」
幸田課長
「はい、なんでしょうか?」
三木
「そういうハードルが高くて簡単に出向できないなら、私をどこかの関連会社に出向させた方が手間はかからないのでは?」
幸田課長
「うーん、三木部長、そう簡単にはいきません。部長級を平社員で出向させるわけにもいきませんから、それなりの地位と仕事を用意しないと・・
三木部長が良くても、他とのバランスもあり、また次年度以降どうするのかという問題もあります」
三木
「なるほど、幸田課長のおっしゃることは第三者としてはよく分ります。しかし当事者としては途方に暮れてしまいますね。私の教育を環境管理部とかに依頼して行うことはできないのでしょうか?」
幸田課長
「そこんところがまた問題なんですよ」
三木
「問題とおっしゃいますと?」
幸田課長
「もう三木さんは幹部ですからなんでもぶっちゃけますけどね、どの部門でも定年直前の方の行先、出向先というものを確保したいわけです。それがその部門で働く人の生きがいと言っては変ですが、老後の保証もありますし、利権なんですよ。天下り先を多く持っている部門が力があるというのは、まあ真理なんですよねえ〜。そしてナガスネ認証は環境管理部と工場の環境課長からの出向先としてみなされていたのです。
それが環境管理部から人事部が取り上げられて部長級の出向先にされたということで、環境管理部はへそを曲げてしまったのですよ。三木さんの研修には環境管理部の協力は得られないのですわ。いやあ、八方ふさがりで」
三木
「なるほど、おっしゃることは分りました。でも、先ほどのお話では元々ナガスネに当社からもっと出向者を出せるというお話のようでしたが」
幸田課長
「まあそうですが、一度に何人も出すのは先方も困ります。従来通り年一人くらいの割で出していかないといろいろと、それに今年は三木部長でも来年は環境管理部が選定した人というのも、来年以降の部長級の出向先を考えると・・」
三木
「なるほど、いろいろと問題があるのですね。とはいえ来年以降も出向する部長の教育が問題になりそうですね」
幸田課長
「うーん、頭が痛いです」
三木
「幸田課長、アドバイスをいただけますかね?」
幸田課長
「はあ、なにか」
三木
「会社として私の処遇に困っているのは分りましたが、私個人としていくつか選択肢があると思う。
ひとつはこのまま出向のために自習をして、なんとか今おっしゃった資格をとるというもの。もっとも公害防止管理者の合格率は1割とか1割五分と聞いているから、二つとも今年中に合格するというのはかなり難しそうだ。
次は他の会社に転職先を探すもの。私も半生営業マンをしてきたから何とかなりそうな気もする。
あるいはナガスネに出向するとしても、審査員ではなく営業マンとしての出向はできないものだろうか?」
幸田課長
「三木さんにそのようなご心配をさせて申し訳ないですね。確かに先方のいう公害防止管理者二つ合格ってのは難しいかもしれません。でも私も現在ナガスネで審査員をしている人の保有資格を調べてみました。調べるのは簡単ですよ、当社と関連会社でナガスネの認証を受けているところに審査前に審査員の諾否確認が来ますが、そこに保有資格が書いてあります。20件ほどみましたが、まったく環境の資格のない人もいました。資格を持っていても作業主任者とか特管産廃なんて小物しかない人もいましたし、三木さんがひとつでも資格をとっていただければ押し込める・・・失礼・・・大丈夫と思いますよ
それからまったく別の業種に転職先を探すというのはやめた方がいいです。世の中は厳しいですから、今までの半分の給料がもらえればいい方です。ご存じのように出向した場合、従来の賃金と差額があれば当社が補てんします。ですからどこに出向しても部長級の賃金は保証されるわけです。他の会社に転職したらその保証はありません。
あとナガスネで営業をするということですが、私の方でもあたりましたが認証機関というのは基本的に営業マンも審査員なんです。純粋に営業しかしない人というのはいないようですね。ですから営業をするとしても審査員になる必要があります」
三木
「なるほどなあ〜、私ごときが考えつくようなことは、既に幸田さんの方では調査検討済みということですか」
幸田課長
「三木部長、まあ今日、本社に異動されたところですから、少し気を長く持ってくれませんか。当社が出資している認証機関はナガスネばかりではありません。他にも二社の株を保有しています。規模がナガスネに比べれば小さいですがね。それに私どもとしても三木部長を是が非でも審査員にしようというわけではありません。道はいろいろあると思いますのですこし時間を頂きたいと・・」
三木
「気を長く持てとおっしゃいましたが、私に与えられた時間というのはどれくらいをお考えなのでしょうか?」
幸田課長
「正直申しまして今年いっぱいは覚悟してほしいと思います。今年いっぱいにどうにもならなければ、関連会社になんとか椅子を確保しようと考えてます。そのときは部長級とかは約束できませんが、定年までの仕事保証という観点では何とかしたいと思っております」
三木
「分りました。とりあえず私が幸田課長のご期待に応えるには、公害防止管理者の大気と水質に合格すること、審査員研修を受けてこれにも合格することということですね」
幸田課長
「そうしていただければとりあえずの障害は乗り越えられると思います。それが簡単でないことは承知しております。
もちろんその先に審査員としてやっていけるかどうかということがまたあるわけですが」
三木
「とりあえずは私が独学するしかないというわけですね」
幸田課長
「もちろん環境管理部などと調整を進めたいと考えていますが、最悪そういうことです」
三木は立ち上がった。
三木
「幸田課長、どうもいろいろありがとう。私も幸田課長にすべてを任せて、おんぶに抱っこというつもりはありません。いろいろ当たってみます。それに8か月もいただいて受験勉強だけしろというなら、合格しなくちゃなりませんね。
また相談に来るかもしれませんが、そのときはまたお願いします」
幸田課長
「もちろんです」



業務部の自分の席に戻ってきて、三木はまたいろいろ考える。
とにかく勉強の計画を考えないとならない。自分だけで考えてもうまくいかないだろうし、そういうことは津川課長も幸田課長も頼りにならないようだ。
環境管理部に知り合いがいないかどうか当たってみよう。人事が環境管理部に話がしにくいいきさつがあっても、個人的になんとかなるかもしれない。それから六角氏が言っていた素戔嗚の鬼軍曹に一度会って相談したいとも思う。
本社に異動したから、今まで関係していた人に挨拶回りしなければならないと思うが、今後のことが決まらないと歩き回る気もしなかった。

うそ800 本日の自慢
本日はジャスト1万字、三作目にしてやっと目標を達成、今回は不適合じゃありません。


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