「佐田君、ちょっと話をしていいかな」
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佐田はキーボードから手を離した。話をしたいと言われたら断るべきではない。
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「もちろんです。あちらでコーヒーでも飲みながらお話を伺いましょう」
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佐田がコーヒーを持って打ち合わせ場に行こうとすると、六角は会議室の方がいいという。まだ始業前で空いている。 六角は座ると言いにくそうに話を始めた。 | ||||||||
「つまらないことだけどさ、昨日神奈川の販売会社に監査に行ったのはご存じのとおり。驚いたことに対応したのは私と入社が同期で、以前は一緒に仕事をしたこともある鈴木って奴だった。ここ数年は会っていなかった。聞くと半年ほど前にそこに出向して、今そこの取締役総務部長だって」
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佐田は黙っていた。この仕事をしているとそういうことは常にあることだ。
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「いや、正直言ってわしもしょげたというか辛いものがあったね・・・ こちらが監査に行ったといっても職階は向こうが上だ。アイツはハンコを押すだけでいいが、こちらは肉体労働者だからなあ」 | ||||||||
「六角さん、お気持ちはわかりますが、あまりそういうことを気にしないことですよ。いつまでも営業の第一線でバリバリ仕事をしてるわけにもいかないでしょう。今までの経験を活かして、後輩を教える役割と思えばよいのではないですか」
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「自分ひとりのときはそうも思えるけど、目の前にさ、昔の仲間がふんぞり返っているとそうもいかないよ」
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「向こうだって別に偉ぶっていたりしていたわけじゃないでしょう」
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「まっ客観的に見れば確かにそうだろうなあ〜、わしがそう感じただけだろう。心が貧しいのかな」
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「上を見ればきりがないですが、下を見ればこれまたきりがありません。私なんて出世とか肩書なんてものとは無縁でしたから、仕事があるだけで幸せです。やりがいのある仕事なんていいますが、本当は今している仕事にやりがいを見出すことでしょう」
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始業のチャイムが鳴り、六角は立ち上がった。
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「すまん、愚痴を聞いてもらって申し訳ない」
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●
早苗も一人で関連会社の監査に行くようになった。工場で環境課長をしていたから、製造業の環境影響や法規制も早苗は得意だろうと佐田は考えていた。● ● しかし早苗からでてきた監査報告書案は及第には程遠く、佐田はさてどうしようかと考え込んだ。 今まで参加した監査では、早苗は自分が担当したパートについてのみ報告を書いていた。今回も確かに法規制の遵守状況や管理状況は細かにみたようで、その結果も記載してある。判断結果は間違いないようだ。 だが監査報告としては、その会社が問題があるのか安心できるのか、今後どのように指導監督していくべきかという監査結果を書いてもらいたい。それが監査報告書の値打ちだ。法の遵守状況とかリスクというのはその結論を出すための情報にすぎない。まだそういうことの認識がないことは自分の指導が足りなかったかと、佐田も少し反省した。 早苗が席にいるので打ち合わせ場に呼んだ。 | ||||||||
「早苗さん、監査報告ですが」
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「おお、催促される前に出したよ。わしも佐田君に催促されることがなくなったと自負している」
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「それはすばらしいことです。それでですね」
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「それで?」
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「監査報告書とは誰のためのものですか?」
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「監査を受けた会社のためではない、監査の依頼者、つまり監査担当役員のための報告書である、と佐田君に教えられた」
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「そのとおりです。それでですね、早苗さんから頂いた報告書は遵法とか管理とかについて詳しく書かれています。それは重要なことです。しかしそれは監査担当役員が期待していることではないですよね」
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「うーん、というと?」
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「監査担当役員は、細かな法規制や事故の危険などを聞いてもわかりません。彼が知りたいのはこの会社は法を守っているのか、事故が起きる危険はどうなのか、もちろんそれは今現在についてだけでなく、将来に渡ってどうなのかということを知りたいのです」
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「わしの報告書では足りんかね?」
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「足りません。あのですね、お書きになった法の順守状況や管理状況はいらないというのではありませんよ。でもそれを書けば完了というのではないのです。そういった状況を見て、早苗さんがどのように評価したかということに値打ちがあるのです。 それと偉い人は結論を知りたいのです。いろいろな情報を把握して、それらは法に則っているとか、新人教育がなっていないなんてことを書いただけでは期待に応えません。それに報告書というものは書く順序も大事です」 | ||||||||
「ほう? どうすればいいのかな?」
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「まず結論がきます。この会社には手を打たなければならない、あるいは放っておいてもよいというのが結論でしょう。 そしてなぜそうしなければならないか、そうしないとどんな問題が起きるかというようなことを短くまとめます。それが報告書で最も大事なことです。普通、エライサンはそれしか読みません。時間がないエライサンが読むのに便利なように書くのが必要です。 その後に早苗さんが今回の報告書に書かれたような、法の順守状況とか管理状況、事故のリスクなどがあればよいのです」 | ||||||||
「わかった、といってもそれは難しそうだなあ。今こうだというのは事実として言えるけど、どうあるべきかというアイデアはなかなか出てこないし、考えても分らないかもしれない」
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「早苗さん、こう考えたらどうでしょうか。早苗さんは今まで工場の環境課長として乏しい予算、人材で、多様な業務、突発するトラブルなどを処理してきたわけです。 そういった早苗さんの経験や知識からその会社の環境管理をもっと向上させるにはこうすべきだというアドバイスをするのだと思えば、書くべきことはどんどんとわきでてくるのではないでしょうか?」 | ||||||||
「なるほど、そう言われると分かった気になるが・・・具体的に書くとなると・・」
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「もちろん裏付けのない思い付きでは困ります。でも法の遵守状況や管理状況などの証拠を見て、自分ならこうする、こうしなくちゃいけないと考えたことを書けばよいのです。もちろんそれはリソースが多ければ良いというわけではありませんよね。管理者が工夫したり考えたりすることもあるでしょう。仕組みを変えれば効率が上がったりするかもしれません」
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「そうか、大げさなことではなく、見て自分ならなにをするか考えたことを書けばよいのか。確かに今回行った工場でも今あるリソースの使い方を考えればもっといろいろできるだろうし、なによりも担当者間のコミュニケーションがなっていない。良い人間関係を作ればそういうことは自動的に進んでいくのかもしれないな。 わかった。再提出だね」 | ||||||||
●
佐田がパソコンを叩いていると電話が鳴った。外線の音だ。
● ● | ||||||||
「はい、 | ||||||||
「佐田さん、すみません。ちょっとトラブルが起きてしまいました」
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竹山の声だ。まず自分の名を名乗らないとは困った奴だと佐田は思う。 奴は今日、岡山にある子会社に監査に行ったはずだ。どうしたのだろう? 無意識に時計を見ると11時少し前だ。 | ||||||||
「どうしました?」
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「今新幹線の中ですが、トイレに行ってたら岡山を乗り過ごしてしまったのです。もうすぐ広島に着いちゃいます」
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「心配するなよ。まず相手に到着が遅れることを連絡する。上りに乗り換えて岡山に着く時間を調べて、少し余裕をみこんだ時間から監査を開始するよう頼んでください。予定では11時開始だったのかな? 詫びを入れて午後一スタートということにしたらどうだろう」
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「あのう、すみませんが佐田さんから先方に、事情があってボクが行けなくなったと話してくれませんか」
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佐田は呆れた。そのためにわざわざ電話してきたのか?
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「君は社会人だから自分の不始末は自分でつけなくてはならないよ。それに行けなくなったわけじゃないでしょう。まだリカバリーできますよ。時刻を変更して監査をしてきてください。深刻な問題じゃないから君が処理しなさい」
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佐田はそういって電話を切った。 佐田はそれを忘れて自分の仕事に没頭した。 どれくらい時間が経ったのか、30分か1時間か、また電話が鳴った。外線の音だ。 | ||||||||
「はい、素戔嗚電子環境管理部です」
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「岡山素戔嗚機器販売と申します。佐田さん、いらっしゃいますか?」
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「はい、私が佐田です」
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「当社は今日お宅の環境監査を受ける予定でした。監査予定を変えるなら前もって連絡いただかないと困りますね」
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「は、どういうことでしょうか?」
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「今日御社の環境監査だと連絡を受けていましたが、予定時刻になっても誰も来ない。何か事故かと思いまして実施計画書に書いてあった監査員の竹山さんの携帯電話に電話したら、今日の監査の予定が変更になったというじゃないですか。当方も準備しておりましたし、そういうことはあらかじめご連絡いただかないと困ります」
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竹山は結局向こうに連絡しなかったようだ。それで心配した向こうの担当者が監査計画書に書いてあった竹山の携帯に電話したら、竹山は予定が変わったとウソとついたということなのだろう。 佐田は平身低頭、お詫びをして電話を切った。電話を切った後、汗でびっしょりになっていたのに気がついた。 一息つこうと佐田は給茶機からコーヒーを持ってきて飲んだ。イヤハヤ、竹山も子供みたいだ。佐田がコーヒーを飲んでいると背中をドンとつかれた。 佐田がギョッとして振り返ると塩川課長がニヤニヤしている。 | ||||||||
「は、何かご用でしょうか?」
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「それはおれのセリフだ。お前は声が大きいから電話のやりとりが聞こえてしまったぞ」
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「それはどうも・・・どうしようかと考え中です」
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「お前の指導が悪いんとちゃうか?」
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「すみません。私の不徳の致すところです」
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「言葉のあやではものごとは改善せん。どうするつもりだ?」
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「竹山君も明日は出社するでしょうから、まず本人から報告を聞きましょう。片方の話を聞いただけでは判断できませんからね」
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「ゆくゆく懲戒するなら、おれが入らないといかんな。お前が話をしておかしくなると困る。初めからおれが参加した方がいいか」
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佐田は考えたが、別に自分がどうこういうこともない。
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「それじゃ明日ご一緒に出ていただけますか」
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「わかった」
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●
翌朝である。定時少し前に竹山が出社してきた。● 始業のチャイムが鳴ると佐田はすぐに竹山を会議室に呼んだ。塩川はその様子を見ていて竹山に続いて会議室に入る。竹山は塩川も来たのを見て驚いたようだ。 | ||||||||
「竹山君、昨日の一件を説明してください」
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「ええと、佐田さんから先方に事情を説明するようにと言われましたので、差し障りがないように話をしたつもりです」
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「どんな話をしたのだろうか?」
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「ちょっと待て。竹山君、まず、昨日の初めからのことを順々に報告してくれないか」
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竹山はしばし黙っていたが、しょうがないと観念したのか口を開いた。
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「朝、東京駅から予定通り、『のぞみ』に乗りました。岡山で降りるつもりでしたが、実は居眠りしてしまいまして気がついたらまもなく広島に着くところでした」
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「うんうん、それで」
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「どうしようかと思いましたが、ボクからよりも佐田さんから向こうに話してもらった方が良いと思いました。それで佐田さんに向こうにボクが着くのが遅れると電話してほしいと頼みました。ところが佐田さんからそのようなことは自分で言えと言われました。 どうしようかと迷っていたら先方から携帯に電話があり、どうしたのかと言われて、乗り過ごしたと言い出しにくくて・・」 | ||||||||
「それでどう言ったのかね」
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「ええと、一番差し障りがないと思って監査の予定が変わったと言いました。佐田さんの指示にも反しないと思いましたし」
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「私は監査の予定が変更になったと話すようにと言った覚えはない」
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「佐田、お前は黙ってろ。 それから?」 | ||||||||
「向こうの人から予定が変わったなら事前に連絡してもらわないと困ると言われました。ボクも困ってしまって、それについては上司に話してほしいと言ってしまったのです。電話はそれで切れました。それっきりでその後は何もありませんでしたので、1件落着したのだと思いました・・・ボクは広島から折り返して東京に戻りました」
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「うーん、その後だが、向こうから佐田に苦情が来た。向こうとしては予定が狂って迷惑を受けただろうし、我々も監査をしなければならないのだから、もう一度向うと監査日程を調整しなければならない。しかし先方はこのいきさつから、心証を悪くしているだろうね。 正直言ってこれは大問題だ。ということで私は管理者としてどうしてこのような問題が起きたのか、再発をどうして防ぐか、向こうとの関係を回復するための措置をとらなければならない。とまあ、そういうわけだ」 | ||||||||
「そんな | ||||||||
「ええと竹山君、このようなときはどうすれば良かったと思う」
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「居眠りしないことです」
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「そりゃそうだろうけど、人間だから居眠りもするだろうし目覚ましをかけないこともあるだろう。それに病気になることもあるだろうし、電車が停まることもある。誰にだってミスはある。居眠りしたことを責めてもしょうがない。 ともかく予期しないことが起きたときは、どうすれば良かったのだろうか?」 | ||||||||
「今回、ボクが予定が変わったと言いましたが、それでいいんじゃないですか」
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「良くないから問題になったわけだ 会社同士のことであれば一方的に予定を変えることはできないよ。会社でなくて個人だって同じだろう。君がデートの約束をしていたとして、行けなくなったときに連絡しないなんてことはないだろう。仮に連絡できなかったとしても、その後は誠心誠意お詫びして相手の同意を得るのじゃないかね? 君がしたような自己中心的なことでは人間性を疑われる。 監査の実施はウチの部長名で発信しているわけで、結果として実施できなくなったわけだから部長名でお詫びと変更通知をしなくちゃならんな。 お前がしたのは大罪だぞ」 | ||||||||
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
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「俺だって居眠りをすることもあるだろうし、目覚ましをかけないこともあるだろう。そして乗り過ごすこともあるだろう。その時はしょうがないから、約束の相手に電話して事情を話してどうするかを打ち合わせるだろうね。ミスをしたときそれに対応することが職業人の、いや大人の当たり前の行為だろう。 ともかく竹山、お前は自分がしたことの重大さも理解していないとは問題だぞ。就業規則の『故意又は重大な過失により会社に重大な損害を与えたとき』に該当して懲戒は当然だ」 | ||||||||
2014年4月、高校の遠足のバス手配を忘れた大手旅行代理店の社員が苦し紛れに考えて、生徒を装って「あすの遠足に行きたくない。実施されれば姿を消す」と書いた手紙を学校に出した。もちろんばれてしまい・・ 懲戒と聞いて竹山は顔色を失った。
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「ボクはどうすればいいんですか?」
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「とりあえず顛末書、さっき言った自分がしたことを正直に書いて署名して俺に出せや、」
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●
数日後の昼休み、佐田は丸の内の方まで散歩に出かけた。今の季節は暑くなく寒くなく、シャツだけで表を歩くにはちょうどだ。佐田は歩道に面したコーヒーショップでコーヒーを求め歩道の花壇の石に腰を下ろした。東京も悪くないなとコーヒーをすすりながら思う。● ● しばらくして隣に誰か座ったが気にもしなかった。コーヒーの香りがする。隣の人もコーヒーを飲んでいるのだろう。 | ||||||||
「佐田君とここで会うとは思いもしなかったよ」
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その言葉を聞いて佐田がぎょっとして振り向くと、六角がコーヒーの紙コップを持って隣に座っていた。
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「おお、六角さんでしたか、驚きました。考え事をしていて気が付きませんでした」
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「急に声をかけて申し訳ない。佐田君がここに座っているのを見て、わしもコーヒーを買ってきたのだよ」
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「一日中オフィスを出ないのもつまりませんからね、毎日一度は表に出るようにしているのです」
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「ほう! 毎日かね、」
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「月に数回、昼飯は表で食べます。神田駅あたりに行けば500円でけっこうな丼物が食えます。 それからほぼ毎日散歩をしています。丸の内とか時間があれば有楽町あたりまで歩きますね。遅くなると帰りは地下鉄ですが」 | ||||||||
「毎日って、雨の日だってあるだろう」
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「雨ならば地下道を丸ビルまで歩くとかいろいろありますよ」
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考えてみるとこの時期は丸ビルは解体され、現在の丸ビルを建築中だったはず。まあ、どうでもいいか・・ | ||||||||
「なるほどなるほど、気分転換と体力つくりを兼ねてか・・・わしも見習おう」
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六角はそれきり黙ってしまった。
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「六角さん、なにかお話があるのではないですか?」
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「少し前、わしが監査に行った先で昔の知り合いにあった話をしたね」
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「覚えています。その後何かあったのですか?」
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「あったというか、聞いたと言うべきか。あいつの身の上のことだが・・ いや、もってまわった言い方をすることもない。簡単に言えばアイツの会社でセクハラ事件があってさ、あいつは総務部長だろう、そのときの処置を誤って辞表提出、役員だから引責辞任というのだろうか、ともかくそういうわけだ。解任でないだけ良かったとかいう話だ」 | ||||||||
「処置を誤ったと言いますと・・」
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「なんでもセクハラを受けた女子社員が奴のところに相談に来たとき、そのくらいはガマンしろとかそんな対応をしたらしい。いや詳細はわからない。ともかくその後問題が大きくなってしまい初期対応が悪かったということで奴は辞めざるをえなくなったそうだ」
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「営業をされていた方が総務担当として出向されるなら、それなりの教育があったと思いますが」
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「そう思うね。わしもISO審査員に出向するためにこのように時間をかけて勉強をさせてもらっているわけだ。 真面目に学ばなかったのか、あるいは教科書通りでは対応が難しかったのか・・」 | ||||||||
「しかし六角さんと同じ年齢では引退するわけにもいかないでしょう」
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「役員になるには出向ではなく転籍になるので、この会社に戻ってくるわけにはいかない。とはいえ向こうに行ってまだ半年だから、会社としても他の子会社に仕事を見つけてくれたと噂で聞いた。ウチも温情というか甘いよなあ〜。いや、ありがたいというべきか もちろん、いきさつがいきさつだから、管理者じゃなくて平社員だと言っていたな」 | ||||||||
しばし黙っていたあと六角が言う。
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「以前、佐田君が言ったね、いまある仕事にやりがいを見出すことが大事だなんて」
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「そんなこと言いましたっけ?」
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「わしも役職定年になったとき子会社に管理職として出向できなくて悔しかった。しかしその後の経験で自分はとても幸せだと感じるようになったよ。佐田君に会えたこともその一つだ。人間にとって結果が大事ではなく、その過程における努力が大事だなんて青臭いかもしれないがそう思えるようになった。自己満足か合理化かもしれないがね、 決してヤツがチョンボしたという話を聞いたからではないよ」 | ||||||||
佐田は黙っていた。
●
塩川が会議室に佐田を呼んだ。
● ● | ||||||||
「来月1日付け人事異動だ」
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予定していたことだから驚くこともない。佐田は黙っていた。
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「早苗さんはナガスネに出向となる。まあ、これは予定通りだろう。 六角さんはツクヨミに出向、これもまあご本人の希望がかなったということでメデタシメデタシだ。 それから竹山は福岡工場に転勤だ」 | ||||||||
佐田は「ホウ」と声を出した。
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「まあ、竹山を処分しないわけにもいかないだろう。何もしないとなると、アイツもまわりもあの程度のことは問題じゃないと認識してしまうからね。といって戒告とか減給なんてしても意味もないだろうし、懲戒の記録が残ってもまずいだろう。 どうせなら工場に出して現場で鍛えられるのが良いと考えた。福岡工場の部長は知り合いだから良く頼んでおいた」 | ||||||||
「ご配慮ありがとうございます」
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「別にお前のことを考えたわけじゃない。お前には今後とも出向者教育と監査の元締めをしてもらう」
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●
佐田は出ていく3人の送別会を秋葉原駅近くで開いた。● ● 竹山はあれ以来静かにしていたが、転勤命令を受けてへそを曲げたようで、送別会には出ないと言い、それ以降休暇を取って会社に来ない。塩川はしょうがねえなあといってもうそれっきり竹山のことを忘れたようだ。 送別会といっても塩川、佐々木、六角、早苗、佐田の5人だ。特段格式ばった挨拶もなく、乾杯して酒を飲み話をする。 | ||||||||
「1年の予定でしたが、予定より二月早くお二人が無事卒業できてうれしいですよ。お二人が活躍してくれると、また次に審査員に出せるのですから頑張ってくださいね」
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「わしは審査員になれて本当にうれしいねえ〜、やはり企業にいてISO審査を受けていると審査員になりたいと思うもんだからね」
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「私は審査員にならずに会社にしがみついてしまいました。反省ですね」
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「佐々木さん、みんなが審査員になってしまったら後続の者を教育する人がいないじゃないですか」
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「そうですとも、右も左も知らないわしを教育してくれた佐田君と佐々木さんに感謝してますよ。とはいえ最初佐田君に会ったときは年下のくせに生意気だと思ったものだ。アハハハハ 今は本当に感謝している。 昔から新兵を訓練するのは鬼軍曹と決まっていたもんだ。『硫黄島の砂』のジョン・ウェイン、『あの高地をとれ』のリチャード・ウィドマーク、『ハートブレイクリッジ』のイーストウッドとかね、そして審査員教育には佐田鬼軍曹というわけだ」 | ||||||||
「私は鬼軍曹ではないですよ」
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「まったくだ。こいつが鬼軍曹なら、竹山ももう少しまともになっただろうよ。佐田は3期生をもう少しちゃんと教育しないといかん。まあ三度目の正直を期待するぞ」
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おばQさま いつもながら、生々しいお話で、参考になります。 とりあえず、新人さん達は、それぞれの道に向けて旅立っていったのですね。 お話を読んで、思うのは、精神的な大人(としての成長)と、年齢は必ずしも一致しないという事です。 竹山氏のように、自分に問題があると思えない人は、年齢を重ねても同じかもしれません。 一方で六角さんのような人は、始めは抵抗があっても、状況を受け入れて自分の考えを変える事が出来ます。 早苗さんは、微妙ですが、自分と周囲が異なる事は理解できているので、自分の価値観の世界の中で世間と付き合う事は出来るのだと思います。 そうした三者三様の描き方は、ご経験と観察眼があってと思いました。 塩川さんは、よい部長ですね。中間管理職も教育しつつ、落としどころを見越して、先手を打っています。 とは言え、これも日本企業らしく、当人の将来を考え、ルールはルール、処罰は処罰と、事務的な処理をしていません。 この方法の良い点は個別の事例に応じて適切に対応できる点ですが、記録が残りませんから後の人が口伝え以外の参照を出来ません。 また年功序列で終身雇用が当然だからの温情処理で、それが期待できない現代では適切と言えないかもしれません。 いつもながら、まとまりのない感想ですが、日本企業の名人芸(部長と課長)が光っていると思います。 外資社員 |
外資社員様 いつもご指導ありがとうございます。 ISOとか環境監査のお仕事といっても、実際の日常は職場の人間関係とか対外的なコミュニケーションです。それは監査とかISOだけでなくどんなお仕事でも同じですね、日本では 若いとき外注に仕事を頼みに行ったら、そこの社長に忙しいからダメと言われて困っていました。私の上司がやって来てその社長を「○○ちゃん」なんて呼んで話を付けたのを見て、かっこいいとは思わず、それって卑怯だろうと思いました。卑怯かどうかはともかくルール無視の裏ワザのように思いました。 まあ、それが世の中です。 ということで毎度毎度規格解釈でもないだろうとわき道にそれたというのが本当のところです。 ご指摘の件、確かに明確に懲戒という形で実施し、それを社内に公表した事例というのは私のサラリーマン人生で両手はありませんでした。でも仕事でミスって飛ばされたとか、不祥事で降格されたなんてのはいくつも見ました。どちらにしても信賞必罰が明確なら働く人の同意は得られるかと思います。評価基準があいまいで、似たような事例でも飛ばされたりなにもないなんてことですと上司の威信がなくなるのは間違いありません。 |