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「お客様がお見えですよ」
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「約束はない、誰だろう?」
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「これからあなたの上司になる人」
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美奈子はそう言うとさっさと行ってしまったので、三木はあわててその後を追う。営業本部の小さな会議室に案内された。
![]() 部屋に入ると農家のジサマのような風貌の人が一人上座に座っている。年季の入った麦わら帽子とゴム長をはかせたら似合うだろうと三木の頭に浮かんだ。 美奈子が「三木部長をご案内しました」と紹介するとドアを閉めて去ってしまう。 | |||||||||||||
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「三木と申します」
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「三木君かあ、わしゃナガスネの山内だあ」
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三木も山内の名前は聞いていた。当社はナガスネ環境認証機構の1割株主で、取締役を一人出している。1割株主が10社あるわけで取締役が10人もいるから、すべての取締役が常勤だったら社員100人の会社にはおおすぎだし、仕事が進むはずがない。
船頭が多くて山に登ってしまうだろう。それに取締役部長ならおかしくないが、取締役課長とか取締役係長ではシャレにならない。ともかく取締役で常勤なのは社長、審査部長、営業部長、技術部長の4人で、他は株主総会のときだけ顔を出す。常勤の取締役は各社順繰りの持ち回りと聞いている。いやそれどころか社長も2年ごとの株主10社の持ち回りである。 当社からは山内という人が取締役になっていて、営業部長を担当して審査員もしていると聞いていた。三木は今になって、時間のある時に山内取締役を訪問して挨拶しておくべきだったなと反省した。 いや正直言うと、私が伏線をしかけてなかったのを反省しております。
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「お名前は伺っております。よろしくお願いします。私の方からご挨拶いたしませんで申し訳ありませんでした」
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「いやいや、俺の方こそ気にしていた。三木君をだいぶ長いこと待たせてしまったが、来月から来てもらうことになったよ」
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それを聞いて三木は驚くと同時にホットした。やれやれ、これでやっと出向できるのか。
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「まあ仕事のことはあまり心配するな。あのよ、そんなに難しく考えなくてもいいんだ。三木君は今53歳か」
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「まもなく54になります」
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「そうか、まあ定年までの6年間楽しくやってくれればいい。審査員なんてそんなに重大なというか難しい仕事じゃない。会社で営業とか開発をしていると常にチャレンジが必要だが、この仕事はそういうのとはちょっと性質が違うんだ。ただ」
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「ただ?」
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「この仕事で一番注意しなくちゃならないことは、訪問先でも社内でも、もめないことだ」
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「もめないこととおっしゃいますと?」
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「文字通りケンカしないとうか、まあるく対応するというか。まず礼儀作法だが言葉使いで失礼がないようにする、約束の時間は守る、文字に残るものは言い回しに注意するとか、まあそういうことだ それに社内でもだな・・・当社は10個師団とも言われる多国籍軍でな、出身母体がたくさんあってだ、取締役とか部長とかという社内の指示系統だけじゃなくて、出身母体ごとの指示系統がある。実を言ってそのほうが強いんだよ。そりゃそうだよな、だって出向者の賃金の半分は出身会社から来ているわけだし・・社内の査定は名目だけで一人一人の賃金は俺たちが決められるわけでもないし まあ、そんなわけで出身会社が同じ人とも、違う会社からの人とも、もめないで仲よくやっていくというのが重要だ」 | ||||||||||||
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「承知しました」
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「ISO審査でトラブルがあると会社が苦情とか異議申し立てってのを出せるってのを知っているだろう。ウチでも毎年相当件数の苦情を受けている。だけど苦情といっても、規格の解釈を誤ったとか、審査の方法がどうこうというのはまずほとんどない。あるのは訪問先の社長に失礼なことを言ったとか態度が無礼だとか、そう言えば最近は事前に提出した審査スケジュールが誤って別の会社のものだったというのがあったな。それを見て当社の資料が他社に行っているのではないかという質問というかお叱りが来たなあ、アハハハハ 俺は営業部長なもんだから、そういう苦情処理は俺の担当だよ」 | ||||||||||||
山内は神経質でもなく細かなことにはこだわらないようで、意外と大物なのかもしれない。三木は心中ニヤリとした。
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「あのよ、そういうことには十分配慮してくれよ。その代わりと言ってはなんだが、別に売り上げを人よりあげようとか、技術とか知識をアップしようなんてことにシャカリキにならなくていいんだ。人並みに、遅れず休まず働かずでいいからとにかくもめるな」
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「わかりました」
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「お前のことは、人事とか営業本部からいろいろと聞いている。1年間勉強したから自信があるかもしれないが、ウチに来たらイチから勉強しなおすつもりになってほしい。まあ半年くらいは社内で勉強だよ。 それから新人にはチューターを付けて教えるのだが、チューターっていっても教育が得意なわけじゃない。まあ、みんな大人だから陰湿ないじめなんてあるわけがないが人間だれでも癖がある。チューターともめる新人もいる。だが毎日よそ様に伺う仕事をするわけだから、チューターともめるようじゃこの仕事は勤まらない。とにかくガマンだな」 | ||||||||||||
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「わかりました。がんばります」
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「それからお前知っているかな? ええと、木村とか言ったが」
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三木は審査員研修であった木村を思い出した。
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「照明機器の子会社に出向している方ですか?」
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「そうそう、そいつだ。そいつもお前と一緒にウチに出向になった。奴は審査員になりたいってずいぶん活動していたようだ。そういや直接俺に会いに来たこともあった。家電事業本部からうるさくて困っているから引き取ってくれって言われてさ、なんとかやりくりしたよ」
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「認証機関でも人員計画とかいろいろあるのでしょうか?」
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「そりゃそうよ。認証機関の最大の仕事は人件費管理だな。俺は営業部長ってことになっているが、商品を売るのと違って、つてを頼って仕事をお願いしたり、あちこちでただで講演したり名刺を配ったりして名前を売るのが大変だよ。そんなことをしてもすぐに成果がでるわけでもない。結局は費用をしっかりと抑えることしか手がない」
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三木もこの種のサービス業の営業は大変だろうと思う。
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「そいでさ、定時になったら木村がここに来ることになっている。奴が来たら一緒に神田あたりで飲もう」
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山内、木村と三木は神田駅前のチェーン店でない居酒屋に座っていた。もうだいぶ日が伸びた。間もなく春分の日だ。桜もあと10日か
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「じゃあ、二人の出向を祝って乾杯」
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木村と三木は唱和する。木村はかなりうれしそうだ。
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「あらかじめ注意しておくけど、この界隈は同業他社とか審査員登録機関があるので、どこに耳や目があるかわからん。あまり変なことは言わないようにな」
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三木は後で知ったのだが、神田界隈に本社や事務所を構えている認証機関は10社近くあるのだ。驚いたことに系列かどうか知らないが認証機関が3社も入っているビルもある。1社に30人いるとすればこの近辺に300人のISO関係者がいることになる。それだけでなく、そこを訪ねてきた企業のISO担当者もこのへんで食べたり飲んだりするだろう。うかつなことはできないなと三木は思う。
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「山内取締役、このたびはいろいろとお骨折りいただきましてありがとうございます。」
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「お前は審査員になりたかったそうだな。良かったじゃないか。まああまり力むことなくもめないようにしてくれよ」
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「補がとれるにはどれくらい時間がかかりますか?」
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「まあそんなにあわてることもないが・・・そうだなあ・・・最低半年以上は見ておいた方が良い。1年はかからんよ」
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「そんなにかかるのですか。そちらに移った後、すぐに審査に同行できるならひと月ふた月で審査員になる要件は満たせると思いますが」
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「この4月に出向を受け入れるだけでも7人もいる。お前たちの他に5人いるわけだ。その他に新たな契約審査員も数人いてだな・・」
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「契約審査員がいるとどうなるのですか?」
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「お前たちは出向後に社員扱いになるが、その他に企業で働いていたりする人や、自営業まあ中小企業診断士とか技術士なんて看板を上げていて、ISO審査員もしたいという人も多い。そういう人には審査のときに参加してもらう、まあ外注だな、そういう形態があってそれを契約審査員と呼んでいるんだ」
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「いや契約審査員は存じていますが、どういう関係があるのですか?」
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「契約審査員が存在するひとつの理由は費用削減だ。人件費といっても目に見えるものばかりではない。実際には賃金の倍くらいかかっている。例えば通勤手当てとか福利厚生がある。普通アルバイトなら賃金の他は交通費くらいだが、パートも場合によると社会保険とか健康診断とかいろいろつけなくてはならない。契約審査員ならそれらを削減できる。今認証機関の競争は激しく、これからますますパイの取り合いが厳しくなる。売上金額を伸ばせないんだから費用削減は大変だよ。お前たちの高賃金を稼ぎ出すために契約審査員という仕組みがあるというべきかな。だから社員と契約審査員の数は一定比率にしないと費用構造が変わってしまうんだ。だから社員を増やすときはそれに見合った契約審査員も増やさなければならない。だから彼らにも審査員、ゆくゆくは主任審査員になってもらわなければならない。ということでお前ばかり審査に参加させるわけにはいかないってことだ。 おっとそれは契約審査員にとっても悪い仕組みじゃない。ほとんどの契約審査員はISOコンサルでもある。コンサルするにも審査員補ではなく審査員のほうが箔がついて仕事がしやすいし、コンサルだけでも食っていけないからな。 そして彼らが指導した企業をウチで審査するという流れとなっている。だから認証機関にとって契約審査員は営業マンというか販売代理店のようなもので、そういう人を多く抱えることは悪いことじゃない」 ![]()
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「私たちもコンサルをしてもよろしいのでしょうね?」
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「まあウチでは禁止はしていないな。ただ大手からの出向者はあまりそういう副業はしていないようだ。まず社員となった場合はフルタイムで週5日出張しているから休日は休みたいのが本音だ。そして次の審査の事前勉強をするのも重要だ。しっかりした審査をするには現場での倍の時間をかけなくちゃならんしな。 それに対して契約審査員は月に1・2回程度しか審査しないから、そのヒマに副業しないとオマンマが食えない。いや正確には副業として審査員をしているというべきかな・・ 社員というか出向者は本体にいたときと同等の賃金をもらっているからそこまでする気はないだろうしね。 なによりもまっとうな人なら、コンフリクトを感じるというか問題になる可能性のあることはしないだろうね」 | ||||||||||||
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「コンフリクトって・・・闘争ですか?」
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「一般的には闘争とか争いの意味なんだろうが、監査においては利害が拮抗するというか、利害が異なる双方の代理をするというか、まあそういう意味に使われる」
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「企業側と審査側双方に関与しては中立公平な審査ができないというわけですか」
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「そういうことだ。まあISO審査員は弁護士ほど厳密じゃないけどね、矜持というか守らなくちゃならないところはしっかりしなくちゃあね」
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木村は表情のない顔をしている。三木は審査員研修のとき、木村がコンサルをして大いに稼ぎたいと言っていたのを思い出した。 その後ふたりは不安に思っていることとか知りたいことをいろいろと二人は山内に質問する。通勤や出張、時間外のことなど、 山内は出向するまでは本社勤務で社宅に安い家賃で住んでいたが、転籍した今はそうはいかず、賃貸マンションに一人で住んでいるという。家賃が高くてかなわんという。三木は通勤できるところに住んでいるので良かった。木村は今静岡工場に単身赴任しているが、三浦半島の逗子に家があり妻子はそこに住んでいるという。それなら通勤は可能だろうと三木は思ったが、山内がいろいろと言う。 | |||||||||||||
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「まあ、審査は朝からだから、ほとんどの場合、前日に現地に入ってなければならない。だから会社に通勤する便宜よりも新幹線の駅、羽田空港までのアクセスが良くなくちゃならないね。木村君が逗子住まいとなると新横浜を使うことになるだろう。新横はほとんどすべての新幹線が停まるから良いけど、三木君は小田原を使うだろうからそれは不便だね」
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辻堂は新横浜より小田原の方が近いが、小田原で停る新幹線はめったにない。夜遅く西の方から帰ってきたときは新横まで行って在来線で戻るとして、1時間、大変だなと心中思う。それに飛行機の場合、羽田から自宅からどの交通機関が良いものかとしばし考えた。藤沢駅まではリムジンバスがあったはずだが、そこから辻堂まで電車で来てもタクシーに乗ることになる。藤沢駅からタクシーでは数千円かかるなと三木は心中計算した。 2時間ほど山内取締役の話を聞いてお開きになった。 ●
三木は4月1日付けで出向した。出向を伝えられてから11か月、いろいろあったがなんとかナガスネ環境認証機構に出向することができた。今日はその第一日目である。● ● 始業時間30分前に事務所に入り女性社員に山内取締役の席を聞いた。女子社員は三木を位置口のそばのいくつか並んだ小さな会議室のひとつに案内した。審査の打ち合わせに使う部屋のようだ。 その部屋で始業まで山内と木村の三人で雑談をして、始業5分前に山内が少し大きな会議室に二人を連れて行く。
三木や木村と一緒に研修を受けた朝倉もいる。島貫の顔は見えない。ひょっとすると彼は審査員になるのを止めて別の道に進んだのかもしれない。 山形社長の挨拶、柴田取締役審査部長の今後の予定概要、当面の1週間は会社の手続きと審査員研修の繰り返しのようだ。それから新人それぞれのチューターの紹介があってセレモニーはオワリである。
解散して新人7人は小さな会議室に押し込まれた。 次の予定は勤怠の手続きとかこまごました庶務事項やオフィスの配置と使い方の説明である。とはいえ開始まで少し時間があるのでお互いに自己紹介などをする。これから長い付き合いになるのだろう。 三木は朝倉と雑談する。 | |||||||||||||
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「三木さんでしたよね。またお会いできてうれしいですよ」
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「私もです。朝倉さんも公害防止管理者は合格したんですね」
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「いやいや、残念ながら水質は合格したのですが大気の方はダメでした。とはいえ出向できたのですからあの条件は必須でもなかったようです。その様子では三木さんは両方とも合格したのですか、さすがですね」
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「おかげさまで。あの勉強がこれから役に立てばいいのですが」
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「私は公害防止管理者の試験そのものを受けませんでしたが、出向できました。あまり資格は重要じゃなかったようですね」
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なぜか木村は自信あふれてそう語る。 三木も環境管理部の氷川や本田から、実際の審査ではそんな資格は関係ないと言われたことを思い出した。あの受験勉強は何かに役に立つものだろうかと疑問に思う。 ![]() しばらくして吉本と名乗った女性が現れて、庶務手続きや会社の部屋の配置とか使い方の案内とかお昼などについて説明を受けた。 お昼はその辺の飯屋とかマックなどを利用するという。会社にいるのは週に1日程度らしいから、会社にいるときのお昼をどうするかより、出張先のお昼をどうするかのほうが重要だなと三木は思う。それに昼飯をとるのに外に出るのは息抜きになるだろうが、雨の日や雪の日は面倒だなと三木はネガティブに思う。 |
BOD測定を二日三日でしてくれる業者があるなら そりゃ凄い業者ですね。もしかするとその会社だけ時間の進みが早いの鴨。 世界中の研究機関から調査の依頼が殺到しますよ。 |
名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。 ひょっとしてどらえもんが小遣い稼ぎに稙種したらタイム風呂敷で5日後に飛んで・・・ってことかと となると、その審査員はどらえもんのオトモダチってことになるのかしら? BODはどうでもよくて、どらえもんを紹介してくださいって頼めばよかった(残念) |