「本気になればすべてが変わる」

2015.02.12
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

少し前のこと、私が通っている英会話教室のオーナー兼先生から、ちょっと待て話があると声がかかった。彼は日本語がペラペラであるが、我々生徒と話すときは英語しか使わない。そして私の英語力は非常にプアなものだから、彼の話は一語一句までは分らなかった。だが言いたいことは分った・・・つもりだ。
そもそも英語ができたなら英会話教室に行くわけがない
要するに「最近どうしたんだ」という。上達したいならもっとやる気をださんといかんよという話である。私も下手な英語でいろいろと話しあったのだが、話しているうちにそれまであまり考えていなかった自分自身について気が付いたのである。熱心でないのは事実であり、それはモチベーションが下がっているためで、その原因をと、なぜなぜ分析で突き詰めると、つまるところ私が英語で話す必要がないからだと思い至る。
じゃあ、「なんで英語やるの」ということになる・・・そんなタイトルの本があったね、
調べると1974年出版であった。
私は一体なんのために英会話を学んでいるのだろう?
考えてみるとどうも英語を学ぶ必要はないような気がしてきた。
英語を学ぶ時間と金で、他のことをした方が良いのかもしれない。
じゃあ、何をすれば良いのか?
何に興味があるのか?

私の成人してからの趣味はいろいろある。いや、過去たくさんあった。
私が子供の頃、1960年頃、プラモデルは子供にとってポピュラーな趣味だった。しかし私が子供のとき我が家は貧乏だったので、プラモ作りはほとんどしたことがなかった。
私が40歳くらいのとき、当時中学生の娘がなぜかプラモに凝った。女の子にしては珍しいかもしれない。娘がプラモを作るのを見て、それに惹かれて私もプラモ作りを始めた。戦車やガンダムには興味がなく、72分の1とか48分の1の飛行機をたくさん作った。
飛行機
組み立てて塗装して、そんなことが面白かった。細かいところをどうしようかと考えたり、手を動かすのが良かったのかもしれない。完成したものを自分の部屋の天井からつるしたり、階段に飾ったりした。出来が良くて気に入ったものもあったが都会に引越すとき全部捨てた。そしてこちらに来てからは作ったことがない。作る場所もないし、塗装すれば臭いで近所迷惑になるし、出来上がってたものを飾っておく所もない。そしてなによりもプラモを作りたいという気持ちがまったくない。振り返るとあれは子供のときできなかったことの代償行為だったような気がする。

囲碁にも凝った。私が田舎の会社で働いていた30代後半の頃、昼休み囲碁を打っている同僚を脇で見ていたら、職場の先輩が教えてくれた。その方は初段くらいで、そんなに強くなかったが教え方が上手だったし、なによりも囲碁が面白いということを教えてくれた。 囲碁 それで私は囲碁にのめり込んでしまった。会社の昼休みだけでは収まらず、田舎町の碁会所に通い、地域のクラブにも入り、近隣の街の公民館にまで顔を出した。休日は朝から夕方まで碁会所か公民館に入り浸っていたし、平日も残業した後に毎晩、碁を打てるところをさまよった。場所がないと好きな者の家で真夜中まで打っていた。もちろん我が家にも来た。家内が呆れて(怒って)「家庭と囲碁どっちが大事なの?」私を問い詰めたこともある。まあ、バクチと違いお金がかからないのだから許してほしい。
40過ぎに、県の大会の初段クラスで準優勝したので2段免状を半値でいただいた。その時の棋譜が地方紙に載った。記念に家内に6寸の碁盤と本物のハマグリの碁石を買ってもらった。
その直後、仕事でタイに行き1年後に帰ってくると、私が教えた義弟がなんと4段免状を持っていた(奴は今6段格で打っている)。負けるものかと翌年3段にチャレンジしたが玉砕。私はそれをきっかけに才能がないと見切って囲碁をやめた。
だが振り返ると囲碁を止めたのは棋力が伸びなかったことではなく、会社の仕事の関係が大きかったと思う。30代後半から40歳くらいまで、私は会社では同期に比べて昇進も遅れ、上司のイジメにあい、新規プロジェクトなどから干されファイトをなくしていた。だから囲碁にはまったのだと今は思う。しかしその後ISOに巡り合い海外出張するなど活躍する場を与えられ仕事が面白くなって、その結果囲碁を止めたのだと思う。元々が仕事がつまらなくて囲碁に逃げていたのだ。
将棋の駒 ともかくそれから碁石を持つことなく20年ものときが流れた。引退してマンションの老人クラブに入ったら、将棋クラブと囲碁クラブをつくろうという。年よりは囲碁・将棋が好きなのだ。毎週10名ほど集まってワイワイやっている。私も時々顔を出す。参加者の棋力は級のレベル。私も今更勝負にこだわる気はなく、これ以上強くなりたいという気持ちもない。勝とうとも思わないが負けたくもなく持碁(じご・引き分けのこと)にしようと頑張っている。なかなかそうもいかないが、年配者の遊び相手になれば良いと思っている。勘違いないように申し上げるが、老人クラブでは私は若者である。

アマチュア無線に凝ったこともある。これは30歳の頃だ。初めは省電力でいかに遠くの人と通信しようかと車で高台に登ったりしたが、無線電話だけではやることがすぐに終わってしまう。 無線機 それでモールスをしたくて2アマをとった。しかしHF帯の無線機を買う金がないしアパート暮らしだったのでアンテナを張るスペースもなく、なかなか始めることができなかった。そのうち携帯電話やPHSが現れて無線通信そのものがバカバカしくなってやる気をなくした。
今考えると私は無線通信をしたかったのではなく、ドライブに行ったとき仲間と連絡したり、ローカルの方に道案内を聞きたかったのだ。それができれば別にアマチュア無線でなくても良かったのだ。今では携帯電話とGPSによってその目的はアマチュア無線以上に完璧に満たされる。

はたち頃、スケートに凝った。当時も今も、スキーは金がかかり、スケートはあまり金がかからない。スキーに行くには車が必要で、スケートなら会社帰り歩いて行ける。金のなかった私にはスケートがお似合いだった。スケートは楽しかったし、そのおかげで家内と出会った。とはいえ歳をとると体がきかなくなる。ちょうど50歳のときスピンしようとしてエッジをひっかけて転倒、手首を骨折してからは滑ったことはない。私はいくじなしだ。
若いときのように体がきかずこけてしまってリンクに横たわるなんて、ケストナーの「雪の中の三人男」をほうふつさせる。もっともケストナーの小説と違い、私は単にこけたのではなく、骨折し痛さはハンパではなかったけど

読書というのは趣味ではないと思う。読書とは目的じゃなく情報収集の手段ではないだろうか。私の場合、なにごとか、例えば前述した英会話上達であろうと、プラモデルであろうと、どうしたらうまくなるのかということを調べる手段が読書であって、そのためには読書の他にもインターネットとか上手な人とかお店で尋ねるなどの方法がある。もちろん小説を読むというのもフィクション、ノンフィクションを楽しむ手段であって、テレビだって映画だって芝居だって小説を読むのと同じ目的を達成する手段だと思う。もっとも手段が目的化するのは世の常だから、読むという行為が趣味という人がいてもおかしくはない。電話帳を見るのが趣味という人の話を聞いたことがある。私にとって本を読むということは趣味ではなく(小説を含めて)情報収集の手段にすぎないということだ。
ところで酒を飲むのは趣味ではないだろう。飲むこととか食べることは趣味とは言えないような気がする。

退職してとにかくヒマなので何かしなければと思い、フィットネスクラブや公民館に行ったり、先ほど書いたようにマンションの老人クラブに入ったりしたが、まだ時間が埋まらず英会話教室に行ったという流れであった。その流れでもう1年半が過ぎたわけだが・・
ともかく英会話の先生にそんなことを言われたので、その後いろいろと考えた。選択肢のひとつに英会話を止めて他のことにトライしてみるというのもある。世の中に趣味とか習い事というものは星の数ほどある。まったく知らなかったものだってやってみれば面白いものもあるだろう。いや、今まで面白いと思っていても手を出さなかったものもある。

もちろんなにごとも初期投資が大きければスタートすることを躊躇する。勤めていたとき、監査に行った会社の人が自転車に凝っていて、 自転車 自転車の良さを延々と語り、私を誘う。 そしてこれから一緒に買いに行きませんかなんて言い出した。たまたま私と一緒に監査に行った人が、それじゃってんで監査の後にその人と一緒に有楽町に自転車を買いに行ったのには驚いた。まあその人は独身だったから何十万もの自転車を即断で買えたのだろうけど。私にはちょっと無理。
そういえば別の会社に監査に行ったときのこと、そこで応対してくれた人の趣味が刀剣。いろいろとお話を伺っていると、高いものばかりではない、脇差なんか何十万かで買えますよ。自宅に一振りいかがですかと一緒にお店に行こうという。残念ながら私は刀剣を持つことのすばらしさが分らず、丁重にお断りいたしました。
自宅に一振りおくとなにかいいことあるのだろうか? 強盗が来たときにチャンチャンバラバラできるというのかな?

おっと、とりとめのない流れになってしまった。英会話の話であった。
ともかく先生の話を聞いて、さてどうしようかと考え込んだ。他の趣味を始めるにしても、そもそもそれをしたいという意思というか好奇心がなくちゃやるはずがない。始めてもやる気がなければ長続きするわけがない。ということは英会話もその必要性を自分に納得させればモチベーションがあがるのだろうか。いや上がるだろう。
それじゃあ、どうすればいいのかとなる。実はそんなことは簡単だ、今まで自分の体験を振り返り、面白くて努力して上達したものを考えればよい。
スイミング 囲碁やアマチュア無線はだいぶ昔だから最近のものを考えてみた。私は退職してからの2年半スイミングに凝っている。スイミングスクールは週1回だが、その他に毎週二日か三日はプールに行き2時間以上泳いできた。泳げなかったときは水中ウォーキングをしたりひたすらけ伸びをした。なぜスイミングは面白く英会話はそれほど面白くないのか? スイミングも船が難破して海に放り出された時は役に立つだろうけど、日常生活ではあまり関係ない。筋肉を付けたり腹をへこますためなら、スイミングより筋トレとかストレッチが効果的だ。
思い当たることがある。それはスイミングは上達が分りやすいことだ。今まで息継ぎができないのができるようになった、25m泳げるようになった、50m泳げるようになった、100m・・このように進歩が目に見えるので張り合いがある。同様に仲間との比較も一目瞭然だ。一緒に習っているAさんはもうプールを往復もできるようになったのに自分はまだできないとか、Bさんの足の動きはきれいだが、自分は・・とか。
英会話はそういう進歩が目に見えないし比較も困難だ。TOEIC試験を受ければ点数で一目瞭然と言われるかもしれない。しかしTOEICの点数をあげるのは一種のテクニックであって英語の力ではない。それは私が実行済、体験済である。それに何点ならどういうメリットがあるかと考えるとそこで止まってしまう。TOEICは就職のためなら手段だろうし、せいぜいが指標であって目的じゃない。もちろん読書と同じく、TOEIC受験を目的化する人もいるだろうけど・・
石川遼や錦織圭が英会話が得意とか福原愛や石川佳純が中国語を話せるというのは、必要だから上達したのだと思う。私の場合、英会話をする場もないし、必要性がないから、よほどの意思がないと真面目に勉強(練習)しないのは分りきったことだ。つまり英語をヤルゾという強い意志をもつには、納得できる目的をもち、具体的な目標を描けなければならない。そして目的意識があればモチベーションが上がる、そんなことを思った。
じゃあ、どうすれば目的を持ち目標を描けるのだろうかということになる。

変な人と思われるかもしれないが、私はどうしたら目的とか目標を見つけることができるのか、継続できるのかを知るために本を読んだ。なにしろ私にとって読書とは情報収集手段だからね、
モチベーションとかメンタルトレーニングなどに関する本をここ半月ほど読んでいる。読んだ数は十数冊になる。そんな中で松岡修三のこの本が面白かった。

タイトル著者出版社ISBN初版価格
本気になればすべてが変わる松岡 修三文春文庫97841678014582011.08.10530円

松岡さんの語るのは、目的がなければ何事も進まない。目的を達成するために目標を具体的に定める。そしてその目標をブレークダウンして実行する。常にパフォーマンスを把握し方法を見直す。それはISO規格にあるのと全く同じだ。いやISO的というよりもそういうアプローチ、方法論をまとめたものがISO規格なのだろう。

松岡修三
札幌雪祭りで見かけた
松岡修三の雪像
彼は、根性とかやる気とか、がんばれとかあいまいな言葉を使わない。その一方、自分を奮い立たせるために体を動かすとか掛け声を出すなどする。そういう具体的な方法を書き、その意味というか理由と効果を説明しているので読んでいてよく分る。
私の場合、スイミングの目的(purpose)は溺れても死なないことであり、目標(object)は2014年末までに連続1キロ泳ぐことであった。それはビジブルだから、ブレークダウンしていつまでに連続○m、いつまでに連続○mというふうに途中の目標(target)を決めた。これは非常にビジブルだから疑問の余地がない。そして実現のためにはスクールでコーチがおしえたことを、次週までひたすら練習した。もちろん監視・測定もビジブルだからフィードバックもしやすい。

じゃあ、英会話ならどうすべきか?
やはりまず目的がなければならない。もっとも松岡流に言えば、真の目的というか本当の必要性がなくてもよい。自分が思い込めばよいのである。更に言えば真の自分が納得していなくても、かりそめの自分にそう思いこませればよい。
次に具体的目標を決めるのだが、ここは難しい。TOEICの点数でなら目標を決めるのは簡単だが、それは前述したようにあまり意味がない。会話力の指標なら、レッスンの時間に何分話し続けたか、何回ラリーが続いたかというような指標であるべきだろう。この辺はただ今考え中だ。いずれにしても目的、目標がしっかりすればモチベーションが維持できるのではないだろうか。
と今そんなことを考えている。

私は気が弱く、なにかミスすると落ち込む。そんなとき今までは「道は開ける」と「1分間自己改革」を読んだ(下記注)。これらの本の一節を読むと力が湧いてくるような気がした。
松岡修三の本はそれらに比べてもっと砕けていて分りやすく、一つの話題が2ページくらいだから、今の私にはピッタリだと思う。これからは落ち込んだ時に、この本をパット開き、2ページくらい読むようにしよう。きっと元気がもらえる気がする。

 さて結果は
それでは英会話を学習はやるきになったのかと問われると・・・今年いっぱい時間をください。年末には結果を出したいと思います。


タイトル著者出版社ISBN初版価格
道は開けるD・カーネギー創元社なし1959.12.15630円
1分間自己改革S・ジョンソンダイヤモンド社44787303501986.04.031000円
世界で一番簡単な運命を変える本R.シュラー三笠書房4837973372003.07.10533円


■2/14追加

いろいろな本を読んだり勉強法を調べると次のようなことが分かった。
  1. モチベーションは必須ではない。
    習い事でも仕事でも、がんばるというか一生懸命であるにはモチベーションは関係ないという。
    三つのケースがあるそうだ。
    • 好きなことをしている場合
    • それが習慣となっている場合
    • 緊急時でやらざるを得ない場合
    とすると、英語を一生懸命するには、
    • 英語が好きになる・・・・英語が好きになるというのがどういうことか?
    • 学ぶことを習慣にする・・これはそうしよう、他のことについても
    • 英語がないと生きていけない状況・・・わざわざ招くこともなさそうだ
  2. 目的はなんでもよい
    なにごとかを実行する目的というのは実はあまり重要ではなく、思い込めばよいらしい。
    自己実現を図るとか自分が成長するためなんて大げさなことを持ち出すのは下の下らしい。
  3. 行動してしまうこと、それを習慣化する
    いやだ、やりたくないと思ってもとにかく動いてしまうこと。スポーツならウェアを着替えるとか、勉強ならとにかく座って本を開くとか。それによってしょうがないと割り切ってしまうという。
    イチローの例があったがネクストバッターズサークルからバッターボックスまでの歩き方、バットをもつ、袖を引っ張るというのが定型化しているそうだ。そういうシークエンスをすることによって気が満ちてくるという。形から入るというのは間違いではなさそうだ。
  4. ハイテンションにならないこと
    ということは落ち込まないということでもある。ヒットが打てないとき次こそガンバルゾとか、どうしてダメなんだと悩むのは一流ではないそうだ。真の一流はいつも通りに気負わずに次の場面に立つらしい。イチローは「いつもとおりやるだけです」と言うらしい。
  5. 自分で感情をコントロールする
    大げさなことではなく、落ち込んでいても笑顔を忘れない、怒っていても落ち着いて話す、それによって自分の感情が表情や態度に近づくという。
    やりたくないと言うとか顔に出ると本当にやりたくなくなるが、ヤルゾ!と声を出したり嬉しそうな顔をしていると本当に勉強するのが楽しくなるという。
  6. 割り切る
    楽しい仕事はない、勉強は楽しくない、人生で楽しいことは半分もないと割り切る。すべてが楽しいはずがないのだ。
    私の場合、退職者だから楽しくないことはしなくて良いという選択肢がある。だがそれは進歩がないということでもある。自分が進歩しようとするなら、楽しいことばかりではないと割り切るしかない。
  7. 悩むなら心で悩まず、技術で悩むこと
    人間関係とか気持ちという悩みは解決が困難であるから、技術的とか物理的な悩み(困難)に集中する。それをよって心の悩みは忘れることができる。
新しいアイデアが浮かんだら追加しよう。



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