「いい仕事をしたいなら、家族を巻き込みなさい」

2015.06.22
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

書名著者出版社ISBN初版価格
いい仕事をしたいなら、★★★
家族を巻き込みなさい
櫻田 厚中経出版4046010462014/12/281400円

ハンバーガー この本はモスバーガーの社長兼会長が書いた、ある意味モスの宣伝本である。初版は2014年の年末だが、コンペティターであるマクドナルドが2015年春に左前になってから、そのマックと同じハンバーガーチェーンでありながら成長を続けるモスの秘密を知ろうと経営指南の本としてベストセラーになったらしい。
この文は本を読んで私の頭に浮かんだことを書いているので、本の批評とか感想ではないのでそれは重ねてお断りしておく。

「親の背を見て子は育つ」なんて言われる。つまらないことだが、親の背中そのものを見たところで何もわからない。せいぜい背中を見てわかるのは、筋肉隆々とか、からくりもんもんが描いてあるかくらいだ。その意味するとことは、親が働いているところを見ることだろうと思う。
子供はいつ大人になるのか 子供がいつ大人になったとみなすべきかと考えると、成人として契約できるとか罪を問われるとか選挙権を持つなんてこととは無関係だろう。死というものを認識したときとか、性だとか、いろいろあるだろうが、働いて生きていく糧を自力で得られるようになることが大人の最低条件であることは間違いない。人間以外の動物なら親の庇護なく生きていけなければ野たれ死ぬしかない。もちろん人間に限らず蜂やアリなどの社会的生物は自己完結ではなく、己の役割を果たすことによって生きている。
いや、大人になるというよりも一人前になるというべきだったかもしれない。
将来は作家になると思っても、ノーベル賞を取るぞでも、ゲームを作って大金持ちになるでも、夢があるのはいいことだが、現実に自分の稼ぎで食べていなければ、やはり大人というか社会人として一人前ではないといっても言い過ぎではないだろう。
そして自力で生きていけるようになるには、その前段階として人は働かなければならないということを自覚しなければならない。そして頭でわかるだけでなく、自分のもっとも身近な大人である親がどんな仕事をしているのか、どういうことをしてお金を稼いでいるのかを知るということは子供にとって極めて大きなことだと思う。

1000

日本銀行券
★★千円

★★DE6289000

大人はみんな働いているはずだ。肉体労働だけでなくネットで投資をするのも働くことだし、また賃金をもらう形態だけではなく無償でボランティアをするのも働くことだ。資産家で特段職を持っていなくても、資産運用はあるだろうし、社会的な活動をしているだろう。

話は変わるけど今は夫婦が外で働いているのを共働きというらしい。昔は共稼ぎと言った。共働きというのはおかしいというか、間違っていると思う。それじゃ専業主婦は働いていないということになる。専業主婦(主夫)だって外で働く配偶者と同等に働いているのだ。ただ外部からお金を稼いでいるわけではないから共稼ぎと言わないのである。半世紀も前のこと「ありがとう」というテレビドラマで共働きという言葉を聞いてひどく驚いたのを今でも覚えている。
共働きとは専業主婦(主夫)を差別した言葉だ。放送禁止にすべきだろう。
電話
昔の話を続ける。半世紀以上前、私が子供の頃は親が仕事しているのを見るのは普通のことだった。田舎とは言え小学校の同級生には農家は1割くらいで、多くは勤め人だった。だけど仕事場が自宅の近くでまた中小企業が多かったから、子供たちは親が働いているのを日常見ることができた。歩いて行けるところにある中小企業だから、母親から忘れ物を届けろとか、用事ができたから知らせてこいなんて言われると、子供は職場に行って直接父親に伝えるというのは日常のことだった。ちなみに当時、電話がある家庭は100軒に1軒くらいだった。

大企業でも今ほど閉鎖的ではなかった。
小学校同級生の一人の父親は国鉄(今のJR)の機関士だった。駅構内で蒸気機関車に乗せてもらったと言っていた。我々はうらやましい思いで彼が親を自慢するのを聞いていた。
隣のおじさんは専売公社(今のJT)に勤めていた。その工場は毎年一般市民に公開していて、私が小学校のときオヤジが私たち兄弟を工場に連れて行ってくれた。隣のおじさんはタバコの葉を押切で切るのが仕事だった。左手でタバコの葉を何枚もつかんで押切の上におき、右手を素早く上下させて紙巻きたばこに詰めるように細かく切るのだ。今はそんなことはすべて機械でするだろうから、人が押切で切るなんて想像もつかないだろう。私たちがオジサンの仕事を見ていると、おじさんはにこにこして、タバコの葉っぱを同じ大きさに切るのは熟練がいる、そして一日中葉っぱを切るのはとても疲れるんだと話してくれた。隣の家には私と同じ年の子がいたが、親が働いているのを見て誇りに思っただろう。
ある同級生の親は卸屋をしていて、商店から注文を取り問屋から仕入れて商店に自転車で配達するという仕事をしていた。だからその親父さんが自転車に商品を積んで街中を走っている姿をしょっちゅう見かけた。 自転車
商店であれば親の仕事を見るだけではない。子供だって学校から帰れば店番をするのは当たり前だったし、店番だけでなく配達するのも当たり前だった。
自転車屋ならパンクくらいは小学生の息子が修理するのもこれまた当たり前だった。私が子供の頃は舗装道路ではなく、またタイヤもチューブも質が悪かったので自転車はしょっちゅうパンクした。私たちは自分でパンク貼りをしていたが、自転車屋の息子が一番手際が良かったのはもちろんだ。
今は卸屋なんて死に絶えた。いや一般の商店も問屋も死に絶えてしまったようだ。自転車屋もイオンとかヨーカ堂の中とか大手チェーン店となってしまい、個人経営の自転車屋はほとんどみかけない。恐竜GMSザウルスはすべてを噛み殺してしまったようだ。そして今は肉食恐竜同志が争っている。

私のオヤジは戦争で自動車部隊にいて当時は珍しい運転免許を持っていたので、大型トラックを運転していた。長距離が主だったので泊りがけとか夜遅くなることも多かった。だから私は親父を通学途上で見るということはできなかった。しかし私が小学校に入る前には私を何度か車に乗せてくれたことがある。今なら安全とか規則とかいろいろ制約があって、会社のトラックに息子を乗せて仕事するなんて許されることではないだろうが、当時は問題にならなかった。
今と違って、道路は狭く舗装されていない。エアコンもない。エンジンは非力で登り坂はローにしないと登らない。荷物の積み下ろしも今のようにフォークリフトではなく、親父が担いでヨイショヨイショと積んだり降ろしたりした。私はそんなことをしている親父をみて、楽ではないなと思った。家ではコップ酒を飲んで特段理由もないのに母親や子供たちをビンタしたり物を投げつけたりする暴力親父であったが、大変な仕事をしているのだということを認識した。
家内の父も運送屋で働いていた。結婚する前にお会いしたとき、昔はトラックではなく馬車で荷物を運んでいたという。 手綱石 義父はその馬の口どりをしていたという。上には上があるものだ。もっともそれは家内が生まれた頃らしく、家内は義父がトラックに乗っていたことしか覚えていないという。私が小学校の頃は、街中を荷馬車が走り、道路には馬糞が落ち、商店の前には馬の手綱を縛っておく穴をあけた石が置いてあった。家内と私は5歳違いだから、その間に馬車からトラックに移り変わったのだろう。
小学校低学年の春休み、親父がどういう気まぐれか東京に遊びに行ってこいという。親父がついて行くと運賃がもったいないから一人で行けという。私は東京というところに行ってみたかったので怖いも何もなく、駅まで親父に送ってもらい汽車に乗った。当時は単線のうえ蒸気機関車で片道6時間くらいかかった記憶がある。(調べてみたら今でも鈍行なら4時間近くかかる)上野駅に伯父さんが迎えに来てくれた。

蒸気機関車

伯父さんはダットサンという車で個人タクシーをしていた。私は助手席に乗って東京見物をした。今ならタクシー運転手が子供を助手席に乗せて営業するなんて信じられないだろうが、当時はそんなことを気にしなかった。1週間ほど伯父さん家に居候していたが、その間ずっとタクシーの助手席に乗っていた。それはとても面白かった。当時の高級車であったキャデラックなんて、田舎ではお目にかかれなかったが、東京では何度も見た。完成したばかりの東京タワーも見た。タクシーの運転手の仕事というものをじっくりと眺めることができた。
やはりその頃、遠く離れた我が家よりももっと田舎というか山奥で開業医をしている遠縁の家に泊りがけで遊びに行ったことがある。看板は小児科・内科となっていたが、他に医者がいない地区で、外科その他なんでもござれで、手におえないときは仮の手当てをしてあとは町の病院に行けという。
遊びに行ったものの年の近い子供もおらず遊び相手もいない。みんなどんなことをしているのかとながめていた。奥さんは経理をして、その他に怪我人や重病人が来ると診察室の手伝い、つまり患者を支えたり汚れを拭いたり看護婦役もしていた。そして働いている運転手や看護婦の昼飯を作ったり、患者が連れてきた子供の面倒を見たり、バス停まで患者の荷物を持って送って行ったり、まあ大変だなあと思った。医院は医者だけでは回らず、夫婦で運営しているのが良く分かった。奥さんにとってはフルタイムどころか24時間勤務だ。それまで医者の奥さんはお金持ちで優雅な生活をしていると想像していたが、まったく違っていた。確かに所得はウチのオヤジよりもはるかに多いだろうけど休日もなく夜も叩き起こされることも多く、うらやましいとは思えなかった。

そんなふうに自分の親だけでなく、身近な大人がどんな仕事をしているのかを見ることはとても勉強になったと思う。
私が親になってから、まさか平日に子供たちを職場に連れて行くことはできなかったが、休日出勤のときは何度か連れて行ったことがある。私の現場を見せて、机の中に何が入っていてどのように使うのかとか、どんな仕事をしているのかとか、どこで昼飯を食べているのかとか見せて歩いた。そして私が仕事をしているときに危なくないところで遊ばせて、一緒にお弁当を食べてから帰ってきた。私は自慢できるような仕事はしていなかったが、自分が働いているところを見せられてよかったと思う。ともかくそんなふうに何度か職場に連れて行ったが、それが子供たちのためになったならうれしい。まあ、子供たちはとうに忘れてしまっただろう。
注:
イチャモンがつく前に、
私の休日出勤はすべてサービス、無給であった。

その後仕事が変わったが、まさか丸の内のオフィスビルには子供を連れて行くことはできない。もっとも既に大学生になっていた。小学生だとしても今はセキュリティも厳しいから、お父さん、お母さんが仕事をしているところをわが子に見せることはできないだろう。

さて、この本は「職場は家族的であるべきであり、家族は働いている職場を知るべきで仕事に協力すべきである」というスタンスで書いている。その主張が良い悪いではなく、私の子供の頃はそれが当たり前だった。
すべての人を愛することは現実には難しいが、家族を愛することは自分の精神衛生上最低限のことだろう。そして仕事を愛すること、愛する仕事があることは自分の幸せであるだろう。会社の秘密を家族に話すこともないが、どんな会社でどんな仕事をしているのかということを家族が知っていることは大事だと思う。それが父親や母親を尊敬し労わることになる。
時代がうつり、会社や職場と家庭との距離がどんどん離れ、更にはセキュリティなどの問題も起きているから、仕事の話をするなんてできなくなっているし、風呂敷残業もできない。でもそれでもできる範囲で親が働いている姿を見せること、仕事の内容を教えることは大事なことだと私は思う。

私はまだ孫がいないから、娘・息子は子に働く姿を見せる必要はないが、私たち夫婦は娘・息子が働いているのをときどき見かけた。息子は車を運転して街を走っていたし、娘は会社で仕事をしているのを窓の外から見ることができた。残念ながら今は娘は夫が遠くに転勤して見ることができないが、たぶん今の職場で頑張っていることだと思う。それは私の生きがいの一部である。

「大人になったら趣味などいらん、仕事を趣味にしろ」と説く講演会があるらしい。まあそれは極端というか一つの表現だろう。趣味は楽しいことだけ、仕事は苦しいことだけということではない。仕事も楽しいし、趣味にだって苦しいこともある。趣味の会に入っても、役員を仰せつかって会場の予約、お金の出納、講師の送り迎え、そんなことばかりしていて趣味そのものをする暇もない人もいる。幹事が趣味でなければやっていけない。あるいはお金を稼げない仕事もあるし、お金を稼げる趣味もある。そんなことを考えると趣味と仕事には本質的な違いがないのかもしれない。
人が人を理解するには一面だけでなく多方面から見なければならない。そして多方面から見ることによって、その人の言葉や行動を理解できるようになると思う。コップ酒を飲んで怒鳴るのは仕事がつらいから家庭で息抜きをしているのだろうと相手の考えを理解できるかもしれない。そしてもっと楽なというと語弊があるが、社会人となって生きていくためにはもっと有利な職を選ぶとかそのためにはどんな学校に行くべきかということを学べる。
とにかくいい学校に行け、いい会社に入れ、エリートコースに乗れ、いいとこの御嬢さんを嫁にもらえという単線、一直線の人生を示すのではなく、いろいろな仕事を見る機会を与えて、あとは子供が好きにしろというのが親のあるべき姿なのだろうか?
人生お金ではないが、お金がなければ生きていけない。家族がなくても生きていけるし、愛がなくても生きてはいける。しかし家族がないとか愛がなければ楽しくはないだろう。
いや生まれてきた甲斐がないじゃないか
財産とは家族、教養、健康だけだというのは真実だろう。
モスバーガーの本を読んで自分の人生はけっこう恵まれていたんだなと気が付いた。もちろん自分の人生とは、自分だけでは完結せず、親、子供、まわりの人たちとの関わりだから周りの人たちもすばらしい人たちだったのだろう。親父が理由なくビンタしたのも何か意味があったのかもしれない。と思えるほどに私も歳をとったのだろう。

 本日の言い訳
起承転結がつながっていないぞというお叱りを予想する。
あいすみません、妄想ですよ妄想
いやぼけてきたのかもしれません。
元からぼけているなんて言われたりして・・・


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