すべてはここから始まった

2015.02.23
本日はまったく自分自身のための文章である。覚書と言っても良い。だんだんとぼけてくるだろうから、自分の歴史を忘れないために書いておく。

私が最後に勤めていた職場には10数人いたが、みな英語ぺらぺらでTOEIC満点とか900点なんてのばかりだった。女性の一人は欧州の新しい規制案なんて英語で数百ページもある資料を入手したら、それを一晩で読んで翌日は業界団体でその概要を説明するなんてことをしていた。庶務担当の派遣社員でさえ英文科卒で英語ぺらぺらだった。まあ、今どき商社でなくて製造業の環境部門といっても、外国から電話がくるのは当たり前で、そうでなければ日常業務ができない。英語が苦手だという方がいたので、少しうれしくて話を聞くと、飯を食いながら英語で話すのは辛いという。私とはレベルが違うのだ。
もちろん英語だけでなく中国語とかフランス語など第二外国語、第三外国語を話す人もいた。あるとき同僚が外国語で電話していたので、終わってから英語が上手ですねとお世辞を言ったら、フランス語ですと言われた。_| ̄|○

当時、英語が不器用だったのは私と総合職の女性の二名だけだった。2007年頃だろうか、飲み会でその方と外国語ができないのは我々だけですねという話から、いつしか半年後を期限にTOEIC競争しようということになった。すぐに私は初めてのTOEIC試験を受けた。結果はなんと380点というすばらしい点数だったのを覚えている。
すばらしいとはすばらしくないという意味である
当時はTOEIC-BRIDGEというのはなかったが、今ならTOEIC-BRIDGEを受けろ、TOEICを受けるのは10年早いと言われるだろう。彼女も初めて試験を受けたところ点数は500点くらいだったらしい(具体的な点数は教えてくれなかった)。
競争の話がたとえ酒の場の冗談だとしても負けたくはない。私はすぐに同志であり師匠であるKABU先生に、どうしたらTOEICの点数が上がるかと問い合わせた。彼はいろいろと参考書を送ってよこし、またTOEICの塾を推薦してくれた。八重洲にある「すみれ塾」である。早速そこに申し込み三か月か四か月くらい通った。私は半年後に640点になった。すごいでしょう。いや点数じゃなくて、その向上ぶりがですよ。四か月で260点アップしたなら、あと四か月すみれ塾に通えば更に260点アップして900点になったかも・・・そんなことあるはずがない。
いや私が身に付いたのはTOEICの点数を上げるテクニックだけで本当の英語の力ではないと思う。ともかくそのとき同僚との競争では私が勝利した。
しかし彼女はその後、仕事で毎年何度も欧州、アメリカ、アジアへと出かけ、もちろん英会話も習い続けて、今では英会話だけでなく中国語も不自由しないと聞く。TOEICは受験していないそうだが、実用になる英語力があるならTOEICの点数など関係ないだろう。
それに対して私はそれ以降、英語なんて話す機会もなく、英語の新聞記事を読んで、分らなければネットの自動翻訳とか知らない単語は辞書を引く程度だから進歩がない。だから英語はそれっきりだ。

ただそのときひとつ得たものがある。すみれ塾で先生の話を聞き、出された問題を解き、英文を読み書きして、勉強って面白いなあということに気が付いたのである。もちろんそれまで会社員として仕事上あるいは個人的好奇心から、各種講演会とか資格取得のための講習などにときどき参加はしていたが、私ははるか1960年代に工業高校を出て以来、学校というものに通ったことはない。学校でなくても、ある程度の期間、講義を受けたということはなかった。学ぶというのは面白いし、その結果アウトプットを強制されるというのも面白い経験だった。
TOEIC競争の後、たまたま産業能率大学の説明会が八重洲で行うという広告を見た。説明会の場所まで歩いて行ける。それで大学通信教育の説明会を聞いた。聞くととても簡単なように思えた。まず受講料が安い。放送大学よりも安い。そして試験会場が全国多数あること、スクーリングも各地で行うとある。そしてなによりもいいのは入学試験がないことだ。仕事は多忙だったがよしひとつやってみようと決心した。能率大学にはそれまで環境学科があったが、ちょうど廃止されてしまったときであった。それは少し残念であった。

産能大学は実業の大学を自称しているが、確かにそうだと思う。環境を冠する学部学科は1990年代雨後の竹の子のようにできた。そして2000年代になって人気がなくなりどんどんと改廃されている。しかし産能大はそれを1990年代半ばに実施した。さすがビジネスに長けていて先を見る目がある。他の大学は産能大の爪の垢を煎じて・・

ともかく受講を開始した。年度首にたくさんのテキストが送られてきて、いささかげっそりした。とはいえ単位を取るとか、卒業することが目的でもなく、とにかく勉強したいという気持ちだったので、関心があるものを手当たり次第にレポートを出し試験を受けた。そしてスクーリングを受けるために毎月数日は自由が丘に通った。自由が丘駅から産能大学までの道は初めの頃はものすごく遠く感じたが、何度も通うと気にならなくなった。
あの頃、勉強するのが面白くて面白くて仕方がないというと変だが、高校しか行かなかった者には楽しいとしかいいようがない。レベルは高いとは言えないが、本や講義で得る価値は、受け取る人次第だろう。ものすごく高いレベルの内容であっても、興味がなければそれまでだ。私にとって仕事で経験したこととか、突き当たっている問題に関わるようなことが多く、配布されたテキストは漠然とした一般論ではなく、目の前の問題のケーススタディというか手ほどきのように感じた。
通信教育の同級生なんて、入学から卒業までに片手ほども会わないから同級とは言えないようなものだ。だがそれでも友人ができた。そしてお互いに勉強法とか試験問題の予想とか、仕事の悩みなどの相談などをした。その中で某社の営業マンが産業能率大学を終えたら放送大学の大学院に行くという話をした。「赤毛のアン」ではないが、それを聞いて私は一瞬に地平が広がったような気がした。そうか、世の中には大学だけでなく大学院もあるんだと気が付いた。だけど大学院はお金がかかりそうだし、そもそも私の頭でついていけるだろうか?

卒業できる目安がついてから、大学院の社会人入試説明会というところをいくつか歩いた。説明会でなくても丸の内や大手町には社会人向けの大学院の教室があるので、そういったところにいってパンフレットをもらい話を聞いた。まず通信教育の大学卒でお宅の大学院を受験できますか?というのが最初の質問だった。相手をしてくれた先生方は学校教育法で定める大学を卒業したなら受験資格はあるのは認めた。但し論文が書けるかどうか心配だと言われた。決して彼らに悪気があるのではなく、高い金を出して修了できないと教える方も責任を感じるのだろう。ともかく応対してくれた先生から見ると、私は修士論文を書けないと思われたわけだ。
そんな話をしていて私は大きな勘違いをしていたことに気が付いた。大学院というのは、大学と違って教えられたことを覚えるのではなく、新しいことを考える場所だということだ。つまり私が何かについて調べたい研究したいという目的と意欲がなければ大学院に行く意味がない。もちろん私は好奇心満載、欲求不満だらけ、問題意識100%だから、究めたいというものごとはたくさんあった。
花吹雪 どうせ受験するなら落ちたくはない。定められた資料を提出しただけでは合格が遠いと懸念して、私は上司にかなりボリュームある推薦状を書いていただいた。
ともかくその結果、私は齢60を過ぎて、めでたく某大学の大学院環境学科に入院したのである。桜の花びらが舞う日、入学式には家内と二人で行った。今は社会人大学生、社会人大学院生も珍しくないので、私のような毛が三本のおばQでも父兄席に行けとは言われなかった。

中村先生に「すみれ塾」にいって勉強の面白さを知り、病膏肓にいって大学に行き、そして大学院に入りましたというお礼メールを送った。中村先生は良い話だとおっしゃって、私のエピソードを先生が書いたTOEIC参考書に載せていただくことになりました。
その後、先生からその本を頂きました。今も大事に持っております。もし興味のある方は1冊お求めください。私のエピソードはどうでもいいですが、TOEIC受験勉強にお役にたちますよ。

大学院というところは、はっきりいって最終的な修士論文ができあがるなら、出席とか個々の試験結果はどうでもよいようであった。どこもそんなものなのだろうか?
私が知らないというか門外の講義はそれなりに面白かったが、自分の専門である環境関連の科目では先生方と議論になることが多かった。「先生そんなことないでしょう。現実はですね・・」「先生それは間違ってます」だって私は環境問題を論じているだけでなく、日々実践(実戦)しているのだから。でも、そんなことばかり発言していては嫌われて当然だ。
大学院 それから2年、成績はともかく私はめでたく修了した。うれしかったですね。同期で2年で修了したのは6割くらいでした。
いまどき卒業式でガウンなんて着る人はいませんが、私は「京のみやび」の通販でガウンを買いまして着ましたよ。63歳の七五三かな? でも恥ずかしくはなかったですね。まさに「我等の生涯の最良の年」です。背が10センチも伸びた気がしました。
「我等の生涯の最良の年」を知らない人はDVDを観なさい。泣きますよ。
ともあれ工業高校卒の私は、ここに学歴ロンダリングを完了したのである。(冗談だよ)

修士課程を修了した仲間の3割もが博士課程に進んだのには驚いた。私はもうよかろうと思ったので、ドクターには進まなかった。おっとドクターに進むか否かなんて自分の意思だけでは決められない。お金もかかるし、なによりも指導教員次第である。修士まで学べば良いと思ったということにしておこう。
そんなときたまたま以前TOEIC競争した女性が中村先生の文庫本を買って、それに載っていたエピソードが私じゃないのと言ってきた。それで中村先生を思いだして大学院を修了したことを報告した。今私があるのはひとえに中村澄子先生のおかげである(板垣退助調)。中村先生からお祝いのメールを頂きました。感謝!
その時はまだ会社で嘱託をしていた。飲み会のとき、私は学校に行くのと社会で働く順序が一般人と逆になったけれど、すべての学校を制覇したというと、東大のドクターが茶々を入れた。「いや全部を制覇していないぞ。幼稚園にはもう行けないだろう」という。私の家は貧乏で幼稚園に行かなかったのだ。そして確かに今となっては幼稚園バスの運転手にはなれたにしても、幼稚園児にはなれそうもない。ちょっと残念であった。

さてその後、嘱託を辞めて毎日が日曜日になった。私はずっと泳げなかった。60年間泳げるようになりたいと念じていた私は、退職後すぐにフィットネスクラブに行って成人向けのスイミングスクールに入った。 スイミング 学問ではないが、体育も勉強の一つだろう。
その後だんだんと定年後の生活も落ち着いてきて、2年後に市の老人大学に入った。名前は大学だがもちろん学校教育法の定める学校じゃない。授業に国語・算数・社会・理科なんてのはない。あるのは園芸、陶芸、初歩のパソコン、一般教養などであり、中身ははっきり言って、大人の、いや老人の幼稚園である。
ということで私はついに幼稚園も制覇したのだ。
老人大学を終えた今、受講しているのはgaccoである。「無料で学べる大学講座」とか「オンライン大学」と称されている。理系もあるし、社会学、文学もある。これは面白い!
フルタイムで勉強するほどボリュームはないが、毎週数時間を投じて新しいことを学ぶことができる。今は同時期に二つの講座をとっているが、これくらいがちょうどだろう。
もしまだgaccoを見ていなければぜひご一覧をお勧めする。
ただこれはあくまでも学ぶものであって、研究するものではない。そこが大学と大学院の違いだ。物足りない方も多いだろうと思う。

さて決して同じところにとどまらない私である。次はラジコン学園とかプラモ講座あるいはピアノ教室なんかに挑戦しようかと密かに考えているのだ。




プールの仲間は健康マージャン(賭けないマージャン)教室に参加しないかと誘っている。麻雀は社会人になったばかりのとき付き合いだと毎晩誘われて、当時手取り1万7千円くらいから毎月半分くらいを取り上げられていて、いい思い出はない。もっとも退職した頃にその先輩と東京で偶然に出会い、昔話を咲かせたことがある。麻雀をしながら学んだことは多々あるから、お金を払った甲斐はあったのだろう。
いずれにしてもこれからも何かを学び続けようと思う。人は学び続けなければならないのだ。

 本日の感謝
私がお世話になった方々にお礼申し上げます。まずはすべてのはじまりであったTOEIC競争をしようと私を誘った同僚、そして「すみれ塾」の中村先生へ、KABU先生、推薦状を書いてくれた上司、大学院に通うのにいろいろと気遣ってくれた同僚たち、産能大の仲間、大学院の仲間、老人大学の仲間、ありがとうございました。人は一人では生きていけないことを実感します。

 本日の福沢諭吉
「学問の進め」では「人は学び続けなければならない」とある。だけどなぜ学び続けなければならないのか?
その答は人それぞれでしょうが、私の場合は、学ぶことは面白いからですね
おっと私は向学心はあっても向上心はなさそうです。それとも好奇心はあっても向学心もないのかも?



ふっくん様からお便りを頂きました(2015.02.23)
すばらしいHPをありがとうございます
お久しぶりです。
gacco(がっこ→学校)という意味ですね!それとなくみていたら、私も学びたくなりまして、登録しようと思います。
手始めに・・・ブラックホールなど(笑)

ふっくん様 ご無沙汰しております。
新たしいことを知ること、新しいことを見つけること、新しいことを創り出すこと、それこそが私たちが生まれてくる理由のように思います。
そして後世に名が残ればうれしいですね・・・・無理かな?
ふっくん様には、ぜひともアンタレス超新星の第一発見者になってほしいです。

名古屋鶏様からお便りを頂きました(2015.02.23)
なぜ学び続けなければならないのか?

時間は絶対に止まってくれず、着実に前進します。その中にあって「立ち止まる」という事は相対的には「後退している」ことと同じだと。
鶏はそう思っています。

名古屋鶏さん 毎度ありがとうございます。
おっしゃることよくわかります。N様もいつもアリスを例えに出して進歩しないことは後退であるとおっしゃいます。
反省しなければなりません。

かわいい娘からお便りを頂きました(2015.02.23)
娘である 拾い読みはしてみた…
まとめると、父は回りに頭がよくてすごいなーというひとがたくさんいたので、おれもこれじゃいかん、と思い勉強した。
結局、楽しく好きなことをしていきるのがとても楽しい、チャンチャン。
ということだね?ふむふむ。よかったね、人生の真実に行き着いて(;´д`)

朱に交われば赤くなるという言葉は悪い意味につかわれるけど、良い意味でも同じだろう。
進学校とか底辺校という言い方があるけど、頭の中身はそんなに違いはないと思う。ただまわりが勉強すれば自分もそうなるし、まわりがカツアゲするなら自分もそうなるだろう。
一番わかりやすいのは徒競走だ。速い人と一緒に走ると速く走れる。だから付き合う人は選ばないとならないし、職場は選ばないとならない。
自分の力というか慣性よりも大勢の慣性にはかなわない。
まあ、そんなことかな


VEM様からお便りを頂きました(2015.02.24)
すべてはここから始まった、を拝読させていただきました。
佐為様は仕事をして、このHPをお書きになっていて、しかも多くの勉強をされていらっしゃったのですね。
HPの文章量だけでもすごいと思っていましたが、論文も書かれていたとはものすごいです。
なにより素晴らしいのは、先生であれ同僚であれ、本気の人に常に敬意をもって接していらっしゃることです。
だからこそ日本人に誇りを持てと呼びかけ続けていらっしゃるのですね。素晴らしいことが始まっていると感じました。

VEM様 ご無沙汰しております。
そんな人の話を信じちゃいけませんよ。話半分、半値八掛けってのはこの世のならい、私はそんな真面目な人間でもなく、ストイックに生きているわけではありません。
ただなにごとも後で後悔するだけじゃ悲しいでしょう。泳げたらよかったと思うなら65になってもスイミングスクールに通うとか、大学に行きたかったと思っているなら会社を引退してからでも行けばいいと思います。
やらないで後悔するなら、やってから後悔するって信条で今まで生きてきましたし、これからもそうありたいとおもいます。ま、ホントを言えばやって後悔したことも多々あるんですけどね・・


外資社員様からお便りを頂きました(2015.03.09)
すべてはここから始まった によせて
ご無沙汰しております、遅いコメントで申し訳ありません。
お嬢様から、こうして書き込みがあるのはとてもうらやましいですね。
「父は回りに頭がよくてすごいなーというひとがたくさんいたので、おれもこれじゃいかん、と思い勉強した。」
子は親を見ている典型ですね。

普通の人は、周りに頭が良い人がいて評価されていると、自分を改善するよりは、周囲を批判したり自分が恵まれていないと思うのです。そのようにして自分のせいにしない方が楽ですから。
それをしないで、学び続けられて、今でも学んでおられているのは凄い事と思います。 大学に入る人の殆どは就職の為です。
それをしないで、本当に学ぶために学校に行く事は、これこそが賢者の楽しみと思います。

点滴石をも穿つ、釣瓶縄井桁を断つ、 ことわざは皆知っていますが、実際に継続できる人は少ないのだと思います。
私もお手本としたいと思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
いえいえ、そんなたいそれたものではありません。
やっぱり高卒ってのは負い目でしたね。高校の同級生もそう考えていて、都会に就職した何人かは夜間大学に行きました。都立大、神奈川大などまあ手の届くところでしたけど。そのうち一人は都立大を出た後、東大大学院に行って博士(工学)をとり、研究者になってその分野では結構有名になりました。その代わり私生活では相当犠牲をはらったようです。
他方、田舎では夜間大学もなにもなく、1970年頃は通信教育といっても2週間とか学校にいかないと単位がとれませんでしたから実質的には勉学の機会はありませんでした。それはちょっと残念です。
大学院にいったのは正直勉強したいということでした。定年後行ってもしょうがないだろうと思うかたもいらっしゃるでしょうけど、定年後だからこそ損得抜きに自分の楽しみのために学問ができたと思います。
私は大学に行きたくても行けなかったので、息子や娘が大学のときには、生きたければ院まで行ってよいよ(行けという意味)と何度も言いましたが、豚児たちはそんな気はサラサラなく私は残念でした。とはいえ子供たちには子供の人生があり、親ができなかったから子供に期待するというのは間違いでしょう。私が大学院に行きたいなら年を取ってからでも自分が行けばよいはずです。
そういう意味では、ウチの娘・息子は、親の姿を全然参考にしていないということです。 カナシイ


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