「倭国通史」

2016.01.04
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

会社を辞めてから運動のほうはフィットネスクラブで筋トレも有酸素運動もストレッチもしているし、ヒマな時は散歩といっても10キロくらいを1時間半ほどで歩いている。しかし、体だけ鍛えてもしょうがない。頭の方は鍛えるまではともかく、ボケ防止に何かしなければと思った。
竪穴住居 私が以前から興味があったのは邪馬台国である。女王卑弥呼がいたり、中国と交渉があったり、隣国と争いがあったり、なにか面白そうじゃないか。
とはいえその程度の事しか知らず、邪馬台国を知るにはどういう勉強というかなにからかじったらいいのかわからない。まずは図書館に行った。市の図書館には大きな本棚半分くらい邪馬台国関連の本があった。まあ100冊はあっただろう。これには正直驚いた。邪馬台国についてそれほど多くの本が書かれていたとは想像もしていなかった。
引退直後はほかにすることもないから図書館に行くたびに5冊くらいずつ借りてきては読んだ。だいたい1週間でそれらを読みおえ、また借りるということを繰り返した。
その後、ネットで調べると「邪馬台国の会」というのがあり、定期的に講演会があると知り、後楽園の近くに毎月通った。話はなかなか面白かったが、後楽園まで行くのは結構時間もお金もかかる。
まあそんなこんなを2年もしていると。邪馬台国がいかなるものだったかは少しもわからないのだが、世間では邪馬台国の所在地が大きな論争になっていることとか、卑弥呼が誰なのかが議論されているとか、最低レベルのことが分かってきた。

邪馬台国とは俗に魏志倭人伝(ぎしわじんでん)と呼ばれている、正確には中国の歴史書『三国志』中の「魏書東夷伝倭人条」という箇所に書かれている。このわずか2000字の記述を、多くの人が縦に読み横に読み斜めに読んで、邪馬台国がどこにあったのかを考えている。
邪馬台国がどこにあったのかというのは数百年前から議論されてきたという。大きく分けると九州説と畿内説になるが、畿内説は地域が限定されているから候補地はほぼ決まりだが、九州説は北だ南だ東だ西だとさらに細分化される。
また邪馬台国と大和朝廷の関係も諸説紛々、プロもアマも含めた人の数だけ説や論があるという状況である。そして卑弥呼についてもアマテラスオオミカミだとか、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)であるとも、神功皇后とも、これまた人の数だけ説も論もある。
ちなみに「説」は「あることに対する主張」であり特段根拠・証拠がなくても良く、論とは「証拠や理屈を基に述べたもの」であるそうです。つまり「説」であれば手ぶらでも勉強しなくても唱えることができるってわけです。

講演会などで研究者などそれなりに責任ある方の発言を聞くと、もう邪馬台国の所在とか大和朝廷との関係などは残存する文書をいくら読んでも眺めてもどうしようもないところまできているそうだ。これ以上研究を進めるには天皇陵などを発掘して遺物を調べないと進展しないという。ところが天皇陵を発掘するなんてことは許可されない。まあ誰だって祖先の墓を暴かれるのは好まないだろう。
しかし反面いわゆる素人が邪馬台国はここだあそこだと言っていられるのは、証拠がないから自由に想像と夢を語ることができるからだ。要するに書物に残っていない時代の邪馬台国とか大和朝廷については材料がなくてよく分からないけれど、それが故にロマンがあり興味を引くということだろう。
セチガライ現代社会であるからこそ、息抜きに遠い昔の日本を偲ぶのは楽しいことである。だがそれでは科学ではない。手がかりが少なかろうとやはりまっとうな論理で邪馬台国を考えないといけない。

さて前述したように私は図書館にある邪馬台国や卑弥呼に関する本は100冊は読んだ。それらの著者は、歴史学者、考古学者、小説家、中学・高校の先生、一般市民、まあいろいろである。そのほか図書館になくてどうしても読みたい本はアマゾンで古本を買ったし、知り合いが自分の研究()をまとめて自費出版した本も頂いた。
学者が書いた本は、証拠を基にしているがあまり断定することはなく、そのためにイマイチスカッとしない。他方、素人が書いた本はスパット断定してはいるものの、証拠を積み重ねて結論に至るのではなく、頭で考えたことを「多分、だろう、思われる、違いない」なんて文言を積み重ねているから、もうSF小説、ファンタジーというのも多く、そういうのはアホらしくなり途中で止めてしまった。もちろん書いている人は、これこそが真理だと思っているのだろうが、読者を納得させなくてはどうしようもない。
中には邪馬台国がどこにあるかという謎解きの小説もあった。邪馬台国を題材にした小説などは邪馬台国を勉強するのに役に立たないなんてことはない。一般人の書いた本の多くは小説と同様に、わずかな証拠と自由な着想で、ああだこうだと書いているだけである。要するに小説も研究論文()もあまり差がない。もっとも高木 彬光は面白かったが、鯨 統一郎のはつまらなかったし松本 清張は前提が古いと感じた。邪馬台国の研究も時代とともに進んでいるから時か経てば時代遅れになるものもある。このように小説家のものも玉石混交である。
しかしながら最大の論点である邪馬台国がどこにあったのかということは、依然としてわからない。

まあそんな私が図書館をさまよっていてたまたま目にしたのが「倭国通史」であった。このタイトルを見て、初めは江戸時代の朝鮮通信使のことを書いた本だろう思った。だってタイトルからはそんな気がしませんか?
あっ、そんな気がしたのは私だけか・・・
もっとも江戸時代と邪馬台国では時代が違いすぎるから、同じ棚にあるはずがない。と思いつつ手に取ってみると、もちろん朝鮮通信使とは無縁で、それよりも1500年も昔について書いた本であった。

タイトル著者出版社ISBN初版価格
倭国通史高橋 通原書房97845620515022015.04.223024円

ともかくパラパラと眺めると古代日本について書いてある本であったが、邪馬台国も出てくるようなので、とりあえず借りてきて読んだ。
読むと確かに邪馬台国も出てくるが、その雄大な視野に驚いた。あまりネタばらしはいけないが、この本の著者は邪馬台国の所在地どころか邪馬台国そのものもどうでもいいと考えているようだ。
私なりに考えると、こういうことだろう。
日本の人口を記している最古の文書は崇神天皇(6世紀末)の時代で、それによると約400万人だそうだ。もちろんこれは大和朝廷が支配している地域、つまり東北や北海道は除いた概ね埼玉千葉以西の人口だろう。だから魏志倭人伝の時代(3世紀)だって、東北を除いても日本には200万くらいはいただろう。
邪馬台国の人口は約40万と言われているから、邪馬台国はそのほんの一部分の国家だったわけで、その他の百数十万の人々はまた別のいくつかの国家に属していた。実際に魏志倭人伝によると邪馬台国は南の国とドンパチしていた。だから邪馬台国という国は日本を代表する国でもなく、特に勢力が大きかったわけでもなく、たくさんある国の一つにすぎない。
考古学では3世紀末の日本人口を100数十万と推定しているそうだが、6世紀から8世紀の人口をもとに増加率から逆算すると200万以下ということはないように思える。もっとも地域的にどこまでと考えるかで全く違うわけだが、いずれにしても邪馬台国が日本列島、九州及び四国を代表した国家であるはずはない。邪馬台国より1世紀くらい時代が下った神武東征神話からも瀬戸内海地域だけでも数多くの勢力が群雄割拠していたのがうかがえる。

そんなことを踏まえて私の推察であるが、「倭国通史」の著者は日本全体を考えていて、邪馬台国が九州であろうと畿内であろうと、どうでもいいと考えているようだ。ましてや発掘された鏡の産地なんてどこであろうと気にするほどの事でもない。倭の五王を天皇の系図と比定することもない。そして邪馬台国の所在地などちいさなことにすぎない。もっと大事なことは、当時どんな日本国内はどんな情勢であったのかとか、大陸との関係がどのようであったかということと認識しているようだ。
ところで何事でも考えたり企画するときは、ちまちました細かいところから始めるはずはない。大きな枠組みを考えて、その中身をだんだんとブレークダウンして具体化していくはずだ。家を建てるとき、こんな窓を付けたいとか、トイレの棚はこうしたいと細かい希望はあっても、個々を積み重ねても家にはならない。まず仕様があり制約条件の中でそれを実現するように考えて設計していくはずだ。 当然、遠い昔を推測するにもそういうアプローチでなければ単なる夢物語にすぎない。
例えば今の日本の全貌を知ろうとしたとき、かって邪馬台国があったと言われている福岡県とか奈良県とか一つの県を調べても全体像が分かるわけではない。例えば福岡県の人口、風物、知事の名前、県庁所在地そんなものを知っても日本全体を把握したことにはならないだろう。調査対象が福岡県でなく東京であっても同じだ。日本全土に地下鉄が網の目のように走っているわけではなく、高層ビルが立ち並んでいるわけでもなく、通勤が大変だとか駐車場を見つけるのが困難なんてのは都心だけだ。日本全体、つまり政治体制、人口、産業、風俗、宗教というものの全体像を把握しなければ日本を知ることにはならない。
同様に邪馬台国がどこにあろうとどうでもよくて、当時の人々がどんな暮らしをしていたかとか宗教とか倫理観とか考えた方が重要だろう。そんなことを著者は考えているように思う。

邪馬台国時代を考えると、当時の中国は先進国家であり大きな武力を持っていたから、当時の日本にあった小さな国々は中国から一人前の国として認めてもらうということは極めて重大なことであり、
王酢亜
之王伊
印之江
金印なり王位なりを賜ることは、ほかの国に対して優位になれたに違いない。
多数の小国家が中国と外交を結びたいと考え、もちろん外交を結ぶということは単に権威が付くだけではなく、鉄器をはじめ文明の利器の入手、思想や文字や宗教を獲得できるという戦略的な意味が大きかった。
そういうことを踏まえて、この本の著者は、個々の国がどうとか諸国の関係がどうとかではなく、大局的な視点で古代の日本社会がどういうもので、そこではなにが起きたのかということを考えているようだ。
いや、私が想像しただけであるが・・・

学会でも素人談義でも、銅剣が多数出たからここが邪馬台国だとか、鏡が出たからとか、魏志倭人伝に書いてある日程からするとここが邪馬台国だとか論じている人が多くいるわけだが、この著者の視点からすると、そんなことはどうでもいいことのようだ。現在の日本の例えに戻れば、日本の文化とか国家というものを研究している人にとって、福岡県が北九州にあろうと南九州にあろうと中国地方にあろうと重要なことではあるまい。それよりも政治体制とか、価値観とか風俗などを包括的にとらえることがより重要だろう。そんなふうに思える。

この本に書いてあることが正しいのか、間違っているのかなど私に判断できるはずがない。いや誰にとっても、今以上に遺物などが発見されなければ判断しようないだろう。
ただ、邪馬台国がどこにあったかとか卑弥呼が誰かとかということではなく、もっと広い視野を持って日本の古代がどうであったかと考えることが重要であることは間違いない。著者の視点で見れば邪馬台国とか卑弥呼のことなど些細なことで大勢に影響ないのだろう。だから邪馬台国についても卑弥呼についても特段言及していないのだろう。そして考えてみればそんなことは自明のことだった。今現代を生きる私たちにとって、邪馬台国がどこにあったのかということよりも、邪馬台国時代と今がどんなつながりがあるのか、どんな変遷があって今があるのかを考えた方がはるかに価値があり有用であろうと思う。
この本は邪馬台国について知りたいという人には不向きだが、邪馬台国のあった時代について考えたいとか、古代と今のつながりを考えたいという人には最高の本だと思う。
いや、その前に物事の概念のとらえ方、考え方というものを教えてくれるだろう。

ぬれ落ち葉 本日のまとめ
じっくりと古代日本を考えるには最適です。なにしろ厚い本ですから三晩は楽しめます。私は日中は運動をしているので、シンデレラの時間には寝てしまうのだが、この本は閉じることができず2時3時まで読みふけった。
睡眠薬にはなりません。睡眠不足に注意しましょう。



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2016/1/4)
なるほど。ISOはJABに金印を与え、JABには認証機関に金印を押した紙を与え、認証機関はその写しを以って組織を統治する冊封体制というワケですね。
するってぇと、JABもまた遺跡に埋もれる運命にありと・・・

名古屋鶏さん 今年もよろしくお願いします。
でもこの本の著者によるとISO認証のごたごたと失敗は記録しても、JABも認証機関も記録に残らないかもしれません。なにしろ細かいこと、くだらないこと、つまらないことは歴史の流れのノイズにすぎないようですからね

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