見よう見まね

16.01.14
私が高校を出て就職したのはもう50年も前、1960年代後半である。
私の配属された部署は機構設計といい、電気製品の筐体(きょうたい)つまり殻というか箱の設計をしており、材料には金属やプラスチックやガラス、ときたま木材も使った。それと梱包の段ボール箱やスチロールクッションも設計していた。
入社してまずさせられたのは、先輩が書いた図面をそのまま写すことである。当時はCADなどない。ドラフターという平行四辺形のリンク機構の製図機と木製の製図板を使いトレーシングペーパーにシャープペンシルで図面をひいた。ひとつの製品となると機構だけで組立図から細かい部品図まで合わせると200〜300枚くらいになる。それを一枚一枚そのまんま写図するのである。
工業高校を出てきたとはいえ三角法とかIT公差あるいはメッキ記号くらいは習ったものの、板金とか成形品はどれくらいの精度でできるのか、公差をどれくらいすべきか、摺動部のギャップはどれくらいかなんてわかるはずがない。そういったことを学ばせるためらしい。ともかく先輩の図面をひたすら写した。
数機種写図をしていると、大体の感覚が分かってくる。そうすると先輩というか上司がメモ書きしたものを寄こして図面にしろという。もちろん入社したばかりの我々が書いた図面はミスだらけ、寸法記入が抜けている、公差がおかしい、ああだこうだと言われる。そんなことを繰り返して、一応図面が引けると認められると、あとは先輩が書いた組立図から部分組立図、部品図に展開する仕事をした。もちろん細かいところは自分が計算したりメカニズムを考えたりする。やがて部品図だけでなく部分組立図を書かせられるようになり、数年たてば1機種まるまる図面化を担当するようになる。

計算尺

おっと忘れてはいけないことだが、当時はパソコンどころか電卓もない。計算は加減はそろばん、乗除は計算尺である。そろばんはともかく計算尺の有効桁数は3ケタ、よくそんなもので設計していたものだと今では感心する。

ところで我々の階級は技手(ぎて)と呼ばれており、技師つまり設計者ではなく製図工であった。我々は作成欄にサインするだけで、設計者欄には大卒であれば2年くらいの経験を積んでから、
高卒なら何年も経験を積み社内の試験に合格しないとサインできなかった。
どんな仕事だって1年2年すればまあ一人前になる。そしていつか試験に合格して設計欄にサインができるようになりたいと願ったものだ。
実際には何年も図面引きをしていても一人前と認められず、作成欄にさえサインさせてもらえない先輩もいた。そういう人は図面を上司に持っていくと、たくさん朱を入れられて修正させられた。そして作成欄にも上司がサインしていた。
あるとき我々ペーペーが団結して、それはおかしいのではないかと抗議したが、そのとき上司は外部から問い合わせがあったとき判断できないのでは作成したことにさえならないと語った。確かにそういわれるとそうも思う。
しかし普通の人ならいくらなんでも1年も下働きをすれば作成欄にサインしてよいといわれたのだが、そうなれなかった人は何が違ったのだろうか?
確かに違いはあった。練習で写図をしている時から違いはあった。先人が書いた図面を書き写すだけとはいえ、そのまんまではやりがいがない。その図面が過去に改定があればなんらかの事情があったわけで、そのいきさつを調べて少しは改善をするかしないか、自分が書いた図面に不具合を指摘されたら同じ失敗を二度としないか何度も間違えるか。より積極的には、先輩の設計を超えようとチャレンジする人しない人。チャレンジといっても小さなことでは寸法記入箇所をわかりやすいところにするといったことから、どこまで公差を緩められるか考えたり、似たような部品が複数あれば共通化してしまうとか、大きなことでは自分が良いと思うようにまったく構造や材料を変えてしまうとかである。ともかく人によってそんな違いがあった。
同様に、指導する方も、目の前の仕事はそれなりに処理しているものの理屈を知らない人もいたし、教えるのが不得意な人もいて、指導者に向かない人にあたると問題であった。

1970年頃のこと、設計不具合で市場から製品を回収する事態が発生した。幸い人命に関わることではなかった。しかしいつもは設計室の後ろにふんぞり返っている部長や課長が、青い顔をしていたのを今でも覚えている。
まずはともかく改修を行い何とか凌いだものの、その後、本社から品質監査をするというお達しがあった。まあ当然のことだろう。
部長が部員全員数十名を集めて「質問されたことには隠し立てせずに正直に答えるように」と訓示をした。そうすること自体、本社から指示されたのか、あるいは部長が自らの意思なのかはわからない。
設計部全員にヒアリングがあったわけではなかったが、抜き取りで半数以上が聞き取りされたと思う。幸か不幸か私もその中に入っていた。監査なんてのと関わったのはそれが最初であった。
指名された者は一人ひとり呼び出された。監査員は本社から来た40歳過ぎと思われる部課長クラス二三名で、二十歳前後の技手の私から見ると、とんでもなく偉い人であった。もちろん私はその問題にタッチしていたわけでもなかったので、直接の責任はなく、緊張することもなく気楽に対応した。

質問は発生した問題に直接かかわることではなかった。
聞かれたのは 質問はもっとたくさんあったはずだが細かいことは忘れた。そんなことを延々と小一時間聞かれた。そのとき発生した問題と直接関係ないことを聞くものだと、いささか呆れたことを覚えている。こんなことを調べても問題解決にはならないだろうと思ったのだ。
監査結果、どういったことが行われたのかは覚えていない。その後、部長と何人かの課長が異動したがペーペーの私には雲上の無縁の事であった。

その後、2・3年して私は製造現場に回された。製造現場でNC機械を導入したのでそのプログラムを担当させるという話であった。1970年代半ば自動プロはまだ出始めであり、NC機械のプログラム作成は手計算が主で算数の得意な者が必要だった。そして私は算数が得意だったのだ。
NCテープ

ところが現場に異動したもののNC機械を扱うのは仕事全体のほんの数パーセントにすぎず、残り9割以上は、治工具の設計とか外注の作業指導とか副資材の手配とか、まあ何でも屋であった。
当時その会社では、複数の家電メーカーから注文をとり、設計して自ら生産したり下請けに出したりしていた。要するにODM/OEMであったのだ。
注:
当時顧客であった会社の多くは今はもう存在していない。考えてみると日本の家電メーカーは21世紀の現在、大手も中堅もほとんど消滅した。総合家電メーカーなんてカテゴリーはもはや存在しない。サンヨーはいまやなく、シャープは先行き不透明、日立はインフラや情報、三菱は重電とFAに特化し、東芝は原子力に特化しようとしたが問題多発でどうなることか? パナソニックは総合家電メーカーというより住環境総合メーカーだろう。
中堅では山水、アカイの名を聞かなくなって久しい。アイワはソニーに吸収されたはずだ。ソニーそのものもどうなるのか?
同級生のひとりはNECに入った。周りの者はそんな会社に入って大丈夫かと心配した。だって当時はカラーテレビなんかを作っていたがナショナルとか日立に比べて全然有名じゃなかった。だがその後パソコンのトップメーカーとなった。そいつは先見の明があったと陰ながら喜んでいたが、DOSVが現れてからはまた鳴かず飛ばずだ。まさに人生あざなえる縄のごとし
東芝に入ったのもいた。3億円事件ときの年末のボーナスは1日遅れだったという。これは関係ないか

当時だってB2Bにおいては品質保証という考えはあり、発注者は完成品を受け入れ検査するだけでなく、製造工程について要求事項を定めてその実施と記録を要求した。もちろん下請けに出した場合もその管理を求めた。
お分かりと思うが下請けにまっとうな管理体制があるわけではない。顧客の品質監査があると聞くと、下請に出かけて、計測器管理、指揮命令系統、作業標準などをでっち上げ、要求事項通りにしてますと言えるようにするのも私の仕事であった。
当然であるが発注者は定期的に品質監査に来た。下請けに監査に行くときは私も同行して下請けをアシストした。多くの場合、監査員は品質保証協定書を読み上げるような形で、「○○の記録はあるか?」「作業標準はあるか?」「作業者は○○の訓練を受けているか?」「使用しているノギスは校正しているか?、記録はあるか?」というように決まりきった質問をした。こちらも「記録はこれです」「指示書はこれです」とおうむ返しをする。
その結果、問題があるときもあり、ないときもあり、それはともかく品質監査とは簡単なものだという印象を持った。以前設計にいたとき受けた監査のように、質問されて質問者の意図がわからない質問はなかった。聞く方も答える方も簡単である。そんな仕事を10数年した。
ただそういった監査はシステムだけでなく、製品検査もしたし、工程監査もした。だから「イエス・ノウ」の監査だからラクチンというわけではなかった。それにもちろん二者監査の場合、監査員は受け入れた製品の品質の責任を負うから真剣さはハンパではなかった。万が一受け入れた製品に問題があれば監査に来た人は言い訳できない。だから監査での応酬は、ISO審査のように言葉のあやなとは無縁でものすごくシビアでストリクトであった。それも私を鍛えてくれた。
注:
シビアもストリクトも辞書では「厳しい」であるが意味が違う。シビアは「程度」ストリクトは「厳密さ」である。小さな瑕疵でもダメというのがシビアであり、基準を外れたら少しでもダメというのがストリクトである。

その後私は現場の管理者までなったものの、いろいろと問題を起こして品質保証部門に流された。品質保証部門は客先との対面、品質監査を受ける直接の部門である。だがそれまでの経験から監査をされることには慣れていた。要するに要求事項を明確にして、それを裏返しにすればよいということだ。
品質保証に移って1年もしないうちに、ISO9001の認証が必要になった。時はまさにEU統合の前年1992年である。今考えるといい時期に品質保証に異動したと思う。
当時はまだISOコンサルも存在せず、講習会もない。とはいえ過去の経験から、顧客の二者監査と同じアプローチで進んだ。それ以外の方法論を知らないのだから。
結果として、規格文言の理解不足によるミスは多々あったが、方法論としては間違っていないと理解した。
規格文言の読み方をミスったわけは、顧客の品質保証要求というのは具体的で詳細に記述されている。要求事項が誤読されないようにあいまいでないようにものすごく注意して書かれている。他方ISO9001のほうは一般的に使えるように具体的でなく抽象的というよりあいまいなのだ。
注:
当時は規格に「明確にする」とあれば文書を作ること、「確実にする」とあれば記録を作ることと理解された。なことわかりませんよ。

他方、方法論として間違っていなかったとは、要するに過去の二者監査と同様に質問は要求事項を「あるか?」「しているか?」であり、それを見せればOKなのだ。今でいうと項番順審査とか箇条審査というのだろう。
まあ、そんなことが始まりで、それから20年もISO認証を請け負ったり手助けしたりしてきた。そんなことを踏まえて審査員の教育を考えてみたい。
えっ、前振りが長いって? ま、こらえて、こらえて、

ISO審査員登録の仕組みはどうなっているのだろう。
多分2006年からだと思うがISO審査員は、審査員登録機関に登録する必要がなくなっている。要するに認証機関が「この人は当社の審査員である」と認めればよくなった。それ以前は審査員登録機関というところに登録していなければならなかった。審査員登録機関とはルール上いくつあっても良いのだが、登録者が少なく損益分岐点以下では商売にならないので、日本には品質はJRCA、環境はCEARの各一つしかない。
実を言って両機関とも既に損益分岐点以下だろうと思う。
登録するには何が必要かというと、申請書、誓約書、卒業証明、研修コース合格証、推薦書、業務経験申告書、その他写真や通知用のハガキなどである。申請書や誓約書あるいは推薦書なるものは誰だってサラサラと書いておしまいだろう。卒業証明は卒業証書でも証明書でも揃えればおわりだ。
では主要なものはどうかというと、
上記は審査員補に登録するために必要な書類である。審査員補に申請して不合格になる人はいるのだろうか? これまた私の経験ではだめだったという事例を知らない。もしいらっしゃったなら非常に稀有な存在として自慢して良い。もちろん業務経験の書き方が不十分だとかいて差し戻しになった例は複数聞いている。しかし再提出して不合格になった人はいないようだ。
もちろん審査員補では審査できない。審査員補になった後、認証機関でも内部監査でも主任審査員資格を持つ人の指導の下にわずかな経験を積めば審査員に申請できる。その際、審査実績の記録と指導に当たった主任審査員の推薦書が必要になるが、試験があるわけではなく、認証機関で実際に審査に行けば自動的になれることは保証する。ただ主任審査員とけんかしていると推薦を書いてもらえないおそれがあるから、主任審査員が右と言えば右を向き、白を黒と言われれば黒と言わなくてはならない。
あなた笑ってはいけない!
主任審査員が環境目的は3年だといえば、3年未満の期間しかない環境目的は不適合にしなければならないし、有益な側面が必要だと言われればそれがなければ不適合を出すのですよ。そのへんが日本の審査員のレベルが向上しない原因かどうかは言及しない(笑)
おっと、先にも書いたがCEARへの審査員登録が必要だったのは昔のこと、今は登録しなくても審査員することに支障はありません。ただ別の認証機関に転職するときは審査員とか主任審査員に登録していると有利というか、そうでなければ雇ってくれないことが多いですね。
えー、これらから言えることは審査員に登録するには特段むずかしくないということです。
ということはどういうことなのでしょうか?
あ、そんな難しいことを語っているわけではありません。審査員の力量はわからないということです。結局審査員の実力とはその認証機関の教育体制と先輩のレベル次第であり、認証機関によるばらつきはきわめて大きい。指導者(チューター)に力量があるか否かさえも定かではない。そして先ほど書いたように指導する主任審査員のおめがねにかなわないと推薦を書いてもらえないから、指導者にいわれたとおりに審査しなければならない。おかしいとか間違っているとかいうことは審査員になることを諦めることと同義である。
あっ、うそだとかお前はなんも知らんなんて言わないでください。そういうことには詳しいですから私に議論を挑むのは止めといたほうがいいです。

40年前に田舎の工場で図面のサイン欄に署名できるようになることより、審査員補になるのはやさしく、設計欄に署名できるようになることよりも審査員になることの方が簡単であることは間違いない。なにしろ現実がそれを実証している。
だが図面にサインするということは設計不具合の責任を負うことであった。それは場合によっては社内的なことだけでなく、おおやけに民事刑事の責任を負う可能性もある。
さて審査員になるとどのような責任を負うのだろう、それは疑問である。なにも責任を負わないのかもしれない。

偉大なるLMJは「審査員に向かない人は2割いる」と語ったそうだ。しかし審査員研修から審査員登録までを通して2割の人がリジェクトされたというデータを私は見たことがない。いや一名たりともなれなかった人を知らない。
審査員や主任審査員になれば終生安泰かといえばそうではない。審査の際に苦情や異議を受けると審査員登録更新の際にそれを届けなければならない。しかしこれまた私の知る限り審査で苦情や異議を受けた審査員というのは稀有なことだろう。おかしなことを語っても規格の理解を誤っても、企業側は大人の対応というか泣き寝入りするのが普通だ。私のように認証機関に怒鳴り込むなんて恥ずべきことをする輩は稀有なことであろう。
だから審査員や主任審査員になればもう無問題、終生安泰である。

切磋琢磨、外部の厳しい評価、努力なき者はされという環境でなければ、質向上どころか現状維持さえありえない。公立学校の先生がそういう待遇である。学級崩壊しようとサヨク教育をしようと、教え子で怪我とか自殺者がでなければ、定年まで高給を食むことは保証されている。ISO審査員もそれと同じ環境にあると私は考えている。
ISO審査員になれば先人のしていることを見よう見まねで審査しているだけで生きていけるようだ。
大昔私が入社して写図をしたときのように、先人のしていることよりうまくやってやろうとしているとは思えない。
言い過ぎだって?
いや言いすぎじゃないでしょう。
もし審査員がよりより審査の質を高く、より効率の良いより効果のある審査をと考えていたならば、過去25年間には相当な進歩があったと思います。
反論された方はその進歩を具体的に説明してください。
もちろん証拠も提示願います。証拠のない主張は意味がありませんといつもあなたは審査で語っているでしょう。

うそ800 本日の反論に対する反論
そんなレベルの低い審査員はいないという反論を期待する。
そうかなあ?
環境目的は3年ないといけませんなんて騙っていた審査員はごまんといた。今は有益な環境側面を騙る審査員もどきも大勢いる。いや某認証機関の社長も有益な側面があると騙っている。彼らはレベルが高いのだろうか?

うそ800本日の懸念
次回のタイトルは「習うより慣れろ」だなと思われた方、憎いねえ〜



アムタス様からお便りを頂きました(2016.08.02)
別の関連規格について
お久しぶりです。更新を毎回、楽しみにしています。
「計測器」「校正」の文字が出たので、メールを送ります。
校正・試験の規格にISO/IEC17025があります。
国内では計量法校正事業者登録制度 (JCSS)として独立行政法人製品評価技術基盤機構が法律に基づいて実施しています。一応民間の認証機関もあります。「認証の価値」といわれると、校正の書類にロゴを入れることが出来るのですが。全ての種類の計測器に対してではないので範囲に応じてとなります。例えばハカリでもJCSS用の標準器(基準器)に応じてひょう量300kgまで等の範囲の指定があります。

対応するJISが何でこんな表現にしたのかと云うような文書があります。例えば、JISQ17025 5.5.8
『実行可能な場合,試験所・校正機関の管理下にあって校正を必要とするすべての設備に対し,最後に校正された日付及び再校正を行うべき期日又は有効期間満了の基準を含め,校正の状態を示すためのラベル付け,コード付け又はその他の識別を施すこと。』及び、又は、又は、で?です。

これからも更新を楽しみにしています。

アムタス様 お便りありがとうございます。
お久しぶりとありましたので、いつだったのかと調べてしまいました。3年前でございます。イヤハヤ、私も長いことバカなことをしております。あいすみません。
アムタス様のチェックでボロを出さぬよう頑張りたいと思います。
感謝


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