7.5.3文書化した情報の管理 その2

17.03.27
ここでは文書化した「情報の管理」の項番についての解説ではなく、要求事項のあるべき姿について一言語りたい。
2015年版のこの項番は9001と14001共に同じなので私の意見は双方ともに該当するし、更に基となる共通テキストに対することでもある。

文書とは情報を記録して伝える媒体である。昔々は石を並べたり草を結んで、方角や危険な情報を残したり伝えたりしたのが始まりだろう。

道草: 草結び(くさむすび)という言葉がある。これは人に先立ちなにごとかを始めることをいうが、そもそもは草を結んで道しるべとしたことからできたそうだ。

やがて文字が作られて粘土板や羊皮紙に文字が記され、それがパピルスとなり紙となり、現代ではフロッピィや光る円盤に光線で記録されるイチゼロの集合もある。いや文書は文字で表されたものばかりではない、色彩の見本であれば色見本板そのものが文書である。

ISO規格でいう文書管理とは文字で書かれたものすべての管理ではない。規格が文書と定めたものが対象であり、その範囲はバージョンによっていろいろ変遷があった。
「文書」と「記録」を区別しなければならないとか、文書には「文書」というラベル、記録には「記録」というラベルを貼れなんて時代もあった。文書とは仕事のやり方を決めたもので記録はその結果であり、混同してはいけないと口を酸っぱくして語る人は多かった。

ISO
文書





ISO
文書










ISO
記録








T
ISO
記録








U
ISO
文書







ISO
記録








ISO
記録








ISO
記録













ISO
記録










調




ISO
文書









こんなの書いているのアホみたいですね

ISO審査で「これは文書なのか記録なのか!」と厳しい口調で私を問い詰めた審査員がいた。私は「文書なのか記録なのかわかりません。だけどあなたが文書と思うなら文書管理の要求事項を満たしているかどうか、記録と思うなら記録管理の要求事項を満たしているかを確認してください」と応えたことがある。その人は「ムキー」と言ったけど(ウソ)それで黙ってしまった。
あの審査員はまだ生きているだろうか?
生きているなら、なぜあれほどムキになったのか聞いてみたい。お亡くなりになっているなら地獄に行ったとき閻魔様が問いただしてほしい。

その後、データというものが現れた。ある審査員はNCプログラムやソフトウェアなどがデータだと語った。しかしどうもそうじゃなくて、このときのデータとは様式を意味したようだ。様式とはフォームのことで温度記録用紙とか帳票だ。
しかし「文書及びデータ」というときの「データ」と、次の項番にある「購買データ」の「データ」の意味が違うというのも不思議なことである。

道草: ここでいう「データ」とはJISQ9000で定義する「データ」、すなわち「対象に関する事実」ではないらしい。⇒皮肉である。
しかし1994年版で定義なく突然「データ」を追加したり、2000年版でしれっとなくしたり、ISO9001も信用ならない。信用に値しないというべきか、

更なる問題が起きた。いや余計なことを語る人がいたという意味だ。
寒暖計 温度計の傍に貼られた温度記録用紙はデータなのか記録なのかと問う。白紙であれば文書で定められた様式であるが、測定した数値が記載されたら記録になる。だが今日が15日なら書きこまれた上半分は記録で、空白の下半分は様式なのか?
アホらしいとしか言いようがない。そんな細かい(くだらない)ことを議論するのを神学論争という。いや禅問答だろうか。顧客満足や遵法と汚染の予防に努めたいと考えている常人にとってはどうでもいいことだ。
しかし文書で定められた様式をコピーすることはどういう根拠なのかという議論(ツッコミ)は聞いたことがない。もちろん私はいつでもそんな議論に応じる。
まあそんな議論は2015年改定で、文書と記録が区別されなくなったことで過去のものとなった。
しかし・・・・文書と記録を区別しなくても良かったというなら、1987年版も1994年版も2000年版も2008年版も、みんな間違いだったのだろうか? となると2015年版も間違いという可能性もある。だって数学的帰納法ではそうなるはずだ。ISO規格の信頼性などないに等しい。そういう深淵を考えるとらちが明かないので、次に進もう。

そもそも文書管理というのはひとつの学問(技術?)であって、古くから研究されており標準的な管理方法が定まっていた。
私が工業高校に通ったのは1960年代半ばであったが、「機械製図」という科目の中に図面管理という章があった。図面は作成、照査、検認、複写、配布、使用という順になる。
下っ端が引いた図面を、指示した先輩がチェックし設計欄にサインする。それをベテランがチェックすることを照査と言う。場合によって照査は二重に行うときもある。もちろん間違いや改善点を指摘され差し戻されることも普通にある。そのための照査である。
照査を受けた図面は管理職が検認する。このときの検認者は図面の重要性や階層によって異なることがある。つまり部品図なら係長とか、組立図なら係長がチェックした上に課長が検印のハンコを押す。検印を受けて図面は完成する。
完成した部面は複写されて必要部門に配布される。

1960年代に多用された複写方法はアンモニアのジアゾコピーであった。これは日光を照らされたり水にぬれると読めなくなってしまう。それで日のあたる屋外で使われたり長期に使うものは、青写真にされた。青写真とは感光紙の上に墨入れされたトレーシングペーパーを載せて、屋外にひろげて何時間も太陽光で感光させるという超原始的な方法で作られた。そんな昔ではない、私が高校生の頃の話である。当時は当たり前のことだった。

青写真

もちろん会社規則とか規定と呼ばれるものや、作業手順書なども同じ方法で照査・検認を受けて複写されて配布された。もちろんパソコンもワープロもない時代で、客先提出文書など重要なもの以外は和文タイプなど使わないで手書きである。更に当時は複写するのに手間も費用も掛かった。だから改定があっても大幅な変更でなければ改定版を複写配布するのではなく、改定内容のみを伝達して、配布された部門で元の図面とか規定を、朱記訂正してもらうことが普通であった。半世紀前はそんな時代だった。
1987年版のISO9001の文書管理の最後の文章は、「相当回数の変更が行われた後には、文書を再発行する」である。この文章を読んでも今の人は意味不明であろうが、古い人間なら理解できる。改定が何度もあり朱記訂正が重なると、改定状況がわけ分からなくなってしまう。そういうことになる前に最新の改定版を複写して配布しろということである。
ISO9001の1987年版ではそういう時代背景を基にしていた。
だが技術はドンドン進んだ。コピー機がどこにでもあるのは当たり前になった。それもジアゾとか青写真ではない。俗にゼロックスと呼ぶ普通紙複写機である。それでISO9001は1994年改定で「相当回数の変更が行われた後には、文書を再発行する」という文言は削除された。
それ以降も、オフィスのインフラはものすごいスピードで進展した。イントラネットで多くの人が一つの情報にアクセスできるのも当たり前、図面ではなくCADデータから直接NCプログラムが自動生成されることも当たり前、距離も職階も超えて情報伝達にタイムラグがない時代となった。
そういう変化があったが、ISO規格における文書管理の要求事項はあまり変わりがないように思う。
確かに、文書管理というものははるか昔に完成されていたともいえる。決裁プロセス、文書の保護や情報管理ということは技術が変わっても要件は変わらないとも言える。
それにまた上記の他改定のたびに電子データなどに特有な保護やリスク対応の文言も追加されてきた。

だが、それでいいのかというのが本日の主旨である。
1987年のISO9001の文書管理は紙をベースにした文書管理の完成形だったと思う。だが複写機が手軽に使えなかった時代は朱記訂正させたように、複写機のなかった時代の文書管理はまた別だったろう。まして紙がきわめて高価であった時代、印刷技術がなかった時代の文書管理はまた異なっていたはずだ。しかしもちろん紙でなく木簡に書く聖徳太子の時代にだって文書管理はあったはずだ。

ならば新しいメディア、新しいインフラの時代にはあるべき文書管理の要求事項は1987年版の延長上ではなく新しい要求事項以前に要素(shall)というか切り口も異なるべきではないのかなと思うのだ。
正直言ってあるべき姿など私には想像もつかないが、次のような要素を考慮すべきではないかと思う。そういう観点からは2015年改定、いや共通テキストというのはあまりにも新規性がなく過去の延長に過ぎないように思える。新しい酒には新しい革袋を用意しなければならんだろう、
私の意見を述べる。ご笑覧いただければ幸いである。


マネジメントシステム文書とは単なる手順ではない。その組織体制を書き表したものである。我々が使えるメディアや表現方法の自由度が増せば、新しい表現方法が可能になり、システムもそれによって自由度が増すはずだ。
ガントチャートが仕事の進捗と管理をビジブルにし、PERTがコストと日程を同時に管理できるようにしたように、そういうシステムを包括的に表す方法が出現すれば新しい地平が開けるだろう。
それはいいアイデアだ、腕のいいプログラマーを紹介してくれというなら適任者を知っている。「月は無慈悲な夜の女王」のマイクがいいだろう。

うそ800 本日の主張
私も他人ひとの欠点をあげつらい棚卸するだけでなく、建設的な意見を語ることもできるのである。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2017.03.27)
新しい酒には新しい革袋を用意しなければならんだろう
昔、ユダヤの格言で見た覚えでしたが・・・キリスト教でしたっけ?
新しいISO教は、とてつもなく古い革袋に詰め込まれたのが悲劇の始まりなのでしょうか?

文書の電子化と言えば、紙でもPCでも帳票は原則的に2次元です。しかし、最近は3次元的なつながりを表現する必要がある事もあります。されば、近い将来3Dの帳票やAR・VRでしか表現出来ない「文書」が登場するかも知れません。現に、一部の企業ではベテランの動作をVTRに撮って「標準」としているそうです。
そうした時代には、そうした時代の規格が・・・いや、規格が無くなる方が先なの鴨。

名古屋鶏さん 毎度ありがとうございます。
システムというのは三次元どころか多次元でしょうね、三角法は立体を二次元に表す方法のひとつですが、完璧なものではありません。
多次元のシステムを書き表すには文字では不可能でしょう。
NC機械のプログラムも完璧に多軸を制御する記述をみたことがありません。
多次元の関連を書き表す方法、やはりマイクに頑張って考えてもらうところでしょう。


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