17.04.10
品質監査の開祖 L. Marvin Johnsonは
「Rightness means nothing ,only difference.」つまり
「(監査とは)
正しいかではなく、違いである」と語ったそうだ。
おっと、LMJとは誰だなんて人は、ISOとか監査の世界の住人じゃない、無視しましょう。
これはISO審査の心構えというか基本としては100%正しいと思う。いくら神を恐れぬおばQといえど、品質監査の開祖にイチャモンを付けるわけにはいかない。というかその言葉は間違いでないと考える、ISO審査限定なら
だが適合・不適合の白黒つけるだけのISO審査ではなく、お付き合いしてよいか評価する二者監査、そして組織を改善する一者監査ではどうかというのが本日の論である。
もう、これで分かっちゃう人にはわかっちゃったでしょう。そうです、私はもう適合性には重きを置かないぞという宣言です。もちろんそれは私が現役を引退したから言えることではあります。しかし同時に会社を良くしていこうと考えている人、会社を悪くしたくないと考えている人なら当然のスタンスであると思います。
「会社を悪くしたくないって?」と頭にクエスチョンマークが浮いた人は、ISO審査のために、認証のための仕事をしている人かもしれません。
おさらいをする。
「審査」とは第三者つまり当事者あるいは第二者以外が行う「監査」を言う。もちろんこの分け方は日本限定で、英語ではすべてauditである。具体的には「監査基準」が与えられて、実態がその基準に「適合」しているか否かを判断することです。
そのとき監査基準が適正か否かということは、監査の範疇ではない。スポーツでもゲームでもルールがあり、それを所与つまり与えられた前提条件であり絶対なものとして試合が行われる。そのルールが正しいか否かというのは議論にならない。

気に入らないなら自分好みのルールを作り新しいスポーツを興せばよい。実際にラグビーは足でボールを蹴るだけでなく、手も使った方がもっと面白いと考えた人が始めたと聞く。
とはいえルールは好き勝手に作れるわけではない。チート(いかさま)な手を許したり、裏技が使えるようなバグがあっては人々の共感を得られない。昔ドラフトの期限が切れる1日を使って野球選手と契約した球団があったが、ああいった行為はまさに裏技であり、尊敬されない。
だから存在するスポーツやゲームのルールの多くは、いい加減ではなく論理的に構築されている。もしルールが不適切であると先攻が常に勝つなど面白くないことになりルールとして妥当性がない。実際そういうものは多々ある。テコンドーは始めにポイントをゲットすると後は戦いを避け時間切れを待つ、そういうものはルールの完成度が低いのだろう。
もちろんどんなスポーツでもゲームでもルールは時代と共に改善されていく。囲碁では昔コミがなかった。その後、先攻が有利とわかり先手にはコミと呼ぶハンディキャップがつけられた。

チェスはトップ同士の対戦だと引き分け率が6割を超えていると聞く。ということは先攻後攻の差がない完成されたゲームと思われるかもしれない。
だが私はそうは思わない。引き分けが半分以上ということは欠陥ゲームだろう。野球の引き分けは1割以下、引き分けが多いサッカーでも4分の1である。囲碁はコミに半目があるため引き分けはない。チェスは引き分けが多すぎるからゲームの完成度が低いと言えるだろう。チェスも囲碁のような引き分け防止策を考えるべきだ。
もちろんルールは常に見直されている。公平さと面白さを増すために。

ゴルフはゴルフ場特有の条件によってローカルルールがある。それも妥当だろう。
水泳は新しい泳法が発明されるたびにルールが変更される。平泳ぎにバタフライが現れたときは別な種目に分化された。これはまあ当然だろう。ちなみにバタフライを考えた人は日本人である。
スキージャンプでは日本人が勝つとルール改正が行われる。どうしても欧米人に勝たせたいらしい。それはルールの在り方というよりも人種差別かもしれない。
ともかくゲームにおいてはルールに基づき勝負が判定される。選手が判定を不服として抗議することはあっても、ルールを不服として抗議することはありえない。それなら初めからそのゲームをしなきゃいい。
じゃあ本題であるISOについて考えてみたい。
ISO審査においてISOMS規格を満たしていないと不適合になったとする。それに対して自分の会社の仕組みには問題ないと納得できない時どうか?
いや不適合にならなくてもISOMS規格の要求事項がおかしい、変だと考えたらどうするのか?
会社のルールを改悪しても認証を得るべきか? ということを考えてみよう。
いかなる企業もISO認証するために創立されたわけではない。製品やサービスの提供を通じて、世のため人のために貢献し、かつ利益を得るためである。そして事業を推進し継続していくために社内のルールを定め、働く人にそのルールを守ってもらい、継続的に遵法と利益確保をはかるのである。それがゴーイングコンサーンである。
それは概念とかあるべき論ではなく、現実であり実態である。すべての社内のルールはそのために存在する。
例えば文書管理は会社の業務が円滑に進むように、かつ欠陥がないように定められるだろう。教育訓練もしかし、資材購入もしかり、人事管理もしかり、経理もしかり。その集合が会社のシステムである。
システムの元々の意味は「多くの物事や一連の働きを秩序立てた全体的なまとまり」であり、早い話が支配体制である。その体制は概念ではなく実態そのものである。概念はもちろん実態であっても目には見えないから、見えるように文書に書き示す。
ではISOMS規格とは何なのだろうか?
2015年版のタイトルを見ると
「環境マネジメントシステム−要求事項及び利用の手引き」とある。要求事項というなら、誰が、誰に、何を根拠に、何のために? そしてその見返りは?
見返りとは、それを満たせばどのようなご利益があるのかということ
ご利益がなければ要求事項を満たす意味はない
これは非常に難しいというか理解して納得している人がいるとは思えない。正直言って私は納得していない。
1987年にISO9000sが作られたとき、それは
「品質保証の国際規格」であった。商取引をする二者(売り手と買い手)は品質保証の基準としてこの国際規格を活用してほしいという性質のものであった。
規格には明確に
「この品質システムの要求事項は、技術的規定要求事項を補うもの(とって代わるものではない)(0.序文)」とあり、更に
「契約の特殊性に応じて修正が必要な場合もあるかもしれない(同前)」と記述されていた。
ともかく1987年版においてはその規格制定者は、ISO9000sは二者間の取引の品質保証基準であった。だからこれを守れば買います、守らなければ買いませんということで、その要求事項を満たす意味は明白であった。
しかしISOMS規格はISO9000sの普及と成功によって大きく変質した。二者間の取引ではなくもっぱら第三者認証に使われるようになった。そしてその性質も二者間の品質保証要求事項ではなく、会社のシステムが具備すべき条件となった。要求事項を満たしたことの見返りは、認証を受けるということである。それにどんな
ご利益(ありがたみ)があるのかはわからないが、まあ外部に対して当社の仕組みは一定基準を満たしていますということなのだろう。それを信じる人はいないようだが・・
審査とは「依頼者(client)」に変わって監査することである。初期の依頼者は前述のように「買い手(customer)」であったが、次の段階では「認証機関の経営者」となった。
ところが今では審査を受ける組織(の経営者)となった(cf.ISO17021:2011 3.5)。
ということはどういうことなのだろうか?
現代の企業経営者(執行役)は株主から預けられた資源と執行権で最大成果を出すことが求められている。だから組織の経営者が組織の妥当性、有効性を外部に点検を依頼するならば、その審査基準はルールが「組織に見合っていて有効であり効果的なものであること」ではないのだろうか? おっと、これは反語であり疑問文ではない。
審査の依頼者が組織の経営者であるなら、IAFもJABも現行のISOMS規格(2015年版もそれ以前も含めて)及びISO17021が不適切であると認めるべきだ。そして規格適合と認証した企業のシステムが適正であることとは、別ものであると認めなければならない。
経営者が期待していないことを基にした規格で適合確認したところで、その結果に意味はない。
「組織の仕組みはISOMS規格に適合している/適合していない」という報告が、経営者にとって意味があるのかと考えれば当たり前だ。
「組織の仕組みは、組織の目的に見合っている/見合っていない」という報告でなければ、組織の経営者はありがたくはないだろう。
少なくても私はそう考える。
*極論を言うなら、企業経営者の考える審査基準をヒアリングして、それをもとに審査を行うべきだ。そのときはもちろん審査基準は組織によって個々に異なる。それは一般的でないが第三者認証であることは間違いない。
その企業の審査基準とそれへの適合表明である第三者認証は、認証機関のビジネスとして今以上に価値があるように思える。それしか今後の認証機関の生き残る道はないような気がする。
とはいえ、その審査基準で審査できる認証機関、審査員がいるのかどうかは定かではない。
それは業務監査を代行するのと変わらないと言われるかもしれないが、当事者でない第三者が監査基準や監査結果を裏書きするなら、それはそれで価値があるのではないだろうか?
おっと誤解なきよう、品質監査とか環境監査ではなく、業務監査の代行ですよ
経営者は
「違いではなく正しさ」を求めているのだ。そのとき
「(監査とは)正しいかではなく、違いである」と語ることに何の意味もない。ここで言う「正しい」とは、神の教えから道を外すことではない。企業が継続していくこと、拡大していくこと、社会貢献に寄与できることを「正しい」とする。
正直言って、私は業務監査を10年もしていた。ISO対応の仕事から監査に入った私は、現役のとき、企業を良くするとか、あるべき姿という観点から見るそのときの業務監査は監査のあるべき姿ではないと考えていた。
しかしISOの呪縛が解けた今は「違いではなく正しさ」はまさに真理だと分かる。そして「正しいかではなく、違いである」というアプローチははっきり間違いだ。
とはいえ現役時代の私の成果物が無意味であったとは思わない。遵法と事故予防の観点から見ていた私はその是正も合わせて行っていた。もちろん監査する人と是正を指導する人は別の人にさせた。そうでなければ客観性が保たれず、暴走してしまう危険もある。
ともかく企業が依頼者なら、「正しいかではなく、違いである」という審査ではなく「違いではなく正しさ」でなければお金はもらえないと思う。それは一者監査であっても第三者審査であっても同じである。
おっと、そういうスタンスにおいて、第三者認証というものが成り立つのかは疑問ではある。

本日の根拠
お前は御大層なことを言っているが、世の中でお前と反対の主張をする人は何万人もいるぞという声が大向こうからかかるだろう。舞台に立つ役者にはうれしいことだ。
反論はワンセンテンスだ。
過去ISOMS規格の改訂はQMSとEMSに限っても両手で数えるほど重ねてきた。そんなにコロコロ変わるものが正しいはずがない。いやそのなかのひとつが正しいとしても、それ以外は間違いではないのか? 間違っても全部が正しいはずはない。

本日の後出し
こんなことを書くのでは「うそ800」もいよいよ終わりかと思われましたでしょうか?
まあ、そんなところかと、
名古屋鶏様からお便りを頂きました(2017.04.10)
違いではなく正しさ

結局、日本でISO認証が衰退する原因の根本はコレでしょうね。有機的かつ、柔軟に状況に対応しようとするとならば、カッチリとしたシステムは邪魔になりますから。
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名古屋鶏さん 毎度ありがとうございます。
おっしゃる通りです。来週は一歩進んだことを書くつもりです。
乞うご期待
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外資社員様からお便りを頂きました(2017.04.11)
「組織の仕組みは、組織の目的に見合っている/見合っていない」という報告でなければ、組織の経営者はありがたくはないだろう。

ついに大悟にも似た境地に達しましたね。
まさに仰る通りなのですが、ここに到達できるかは、いくつかの壁があるのです。
まず 2つは、経営者や組織側の壁。
当然に、組織は 「問題がある」という報告(判定)を嫌いますし、問題があることは薄々わかっているので、それを隠そうとするのが人情です。 それを越えて事実をつかむのは難しいのでしょうね。
経営者の壁は、本来は真実を知りたいはずなのだから、無いようにも思われるのですが、現実には存在します。
知りたくない真実や指摘は、時に人を怒らせるのです。
差支えの無いようように、過去の巨大組織、帝国陸海軍に例をとってみましょう。
英米との開戦前には、陸軍はソ連を、海軍は米国を仮想敵にして、整備と訓練をしていました。
この設定は一見 結構に思えますが、日本の国力を考えれば、当時からの超大国:米ソを両方を相手に戦えるはずはないのです。 ですから、まず目標設定 または役割分担の時点でオカシイのです。
史実では、さすがに両方を相手どらずソ連とは不戦条約を結び、米軍と島嶼を巡って戦いになります。
となると、当然に海軍が主体、陸軍は対ソ戦のような平原、寒冷地の戦闘はあり得ません。
にも拘わらず、陸海統合指揮の主体は不明確、陸軍はジャングルには不適合な武器・装備で島嶼戦を行い、大量の餓死者・輸送中の海没者を出します。これらは戦闘にも参加できないまま消えていった命なのです。
こういう組織を監査した場合に、陸海軍様に向かって、お前の装備と訓練は全く役に立たないというと受け入れるかは、大きな問題なのです。実際に、貴重な国民の生命、財産がかかった戦争においてそれができなかったのですね。 何故なのでしょうかね。詳しくは、お酒をご一緒にした時のネタにしましょう。
当時の成人男性には兵役の義務があり軍隊の経験もあり、陸軍はソ連を、海軍は米国が仮想敵というのは秘密でもなく常識でした。 ですから、そこから組織に問題ありと気付くだけの情報は存在しているのです。
にも拘わらず、問題にならなかったのは、国民自身が「その任にあらず」と考えていたのだからだと思います。
軍隊も官僚組織ですから、当然に監査も行われます。
その監査では、ご指摘に沿ったような根本的な目標に対する適切な組織かという監査の考えはなかったのでしょうね。
ですから、3つめの障害は、監査する側の意識と能力なのだと思います。
この部分は、まさにおばQさまが常々 指摘されている点だと思います。
つまり、監査する人間の能力であり、それ以上に改革・改善に対する意識なのです。
それを持つには、世の中の変化も理解し、組織の要諦も理解し、その根源的な目的を把握している必要があるのだと思います。
それができる監査員というのは、今に限らず、昔から得難いものなのだと思います。
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外資社員様 毎度ご指導ありがとうございます。
誰しも耳に心地よくないことは聞きたくありません。でも苦い薬を飲まなければニュースでさかんに報道されている会社のように傾いてしまう危険があります。そこは踏ん張るしかないと思います。私がその立場ならできるかどうかは別ですが、
それとは別ですが、日本のISOは遊びというかお芝居なのです。
具体的に言えば私は軍隊で言えばせいぜい下士官、命令を受けて実行するだけの立場で経営のなんたるかを知らず、方針とはいかにあるべきかということも理解してなかったのです。ISO認証していると品質方針、環境方針、○○方針とたくさん作るわけですが、元の会社の社長は一つの方針にいろいろと盛り込んで、これをやれと言っていました。
そういう発想ができないといけませんね。実際にISO担当者とか審査員がしていることはISOゴッコなんですよ。いや、ISO規格を作った人たちもそうじゃないのかなと思います。
それに気が付けば、ISOMS規格もISO認証制度も自分たちのしていることも裸の王様になってしまう。ISO認証制度は過去25年間続いてきましたが、初めからそういう怪しげなものであったわけではありません。最初は「品質保証規格」であり第三者認証ということもそれなりに意味(価値)がありました。でも依頼者が審査を受ける企業の経営者となればちょっとおかしいなあと思います。
おとぎ話の裸の王様の最後は「困った」と思っても今さら行進をやめるわけにもいかないので、もったいぶって歩き続けたそうですが、ISO認証制度はお金を払う方がヤメタと言えばおしまいですね。
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外資社員様様からお便りを頂きました(2017.04.12)
ISO認証していると品質方針、環境方針、○○方針とたくさん作るわけですが、元の会社の社長は一つの方針にいろいろと盛り込んで、これをやれと言っていました。

私がお話の意味を正しく理解しているか自信がないのですが、社長が作った大方針を受けて、品質方針・環境方針はできているのですよね。
そして、それに基づいて、環境・品質部門にも予算が配布されていると思います。
ですから、各部門は、リソース(人と金)配分の中で認証を考えるのですよね。
このような上から下への管理の流れを考えると、一部の認証会社が言う「経営に役立つ認証」という掛け声は、まるで下剋上のようにも思えます。
認証会社が直接 社長に対してアピールできるならば意味もありましょうが、昨今 社長自ら環境や品質を経営方針の一次に据える人もおりませんでしょう。
となると認証会社が営業する相手は、環境・品質部門の人になりますので、これらの人に下剋上なメリットを説いても無意味ですよね。
むしろ、日常業務の負担にならない認証とか、現状をISOに当てはめる形の審査の方が、よほど受けが良いと思います。
もちろん、安さを売りにすることもできますが、それは不幸な方向ですから、とりあえず脇に置きます。
具体的に言えば私は軍隊で言えばせいぜい下士官、命令を受けて実行するだけ

いへいへ、私はおばQさまは旧軍の兵隊元帥のごとき、現場でたたき上げた、本当に組織を回していた人だと思っています。
こういう名人が消えたのが日本企業の衰退にもつながっているし、名人に頼っていた組織の弱みにもつながっていると思います。
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毎度ありがとうございます。
社長が作った大方針を受けて、品質方針・環境方針はできているのですよね。

この質問には大声でイエスと言えずモゴモゴしてしますのですが・・・建前と本音といいますか、社内的には方針展開されていました。当然それで予算配分があり実績がフォローされますから。じゃあ、それをそのままISOでいう方針としたのかとなると若干ストレートではないといいましょうか・・
私も複数の会社で複数の認証を受けました。初めてISO9001の認証を受けたときは何も考えずに会社の方針をそのまま見せました。認証機関も外資系でイギリス人だったので問題はありませんでした。
その後、ISO14001となるとレベルの低い某認証機関でしたのでトラブル回避のために規格文言通りの方針を作りました。その後、転身したところでは会社の方針を環境部分だけ切り取って方針として見せていました。
スミマセン、私も思うようにはいきません。認証機関とチャンチャンバラバラする前に上長を説得しなければならず、社長はともかくどこでもエライサンはトラブルを嫌うのですよ。
浪人の身となった今はあるべき姿、最善を考えることができますが、宮仕えの身ではなかなか・・
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