ISOマネジメントシステムの価値向上を目指して

17.05.15
タイトル
ISOマネジメントシステムの価値向上を目指して
〜認証機関からみた有効事例活用事例集〜
編集出版JACB(日本マネジメントシステム認証機関協議会)
単  価非売品
発 行 日2017年3月31日
サ イ ズA4サイズ、156ページ

同志の方からこういうものがあるよとこの報告書を貸していただきました。ありがとうございます。
猫にまたたび、お女郎に小判、泣く子にお乳、おばQにISOというくらいですから飛びつくように本を手に取り、ひたすら読みました。しかしながら10ページも読むと熱が冷めたのは事実。とはいえ読んだ甲斐はありましたしISOについて改めて考える材料になりました。

この事例集というか報告書は、認証機関の業界団体JACB(日本マネジメントシステム認証機関協議会)が、ISOMS規格を認証している企業35社にインタビューして、認証してこんな効果があった、こんな良いことがあったという回答をまとめたものです。もちろん当然のことながらISO認証の効果はなかったという回答はありません。
認証規格はISO9001、14001、27001などさまざまで業種も多様ですが、意外なことに製造業は少なく非製造業それも販売やオフィスよりも医療とか運送、警備などが目立ちます。

読んで感じたことの第一は使われている言葉や言い回しで意味が分からないものが多々あることでした。まったく新しい言葉が出てくるというわけではありません。むしろよく知っている言葉が通常でない使われ方をしていることでした。私が違和感を持ったものをいくつかあげます。
単語単体について変だなというものをいくつか挙げたが、単語そのものでなく、何を言っているのかわからないというものがこれまたたくさんある。

さて細かなことはいいとして、本当の問題について考える。
この報告書のタイトルは「ISOマネジメントシステムの価値向上を目指して」である。ここでいう価値とは何だろう?
 1.「ISOマネジメントシステム規格の価値」なのか?
 2.「ISOマネジメントシステム規格に合わせたマネジメントシステムの価値」なのか?
 3.「ISOマネジメントシステムの認証の価値」なのか?
この報告書では1番目ということはなさそうだが、2番目なのか3番目なのか明確に記述されてはいない。
報告書の中で多くの企業が「審査での審査員のコメントが有効である」と記しているから3番目かと思われる。だが中にはMSが定着すれば認証を止めようかという会社(p.99)もあるので、そうなると2番目も含むのだろうか?

基本的な語義が不明であるが、ここで停まってはどうしようもない。出発点をないがしろにしてはハチャメチャではあるが、とりあえずないがしろにして次に進む。
価値とは何だろう?
価値という言葉の意味は「なにものかが重要であるかまたは役に立つこと、及びその程度」である。そしてものごとの価値にはその質的なことから階層がある。

階層説明(例)石鹸なら
自己表現価値自分を何者かに思わせる意味付けセレブが使うイメージ
情緒的価値使用における感覚的価値香り・手触りがいい
機能的価値他に差別化できる性能他よりも汚れを落とす
基本的価値その商品の存在目的汚れを落とす

当然であるがものの価値はその存在目的を果たすことが最低限必要である。セレブが使っている石鹸だといっても汚れが落ちなくては価値がない。

さて、「ISOマネジメントシステム認証」の基本的価値とは何だろう?
私が知る限りISO認証の意義を示すものはISO/IAF共同コミュニケだけだ。それによると

ISO9001認証の成果: 法令や要求事項を満たした製品を一貫して提供し、更に顧客満足の向上を目指す

ISO14001認証の成果: 環境との相互作用を管理しており、以下のコミットメントを実証している。

同じMS規格でも品質と環境で違うのはなぜなんだという疑問は置いておこう。そこまでいくとISO規格とか認証の根源的な問題になってしまう。
これを基に価値の階層を考えると次のようになるだろうか?
私がさってばさと作ったので深い意味はない。より良い内容・表現の提案を拒むものではない。

階層ISOマネジメントシステムの価値
自己表現価値認証という事実による所属員の意識向上
情緒的価値認証という情報提供(宣伝)による外部の評価向上
機能的価値組織のルール順守の外部点検
基本的価値法令や要求事項を満たした製品を一貫して提供し、更に顧客満足の向上を目指していることの第三者表明

おっとここでは「ISOマネジメントシステムの価値」を前項の3番目の語義で考えた。2番目の語義で考えたらどうなるのだろう?
何の価値もないように思うのは私だけだろうか?
しかしどちらで考えても審査員のコメントというものは上記価値の階層に入っては来ないように思える。もし審査におけるコメントが価値を持つなら、それは法で言う反射的利益という言い方を借用すれば「反射的価値」というようなものではないだろうか。
つまりそのものの基本的価値でもないのはもちろん、そのものの本質に関わるものではなく、ある状況においてたまたま生じた良い効果にすぎないのではないだろうか。そして反射的利益が保護されないように、反射的価値はうつろいやすいものである。それは企業の回答でも審査員によってコメントの質が異なるとかいう言葉にも現れている。

参考まで: 反射的利益とは、何者かの行為によって、他の者が副次的間接的に受ける利益を言う。
近くに公園ができて素晴らしい環境になって地価が上がったようなケースを言う。こういうとき、その後公園がなくなっても文句は言えない。
じゃあ近隣に迷惑施設(NIMBY)ができたら反射的不利益というのかというと、そういう言い方はないようだ。

報告書の中で、なぜ認証したのかという問いに対して公共事業入札や顧客要求を上げているところが数社あるが、結果としてそれを認証の基本的価値としているところは1社もない。ということは回答した企業は基本的価値などどうでもよいようだ
となるとこの報告書の多くの企業が語っている「ISOマネジメントシステムの価値」とは「ISOマネジメントシステム」によってではなく、多くの企業が回答しているもの(価値)を直接的に達成する別の方法を採用すべきではないかという結論が導かれる。

ではどのようなものに価値を見出したのか、回答をまとめてみると
多くの企業が回答しているものはISO/IAF共同コミュニケが説明しているISO認証の成果とは全く違う。共同コミュニケが示しているのは基本的価値だけである。他方、企業回答の回答は、審査員のコメントであり改善の機会である。それならそういったことを直接行うコンサルタントに依頼したほうが確実で手っ取り早い。
第三者認証にはその効果があるという論は、上記の価値の階層からいって的外れであり、前述したように反射的価値でしかない。

更に愚考を進める。
価値とは前述したように「なにものかが重要か役に立つかということ、及びその程度」であった。つまり数値的に表示、評価できるものである。
通常価値とは費用対効果つまり効用を費用で割ったものをいう

昔VA(Value analysis)とかWE(Value engineering)なんてやった人も多いだろう。1980年頃流行したように思う。あのとき価値を表す式は次のようだった。

V (価値)F (機能)
C (コスト)

価値を上げるには機能や性能を上げることもあるし、かかるコストを下げても良い。常識的に考えて両方すれば素晴らしいだろうが、現実問題としては機能を下げてもコストをそれ以上下げれば価値は上がる。安かろう悪かろうが必ずしも価値を下げるわけではない。
おっと!元々機能(効果)ゼロであれば、コストをいかに下げようと価値はゼロだ

もちろんそういう算式で表した数値が感覚的な価値と一致するとは限らない。
中身が高性能でも外観がプアなパソコンなら購買意欲がそがれるだろう。それは情緒的価値レベルで購買するか否か決定されているのかもしれないし、外観そのものも基本的価値なのかどうか。
閑話休題

「ISOマネジメントシステム規格の価値」とはどんな尺度で表すのか?
おっと前項で「ISOマネジメントシステム規格の価値」そのものの意味不明であると述べた。あいまいを敵にしては神々の戦いもむなしい。
どんなものごとでも定量化せずに定性的、感覚的にものごとをとらえては進歩がない。計画は定量化せよ、達成手段の期待値は定量化せよとのたまわく審査員をべる人たちが、価値を定量化せずに効果を論じていること自体おかしなことである。
結局この報告書の結論は、ISO認証制度を運用した結果、本来の意図ではなく別のことにおいて意味があったという回答を得たということではないのか。その別のことは企業によって異なるし、すべての企業において価値を認めたというわけでもない。
ISO認証の中核となる基本的価値については全く言及していない。
どうもISO認証制度の価値を上げることができない、あるいはISO認証制度の価値を把握できない悪あがきのように思える。

うそ800 本日のあきらめ
各企業の考えについて諸項目、つまり認証目的、認証継続への考え、認証の価値、審査員のコメントの受け止め方などのマトリックスを作ればわかりやすいかなと思いましたが、そんな手間暇かけることもあるまいとやめました。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2017.05.15)
体制側としては、ひとつでも多くの情じゃ・・・ではなくて顧客獲得に繋げたい、という思惑はあろうかと思いますが。
しかしそれならば「如何に自分たちは素晴らしいのか」を宣伝するのではなく、顧客の不満をどう解消するのか?を優先するべきでしょう。
であるとしたら、大政翼賛会のような報文集よりも、クレーム集を作った方が現実的だと思いますがね。まぁ、崖っ縁目掛けて一直線に走るのであれば止はしませんが・・

名古屋鶏様、毎度ありがとうございます。

クレーム集を作った方が現実的

御意、まさしくその通り、審査の場では顧客の声を聞け、新規顧客の開拓は既存客の維持の5倍の労力を要するなんて演説する人たちが(以下略
まあ、だから(以下略


外資社員様からお便りを頂きました(2015.05.22)
おばQさま
>「反射的価値」
今回は、読んでいてなるほどと思いました。

似たようなものですと、英語能力を個別に確認するのは面倒だからTOEIC、TOEFLの点数で代用するようなもの。
このスコアとビジネス英語の実力があるかは比例はしませんが、ある程度の基準になります。
そういう試験を受けて結果を出すモチベーションがあるという証明にはなります。
英検というのもありますが、結局 日本固有のものが衰退するのは、どこかの認証制度にも似ています。
漢検というのもありますが、これは認定団体の不正があったり、漢字学者が無駄だと非難したり。
最近はテレビのネタ程度しかならないようです。

一時期は、ISOの認証を取引条件に入れていた企業もありましたが、さすがに最近は見ないですね。
企業自体が無駄だと思っていたのか、「サプライチェーンまで認証しないと意味が無い」というのも単なる一過性のものだったようです。
とある認証機関の審査員さんが、ISO認証をするということはISOのシステム自体を受け入れることだと言っていて、私もおばQさまと似た違和感を覚えました。
改めて考えてみると、ISO認証をするのは、ISOの言葉を外部の説明方法の一つとして採用することなのだと思っています。
そうでないと、中国でISOをやっているのが説明できないのです。
あの国は、自国スタンダードが大好きなのですが、なぜかISOは掛け声がかかってやっています。
これが管理システムならば、絶対にあの国では採用されません。
外国向けの説明手法とか、ブランド(名牌)の一種なら、あの国では結構使われます。
国際規格ですから、海外も含めて、共通認識として通じる範囲が、適切なのでしょうね。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
ここで取り上げた「ISOマネジメントシステムの価値向上を目指して」という報告書をみますと、認証制度側も自分たちがしている事業をつかみかねていると思います。お金を頂くにはその対価としてなんらかの価値の提供をしなければなりません。認証機関も審査員も自分が何を提供しているのか分からないというか、提供できていないと認識しているのではないでしょうか。
これが二者間の取引なら明白です。買ってもらうために客の要求に応えるというある意味絶対的なことです。ところが客の要求でもなく法規制でもなく、しかも認証しても目に見えるメリットがないということであれば、付加価値がありません。
認証すれば安心できると言いたいですが、認証しても安心できないとは認証制度の元締めであるJABが発言しています。
それじゃ、いったい存在意義は何だろうと思うのが普通です。
私にはわかりません。認証にブランド価値を認めさせるか、法的にメリットを設けてもらうか、認証本来の目的以外の価値を見出すかしかなさそうです。この報告書は三番目を目指したのでしょうけど、そこで指し示す効果は大枚に見合ったものではなさそうですし、そのためなら別の方法の方がより直接的ではないかと思えます。
結局、当面はさまようしかないのでしょう。

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