17.08.17
第5回JABマネジメントシステムシンポジウムは3月7日に行われた。半年近く過ぎた今頃、何を語っているのかなんて言わないでくださいな。シンポジウムの入場料は1万円、電車賃だって往復1300円もかかります。定年退職者の私がそんな無駄使いができるわけがありません。それで毎年講演録が載ったアイソス誌を読んでいるのです。講演録が載った8月号を大枚1944円はたいて買いまして、じっくり読んだわけですよ。それでこの文章を書くのが今というわけです。そう考えれば少しも遅くはありません。
と言い訳をしてから始まります。
タイタニック号が沈むとき、ハートリーと彼の7人の仲間は乗客が落ち着いて避難できるようにと演奏を続けた。生存者の話によると、彼らは最後の最後まで演奏を続けていたという。そしてタイタニック号と運命を共にした。涙なしには聞けない話である。
いやこれは献身とはいかなるものかという枕であります。
今ISO第三者認証の認証件数は継続して減少中であり、それを受けて認証機関も審査員登録数も審査員研修機関も減る一方です。ノンジャブについては正確なところはわかりませんが、増えてはいないようです。
そんな状況において開かれたマネジメントシステムシンポジウムであるなら、この危機を打破するのだ、回天を図ろうという熱意・意思というものが顕され、建設的で活発な討議がされたのだろう、そしてその成果は第三者認証に寄与するものと思っていた。
しかしアイソス誌の全講演録というのを読むと、そうではなく2015年規格改定を受けて審査をどうする、認定機関、認証機関はこうするという内輪話に終始したようです。
冒頭にじっくり読んだと書いたが、はっきり言って新しい情報とか特記すべきことはない。重箱の隅を突っつくだけで、新鮮味はなく以前から言われていることを擦り減ったレコードのように繰り返すだけであった。もっとも最近はネットから音楽を落とすのが主流だから、逆に擦り減ったレコードに新鮮味を感じるかもしれない。
ともかくシンポジウム全体について論評する価値もないので、偉大なる飯塚理事長とミニ飯塚とも言えそうな山田主査の講演についてコメントする。
私の意見が認証制度側の今後に反映していただけたら幸甚である。いえ、私にとってではなく彼らにとってであるが・・
横道が続くと嫌われる。
Part1 主催者挨拶
飯塚センセイはまさに沈没する船の船長であるわけだが、ハートリーのように周りの人を勇気づけ和ませることもなく、わけのわからないことを語る。全容も細かいところも変だと思うことばかり。
- 「JABは、認証の基準を作成しているわけではございません」(p.8左列)
2016年のことであるが、ISO14001の審査を受けた知り合いの会社で、認定審査員というのが審査に陪席したそうな。
そして審査後に認証審査員(ISO審査をする審査員)に「有益な環境側面に言及していないから問題である」と語ったとのこと。その知り合いは「JABが有益な側面があると考えているようだ」と語っていた。複数の人が耳にしたから聞き違いではない。
「JABが認証の基準を作っていない」なら、あれは砂漠の蜃気楼だったのだろうか?
それとも飯塚理事長の高邁な精神が、認定審査員に徹底されていないのだろうか?
もっともトップの方針が徹底されていないということはトップの責任であると、ISOMS規格だけでなくISO17021にもあった。おっと、認定機関はISO17011であった。「JISQ17011適合性評価−適合性評価機関の認定を行う機関に対する一般要求事項」を見てみよう。
5.2.1「認定機関のトップマネジメントは、品質方針を含む活動に対する方針及び目標を明確にし、文書化しなければならず、(中略)これらの方針が認定機関のすべての階層において確実に理解され、実施され、かつ維持されるようにしなければならない」
知り合いの会社で「有益な側面が必要である」と仰せられた認定審査員は、単に言い間違えたのでありましょう。今後は言い間違えしないと期待します。
- 「マネジメントシステムを認証すると、それによってそこから生み出される製品・サービスの質なりが担保されます」(p.8中列)
飯塚先生、サラっと言ってますけどそれほんとうですか?
あっこれ間違いだろうという意味ですよ。もし真であるなら認証の意味合いが全く変わるということになります。でも一国の認定機関の理事長が、IAFの見解と異なることを言うはずがないでしょう。
理事長がおっしゃるなら、きっとその裏付けがあると思います。ぜひご開示願います。
- 「もう一つは、認証というプロセスを通じて、認証される組織やシステムの能力が向上することです」(p.9左列)
口で言うだけでなく、わざわざ図表2と図表3を載せています。自信作なんでしょうけどまとまりの悪いマトリックスですね。
ところでISO/IAF共同コミュニケでは、この効用は記載されていませんから、飯塚先生独自のアイデアなのでしょう。飯塚先生は何を根拠にこれに言及しているのでしょうか?
私は過去よりそんなことは絶対にないと申しております。もちろんISO9001は2000年改定で品質保証から品質マネジメントシステムに成長したのだというかもしれません。でもここで言われたような効果があることを説明したものも、実証したものも見たことがないのであります。飯塚先生、証拠の提示をお願いします。
百歩譲ったとしてそのような効用があったとしても、品質マネジメントシステムの適合証明とは並列に記述はできないでしょう。そんなものオマケですよ、オマケ、販促物程度でしょう。
- 「ISO9001は私たちがやっていた品質保証の意味合いと随分違っていました」(p.9右列)
納得できないというか、この文章は事実と大いに異なる。1980年代まで、日本ではTQCとかTQMというのが大流行していたのは事実。しかしそれを「品質保証」と認識していたかといえば、そうではないと思う。そもそもTQMは「総合的品質管理」の略で「総合的品質保証」ではない。日本人が英語が不得手とは言っても「保証」を「マネジメント」とは訳さない。
そして当時だって「品質保証」という仕事はあったし、それは要求事項に若干の違いはあってもISO9001:1987と同様なものであった。というか私は現場の管理者を首になって品質保証部門に流れてきた。そのときはまだISO規格などなかったけれどちゃんと品質保証というお仕事はあったのだ。
日本において品質保証の始まりは、NQA(原子力品質保証)とか防衛関係においてだったのだろうが、私が製造現場にいた1980年以前からBtoBの取引においては一般の耐久消費財や消耗品においても品質保証協定を結び顧客要求事項が提示されていたという事実がある。
飯塚先生はそういう事実を知らないのだろうか?
いやいや、飯塚センセイだけでなく、ISO9001:1987の対訳本「品質保証の国際規格」の末尾に久米均が「日本では欧州のような品質保証がなかった」(p.214)、また「二者間の監査は監査ではなく指導である」(p.218)と書いている。
冗談じゃない。久米も飯塚も全く実態を知らないのだ。当時、私は現場監督(作業者数十名の指揮者)だった。私は定期的に顧客である大手メーカー(今その多くは倒産、買収で消滅している。40年は長い)から品質保証協定書が守られているかの監査を受けた。
久米や飯塚がヒアリングした企業が何と答えたかはわからないが、私が毎年顧客から指導でない監査を受けたことは間違いない事実である。
私が嘘をついているかもしれないが、いくらなんでもNQAや防衛やNTTの品質保証要求がなかったとは言わないだろう。製造業で働いた人にとってそんなこと常識だろう?
いや証拠はいくらでもある。日本の企業の多くには1990年以前から品質保証部門があった。当時ISO第三者認証はなかったから、そこは何をしていたのか? まあ、中にはTQMとか提案制度の事務局もしていたところもあるかもしれない。しかし本業は品質保証つまり顧客要求を満たす仕事をしていたのだ。疑うなら100社くらいの企業に、30年前の組織表とその職務分掌を問い合わせれば一発だ。
- 「認定審査という場を通じて誘導していきたい」(p.10中列)
それはISO17011に定めてあることでしょうか? 誘導するのが前述の「有益な環境側面」のような間違いなら、ぜひともやめてもらいたい。
「『認定』という技術的能力、これを高めていきたい」(p.10右列)
それはぜひともやってほしい。あまり期待しないけど、
飯塚氏の講演を聞いて頷いた人はいかほどいたのだろうか? 多かったなら大いに不安だが、少ないなら頷かない人の声が認定機関の理事長に届いていないことが不安である。
Part2 基調講演
この方の文章を読むとミニ飯塚というか飯塚ジュニアのようだ。
なによりも浮世離れしたことを語っているのだから、審査の現場など見たことがないのだろう。審査を見ているというなら、お膳立てされたお芝居の審査だろうと思う。
ではこのセンセイどんなことを語っているのか?
- 「5年あるいは10年程経ったときに、第三者認証制度はどういう方向を目指すべきなのか」(p.11左列)
今現在、認証件数が毎年3ないし5%減少しているのだから、まずは認証件数増加を目指すべきだろう。さもなくば5年あるいは10年経てば認証制度は消滅しているよ。そうなればなにを目指すか心配することもない。
- 「2012年度は複数の規格にどう向き合うか、2013年度は事業にマネジメントシステムをどう組み込むか、2014年度は業種別にどう対応するか、2015年度はリスクへの対応をどうするか」(p.11右列)
こういう表現をあちこちで見かける。こういう言い方をする人は企業で働いたことがないのか?
なぜ企業はISO規格に合わせなければならないのか?
ISO規格は企業より上位なのか? ISO規格は神様なのか? 全能なのか? その証拠を見せてほしい。
私は会社はISO規格のために存在しているのではないと考えており、従来からの会社の仕組みがISO規格を満たしていることを説明することと理解している。だから、こういう言い方には嫌悪しかない。そういう輩は「ISO規格は会社をよくする」というマネジメントシステムごっこでもしていればいい。周りの人に敬われ遠ざけられるだろう。
- 「ISO9001あるいは14001の認証を取得しているなら『お墨付きを持っている会社なので間違いない』とか、『提供している製品サービスがしっかりしている』とか、(中略)評価される」(p.12左列)
飯塚センセイも同じことを語っていた。
ISO認証とは製品サービスに対するものだと何に書いてあるのだろうか?
まずはこの根拠を明らかにしてほしい。ぜひとも知りたい。
ともかく認証をこのように理解している人は、不祥事が起きたら認証を取り消せと騒ぐのはわかる。一般市民ならそう理解(誤解)していても許されるだろうが、ISO関係者には許されないだろう。
- 「信頼されているかどうかを測る尺度は何か。(中略)認証件数というもので信頼を測ることはできるでしょう。あるいは、テレビ・新聞等のメディアでの出現度合い。こんなものを見てみれば、信頼されているかどうかというのは測れると思います」(P.12中列)
山田センセイは認証件数が減っているとは言うが、マスコミで「ISO」という単語が使われた頻度がどうかは言っていない。
実際には、朝日新聞は1999年、読売新聞は2000年をピークにして、以降17年間、紙面に登場する「ISO」という言葉は減る一方である。大雑把に言えば2000年頃は年間500件ほどの記事が一紙に載っていたが、2010年以降は50件もない。(ヨミダスと聞蔵IIによる)
マスメディアでのISOという語の出現数が減っていることは、信頼性とは無関係ではないのだろうか。もしマスメディアでのISO出現度合いが信頼性の指標であるなら、信頼性の低下は確実である。
まずは信頼性を定義してください。そして信頼性の指標を決め、それがどのように推移しているのかを調査しなければ信頼性の推移はわかりません。
案外、信頼性は低下していないかもしれません。元々信頼性はなかったのかもしれません。元々信頼されていないなら信頼性が低下しようがありません。
ともかく議論はそれからです。根拠なく認証件数とか新聞記事の数が信頼性の指標だという乱暴(デタラメ)な意見はおやめください。
- 「要求水準は向上を続けており、組織がしっかり利用すれば事業の役に立つ」(p.14左列)
すみません、証拠の提示を求めます。思い当たることがないものですから。
いやしくも大学教授がおっしゃったことですから証拠、根拠は確実でしょう。
- 「認証審査は第三者評価です。これは良い自己評価のきっかけになります」(p.14中列)
山田先生は何件の審査に立会い、審査報告書を何件ご覧になりましたか?
私は複数の認証機関の審査に150回は立ち合い、審査報告書は1,000件以上読みました。そして審査で会社が良くなったと思ったことは一度もなく、報告書に参考になることが書いてあったのは数件でした。いやいやそれどころか報告書の不適合の記述に三要素、つまり証拠、事象、根拠さえ書いてないものが多いのですよ。
これは元はISO19011違反、現在ならISO17021に違反です。
ISO17021:2011 9.1.9.6.3参照のこと
判断も規格よりも審査員の主観に基づくものも多いですし・・・第三者による審査は客観的であることを意味しません。単に第三者の主観です。
よってこの主張を却下します。
- 「(組織のトップが)一番先に審査されるべきもの」(p.14右列)
おお!審査員は公認会計士や弁護士以上の知識、技量を持っているのですね、それは期待できそうです・・・というのは冗談です。そう語るなら前述したように審査員の質向上を求めます。例えば弁護士以上の知識・判断力、会計士以上の目ざとさ、税理士以上の腰の軽さ、判事以上の客観性公平性でしょうか。
でもそうなるとその条件を満たす審査員は一人もいなくなってしまうと思います。
もし審査員が現状であっても経営に寄与できると語るなら、その証拠を提示願います。口だけならなんとでも言えます。
もしこれを読んで審査員を辞めようとお考えの方がいたら、それは正しいご判断と思います。
- 「適合が実証できなければ不適合です」(p.15中列)
おお、出た、このフレーズ飯塚先生大好きです。山田先生が飯塚ジュニアであることは間違いありません。
ところで、そんな文言がどこにあるというのか?
ISO17021:2011を開いてほしい。
- 4.4.1 認証の要求事項への適合の責任をもつのは、認証機関ではなく、依頼組織である。
- 4.4.2 認証機関は、審査の結果に基づいて、適合の十分な証拠がある場合には認証の授与を決定し、又は十分な適合の証拠がない場合には認証を授与しない決定をする。
ISO17021では「適合が実証できなければ不適合」とは言っていない。ISO17021では組織は規格適合の仕組みを作り運用すること、認証機関は適合しているか否かを判断すると書いてある。組織が実証しなければならないのではなく、認証機関が実証されているかを確認するのだ。そして認証機関が適合or不適合を表明しなくてはならない。情報不足とか分からないというなら認証機関が無能なのです。
仮にそれができない無能な認証機関が存在するならば、それを認定した認定機関が無能なのでしょう。でもそんなことはないと思います。
- 「このように規格は変わり、社会から認められるようになりました」(p.15右列)
社会とはなにを意味するのですか?
誰がいつどのように認めたのでしょうか?
証拠の提示を願います。
- 「『悪意の偽装』などの例は、これは認証審査でも見抜くことは無理です」(p.15右列)
「会社ぐるみで偽装していた場合は、その問題が第三者評価で検出できる話ではありません」(p.15右列)
上記の文章は、文章としては論理的で真です。でも現実にそのような事実があるかどうかは証拠次第です。
もちろんたとえ話ではないでしょうから、その具体例を教えてください。固有名詞を上げると差しさわりがあるなら数だけでもよろしいです。何件審査した中で何件『悪意の偽装』があったのか、何件『会社ぐるみで偽装していた』のか? 年ごとの推移も知りたいですね。
2010年頃だったと思いますが、某機関がまとめた「審査で虚偽の説明したリスト」なるものを見たことがあります。2ページ物で20件くらいありました。秘密書類らしく、それを見せてくれた某認証機関の取締役はコピーさせてくれませんでした。しかし中身はすべて新聞報道されたものでした。認定機関も認証機関もそれ以上の情報は持ち合わせていなかったようです。
当時の認証件数は今より多く、QMS、EMS合わせて57,000件くらいありましたから虚偽の偽装率(?)は0.04%くらいでしょう。普通に考えて最終製品の不良率が0.04%なら問題じゃないでしょう。ちなみにハープーンミサイルの命中率が9割くらいだそうですから、ISO認証のエラーが0.04%なら十分許容できるように思えます。
さて、山田先生は『悪意の偽装』や『会社ぐるみで偽装していた』ものが毎年何件発生しているかご存じのはずです。ではそれを見せていただいてから話を始めませんかね、
- 「今回は第三者認証制度の信頼性向上について主要な命題を取り上げています」(p.16右列)
議論に入る前に、信頼性とは何かを定義してくれませんか? そして信頼性の指標をはっきりさせましょう、
そうしなければ信頼性向上を議論できないじゃないですか、
もし山田先生が語ったように、認証件数なら審査を甘く料金を下げれば、アッという間に信頼性は向上します。マスコミでのISOの出現割合というなら記者クラブや日本新聞協会などに、記事に登場する会社のISO認証の有無を書いてほしいと要請すれば、これまたアッという間に信頼性は向上します。簡単じゃないですか。
あるいはISO認証企業における不祥事発生率とか、虚偽の説明率なら把握方法を決めて統計を取れば一発ですよね。これも期待できそうです。
アルキメデスは「私に支点を与えよ」と言いました。アジモフは「あいまいを敵としては神々の戦いもむなしい」と言いました。
信頼性の定義があいまいなら、アルキメデスやアシモフといった天才にもどうしようもありません。
山田先生、いろいろ語っているけれど、意味のあることを語っていない。つまり読むだけ無駄。この方が主査をしているマネジメントシステム研究会の成果は期待できそうない。
まあ、どんなことを報告しようとそれが次年度以降に引き継がれ改善されていくわけではない。
証拠ですか?
過去10回以上のJAB/ISO9001公開討論会、JAB環境ISO大会、マネジメントシステムシンポジウムを見てきた私の証言だけでは不十分でしょうか?
山田先生の基調講演の後に、ワーキングプアーじゃなくて、ワーキンググループの報告が続く。一応二度読みなおしたが企業の管理者、担当者にとっては意味のあるものではなかった。経営者にとっては? 私は経営者をしたことがないのでわからない。
本日の落胆
ISO丸が沈没しつつあるとき、決して着くことのない目的地での楽しみを語り合っているようにしか私には見えない。ISO-TC委員も認定機関も認証機関もその他の関係者も、ISO認証という船が沈みつつあるのを見て見ぬふりをしているのだろうか?
それは敵に追われたラクダが砂に頭を突っ込むというアレか?(注:これは事実ではないらしい)
飯塚先生、山田先生、私はISO認証の仕事に20年関わってきました。それこそ全身全霊を注いできたつもりです。思い込みとか根拠のない妄想は止めてほしいですね。
もし私の文体がオチャラケでお気に召さなかったなら申し訳ない。「全講演録」を読んで、真面目に書く気にはなれなかった。
外資社員様からお便りを頂きました(2017.08.17)
おばQさまのお書きになっていること最もと思いますが、何よりも認証機関自身が、第三者によって17000シリーズの認証 または それに基づくマネジメントシステムが機能していることを顧客に向かって証明するべきなのだと思います。
以前 東京オリンピックに関連して、認定設備や試験機関が17000シリーズを取っていないことで大騒ぎになりました。
日本国内では、お役所や、それに関連した機関ならば不要なのだという内弁慶が通じていたのが、海外からみればトンデモナイといわれたのですね。
ISO認証機関も同じで、他の法人を審査するならば、自らも厳しく律する必要があるのだと思います。
おばQさまのご指摘は、ISO17000シリーズの審査があれば、当然に要求されていることなのです。
いつも拝見して思うのは、衰えないバイタリティです。 これからもご健康でご活躍下さい。
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外資社員様、いつもありがとうございます。
他の法人を審査するならば、自らも厳しく律する必要がある いや、耳が痛いです。私も人を批判するならばもっと裏を取ってグウの音もでないように厳密にしなければいけませんね。
3年くらい前でしょうか、某認証機関の取締役と議論になったことがありました。身の程を知れとか言われまして、まあ不勉強であることは自覚していましたので、今後肝に銘じますとか返して終わりましたが、後で考えるとどうもアッチが間違いだったようにしか思えませんでした。
ともかくはったりにも負けず、位負けもしないように頑張ります。
でももう追い詰めるまでもないのかもしれませんね。ひどい審査で苦しんでいる後輩にはお前たちがしっかりしていないからだと檄を飛ばせばよいだけなのかもしれません。
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