4.4 環境マネジメントシステム

17.06.05
仕事をしているわけでなくいつも暇ではあるが、その中でも本当になにもすることがないときは、2015年版のISO14001対訳本めくっております。一語一句噛み締めますと結構面白いというか、おかしいぞってことが(たくさん)あるものです。
本日は環境マネジメントシステムについて考えます。おっと、固有名詞の環境マネジメントシステムではなく、ISO14001規格の4.4項についてでございます。


4.4 環境マネジメントシステム
環境パフォーマンスの向上を含む意図した成果を達成するため、組織は、この規格の要求事項に従って、必要なプロセス及びそれらの相互作用を含む、環境マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、かつ、継続的に改善しなければならない。
ISO14001:2015

この文章を読んで、ふざけるなと私は感じた。
考えたのでもなく、思ったのでもなく、感じたのである。私は感情的な人間なのだ。
なぜそう感じたかと言えば・・・ 織田信長 とまあ、そんなことを感じたわけです。(考えたわけではござらぬ)
ISO規格も織田信長か蓮舫かというほどに天上人となり、上から目線で語るようになったのでしょうか。福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず」と語りましたが、ISOは人の上にあるのでしょうか。

ところで規格は本当に「従え」と命じているのだろうか?
JIS翻訳では原文の in accordance with を「に従って」と訳している。いくつかの英和辞典をみると、「〜と一致して」、「〜に合致した」、「〜と調和した」、「〜に従って」などなどが記載してある。
いずれにしても「提示されたものに合わせる」という意味であるようだ。

でも本当だろうかと疑るのが私である。
ネットの英英辞典をみると
in accordance with somethingとは formal according to a rule, system etc とあり例がありました。

上記英英辞典の例文から考えると in accordance with something とは一意的に決まるものではなく状況によって裁量が行われると解される。つまり正しく言葉を選べば「従う」ではなくて「基づく」ではないか。
ご存知のように日本語においては一般的な用法でも法律においても「従う」と「基づく」は意味が違い使い分けられる。「従う」とは発令者の指示や規則とおりに受令者が行動することで、「基づく」とは受令者は指示や規則などを根拠に判断し行動することを意味する。つまり「従って」とあれば行動に選択・裁量の余地はなく、「基づく」であれば状況に応じて所与の判断基準をよりどころに判断・行動することである。例えば「係員の指示に従って避難する」とか「史実に基づいた小説」という表現になる。「係員の指示に基づいて避難する」とは言わないし「史実に従った小説」は小説ではなく伝記だろう。

つまらないことですが: NHK大河ドラマ
「伝記」は、対象とする人物や国等の歴史的事象を記し、「歴史小説」は、史実を基にして脚色した物語を作り上げたもの。
三国志もNHK大河ドラマも小説(うそっぱち)であり歴史の真実ではない。
司馬遼太郎は小説家であり、歴史家ではない。

なお「従って」には動詞「従う」の連用形に接続助詞「て」がついた形だけでなく、接続詞の「従って」もあり、接続詞の場合は「前の条件によってあとの事柄が起こる」というつなぎで、このときは「だから」とか「それゆえ」と言い換えられる。しかし上記文章では「この規格の要求事項に従って」であるから接続詞でなく動詞であるのは間違いない。

従って(接続詞である)「組織は、この規格の要求事項に従って、(中略)環境マネジメントシステムを確立し(後略)」ではなく「組織は、この規格の要求事項に基づいて、(中略)環境マネジメントシステムを確立し(後略)」ではないのだろうかという気がする。
となるとJISの文章は誤訳ではなかろうか?
「『従って』じゃなくて『基づいて』なら規格要求が異なるのか?」と問われるだろう。
もちろん、異なる。
そもそもISO規格は具体的でないから、書かれた文章通り行動しようとしても詳細は不確定である。だから「ISO規格に従って」確立し、実施し、維持し、かつ、継続的に改善することはできない。そこには当然組織ごとに置かれた環境に応じて対応が異なるわけで、どう考えても「基づく」しか該当する語句はない。

言い換えとしては: もちろん「基づく」を言い換えることができないわけではない。「即して」とか「則り」ならほぼ「基づいて」と同じ意味だろう。
「準拠して」となると「従い」に近い。「JISに準拠した」となるとJISを参考にしたのではなく、JIS規格に同じという意味になる。多くの人が「JIS準拠」をJIS同等とか、JISを参考にしたと理解しているが間違いである。

実際の審査において上に述べたことで何が違うのかとなると・・・
企業は自分の事業に最適なシステムを作るだろう。システムとはすなわち組織、機能、手順である。組織はすべてがユニークであり、その結果すべての組織のシステムは異なる。それはISO規格項目とおりではないしPDCA順でもない。用語もJIS用語でもなく文書や記録の表現は企業特有の方言で表されるだろう。
審査ではすべてそれらを良しとしなければならない。なぜなら「組織のマネジメントシステムの文書にこの規格の箇条の構造又は用語を適用することは要求していない(附属書A.2)」から。企業は己にとっての最善を求めて、好き勝手にできるのだ。
ISO審査においては、審査員が落穂拾いをしてその組織が規格要求を満たしているか否かを判断すればよい。なぜならそれが審査の定義である。

監査(audit)
監査基準が満たされている程度を判定するために、監査証拠を収集し、それを客観的に評価する体系的で、独立し、文書化されたプロセス
ISO9000:2015
 注:ISO規格では審査も監査もauditである。

ISOMS規格にもISO17021にも被監査側(組織)が監査性(auditability)が高いシステムを作れとかそのための文書を作れという要求はない。組織は気兼ねなく(つまりISO規格を気にせず)身の丈に合って有効で効率の良いシステムを作ればよいのである。
審査員は監査性が低かろうが高かろうが審査できる力量を持っているはずだ。だって「従う」でなく「基づく」が要求であるなら、単なる語句拾いではない実質を見る審査となり、それは項番順でもなく使用されている語句も規格とは異なるのだから。

最後に考え付いたことであるが、この文章で「従う」と訳したのは単なる誤訳ではなく、ISO規格そのものが己に合わせよというスタンスから意図的にこの語を選んだのではないかという気がしてきた。

だがそもそもISO14001は画一的なマネジメントシステムを求めていない。
序文でも
ISO14001:2015 序文
この規格の適用は組織の状況によって、各組織で異なり得る。
とある。
適合(conformity)とは基準を満たすことである。基準を満たすとは完全に一致したことではなく公差内であることであり矛盾しないことである。
ISOMS規格は一点を示すものではなく一定範囲を示すものだ。

考えてみれば: 別に材料や機械要素のISO規格は完全一致を求め、ISOMS規格にだけフリーハンドがあるわけではない。材料でも機械要素でも公差(torelance)はあり、考えは全く同じだ。
ISO審査で完全一致を求める審査員は、物の検査でも公差を認めないのかもしれない。いや製造業の経験がなく、製品検査というものを知らないのかもしれない。

そういったスタンスを理解していれば「従う」「基づく」の誤用・取違いはないだろうと思う。
つまり問題の根底には規格要求は絶対である、その通りでなければならないという考えがあるのではないか。私の誤解だとか思い込みだと言われそうだが、そういう小さなことの積み重ねがいつしかISOが絶対という唯我独尊に成長したのではないだろうか。
私は別に認証制度を批判するつもりはなく認証ビジネスが悪だとも思わない。しかし認定機関のスタンス、認証機関の考え、審査の実態というのを考えると、それも現時点だけでなく過去25年間を振り返ると、審査する立場が上、認証機関が受査企業より上、認定機関が認証機関より上という勘違い、おごりがあるのではないか?
以前は「先生」と呼ばれないと返事しない審査員がいた。
もちろん審査する立場が下、認証機関が受査企業より下、認定機関が認証機関より下というわけではない。同等なのだ。今の時代、営業がお客様より下なんて感覚ではビジネスはできない。お互い対等なパートナーであり、協力して社会に貢献しようとしなければ生き残れない。
まあそれを理解できない業界は淘汰されて当然だよね。どことは言わないけど(棒)

うそ800 本日の感動
たったワンセンテンスですが、噛み締めるとスルメがごとく味があるものです。
これ一文で酒4合くらい飲めます。実際には発泡酒350mlを4本でした。
ビール ビール


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