認定の終焉、認証の始まり

17.06.15
このところ、翻訳がおかしいとか、「従って」と「基づく」の違いなど用語が正しい意味で使われていないとか重箱の隅を突つくばかりで、ちいせえちいせえなんて言われているのではないだろうか?
そう言われるならばちょっと大きく国家天下を論じようではないか。
では本日は、認証制度はこれからどうなるのかということを考えよう。

私は定期的に認証件数だけでなく、認証機関数、審査員登録数、審査員研修機関数などをチェックして記録している。そういったものはその時点の数字はネットで見つかるが、過去のものはすぐに消え去ってしまう。だからその推移からなにかを考えたり論じたりするためにはその時その時のデータを記録しておかねばならない。
今年(2017年)になって半年たたないが、認証機関と審査員研修機関がそれぞれ一つ減った。

ISO14001認証機関、研修機関の推移
2011年末 2013年末 2015年末 2017年6月 備考
認証機関 44 42 40 39 JAB認定
研修機関 10 7 4 3 CEAR承認space.gif(898 byte)

認証機関は40もあるから一つ減っても大勢に影響はないが、審査員研修機関は4つのうちのひとつだからこれは大きい。そのうちJATA(審査員研修機関協議会)がなくなってしまうかもしれない。もちろんJATAにはCEAR承認以外の会員も多くまだ13社ある(2017/6)。
とはいえ、CEARに限れば登録審査員数も最盛時の4割くらいまで減ってきたし、当然これから審査員になる人も減っているだろうから、需要がないのはわかる。
もっとも審査員研修も審査員登録も今では義務ではなく、認証機関が審査員として力量があるとみなせば審査員を務めることができる。大昔のように審査員研修機関で研修を受け、審査員登録機関に登録されないと審査員をできないわけではない。だからほんとを言えば審査員研修機関も審査員登録機関も不要である。このようにISO認定認証ビジネスはますます厳しくなるだろう。
ちなみに: 今、審査員補というのが登録審査員の過半を占めているが、将来審査員研修機関がなくなれば、審査員補というものは発生しなくなるだろう。それどころか認証機関以外で働く審査員というものは消滅してしまう。認証機関で働く人イコール審査員となるわけか・・

コンサル、代行、出版といった認定認証制度の周辺ビジネスは今や壊滅状態だ。付け加えるなら私のようなウェブサイトも閑古鳥が鳴いている。

そんなことを考えていて、あれ!認定だっていらないんじゃないかと頭に浮かんだ。最近はノンジャブなんて言葉をあまり聞かないが、一般企業が王冠マークや富士山マークが何を意味するか考えていないだろう。認定なんて気にしない、登録証があれば十分じゃないか。それは認証機関側から見るとJAB認定が必要というわけではない。
認証機関が認証ビジネスをするにははっきりいって何もいらない。まったくの自由である。そしてどの認証機関に審査を依頼するかはお客様の自由である。
そもそもJAB認定なら信頼性が高いのかとか何かメリットがあるのかといえば、そういうことが思い当たらない。かって国交省の入札においてもJAB認定または同等という文言があったような気がする(うろ覚えだ)。同等なのだから外国の認定機関に文句を言えない。もしJABに限ると言っちゃその瞬間にISO認証がグローバルスタンダードと認めないことで貿易障壁になってしまう。外国の認定だって良い。いや認定を受けていないからISO認証と認めないという話を聞いたことはない。認定を受けてない認証機関の認証を受けている会社も存じているが、取引先などからダメと言われたという話を聞いたことはない。
そもそも認定機関とは何かと考えると、昔々イギリスの経産省に当たるDTIが認証機関を認定していた。私は当時の勤め先がISO認証を受けたとき、DTIの登録簿に勤め先の簡単な説明文を載せてもらった記憶がある。私の英文が理解されたかどうかは疑問である。おっと、インターネットもなかった当時、分厚い電話番号帳のような登録簿に載せてもらうことが認証の証拠であった。ULのイエローブックを思い浮かべてくれればよい。

1年もしないうちにDTIでなくUKASから認定を受けるようになったが、どういういきさつなのか知らなかった。
何年かたって某認証機関のえらいさんに教えてもらったことであるが、1993年頃に行政機関(DTI)が認証機関を認定をするのはおかしいということになって認定を止めてしまった。それでイギリスの認証機関が集まってイギリスの認定機関(UKAS)を作ったそうだ。
日本では認定機関が認証機関の上にあるように考えている人が多いが、歴史をたどると認定機関は認証機関の親ではなく子であったらしい。
それにならって国ごとに民間機関である認定機関を作るようになった。そして各国の認定機関がIAF(国際認定フォーラム)を作った。

今現在はIAFは認定機関のルールを作ったりして認証制度のリーダーシップをとっている。しかしISOMS規格認証ということを考えたとき、必要最低限の要素とは何かと考えると、実は認証機関だけだ。認定機関もいらない、認定機関がなければIAFが存在するわけがない。前述したように審査員研修機関もいらない、審査員登録機関もいらない。よって残るのは認証機関だけである。

さて、認証制度の現在を考えると閉塞状態にあることは否定できないだろう。
単に登録件数が伸び悩みというだけでなく、認証の価値が社会的にどうなのか、活用されているのか、企業の価値向上に貢献しているのかと考えると、すべてにおいて疑問符が付く。いやより正確に言えば評価されていないのだ。そして結果として認証機関は損益的に苦しい状態にある。ビジネスが伸びて笑いが止まらないというなら認証機関も審査員研修機関も減るはずがない。

だがピンチはチャンスでもある。いやピンチをチャンスにしなくてはならない。
もしIAFや認定機関のしばりから逃れればビジネスチャンスは広がるのではないだろうか?
ISOMS規格の審査というのは種々のルールの積み重ねの上にある。

注:
ここでISOMS規格とは、ISO規格として制定されたISO9001、ISO14001などのマネジメントシステム規格をいう。

ISO第三者認証制度
実際の審査
認証機関の定めた手順
JRCAとCEARの基準類
JABの基準類
IAFの基準類
ISO17021
ISOマネジメントシステム規格

もし認証機関がISOMS規格を基に審査・認証するという基本に返って考えれば、このルールの積み重ねをリセットして再構築できるだろう。
実を言ってISO17021も無視できるのかということは要検討である。そこではアドバイスの禁止などを定めているので、現行のままとすればビジネスモデルを大きく変えることはできない。
まあISO17021の適用外とする方法もあるが、まったく17021がないものとすると審査のルールがなくなってしまう。それなら17021を改定するか、あるいは「ISO17021 適合性評価−マネジメントシステムの審査及び認証を行う機関に対する要求事項」の代わりに、新しいビジネスモデル用として「ISO17XXXX マネジメントシステムの審査及びコンサルティングを行う機関に対する要求事項」なる規格を作るという手もあるかもしれない。
あるいは昔に返ってガイド62でも引っ張り出すか・・・

ともかくそういう前提とすれば、新しいビジネスモデルをいろいろ考えることができる。
ひとつにはISOMS規格に基づいて過不足の判定を行い、あわせてISO規格適合ではあるが改善提案を行うことである。堂々と指導を行えばよい。もちろんそれには認証機関が全責任を負う。企業からは歓迎されること間違いない。
あるいは遵法点検を行うという切り口もある。この場合は審査チームの中に弁護士を参加させるなどして弁護士法などをクリアしなければならない。あるいは問題提起ではなく要調査項目という名目で指摘すれば良いのかもしれない。いずれにしても関係法規制について要検討である。
そんな認証もどき、あるいは単なるコンサルティングに価値がないというご意見もあるだろう。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ともかくこの閉塞を打破するには現在の条件下でのアクションだけでなく、土俵を変えるということも考えなければならないだろう。

認定認証制度が動き出して30年近い時が経ったのだ。どんなビジネスだって30年も経てば人々の感覚も変わるし環境条件が変わる。認証のフレームワークが30年間変わらなかったということが驚きでさえある。 喫煙
サポーズ、30年前のたばこ事業と今を比較すれば時代が変わったとわかるだろう。30年前の喫煙率は男60%だったのが今は30%を切っている。
車はどうだ? 若者の車離れは驚くばかり。免許保有者は増加しているが、免許保有率が増加しているのは中年以上で、39歳以下は減る一方だ。
いやバイク離れの結果、日本のオートバイ会社は壊滅した。ホンダはオートバイの代わりにジェット機とロボットを作っている。
とにかく価値観として、物を所有するよりも使用できることに価値を認める人が増えている。

どんなものでも状況に合わせて製品を変えサービスを変え、ビジネスモデルを変えていかなくてはならない。ISO認証というビジネスも、従来とまったく違うビジネスモデルを考えるときが来たのではないかと思う。
いや認証制度を取り巻く環境だけが変わったのではない。そもそもISO9001ができた1987年とは規格の性質・性格が全く異なった。それを同じ認定認証制度というフレームワークでビジネスをしようというのは間違いではないのか?
1987年版は品質保証の標準化であり、認証の顧客は購入者であった。認証機関は購入者の代理人を自称した。それは当時の審査のスタイルを考えると妥当だ。
今では審査の顧客は認証を受ける組織である。認証機関は購入者の代理人どころかサービスの供給者であり、文字通り主客転倒となった。
認証機関がサービスを提供し組織が金を払ってそれを受けると審査と認証の仕組みが変わったなら、認証制度もそれに合わせて変えるべきだろう。お金を払う顧客が欲しいもの、必要としているものを提供しないでお金がもらえるわけがない。
認証を受ける組織に対して顧客満足を図れと言いながら、認証機関が顧客である組織の顧客満足を図らなくてどうする?
顧客満足とはISO9000の定義もあるが、より第一義にはお金を出す人が欲しいものを提供することだ。欲しいものではなく必要なものだという議論は、ここではとりあえずおいておく。
今現在の認証審査が、顧客である組織の欲しいこと必要なこととは思えない。
私の考えの二三を前述したが、どういうものを提供するかは認証機関が考える必要がある。そしてもはや認定機関の下に認証をするのではなく、認証機関が天上天下唯我独尊で行うのであれば、その全責任が認証機関にあると同時にまったくしがらみのない自由度を手にすることができる。30年も経てば認証機関も成人になっただろう。まったくのフリーハンドでISOMS規格を使ったビジネスモデルを設計すべきだ。
それが唯一の認証制度興隆の道ではないかと私は考えている。

いや、そうではないかもしれない。
認定認証制度の初心に戻って、認証機関は最終顧客の代理人となるべきなのかもしれない。その場合はISOMS規格も出発点に戻る必要がある。それがあるべき姿なのかもしれない。
まあ、よく考える必要がある。

うそ800 本日の懸念
まとめれば、いくら認定があっても認証の信頼性がなければビジネスが成り立たないことに気がついた。そして30年近くやってきたもののやはり現状の認定認証制度ではどうにもならないから改革を考えなければならないということに過ぎない。
認証機関は既にこういった再生の道を模索していると思う。成功を祈る。

細かいことよりも大きなことを語るといった割に文字数が少ないというイチャモンが付くかもしれない。いや私の論そのものが日本のISO認定認証制度へのイチャモンです。ぜひとも私の疑問に関係機関が答えてくれると嬉しいです。


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