認証の近未来(その4)

17.02.27

日本ではどんな商売(事業)も業種の分類が決まっている。その分類でいくとISO認証機関は、大分類「サービス業」中分類「専門サービス業」小分類「他に分類されない専門サービス業」となっている。
ご存知でしょうか 小分類では仲間はないけれど、中分類では法律事務所、行政書士事務所、公認会計士事務所、税理士事務所、社会保険労務士事務所、デザイン業、著述家業、芸術家業、経営コンサルタント、興信所、翻訳業、通訳業、不動産鑑定業などが同じくくりにある。
サービス業とは無料でひと様になにかしてあげたりプレゼントすることではなく、無形のものを提供する商売だ。形ある車を作るのは製造業、運勢を占ったり髪の毛を切るのは形がないからサービス業という。
ちなみにソフトハウスは製造業でもサービス業でもなく情報通信業である。その成果物であるソフトは製品なのかサービスなのかはいろいろな見解がある。
ともかくISO認証機関が「サービス業」であることが分かった(今更なんて突っ込んではいけない)。そんなことを知って何の役に立つのかという疑問を持たれた方、お待ちなせえ〜
では本日の始まり始まり

さてサービス業には多種あることも分かった。だが他のサービス業とISO認証機関をながめるとちょっと違うなという感じがする。
それは、なんだろう?
ISO認証機関以外はみな依頼者をお客様だと認識していることだ。お客様とは何かとなると、お金を払う人ではない。仕事を依頼し成果物を受け取る人である。 うーん、よくわからない 弁護士も税理士もデザインも翻訳も浮気調査の興信所も、そしてISO認証機関もクライアントが仕事を頼み、サービス業が仕事をしてその成果物を受け取る。
そうすると依頼者(client)に対する供給者(supplier)は、依頼者を客(customer)と認識し、それなりに遇するはずだ。弁護士も税理士もコンサルタントも、客から先生と呼ばれても自分がお金をいただく身ということは自覚している。その証拠にテレビやネットで広告もし、お客さん来てくださいと言っている。
上記したように同じ中区分に入る業種で客よりも上から目線に付き合う業種もないことはないが、それは著述家業と芸術家業くらいだろう。芸術家や著作業の中には自分が神だと勘違いしている人もいるようだが、それは才能のある場合のみ許される。

お勉強 1: 多くの場合、お金を出す人と依頼者と顧客は同一だが、異なる場合もある。
孫がディズニーランドをおねだりし、祖父母がお金を払い、夫婦が楽しんだとすると、依頼者は孫、お金を出すのは祖父母、顧客は若夫婦になる。橋を架けるとき、お金は市民の税金で発注は行政で利益を受けるのは不特定多数ということもある。
そんなことを考えると、頭の体操にはなる。

さて、ISO認証機関そしてそこで働く審査員は、己の商売をサービス業であると認識しているだろうか?
万が一サービス業ではないと自覚されているかもしれないが、先ほど言ったように日本の業種区分ではサービス業になっているし、いやいやあなたの大好きなISO9001でも無形のものサービスということになっている。サプライヤはサプライヤの分をわきまえてほしいとISO認証のカスタマーである私は思う。
おっとツッコミを予想する。認証機関はサービス業であることは間違いない。しかしお客様が誰かということは今までの話では決まっていない。認証サービスを受け取るのは依頼した企業ではなく一般社会だという見解があるかもしれない。
あるいは、認証機関のお客様は審査を頼んだ企業であるが、審査員のお客様は審査を命じた認証機関の経営層(あるいは上司)であるという見解もあるかもしれない。それも一理ある。
だが、ちょっと待ってくれ。工場で働く人のお客様は後工程だとか上司であると言えば、お前は勘違いだと言われるのではないか。ISO9000では製品やサービスを受け取る人がお客様だが、世の中の解釈は最終顧客をお客様という。その意味で小中学校教諭のお客様は生徒や保護者でなく社会であるという言い方もある。

お勉強 2: 公共サービスの場合、顧客は階層化され複数考えられる。それで直接サービス受給者と間接サービス受給者と区別することもある。

施設直接サービス受益者間接サービス受益者
刑務所受刑者社会全体
国民という案もあるが、在日外国人を考えると住民か?
病院患者患者本人を含めた家族全体
健康な暮らしという観点では国民が正しいのか?
学校生徒保護者・社会
企業購入者した顧客潜在顧客を含めた市場全体

いや、上の表は間違えている気がしてきた。考えると間接受益者が、社会なのか国家なのか、国民なのか住民なのかわからなくなってくる。
考えると「直接」・「間接」という分け方が間違いで、「真の」とか「形式上の」という言い方がよさそうな気がする。社会にとって刑務所は必要だが、受刑者にとっては無用だろう。そう考えると刑務所の形式上の受益者は受刑者で、真の受益者は社会といえそうだ。

サービスは製品と違い形を持たない。それゆえ製品と違いサービス特有の特性というものがある。それは普通5つ言われている。

  1. 無形性
    無形財の第一の特徴は形がないこと。というより形のないものをサービス(役務)というわけで、形のあるものはプロダクツ(製品)です。
  2. 非均一性(変動性と呼ぶ人もいる)
    常に同じ品質を維持するのが困難である。そして品質は提供者によってばらつくだけでなく、受け取る人や状況によって評価が変動する。
  3. 不可分性
    サービスは、生産と消費が同時になされ、切り離せない。
  4. 消滅性(非貯蔵性)
    サービスは生産と消費を同時に行うため、貯蔵ができず、在庫できない。
  5. 需要変動性
    サービスの需要は季節、時間帯で異なる。
    ただこれは前4者とニュアンスが異なり、サービスの特性というにはちょっと違うような気がする。これを除いてサービスの特性を4つとする人もいる。

ISO審査員はサービスを提供するのだから上記サービスの特性に留意し、より良いサービスの提供に努めなければならないのは当然である。
審査サービスの内容、水準はなにに決まっているのか? もちろんそれはISO17021であるが、そこでは内容はともかく水準が明示されていない。サービスの特性「非均一性」からサービスの品質は提供する人に基づくので、結局それは審査員の力量ということになるのだろうか。

では一定水準のサービスを提供するためにISO審査員に求められる要件にはどのようなものがあるのだろうか。実はこれははっきりしない。
2017年現時点ISO17021:2011が有効であるが、その附属書Aに「求められる知識及び技能」がある。
要求される項目を転記する。

これらを審査員研修機関が教育し訓練するのかと言えば、そうではない。審査員の力量を確実にする責任は認証機関にある。(ISO17021:2011 7.1.1)
蛇足であるが、ISO17021ができてから審査員研修機関と審査員登録機関の存在意義はなさそうである。審査員研修機関で受講・修了していようといまいと、審査員登録機関に登録していようといまいと、認証機関は審査員が必要な力量を定め力量を実証した者に審査をさせる義務がある。(同 7.1.2〜7.2)
審査員研修機関と審査員登録機関の存在意義は、第三者に対してまったくの初心者ではないことを示す程度の意味しかなさそうだ。

さて審査員の力量を考える際に一番問題になるのは「非均一性」である。
客は誰が審査に来ても同じ品質の審査をしてほしい。だから認証機関は均質な審査を提供する仕組みを作り運用しなければならない。カリスマ審査員が存在するなら、それは認証機関が審査員のバラツキを管理できないという問題を抱えていることである。決して自慢するようなことではない。カリスマ審査員がいる認証機関は育成方法を見直さなければならない。ときとして認証機関の社長がカリスマ審査員であるところもあるが、そういう認証機関は社長個人はともかく組織としては最低であろう。

では審査員の非均一性を抑え、どの審査員でも均一な品質の審査を提供するためにはどうすればよいのだろうか?
実現することは難しいが期待することは簡単明瞭である。
つまり

ISO17021で要求されるスキル具体的には
1ビジネスマネジメントの実務に関する知識社会(会社)常識
2審査の原則、実務及び技術に関する知識認証機関の定める方法の審査をすること
それ以外はしない
3特定のマネジメントシステム規格/基準文書に関する知識所属する審査員はみな規格解釈は同じであること。
4認証機関のプロセスに関する知識認証機関の社内手順を理解していること
5依頼者の事業分野に関する知識専門分野の知識は定められた範囲について一定レベルにあること
6依頼者の製品、プロセス及び組織に関する知識
7依頼組織内における全ての階層に対する適切な言語技能ビジネス敬語を使えること
8メモを取り、報告書を作成する技能文書作成力
9プレゼンテーションの技能社会人としてのコミュニケーション能力を有すること
10面談の技能
11審査のマネジメントの技能時間管理できること

ということになると思われる。
実際の審査の場において、1番目から11番目すべてにおいてトラブルが発生しているわけではない。私の過去の経験からは3、7、10の項目においてトラブルが多かった。以下それぞれについて考える。

3. 特定のマネジメントシステム規格/基準文書に関する知識
ISO規格なんて簡単だと思うが、現実問題として特定の認証機関は癖があるというか、ユニークな解釈をしてそれを企業に強制する。だからそういうことをなくす必要がある。
一部の認証機関は「JISQXXX審査の基本的考え方」なんて文書を作りウェブサイトにアップしているところもある。不思議というか当然というか、そういう文書を定め公開しているところではおかしな考えとか間違えた理解というものを見かけない。
審査で「当認証機関の統一見解です(ドヤ)」なんて語っていて、じゃあ統一見解を見せてくださいというと門外不出だといい、そこの知り合いの審査員に聞くとそんなのないという認証機関が一番問題である。
ともかく認証機関は審査員のバラツキを抑え均一な品質の審査を提供するために正しい規格解釈を審査員に徹底することが必要だ。

7.依頼組織内における全ての階層に対する適切な言語技能
本来これは管理者層と労働者層が異なる言語を使っているなど複数の原語が使われている場合に、審査員がその言語を使えるかまたは通訳を確保できることを意味するものである。最近は日本でも外国人労働者が増えており、日本語が不自由な人もいるから無縁でもない。しかし自身の体験では、審査員がビジネス日本語、ビジネス敬語を使えないことによる問題が多かった。 許せん 最近はないのだろうか? 私が現役のときは会社側の若手を「坊や」とか「小僧」なんて呼ぶ年配の審査員は珍しくなかった。逆に審査員を「○○さん」と呼んでも返事をせずに、「○○先生」と呼ぶと愛想よく対応した人もいた。審査員が先生なら、企業は生徒か?
ともかく認証機関としては審査員全てがまっとうなビジネス日本語、ビジネス敬語を使えるよう指導すべきである。

細かいことを言えば、名刺交換のしぐさ、企業側が話をしているときは静かに傾聴すること、足を組んだり腕組みしてはいけないこと、話をするときは相手の目を見るとかボディランゲージも体得する必要がある。

名刺交換は両手で 足を組むな 腕を組むな
名刺交換は両手で、
片手ではいけません。
足を組むな、腕を組むなというのは、そういうマナー違反の審査員がいるからです。
ビジネスでは失礼ですよ。ご存知ありませんでした?

10.面談の技能
7項に類似であるが、インタビューの方法、言葉使いなど一般ビジネスマンのマナーを身に付けることが必要だ。

審査員研修機関がその存在意義を主張するなら、規格解釈などでなくこういったビジネス常識、ビジネスマナーを教えるべきだろう。有益な側面なんていう荒唐無稽なことを教えるよりも、はるかに実用的であり審査の質向上に貢献することを保証する。もっともそのときの講師はベテラン(?)主任審査員ではなく、キャビンアテンダントとかホテルマンを招聘したほうがよい。

うそ800 まとめると、
審査の質向上はサービスの特性を理解してサービスを提供する人の質向上、均質化を図らなければならない。その責任は認証機関にある。
そして審査の質が向上するなら審査におけるトラブルは回避でき、審査トラブルにまつわる認証機関の鞍替えの抑止、苦情の回避ができるだろう。
それは結果として認証の減少を防止すると思う。

うそ800 本日のツッコミ回避
近未来といいながら今までの問題点対策ではないのかというツッコミに備えて
画期的な創造は非常に難しいというか稀有なことです。そんな僥倖を望まずに、現状の問題を良く調べて少しずつ改善することが、より良い近未来をもたらすでしょう。
それさえできない業界なわけで・・・



外資社員様からお便りを頂きました(2017.02.27)
おばQさま いつも興味深いお話しを有難うございます。
私の方も、いつもながら局部的なつっこみで申し訳ありませんが、細かい処が気になってしまいました。
お勉強2の表で、刑務所だけは、他のものと位置づけが異なるような気がします。
刑務所は、2つの目的があり、それで見え方が異なるように思えます。
刑務所の場合には、法務省のHPによれば、目的は「法的な監護下にある人を拘束するために使用される矯正施設」とあります。
というよりも、刑務所は比較のためにあえて出されたのですよね?
拘束という意味では逃がさないことが重要ですから、お書きの通り国民に対して「逃がさない」ということがサービスに思えます。
矯正施設という点では、おっしゃる通りサービスの対象は服役者ですね。
国家によって、刑務所もずいぶんと状況が異なりますが、これは2つの目的のどちらが重要なのかで異なるかだと思います。
アメリカなどは、州によっては自宅に帰れる場合もあり、これなどは矯正を重視していると思います。
独裁国家ならば、逃がさないことが重要で、さらに独裁者に対してのサービスが付加され、囚人に外的影響力を持たせないという点もあります。
拘束という目的と、矯正という目的は、受けての気持ちにより時に相反しますので、矯正されるまでは出られないという気持ちを持たせられるかが重要なことになります。 ソ連や中共は、これに長けており、「労働改造所」など「立派な名前」を付けて、思想犯に対しては自己反省→価値観の転換→解放という巧妙なサイクルを作り上げました。
これが「社会」または独裁者の要求ならば、正否はおいて、これはこれで目的に沿った組織なのでしょうね。
一方で、不幸にも冤罪で囚人となった人にとっては、そもそもの拘束が不当で、矯正される言われもないから組織自体が理不尽な存在となります。
表にある他の組織では、このような目的に沿っていない存在は、門前払いか、二度と来ないので問題にならないのですが、 刑務所だけは、このようなリスクが常に存在します。
そのような意味で、利用者に選択の自由がないという点では、「法的拘束」という面が持つ特殊性だと思いました。
ご主旨に戻ると、ISOでも取引先要求、輸出入のための必須の場合には、利用者に選択の自由がない(機関の選択の自由はあり)という点では同じです。
そのような場合には、審査する側にも、大きな責任がかかってきます。
ISO17000シリーズなどは、実際 そのような側面をもっていて、MRA(Mutual Recognition Arrangement)のような国家間での相互保障の責任を負っていますので、さすがにいい加減な審査はできません。
それでも、経営者が出ろという審査員はおりませんで、マネージメント・レビューが正しく行われているエビデンス(議事録等)を見せれば足りたと思います。
分野は違いますが、税務署の監査でも、法的要求ですが、不始末が見つからない限り、社長に出ろという税務署員はおりませんね。
となると9000とか14000で、経営者に出ろというお話は、これにそれだけの価値があるのだというアピールだったのかもしれませんね。
それが必須でないと判れば、忙しい経営者は時間をとりませんから。

外資社員様 いつもご指導ありがとうございます。
実を言いましてお勉強2の表は某大学の先生が作成してネットにあったものを借用したものです。
ただその表では「直接サービス受益者」の列は「直接サービス受給者」となっていたことと、一番右側の列がありませんでした。その表を見まして受益者のとらえ方が狭いと思いまして「間接サービス受益者」の列は私が追加したものです。
まず刑罰の目的は何かという問いがあると思います。通常三つの目的があると言われています。
  1. 社会に対する罪を犯したことへ罰を与える、つまり痛い目に合わせるとか自由を奪うこと、
  2. 社会に害を与える危険があるから隔離すること、
  3. 社会に害をなさないように矯正すること、
社会といっても民主主義も独裁もありますが、その社会の規範を守らせるという価値基準から言えば、その社会の規範が自然法に反しようとしまいと同じかと思います。
犯罪を犯した人に罰を与えることは、社会の要求に応えることであり真のサービス受益者は社会でしょう。しかしそう考えても刑罰は役務であり、その刑罰という役務を受けるのは受刑者であることから受刑者が役務の受取人である、つまり顧客であることは否定できません。
ご指摘ありました矯正というサービスを直接受けとる人は受刑者ですが、矯正によって社会秩序の維持という効果(役務)を受けとる人は社会全体と言えます。つまりいずれの場合も直接の受益者は受刑者、最終受益者は社会全体であることにご異議ないかと思います。
 *サービスには刑罰も含みます。
結局、役務の範囲をどうとるかで、受刑者が顧客(刑罰を受け取る人)とも言えるし、社会が顧客(社会秩序を受け取る人)とも言えると思います。
それは仕事を受け取る上司が顧客なのか、最終的に受け取る消費者なのかということと同じと思います。
事業継続とか社会貢献という観点なら最終消費者を顧客としなければならないでしょうけど、査定や昇進を考えると目の前の顧客である上長を尊重しなければなりません。私は上司よりも部下が顧客だと誤認識しておりましたので、生涯一平社員で終わりました。今考えるとどうみても部下が顧客というのはなさそうです。考えが浅かったことを反省します。

社長が出ろということに関して
1993年頃ですが、イギリスからきたISO9001の審査員は工場長(認証単位の最高責任者)に出ろとは言いませんでした。
品質管理責任者(management representative)がいればよかったです。日本人の審査員になってもイギリスの認証機関のときはOKでした。
なぜか日本の認証機関になったら工場長が出ろと言い出しました。審査員は偉いんだと考えていたのかもしれませんね。その間違いが20年続いているのでしょう。


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