北風は太陽に勝った

2017.04.18
日本学術会議総会では「(北朝鮮の)弾道ミサイルを地対空ミサイルで迎撃してよいのか」と議論したという。
日本の憲法では戦うことを放棄しているから、日本を攻撃してくるミサイルを打ち落とすのは疑問だという。それを聞いて、常識というか素直に考えて何かおかしいと思うのが普通だろう。

もしそれが憲法の意図ならば日本国憲法が間違っている。
日本国憲法の前文から103条まで読めば、その中に矛盾はないようだ。だが憲法が世の中で通用するのかどうかということはまた別物である。世間の常識と憲法が違うなら、世間の常識を変えるか、憲法を変えるかしかなさそうだ。でなければ常識が憲法違反ではないか(笑

前文には次のように書いてある。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

つまりこの憲法が成り立つには「平和を愛する諸国民」が存在し、それ以外の「攻撃的邪悪な諸国民」が存在してはならないのである。
だが世の中はそんな平和を愛する人々が満ち溢れてはいないようだ。いやそれどころか日本の周りの国々は、盗人、乞食、詐欺師、強盗ばかりだ。中国は尖閣列島を掠めとろうとしてる、ロシアは70年間南千島列島を占領している、韓国は日本人を何十人も殺害して竹島を占領し更に対馬まで自分たちの領土にしようとしている。悪質という順序では、韓国、中国、ロシアの順だろうと思う。だって韓国は日本が独立していない時に多数の日本人を殺害して国土を盗んだ。中国は平時に根拠なく領土をとろうとしている。ロシアの場合は戦争中だから半値八掛けか。おっと日ソ不可侵条約なんて持ち出すべきではない。そもそもそんなソ連という国を見誤ったのは日本の責任だ。

北朝鮮にも核武装する権利

北朝鮮にも核武装する権利を認めろという人がいる。
過去何年も6か国協議で核武装しなければ経済援助するということを約束し実際に多額の資金・物資・技術を支援してきた。だが北朝鮮は約束を守らず核開発、ミサイル開発に邁進してきた。
そんな国家、人々を信用できるのか?
欧州やアメリカでテロが散発している、日本だって危ない。
テロ対策のために共謀罪を作ろうというと、ジンケンガーと叫ぶ人がいる。彼らの考える人権とは、悪人の人権・加害者の人権であって一般市民の人権ではないのだろう。
まあ、そこまでは見解の相違ということもあろう。
だが、北朝鮮が「核ミサイルで日本を攻撃する」と語っているのは事実である。それを認めていない人はいないだろう。

注: 「もし戦争になったら真っ先に被害を被るのは当然日本だ」
2017.04.18 北朝鮮日朝国交正常化交渉担当大使 ソンイルホ

だから既に憲法前文は現実と違うのだ。
前提が事実と違っているのなら、それを基に考えても意味がない。

そもそも冒頭の「(北朝鮮の)弾道ミサイルを地対空ミサイルで迎撃してよいのか」ということは、北朝鮮がミサイルを発射するのを仮定しているが、それは「攻撃的邪悪な諸国民」が存在していることを認めていることであり、であれば日本国憲法の前提が間違いということである。よって「ミサイルを迎撃」することは日本国憲法に反しても、元々有効でない日本国憲法に合わないということでしかない。なにも憲法が語ることと違うと驚きうろたえるようなことではない。
まともな頭なら「攻撃的邪悪な諸国民」が存在していることを認識したなら、有効でない現実に適用できない日本国憲法を破棄あるいは改正しなければならないという結論に至るだろう。

もちろん発想としては日本国憲法を北朝鮮に適用しようという考えもあるかもしれない。だが日本国憲法は日本という国家と日本国民との契約であり、北朝鮮という国家と日本という国家の契約ではない。だからそれは論理的に間違いだ。何よりも6か国協議に出てこない国と話し合うということは不可能だ。
とはいえお花畑の人々が9条を中国や北朝鮮、韓国に盛り込めと言ったことはないようだ。これってやはり現実が見えないのだろうか?
そのような発想をする人は、北朝鮮の工作員、日本を崩壊させようとする無政府主義者、あるいは認知バイアスのどれかではないだろうか?
もっとも認知バイアスとは「根拠ないことを勝手に思い込むこと」をいうらしい。この場合は「現実に北朝鮮のトップが日本にミサイルを撃ち込むぞと語っている」ことを認識していないのだから認知バイアスではなく認知障害、認知症なのだろうか?
人間生きていく上ではいろいろなことに出会うし、思いもよらないことが起きる。あらかじめ筋書きを書いていてもその通り動くとは限らない。だから知らないことや想定外のことが起きたときは、とりあえず自分の常識と理屈で考え判断するしかない。諸外国は憲法前文に書いてあるように「平和を愛する」はずだと思い込んで行動しても良い結果にならない。まず目を見開いて相手が語っていること、相手の行動を見て、動かなければならない。

仇討ち 話は変わる。
昔、仇討ちというのがあった。親が殺されれば子、殿さまが殺されれば家臣がその下手人や命令者を討たなければならない。だって下手人を処罰してくれる仕組みがないなら自力救済しかない。
自力救済(じりょくきゅうさい)とは、何らかの権利を侵害された者が、司法によらず実力をもって回復をはたすこと。現代では例外を除き禁止されている。だが禁止するということは国家が被害者に代わって下手人や命令者を捕らえ処罰してくれるということでもある。そうでなければ辻褄があわない。

じゃあ国家権力に頼っていれば良いのかとなると、それだけでは済まない。
世の中では理不尽なことが起きる。通り魔もあるし強盗に襲われることもある。そのとき「相手の平和を愛する心」に期待してもしょうがないし、何もせずに国家権力(警察)を待っていて殺されてはたまらない。だから正当防衛も認められているし、私人逮捕も認められている。そうでなければ世の中成り立たない。
それは国家においても同じだろう。やられたらやり返す。その権利を放棄することができるはずがない。そもそもそれは当たり前のことであって権利でさえない。
「(北朝鮮の)弾道ミサイルを地対空ミサイルで迎撃してよいのか」という発想は「私は奴隷です。ご主人様が言わなければ何もできません」ということに過ぎない。
なんの奴隷かと言えば、憲法の奴隷だろう。だが本来国民は憲法の上にあるはずだろう。
日本国憲法9条を信じているなら、11条、13条は信じないのか?
そして12条ではその権利を保持するために「国民の不断の努力」を求めてるじゃないか!
権利が絶対と思っていてはいけない。権利とは己の力で維持しなければ奪われてしまうのだ。

核ミサイル本日の駄文を一言で言えば、
長い年月、憲法9条があれば攻められることはないと講釈を語る人たちがいた。だが北朝鮮からの北風は、お花畑の妄想をきれいに吹き飛ばしてしまった。
お花畑の方々、目を見開いて現実を見よ。
憲法違反ではない、憲法が違反なのだ。何にって? 自然法にだろう。
2017年4月北朝鮮核ミサイル危機においてこの拙文をしたためる。


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