異世界審査員157.オペレーションズ・リサーチその1

19.03.14

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

オペレーションズ・リサーチの本を読むと、どの本でも金太郎飴のように、線形計画、待ち行列、輸送問題、ガントチャート、PERT、在庫管理、線形計画などの手法が並んでいる(注1)そして現在では、オペレーションズ・リサーチで問題解決を図るというと、教科書に載っている理論や手法を使うことを意味するようだ。
しかしそもそもオペレーションズ・リサーチの始まりにおいては、問題の種類に応じて解決のために定形化された解法があったわけではない。課題をいかに解くか、ひたすら考えたに違いない。それこそがオペレーションズ・リサーチであり、そこで必要なのは知識ではなく知恵であった。
1983年発行の「OR事例集」という本の序文に「問題解決に役立つことが信条」とあり、「理論だけで実践がなければ不十分」という趣旨が記してある。

1933年ヒトラー政権が成立したとき、イギリスはやがてドイツと戦争になると考えた。そしてこれからの戦争は飛行機だ、飛行機を早期発見するにはレーダーだとなる。戦争の帰結を決めるのはレーダーそのものの性能もさることながら、レーダーの情報をいかに活用するかが重要と考えた(注2)
その発想がすごいと思う。単なる風が吹けばではない。論理的にオペレーションズ・リサーチに至った国は発想が違うのだ。

バトルオブブリテン
バトルオブブリテンの主役たち

当時イギリスのレーダーは簡単に移動できるとか1基の対空砲に1台というわけでなく、ドーバー海岸に設置されたものすごく大がかりな施設であり、ここで得られた情報を各空軍基地、都市や工場の対空砲、人々の避難などに伝達しなければならなかった。
当時のイギリスの防空戦闘機は数百機しかない。その戦闘機をどう使うのか? 洋上でドイツ空軍を迎え撃つのか、工場を守るのか、都市を守るのか、基地を守るのか、どの時点で離陸してどこに向かいどの高度で待ち受けるのかを指示しなければならない。まとめてぶつけるのかそれとも小分割して要撃するのか、それらの伝達のプライオリティも考えなければならない。
そういう運用を研究しようと学者を集めたのがオペレーションズ・リサーチの始まりである。オペレーションズ・リサーチとは元々はレーダーの運用(オペレーション)を研究(リサーチ)することだった。

ORグループは運用の指導やフォローのために、各飛行隊やレーダー基地に出かけていった。彼らが来て指導すると運用の考え方が理解でき、作戦遂行にすごい効果があった。
対空機関銃 対空機関銃で敵機1機を撃墜するのに必要な弾丸が20,000発だったのを5,000発になったという。もっとも撃墜機数を4倍にしたのか、無駄弾を撃たなくなったのか、どちらなのかは不明だ。
それで前線の兵士は彼らが訪ねてくるのを待ち望んだ。ORグループの事務局は後にノーベル賞を受けたブラケットだったので、現場は彼らを「ブラケット・サーカス」と呼んだ(注3)昔も今もサーカスは、どこからともなく現れて楽しいパフォーマンスを見せては去って行く、そんなイメージだろう。日本なら「梅沢富美男劇団」というところか。
いつしかブラケットがブランケットに変わり、その方が意味不明で秘密が保てると、オペレーションズ・リサーチのグループを「ブランケット・サーカス」と称した。世界最初の戦車を水タンクと偽ったようなものか?

やがてブランケット・サーカスはレーダーの運用(operation)だけでなく、対潜水艦戦、輸送船団の編成、特攻機対策に応用が広がり、更に運用だけでなく作戦(tactics)や戦略(strategy)立案の検討もするようになる。 Uボート
彼らが提案する対策は、新兵器を作りましょうというような誰でも考え付くこととか力技ではなかった。敵機に襲われたとき、大型船は対空射撃は二の次にしてひたすら逃げろ、小型船は逃げずに対空射撃をしろとか、潜水艦から何メートル以上離れていたら爆雷は効果がないから投下するなというように、理論や過去のデータで裏付けがあり、実行可能なことだった。そしてそれは目に見える効果があった。

いずれにしても、今ORの教科書にある種々の手法はORの研究成果であり、一旦定式化されたものはもはやオペレーションズ・リサーチではなく、単なるオペレーションだ。真にオペレーションズ・リサーチのリサーチが載っている本は見当たらなかった(ホント)。
もしかして私がオペレーションズ・リサーチの本を探したのは間違いで、問題解決という切り口で探した方が良かったのかもしれない。オペレーションズ・リサーチはオペレーションを標準化するだろうが、オペレーションズ・リサーチそのものは決して標準化できないはずだ。
確立した公式を使いこなすのも大事だが、まだ解かれたことのない問題を解くのはそれ以上の価値がある(注4)

確認しておく、オペレーションズ・リサーチの用途はこれだとか、オペレーションズ・リサーチの手法は○○であるという理屈はない。
目の前の問題を解決するために死に物狂いで考えること、オペレーションズ・リサーチとはそれ以外の何物でもない。


1929年10月
さくら、自分のチームを編成する。

さくらは幸子と相談してメンバーを考えた。多様なカテゴリーの専門家を集めるのがミソらしい。そしてメンバーは専門家であるだけでなく、柔軟な発想のできる人、協力して仕事ができる人でなければだめ。
まず数学者、特に統計学者だ。しかしこの時代の統計は大学の先生よりも、製造現場で互換性とか公差の研究している人の方が進んでいる。それで電子技術や生産技術などは伊丹が指導した人たちを集めた方がいいという結論となり、相談を受けた伊丹は幾人か候補を挙げた。候補者は教えるが選択と説得はさくらの仕事だという。結局はさくらのプロジェクトなのだから。

ゆき
ゆき
元 工藤の下でくノ一
今は岩屋機関で密偵
そんなこんなでまとめた候補者のリストをもって、さくらは2週間ほど東京都内各所から横須賀軍港まで歩き回った。といっても一人で歩いたわけではない。お供がついて憲兵の護衛がついて、運転手付きの車である。それでも中野は娘が心配で、岩屋に命じて、ゆきをさくらの侍女として護衛に付けた。ゆきとさくらは関東大震災の時からの仲良しである。
もちろん公式にアポイントを取り更に養父の宮様の招聘状を携えての訪問である。最初はほとんどが身構えてしまう。とはいえ伊丹も幸子もさくらには内緒で予めお願いしていたから、説得するまでもなく同意を得た。

さくらチーム一同 (後に桜一座と呼ばれる)
ご尊顔ご芳名専門分野経歴・現職
湯沢教授湯沢教授物理学皇国大学教授
吉沢教授吉沢教授電子工学海軍技術士官
政策研究所教授
上野上野作業改善
品質管理
経営コンサルタント
島村医師島村医師外科医皇国大学教授
町医者
後堂将軍後堂将軍統計学海軍工廠技術少将
互換性や公差の研究
矢野助教授矢野助教授航空工学皇国大学助教授
堀川さん堀川プログラマー政策研究所
皇国大学数学科卒
中野さくら中野さくら政治学政策研究所

本当はもっと専門分野が必要でしょうけど、多すぎるとお話がこんがらがるから少数精鋭でいきます。

オペレーションズ・リサーチチームの最初の仕事は既に中野から与えられていた。それはスペイン内戦での戦いから、まもなく起こるであろうノモンハンの戦いにおいて、アメリカ軍を圧倒的に勝たせるには戦術及び兵器をどうするかと言うことである。



1929年11月
政策研究所

オペレーションズ・リサーチの初会合である。
ともかく初回は顔合わせと、このプロジェクトの位置づけ役割などについて共通認識を持ってもらうことだ。メンバーはみな一家言ある人ばかりだから、簡単にはいかないだろう。
さくらはいささか緊張する。
テーマによっては全員出席する必要でないかもしれないし、検討に要する日数がいかほどになるのか、更に出た結論を担当部署例えば陸海軍あるいは工廠(軍の工場)その他に説明し実行状況を指導フォローする時間、移動方法など検討事項は多々ある。

さくらの説明が終わると、皆から質問が続出する。なにしろ今までに聞いたことのない技術というか考えだ。

後堂少将
「私は機械部品の互換性とか寸法公差というものを研究してきた。そういうことで統計を使うことはあるが、中野様の説明された兵器の比較検討とか複数の要因があるときの寄与する割合などは考えたことがありません。この仕事には力不足と思います(注5)
さくら
「まず皆様にお願いしておきます。父は宮家の当主でも私は官位もなにもありません。この中で私は最若年ですから、さくらとお呼びください。様は不要です。
後堂提督閣下のお話ですが、この仕事は知識ではなく知恵を使って難題を解決していくものです。問題解決において常識と創造性があれば十分と思います。その結果、新しい手法や理屈が分かりいくつも論文が書けるでしょう、そう考えていただけませんか」
後堂少将
「いやはや、さくら様、いやさくらは楽天家だ」
吉沢教授
「私は電子回路は専門だが、戦車を比較してどちらが優れているかなんてわからないよ」
さくら
「大丈夫です。一つの道を究めた人は他の仕事でも神髄が見えるのです。博士号は一つで十分、二つ取るのはバカといいます」
島村医師
「アハハハ、そう言われてしまうともう逃げようがないじゃないか」
矢野助教授
「アイデアはあっても実現できるかどうか、例えばね、敵より優れた戦車を作るには強いエンジンが必要という結論になっても、エンジンをつくるには固有技術がなければできません」
さくら
「オペレーションズ・リサーチとは開発じゃありません。組み合わせとか使い方を変えて従来以上のことができないかと考えることです。
もちろん大きな馬力のエンジンを作るアイデアも出せると思います。自由奔放に頭の体操ができると思ったら楽しくありません?」
島村医師
「アハハハ、さくらがそれでいいならいいけど、アウトプットは要求されるのだろう?」
さくら
「まだ始まってもいないのに結果を心配しては始まりません。ともかくやってみて、それから考えてもよろしいじゃありませんか」
湯沢教授
「現代では問題を解くには微分方程式をたて、それを解くということが多い。だが現実には解く手段がない。まあ、ある程度見当付けて数字を入れてとなるわけだ……
このプロジェクトでは微分方程式を作りましたでは終われないだろう」
堀川
「湯沢先生、微分方程式の形になったものなら、それを解く計算機械があると申したらいかがですか」
湯沢教授
「ほう、そんなすばらしい手があるのか?」
堀川
「説明してしまっては楽しみがないでしょう。これからご一緒にやりませんか」
湯沢教授
「よし、乗った。ぜひともそういう方法を見せて欲しい。
そしてうまく行くなら、自今以降その機械を使わせてもらえるのだな」
後堂少将
「工廠の仕事では統計計算などは専門部署にお願いしているのですが、ここでもそういう部署に依頼できるのですか?」
堀川
「いえいえ、そんなまだるっこしいことをせず、私がすべて処理します」
矢野助教授
「へえ、堀川さんは計算を一手引き受けるのですか? 飛行機の場合は多くの変数をいろいろ変えて最善を求めることが多いのですが、そういったシミュレーションもできるのでしょうか?」
堀川
「後堂提督閣下がおっしゃったように、工廠の仕事では過去よりほとんどの計算は計算機械でしています。矢野先生は大学にいらっしゃるのでご存じなかったのでしょう」
矢野助教授
「へえ!それができたら開発は倍のスピードになるよ」
堀川
「ひとつお断りしておきますが、このチームの仕事は我国で最優先とみなされているから、私が直接使えるのです。先ほどの湯沢教授のお仕事も矢野助教授のお仕事も、最優先指定されていないなら、計算機械を使うことはできません。そこはご了解ください」
後堂少将
「ちょっと提案がある。ここにいる人たちはみなそれなりだ。お互いに殿下、閣下、教授、博士と呼びあってもシャレにならない。ここはお互い「さん付け」で呼び合うことにしよう。湯沢さん、堀川さんでよろしいか?
さくらは名前を呼び捨てというから、さくらと呼ばせてもらう」
島村医師
「賛成です。ぜひそのようにいたしましょう」
さくら
「それでは最初に私たちに与えられたテーマについて説明させていただきます。
現在、スペインは政府側とクーデター側に分かれて内戦状態なのをご存じでしょう。実際には、それぞれの勢力を外国が支援しています。政府側をソ連や各国の社会主義者が支援していて、ソ連は正規軍をそれ以外の国からは義勇兵が参戦しています。
一方、クーデター側をドイツとイタリアが支援していて、ドイツは陸海空の正規軍を派遣していますし、イタリアは陸軍の派遣と、地中海を航行する政府側への支援物資を積んだ輸送船に潜水艦攻撃をしています。
イギリス、フランスは内戦している双方に武器や食料を売ってお金儲けをしています。そんなわけで内戦は代理戦争の様を呈して収まる気配を見せません。
そしてまたスペイン内戦は列強の新兵器の実験場と化して、空ではソ連の飛行機とドイツの飛行機、地上ではソ連の戦車とドイツの戦車が戦っています。
さて本題ですが、私たちの最初の仕事は、ノモンハンでソ連とアメリカが戦うとき、戦車、飛行機、戦術をどうすべきかという対策案をまとめて、私の父経由で皇帝へ報告することです」
島村医師
「はあ? なぜ我々がアメリカのことを心配するのですか?」
上野
「私の考えを話していいかな? アメリカが負ければソ連が満州を制する。そうするとソ連の次の侵略先は我国になる」
後堂少将
「私も同意だ。ここはアメリカに踏ん張ってもらわないと。しかしスペイン内戦を見ていると、戦車でも飛行機でもソ連はドイツを凌いでいる。まずは飛行機かな?」
矢野助教授
「飛行機となれば私の専門だが、例えばだ、ソ連の戦闘機より優れたものといっても、エンジンから開発すれば何年もかかる、そんな回答で良いのか?」
さくら
「現実に役に立たなければ回答になりません。スペイン内戦が拡大あるいは終結に関わらず、今から2年ないし3年で満州のノモンハンでソ連とアメリカが戦います。それに間に合わなくてはなりません」
後堂少将
「さくらが2年とか3年と簡単に言うけど、それは信頼できるのか?」
さくら
「私は国際政治が専門ですから信用していただきたいです」
後堂少将
「なるほど……先ほどのさくら話から考えると、ソ連戦闘機と同じかそれ以上のものがなければ、戦い方とかあるいは直接対決を避ける戦法を考えるということだな」
さくら
「仰る通り。やりがいがあるでしょう」
後堂少将
「なるほど、趣旨は分かったが簡単ではないな」
矢野助教授
「ちょっと歯ごたえがありすぎます。解決をご存じなら説明いただけますか」
さくら
ORのフローチャート 「基本的な流れは与えられた問題の目的、評価基準と言ったものを明確にします。
次に評価基準に関わる指標を定め収集します。収集といっても実際に調査測定もありますし、推定するとか代用特性とかになることもあるでしょう。
次のモデルというものを考えます。入力と出力が分かればプロセスが分からなくても良いとか、そこは工夫ですね。
問題に応じていくつかパターンはあると思いますが、問題対応で解法は異なるでしょう。
そのモデルにおいて指標を変えて結果の変化を見て、最適を見出すということです。実際にアイデアをまとめる段階ではみなさんにいろいろ発想してもらい、それを話し合うことになるでしょう」
後堂少将
「なるほど、そのときそれぞれのアイデアの効用を統計的に比較するのがワシの出番だな」
さくら
「いえ、そういう計算は堀川さんが自動的にできる仕組みを作ります。ですから伍堂さんはご自身の専門に囚われず、思い付いたアイデアとかメリット・デメリットなどを発言していただきたいのです」
湯沢教授
「なかなか面白そうだ。ともかく課題を一つやってみなければわからんな」



1929年12月
アメリカ 戦争省
ホッブス准将、ミラー大佐、石原が雑談している。

ホッブス准将
「スペイン内戦も始まってもう半年か。しかし半年でもいろいろ変遷があるね。
最初はクーデター側よりも政府側が優勢でクーデター側が腰砕けかと思われたが、フランコ将軍が現れそしてドイツ軍の支援を受けて、あっという間に攻守逆転した。そのまま決まると思われたが、ソ連が本腰を入れて政府側を応援したのでクーデター側を押し戻している」
ミラー大佐
「ソ連軍の戦車も戦闘機もドイツより性能が良いそうですね」
ホッブス准将
「まず飛行機だが、ドイツ側は布張りの複葉機だからね、前の大戦と代り映えしない。それに対してソ連軍は全金属性の低翼単葉機だし、しかもその数 数百とドイツ軍の数倍だから話にならんよ。
それから戦車だがドイツ軍戦車が20ミリ機関銃とか37ミリ砲に対して、ソ連軍の戦車は45ミリ砲だ。砲弾の威力は口径の3乗だから威力は2倍だ。ドイツ軍戦車はよほど良い条件でなければ勝てないね」
ミラー大佐
「まさに七面鳥撃ちですな」
石原莞爾
「とはいえそれもまたひっくり返されますよ。ドイツ軍は全金属性の戦闘機を投入するようです。既に移送の準備をしています。二三週間で実戦に投入されるでしょう」
ミラー大佐
「ああ、我々もそれは把握している。メッサーシュミットBf109というそうだ」
ホッブス准将
「まさに新兵器の実験場だな……そしてまた攻守交替か」
石原莞爾
「戦いを見ているとずいぶん参考になります」
ホッブス准将
「確かに、10年前の欧州大戦とはもはや別次元だね。欧州大戦の戦車はもう使い物にならない。当時は37ミリ砲は各国の戦車の標準だった。ソ連が45ミリならこちらも45ミリあるいはそれ以上でないと……」
石原莞爾
「戦う以前に、仕様を比較しただけでもドイツ戦車はソ連戦車に完全に劣ってますね」

使用国スペイン 政府軍スペイン クーデター側欧州大戦時の標準
製造国ソ連ドイツフランス
外観ET-5T-262号戦車FT17
型名BT-5T-262号戦車FT-17
生産開始1933193219361917
重量11.5t9.4t8.9t6.5t
主砲45mm45mm20mm機関砲37mm
エンジン馬力400PS90PS140PS39PS
速度装軌 52km/h
車輪 72km/h
28km/h40km/h20km/h

* 製造開始年は史実を示す。下表の飛行機も同じ。
この物語は史実より8年ほど先行して起きたことになっている。


ミラー大佐
「准将閣下、そりゃ良い戦車があればいいですが、我国には持ち合わせがありません(注6)
ホッブス准将
「開発するしかない。もちろんソ連の45ミリ砲を受けても大丈夫なものだ。
それから戦闘機だな。これも欧州大戦のレベルではだめだ。ドイツ軍は新開発といっても布張りの複葉機だ。全金属製の単葉機に対抗できない。そもそもスピードが違う。戦車と同じく戦闘機も欧州戦争の時とは次元が違う」

使用国スペイン 政府側スペイン クーデター側欧州大戦時の標準
製造国ソ連ドイツイギリス
外観I-15とI-16He51
Bf109
ソッピースナイプ
型名I-15I-16He51Bf109Bソッピース・スナイプ
初飛行19331933193319351918
材質複葉・布張り単葉・金属複葉・布張り単葉・金属複葉・布張り
重量1422kg1941kg1460kg3150kg917kg
武装7.7mm×27.7mm×2
20mm×2
7.9mm×212.7mm×27.7mm×2
エンジン馬力700PS1100PS750PS680PS230PS
速度360km/h525km/h330km/h470km/h194km/h

* メッサーシュミットBf109(Mf109と表記されることもある)を高性能と思っている人もいる。しかしBf109の初期型は最高速度が500キロ/時もでなかったし、 メッサーシュミット 機関銃も12ミリ2丁とプアであった。
それをイギリスやアメリカの戦闘機が進化するのに対抗して、エンジンや機関銃をどんどんと改良して、終戦まで第一線で使われた。
才能を見出して育てたといえば聞こは良いが、これ以外に碌な機体がなかったからともいえる。そして戦争末期には新機種を開発する余裕もなかった。基本がもう少しましだったら、バトルオブブリテンはドイツが勝ったかもしれない。

ミラー大佐
「准将閣下、ノモンハンでの戦いがドクター石原の言う通り、2年後に起きるとしたら、どうしたもんでしょう」
ホッブス准将
「それを考えるのが俺たちの仕事だろう。できないと言うなら満州かフィリビンで連隊長でもやってもらう」
石原莞爾
「さくらは今、ノモンハンでソ連とアメリカが戦った時、勝つための戦術を研究しているそうです」
ホッブス准将
「へえ、そりゃ驚いた。でも我々は最新型戦闘機も戦車もないんだぜ」
石原莞爾
「さくらはその条件で勝つことを考えています。兵器が同じでも偵察とかコミュニケーションによって戦力は数倍になるという考えです」
ホッブス准将
「ドクター、さくらに連絡を取ってくれ。大至急ここに来いって」

うそ800 本日の憂い
憂いっていっても春先だからってことじゃありません。
オペレーションズ・リサーチというものは学問じゃなくて、ひらめきなんでしょうか?
いずれにしても成果を出すには才能が必要に思えます。才能のない人(学問ができても)をいくら集めてもダメなように思います。
そもそもいろいろな専門家を集めて作戦を考えさせたということ自体、オペレーションズ・リサーチですよ。

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注1
今回のお話を書くには下記を参考にした。(出版年順)
「空軍大戦略」リチャード・コリナー、早川書房、1969
「おはなしOR」森村英典、日本規格協会、1983
「OR事例集」日本オペレーションズ・リサーチ学会、日科技連、1983
「オペレーションズ・リサーチ入門」河原 靖、共立出版、1987
「世界一やさしい問題解決の授業」渡辺健介、ダイヤモンド社、2007
「入門オペレーションズ・リサーチ」松井泰子他、東海大学出版会、2008
「経営戦略全史」三谷宏治、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013
「新兵器・新戦術出現」三野正洋、光人社文庫、2016
「最適解の技術」鳥原隆志、すばる舎、2017

注2
日本においてもレーダー(陸軍では電波探知機、海軍では電波探信儀)の研究は1938年に始まり、1943年に実用化した。

注3
パトリック・ブラケット 1948年ノーベル物理学賞受賞

注4
尊敬するアイザック・アジモフの短編集「停滞空間」の中に「プロフェッション」というお話があります。
アイザックアジモフ 未来の世界、そこは決して優生主義ではありませんが、子供が一定の歳になると素質・適正を評価判定し、最適と判定された職業に関する知識・技能を催眠教育で苦労せずに身につけその職業に就き幸せに暮らしています。
主人公の少年はある職業(忘れました)に就きたいと夢を持ち、それに向かって努力します。やがて適性検査のときが来ました。ところが彼の検査結果は希望する職業はもちろん、他の職業に就く能力もないと判定されて精神薄弱者の施設に収容されてしまうのです。
彼は絶望します。しかし同室の年配の人からいろいろ教えられます。本を読んで勉強することが自分の世界を広げ新しい窓を開くことを・・・・おお、これはゲーテの言葉だ
そして彼が勉強するということの価値を理解した時、知らされます。
『この世界は独創性を持って、新しいものを作り出す人を求めている。君はその能力をもつことを証明したのだ』と
実は同室の人は彼の教育係だったのです。
「停滞空間」アイザック・アジモフ・伊藤規夫訳、早川書房、1979

注5
相関係数とか寄与率はピアソンが考えたらしい。となると19世紀末には確立していたはずだ。

注6
BT-7

BT-7戦車

ソ連軍のBT-5戦車は元々アメリカのジョン・クリスティーが開発したM1928である。しかしアメリカ陸軍はこの設計を採用せず、クリスティーは現物と設計図をソ連に売ってしまう。
ソ連はそれを基にBT-2戦車を開発し、改良を重ねてBT-5をスペイン内戦で実用試験をした。その後BT-7まで改良し第二次世界大戦を通じて使われた。総生産台数は7000台を超える。その後これはソ連戦車の基本設計となった。


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