あなたのために

19.07.29
「あなたのためを思って…」とか「あなたのために言うのだけど」という文句をよく聞く。このとき本当にあなたのためを思っているわけでなく、単に発言者の意志を押し付けるためとか嫌味であることがほとんどである。いや、私が言うだけでなくそういうことを書いてあるものをネットでも小説でも多々見かける。あなたも経験あるでしょう?

「あなた」に限らず「○○のため」という言い回しは、発言者が責任を負わず言いたいことを言えるからか、多用される。
21世紀になると「あなたのため」でなく「環境のため」というフレーズを聞くようになった。「環境のために○○してはいけない」「環境のために○○しましょう」「環境第一だから」……あなたも経験あるでしょう?
このときも本当に環境のためを思っているわけでなく、単に発言者の意志を押し付け人を思い通りに動かすための方便であることがほとんどである。

っ、嘘だって?
なことありませんよ、「環境のために」で始まる文章を良く考えると、論理的でないとか事実誤認とか気付いたことありませんか?

環境のためなんて神のお告げを持ち出さなくても、その理由はちゃんと説明できるでしょうし、できないならなぜかを考えて実施するかしないかを決めるべきです。
環境に責任転嫁をしてはいけません。

さて、「環境のために」組織(企業・地方自治体・学校など)は環境マネジメントシステムを構築しなければならないそうです。ほんとかどうか分かりません。
いや嘘のような気がします。

環境マネジメントシステムを構築しても、それが世の中の基準を満たしているかどうか、審査してもらわなければならないそうです。私のコーデネイトは素敵よと思っていても、他人からみるとダサいかもという心配から、チェックしてもらうようなものですかね?
そういうのがISO14001認証なんだそうです。
やれやれ いやいや、環境のためには環境マネジメントシステムを構築しなくても良い方法もあるかもしれませんし、環境マネジメントシステムを構築しても他人にチェックしてもらわなくても良いような気もしますが、どうでしょうかね?
まあそれで食べている人がいるから仕方ないのかもしれません。

実は環境マネジメントシステムの規格 ISO14001の序文に次のようなことを書いているのですよ、
  1. この規格の目的は、社会経済的ニーズとバランスを取りながら、環境を保護し、変化する環境状態に対応するための枠組みを組織に提供すること(0.2 第1段落)
  2. この規格の採用そのものが、最適な環境上の成果を保証するわけではない。(0.3 第2段落)
あなた!、上の文章おかしくありませんか?
この規格は経済的と環境保護を両立させる仕組みです。でもこの規格を採用しても最善じゃないんです。なんか一番目と二番目は矛盾するような気がしませんか?
もしかするとISO規格が統合失調症かもしれません。それとも虚言症なのでしょうか? まずは規格を作った人たちに精神科の診察が必要でしょう!

そんな怪しげなISO14001に合わせて会社のしくみを作るなんて、私にはできません。
そもそも会社って何ですか?
社会にこのような製品を提供して貢献しよう、このようなサービスを提供して世の中に役立とう、という意思の下に、それを継続的に推進しようと作ったものが会社です。
ヤマハがオートバイを作り、楽器を作り、オーディオ機器、モーターボート、ゴルフクラブ、スノーモービル、レジャー施設、音楽教室を経営する、ヤマハっていったい何だろう、めちゃくちゃだと思うでしょうか?
でも創業者山葉寅楠が考えたことはただ一つ、人々に喜びを与えること。音楽もスポーツもレジャーも共通です。

大学 もうひとつ具体例を考えてみましょう。
大学がISO14001を認証するというのがいっとき流行した。ISO14001が制定されたのが1996年で認証は1997年から始まった。大学の認証はそれから数年遅れて始まり、認証数のピークは2009年で49校でした。
 注:大学全体の認証と一部のみ認証した大学を合わせた数。

2019年の今、認証しているのは10校だ。
なぜ減ったのか? なんてボケをかましてはいけない。なぜまだ認証しているのかと問うべきである。あっ、もちろんチャーチルのパクリである。
ともかく、2019年の今もISO14001を認証してアッピールしている某大学がある。はたしてどんな活動をしているのであろうか?
まあ、どうでもいいんですが……していることを悪いこと、間違っているとは言わない。
でも、なんでこれがISO14001なのですか?
幼稚園のオママゴトかと思ったよ
あほらしい

クールビズは環境改善、健康向上、費用削減、そういうことでしょう!
歩車分離は交通安全、効率向上でありISOと関係ありません。
プラスチックストロー止めようというのは環境保護、生物保護でしょう。
省エネはそもそも国是であり法規制もある。
私の言いたいことは、そんな当たり前のことをするのにISOの名前を借りるな、頼るなということです。そして大学とか学生が環境保護をしよう、交通安全をしよう、費用削減をしようというとき、ISOを持ち出さないでできないのか、ISOの認証費用が無駄ではないのか、学生に余計なお金を負担させるのは犯罪ではないのかということを言いたい。
山葉寅楠の考えとはレベルが違いすぎです。もちろん高いのではなく低すぎです。

ところで大学でISO14001の活動をしている学生さんたちは、自分たちのしていることがISO規格要求だと考えているのだろうか?
もしそう考えているなら、学生のレベルが低すぎるし、ISO規格要求じゃないと分かっているけど皆に合わせているなら、それもまたみじめなことじゃないか?
明日を拓いていく若者の意気はないのか

企業や大学など組織にISO14001はどうかかわるのか?
単に組織が活動するとき、環境に配慮するという意味しかない。
ISOが会社を良くするとか、持続可能にするとか、儲けるとか、なんですかそれ?
会社は良い製品、良いサービスを提供することが唯一の目的。その事業運営に置いて配慮することはたくさんある。吉本芸人のように反社会的勢力に関わらないこと、ちゃんと税金を納めること、お客さんに怪我をさせるような製品はご法度、宣伝広告はウソを言わない、法律は守りましょう……
ご理解いただければ幸いです。 組織を運営していくときは組織の論理で動いていくわけであり、ISO14001など関係ない。
ISO14001なんて事業を運営していく上でたくさんある重要な要件のほんの一部でしかない。更に言えばISO14001の要件が正しいか間違いかさえ検証されていない。少なくても必要十分でないことは誰でもわかる。

そもそもISO14001の序文に何と書いてあるのか、まさか読んでないってことはないよね?
「この規格は、適合を評価するために用いる要求事項を規定している。組織は、次のいずれかの方法によって、この規格への適合を実証することができる。
1〜3 省略
4 外部機関による環境マネジメントシステムの認証・登録を求める(序文 0.5)」
ISO14001は「社会経済的ニーズとバランスを取りながら、環境を保護し、変化する環境状態に対応するための枠組みを組織に提供する」
と騙っています。
ちょっと書いてあることが信用できないけど、そういうことにしましょう。
 注:「騙っている」は誤字じゃありません。
    語る:事柄や考えを言葉で伝える
    騙る:うまい事を言ってだます

でもISO14001に適合した仕組みを作って終わってもいいじゃないですか。更に大枚を払って外部機関(認証機関)に認証登録を求める意味は何でしょうか?
まさか認証機関を養うためじゃないよね?
卒業生を認証機関に採用してもらうためですか?
もう、発想というか考え方が支離滅裂でしょう。

話は70年前に飛ぶ、1950年代初め 私が幼児の頃、悪さすると母が「マッカーサーが来るぞ」と言いました。当時はマッカーサーは独裁者で天皇陛下より偉いという時代。まあ、そんな思い出があります。
ISOのためとか、ISOの活動でとかいう言い回しはそれと同じ。学校があるいは学生会が、無駄を省こう、環境保護に努めようとなぜ言えないのか? 単に「ISOのため」と権威を頼るために毎年何百万も審査費用を払い、更により多くの現金と時間を内部にかけているのは無駄以前に、考えが間違っているのではないか?
それほど頼りにしているISOとは絶対の力を持つ真理なのでしょうか?
いえいえ、ISO14001は1996年に制定され、2004年と2015年に改定され、これからも何度も改定されるだろう。規格が正しいとか真理となんてことはまったくない。
ところで意味のないISO規格の言い回しを変えるのは止めて欲しいものだ。国際的で壮大な無駄以外のなにものでもない。

当然であるが、私はISOのための仕事というものは存在しないと考えている。会社の仕事はすべて企業活動のためである。
節電は費用削減であり、廃棄物の分別は遵法と安全のため、コピーの削減は費用削減だ。それを説得できずにISOのためというなら、嘘つきの卑怯者だ。
故にISOのためにしなくちゃならないと騙る人は、嘘つきか詐欺師だ。
ISOのための仕事はしてはいけない。それは背任行為だ。
お断りするが、現役時代の私は遵法と無駄廃止には人一倍努力したつもりである。


うそ800 本日のまとめ
ISO14001なんてすることありません。
法を守り、道徳を尊重し、あとは己が信じることで世の中に貢献する、それが会社の本質であり、それ以外の何物でもありません。
おっと大学も同じですよ

ISO認証すると儲かるという人は詐欺師、ISO規格は真理という人はバカか嘘つき、会社に役立つという人は経営者失格、ISO14001とかISO審査にそんな力はありません。
もし私の言うのが間違っていたら、ISO審査員はみな優秀な経営者になるでしょう。それ一つを考えても、アリエネー

うそ800 本日のあなたへ
あなたのために申し上げますが、ISO認証なんてまったくの無意味、無価値でございます。ただISOMS規格には価値があるかもしれません。まあなくても世の中が困ることもないでしょうけど、
おっと、私があなたのために申しあげることは疑った方がよろしいですよ。なにせ自己顕示欲が服を着ているような……

なぜ、こんな文章を書いたのかというと、
最近、我ISOの戦友から今回も10年一日のごとき審査であったという嘆きのメールを頂いたからです。
いやあねえ〜 どの会社でも従業員には世代交代があり、ISO認証機関にも審査員にも世代交代があるでしょうけど、審査員には進歩どころか変化もないと嘆いていました。
審査員に講釈を聞かされたのが「間接部門の本来業務」「有益な環境側面」「エネルギーを使う事は環境に有害です」とのこと。
そもそもISOは本来業務で考えるのではないのでしょうか?
有益な環境側面が存在することを証明してください、
エネルギーを使うことが環境に有害なら人間は存在すべきではなく、それは持続可能の否定ですけど? おっと、すべての生物も存在しちゃいけないよね、
つまりそれって支離滅裂じゃないの?
よく審査員が勤まるものだ

ダメ押し: 現在、日本の法律で「持続可能性」は定義されていない。
ブルントラント報告書(我々共通の未来)において「将来世代のニーズに応える能力を損ねることなく現在世代のニーズを満たす発展」と定義されているのが援用されている。
人間の存在を有害と断じるなら、その論理は「将来世代や現在世代の否定」であるから持続可能性を否定するものと言って良い。
なお、有益な環境側面はないというのは私の持論であるが(実は寺田博さんのご宣託でもある)、私は同時に有害な環境側面もないと語っている。
女性 そもそも現実の人がつくりしものは、すべて人間に有用だから作られている。有毒とか可燃物が有害な環境側面とは片腹痛い。すべてのものは危険と有用性を天秤にかけて、有用だから使われているわけであり、有害であり有用であるのだ。環境側面とはそういう有害性や有用な面が外界と接するところであるにすぎない。この物質は有害な環境側面です、この行動は有益な環境側面ですという表現そのものが間違いだ。工事による騒音や振動も、まさに「通さぬは通そうための道づくり」なのであって、総合的判断に基づいて実施されているということを理解しないと大人じゃない。
それらを踏まえて審査をするのが最低限の審査員のレベルであろう。




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