汚染の予防

19.10.03
品質保証の規格であるISO9001は、変動しない環境下で工程が変動しないよう管理する。
ISO14001は環境マネジメントの規格というけど、環境を管理することはSFの世界でも難しい。実際は組織が外部環境へ与える影響を管理することと、悪影響を低減すること。
事業継続マネジメントは少し進んで、環境影響だけでなく事業すべてを対象とするもの。
そのうちに自然は人間に征服されるべきと考えて、人間の好みに合わせて自然を改造するマネジメントシステム規格が現れるかもしれない。例えば「テラフォーミングマネジメントシステム規格注1)」なんてのが現れたらムネアツである。規格項目には、異世界生物とのコミュニケーションとか緊急時の生存者決定とか反乱者への対応なんてのが並ぶのだろう。

ともかくISO14001には当初から、外部の変化を受けて対応するということと、外部への影響を減じようとする発想があった。いやISO14001の意図は「遵法と汚染の予防」だから、外部変化への対応は二の次かもしれない。実際、天変地異にどう内部対応するかという要求事項はない。外部変化によって組織が出す二次災害が対象である。

同じく「汚染の予防」といっても、組織の責による汚染の発生に限定される。組織の責にない外部での汚染は対象外である。
当たり前じゃないかというけれど、世の中には無関係な汚染の予防に努める奇特な会社もある。植林とか昆虫の保護とか、サンゴ礁を守れとなると、組織活動と保護テーマに明確なリンクがあるとは思えない。

サンゴ礁を守れサンゴ礁を守れと語る人は、誰のために守るのか?
サンゴ礁のため? サンゴ礁の生態系のため? そこに住む人のため? 子孫のため?
本当はあなたがサンゴ礁で遊びたいからじゃないのですか?

別に私は環境破壊をしようというわけではない。
こんなことを書くのは、自然保護活動を「汚染の予防」として取り上げていた某大企業があったからだ。私はええかっこしいと皮肉に見ていたが、東日本大震災の影響もあり数年前に経営危機となった。企業の活動に密接で重要な「汚染の予防」なら、会社が存在する限り遂行しなければならないものだろうが、その大会社はあっさり自然保護活動を止めた。その会社にとって自然保護活動は飾り、アクセサリーであり、環境側面とは無関係だったのだ。それを見て私は正直 留飲を下げたね、

「汚染の予防」とは何か、まずは定義を見てみよう。

1996年版汚染を回避し、低減し又は管理する。工程、操作、材料又は製品を採用することで、リサイクル、処理、工程変更、制御機構、資源の有効利用及び材料代替を含めてもよい。 2004年版
2004年版有害な環境影響を低減するために、あらゆる種類の汚染物質又は廃棄物の発生、排出、放出を回避し、低減し、管理するためのプロセス、操作、技法、材料、製品、サービスまたはエネルギーを(個別に又は組み合わせて)使用すること
2015年版有害な環境影響を低減するために、様々な種類の汚染物質又は廃棄物の発生、排出又は放出を回避、低減又は管理するためのプロセス、操作、技法、材料、製品、サービス又はエネルギーを(個別に又は組み合わせて)使用すること

1996年版でも結構 形容詞句が長いですが、2004年版では言い訳されないようにと、大幅に追加されごちゃごちゃです。「ひとことで言うとなんだ?」といわれても、要約が難しい。
WORDの要約機能を探しましたが、Word2010以降 要約機能はなくなったそうです。
20015年版も2004年版と同じかとみると、おぉっと、2004年版の「あらゆる」が2015年版では「様々」に変わっています。原文を見るとどちらも「any type of pollutant」で変わっていない。
これは翻訳された日本語の問題ですから英英辞典は不要です。「あらゆる」「様々」が違うのは明白です。2004年版では翻訳した人は理想を目指して「あらゆる」として、誰かから突っ込まれたのか、それとも「あらゆる」は原語とは違いすぎたと反省したのかもしれない。
この翻訳が原因で審査で問題になったと聞いたことはないが、審査員が拡大解釈しやすい言い回しだ(独り言)。

おっと、 2004年版では「汚染物質又は廃棄物の発生、排出、放出を回避し、低減し、管理するため」が2015年版では「汚染物質又は廃棄物の発生、排出又は放出を回避、低減又は管理するため」となっているが、元々接続詞「or」があり、ここも原文は変わっていない。これも理由は分かりませんが、翻訳者の気分でしょうか?

ともかく汚染の予防とは、環境に有害なものの使用を避けるだけでなく、無害のものでも使いすぎて資源が枯渇したりさせないことも含まれる。
今は亡きマータイさんが「もったいない」という言葉が気に入ったそうだ。草葉の陰で喜んでいるだろう。

「汚染の予防」は環境にあるが品質にはない。予防といえば、問題を起こさないための予防処置は品質にもある。品質の予防処置と環境の予防処置は性質が異なるだろうか?
品質における予防処置といっても、神ならぬ身、そもそもどんな問題が起きるのか人が分かるわけがない。世の中で予防処置といわれているものの大半は、是正処置の延長である。つまり他社で起きた問題を起こさないように、別な製品で起きた問題を起こさないようにという水平展開、通常の生産環境(5M)を記録しておいて、それを外れたときは何が起きるか分からないから環境を以前の状態に戻そうとか、設備を故障させないよう定期的なメンテナンスをする、そんな活動が主に予防処置と言われている。

環境における予防処置はどうかというと、偉大なる寺田さんは「環境において予防処置は可能なりや」と過去に発言している。その見解には同意である。
品質に限らず、環境や施設管理でも、予防○○といわれるものは、ほとんどが是正処置である。予防保全はその典型である。
最近は予知保全なんてはやっているが、これだって現場から収集したデータと過去の故障率などと参照して行うにすぎず、是正処置の延長に過ぎない。
予防処置は是正処置と同等なものではなく、是正処置の一項目ではないかという気がする。予防処置は過去の分析、経験の展開、視点を変える、そういうことがすべてだろう。

発明発見だってみな巨人の肩に乗っている。アインシュタインはニュートンがいなければ存在せず、ニュートンはケプラーたちがいなければ、自分がケプラーの仕事をしなければならなかったはずだ。

じゃあ、過去にあった問題には必ず対策を取らねばならないのだろうか?
2019年のハリケーン ドリアンや令和元年台風15号を予想して対策しておくべきだなんていうのは言いがかりといっても良い。
民主党が政権を取ったとき、利根川のスーパー堤防工事を「何百年に一度来るかどうかの対応は不要」として却下した。決壊した利根川の上流である鬼怒川は当初から計画に入っていなかったと元民主党の人たちは弁解している。ここでは蓮舫が悪いとか、民主党はダメだというのではない。
言いたいのは、何百年に一度の洪水には対応しないという判断があってもよろしいということだ。もちろん発生したときは民主党と蓮舫が責任を取るという前提だ。
いずれにしても人間あるいは行政が対応できないレベルになれば、神に祈るという選択をせざるを得ない。

過去といっても50年100年でなく、1000年2000年のスパンで見れば、富士山は爆発したし、東日本大震災を上回るような地震もあった。関東地方が海だったことも、日本が大陸につながっていたこともある(これは万年単位前)。
過去に発生した天災に備えるとか、科学的に予想されるすべての天変地異に対応することが可能なはずはない。だから発生確率を踏まえ一定レベルまでは対応し、それ以上は人命だけ救うとか、一定基準を超えたときは被災地を見捨て当該地以外の安全を確保するという発想があっておかしくない。そこまで大げさでなくても、災害時はインフラの復旧まで一定時間かかることを国民が合意することもある。そして復旧まで全員テント暮らしで自衛隊/国交省が炊き出しをして命だけは確保するということでもよい。

ちなみにライフラインの復旧までに要する時間
(阪神淡路大震災などによる)

種類復旧までの日数
 電気1〜4日
 水道6〜10日
 下水10〜20日
 都市ガス20〜30日

令和元年台風15号の被害からの復旧はとても長引いた。とはいえ、多くの送電線の鉄塔が倒れたりしたのは過去あまりなかったことだし、県知事だって右往左往して的確な指揮をしたとは思えない。口だけ男は口裂女より役に立たない。

おっと、本日は予防処置ではなく汚染の予防である。
予防処置と同じく現実には、完全な汚染の予防というのはありえない。人間は神ではないから過去に発生していないことなど考え付かないし、思い付いたことすべてに対策できるわけでもない。
できることは、過去の実績を基に、受容できる被害なら手を打たない、手を打っても効果が焼け石に水なら手を出さない。要するに費用対効果の取れる範囲について、適切な対策をとるべきとなるのではないか?
過去四半世紀もの間、地球温暖化で大変だと大騒ぎであるが、完璧な対策が取れないのは事実であるのだから、一定までの被害の発生は飲むという前提で考えるしかない。
温暖化とか海面上昇するときには、お前が死んでいるからそういうのだろうと言われるかもしれないが、後段の前半分は事実ではあるが後ろ半分ほど無責任ではない。
海面上昇の対策がないならば、低地の土地利用について見直すとか、居住地を動かす。それができないなら、高い堤防を今から建造始めるというのが現実的ではないのか。そしてCO2発生には手を打たない、というかそもそも途上国のCO2増加には手が打てないじゃないのか? ちなみに我が国のCO2は世界の3.5%だからゼロにしても大勢に影響はない(注2)そして日本のCO2をゼロにしても、中国は数年でそれを埋めてしまうだろう。

要するに私の言いたいことは、汚染の予防をするのではなく汚染されたときの対策を今からすべきだということだ。汚染の予防とはISO14001の定義にあるようなことは、はなからできないのではないだろうか?
個人的にはISO14001の「汚染の汚染」の予防の定義の前に「予防策の費用と予防策を打たなかった場合の被害と発生確率を比較し、費用対効果がある場合において…」と形容詞節を追加せねばならないのではないだろうか?
ますます文章が長くなって、理解困難になりそうだけど……

2019年台風による大雨・洪水で工場の油槽から油が流出し、近隣の農地や住宅を広い範囲で汚染したという二次災害が記憶にあるだろう(注3)そういったことは汚染の予防をしていれば防げたのかどうか?
油漏れの対応とか周囲への広報が問題だったと言われていますが、緊急事態の対応はおいといて、予防処置はどうだったのか。
大きな台風などめったに来ない。大雨が降ることもめったにない。油槽からの流出など起きないという発想があったのかもしれない。流出防止の措置には大金がかかるでしょうし、災害が起きなくれも耐用年数が来れば設備は更新しなければならない。発生確率と対策費用は比較検討しなければならないのはもちろんです。
しかし実はこの鉄工所では30年前にも油流出が起きている。となると発生確率は仮定の問題ではなく、確率は100%で考えないとならなかったはず。
予防処置も汚染の予防も、過去の是正処置の上にあるならば、考え付かないことではないように思える。

汚染の予防とは、投資対効果だけの問題ではなく、最適解があるのかもわからない。いやいやメリットだけで悪いところがないなんて策があるだろうか? 実施しないという方法を含めて、すべての対策案はメリットもデメリットもある。だからなにを選択しようと、対策はトレードオフの関係にある。

もう20年くらい前だろうか、冷蔵庫やエアコンの冷媒にフロンを使うな! 炭化水素系を使えという動きがあり、特に欧州ではフロン追放運動が盛んだった。それ以降、昔ながらのアンモニアとかCO2あるいはブタン系を使った機器が出ていると聞くけど、冷媒の種類ごとシエアが載ったものは見つからなかった。2017年の環境省の資料(注4)でもEUにおける冷凍機器におけるフロン削減が載っているところからみると、彼の地でもすべてが非フロンに切り替わったようではない。

もっと前、20世紀末にスプレーにフロン使用が禁止され、ヘアスプレーの噴射剤はプロパンになった。このときも可燃性の危険を言われた。火災の危険と温暖化のトレードオフでプロパンになった。幸いドライヤーから引火して頭が火事になったというニュースは見たことがない。リスクはあっても発生確率は小さいのだろう。

冷蔵庫やエアコンではどうか?
当時、冷媒をフロンから炭化水素系にすることが最適解ではないと、安井至や中西準子などが語っていた。スプレー用と違い冷蔵庫やエアコンのフロンは、大気中に必ず放出されるわけではない。事故や廃棄時に漏れるフロンがオゾン破壊や温暖化促進になるのであって、その割合は全使用量のいくらになるのか。そしてフロン系に比べて炭化水素系は冷媒としての性能が落ち余計に電力を消費し、そのために化石燃料の発電所や原発がより多く必要となる。更に漏れた場合、フロンは無毒だが、炭化水素系は火災、アンモニアは毒ガスだから人命の損失につながる。CO2だって無害ではない。密閉した室内に漏れた場合は、毒はなくても酸素欠乏で死亡する。

諫早湾の干拓でも、海苔養殖業者は堤防を開けろと言い、農民は堤防を開けるなという。どちらも環境保全を旗頭にしている。良い悪いなんていいようもない。

毒性の高い化学物質を使うのはダメとなっても、代替えのきかない化学物質は使われている。PCBは難分解で生物に有害だからダメといいながら、航空機の使用はOKとか、カドミメッキは有毒だがその耐食性から船舶、航空機、重電においては使用可能である。結局使われているものすべてが、メリットがデメリットより大きいから採用されているのであり、汚染の予防といっても一つの指標で評価できるわけではなく、総合的に判断しなければならない。そして見解は人によって異なり、妥協もまた困難なのが現実だ。

2019年の秋、国連でグレタ・トゥンベリという少女が国連で演説して大人気らしい。そう言えば、30年前にトゥンベリの先輩にセヴァン・スズキというのがいたな。
御大層なことを言ってるけど、彼女たちの言葉がそのまま実行できるわけがない。きれいごと、現実離れのおとぎ話、ヒステリーでいい子ブリッコというだけです。

世の中は単純でなく、ものごとは簡単ではない。温暖化防止というようなグローバルなお話でなく、イギリスがEUを脱退する"方法"のことでイギリスの首相は3人も代わっている。4人目になっても決まらないと思う。
クリントンは京都議定書をまとめたものの、自国アメリカを収拾できず放置プレーで任期切れ。トランプ大統領はオバマが不用意にした中国への譲歩を一歩一歩押し戻しているし、メキシコとの国境の警備も強化している。それは目に見える実績だ。しかしそれ故に、ものすごい反発と批判を受けている。
政治とは妥協なく人との交渉はできない。しかし妥協で終わるのでなく、国益の確保を図れるかどうかが大人と子供の違いだろう。

トゥンベリが何度も口にした「よくもそんなことを」とか「決して許さない」なんて言葉が子供に許されるわけがない。
彼女が途上国で産まれ風土病とか飢饉あるいはテロで生き死にの体験があるならともかく、社会保障の進んだ先進国で生まれ、食べるに困らず自分自身が資源を途上国の何倍、何十倍も浪費していることを認識していない。あげくに素晴らしい船でニューヨークに来るのに旅費捻出で困ったはずもない。
己を省みず、アホを騙るのはおやめなさい。あとで恥ずかしくなるよ!
10年も経ったら、今回のすべてを黒歴史と封印するのだろうか?

狭い範囲で考えると、汚染の予防の解と思われるものはある。
名古屋鶏さんの肖像画
同志 名古屋鶏様の肖像
我が同志、名古屋鶏様から聞いた話だが、重油を使っているものを電気にしろと売り込みに来た業者がいたとか。業者曰く、エネルギー変換すれば汚染を無くせるという。
名古屋鶏様は、電気はきれいなエネルギーというけれど、その電気はどうして作るのか?と問うたそうですが、その業者は名古屋鶏様の言うことが理解できなかったそうです。
例えば、ボイラーを止めてエアコン暖房にするかというのは結構ですが、それで汚染がなくなるわけではありません。電気といっても石油から作るのか、石炭で発電するのか、太陽光なのか、風力なのか、原発なのか、経産省は使用する電気ごとに排出する温暖化ガスを計算する計数(注5)を出しています。いずれにしてもCO2排出がなくなるわけではありません。

太陽光発電は無公害だ、スゴイダロー……と語っていた人もおりました。
しかし太陽光でも風力でも、設備を作るためにエネルギーや資材を使うから二酸化炭素の排出はゼロではありません。
それだけでなく太陽光発電は天気に左右されます。晴天ならハッピーですが、雨が降れば発電しません。でも工場や家庭はそれじゃ困ります。電力会社は太陽光発電の電気が止まることに備えて太陽光と同じだけの発電所を余分に持っていなければなりません。つまり設備としては太陽光が外だしになっただけです。
風力発電……いいですね、風があれば。風が吹かないと困りますが、風がありすぎても発電できません。風車は風当たりが良いところに設置しますから、2019年台風15号では大変な被害が出ました。
っ太陽光パネルの損害も大きかったですね。太陽光パネルの投資の回収には20年くらいかかるとか…まだ設置後20年経ってなかったでしょう。被害にあったのは保険をかけていたのでしょうか?
それに風力とか太陽光発電の残骸を処理するのも大変ですね。汚染の予防を考えていたのでしょうかねえ〜


うそ800 本日の老人の主張
世の中複雑だから、物事は簡単に割り切れない。汚染の予防といっても、過去に類似災害が起きたものしか人間は認識できない。そして対策が実行可能であることしかできない。
ということで本日の駄文を簡単にまとめると次のようになるかと……
ISO14001:1996年版 序文に「EVABAT(イーババットと読む)を考慮せよ」とあった。それは「経済的に実行可能な最良な技術を適用すべし」という考えである。
結局それがすべてではないだろうか。

だからこれを基にすれば具体的には、
  1. 過去に起きた問題を良く調査せよ
  2. 過去に起きた問題で経済的にも技術的にも対策可能なら必ず予防策を取る
  3. 過去に起きた問題が2番目でなければ、緊急事態の対策を考える
  4. 過去に起きた問題が甚大で2・3の策がないときは、すっぱりと見捨てる
ということだ。
多くの 全ての人が4番目を語らないのは、勇気がないのか、嘘つきなのか?



注1
テラフォーミングとは人工的に惑星の環境を変化させ、人類の住める星に改造することで、「地球化」、「惑星改造」、「惑星地球化計画」などと訳される。
もちろんすべてはホモ・サピエンスのためであり、そこの生物を考慮するなんて……ありえません。

注2
全国地球温暖化防止活動推進センター 地球温暖化の基礎知識

注3
注4
注5

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