私はISOの預言者である。

19.11.04
予言者とは「天から恐怖の大王がやってくる」とか「次の総選挙では共産党が政権を取る」などこれから起きることを語る人のこと。史上もっとも有名な予言者はカッサンドラという王女で、「パリスの審判」で知られるパリスを兄に持つ正真正銘のセレブである。彼女はゼウスの息子アポロンの恋人になり未来が見える力を授かった。セレブで恋人が神様で超能力者とは、貧乏で平民で能無しの私から見たらうらやましいことこの上ない。
もっとも彼女がアポロンから未来を知る力をもらった瞬間に、アポロンが彼女を捨てる未来が見え、アポロンへの愛が冷めてしまう。それでアポロンはカッサンドラの予言を誰も信じないという呪いをかけた。これがアポロンの呪いである。
でもさ、カッサンドラがアポロンに捨てられる未来を見なければアポロンを嫌いにならず、カッサンドラの愛が冷めなければアポロンはカッサンドラを捨てないわけでしょう。これってフリップフロップのようでなんか変じゃない?

漢字が一字違う預言者とは未来を語る人ではない。どの時代、どの地域でも公正はなしえず虐げられる人はいる。それに怒って世の中の不義・不正を糾弾する人が預言者と呼ばれる。
すなわち神の言葉を預かり神に代わって語る人というわけだ。だって権力者を糾弾するにはそれ以上の権威、つまり神の言葉でなければ対抗できない。その言葉が真に神から預けられたにないにしろ。
つまり預言者とは文字通りであれば神から預かった言葉を語る人のわけだが、実際には妄想とか、自分の願望を語る方が大多数だろう。とはいえ言いたい放題できるわけでもない。発言には根拠が必要だ。別に裁判とかISOと同様に証拠と根拠を上げろと言われなくても、人を信用させ動かすには納得させなければならない。人を動かさない預言者は、預言者たりえず単なる狂人だ。人を納得させるためには、聖書とか憲法など権威あるものを根拠にしなければならない。
モーゼ
預言者の発祥は古代ユダヤである。預言者とはナービー(またはナビー)の訳、ナービーとは沸騰という意味で、神の言葉が体内に沸いてきてそれを民衆に伝える人のことであった。
ユダヤ教においてモーゼは最重要な預言者とされている。
預言者はユダヤ教だけではない。イスラム教の始祖、ムハンマド(モハメット)も預言者(ナービー)と言われている。
キリスト教やモルモン教でも預言者とされている聖人がいる。

しかしいつの時代でも権力者を責める者は、血祭りにあげられるのもお決まりである。悪い王を倒して自らが王となったダビデも、彼自身権力を持つと暴君となり彼を諫める者を殺した。カソリックが堕落したのを糾弾したセルベートたちは火あぶりになった。かように権力者に逆らうことは命の危険。現代では政治家よりもマスコミが権力者で、マスコミに逆らうと身の破滅である。

だが「やむにやまれぬ大和魂」(注1)と正義感を抑えられないのはどこでも同じだ。預言者は不義を見れば、正義を叫ばずにいられない。預言者は自分の意思ではなく、神に指名され社会を糾弾しなくてはならない。旧約では神から預言者になれと神命を受け、自分の不運を嘆きいやいやながら従うお話もある。

いま日本の政治を見ていると、野党とくに共産党や山本太郎の立ち位置は預言者のように見える。語っていることは真理に思え、彼らの主張を批判することは躊躇する。ご立派、ご立派としか言いようがない。
でもちょっと考えれば彼らの主張は実行可能でないのは明らか。なにをするにも先立つものはお金だ。身障者など弱者にやさしくという裏付けは、税金を上げなければなしえない。税金を上げみんな貧しくて仲良くしようというのは成立するが、みんな豊かで仲良くしようというのは経済的に成り立たない。
同じく平和を守れというのに反対はしがたいが、竹島で日本人漁師を虐殺した韓国に対してどうするのか、尖閣を攻め取ろうとする中国に対抗できるのかと考えると、そんな理屈は空理空論でまったく意味がない。
平和を守ることは平和憲法を改正するところから始まるのではなかろうか?

いや私を嘘つきと言ってくれるな。民主党は日本人の命を賭けた壮大な実験をした。その結果、彼らはコンクリートから人へは ハトポッポ まったくの誤りだったことを実証した。沖縄の普天間基地をごちゃごちゃにして新たな失われた10年問題を創出した。中国の侵略を身をもって防いだ海上保安庁の人たちをないがしろにした。
つまり多くの場合、預言者の論は正しく見えるけど、実行不可能で効果もない単なる言葉遊びなのである。
政治とは妥協を図ることである。私利私欲とか我田引水というのは論外だが、己を含めて複数の利害関係者の調整を図るのが政治家、ただ正義を主張する者に政治家は務まらない。

私も日本におけるISO第三者認証制度の問題を叫んで既に10余年になる。私は2001年にISOの神から、ネットでISOの正義を成すように叫べと神命を受けたのだ。いや冗談ではなく、本当に神に召されたのです。信じるものがない人は預言者になれません。
私は理不尽な見解、ナンセンスな要求など実際にひどい目にあったことを書き連ねればきりも限りもありません。
そして語ることに間違いはないと考えている。確信がなくちゃウェブサイトで堂々と叫ぶことはできません。
そんなわけでこのホ−ムページだけでなく、いくつかのブログを維持し書き続けているだけでなく、あちこちの掲示板にも書き込みし、妥協できない異教の思想に反論しているのです。

私が預言者なら、私の語ることは正しくはあっても実行不可能なことだろうか?
ISO第三者認証制度は、政治つまり経済とか外交と違い、そんな複雑な世界ではなく、利害関係者も多くなく、調整が取りやすいはずだ。
そもそも私は非論理的なことや空理空論を語っているつもりもない。

このウェブサイト開設からの期間だけで18年になる。今まで腹の底から湧き出てきた主張はたくさんある。それは世の中からはじかれたのか、それとも受け入れられたのか?


そうみてくると、私が怒り狂って書きまくった18年は無駄ではなかったと思いたい。
私がトランス状態で書きまくった、審査員の傍若無人や理不尽への抗議、怒りは世の中が理解して受け入れたのだろうと考えます。
それは預言者としてバカをやってきた私が、バカではなかったということでうれしいこと。同時に世の中はバカもいるけど、まともな人が多いということでしょう。
とはいえ、ISO第三者認証制度という本当にニッチな世界であっても、是正には多大な時間を要し、被害を受けた人たちは少なくはなかったことは間違いない。
そしてそのフィードバックによって、ISO第三者認証制度の信頼性は毀損され制度そのものが地盤沈下しつつあるのも現実だろう。
ISO認証の信頼性低下は企業が嘘をついたせいではない
企業が嘘をついたと語るI 教授こそ嘘つきです
ともあれ、第三者認証制度に関わる人々は、私に感謝しても憎しみを持つはずはないと確信する。

しかしちょっと待ってくれよ……この世にISO担当者が何万人いるか知らないが、私と似たような経験を持つ人は大勢いるはずだ。そういう人はなぜISO審査の問題、事務取扱の問題、認証機関の態度、審査などの多くの問題があるのにも関わらず、認定機関やISOTC委員たちが適切な是正処置を取らないことに抗議なり是正を求めないのだろう?
世のISO担当者は過去20数年にわたって行われてきたISO審査が、適正なことだと考えているのか?
あるいは仕事だから、多少の無理、横車は仕方がないと諦めているのか?
それともひどい目にあったのは私だけだったのか?

いやいや、ネガティブになるまい。共に戦う同志がなくとも、やむにやまれず行動し、その結果前進はあったのだ。最高の人生ではないか。
「やむにやまれぬ大和魂」は無為ではなかったのだ
私と相まみえた多くの審査員は、今 恥を反芻して生きているだろう。
「汝、己の咎を知る。その罪は常に汝の前にあり」自業自得だ、
えっ、自分が悪かったことを理解できないって
救いようがないな……


うそ800 本日の蛇足
おっと、これが最後だろうなんて安心召されるな
私はこの世の悪を許すことはできない by アイアンサイド
だから to be continued



注1
吉田松陰の句「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
この歌は軍国主義とは関係ないが、大和魂とあるので「キィー」となる基地外がいるので困る。
松陰の辞世の句も「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」と大和魂で終わる。

注2
「環境マネジメントシステムの構築と認証の手引き」土屋通世、システム規格社、ISBN4901476068、2004
アマゾンやネットで探しても2019年現在この本は見つからなかった。この本の改定前の1996年版対応は古本で手に入る。


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