維持のはなし

19.11.07
私は大学に行かなかったけど(注1)多くのことを会社の先輩や上司から習った。もちろんまっとうな教師であった上司/先輩もいたが、反面教師であった上司/先輩も多かった。
尊敬する上司の一人はどんな問題が起きてもたじろがず、原因を究明し対策した。彼は後に部長にまでなった。
彼の偉いところは精神面も技術的にも手法的にも多々あるが、標準化を図ったことが一番だと思う。多種多様な塗料を使っていたのを、種類を減らせと似たようなものは統一してしまった。その改革に多くの人が反対したが、やってみれば困ったことはなにもなかった。標準化はコスト低減、習熟の容易化、管理のしやすさなどあらゆる点で改善の基礎となった。塗料だけでなくあらゆる分野で標準化を進めていった。
「彼の前に勝者なし、彼の後ろに敗北なし」とは何十年も前のテレビドラマだが、その上司はまさしくそんな感じだった。
しかしこの上司にも欠点があった。酒癖がとか女癖が……ということではない。標準化したものを維持できなかったのだ。ご本人もそれを認識していて、「俺は問題を解決することはできるが、それを恒久的にするのは苦手だ」と常々語っていた。
前言を撤回する。彼の前に勝者なしは正しいが、彼の後ろには再発した問題がゴロゴロしていたのが真相だ。それは問題対策の処置を、口頭とか一回限りの文書で行っていたからだと私は考えた。

私はその上司の良いと思うところは真似した。そして彼と同じ失敗をしないことを考えた。彼の問題対策が一過性なのは明らかだ。それは是正処置をルールにしていないからだ。ならば対策をルールにする。そして状況が変われば、そのルールを改定すればいいと考えた。
それは設計に不具合があるなら図面改定するのと同じことだ。寸法公差が悪ければ、適正な公差に改定すれば問題は解決だ。図面改定以降はズット変更後の部品が作られる。

しかし外部からホコリが入るのを防ぐために二重ドアにして、同時に両方のドアを開けてはならないというルールをどういう形で定めればよいのか?
ドアに「開放厳禁」と大書しておくことだって簡単にはいかない。
ちょっと考えただけで何十もの疑問?が出てくるだろう。

 会社全体のルール
 工場レベルのルール
 部のルール
 課のルール
 掛のルール

会社はヒエラルキー(注2)そのもので、会社によって構成や呼び名は違うが、例えば工場、部、課、かかりといったレベルの積み重ねである。
その構造において、
いや待て、まずルールを作るという仕組みがなければならない。
それにはルールを作るルールが必要だ、
そういうものを決めていかないと、今目の前の不良対策をルールにすることができない。

当時私は会社の規則があることは知っていたが、中身をしげしげと読んだこともなかった。ましてや部のルールとか課のルールなど見たことがない。
現場のドアの開け閉めを、どんなルールで決めるべきか……
複数の課に関わることなら部のルールにする必要があり、部のルールの決裁者は部長であるはずだ。自分の職掌内に通用するルールを自分が決められなければ管理者ではない。それくらいは私にもわかる。
類推すれば課内のことであれば課長決裁であろう。当然、掛内のことなら掛のルールでよく、掛長決裁ということになる。

私は考えた。
自分の掛内のことだから掛のルールを作れば良いはずだ。
だが、掛のルールの存在を掛が決めてよいのか? 掛のルールの決裁者は掛長であっても、掛のルールの存在を決めるルールは掛内にとどまらず、全社にあまねく適用されるはずだ。ならば掛のルールを決めることを定めた会社規則が必要で、その決裁者は文書管理と考えれば総務担当役員になるはずだし、技術文書とみなせば技術担当役員になるだろう。
ルールを作る前に、どうすれば改善した方法を恒久的にできるか考えた。文書管理や会社の仕組みというものについて、まったくの素人である私がそういうことを考えたのは我ながらすごいと思う。当時1970年代半ば、私が20代の頃、相当真剣に考えたのだ。

そんなことを考えてあちこち聞き歩いていて、図面管理をしている部門に文書の専門家がいると知った。当時私の勤めていた工場の技術部に技術管理部門があり、そこで図面の管理の他、JIS規格や業界規格の管理、また特許申請の手続きなどをしていた。
その方は30そこそこだったが、20代の私から見ればものすごく年配に思えた。私はその方に教えを乞うた。
彼は会社の文書管理規則を見せながら、会社の文書管理規則では、部課などの各階層のルールについて決めていることを教えてくれた。会社規則とは社内では最高位の規則であり、それに反したルールは制定できないということも知った。
なるほど、そういうことは既に会社規則で決められていたのだ。しかし体系や形式は定めてあったが、私の働いている工場では実際に制定している部や課はないという。部長・課長が在職するのはせいぜい数年、その間は口頭指示でなんとかなるのだろう。そして人事や金銭に関わる決裁は全社のルールで間に合っているのだろう。
更に、会社のルールのレベルにおいても親子関係があり、すべてのルールはファミリーツリーを構成する。文書体系から独立したルールは存在しないということを聞いた。

ちなみに: 現実には親のない手順書(規定など)はあちこちでみかける。我々はそういう文書を「ててなしご」と呼んだ。あまり良い言葉ではないのは自覚している。
しかし世のISO事務局と称する多くの人々は私生児規定の存在に疑問を持たないのは不思議である。きっと良い文書の専門家の指導を受けなかったのだろう。もっとも法律や施行令を10本ほど読めば、文書体系というものを自然と覚えるはずなのだが。

これは法律でも同じであり、基本法があり個別の法律があり、更に特定の事例についての法律が作られている。いや正確に言えば、法律の文書体系とか形式を真似て手順書を作っている会社が多い。例えば規則の第1項の@がなく、第二項からAをつけているところもある。なにごとも奥が深い。
とはいえ会社のルール、特に低い階層(レベル)ではあまり厳密にすることもないだろうという。
考え中
ドアの開閉をルールにするだけでもそういう背景というか、ルールの基本を踏まえていないとならないのだろう。
ともかく製造部門の立入制限とかドアの開け閉めについていえば、全社のルールにするのは位置づけがおかしい。それは他部門に関わらないから必要な部門が制定することになる。
私はその方に部門のルールの制定方法を教えてもらい、掛のルール体系を構築し、その枠組みで係のルールを一生懸命作った。
当時パソコンはもちろんワープロもなく、紙に鉛筆で絵と文章を書き上司の許可(決裁)を受けて、ジアゾコピーをして関係個所に配布した。
私はそれ以前から設備や機械の導入があると、使用方法やメンテナンスを教えたりしたが、常に具体的なマニュアルを手書きで作っていた。まさに標準化の権化である。
ISO9001:1987が現れる10年以上前に、手順書とか作業指示書を作り文書管理を行ったのである(注4)それは全社規模ではないが、ひとつのマネジメントシステムの構築である(注5)自分で自分をほめてやりたい。

それで一段落したわけではない。次なる難題は維持である。
製品のモデルチェンジ、機械や設備の更新、材料や加工方法の変化、組織の変更、指名業務があれば退職・異動・認定などによる個人名の書き換えもある。そういうことは常時発生するから、それに合わせて掛のルールを更新していかねばならない。
そして重大なことだが、一旦そういうことを怠ったなら、ルールはあっという間に風化し見捨てられてしまう。
改定がどれくらい発生するかと言えば、1件について多ければ年に数回、少なくても年に1回は発生した。仮にひとつの掛にルールが50あったとして、年間150件、毎週数回改定が発生するのは覚悟しなければならない。改定を遅らせれば皆がルールを無視する。現実にあわないルールはルールではない。
もちろん改定作業といっても負荷はさまざまだ。定年退職、資格取得者などの修正であれば、改定作業に30分、掛長の承認を得てコピー配布すればよい。工場のレイアウト変更となると、関係者の意見徴収とか、掛外の関係部門との調整などがあり、数日潰れるかもしれない。ともかくなにごとも慣れと根気だ。そして継続するしかない。

しかしタイムリーに文書を改定して配布しても、末端では差し替えが不十分で旧文書で仕事をして問題が起きたこともある。
となると文書管理が問題である。改定版を差し替えるのが徹底しないなら、いっそのこと改定があったとき、あるいは定期的に全部差し替えてしまったらいいのではないか?
そんなことをカットアンドトライを繰り返し、職場にあった文書管理を考えた。そして実行し続けた。

数年後、自分がその上司の後を継いで現場の管理者になりました。あれもやりたい、これもやりたいと思うことはたくさんありました。でも現実にはやりたいことの半分、いや2割もできたらすごいことです。ただ日々の仕事に流されていたというのが本当のところです。そんなことをして数年、自分の力量不足と事故などにより現場の管理職解任、品質保証という部門に流されました。
おことわりしておきますが、まだISO9001は現れていません。おっと勘違いはないでしょうけど、品質保証という仕事はISO9000s発祥以前からあります。そもそもISO9000sとは品質保証要求事項の標準化ですからね、

品質保証のお仕事にはルールを作ることもあります。もちろん作るだけでなく維持も仕事です。
ところで私は前の職場でNC機械のプログラムを作るのもお仕事でした。1970年代は半導体メモリー付きのNCマシンなどありません。
NCテープ

黒いテープはメモ書きが読みにくいので、カラフルなものを使った。
明るい色ではリードエラーが起きるというが、そういう経験はない。

メモリー代わりは長い紙テープで、それをぐるぐる回して加工をしていました。当時は紙テープ穿孔タイプライターという機械で、カシャカシャとNCテープを作っていました。
紙テープを使った人なら、パリティチェックの必要性を身をもって知っているでしょう。横方向に4個穴があるかどうかを常にチェックするわけです。ゴミとか紙の繊維で穴が塞がれるとパリティ異常でアラームが付きました。

それがどうしたとおっしゃいますか? そういう仕事をしていた私は、タイプ入力が速いのです。もちろん会社でNCテープを作るだけでは技量はアップしません。ブラザーの手動のタイプライターを買いまして、休日は子どものお守りをしながらブラインド入力の練習をしたものです。
キーボード もっとも機械式のタイプライターは速く打つとキーが絡まったりするので、キー入力はあまり早くできない。そのときキーの配列は速く打てないように決められたというのを知った。それまでは速く打つためにキー配列を決めたものと思っていた。
品質保証に異動になり規則を作ることになりました。当時はDOS/Vマシンにパソコンメーカーごとにメーカー特有のワープロソフトを走らせていました。マイクロソフトWORDがデファクトスタンダードになったのは、1993年のWindows3.1以降のことです。ともかく怪しげなワープロソフトで規則をポンポンと作り、それをジャンジャンと改定するお仕事に励んだのです。

規則を作るというのはある意味単純な仕事ですが、苦手意識のある担当者…私から見ると品質保証の先輩…も多かった。
なぜかというと、
そんなことが原因のようだ。
私の場合、当時はもう帰る場所がない。この職場で頑張らないとあとがないという状況でした。というか現場で200人も使っていた身にすれば、関係部門との調整とか部長とか工場長に説明してハンコをもらうなんてのは苦痛ではありません。
ましてやワープロは考えなしに指が動きます。
いつしか工場の規則の制定・改定は私の担当のようになってしまいました。芸は身を助けるとは真実です。

それから10年後、私は別の会社の環境部門で働くようになりました。その会社は文書管理のレベル(意識かもしれません)が高く、3年間改定がない会社規則は見直しするという規則がありました。

ちなみに: 定期見直し間隔が3年というのは非常に短いほうになる。JISやISO規格では5年となっているが、現実にはISO9001が7年、ISO14001が9年で改定しているのが実情。一般の会社でも5年が短い方で、10年という会社も知っています。
普通見直しには1年かかりですから、3年ごとに見直しなんていうと、見直し作業の担当者が必要かもしれません。

その環境部門がお守している会社規則が30本はありましたから、毎年10本くらい見直しをしなければならないことになります。
ところがその職場の先輩方はみな規則の制定・改定が苦手なようで、ご遠慮する人ばかり。どこも規則の維持なんて面倒に思う人が多いようです。新人である(最高齢でもある)私が、お困りなら私が代わって行いましょうというと、皆さん えっ! という顔をする。それが単に手間のかかるお仕事を自分から言い出したから驚いたのではなく、(何も知らない)お前にできるのかという驚きと知ってガックリきたのは本当です。
実を言えば会社が違っても体系や書式が違っても文書管理の基本は同じです。文書管理とか計測器管理は、ISOMS規格などよりはるかに長い歴史がありまして、どの会社でも方法論は収斂します。だから一度でも文書管理をしたことがあれば、規則の制定・改定なんて簡単なルーチン作業なんです。


本日は文書管理ではありません。維持のお話です。でもそんな人生を重ねてきた私は文書管理でも維持でも一家言持っているわけです。
ではこれから意地でも維持のお話につながなくてはなりません。

維持とはmaintainの翻訳です。

要するに、基本になる状態や手順が決まっていなければ維持ということはありえない。つまり標準化…つまり文書や見本に基本を決めておく必要がある。
そしてその標準が適正であるか否かを、定期的あるいは定常的に現状を把握し評価して検証されなければならないわけです。
さてISO14001:2015では「…を確立し、実施し、維持しなければならない」という文言が22回でてきます。
環境マネジメントシステムで最重要な概念は環境側面で、そいつが登場するのは17回、それに対して維持が22回も出てくることは極めて重要なのだろう。あるいは維持することは極めて困難であり、くどいほど言わないと右から左に抜けてしまうのかもしれない。

矢印
右耳
■ ■ ■
左耳
矢印

もっとも人の話を聞いてもすぐに忘れてしまう人って多いのよね、ちなみにそんな風にすぐ忘れてしまう人を「ちくわ耳」というと小学生のとき教えられた。英語では「go in one ear and out the other」というと英会話教室で習った。
私はこの言い回しを何度聞いても忘れてしまう。

ところで、お前は維持といえば文書の維持だと思っているようだが、運用の維持だってある。そちらの方が重要だ。
そうおっしゃる方もいるだろう。
そうだろうか?
運用の維持はその運用を定めた文書に従うことで維持される。文書に定めたことをしないのは就業規則違反である。
そう言えばご理解いただけるだろうか?
基準を文書に定める。仕組みや方法が変われば文書を改定する。それが維持のすべてである。

ISO規格で維持とは、文書を維持することなのか、運用を維持することか、あるいは最終的なアウトプットを維持することなのか?
それはズバリ「標準を維持すること」です。実際の運用が維持されなくて良いわけではありません。標準が維持されているなら運用は維持されて当たり前、そしてルール通り運用すればアウトプットは担保されるという発想です。
そもそも標準を守ってアウトプットがダメなら標準が悪い、それはISO9001を始め、あまたのISO MS規格に共通する考え方である。方針も計画も運用も、すべて仕組みを作れ、手順を定めよというのが要求事項で、作った後は実行されて当然という考えで構築されています。
それを理解せずにISOMS規格を読んでもダメでっせ、

えー、イジイジと長く語ってきましたが、結局のところ維持とは維持の仕組みを作れ、その仕組みを文書化しろということにすぎません。
まあ維持の意味が分かっただけよかったじゃありませんか。これからは意地汚く維持とは何だと問われても、なんだかわからないとイジイジすることなく、堂々と意地悪い人に維持を説明してあげましょう。


うそ800 本日のひとこと
ISO規格が現れるはるか前、独力で維持を悟った私は天才である。私を教えてくれた上司と文書管理の専門家に応えることができたと確信する。……自信過剰かな 




注1
私は社会人になってから通信の短大と大学に行き、定年後大学院にいった。マスターになったのは63歳であった。

注2
ヒエラルキー(英語ではハイラーキー)とは元々カソリック教会の聖職者の階級制度をいう。それが一般的に階層とか階級の意味に使われるようになった。
教皇
枢機卿
大司教・司教
司祭(神父)
助祭
修道士・修道女
一般の信徒
ペンギンシスター
ペンギンとシスターは似ている
姿形はもちろん、空も飛ばない

注3
「ありてあるもの」とは自分が自分の存在を肯定するもので、創世神のこと(出エジプト記)
手順書などを作る人で、規定の存在の裏付け(保証する権威)を真面目に考えている人はほどんどいない。品質マニュアルや環境マニュアルの冒頭に「この文書は品質(環境)に関する当社の最高位の文書である」なんて書けば間に合うと思っているか、それさえも考えていない人がほどんどだ。
その環境マニュアルは就業規則とどういう関係、つまり親子とか兄弟関係になっているのですか? まさか無関係ってことはないよね
その問に答えられる人は3割はいないと思う。
最高位とはどういうことですか?
他の社内規則で「○○マニュアル」と異なる記述があれば、マニュアルが優先するという意味でしょうか? それとも、他の規則類はすべて「○○マニュアル」の子供か孫になっているのでしょうか? それは何によって最高位であるとされたのですか?
答えられないなら、答えられるまで考えなければならない。あるいは自分が説明できないことは書くべきではない。
ところで責任権限とバカの一つ覚えで書いている人が多いが、責任と権限の違いについて解説してください。

注4
手順書(procedure)とは仕事の手順を定めた社内文書の一般語である。実際の名称は、会社規則、規定、規程、手順書などと呼ばれる。
作業指示書(work instructions)とは仕事の具体的要領を定めた社内文書の一般語である。これも実際には作業要領書、作業手順書、指示書などと呼ばれる。
 CF: ISO9000:1987
注5
ここでいうマネジメントシステム構築とは文字通りシステム、つまり組織・機能・手順を作り上げたことであり、俗にいうISO認証するという意味ではない。


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