うそ800始末1.目的

19.12.26
うそ800始末とは

2019年の暮れも押し詰まってきました。振り返れば、「うそ800」を書き始めたのはもう19年も前のこと、当時私はもちろん現役で、ISO審査員とチャンチャンバラバラしていました。
お相手はあまりにもアホというか非論理的で不勉強な審査員ばかり、認証機関に文句(注1)を言ってもカエルになんとやら……現状逃避ではありませんが、そのうっぷん晴らしに書き始めたのがこのうそ800の始まり。おっと、うっぷん晴らしといっても批判、非難ではなく論理的な正論であったと確信しております。

引退してからも元同僚とか同志から情報が入ってきますが、いまだに審査員の質も審査の質もあまり向上していないようです。ただ認証件数が減りビジネスが先細りのためか、審査員も高圧的な上から目線をやめて、低姿勢になったと聞きます。とはいえISO認証ビジネスの元締めJABの理事長が、審査の現実も知らずISO規格を理解しているとは思えない浮世離れしたお話を語っているところを見ると、呆れるばかりです。
自浄作用がない制度であり人たちであるなら、もう審査も認証制度も改善することはないでしょう。そして現実に認証ビジネスは過去10年間下り坂できていますし、いよいよ終末を迎えたようです。週末なら楽しみですが終末では苦しみでしょうか?

正直なところ、19年の間この「うそ800」に1500ものコンテンツも書いてきましたから、言いたいことは言い切ったと思います。しかしいくら是正を叫んでも当事者が是正もできないなら、反省を呼びかける言葉を発するのも馬鹿らしい。みなさんだって友人が悪いこと……別に犯罪をするのでなく詐欺にあいそうなときとか……止めようとするでしょう。でも友人があなたのアドバイスを無視して突っ走るなら、友を見捨てお付き合いを止めるのもやむをえません。私にとってISO認証は四半世紀も付き合ってきた悪友(?)ですが、もう見切ってさよならすべきでしょう。

ということで我が人生も古希となったのを記念して、ISO語りを卒業しようと思っております。まだ「決心した」といわないところが私の執着というか未練でしょうか〜?
ともかくヤーメタというだけで終わるのもチョットと思いました。今までさんざんISO認証制度の棚卸しをしてきましたが、最後はその総括をしようと考えております。


まあそんな切り口で考えていこうかと思っております。
はたしてどうなりますことやら……


本日はその第1回、題しまして「目的」
ISO認証の目的はどんどん変わってきました。

■1992
私がISO9001と関わったのは1992年のことだった。なぜ当時の勤め先がISO認証をすることになったのかといえば、単純明快だ。EU統合が1993年であった。EU統合すると域内では自由に物も人も移動できることになるが、その条件として品物はISO9001認証した工場で作られたものというしばりがあった。当然域外からの輸入品もISO9001認証が求められた。つまり欧州に輸出している企業はISO認証が必須となったからだ。

ヨーロッパ統合の歴史を簡単にまとめると次のようになる。
名称初期の加盟国目的
EEC
欧州経済共同体
1958 西ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダの6ヵ国 アメリカ、ソ連に対抗できる経済圏の確立をめざして関税の統一、資本・労働力移動の自由化、農業政策の共通化などを目指した
EC
欧州共同体
1967 西ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、英国、アイルランド、デンマーク、ギリシャ、スペイン、ポルトガルの12ヵ国 国境のない単一市場をつくることを目的とし、商品取引の自由化のほか労働力取引の自由化を図った。
東欧革命
1989〜1992 1989 ポーランド、ハンガリー民主化・ベルリンの壁崩壊
1991 バルト三国分離独立
1992 アルバニア民主化
EU
欧州連合
1993 ECに同じ。
但し西ドイツから統一ドイツに変わった。
国境のない単一市場をつくることを目的とし、商品取引の自由化だけでなく労働力取引の自由化や通貨の統一を図った。ユーロが実現したのは1998年。

アメリカの電気用品をはじめとして家庭用品の安全基準であるUL認定は、法律ではないが、認定品でないと小売業が扱ってくれないのでビジネス上必須である。だからアメリカやカナダに輸出するためには認定を受けなければならない。欧州に輸出している企業にとってそれと同じようなものだ。

ただULが製品認定であるのに対して、ISO認証は品質保証の認証であった。

ご参考までに: ULは使用する部品材料から保管方法などを具体的に指定していて、実際にその通り物を作っているか点検に来る。
ISOはこのような管理をしろというだけで、具体的な方法とか基準を示さず企業に一任(丸投げ)である。また対象は会社の仕組みと運用であって、製品そのものは対象外である。


認証だけといっても、その基準は客観性があり明確なものでなければならない。当時は各国が品質保証規格を制定していたし、商取引では二者間で独自の品質保証協定を結んでいたのが普通だ。それでは一般性がないということで国際規格を作ることになった。ISO9000s(注2)はイギリスの「BS5750 品質システム」を下敷きにして作られた。イギリスの規格タイトルは「品質システム」でしたが、ISO9000sのタイトルは「品質保証モデル」とある。「モデル」とは模範とか手本という意味でしょう。スタンダードでもなくリクアイアメントでもなかったんですよね。これ重要(注3)。 日本は輸出で金を稼いでいるわけで、欧州に輸出している企業やその企業に納めている会社は1992年から1994年頃まで認証をしました。まさに食うために対応したわけです。
1994年改定がありましたが、言い回しの違いと一部要求事項の変更程度で大きな変化はありません。

ひとつ覚えておいてほしいのですが、ISO9001の初版では、要求事項が固定されていたわけではありません。あくまでも二者間の商取引においてのモデルとなるべきものであり、言い換えるとそのままでは使えないことも多々あるだろうというスタンスでした。序文には「このままの形で用いることを意図しているが、契約によって要求事項の一部を追加または削除して修正することが必要になることもある(要約)」という文があります。これは1994年版でも引き継いでいました。2000年改定でなくなりましたが、これはぜひ規格を使ってくださいという姿勢から、この規格を使わないとは無礼なりと考えが変わったのだと私は思います。そしてその姿勢は皆から見放されることの原因だろうとも思います。


■1995
1995年頃からISO認証の意味合いが変わってきました。
欧州に輸出している企業は日本全体から見ればほんの一部です。たぶん数千社でしょう。
しかし欧州に輸出していない企業でもISO認証を受ける企業が現れそして増えていきました。なぜかISO認証する企業は優れているという根も葉もない噂というか考えが生まれたようです。
それだけでなく当時ISO認証機関とか(たぶん鼻薬をきかされた)大学教授などが「受動的認証ではいけない。積極的認証をしよう」と言い出しました。どういうことかというと、客先や輸出国の要求を受けてISO認証するのではなく、自分の会社を良くするために認証しようという発想です。
でもこれって変ですよね? それにはISO認証すると会社が良くなるという理屈か実績がなければおかしいです。あれから20年になりますが、私はそういう事例を見たことがありません。
欧州輸出のために発生したISO認証ビジネスは、マーケットが限定されているわけですから、必要な企業が認証したら認証件数はストップします。そうならないために認証業界が画策したのだろうと思います。
でもISO認証すればよい企業になるのか? ISO認証していれば優良企業なのか? いやいやそれ以前に会社は良くしていかねばならないものなのでしょうか?
そればかりではありません。日本では過去よりTQC運動とか提案制度、小集団活動などが行われてきました。それらの功罪はいろいろ言われてきたのは事実。でも仮にISO認証で企業が良くなるとしても、TQCより優れているという説明もありません。しかし現実には「TQCは終わった、これからはISOだ」と叫ぶ人は大勢いました。


■1996
でも1996年頃になると、今度は「ISO認証しても品質が上がらない」という声が聞こえるようになりました。1998年になるとそれは少数者のボヤキではなく、大きな声になってきました。
それでそのころISOとTQCを組み合わせるとか、ISO規格に改善の要求を入れこんだ独自規格で審査するアイデアが提案されました。そういう独自規格で認証をしようとした認証機関もあります。すぐに立ち消えたけど…

1996年にはISO14001が制定されました。ISO9001が品質保証の国際標準であるのに対して、企業の環境活動の国際標準という入れ込みでした。似たようなものといえば似たようなものですが、生い立ちは違います。ISO9001は1980年代多種多様な品質保証規格があったのを統一しよう、標準化しようという発想から始まり、それが欧州統合の際に域内流通する品物の条件に採用されたために、デファクトスタンダードからデジュリスタンダード(注4)となり広まりました。
ISO14001は1992年のリオ会議で、企業における環境マネジメントシステムの国際規格を作るべきという発想がでて、ISOにその国際標準を作るよう要請したのが始まりです。

品質の場合、諸国間で貿易があり製品は世界中で作られるということから、商取引において品質保証を取り交わすことは以前からあり、その標準化をすることは意義があると納得します。でも環境管理ははっきりいえばその国の諸事情によって大きく違います。仕組みだけといっても標準化できるものかという疑問がでてきます。具体的に言えば日本は1960年代公害列島と言われ、KOGAIは国際語になりました。でもそのことにより種々法規制が整い、遵守され欧州に比してもクリーン列島になったのも事実です。省エネについてもオイルショックなどにより、国際的にも厳しい毎年の省エネの義務などが法律で定められました。環境保護の法規制は国によって歴史も内容も全く違います。
ただ品質と環境の国際規格ふたつに共通なことがありました。それは認証ビジネス(金儲け)になるということです。しかも環境はモノを作る会社だけでなく非製造業もオフィスも行政機関も学校も、すべての組織が該当するという素晴らしいメリットがあったのです。


■2000
ISO9001に2000年改定がありました。タイトルが今までは「品質システム」だったのが「品質マネジメントシステム−要求事項」に変わりました。マネジメントシステムとなったのはISO14001への対抗だったといわれています。俺たちだって単なる品質保証じゃない!会社の仕組み マネジメントシステムなんだという宣言というか叫びだったの鴨
まあ本心は「ISO認証しても品質が上がらない」という不満に対応したのでしょう。内容も誰が見ても"品質保証"から"わけのわからないもの"になってきました。とはいえまだ品質保証に色を付けたくらいでした。品質保証に使えないこともない程度と申しましょうか。


■2008
2008年にもISO9001の規格改定がありました。
このときも……いや、このときはどんな変化があったのか、忘れました。
どうせたいしたことは言ってない。


■2015
2015年にも改定がありました。
今回はまあ、共通テキストといって他のマネジメントシステム認証規格と似たようなところは合わせるため、大幅に配置も区分も変わりました。まあ、よい影響もありませんでしたけどね。
わかったことは規格を変えても「ISO認証しても品質が上がらない」ことは変わらないということでした。それは当然です。だってISO9001に書いてあることは、環境が変わらないときに品質を一定にするという目的であり手法だからです。
もう一つ重大なことですが、ISO9001には初版から2015年版まで一貫して序文に「この規格で規定する要求事項は、製品及びサービスに関する要求事項を補完するものである」という一文があります。品質を定めるあるいは上げるというのは「製品及びサービスに関する要求事項」じゃないんですか? ISO9001の要求事項はモノやサービスを作る・提供するシステムへの要求事項なんです。

提供するもの製品やサービス成果物
矢印矢印
製品やサービスに対する要求製造プロセスアプリケーションである
矢印矢印
ISO9001の要求事項マネジメントシステムOSである
注:マネジメントシステムが向上すれば製品またはサービスが向上する期待は
持てるが、あくまでも間接的である。

モノやサービスを生み出すシステムがアプリケーションとするなら、そのシステムを動かす・支えるのはオペレーティングシステムでしょう。ISO9001はOSなのです。OSを一生懸命磨きあげても、作業するアプリケーションがしっかりしてくれないと良いもの・良いサービスは生み出されません。
さらに言えばOSはISO9001だけでもないのです。パソコンを動かすには、WindowsだけでなくUNIXもあるし、BASICのようにOSとアプリが一体のシステムだってあるのです。当然品質保証のモデルにも、ISO9001でなくてTQCもあるし、シックスシグマもある。
そもそもISO9000(注5)の初版の序文には「組織のシステムに不具合があれば、顧客の要求を一貫して満たすことの保証となり得ない。したがって製品またはサービスの要求事項を完全なものにするためには品質システムが必要となる(要約)」と記述してあった。要するに「品質システムに不具合があれば製造品質を保つことができないかもしれない」のであるが、「品質システムに不具合がなくても製造品質を保つことを保証していない」のである。ISO9001とはそんなものなのだ。


■そして今
2015年改定から5年過ぎた今、先進国ではISO9001もISO14001もシラケてきたというのが実態でしょう。
ISO9001世界の状況 ISO14001世界の状況
世界的に見ればISO9001もISO14001も認証件数はまだ伸びています。上図は世界全体の認証件数の推移です。2018年は大きく減っていますが、実は2018年から集計方法が変わって2017年以前と連続性がありません。
ただ注意してほしいのですが、2017年まで見ていただいて、オレンジの部分を除くとISO9001は2009年ころ、ISO14001は2016年ころがピークで以降はなだらかに減少していることです。実はオレンジは中国の認証件数です。
世界的とか日本と外国という区分でなく、中国と中国以外というふうに分けてみれば、中国を除くISO認証件数はもう停滞から退潮に移っています。そして2015年改定は認証件数の退潮挽回への影響はなかったようです。

さて、過去四半世紀の間に、ISO9001の目的は大きく変わってきました。二者間の品質保証要求の国際標準を目指し、かつ標準化できないことも多いことを認識して、個々の品質保証協定においてはテーラリング(修正)をして使いなさいと序文に明記していたのが、第三者認証がメインになればそんな自由度は認められなくなる。さらには初版では求めていなかった品質マニュアルなるものが必須となったのも、第三者認証の審査側の効率的な作業のためであることは明白です。しかし時が過ぎプロセスアプローチの審査が当然となれば、項番から追っていく審査など過去のもの。結果としてマニュアルなんぞあってもなくても同じこと。
ISO四半世紀の歴史は規格の使われ方、その用途の変化によって振り回されてきたということになりましょうか。その結果として品質保証としてはおかしなものになったし、マネジメントシステムとしても不完全、セクター規格のベースとして使われるのがせいぜいという実態ではないのでしょうか?

ここまでくると、もうISO認証は会社をよくするとかいう言葉の真偽など、どうでもいいと思えます。レーゾンデートルどころか、存続が危ぶまれる状態となりました。
認証ビジネスの立場から見れば、もはや挽回の策を練る段階ではなく、いかに被害を少なく事業終息するか考えているでしょう。認証を受けている企業はいつ認証がなくなってもどうってことはない。一般社会は流行歌のはやりすたりと同じ程度のものにすぎないでしょう。
ただ企業の担当者でISO審査員から理不尽なことをされた思いはことは決して忘れないでしょうね。いじめで言われることですが、いじめた人は忘れてしまうけど、いじめられた人は決して忘れないって!


うそ800 本日のお勉強
本日のタイトル【始末】とは、
  1. 物事の締めくくり
  2. 物事の始めと終わり。始めから終わりまでの成り行き
私の文としては珍しくタイトルと中身が合っていると思いませんか?
とりあえず、「うそ800始末」第1回はこれにて終演です。またのお越しをお待ちしております。
またのお越しをお待ちしております



注1
ISO17021で定める異議申し立てではなく、単純に認証機関の窓口に抗議しました。

注2
1987年に初版が制定されたときは、規格の選択の指針ISO9000、3種類の規格本文ISO9001、9002、9003があり、シリーズとか複数の意味でISO9000sと呼ばれた。

注3
参考図書
「品質保証の国際規格」久米均、日本規格協会、1988
「環境経営のルーツを求めて」倉田健児、産業環境管理協会、2006

注4
デファクトスタンダードとは法律ではなく、大は小を制すということで市場でシエアが大きいものがスタンダードとなること。Windowsとかアンドロイドのようなもの。
デジュリスタンダードとは法律で標準と定めたもの。左側通行とか赤は停まれというもの。
ISO9001は単にISOが定めた規格にすぎないが、欧州域内の流通できるのはISO認証のことというのは法律(指令なのかどうか忘れた)であるのでここではデジュリスタンダードという表現をした。
注5
ISO9001ではない。当時はISO9000という規格があり、そこではISO9000sの解説とどの規格を選択するかのガイドラインを示していた。
なお、現在ISO9000(JISQ9000)は「品質マネジメントシステムの基本及び用語」というタイトルの規格になっている。



外資社員様からお便りを頂きました(2019.12.26)
こういう振り返り年表は、自分自身にも参考になります。
私の体験は、90年代に、全社ISO運動が始まって、教育を受けたり、理念やら目標を書いた紙を持たされたりなど、「(仕事に関係ない)大変なことが始まったなぁ」というのが正直な感想です。
ただ、同時期にEU輸出に関連して、ISOだけでなく、樹脂添加剤などで塩素系を使っていないという証明が必要になり、これは従来のULや難燃性の証明と同様で、相手が必要というならば、対応は当然と思っていました。
「やっている事」から「必須な事(お客の必須要求)」を引いてみれば、余計な事が判ります。 結局、社内で張り切っているISO担当が、天下り先を作るのが透けて見えそういう事かというのが、下っ端なりの理解でした。
本来は、この時に経営側は、余計な分の運動が、利益につながるかの検証をするべきで、そこでブレーキがかかれば、ISO活動も合理的な部分で収まったのでしょうね。
輸出に関する部分で、実際にISOは役に立っており、各国、各企業で固有の組織や用語、書類が、ISOという中間概念を介せば、理解が可能になります。
そういう点では、よその企業の方言も、言語や国民性も越えて、どうやって会社を管理し品質を保っているかは理解が可能になったのは、大きな成果なのだと思います。
裏返せば、そこまで出来れば大したもので、そこで留まれば良かったのでしょうね。
または、その先は、「品質は何により担保されるか」という概念や哲学にでも行けば、これは永遠の課題ですし、自己事例や失敗事例の研究でもしてくれれば、より多くの知恵の集積になったのだろうと思います。

外資社員様 いつもご指導ありがとうございます。
今年いただいたお便りを数えましたら、今回を含めてなんと18回に及びます。感謝!感謝です。
おっしゃるようにISO認証は仕事で必要というところまではいいのですが、それを展開・実施するとき怪しげな情報で無駄なことをしたもんだというのが私の実感です。それも自分の勘違いとか無理解ではなく、認証機関の誤解によって多大な迷惑を受けたというのが印象です。
ところで外資社員様がお書きになったように、当時は有機塩素系溶剤を使ってない宣言を出せなんてのがよく来ました。あの頃はプロセスで使う溶剤やフラックスなんて誰も把握しておらず、客先もデータを出せというのではなく、使ってない宣言というか声明を工場長名で出せというものでした。サインはえらいさんがするにしても、その裏付けは私たちが調べなければならず、神に誓ってと言われても困ってしまいます。
大きな声では言えませんが、今 株の時価総額世界一なんて会社が先陣を切って調達先そしてその供給者に要求を出しました。でも今のようにSDSなどが法で義務つけられていませんでしたし、販売者も把握していない、メーカーは企業秘密ですなんて言ってけんもほろろ、正しい情報なんて手に入りませんでした。
結局さいごには曖昧模糊、グダグダでおわりました。
発想はまっとうで素晴らしいと思いますが、理想だけではどうにもなりません。
ところで気になったことですが、今でも輸出でISO認証が役に立つことってあるのでしょうか?
私の経験では1998年ころまでは認証を求めるところが多かったですが、その後は東南アジアだけでなく中国でもISO認証が当たり前となり、必要条件として提示する程の事もなくなり消えてしまったように思います。


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