2020年5月の今、世界中が新型コロナウイルス(COVID19)流行で大騒ぎである。専門用語でいうとパンデミック(注1)というそうだ。ともかく人類の滅亡とまではいかずとも、もしかしたら自分が明日死ぬかもしれない、家族が死ぬかもしれないと心配する状況である。
そして毎度のことであるが、国会や委員会では議員や専門家が、テレビでは評論家、コメンテーターなるものが、ああだこうだと、いい加減なことを語り人心を惑わすばかり。
おっと、いい加減じゃないとは言わせない。A氏の語ることとB氏の語ることが違うなら、最低どちらかが間違っているはず。
日本にこの疫病が最初に来たのは豪華クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号であった。
そのとき日本の対応について、某専門家は乗員や船客を上陸させないことを厳しく批判して、イタリアのクルーズ船受け入れはすばらしい、日本はダメだと語った。
その後、イタリアはコロナウイルスが大流行し、死者3万人にもなった(注2)。イタリアはすばらしいといったのはどうしたのだと問われて、その専門家氏は雲隠れ
国会に参考人として登場した別の専門家は、その後の推移が国会で語ったこととまるで違ってからだんまり、このドクターは東日本大震災の原発事故では放射線について語っている。放射線でも専門家、ウイルスでも専門家、今後 地球温暖化が進んで熱帯の害虫が日本に来ると害虫の専門家になるのだろう。
ともかく博士とか専門家を称する人たちが毎日テレビで語っているが、博士といっても論理的な考えをするわけでもなく、専門家といっても何事かに明るいわけでもないようだ。
テレビで芸能人や著名な人が、コロナ対策を批判し提言する。どれも大したことは言っていないし、間違えが判明したのちも以前に語ったことなど忘却の彼方で、面の皮厚く日々政府や医療関係者に対する批判を語る。その意味では上記専門家と同等だ。
ご自身はかっこいいつもりかもしれないが、聞いているほうが恥ずかしい。あれは台本を読んでいるだけなのか? それなら昨日は犯人役、今日は刑事役というノリで、劇中で殺人を演じようと俳優に罪があるわけではない。芸能人のコメンテーターとはそんなものなのか?
でもそれなら「この番組はフィクションです。事実ではありません」と表示してほしい。
なにしろプロの俳優は演技がうまい。我々一般人は騙されてしまう。
面白いことがある。実行された処置についてあれは悪かった、ダメだったと語る人は多い。そしてまだ実行されていない処置についてどこが悪いか何がダメか語る人も多い。
しかし実行された処置について、あれは良かったと語る人はいないという事実。
政府が「小中高の学校閉鎖」を要請したとき、マスコミは猛烈に批判した。外国がしていないことを日本がしようとするとダメだという。あとで他国が追従しても、流石とか良かったとは死んでも言わない。きっとほめると死んじゃう病なのでしょう。
感染症で世の中がパンデミックになると、朝日新聞は痛快らしい。
他人が失敗すると喜ぶ、これがマスコミや、評論家、コメンテーターの本質だと思う。彼らは、批判、批評はするが、提案もせずほめることもしない。いや批判、批評はできるが、ほめることはできないと言うべきか。要するに責任を負わない発言しかしない。
そして批判したことが間違えていたら、マスコミや前述の専門家のように雲隠れとか忘れたふりでごまかす。さすがマスゴミと呼ばれるわけだ。
そういえば、スウェーデンの何もしない対策が良いと語っていた人だけだっけ?
5月10日のスウェーデン のコロナによる死者は3,220人という。スウェーデンの人口は1,023万人(2019)。その比率なら日本 では39,000人も亡くなったことになる。スウェーデンを称えた人は、日本でもそれほど死者が出たほうが良かったのだろうか。
私はテレビや新聞で、あるいは国会での発言には責任を負わせるべきだと考えている。いや、別に間違えたら犯罪だというのではない。発言が、それからの進展によって間違いとか事実でないと判明した暁には、その人自らが「いついつ語った……は間違いであった」と訂正しなければならないだろう。そうしなければ最初にその専門家の話を聞いた人は、間違えたことをいつまでも信じることになり、それは大きな問題だ。
もちろん間違えたことを謝罪する必要はない。だって科学技術というのは常に進歩しているわけで、研究や努力が否定されるわけではない。だが、過去の発言を訂正する責任は逃れられない。
現実はどうかといえば、専門家としてテレビでいろいろ発言してそれが間違いだとなると姿を消し、ふた月もするとまた登場して過去の発言などなかったように語っているのを見る。恥を知れ!と叫びたい。
またワイドショーのコメンテーターは、専門的なことについては論じるべきではないと考える。いや論じる以前に感染症について論じる資格が「ない」のではないか。
専門家としての資格がないだけではない。彼らは一般庶民の代表として発言する資格もない。彼らの理解、考え方、判断が我々を代表する裏付けがない。芸能人の代表でさえない。
私外国人、日本のこと 知らないけど私の話す ことを信じなさい |
COVID19に感染したお笑い芸人が「PCR検査を受けさせてもらえなかった」と文句をたれた。あるワイドショーでコメンテーターが大いに共感していた。でも感染したのが明白なら検査不要だし、感染していても治療薬はなく対症療法しかないなら、検査する意味はなさそうだ。医療崩壊だと言われているとき、余計な仕事を増やしてどうするの?
それとも芸能人は特権階級だから一般庶民より特別扱いしてほしいのか?
もっともこのお笑い芸人は志村けんよりも重鎮とも思えない。
ニュース解説者ならどうか?
池上彰は当代のヒーローらしい。だが彼が今までテレビで語ったことにはたくさんの間違いがある。もちろん彼も専門分野(そういうものがあるとして)についてはしっかりした知識と考えがあるのだろうけど、例えば私が専門のつもりであるISO認証について語ったことは笑止千万であった。知り合いの薬剤師は彼が語ったおくすり手帳の見解を鼻で笑った。彼が解説で使ったグラフの間違い、字幕と発言が違う、などなどネットで間違いや偏向が問題視されている。
だいぶ前のこと、本屋で「池上彰のニュースを疑え」という本があったので、池上彰を批判する本かと思って手にしたら、『池上彰の「ニュースを疑え」』だった。誰か『「池上彰のニュ−ス」を疑え』という本を書いてくれないか。
おっと、別に池上氏を貶しているわけではない。彼の解説はわかりやすく聞きやすいと評価されているらしい。それは素晴らしいタレント(才能)だ。私が言いたいのは、己が知らないことを語るのは罪だということ。今後 今の商売をしていくつもりなら、もっと勉強するか、知らないことは語ってはいけないのだ。
政治家に言いたい。
野党は批判のための批判、提言なき批判はやめてくれ。かって存在した一度だけ政権をとったサヨク政党の主張は「政権交代」だった。政権交代が政策か? 政権交代は目的ではなく手段だ。政権を取って何をするかが重要じゃないのか?
その後継たる政党は今も存在しているが、彼らのすることは、反対のための審議拒否、北朝鮮がミサイルを打とうがモリカケ問題、COVID19のパンデミックでも審議拒否、こんな奴らに私は歳費を払いたくない。
与党も二階のような認知症の黒幕が徘徊するのではなく、内閣が主導して公明正大に議論して決めるべきだ。二階のような老害が将来の責任がとれるのか?
「出口戦略がない」と口にする知事がいる。しっかりと先の計画や基準を示せということらしい。「そんなこと無理!、状況に合わせて対応するしかない」と語る知事もいる。
私はどちらが正しいか否かはわからないが、目の前の現実への対応として後者しかないと考える。敵の正体がわからず手探りで対応しているとき、そんな先々のことを決めようがない。
土光さんなんて今の人は知らないだろうけど、ものすごい経営者がいた。彼は「計画とは未来への意志であり、実現可能な計画は予定である」と語っている。(注3)
私の上長だった方は「計画が完全に出来上がるのはプロジェクトが終わった時だ」と語っていた。
何を言いたいのかというと、初めから計画とか予定が立てられるようなことは、すべての要素が分かり切ったものでしかないということだ。これから開発する、これから解決する、そのような未踏の地を歩むとき、出口戦略も詳細な計画もない。せいぜい方向を示すだけではないのか。
出口戦略を示せと語る知事は「私は企画はできません。指示されたことだけします」と語っているのだ。眼前に誰も解いたことのない問題があるのだ、打開策を考えろ。それを示せ。他人に責任転嫁するな、そう言いたい。
前述の私の上長は「どうしたらいいですか? とは絶対に言うな。こうしたらどうですかと言え」と語った。
一般市民にも言いたい。
お金がもらえるなら10万円より30万円がいい。特定の人だけでなくみんながもらえたらうれしい。私もそれに同意する。
だけどそのお金はどこから出てくるの? 税金だよね。税金はだれが払っているの?
自分で払ったお金が戻ってくるならまだいい。お金をもらったら、これからその分余計に払うならどうなのよ?
「私は寄付します(キリッ」なんて問題じゃないんだお
注:2020.05.16追加
コロナ支給金の財源は税金ではなく国債だというお便りをいただいた。
確かにそうなんだけど、最終的には国民負担だよね。だからそれによる経済効果、活性化だけでなく倒産防止とかによる効果次第では最終的に国民に返ってくると思う。
少し前ヘリコプター・バーナンキなんて呼ばれたFRB議長がいたけど、それと同じこと。結果がどうなるのか効果次第と思います。
現状ならインフレになれば良いというのもわかるけど、経済活性化による自然発生的なインフレと、お金を配ったことが同じなのか、私にはわかりません。
もちろん特別定額給付金(新型コロナウイルス感染症緊急経済対策)というものの意味合いは、非常事態宣言でビジネスが停止して収入減になったことへの支援という意味もあるし、それ以前からの景気の低迷脱出という意味もあるだろう。
ならばそんな一時金なんてケチなことでなく、消費税を減税とか廃止とか考えたほうがいいんじゃないですか?
10万より30万、あるいは外国に比べて……そんな後ろ向きでチマチマしたことじゃなく、日本経済を復興させるためにも、本質的でドラスティックなことを考えようじゃありませんか。
家にいると退屈だ、もう限界! そう言ってパチンコに行くあなた! あなたの行動であなただけ死ぬならいい。でもあなたがパチンコにいったために、ウイルスを広め無関係な人が死んだらあなたは犯罪者です。
「死ぬ覚悟でタバコを吸っているんだ」と粋がるのも同じです。ご自身だけが不利益を被るなら勝手にどうぞ。でも周りを巻き込まないでほしい。自殺は罪じゃありませんが、周りの人を巻き込むのは犯罪です。
自分が死ぬだけでなく周りの人を巻き込んだら、自爆テロそのものです!
パチンコ屋さんは東京湾の埋め立て地に大きなパチンコ屋を建てて、そこにパチンカスを集めて遊ばせてください。そして二度と出られないようにしてください。
ちなみにフィットネスクラブ命の私ですが、3月なかばから行っておりません。もちろん運動しなくちゃ体がおかしくなりそうです。それで毎日自宅で腕立て伏せ、腹筋運動、ストレッチ、水泳のバタ足、マンション近くの田舎道をウォーキングしております。それでもひと月半で体重が2キロ増えました。
都市圏のフィットネスクラブが休業になったからと、茨城県のフィットネスクラブに行ってコロナをまき散らした方がいたそうですが、同じフィットネスクラブ愛好家として許せません。あなたは犯罪者です。
居酒屋の店主が「俺たちも食っていかなくちゃならないんだ」とテレビで語る。その境遇には同情します。
でも考えてみれば、お店を開ければ倒産しないわけでもない。もちろんお店を開ければ倒産しないかもしれない。お店を開けても幸いに病気が収まるかもしれない。だけどそれはわからないのです。
行動 | 主体 | 感染防止効果 | 損益 |
お店を開ける | お店にとって | X | 〇 |
みんなにとって | X | − | |
臨時休業する | お店にとって | 〇 | X |
みんなにとって | 〇 | − |
結局、お店を開けることはお店にとってハッピーになるかゼロになるかであり、一般市民にとっては良いことはなく悪いことが増えるだけ。
露骨に言えば、店を開けることは「俺のために、みんなが犠牲になれ」ということだ。
そしてみんなが店主の犠牲になっても、店主が助からないかもしれないのだ。
先が見えないから困ると語る人がいる。まったくその通り、私もいつ図書館が再開するのか、フィットネスクラブが営業するのか、その前に自由に出歩けるようになるのか知りたい。先が見えれば我慢もできるが、いつ終わるのかわからないと計画も立てられず悶々とするばかり。
でもさ、伝染病(今は感染症という)が流行しているわけだが、それがいつ終わるのか我々にわかるはずがない。ましてやCOVID19では一度完治したと退院した人が再発しているのを見ると、そもそも免疫という概念が通用するのかどうかさえわからない。
死亡率もわからない。某国では国民に危機意識を持たせようとコロナ以外の死者もカウントしていたとか、どう考えても中国の死者は少ないとか、安倍政権はコロナ死者を隠しているとか、病院に行かずに他の病名で亡くなった人がいたとか、事実か否かいずれにしても本当の数字はわからない。
ともかくCOVID19が収まるかどうか分からない。前述したけど、半年後に日本国民全部あるいは世界中の人が<死に絶える>かどうかわからないのです。
だが先が見えないのはCOVID19だけではない。元々人間だれしもいつ死ぬかわからない。明日出勤時に交通事故で死ぬのか、会社で心筋梗塞になるのか、地震が起きるのか、私もあなたもわからない。
だけど明日死ぬかわからないからと、将来なんて考えない、有り金は使ってしまう、結婚なんてしない……という人生を歩んではいないはずだ。
先が見えないから自暴自棄になるわけではなく、明日も普通に太陽が上がるだろうと思い、まっとうな人生を送ろうと思って暮らしているはずだ。
それと元々人生は常に勝利するとか最後は幸せになるわけではない。仕事も家庭もすべてが順調なんてことはない。勤めていた時はプロジェクト崩れ(注4)なんてよくあった。新機種開発だけでなく、発明でも不良対策でも、うまくいくこともあれば解決しないこともある。
むしろうまくいかないことの方が多いのではないか。
ドラゴンボールのゴクウだって、巌窟王のエドモン・ダンテスだって、立ちふさがる問題や敵を倒せばおしまいじゃない。さらなる強敵、大きな問題が現れる。漫画でも小説でも勝ち続けるのは主人公だけだ。一人の勝者の陰には数えきれない敗者がいる。あなたや私が勝者になる確率よりも、敗者になる確率のほうが高いことは間違いない。
いくら才能ある若者が野球選手になろうと、優勝は1チームしかない。
まずそういう摂理を認めようじゃないか。
人間は神ではない。いくら頑張ってもできないことはできない。理解しえないことは存在する。死にたくないと思っても、逃れることはできない。
そういうことを認めなければならない。
先が見えないのは当たり前、常に成功しないのは当たり前、努力が報われると考えるのは欲深だ、そして最後は死ぬのは運命、それは悲しくても事実なのだ。
神ならぬ人には限界があることを知れ。
だが、だからこそ努力するのではないのか?
本日の提言
とりあえず政府と行政の言うことを守ろう。もちろん国会や審議会の状況をウォッチし、よく考えよう。単なる足の引っ張り合いとか自己顕示の議論には厳しい意見を送ろう。
パチンコや居酒屋など行かず、家で過ごそう。
お気づきでしょうけど、タイトルはパクリ。メドウズの2冊(注5)を合わせただけ。
注1 |
パンデミックの定義ははっきりしていない。WHO事務局長へドロスは3月上旬までパンデミックではないといい、3月11日になってパンデミックだと言い出した。どういう風の吹き回しかわかりません。中国からの指示かもしれません。 あつ、ヘドロスでなくテドロスでしたか、まあご本人がヘドロ並みですから自今以降へドロスと呼ぶことにしましょう。ヘドロでもいい。 | |
注2 | ||
注3 |
「土光敏夫信念の言葉」土光敏夫、PHP研究所、2009、p.22 | |
注4 |
「プロジェクト崩れ」とは開発とか新規事業を始めたものの、結果として成功せず中止になってしまうこと。そのリーダーは責任を取り、技術者やスタッフも一生冷や飯食いというのも世の習い。 とはいえ冒険者・チャレンジャーがいなければ進歩はないのだ。 | |
注5 |
「成長の限界」ドネラ・H・メドウズ他、ダイヤモンド社、1972 「限界を超えて」ドネラ・H・メドウズ他、ダイヤモンド社、1992 「成長の限界」は環境問題の原典とか文明の限界を示すとか受け取られているが、私は旧約聖書の原罪の現代的解釈だと思っている。ただその内容は研究するまでもなく誰だって直観的にわかっていると思う。 まあ多くの人の関心を持たせたという意味では「不都合な真実」と同じく意味はあると思う。そして「不都合な真実」のような嘘はない。 続編は1作目を超えられないというのは真実で、「限界を超えて」は新しいデータで見直したものだが、大きくは変わっていない。 |