2020年初頭から中国武漢市から広まった新型コロナウイルス(COVID19)は、世界中に大流行した。この駄文を書いている6月3日時点、40万人近い死者をだし、いまだ収まっていない。
日本では5月末 非常事態宣言が解除されたが、まだ収束に向かっていると言えない状況だ。それどころかこれから第2波そして第3波の流行が来るのではないかと懸念している。
世間の感覚も以前と変わり、今では電車やお店の中でマスクをしていないと、犯罪とまではいかないが、歩きたばこと同じくマナー違反扱いである。
非常事態宣言によって私が日常通っていた、図書館、公民館、老人福祉センター、フィットネスクラブ、イオンモールとか"ららぽーと"などは一切合切休業、休館になってしまった。
となると困る。外出自粛と言われても、何もせずに家にいるわけにはいかない。暇を持て余すし運動不足にもなるし、なによりも夜眠れず便通もよくない。
ということで一番手軽なウォーキングを始めた。最初のころは街中を歩いていたが、消防車やパトカーが巡回していて、明らかに買い物とか用足しに見えない人には「非常事態宣言中です。不要不急の外出は控えて自宅で過ごしましょう」なんて呼び掛けている。職務質問とか検問ではないが、そんなことを言われると恥ずかしい。
ということで街中を歩くのは止めて、近郊の農地を歩くことにした。私の住んでいるところは、果樹園とかネギやにんじん畑などが延々と広がっている。1時間歩いてもすれ違うのは一人か二人で、三蜜(密閉・密着・密集)にはならない。福島にいたとき千葉は都会だと思っていたが、住んでみれば福島と変わらない。
ただ東京が近いから、田舎と都会の両方のメリットを享受できる。テレビでマラソンを放送しているのを見て、ゴール前に応援に行こうってことが千葉ならできる。これはすごいことだ。
おっと、そんなわけで最初は自宅近くの片道5キロ圏内の、名所や目印になる官公庁とか競技場などまでの往復を歩いた。とはいえ週一ではない、毎日である。ひと月もたたないうちにネタ切れである。家内は同じところを毎日歩いたらいいのにというけど、それでは面白みがない。
それで第二段階は最初歩いた外側を目指して、5キロくらい電車やバスで行き、そこから片道5キロ圏内を歩いた。それもすぐにネタ切れです。なにしろ毎日々々歩いているわけです。
次は範囲を広げました。電車ではるか市川市まで行き、京成線/総武線の駅から北総線の駅まで歩きました。国府台から矢切駅往復、市川真間から北国分駅経由秋山駅、本八幡から秋山駅、本八幡駅から市川大野駅 経由 鎌ケ谷駅まで歩きそこから帰宅したり、西船橋駅から中山競馬場経由新八柱駅なんて歩きました。
だんだんと東にずれていき、船橋駅からファイターズ鎌ケ谷スタディアムまで行きましたが、同じコースを戻る元気はなく、アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅から、電車で帰りました。いささか軟弱であります。
駅スタートで駅ゴールというのは、そこまで行くのが鉄道利用だからやむを得ません。
歩く距離が短いじゃないか、駅間では10キロ程度だと言われそうです。でも言い訳じゃありませんが、一日かけて歩くわけじゃありません。朝ご飯を食べてから洗濯や掃除をして、少しは勉強をして、昼過ぎに空模様を確認して出かけるわけです。
ですから家を出て戻るまでの全工程3時間が限度となり、市川や松戸の方まで行けば、電車の往復時間が1時間はかかります。ですからウォーキングの時間は2時間そこそことなり、時速6キロで歩くとして12キロが限度です。
駅間の距離はそれよりはるかに短くなります。というのは同じ区間の線路と道路を比べると、だいたい道路が3割り増しくらい長い。それに知らないところばかり歩くわけで、人に聞いたり地図を見たりもしますし信号や踏切で待つ時間もかかります。ということで上記の駅間の距離が10キロ前後なのはしかたありません。
おっと、実を言いましてスマホでグーグルマップを見て歩くのですが、道を間違えたり行きすぎたりもけっこうありました。数十メートルなら何とも思いませんが、500mも行きすぎたりするとかなり凹みます。
スマホの位置情報は高精度にしているのですが、誤差が10m以上になることがあります。10m違うと道を1本間違えます。街中の道路は大体マス目になっていますから道を一つ間違えてもたいしたことはありませんが、田舎道はぐにゃぐにゃですから、道を1本間違えて500mも歩くと全く見当違いの方向に行ってしまいます。
そんなふうに私は日々ウォーキングをしていましたが、フィットネスクラブの仲間はどうしているかなと思っておりました。すると私と同年配の仲間から、滝不動というところに行ってきたぞというLINEが来ました。読めば津田沼から歩いて行ったんだ、オレ偉いというニュアンスでありました。
滝不動というのは名前を聞いたことがありますが、そもそもなにものなのか知りません。ネットをググると戦国時代に夜明るく輝くところがあり、偉い人の夢の中に平安時代の僧 円仁が現れ、埋まっている仏像を掘り出して祀れというお告げを受けて、仏像を掘り出したところその穴から泉が湧き出て、滝不動と名がついたそうな(注1)。要するにお寺です。
■第一日目 5月25日
友人が行ったというなら負けてはおれん。いざ行かん!
JR津田沼駅からスタートしたとのことなので、私も同じく津田沼駅からスタートしました。地図を見ればお分かりのように津田沼から滝不動まで行くのは最短コースで6.5キロです。でもってグーグルおじさんのご指定通りの道を歩いて行ったわけです。道筋はたくさんあるわけで、帰りは鉄道線路沿いに歩こうと思いました。
滝不動からの帰路は、1キロほど歩いて滝不動駅を経由して新京成線沿いに津田沼まで戻ろうとしました。
改めてグーグルで経路検索してみると、滝不動から滝不動駅を経由して新津田沼駅まで鉄道の路線がちょうど9キロ、JR津田沼駅から滝不動まで直行ですと6.5キロですから4割増し。さらに線路と道路は平行じゃありません。地図を見れば一目瞭然、まさに四角形の対角線の2辺を歩くようです。このルートですと11キロ以上、往路の7割増しです!
ということで帰路半分も歩かずにギブアップ、北習志野駅で電車に乗って帰宅。軟弱でいけません。
帰宅してから考えました。友人はどんなルートで行ったのか分からない。だから友人と五分張るには、最低でも電車を使った新津田沼から北習志野まで歩かないといけない。
■5月26日 雨降りで中止 |
■第二日目 5月27日
二日目は滝不動駅まで新京成線で行きました。なぜ津田沼から北習志野をまで歩かなかったのか? となりますが、まあ気分、気分ですよ。とりあえず遠くまで足を運んでおけば、歩いた気になるでしょう。
ところで北習志野駅は新京成線が1947年にできてからはるか後年、1996年開業したのですが、開業時から習志野駅があり、その北にあるから北習志野と名付けられたらしい。ググっても駅名の由来はみつかりませんでした。
乗っていると車掌の案内も駅構内の放送も「きたならしい」と聞こえるのは内緒です。
なお習志野というのは陸軍習志野練兵場(現在の習志野駐屯地)からきている。その習志野の由来は明治天皇が陸軍の演習を見て篠原国幹少将の指揮を誉めて、「篠原に習え」と言ったという説が有力。
ところがこの自衛隊習志野駐屯地の西半分は船橋市で東半分は八千代市で、習志野市は関係ありません。
じゃあ、習志野市とは何か!となると有名な習志野という名前を拝借というか簒奪というか、僭称ですよ。習志野市はイケマセン。
ちなみに習志野が付く駅名は4つあるけど、習志野市にあるのはたったひとつ新習志野駅だけです。ところがこの新習志野駅は埋め立て地にあり、習志野とはまったく関係ないというおかしな話。
もっとも船橋市は習志野を簒奪されても怒ってはいないかも? というのは習志野はたったの100年の歴史しかないけど、船橋は
おお!まったく本筋から離れてしまいました。
実を言いまして、私は歩いていて面白そうなものを見つけると、わき道によったり道草食ったりしてばかり……
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注:
自宅から駅までの移動や買い物の歩数は入っていません。
歩幅が違うのは、自信を持って歩けないと歩幅が狭くなるのです。
なお、新京成線の始点は新津田沼駅ではなく、そこから1.2キロ南に行った京成津田沼駅ですが、そのあたりは何十辺も歩いているので省略、
新京成線は下総台地の中ほど、太平洋と東京湾の分水嶺を走っています。分水嶺(尾根)ですからそれを横切る川はありません。鉄橋を掛けたくなくて、分水嶺に線路を敷いたのかもしれません。
下総台地は平坦ですが、二和とか三咲あたりでは線路の左右が崖になっているところがあり、やはり分水嶺を走っているのだと実感します。分水嶺といっても山のように尖っているのでなく、台地の左右が崖になっているという感じです。例えて言えば、コロラド川に侵食されつつあるグランドキャニオンです。
本日は鎌ヶ谷大仏で終了
たった5キロといわれそう。
そう責めちゃいけません。大仏を眺めたり駅周辺を歩いたりしていると、いつの間にか帰る時間になっていたのです。
■第三日目 5月28日
鎌ヶ谷大仏駅まで津田沼駅から新京成線で行く。
このあたりは海上自衛隊下総基地の近くなので、P-3Cがしょっちゅう飛んでいる。ものすごい低空飛行。P-1はまだなのか、私は見たことがない。
航空自衛隊基地とか米軍基地のそばでは、戦闘機の写真を撮る人をよく見かけるが、地味な海上自衛隊の哨戒機なんて撮影している人は見たことがない。P-3Cはかわいそう。
そういえば15年前、産能大学の通信教育を受けていた時、下総基地に勤務していた人(曹クラスだった)とスクーリングで一緒だった。自衛隊は仕事に直接かかわらないことでも、資格取得とか通信教育を受けることを推奨している。
自衛隊ほど勉強しろ、資格を取れと言っている会社はないことは間違いない。もし自衛隊のように自己啓発を義務化すれば、とんでもなく社員はパワーアップするだろう。もっともそんな会社があれば、耐えられない人は会社を辞め、資格を取った人はキャリアアップを目指して会社を辞め、会社にとってマイナスだけかも?
三日目は8.2キロ歩いて元山駅で終了です。
短いぞ!そうお怒りにならないでくださいな。この区間は市街地ではありません。道の両サイドは延々と続く畑と果樹園。歩いた道路はほとんどが車一台通れる程度。頭上には左右の木々が枝を伸ばしてアーチを作っています。目印がなく頼りにするのはスマホのグーグルマップのみ。誤差が多くそのためだいぶ道に迷いました。
そしてたくさん虫がいるのです。手足が虫に食われて、かゆくてたまりません。
家に帰ってシャワーを浴び頭を洗う。風呂上りにはかゆみ止めのムヒを必死で塗る。
■第四日目 5月29日
昨日の反省から家を出る前に、半ズボンからでる下肢と腕にサラテクト(虫よけ)をしっかりとスプレーする。
本日は前日の終わりの元山からです。
もう新京成線も四日目ですから、駅名も少しづつ覚えてきました。数字の付いた地名がたくさんあります。
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地名 | 読み方 | 所在地 | 駅があるもの | |
1 | 初富 | はつとみ | 鎌ヶ谷市 | 新京成線 |
2 | 二和 | ふたわ | 船橋市 | 新京成線 |
3 | 三咲 | みさき | 船橋市 | 新京成線 |
4 | 豊四季 | とよしき | 柏市 | アーバンレイクライン |
5 | 五香 | ごこう | 松戸市 | 新京成線 |
6 | 六実 | むつみ | 松戸市 | アーバンレイクライン |
7 | 七栄 | ななえ | 富里市 | |
8 | 八街 | やちまた | 八街市 | |
9 | 九美上 | くみあげ | 香取市 | |
10 | 十倉 | とくら | 富里市 | |
11 | 十余一 | とよいち | 白井市 | |
12 | 十余二 | とよふた | 柏市 | |
13 | 十余三 | とよみ | 成田市 |
武蔵野線の八柱は開拓地の番号ではなく、昔からあった8つの村が明治22年(1889)に合併し、それぞれが柱となって発展しようと願って命名したという。もっとも八柱村は1938年に松戸町に合併して消滅、今は松戸市です。
全然関係ないですが、津田沼は同じく1889年に、谷津村、久々田村、鷲沼村などが合併したとき、各村から一文字ずつとった地名です。
以前は合併する町村の一文字ずつを組合わせて新地名を作るのが流行っていましたが、最近は合併した町村の名前と無関係に、所在地をイメージする名前を付けるのがはやりです。四国中央市、つくばみらい市、さくら市(佐倉市ではない)、南房総市とか南アルプス市なんて人工的ですよね。正直言えば「恥ずかしくないのか!」
道を歩いているとハナミズキのような花が咲いていました。
写真を撮って家で「珍しいね、今頃ハナミズキが咲いていたよ」というと、家内はフンと鼻を鳴らして「それはヤマボウシというんだ」との仰せ。
ネットで「ハナミズキ+ヤマボウシ+違い」でググると、
見分け方 | ハナミズキ | ヤマボウシ |
開花時期 | 4月下旬〜5月下旬 | 5月中旬〜6月中旬 |
葉と花の順序 | 花が咲いてから葉が出る | 葉が出てから花が咲く |
がく(花びらに見える部分) | 先端が凹んでいる | 先端が尖っている |
これを見るとあれはハナミズキではなかったようだ。
本日は虫よけスプレーの効果大で快適である。
ところがこの日はハンカチを忘れた。流れる汗が目にしみるのでコンビニでハンカチを買う。金500円也 痛い出費だ
本日は武蔵野線と交差している八柱駅を超えて、一つ先の”みのり台駅”で終了です。
■第五日目 5月30日
まず初日に残してしまった、新津田沼から北習志野までを歩く。最初のとき滝不動まで最短距離で歩いたので、新京成線の前原駅、薬園台駅、習志野駅に立ち寄らなかったのです。
まっ平らで道はよいのですが、鉄道線路沿いの道路がありません。それでなるべく線路に近い道をのこぎりの刃ようにジグザグに歩きます。そのため路線距離の5割増し歩きました。ありがとうございます。
いよいよ最後は松戸側の残りの区間です。北習志野から松戸駅まで電車で移動です。車窓から今まで歩いた道が見え隠れします。不思議なもので、一度自分が歩いた道はけっこう覚えているのです。道に迷ったところなどはしっかりと覚えています。時間をおかなければ二回目は迷わずに歩けるでしょう。そのときはとまどいがありませんから歩幅も大きくなり、時速7キロは行くんじゃないかと思います。
終点松戸駅で降ります。駅を出てやって来た方向に歩き出すと、すぐに急な登り坂になる。各駅の位置関係と海抜は下表のとおり。
場所名 | 松戸駅 | 市役所 | 緑ヶ丘1 | 上本郷駅 | 松戸新田駅 | みのり台駅 | 八柱駅 |
松戸駅からの直線距離 | 0 | 500 | 1,000 | 1,550 | 2,160 | 2,690 | 3,520 |
海抜 m | 6 | 11 | 25 | 27 | 26 | 30 | 30 |
勾配 | − | 1.0% | 2.8% | 0.4% | -0.2% | 0.8% | 0% |
これからわかるように、緩やかに高くなっていくのではなく、松戸駅を出てすぐの松戸市役所手前の急板から緑ヶ丘1丁目までの500mで、一気に下総台地の上面まで登ってしまう感じだ。特に松戸市役所の坂は、長さはたいしたことはないけど傾斜がきつく自転車では無理。いや年寄りには歩くのもきつい。
そこからは海抜30m前後の平たんな道路が、はるか20キロ先の薬園台駅まで続く。
場所名 | 埋立前海岸線 | 京成津田沼駅 | 新津田沼駅 | 前原駅 | 薬園台駅 |
埋立前の海岸線 からの直線距離 | 0 | 770 | 1,340 | 2,500 | 3,900 |
海抜 m | 3 | 7 | 16 | 24 | 30 |
勾配 | − | 0.5% | 1.6%(注) | 0.7% | 0.4% |
注:京成津田沼駅から新津田沼駅は道なりに歩いて900mあるので、道路の勾配は1%である。松戸の場合は道がほぼ一直線で、直線距離と道のりの差が小さく上表の勾配と道路の勾配はほとんど同じである。だから一層急に感じるのだろう。
習志野市側は松戸市側と違い勾配はゆるやかだ。とはいえ、東京湾側が全体的に傾斜がゆるやかなわけではない。稲毛あたりの傾斜はとんでもなく急だ。これはどうしてなのだろう? 細かい河川による長期間の侵食によるものなのか、不勉強でわからない。
ちなみに、坂の勾配と印象であるが、私の経験では
勾配 | 角度 | 印象 | 具体例 |
1% | 0.6度 | よく見れば坂かなと感じる | |
1.5% | 0.9度 | 目では坂と認識するが、徒歩や自転車では傾斜を感じない | |
2% | 1.2度 | はっきり坂だと認識するがつらさはない。 | 竹下通り |
3% | 1.7度 | 普通の坂。 長ければ普通の人は自転車ではきつい | 神楽坂 |
5% | 2.9度 | 少し急な坂 | 九段坂、道玄坂 |
8% | 4.6度 | きつく感じる坂 | 公共施設の車いすスロープ 横須賀中央駅前の通り |
12% | 7度 | 車いすスロープの限界 | 一般家庭の玄関アプローチ |
17% | 9.6度 | 自走式駐車場スロープの限界 | 駐車場法施行令第8条第2項 |
20% | 自転車乗りでも登れるか登れないか。 | 稲毛の稲丘町 | |
20度 | 坂というより壁 | 日本一急な坂(注4) |
注:勾配が1%とは100m行って1m高くなること。
千葉県の北半分の暮らしや産業は下総台地に支配されている。例えば下総台地には水田はない。水田は下総台地の周囲と、下総台地を削って流れる多数の小川の流域だけだ。印旛沼周辺は下総台地ではなく、利根川下流低地となる。
新京成線が分水嶺を走るのも橋梁を作らないため。農地も住宅地も鉄道も、下総台地のご機嫌を伺っているようだ。
松戸からみのり台まで歩けば全線踏破なわけですが、「みのり台」から「八柱」までたった800mの区間を電車に乗ると、乗車賃が147円かかります。ここは最後の頑張りで八柱駅まで歩いてゴールです。
あとで気が付いたのですが、前日、八柱駅からみのり台駅まで歩いた意味ありませんでした。
帰りは新京成線の八柱駅と隣り合っている武蔵野線の新八柱駅から西船橋まで行って、総武線に乗り継いでご帰還。
お疲れ様でした、と誰も言ってくれないから自分で自分をほめてあげました。
5日間に歩いた総距離は38キロではなく、道に迷った分を合わせると50キロは歩いた気がする。
ところで明日からどこを歩こうか?
本日の総括
福島県に生まれ育って千葉県に来ると、なにもかもが小さく最高峰が400mとか、箱庭みたいで笑っちゃう。福島県で磐梯山に登ろうとか尾瀬に行こうとすると、車なら日帰りは可能だが、歩いて行くなんて不可能だ。千葉県なら、九十九里浜を朝歩き出せば東京湾に夕方着く。
でも言い方を変えると、千葉県は海もあり低いといえど山もあり、地形が変化に富んでいて面白味が濃いとも言える。そんなことを実感した。
ところで私は定年退職したとき、東京から房総半島の南端まで歩いて行こうと決心した。あれから8年経った今 西千葉駅まで歩いた。いや、まだ西千葉だというべきか? 先はまだまだ長い…俺たちの戦いはこれからだ
注:「俺たちの戦いはこれからだ」って漫画が打ち切りされるときの決まり文句だよね
話はがらりと変わって、もう30年も前のこと、当時小学生だった娘と息子と、福島県の全市町村の役場、市役所を回ろうとした(注3)。当時88市町村あったが、それを2年かけて回った。2020年現在ではそれが59市町村に減ってしまった。慢性的な人口減もあり、東日本大震災の影響もあり、そうなるのは必然なのだろうけど、県全体が限界集落のようで悲しい。
だが千葉県は心配ないかといえばそうでもない。既に人口は頭打ちで、今後減少していくと予測されている。いや福島県や千葉県に限らず、日本全体が老化しているようだ。なんとかしなければならない。今の自分にできることはあるだろうか?
注1 | ||
注2 | ||
注3 | ||
注4 |