本の話

20.11.16

本日は年寄りの昔話である。まあ、付き合ってください。まだ活舌は悪くなってないつもりです。もっとも文章の場合、活舌は関係ないか?
21世紀の今はインターネットがあり、そこで多様なサービス、しかもその多くは無料で提供されている。そういう社会で生活していると、それを当たり前に感じてしまう。
しかし私が少年の頃は、もちろんそんなものはなかった。どんな暮らしだったのか、本日は本、雑誌や書籍について語る。

カブトムシ 子供はいろいろなものに興味を持つ。虫が好きな子供もいるし、科学とか宇宙が好きな子供もいた。
好きならばそれに関する本を読むようになる。なかには大人顔負けの知識を持つ子供もいて、虫博士とか恐竜博士なんて呼ばれた子は60年前にも存在した。

私が子供のとき機械とか自動車とか大好きだった。当時は自動車というものは最先端のものだった。
小学時代は生れたところは町村合併前で、人口2万くらいの町だった。そんな町で見かける自動車、特に乗用車といえばほとんど外車だった。外車がバンバン走っていたのかと驚くことはない。当時の国産車というと、ノックダウン生産のヒルマン、ライセンス生産のルノー4CV、純国産というとダサイというしかない。特にトヨペットのふたつの楕円が合わさったフロントグリルがカッコ悪くて嫌いだった。
スーパーカブいずれも一般庶民が買えるものではなく、スーパーカブを買うのさえ夢だった。
ちなみに当時、町の商店の配送は、トラックではなくオート三輪だった。

だから乗用車となるとアメ車が良いというよりも、アメリカ人が乗っていた中古車を金持ちが買っていたということなのだろう。その頃 田舎で乗用車を持っているのは、医者とタクシーくらいだった。
当時の医者はみな往診をしていたが、もちろんみなアメ車の中古だった。そして雇われた運転手が運転し、後部座席に医者と往診カバンを持った看護婦が乗るのがよく見かけるスタイルだった。

田舎のタクシーはなんとカブトムシのビートルだった。ツードア車がタクシーだったのだよ。なぜアメ車でなくワーゲンだったのかは分からない。 フォルクスワーゲン 田舎町のタクシー会社は3台しかなかった。
いったい誰がタクシーに乗るのかと疑問に思うだろう。かんざしを挿した芸者が乗るのを見た。ツードアだから乗るのが大変だったのを覚えている。人力車に乗っていたのが車になったと思えば、芸者がタクシーに乗るのもおかしくない。人力車ってお金持ちと芸者しか乗らなかったようだ。
しかし人口2万くらいの田舎町に、車を持つ金持ちも芸者もいるという不思議! 今考えても不思議だ。隣町まで行って飲むということができない時代だから、花街も芸者もあらゆる業種が、町々で完結していたのかもしれない。
なお、私自身はタクシーに乗った記憶がない。社会人になるまでタクシーなんて田舎の子供には無縁のものだった。

モータリゼーションなんて言葉が使われたのは1960年代半ばからだが、実際に一般市民が車を持つようになったのは1970年代になってから。自動車教習所が満員御礼になったのは、それからです。私が1967年に通ったときはガラガラで、仮免取る前に教習所がつぶれるのではないかと心配した。

じゃあ、当時の子供にとって自動車は身近なものでなかったかといえば、そうではない。
当時は自動車リサイクル法がないのはもちろん、廃棄物処理法さえなかった。 廃車 だから車の所有者は、乗りつぶすとナンバープレートを取り外しエンジンとか車体についているナンバーを削り落として、空き地や野原に捨てるのが当たり前に行われていた。とんでもない時代だよね。
あちこちに車を捨てられると住民は困っただろうけど、子供たちは群がってハンドルを回したりチェンジレバー(シフトレバー)をガチャガチャさせて、「俺が運転手だ!」「ウィーン、ブーブー」とかやっていたわけ。
少し頭がきく奴はスパナとか持ってきてばらして中を見たり、かっこいい部品を家に持ち帰り宝物にした。もちろんエンジンやミッションやブレーキから油がたれ、地面は油臭くなり細かい部品が散乱した。イヤハヤ
まあ、私もそんな子供の一人だったのだけど。

そう言えば…… かっこいい部品てなんだ?となるかもしれない。
1955年頃はアメ車がたくさん廃棄された。進駐軍の兵士が乗っていたのを捨てたのかどうか、知らない。私より5つくらい大きな子供たちは、そういった放棄された車のあれですよ、あれ! エンブレムを取って宝物にしました。
当時はドイツ製のベンツとかBMWなどない。キャデラックとかオールズモビルなどが高級車とみなされていて、そういうものをゲットした子供はうらやましがられた。私の年代になると、新たに捨てられるアメ車が減って、もうエンブレムを集めはできなくなった。

ブレーキとかハンドルとか窓ガラスの開閉の仕組みなんてのは、そういうことをして自然に知った。いたずらとか遊びではなく自動車の勉強だ。もっとも当時ブレーキはドラムオンリー、ハンドルもパワステなんてない。機構はすべて歯車とロッドとワイヤーで、子供が見てもどういうからくりなのか一目瞭然だった。
今の車は電子制御だから、ばらしても細かいことはわからない。

でもバッテリーの液に触れたら危なかったよね。ところがそんなことは起きなかった。なぜなら当時 廃バッテリーは高く売れた。だから廃車にバッテリーは付いてなかった。「世の中は銭がすべて(注1)


中学のとき少年雑誌かなにかで、アメリカでは自動変速機が大多数だと読んだ。写真を見ると、我々が遊んでいた丸いボッチがついていて前後左右に動かすチェンジレバーでなく、前後に直線に動くT字型のチェンジレバーが付いている。
自動変速機ってなんだ
休日は修理屋でアルバイトをしていたオヤジに聞いた。オヤジ曰く、扇風機のような回転する羽根が向かい合った装置で、エンジンで一方の羽根が回り、それに釣られて反対側の羽根が回り車輪に伝わる。車輪に負荷がかかると自動的にギアがシフトダウンするという。ワケワカラン
親父は自動変速機にさわったことがなかった。親父の話では、当時は田舎の修理工場では自動変速機を分解することはできず、メーカーに送って修理してもらうと言っていた。

そのほか親父は軍隊にいたとき、満州で鉄道線路上を走る小型車でエンジンにつながった回転する円盤に、直角に接する円盤による無段階変速機を見たことがあるという。従動側円盤の接触する位置を駆動側円盤の半径方向に動かすことにより従動側の回転数とトルクを変えることができる。そういう車両が連絡用に使われていたらしい。
私は昔の工作機械で、主軸の回転数を変える仕掛けに使われていたのを見た覚えがある。変速を手動でなく負荷によって自動で変えれば自動変速機の一種ではある(注2)


ともかくそのときは自動変速機というものがどういうものかわからない。
子供は好奇心が強い、自動変速機というものを知りたい。しかし調べる手がない。田舎の図書館なんて町の本屋に毛が生えたくらいしか蔵書がない。自動車の本を探しても両手の指の数もない。
自動変速機とはなんだろうと思っても、調べる手がない。

自動変速機を書いた本を読めばよいだろうって?
その通りだが……当時、本を探すためにはどうしたか?
まず新聞広告などがあれば、それを本屋にもっていって取り寄せてもらうことが一般的だった。なぜって、田舎の本屋が多くの本を置いているわけがない。店頭にあるのは主たる月刊誌、少年少女用月刊誌、学校の教科書の参考書くらいだ。名が知れた月刊誌でも買いたい人は書店に定期購読を頼んで取り寄せてもらっていた。そうしないと書店に入らない。
週刊誌が増えたのは1960年以降だし、少年対象の週間漫画雑誌は1959年創刊の少年サンデーが嚆矢で、多くは1960年代以降だ。
そして書名が分からなければどうしようもない。自動変速機の本がほしいといっても書店はハテナである。本屋で本を探せないとはどういうこと?

あるときオヤジが「出版年鑑」というものを、田舎町にあった3軒の本屋の中で一番大きいところから借りてきた。それは1年間に発行されたすべての本が載っているという。
当時の出版年鑑はA5サイズくらいで、ちょっと大きめな辞典という感じだった。オヤジの話では、無理を言って借りてきたから数日で返さないといけないという。
ともかくそれで、自動車の本で専門書でなく子供向けとか一般向けのものを探した。そして書名と出版社とお値段をメモっておく。

もちろんすぐ買うなんてことはできない。お年玉とか親戚の人が来た時にもらうお小遣いなど臨時収入をためておき、長期計画で買うか買わないか考えるのだ。なにしろ口コミもないし書評なんてあるわけがない。買うか買わないかを決めるのは大バクチである。

ところで…… 今はインターネットの時代だから、出版年鑑なんてとうになくなっただろうと思っていた。
ググったら、なんと21世紀になっても毎年、出版年鑑は発行されている。現在ではA4サイズで3,500ページもあり、1冊6万円もする。そんなもの、いったい誰が買うんだ?

さて半年も過ぎてメモしていた本が買えるほど貯金が貯まり、まだ読みたいと思う気持ちが冷めてなければ、書店に取り寄せを頼んだ。私は中学生だったが、何度も本の取り寄せを頼んでいたので、本屋は信用してくれた。記憶だが手元に届くまで2週間はかかったと思う。
私が子供の頃買った本の多くは1000円以下でしたけど、1960年代前半の1000円は今なら5000円くらいにあたる(注3)当時のお年玉は300円くらいの時代だから1000円は大金だ。それだけの大金を投じて買うわけで、期待外れでしたなんて簡単に言えない。なによりも自分自身が納得できない。いったん買った以上、当たりはずれに関わらず元を取ろうとして一生懸命に読んだ。だからか、当時読んだ本で買って損したと思ったものはない。貧乏人のもったいない精神のおかげでしょうか?
どんな本にもそれなりに情報があり、ましてや子供ですから知識量が乏しいわけで、当時必死に読んだ本が後に役立ったなと感じることは多い。


私が高校生になってからは、福島県では大都市である郡山市の本屋をのぞいてました。また社会人になってから、仙台出張などがあると必ず書店を眺めてました。仙台にはいくつも大学があり、書店には専門書がたくさんあった。

本を読んでいて引用文献にあるとか、会社で先輩や上司からぜひ読めと推薦されると、大きな本屋に行って立ち読みした。 本 そして読む価値があると判断したものは買った。書評も口コミもない時代ですから実物を確認したいのは当然です。
なにしろ当時手取り1万6千円くらいですから、1冊2000円とか3000円の本は高額でした。今なら1万円以上の感覚でしょう。よくまあ買ったと思います。

結婚してからは2年に一度くらい引っ越したが、引っ越しのたびに本を半分くらい捨てた。置く場所がないのだから仕方がない。でも捨ててから、あとで惜しいと思ったのはあまりありません。役に立たないのでなく、大事なことは覚えたという感じでした。まさに葉隠であります(注4)

でも今でも捨てなければ良かったと思うのは高校時代の教科書ですね。例えば、当時工業高校の数学では、集合も行列も統計も微分も積分も簡単な微分方程式、そして論理学・ブール代数までやりました。40年間仕事してきて、工業高校で習わなかった数学に出会ったことはありません。背理法なんて不良対策では使いません。
「学校で勉強したことなんて社会に出たら使わない」とか「学校の勉強なんて役に立たない」と語る人もいます。私は全くそうは思いません。学校で習って使わなかったことってありませんでした。それから学校の勉強で役に立たなかったこともありません。もちろん学校で習っただけでは足りません。でもそれを基に独習できました。
もちろんもっと勉強出来たら良かったとは思います。


1980年代末、中古住宅を買いました。もう引っ越すつもりはなく、本を捨てなくてもよくなりました……と当時は考えたわけです。
この頃、時代の流れなのか、郊外にとんでもなく大きな書店がいくつもできました。週に一度くらい夕食後に、家族全員でそんな書店に行って立ち読みしました。4号線沿いにあった岩瀬書店は、売り場面積が1200坪ありました。いやあ感動しましたね。実物を見て買えるというのは実に良い。
今もあるのかなとネットをググったらありました。わが青春(?)の思い出です。
もっとも家族全員で行くので、子供たちが買うのも含めて、行くたびに何千円も使いました。

もちろん専門書となると岩瀬書店にもありません。
気になる本があれば本屋で現物を見る、現物を見られなければ清水の舞台から飛び降りるつもりで書店に取り寄せを依頼して買い取るという方法は、2000年まで続きました。書籍販売のビジネスモデルも世の中も変わらなかったのです。


我々がインターネットを使えるようになったのはWindows95が現れた1995年以降です。自分のパソコンでネットにつながったのは1996年だった。いや驚きました。情報無限大! こんな素晴らしい世界があったのかと感動です。
とはいえインターネットで物を買ったことはありませんでした。なぜかっていうと、そんなこと思いもしなかったからです。

それまで外国の何事かを知ろう、知りたいというときは、本を読むしかありません。例えばニューヨークのウォール街ってどんなところか知りたいとき、本屋に行って旅行記を手に取って写真を見るくらいしかない。もちろん本屋にそういう本があるかどうかわからない。でもインターネットには写真や旅行記もある。
これからは本を買う必要性が減ってくると感じました。

当時インターネットで感動した最大のものは、「駅すぱあと」です。そのころ出張というと、分厚い交通公社の時刻表をめくりました。しかし「駅すぱあと」では発着の駅名や到着時刻をインプットすると一瞬で表示してくれる。これは便利! それも無料です。「駅すぱあと」には感動しました。
もっとも当時大学に行っていた娘から「駅すぱあと」なんてダメ、「駅前探検倶楽部」だよと言われた。乗換案内ソフトもいろいろ使いましたが、今は会社員時代に同僚にホテルが連動しているのが良いと勧められた「ジョルダン」を使っています。正直言って皆似たようなものですけどね、

おっと、当時はノートパソコンもwifiもないから、出先で検索なんてできませんでした。出張計画時に検索して、結果をプリントして持っていきました。
移動中に列車予約や変更ができるようになったのは、2005年頃じゃないかな?

2000年にアマゾンが現れました。アマゾンで本はもちろん何でも買えると聞きました。でも自分の目で見てからのほうがいいとアマゾンを使ったことはありませんでした。


21世紀になって東京に出てきました。住まいは千葉ですが、仕事場は東京ですから会社帰りに大きな本屋に行けます。
やはり一番は八重洲ブックセンターですね。ここは売り場面積が1800坪あるそうです。郡山の岩瀬書店以上の売り場面積です! 田舎と違ってほとんどの本があります。
当時、週日はお仕事、週末もお仕事でしたから、図書館に行く暇がなく、図書館から借りるという発想がおきません。
ですから本というものは買うものと思い込んでいました。毎月2万近く買ったと思います。年間20万、もっともほとんどが専門書ですから図書館にもなかったでしょうし、発行されてすぐ借りるのもむずかしい。自腹で買った意味はあるでしょう。
この当時はアマゾンで買うという考えは起きませんでした。というのは書評だけでなくやはり自分が目を通して納得して買いたいですから。


さて2002年に引退しました。
ところで引退した当時 私は小説を読みません。読むのは専門書か、その一歩手前の解説書など。そういうのってあまり図書館にありません。ということで大学の図書館を利用させてもらいました。
でも1年くらいで大学図書館利用はやめちゃいました。だって東京まで行く電車賃がもったいないし、本を借りるために東京まで行くのはおっくうになりました。それに費用対効果です。往復の電車賃で新書1冊ですよ。手間を考えると2冊借りてもペイしません。それじゃ買ったほうが効率的です。

本 我が家から一番近い大きな本屋といえば津田沼の丸善です。でも津田沼駅前まで行くのも、東京と変わらない、乗ってる時間が30分長いだけ。
それに働いていた時と絶対的に異なるのは自由時間があります。本屋で立ち読みするのと図書館で彷徨うのは同じです。
ということで市の図書館に行くようになりました。
実を言いまして、引退してからは読む本が専門書重点から小説重点に変わったこともありますね。小説ならほとんど図書館にあります。

最近の図書館て便利になりました。まず検索も予約も自宅でできます。そして用意ができたら連絡がメールできます。これは良い!
しかも近隣の市の図書館にあれば取り寄せてもらえます。もちろんあるかどうか調べるのは自分です。図書館の人が調べてくれるわけではないです。
もうひとつの手ですが、近隣の図書館を利用することができます。習志野市民なら船橋図書館も使えるし千葉市図書館も利用できるというわけです。
これは利用しない手はありません。なにしろお金を使わずに済みます。本を買うのと違い、少し読んでこりゃダメだとなってもお金を損しません。ですから初めのページからおしまいまで読むことが少なくなりました。つまらない、役に立たない、そう気づくというか思った本は即読むのを止めて返却です。命みじかし読書せよ乙女♪です。

もちろん図書館にもないものも多い。
ブックオフなど古本屋にも行きましたが、発行されて間がないものは、まだ中古本が流通してません。
そこであれですよ、アマゾンがあるじゃないか!
最近、コロナ流行のために宅配便が混んでいて翌日配達というのは少なくなりましたが、コロナ流行前は、注文すると翌日配達は普通でした。ときには朝注文すると夕方に届くということもありました。住まいがアマゾンの配送センターに近いこともあるのでしょう。

アマゾンに限らず、ネットには書評があふれています。アンケートもあれば、個人のブログもあるし、販売店が統計を取って載せていたりする。
一 般 的 な 評 点
星5つオレンジ
星4つオレンジ
星3つオレンジ
星2つオレンジ
星1つオレンジ
一般的なバラツキなら高い山は
ひとつで、そこから遠いほど減
少する。
怪 し い 評 点
星5つオレンジ
星4つオレンジ
星3つオレンジ
星2つオレンジ
星1つオレンジ
評点が上下に分かれて中央が低
いのは操作しているのが明らか
もっともこういったものにはステマが多いとか、出版社とか流通が捏造したものとか、信用できないという声も多い。
例えば評点が高いものと低いものが多く中間が少ないのは、普通ならそんなことになるはずがなく、実際の評価が低くて売りたい人が手間をかけて高い評価をつけていると推定できる。その逆は考えられませんからね。ちなみに品質管理で山がふたつなら、要因が二つあるとなります。
それとアマゾンの配点だが、人数と%は線形ではなく、調整しているようだ。あるいはアマゾンで購入した人と購入しない人に、重みの差を付けているのかもしれない。
いずれにしても評点は参考にするだけです。もちろんコメントを読めば大体の見当は付きます。点数が高いのに推薦文がほとんどないのはステマだとわかります。その逆はアンチ派の策略かと想像します。
なおサクラチェッカーを教えていただきまして、これも利用しています。

もちろん中古本になると納期はそう短くありません。アマゾンは場所を貸しているだけで、販売は古本屋ですからその本屋の所在地次第ということもあり、数日かかるのは普通です。まあ、お値段が安いわけで目くじらたてることはありません。

これで年間20万円の節約
あと15年生きるとしてお葬式代にはなる。

ところで本日は何の話なのか?
インターネットができて便利になったとか、本は中古で十分ということではない。
いつの時代も本を読むことは、ためになり、暇つぶしになり、エンターテインメントであるということだ。
とはいえ、時代とともにというか、1990年以降の30年間だけでもとんでもない変化、変動が起きている。まずハードコピーという形態は、あと10年もしたら消滅するのではないかという気がする。またハイパーリンクや読者・利用者の求めに応じて表示が変幻自在に変わるという自在性も大きい。
その他、ブラウザなどを考えるとわからない言葉、引用文献などあれば右クリックですぐに情報を得ることができる。電子図書も同じことができるからハードコピーよりメリットは多い。もちろんデメリットもあるわけだけど、

30年前にエドモンド・ワイスという人が「マニュアルバイブル(注5)という本で、(主にコンピューターの)マニュアルがどう変化していくかを予言した。そこでは紙のマニュアルから電子化され、マニュアルがいらないオンラインヘルプのようになるだろうと書いた。だが、まだそれまで進歩していない。
携帯電話全盛時代は付属する取扱説明書の印刷で、印刷屋はウハウハと言われた。たしかに本体の3倍4倍の容積を持つ取説の印刷は機種のライフサイクルも短期間であり相当な量だっただろう。それは同時に紙資源の浪費でもあったわけだ。

スマホ スマホの時代になって、あのような取説は消滅した。だがマニュアルがいらない操作性が実現したわけではない。メーカーが取説を無料で提供する代わりに、サードパーティーが取説を印刷して販売しているのが実情だ。
私もインターネットで使用方法を確認するよりも、取説を1冊買ったほうが早いと機種編のたびに買い求めている。
エドモンドの予言は、進歩の早い製品では実現が困難なこともあるのかもしれない。だが設計者もデザイナーももっと頑張れると思う。あるいはAIがもう少し進歩すれば、ユーザーが困る前にチュートリアルが働くようなものが考えられるだろう。

ところで…… オフィスソフトなどはもう用途も機能もGUIも枯れたと考えられる。セキュリティ向上などでバージョンアップしようとも、操作もデザインも変えてほしくないのだが、いろいろいじっているのはマイクロソフトの売るための陰謀なのか? 単なる技術力不足なのか? 顧客の思いを理解していないからか?

本という形態を愛している人たちも多いだろう。
しかし本というものが大昔から存在したわけではない。書き物は大昔、中東で文字が考えられたとき、粘土に木切れで印をつけることから始まった。その後、動物の皮に書かれ、棒にまかれた。中国では板や竹に書かれた。紙に書かれるようになるためには、紙が発明されなければならなかった。
そしてページの一端をとじる現在の本が作られて、まだ1500年しか経っていない(注6)
これからも形態はどんどんと変わっていくだろう。
当然、目次も変わるだろうし、本そのものをどのように管理し検索するかというシステムもその形態の変化とともにどんどん変わるはずだ。
現在のものを愛するだけでなく、これからいっそう良くなることを期待しよう。


ぬれ落ち葉 本日の願い
本は置き場に困るし検索性に劣る。kindleなどの電子文書もまだまだ未成熟で使いにくい。それにスマホなど読むための機器を必要とするなんてダメダメ。読むための機器不要、サイズは限りなくゼロで、しおり・目次・検索機能の強化、そういうものを期待する。

家内は剣豪小説をはじめ捕り物、人情ものと時代小説ならなんでも大好きで、毎日1冊は読んでいる。しかし読む姿勢も、ソファーに座り、ソファーに寝転び、畳の上にうつ伏せになり仰向けになり、そして夜になると疲れたと私にマッサージさせる。
読書というのもなかなか重労働なのだ。

眼鏡 そんなことがおきないようなどんな体勢でも読めるものがほしい。目を閉じれば自動的に読めるとか、なにもせずに音読してくれるのが聞こえるとか、あるべき姿は多種多様考えられる。
そんなものの登場を期待する。そのとき私はかなりの老眼、ひょっとすると失明しているかもしれないが、そういう人でも読めるものが良い。



注1
「銭ゲバ」の名言

注2
これは「摩擦円盤による無段変速機構」と呼ばれ、昔は軽負荷の工作機械の無段変速に使われた。複雑な歯車を使わないこと、無段階であることがメリットだ。
今現在小型車のATの主力となっているCVTは、1959年オランダのバンドルネ社が開発したバリオマチックが発展したもので、可変直径調車による無段変速機構と呼ばれるが理屈はみな同じだ。
だけど一歩下がって考えると、昔からスクーターにはそれが使われていた。単に大馬力に対応しただけじゃないか。

注3
注4
「葉隠」とは江戸中期に佐賀鍋島藩 山本常朝が武士の心構えを述べた書物。その中の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名。
そしてまた、本を読むときは二度と読み返さないように、読み終えたら捨てる覚悟で読めとある。

注5
「マニュアル・バイブル」エドモンド・H・ワイス、啓学出版、1987
啓学出版も準大手といわれていたが、バブル崩壊の1994年に倒産、世は去り世は来たる、諸行無常である。

注6


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