20.01.09
ISOMS規格は要求仕様を定めるものである。だからその文章は「○○しなければならない」という言葉が並ぶ。しかし「しなければならない」と訳された元の英単語は「shall」であるが、その翻訳は過去より二転三転、七転八倒であった。
制定・改定 ISO9001 ISO14001 制定・改定
1987 する − −
1994 すること − −
なければならない 1996
1998 すること(下記注)
2000 すること
すること 2004
2008 なければならない
2015 なければならない なければならない 2015
注:ISO規格は変わらず、JISZ9901のみ改定
前言撤回、過去の変化を並べてみたら七転八倒まではいかず、ISO9001もISO14001も二転であった。まあ両方合わせると四転、朝令暮改には間違いない。
ところで思い出したのだが、ISO審査でよく耳にしたというか、私自身も体験したことであるが、
審査員A 審査員A
「これはいけません。ここはこうしないとダメ。修正しなさい」
担当者 担当者 「わかりました。改定します」
審査員に言われてやむなく文書を改定します。 翌年の審査で審査員が代わると
審査員B 別の審査員
「おいおい、これはとんでもない間違いだ、こういう風に変更しなさいよ」
担当者 担当者
「えー! 元に戻さなくちゃならないの!」
その結果、最初に戻ったってことはありますね。マイナスとマイナスをかけるとプラスになる、是正を二回すると元に戻る、そんなバカな
あなたんところはそんなことありませんでしたか? なかったなら運が良い。
私は異議申し立てしたことはなかったが、一度その認証機関の取締役に会ったときその話をすると、苦笑いしただけだった。善処しますとか是正を図りますという言葉はなかった。つまり問題を認識しているけど、それを黙認しているのだろう。
ISO規格の翻訳が行ったり来たりしているから、審査員の判断も行ったり来たりしても当然なのでしょうか? あっ、最初と二度目の審査員は別の人でしたけど、
おっと、そもそも審査員が指導というか命令して良いかは
大 問題ですが……
ISO17021違反だよという意味ですよ
話は戻って本日のテーマである「shall」はどういう意味なのか?
一般的な英和辞典では未来とか決意とか命令とあるが、ネットで語義をみると、それらはすべてひとつの概念からの派生というか観点の違いに過ぎないらしい。本来は「このようにする」とか「このようになる」という概念らしい。しぜんとそうなるなら単純未来であり、お前がやれというなら命令で、自分がするなら決意とか意思(意志未来ではない)ということらしい。いずれにしても今では、古い言い回しとなり公式な時とか文書でしか使われないという。
とりあえず英英辞典で確認しておく。
LONGMAN English Dictionary
formal used in official documents to state an order, law, promise etc
公式文書において命令、法律、約束などの(状態・事態・条件)などを示す
ex. All payments shall be made in cash.
Dictionary.com
(in laws, directives, etc.) must; is or are obliged to:
(法律、命令などで)する必要がある
ex. The meetings of the council shall be public.
ちなみにネットでどんな風に使われているのかと探したのですが、日常会話では「Shall we」とか「I shall」の形でしか見かけない、「You shall」なんぞ聞いたこともないとありました。
「You(or
sb ) shall」が使われているのは法律文書だけのようです。そして技術翻訳とか契約書の翻訳では、shallは
「するものとする」 と訳すのが定型だそうです。
「ものとする」とは:
林修三によると、「ものとする」が法律で用いられたときの解釈というか意味は「しなければならない」とするときついと受け取られることを懸念するとき、柔らかい表現が適当と考えられるとき用いられるとある。
この場合、「しなければならない」より弱く、合理的な理由があれば従わないことも許されると受け取られることがあり、またそういうことが許容されるであろうという趣旨を述べている。
また「解釈上念のため」という意味でつかわれる場合があると述べている。
引用元:「法令解釈の常識」林修三、日本評論社、1975、p.48
「ものとする」が法律で使われた場合と契約書で使われた場合が、同じ意味を持つかとなるとなにも根拠はなさそうだ。なさそうではあるが契約書で「ものとする」としたとき「shall」と同じ意味に解釈されるとは限らないような気がする。これでいいのか?という気もする。
ただ契約書に英文と和文があれば、一般的に「疑義ある場合英文の契約書を基に判断する」あるいは逆の趣旨の文章が入るはずでトラブルは起きないのかもしれない。
ところで:
shallがたくさんある文章といえば、契約書ではありません。ズバリ旧約聖書です。旧約聖書の最初のお話「創世記」では、shallがなんと271回も出てきます(英文聖書で数えました)。
ご想像の通りそこには「You shall」「He shall」がてんこ盛りです。ちなみに創世記は英文で79ページ(和文は73ページ)ですから、1ページに平均3.4個あることになります。
我が愛しきISO14001:2015の本文は31ページでshallは80個、1ページあたり2.5個……宮沢賢治なら旧約聖書を「注文の多い本」とタイトルするでしょうか?
マイクロソフトの技術情報Wiki では、「技術文書においては「Shall」を自然言語の意味で解釈しないこと」とあります。ISO規格では定義されていない言葉は通常の辞典の意味に解釈することが基本ですが、「shall」については定義されてないからと辞書にある意味で理解することはだめなのです。
そして技術情報Wikiでは
「"MUST"、"REQUIRED"、"SHALL"は同じく「絶対的要件」であることを意味する」 とあります。
命令形にも強さの段階があります。バーゲンの2割引きを日本でなら「20%OFF」と書くのでしょうけど、
英語では「Save 20%」で、直訳すると「20%節約しろ」ですが、ニュアンスは「20%節約しよう」でしょう。命令というより勧誘ですね。
ISO規格で「shall」は絶対を表すなら、日本語もそれなりに訳さないといけない。
1987年版において、「
The supplier shall (4.10.2)」は
「供給者は次のようにする」 と訳されていた。文末が「する」とあれば形から平叙文と読み取るだろう。普通はこれを命令文とは受け取らないのではないだろうか。
サポーズ、「あなたは私を愛する」と言われたとき、命令形と受け取る人は察しのいい人だろう。いや、勘違いされる可能性のほうが高い。
口語で「あなたは○○をする」という言い方は嫌みと受け取られるかもしれない。
1994年版においてその個所は4.10.3と項番が変わったが、原文は変わらず翻訳は
「供給者は、次の事項を行うこと」 と訳された。「する」でなく「すること」であれば厳しいとは思わないが「しなくちゃならない」と理解するだろう。
先ほどと同じ例えなら「あなたは私を愛すること」とは、実現可能かどうかはともかく、こいつは私が好きで、私に好きになってほしい(つまり命令形だ)と考えているのだなと受け取るだろう。とはいえ、そんな言い方をされたら気持ちが零度以下になるだろう。
しかし「すること」は命令形であるが、前記の技術翻訳Wikiで示す「絶対的要件」というには弱いのではないだろうか。
せいぜいがプラモデルの組立説明書で「接着する前に塗装すること」と書いてある程度のニュアンスではなかろうか。その心は、組み立ててからでは塗装しにくいけど、作る人の流儀次第では無視できると思える。少なくても指示に従わなければ組み立てできないほど重要だとは思えない。
2000年版では構成が変わり8.2.4と変わったが、shallが「すること」と訳されていたのは変わらない。
2008年版になり、Shallは
「(し)なければならない」 と変わった。これはもちろん誰が見ても命令形であり、しかも逸脱を認めない意思表示だろう。
「あなたは私を愛さなければならない」なら、言われたほうは「こいつはキチか?」とは思っても、愛せよという命令であると認識することは間違いない。
やっと技術文書でのShallのニュアンスとなったようだ。
2015年版では共通テキスト化ということもあり、ISO9001もISO14001でも、shallは
「(し)なければならない」 と統一された。めでたし、めでたし。
しかしあなた、疑問を持ちませんかね?
ウェブの英英辞典をみたり、技術翻訳の原則みたいなところにサラッと書いてあるような基本的・初歩的なことを、なんで初版から徹底できなかったのかって?
歴史のあるISO9001を見て感じることは、最初は要求度合いが弱く、だんだんときつくなってきたということです。うがった見方をすれば、ISO9001が表れて最初にJIS訳するとき、あまりきついことを言うと反発されるんじゃないかと考えたんでしょうか?
だから最初は平叙文で、次の改定では柔らかい命令文で、最後は本来の意味にしたと……
もうひとつの理由として、ISO9001初版ではテーラリングを許容していたというか、テーラリングが必要だとくどいほど何度も記述していた。だからShallのある文章でも、絶対にやらねばならないと言い切る自信というか意思がなかったという気もする。
テーラリングとは:
ISO9001:1987初版では「修正(tailoring)」と記述されていた。和訳の中にカッコして元の英単語を記載していたのは他に、責務(commitment)、相互関連(interface)、手段(resoures)の都合4つである。当時はまだ定訳がなかったからか、和文を読んで誤解されないためなのか、ともかく悪いことではないと思う。
ただresouresは手段なのだろうか?
ともかく規格の中で規格そのままではなく、テーラリング(要求事項の加除修正)を許容していた。いや積極的に修正をしてほしいとさえ読める。
最近のISOMS規格しか知らない人には、意外というか信じられないだろう。だけど初版の位置づけは「品質保証の国際規格」であり、「第三者認証」ビジネスのためではなかった。
国際規格が現れる前は、売り手と買い手が要求事項を打合せて品質保証協定を締結していた。当然、契約ごとに内容は千差万別だった。それをなんとか標準化しようとしたのがISO9001だった。だから規格制定時にはISO規格を使ってもらうために
「この通りやれ」とは言えず「修正してもよいからこの規格を使ってください」というスタンスだったのだろう。ところがISO9001は二者間の品質保証規格から、いつしか認証ビジネス(金儲け)の規格になっちゃったんだよね。認証ならテーラリングは許容できないもの。
「初心忘るべからず」というくらいだから、人は初心を忘れやすいのだ。
ではISO14001はどうなんでしょう?
初版1996年版では
「なければならない」 と訳されました。ISO9001が制定された時と違い、もうISO規格は偉いのだと世間が認めたのでしょうか? 我こそは天上天下唯我独尊、堂々と「なければならない」としたというなら納得します。でも2004年版になると
「すること」 と弱腰になるってのはどうしてなんでしょうか?
このとき有効なISO9001:2000年版の翻訳を見て、14001の2004年版の翻訳を9001に合わせたのでしょうか?
でもISO14001の初版のときには、既にISO9001の1994年版は「すること」だったわけで、そのときは無視したのかな? なんだかつじつまが合わないのだが。
そんな変遷をみると、翻訳がさまよってきたことに納得できない。
対訳本をお持ちの方は確認してほしいのですが、各版の対訳本の頭に、国内規格委員会メンバーのご芳名が並んでいます。そして9001と14001の対訳本を見比べると双方にいくつも同じお名前があることに気がつきます。
このように翻訳には双方の人たちが関わっていたのに、なぜそれぞれが無関係に
ランダムウォーク ( 酔っ払いの足どり ) のように日本語訳がフラついたのか? それが疑問でなりません。
1996年版のISO14001で「なければならない」としたならば、9001の1998年版以降では「なければならない」となるべきでしょう。しかしISO14001をみてもISO9001:1998年版では「すること」を継続して、しかもそれを見たISO14001の2004年版は「すること」に合わせた。ならば、ISO9001の2008年版は「すること」にあるべきではないでしょうか? そうすれば論理は通ったのにね、
ときと場合で考えが変わり、訳も変わるとは言わないでください。そんないいかげんなものではないでしょう。技術翻訳とか契約書では、shallの訳語は1990年から現在まで変わっていないそうです。契約書の翻訳で食っている知り合いに聞きました。
本日のロードショー解説
いやあ、映画ってホントに……いや、違った。ISO規格の翻訳ってほんとうにおもしろいですね。まさにミステリー、いやファンタジーかもしれません。間違ってもドキュメンタリーではありません。
いまどき水野晴夫なんて知らないか?
本日の最後っ屁
ISO9001では1987年版から「objectives」は「目標」と訳されていたのに、なぜISO14001は「目的」と訳したのでしょうね?
これだけでも審査の場では一波乱、二波乱あったのですよ。
いや「目的」が適切(あるいは正しい)というなら、2015年改定でも踏ん張って「目的」を貫いてほしかったですね、
注:
「エデンの東+することにあるべし」でググってください。
これは
旧約聖書の創世記 の解釈です。
旧約聖書の創世記第4章7節を
「あなたはそれを治めなければなりません(日本語も英語も)」 としているが、スタインベックはそれは間違いで正しくは「あなたはそれを治めることにあるべし」とした。つまり神の言葉は命令とか予言ではなく、とるべき道を示すが、それを選択するか否かはあなたの自由であり責任なのだ。
運命論ではなく人間の意志を尊重しているのだろう。
しかし私も半世紀以上前に読んだ本のフレーズをよく覚えているもんだねえ〜
外資社員様からお便りを頂きました(2020.01.10)
いつも興味深いお話しを有難うございます。
Shall, Should, May(can)は、学校では正確に教えてくれない実用英語では重要な言葉ですよね。
会話だけでなく、読む事でこそ必須な言葉だと思います。
これこそ、正しく教育の中で教えれば良いのにと思います。
とは言え、学校の先生は、英文の規格書や契約書とはご縁がない人が多いから何時まで経っても駄目なのか、それとも教育の中で実用英語重視に変えるのは、いづれにせよ、すぐに直りそうもないので、会社では後輩に真っ先に教えます。
私も、技術系の国際標準化をやったので、規格書の邦訳で真っ先にぶつかりました。
幸い、会社員になってから実用英語の契約書の読み方で習っていたので、何とか出来たと思います。
現在では、多くの技術系の規格書では、冒頭に下記のような定義書かれております。
Key Words
May: Indicates flexibility of choice with no implied recommendation or requirement.
Shall: Indicates a mandatory requirement. Designers shall implement such mandatory requirements to ensure interchangeability and to claim conformance with the specification.
Should: Indicates a strong recommendation but not a mandatory requirement. Designers should give strong consideration to such recommendations, but there is still a choice in implementation.
これなら間違えようがありませんね。
外資社員様 毎度ご指導ありがとうございます。
技術英文免許皆伝の外資社員様から見ると、白帯もない私は戦いの土俵に立つことさえ許されないでしょう。
残念ながら当時私が働いていた会社には、そういう教育体制やテキストがありませんでした。
製造部門から品質保証に流されて、高校卒業以来20年も英語に触ったことがない私が、ISO9001の初版を英和辞典をめくって翻訳して、それを基にみんなが仕事をしたというのは、今考えると暴挙以外の何物でもありません。
あまりのアホさに笑ってしまいます。
当時私の翻訳を信じて仕事をされた方々には感謝というかお詫びしかありません。90年初頭はまだ高度成長期のような、頑張ればできるとか、泳ぎを覚える一番の方法は溺れることなんていう無茶苦茶な気風があったのかもしれません。
でも専門家がISO規格を訳してJIS規格となったものを見ると、原文にはない形容詞があったり、元はひとつの文がなぜか二つの文になっていて原文にない動詞があったり、素人が見ても変というのはたくさんありました。翻訳規格を最初に読むときは、日本語訳だけでなく英文も一緒に眺めないと安心できません。
日本語訳をひたすら読んで仕事する人が多いですが、翻訳規格は原文を元に考えないと危ないですね。ISO審査員も英文を読んで間違いないようにしている人って少ないと思います。JIS規格の言葉を広辞苑で引いて解説している人がいますが、信じている人も多いのでしょうね。
実話ですが、「手順(procedure)とは手 段と順 序である」と本に書いていた大学教授もいました。procedureは手段と手順かもしれませんが、それは偶然に過ぎず一般化できません。かの先生はしゃれたつもりかもしれませんが、解説としては落第でしょう。誤解されないためには英英辞典の定義を示して説明するのがベストだと思います。
本当を言えば、もうそんなことから足を洗うべきなのですが、いまだに未練がましく気にしてしまいます。
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