うそ800始末7.アプローチ

20.02.10
うそ800始末とは

ゴルフ 私はゴルフというものをしたことがない。聞くところによるとアプローチというのが重要だという。アプローチとは目標や解法への道筋を意味するが、ゴルフの場合は特にある程度グリーンに近くなってから、どういう方向からピンを狙うかという意味でつかわれるそうです。
ゴルフの目的はボールを穴に入れことですが、そこに至る道筋はいろいろあるというわけです。
本日はISO認証のアプローチが、過去から全く間違っていたのではないかということを論じる。

「マネジメントシステム構築」なんて言葉を聞いたことがあるでしょう。その言葉を聞いて、おかしいと思いませんか? そもそも「マネジメントシステム構築」ってどういう意味なんでしょう? 文字通り会社の仕組みを作ることでしょうか? でも会社はISO認証しようとする前からありますよね?
となると「マネジメントシステム構築」という言葉に意味があるのでしょうか? ひょっとしてまったくの間違いではないかと思いませんか。

マネジメントシステムの定義はISO14001:2015では「方針、目的及びその目的を達成するためのプロセスを確立するための、相互に関係するまたは相互に作用する、組織の一連の要素」となっています。
どの会社も複数の人間で構成されています。実質一人という会社もあるでしょうけど、税金とかいろいろ事情があるのでしょう。ともかく普通は複数の人間からなります。
複数の人間を有機的に有効に働かそうとすると組織を考えなければなりません。
社長の下に平社員が何十人もいるという会社は珍しいでしょう。通常は複数の階層からなり、それぞれが複数の人間からなり、担当者と管理者という構成になるはずです。

軍隊の組織図

なぜそうなるのかというと、なにごとにも「管理の限界(span of control)」という制約があるからです。一人の人が管理監督できる人数は、コミュニケーション手段、仕事の複雑さ、所属する人の力量によって決まります。

歩兵兵士 鉄砲をもって前進、止まれ、撃てというような単純作業の場合、管理できるのは30人〜50人と言われています。管理できるというか声が届く範囲なのかもしれません。ともかく歩兵の小隊というと大体この人数になります。同じ小隊でも敵地に潜入する特殊部隊とかになると10人規模とかになります。
戦闘機で自ら操縦して部下を指揮するとなると、仕事が複雑になるので3〜5人が限度と言われます。戦闘機の小隊が3機とか4機というのはそのためです。
ですから大勢を指揮するためには、階層を重ねて人を動かすことになります。3個小隊で1個中隊、3個中隊で1個大隊、3個大隊で1個連隊、3個連隊で旅団と、まあそんな感じです。もちろん編成によっては2個小隊で1個中隊ということもあります。でも1個小隊で1個中隊というのはありえないよね。小隊長一人を指揮する中隊長となると笑い話だ。
ともかく軍隊の構造とはそんなふうになっている。

そういう階層化、組織化は近代になって考えられたわけではありません。聖書を読むと10人隊長、100人隊長という言葉が出てきます。10人隊長は10人前後を率いて戦います。100人隊長(ケントリオ)は100人の部下がいるわけじゃなくて、10人隊長を10人率います。そういう組織は、ローマやギリシアどころか紀元前1000年頃からあった。

時代が下り企業の規模が大きくなったとき、軍隊の組織を参考にして組織構造が作られた。係(掛)、課、部、という構造がそれだ。
軍隊と同じく、単純な生産現場なら一人の現場監督の下に50人とか、営業部門では課長の下に数人の営業マンと庶務担当一人という構成なんてことも軍隊に近似しているでしょう。
もちろん階層を重ねるのは管理の限界によるわけですから、ひとつ部にひとつの課しかないとか、課長一人に部下一人とか、中には部下のいない課長とかね 😁。 そういうのは組織論から言っておかしい。現実に存在しているのは、人事処遇の都合だろうね。
管理の限界は技術や個人の能力によって変わるから、コミュニケーションツールが発達して指揮できる人数が増えれば、階層を減らして組織がフラット化するとか、その反対に判断を大幅に下位管理者に委譲した事業部制というのもありです。
司令部を持つ師団が考えられたのは軍の規模が大きくなったナポレオン時代であり、1970年以降コミュニケーション手段が発達してくると、アメリカは師団の機能を制限し直接本国が指揮・監督するように変わってきた。そうなると師団は己が作戦を立てるのでなく、単に大きな連隊のようなものだ。

当然、組織の各部門の機能、つまり何をするのかというのは、職務分掌とか職掌という書き物で決められているはず。歩兵中隊に属する歩兵小隊はみな同じ機能だろうが、企業においては部門ごとに異なる機能を負うのは普通だ。まったく同じ機能であっても、営業第1課は都内を担当し、第2課は千葉県を担当するとか決められているはずです。

組織、機能とくれば、システムに必要なもう一つの要素はなんでしょうか?
手順です。営業プロセス、決裁者、お金の処理などの手順も当然決められているはずです。
すべてが手順書……手順書とは範疇語であり法律では会社の手順を決めた文書、会社規則の意味で使います……に文書化されていないかもしれないけど、会社では暗黙の了解となっている場合もあるでしょう。
会社が事業を進めていくには、上記の、「組織・機能・手順」が決まってないと困ることおびただしい。「組織・機能・手順」が明確でないと、担当はどこよ? 決裁者は誰なの? となって有機的な動きができません。

ということで会社が存在する限り、「組織・機能・手順」を決めなければならず、それはすなわちシステムです。もう一度言いますが明文化されていない場合もあるでしょうけど、

お前は何を言っているんだとお怒りにならないように。「マネジメントシステム構築」について語っているのです。
お前は何を言っているんだ では「マネジメントシステム構築」とはいったい何を構築するのでしょう?
組織が存在するなら自然にというかそれに付随してマネジメントシステムが存在します。マネジメントシステムが存在しないというなら、それはきっと二人三人の少人数で非常に単純な仕事でしょう。例えば畑仕事で一枚の畑を耕すとか、荷物を右から左に積み替えるような仕事ならあり得るかもしれません。
でもそういった場合でも、指揮者とか分担を決めるはずでマネジメントシステムがないとは思えないが?

どの会社にも歴史があります。別に100年以上を歴史というわけじゃありません。1年でも歴史、10年でも歴史、歴史ある会社には当然マネジメントシステムがあるはずです。
となると「マネジメントシステム構築」とは一体なんぞやとなります。
多くの場合、ISO認証準備のために文書を作成したりそれに合わせて仕事をしたりすることを言うようです。「ようです」というのは、私はそんなバカバカしいことをしたことがないからです。

さてアプローチの話をしましょう。
あなたはISO認証を指示されました。期限までに認証する、言い方を変えると審査登録証をゲットする仕事を命じられました。責任重大と思うと身が引き締まります 😀。

あなたはどんなアプローチをしようと思いますか?
実を言って、二通りしかありません。
ひとつはISO規格を読んで、それに合わせたマネジメントシステムを作る方法、もうひとつは規格を読んで現在のマネジメントシステムから該当するものを抜き出す方法、そのふたつのアプローチ以外はありません。
おっとマネジメントシステムを構築するためのアプローチじゃありませんよ。ISO認証するためのアプローチであることに注意してください。前述したように「マネジメントシステム構築」なんて妄想ですからね。

要するにISO認証のためのアクションは、規格から考えるか、現実から考えるかの二通りあるということ。そして正解は現実から考える方法しかないということ。じゃあ規格から考えるのは間違いなのかというと、その通り マチガイ です。

間違ったアプローチ正しいアプローチ
規格現実

だが現実には規格から考えた環境マニュアルなり品質マニュアルがあふれている。現実から考えたマニュアル、あるいはISO審査で過去からのマネジメントシステムを説明しているのは数少ない。
それは企業担当者の責任だろう。いくらコンサルに言われようと審査員に脅されようと、現実はこれですよ、文句ありますか? と真のマネジメントシステムを示さないのは企業サイドの責任だ。
審査員に遠慮し忖度した結果が今だ。それはバカバカしい現実離れしたしくみで、だれのためにも役立っていない。

アプローチが違っても結果が同じなら問題ないのか?
いやいや、アプローチが異なれば後工程も変わり、結果も変わるのです。
「環境側面を決定しなさい」という要求事項があったとき、当社の環境側面は何だろうと考えるか、当社は環境側面に当たるものを過去から決めているはずだ、それは何かと考える、その差は大きい。前者のアプローチであればまったく無駄な仕事をしてバカバカしいものを取り上げることになるだろう。
証拠?
日本のISO14001認証企業の9割がそうだと言えば十分だろう。
そうではなく、そもそも環境側面とは何か、過去当社は環境側面に当たるものとしてなにを取り上げていたかというアプローチであるなら、手間もひまもかけずにまっとうなものを把握できただろう。それは取り立てて意味のあることではないが、ISO認証のためには必要なことである。
取り立てて意味がないということは、元々していた仕事にISOの呼び名をつけるだけということだ。それもばかばかしい話だね。でも2015年版からはしなくても良くなった。

同様に環境法規制の要求事項のアプローチも全く変わる。たくさんの環境法規制の条文を読んで、当社が関わることはどれか探すというバカバカしいことをするのはまったくおかしい。
過去より届け出をしてきたこと、社内で管理してきたこと、必要な有資格者などを振り返るというアプローチをとれば、改めて調べることなどない。
御社では今まで法律を破っていたという認識はないだろう。ならそれで十分ではないか。
おや今までしていただけでは心配だとおっしゃるか? ならば改めて法律を読んで漏れていたのを見つける自信があるのかい? もう外部の専門家を頼まないとそれは見つけられないような気がする。

現実からのアプローチでは、ISO認証によって会社が良くなることはないということになる。それは当然だ。過去からしている仕事と規格要求のつながりを確認しても新たに仕事が追加になるわけがなく、システムがそのままなのだから会社もそのままだ。
しかしISO認証によって会社が良くなるはずはない。ISO認証審査は会社の仕組みとISO規格要求事項をコンペアすることで、いったん適合となればそれ以上向上する必要もないし、向上させようとする力もかからない。もしISO審査において時間とともに向上させようとする力がかかるなら、その審査は異常である。

そもそもISO9001の認証で品質が良くなる会社がよくなると騙ったのは、あまたの認証機関だ。そしてそれは大ウソだったわけ。
そりゃISO9001を満たさなかった会社が規格を満たせば最低水準まではレベルアップしただろうが、それは会社を良くしたわけではなく、ダメだったのをまともにしただけだ。
まともと良いとは大違い。まともは可、いはりょうだ。
ISO14001を認証したって環境管理がよくなるわけではない。法を守り事故が起きないようにしていたのは、過去からどこの会社もしていたはずだ。しっかりした仕組みがある会社なら、それ以上のことをする必要はない。

とはいえISO認証が悪いわけでもない。ISO認証とは、当たり前のことをしていますよと対外的に裏書することでしかない。
繰り返すが「ISO認証すれば会社が良くなる」というのはうそで、それを言い出したのは認証機関だ。

じゃあ、なぜまっとうでないアプローチが広まったのか? まっとうなアプローチをとる会社が少なかったのか?
1997年頃のISO14001の説明会でのパネルディスカッションを今でも覚えている。
パネリストは4人くらいいた。一人は企業の公害担当者、一人はISOなんとか委員だった。公害担当者が「ISO14001なんて今までしてきた公害防止活動の延長だ」と語った。
それに対してISOなんとか委員は顔を真っ赤にして「そうじゃない。ISO14001は公害防止なんかとはまったくステージが異なる上位の考え方・管理方法なのだ」と語った。
そのとき私はそれを聞いても判断できるほど知識がなかった。その後いくたびもそれを思い出し、いろいろと考えた。それはまったく異なるものでもなく同じでもなかったのだ。
ISO14001は公害防止よりも高度とか経営の規格ではまったくない。質的にもレベル的にも変わらない。単に守備範囲が広くなっただけだ。
ISOなんとか委員は、「おっしゃる通りです。しかし公害防止という狭い範囲でなく、設計や営業やオフィス活動まで含む広範囲なのが違います」と言えばよかったのだ。

ここまで読んで質問されるかもしれない。
規格要求は「○○しなければならない」なのだから、それを満たすには「今しなければならない」だろう。元々していたことを引用することは「今したことではない」から不適合だ。
しかし規格要求「○○しなければならない」を素直に読めば「今から」とか「今改めて」というわけではなく「今していればよい」ということでもある。「過去よりしていた」ならば「しなければならない」を完璧に満たしているではないか。
ISO規格なんぞ、当たり前のことを要求しているのだから「当たり前の会社は当然満たしている」はずだ。ならば過去から満たしていることを説明すれば必要十分だ。

そういう発想で規格を読めば、環境側面でも法規制でも教育でも、まったくなにもしないで認証審査を受けることができる。そして従来からしていたことが規格を満たしていれば即認証ゲットできる。

私が嘘を騙っていると思われてはしゃくだ。1996年版でも2004年版でもISO14001の序文には
「組織がこの規格の要求事項に適合した環境マネジメントシステムを構築するに当たって、既存のマネジメントシステムの要素を適応させえることも可能である。
It is possible for an organization to adapt its existing management system in order to establish an environmental management system that conforms to the requirements of this International Standard.」

という一文があった。
ここでadaptの意味だが、「適応させる」というよりも「当てはめる」と訳したほうがベターだと思う。「適応させる」となると削ったり叩いたりして「合わせる」というイメージがあるが「当てはめる」のはそのまま組み込むというイメージだろう。
元からしていたことがISO規格要求に見合っていると示すだけでおしまいだ。しかも企業サイドは「環境側面」とか「環境実施計画」あるいは「管理責任者」なんて呼び名を知らなくても全く問題ない。
審査員が来たなら「さあ、良くご覧になって当社がいかに素晴らしい環境管理をしているのをみて感心して帰りなさい」と言えば良い。

火星人 現実にはそうはいかない。呼び名が悪いなんてもんじゃない。私の知っているトラブルでも「是正処置と予防処置を同じ規定に定めているのが悪い」なんてのがあったね。是正処置と予防処置はそれぞれ別の規定にしなくちゃならないらしい。審査員は火星人か? ヤレヤレ
なぜ悪いのかあれから何年も経つが未だに理解できない 😙

四半世紀近く、規格からのアプローチが推奨されたのには理由はもちろんある。企業のシステムをあるがままを見せて認証できるなら、コンサルも認証機関もISO説明会もあがったりだ。お金儲けをするためには、簡単なことを難しく語らなければなるまい。

私はとっくに引退したから最近の審査を知らないが、あるがままを見せてISO用語なんて知らないふりをしても審査員は審査ができるまでにレベルアップしたのだろうか?


うそ800 本日の呪い
北欧に古くから伝わる物語では、戦死者は戦争と死の神オーディンによって行先が決められ、ヴァルハラ(天国)行きとなったものは女神ワルキューレに導かれてそこで永遠に生き続けるという。死んだら閻魔様に行き先を決められるような話だ。
もしマネジメントシステムの神がおるなら「マネジメントシステム構築」などと語った者は地獄に落とされるだろう。決してヴァルハラ、天国、極楽へ行かせてはならん。



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