うそ800始末11.交流

20.03.16
うそ800始末とは

私はISO認証と関わって20年過ごしてきた。その間に大勢の人に出会い関わってきた。今回はそんなことを書く。

1990年代初めにイギリスへの輸出のためにISO9001認証が必要になったとき、コンサルを頼まず社内のメンバーがカットアンドトライでやりとげた。 やったぞ! もっともあの当時ISOコンサルなるものがいたのかどうか定かではない。
今振り返ればたいしたことじゃないけど、初めて認証書をゲットした時はやったぞと両手を挙げてガッツポーズをしたことを覚えている。

認証すると地域で評判になり、近隣の工場からISO認証のことを話してほしいなんて依頼がいくつかきた。付き合いのあったところはみな中小ばかりで、輸出なんか関わりがない。それでもISO9000sが商売に使えないか、いやそのうち客先から要求されるかもという気持ちだったのだろう。
上長は人前で話すことが嫌いな人で、私に行ってこいという。ものおじしないのが売りの私だから、ホイホイと出かけてISO認証の説明とかどんなことをするのかなんて話をして、そのあと酒を飲ましてもらった。
1993年頃は中小企業で認証しようなんてところはなかった。私が訪れたところで、その後すぐにISO9000sを認証したところはなかったと思う。
1年くらい後、私と関わりがなかった30人規模の工場が1995年頃認証したと聞いて驚いた。そこは大きな取引先がタイに進出したのでいずれ下請けもタイに行かなければならないだろうと、その準備として認証を受けたと聞いた。

1997年ISO14001が現れたときは、なぜかコンサルを頼んだ。細かいいきさつは知らないが、認証機関の社名を冠した○○流とか○○方式と言われた方法でなければ認証できず、コンサルを頼まないと難しいと聞いて上がコンサルを頼んだらしい。
やってきたコンサルも、○○方式にどう対応したら不適合を出されないのかを知らない。認証準備の段階で明確な指導を得られず途中でコンサルを断った。

当時 審査員は全権絶対の神様であったが、同時に無知蒙昧の神様でもあった。審査を受ける我々企業側も無知なのは同様だ。それで先行する会社の情報を何とかゲットして準備した。
前述の○○認証機関で認証を受けたA社の審査の速記録を入手してそれを基に準備していたB社が、審査でA社と全く違うことを言われて不適合になったなんてことが何度も繰り返された。○○方式と言っても○○認証機関の確固たる考えでなく、未完成というかその場限りのものらしく困った。認証機関も規格解釈が固まっておらず右往左往していたのだろう。
困った となると我々は先行する会社の審査をウォッチして準備するより、何もせずに審査を受けてイチャモンがついたことを是正するしかない、いやその方が良いということになる。
とはいえ座して不適合を待つのもバカバカしい。なんとかしようと無料・有料を問わずいくつもの講習会を受講した。講習会は東京だから福島から上京するにはお金も時間も大変だった。

講習会では講師はISOMS規格とはどういうものか、認証とはどういうものか、そして規格解説をしてくれたが、具体的な問題である○○認証機関への対応になるとまったく無力だった。講師も道場剣法ならともかく、やくざ相手の戦いを知らないのだ。
だが講習会で出会った他の参加者とお互いのもっている不適合事例や対策事例あるいは認証機関の判断基準などの情報を交換した。それだけでも講習会に参加して良かったと思えた。ともかくそんなところで名刺交換をして、何人も知り合いができて、その後実際の審査での問題についての意見交換をした。1997年から1998年頃だ。

しかしこの黎明期には、真の規格解釈を教えてくれるところがなかったことに驚く。どこの認証機関もその審査員も、ISO14001を理解していなかったとしか思えない。そんな人たちが審査し認証していたということは……笑い話というか恐ろしいというか 😃
たまたまそんなとき聞いた話だが、某講演会で認証機関の人が環境側面の決め方の話をしたら、陪席していたISOTC委員が「環境側面とはそのように決めるのか!」と感心したと発言して呆れたと話していた。案外そんなものだったのだろう。確かに私も今に至るまでISOTC委員が環境側面の決定方法を著した書籍も講演会も見たことがない。

当時いそいそフォーラムというメーリングリストがあり私も登録いていたが、実際の審査はそこで話されるようなのどかでも上品でもなく、審査員の横暴をいかにして阻止するかという悲壮な戦場だった。
今なら笑ってしまうが、認証機関の語ることが、時間とともにどんどん変わるので、ひとり嘆いた。
審査員に苦情を言えって? なにしろ公式には録音・録画は禁止なので前回はこう言ったでしょうという証拠がありません。いや出せません。
当時の審査員の多くはまだ存命だろうが、彼らは自分がした審査を今どう考えているのだろう。己の間違えを恥じ心の中で詫びているのか? 自分は立派なことをしてきたと記憶を改ざんしたのか? 己の間違えに気づいていないのか? あるいは認知が進みすべて忘却の彼方であろうか?

我々企業担当者は認証書(審査登録証)をゲットすれば良いわけではない。審査員の思い付きや独りよがりで、自分の会社を悪くしたくないのはもちろんだ。だから審査員にケチをつけられず、しかも会社を悪くしない方法を考えなければならない。
だが我々企業担当者の仲間同士だけでは情報もないし知恵もない。だから審査で問題が起きたら、アイソス誌などで見かけた他の認証機関の幹部にメールを出し、助言を求めた。
驚いたことに多くの方が返事をくれた。そして更に驚いたことに環境側面の決定方法については具体的なアドバイスはもらえなかった。まさか秘密だというわけでもないと思う。認証機関の幹部も環境側面の特定や決定方法を知らなかったのではないだろうね?
ともかく問題多々ではあったが、是正・是正を繰り返し、なんとか認証をゲットした。成功体験というより徒労感ばかりであった。

ISO14001の参考書といえるものが1998年頃から現れた。私は手当たり次第に買った。20冊はあっただろう。しかしどれもこれも規格に書いてあることだけで、実際の環境側面の決め方とか運用の展開方法などに言及していない。著者が知らないのか、ノウハウを高く売りたいのか、これもまたわからない。いずれにしても役に立つものはなかった。
なお、2020年の現在においても私がISO14001認証のまっとうな参考書と思うものを見かけない。書店に並んでいるのは皆クズです。過去に唯一すばらしいと思ったのは「環境マネジメントシステムの構築と認証の手引き(注1)」だけです。

2000年頃、勤め先が変わり自分自身が認証を受ける立場から、関連会社の認証を支援する立場に変わった。言ってみれば企業内コンサルだ。いや私の本来の仕事はISO認証支援ではなく環境監査なのだが、まわりの人より私がISO認証について知識も経験もあることと、自分の職責を果たしても余裕があったので。それで関連会社から相談や問い合わせがあると私が対応するようになった。

2000年頃は大手企業のISO14001認証が一巡し、中堅企業が認証し始めた時期だ。認証件数の増加をみると、それがよくわかる。一つ目の変曲点は2000年頃にあり二つ目の変曲点は2005年頃、そして三つめは2011年頃である。どういうことかというと1997年に始まったISO14001認証は2000年頃に急上昇を開始し、2005年に増加傾向がマイナスに転じ、2009年にピークとなり、2011年に減少傾向の増加が止まったということだ。それから現在までほぼ加速度ゼロで直線的に減少している。

ISO認証件数

注:上図では分かりにくいが、ISO14001の認証件数の変曲点は2000年、2005年、2011年にある。
なお正式な認証は1997年からだが、1996年末に規格が正式発効される前から審査が行われ仮認証みたいなのがあった。

関連会社でISO認証を希望するところはたくさんあり、私は同時期に数社の認証支援を並行して行い、週に一日とか二日お邪魔して認証の指導を行った。
業種が製造業だけでなく、販売、修理、輸送、倉庫、不動産、金融などなどさまざまで、環境側面も関係する法規制も全く異なる。バラエティーに富んでいるのが面白かったし、とても勉強になった。
認証までの準備期間は短くて10か月、長くて1年半くらいで、任務完了すると次から次と終わりがなかった。コンサルを商売にしていたらウハウハだったろう。もちろん私の場合はコンサル料が無料だから依頼があったわけだ。おっともちろん法律に反しない範囲である(注2)

ここでも上長の代理で、業界のISO認証についての連絡会とか、どういう関係なのかCEAR(環境マネジメントシステム審査員評価登録センター)やJATA(審査員研修機関連絡協議会)の会議に顔を出したりした。最初にJATAと聞いたときはJEITA(電子情報技術産業協会)かと思った。自衛隊と聞き違えた同僚もいた。
代理出席では前任者からの引継ぎが悪いと鳩が豆鉄砲ってこともあるが、会議が深刻でもなく重要でもないので他のメンバーのお話も面白く興味津々であった。大きな声では言えないが、審査員の審査登録とか更新の評価の実態を知った。大変興味深かったとだけ述べておく。そしてそんな情報からJABの基準とか審査員登録の基準などを勉強するようになった。

2000年代はISO9001と無縁になった代わりに、ISO14001はドンとこいと自信満々であった。俗に天狗になるというやつだね。もう○○方式なんて怖くありません。もしなんでしたらボケを語る審査員を教育叩きのめしてあげましょう。
仕事だけでなくEICネットでQ&Aで回答したり、ネットの掲示板で議論したり、2001年から自分のウェブサイトを作り、文句あるならかかって来い!てなもんだ。

握手 EICネットや廃棄物管理の掲示板などで知り合いができました。またこのうそ800にお便りされた方とメールの交換をしたり、リアルで会ったりもしました。
引退した今でも、一緒に飲んだりする方もいます。ISOばかりでなく老後の過ごし方とか処世とかご教示いただきます。感謝に堪えません。


さて、いろいろな接点で多くの人と会ったが、その人たちがどんなことを考えていたかということを書く。これが本題である。

人はみなユニークでありオンリーワンなのは当たり前です。とはいえ大勢の方にお会いしましたが、ISOへの考え、思いからいくつかにカテゴリー分けできます。


まあ、いろいろな人がいて、皆性格が違い、価値観が違い、背負っている物が違うのだから、選ぶ道も違って当然だ。どうあるべきということはないし、良い悪いもない。
正義感の強い人はアイアンサイドのように審査員の悪を追求する人生も素晴らしい。
上昇志向の人は小集団活動もISOも他人さえ踏み台にして頑張って悪いことはない。
老後もISOという分野で趣味と実益を兼ねて楽しい人生を送るのもありだろう。
私のように勝ち抜きどころか負け抜きで来た人間は、ISOという新職種?で拾ってもらって感謝しかない。
まあ、会社への貢献という尺度でみれば違うだろうが、違ってもよいのだろう。私の知る限りISO認証に血道をあげて業績を悪くしたという会社はないようだ。ただISOと違うけど、業績の良いとき自然保護にリソースを投入していて、左前になったとたん止めた!という会社もありますから、そこは気をつけておかないといけません。最近ではリスクというようですよ、
ISO事務局と名乗り、ISO事務局員として名を上げても、景気が悪くなってISO認証を返上すれば、君明日から会社に来なくてもよいとなるかもしれない。ISOのプロはISOがなくなれば無価値。会社を良くしようという考えで仕事をしていれば、ISO認証がなくなっても会社がなくなっても失業はしないだろう。
ISOの審査で不適合を出さないことは誇れることではない。会社に貢献し世の中のためになれば誇りだ。
一番大事なのは「遵法と汚染の予防」だよ、アニキ

私は友人や知り合いが多いほうが良いとは思わない。とはいえ、ISOに関わって多くの知り合いができ、このウェブサイト「うそ800」を開設して多くの知り合い・友人ができたことは素直にうれしい。
ISOを離れても個人の悩みや相談事をしたりされたりしてきた。
ISOに関わったのも何かの縁であり、縁を結んでくれたISOの神様へは感謝してもしきれない。

ISO大御神
ISOの神様 どうもありがとう

うそ800 本日のまとめ
ISOに関わったおかげで多く方々にお会いすることができ大変勉強になりました。
人生一期一会、われ以外みなわが師、ありがとうございました。



注1
「環境マネジメントシステムの構築と認証の手引き」土屋通世、システム規格社、2004

注2
ISO認証支援に際しても、法規制を考慮しなければならない。
利益供与とは株主に対するだけではない。関連会社がISO認証をする際に、正当な理由なく親会社が無償で支援することは利益供与とみなされる(会社法120条)。
また親会社が関連会社にISO認証を強制するのも会社法違反になる。

注3


あきたいわん様からお便りを頂きました(2020.02.17)
おはようございます。
なにか、そろそろこのUSO800の掲載を停止するような雰囲気がプンプンしてきて、さみしく感じています。
やめないでくださいね。
お願い申し上げます。

あきたいわん様 毎度ありがとうございます。
正直なところそう考えております。
だって猛獣を狩ろうとするなら、張り合いもあり緊張もあります。だから真剣になります。
でも老衰で寝たきりのISO認証制度ではハンターとしての矜持が許しません 😩
とはいえ全く文章を書かないのもボケの始まりのような気がします。
あきたいわん様、なにかこんなテーマで書けというご提案ありませんか?
イメージとして毎週5000字で2回更新、1年くらい続けられるものって思い当たりませんか?
ご注文いただければそれにまい進することを誓います。


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