うそ800始末12.信頼性その1

20.03.19
うそ800始末とは

ISO認証の信頼性は重要である。なぜかといえば、ISO認証とは信頼性がレーゾンデートルそのものだから。というのはISO認証は何も生み出さず、何も保障もせず、何も補償しない。ISO認証の価値は信頼性しかない。
ちなみに補償とは損害が生じたらそれを償うことであり、保証とは大丈夫と請負うこと、保障とは災害や犯罪から守ることである。
ISO認証とは「あの会社は品質保証がしっかりしているぞ」とか「環境管理がしっかりしているぞ」ということだ。注意してほしいのは「品質保証」をすることでなく、「品質保証がしっかりしているぞ」とお墨付きを出すことだ(注1)

「ほしょう」の言葉の意味
補 償損害補償、遺族補償、災害補償、補償金など、損失・損害を補う・償うこと。
保 証身元保証、品質保証など、間違いないと請け負うこと。
保証したことが事実と異なっても、それによって生じた損害を補償しない。
保 障安全保障、警備保障など、外敵から守り被害を受けないようにすること。

ではISO認証の信頼性は素晴らしいのか、そうでないのか、どうなのか?
「ISO認証の信頼性は低く、その原因は企業が嘘をつくからだ」とJAB(日本適合性認定協会)飯塚理事長は語っている。おっと、これは昨日今日だけでなく、過去10年間もの間 何度も語っている。今現在の信頼性が低いだけでなく、長期間継続して低いことは間違いないようだ。
理事長が語るのだから、それはJABの公式見解なのだろう。
しかし日本のISO認証の元締めがそう語るということは重大問題である、信頼性がレゾンデートルである認証制度の制度側の人が、「認証の信頼性が低い」と語るのは自己否定である。それに自分が信用していないもの(サービス)を他人に売ることは商道徳に反するだろう。
「商道徳なんてわしゃ知らん」なんて言ってはいけない。民法第1条2項に信義則があるじゃないか。

しかしちょっと待ってほしい
「あいまいを敵としては神々自身の戦いもむなしい」とはアイザック・アジモフの小説のタイトル(注2)アイザックアシモフおじさん 話をあいまいにしないために、まずは信頼性を定義しなければならない。ちなみにJABの飯塚理事長は信頼性を定義していない。それでは議論が始まらない。
工学でいう信頼性とは「アイテムが、与えられた条件の下で、与えられた期間、故障せずに、要求どおりに遂行できる能力(注3)」とされている。
ISO規格の意図はなにかとなれば、ISO9001は「顧客満足」であり、ISO14001は「遵法と汚染の予防」である。ここで認証を受けた『企業の「顧客満足」や「遵法と汚染の予防」の達成具合』が信頼性ではない。信頼性が高いことが顧客満足とすれば、再帰的でつじつまが合わないからではない。ISO9001で言えば、顧客満足とは「顧客の期待が満たされている程度に関する顧客の受け止め方(注4)」であり、顧客の期待とは製品・サービスに対するものであり、その会社のISO認証についての評判ではない
仮に企業が審査で嘘をついても製品・サービスの信頼性には影響しない。考えてみてほしい、品質保証が完璧でも「それほどではありません」と謙遜しても、品質保証がグダグダであっても「ご安心ください」と大ぼらを吹いても、製品そのものの信頼性(信頼性用語による)は変わらない。

では認証の信頼性とは認証されたものの信頼性ではなく、認証そのものの信頼性なのだろうか?
認証に対して期待される成果(注1)とは「認証を受けた品質マネジメントシステムがある組織は、顧客要求事項事項及び適用される法令・規制要求事項を満たした製品を一貫して提供し更に顧客満足の向上を目指す」こととなっている。
となるとISO認証の信頼性とは「認証を受けた組織がその認証規格の要求事項を満たしている」ことであり、信頼性が低いとは要求事項を満たしていないこととなる。
では過去に信頼性が低いとされた問題は、企業がISOMS規格の要求事項を満たしていないのに企業が嘘をついて認証したことなのだろうか?

巷でISO認証の「信頼性がない」とか「信頼性が低下している」といわれるものには「認証した企業で事故が起きた」とか「法違反があった」というものであった。
だが認証を受けた企業で事故が起きても法違反があっても認証が取り消されるという根拠はない。但しそれを隠して認証を受けていたなら、その事実によって規格要求を満たしていないと不適合となるのは当然だろう。しかしその場合でも、審査で容易に検出できたか否かは要確認ではある。
容易に要求事項を満たしていないとわかる場合、嘘をついたことが悪いというよりも審査能力(力量)不足が問われるだろう。だって出されたものを見るだけならお金を取る仕事じゃない。相手が嘘をつこうと真実を突き止めなければ審査の価値はない。
類似のお仕事である裁判官や公認会計士を思い浮かべよう。

若干の注記: 裁判において被告人が嘘をついても罪に問われない。言い換えれば検事も判事も被告人の言行によって左右されない証拠を基にしなければならないわけだ。
ISO審査においても虚偽の説明を聞いて感心するようじゃダメなのです。
ましてや「私が誤ったのは嘘をつかれたからだ」なんて恥さらしもいいところですよね、飯塚理事長?

しかし報道された問題を見れば、そればかりではなかった。同じ会社であっても認証範囲外の工場とか、別法人である関連会社における事故や違反のこともあった。あるいはISO14001を認証した企業が品質問題を起こしたときに、ISO認証は信頼できないとマスコミが報じたこともある。もちろんISO9001を認証している企業で、環境事故や事故が起きたときもある。

「認証範囲において事故や違反があり、それを審査の際に嘘をついていた」なら企業サイドが悪いのは間違いない。でもそうでないケースも多かった。
それも批判したのは無知なマスコミとか一般大衆だけではない。製造日かなにか改ざんした会社に対して、ISO14001を認証した認証機関が臨時審査を行い、不適合を発見してISO14001認証を停止したこともありました。
改ざんはいけませんが、それは品質問題です。どうしてISO14001の臨時審査をする理由があるのでしょうか? しかも臨時の審査でISO14001の不適合を見つけたそうですが、それ以前のISO14001の審査でそれを見つけなかったのはどうしてなのでしょう?
なんか別件逮捕のようなやり口ですね。
まさになんでもあり、水に落ちた犬を打てというようなもので、無茶苦茶です。

ともかくそういうことから推察すると、ISO認証の「信頼性」とは、「マスコミや一般社会がISO認証企業は悪いことをしないと信じている」ために、「ISO認証企業が認証規格と関わりなく事故や違反を起した」とき「マスコミや一般社会はISO認証に対する信頼が裏切られた」と認識したことである。ということは信頼性が低下した原因は「マスコミや一般社会の理解不足」ということになるのだろうか?

ならば信頼性向上つまり「マスコミや一般社会がISO認証を信頼する」ためにすることは、マスコミや一般社会に対して認証の意味、認証範囲とか守備範囲を教えることになる。おっと認証機関も同様だから認証機関への教育も追加しなければならない。

原因をなくさなければ問題解決にならないのは当たり前。一般企業に対して「認証を受ける際に嘘をつくな」と強制しても、問題解決つまり認証の信頼性向上にはならないことは明白だ。
しかしおかしい、ISO9001しか認証していない企業が環境事故を起こしたとき、「ISO認証の信頼性ガー」と言われてもその会社も認証機関も手がありません。
例えてみれば、脱税を摘発した税務署が、社内のセクハラ問題を見逃したといわれてもお門違いです。

いや、ちょっと待て、ISOMS認証はISO9001とISO14001だけではないのだ。「マスコミや一般社会がISO認証を信用する」ためには、認証企業はISO認証規格がある事柄について不祥事を起こしてならないことになる。
環境のISO認証を受けている企業では、環境問題だけでなく品質問題も最近では情報漏洩も労働安全などでも問題を起こさないことが必要となるのだろうか? もちろん他のISOMS規格の認証を受けていても同じだ。
驚き
それでも足りないかもしれない。世間様が「ISO認証機関はいかなる不祥事も起こしてはいけない」というなら、贈収賄、インサイダー取引、脱税、背任、談合、セクハラ、パワハラ、輸出管理、労基法、その他日本の法律すべてに違反してはならない。更には認証企業で働く人はみな、不倫もせず泥酔もせず老人や妊婦には席を譲る、聖人君子であらねばならぬと拡大していく。
実は私が現役時代に某認証機関のエライさんと、対象となる不祥事はどんどん拡大しセクハラなどでも認証取り消しのトリガになる恐れがあるねなんて話をしたことがある。
だがそれは前述した水に落ちた犬を打てと同じく無茶苦茶な話である。

ISO認証は、限定された範囲において限定された項目についてISO規格を満たしていることの証明でしかない。ある工場がISO9001認証していて環境事故が起きても、ISO9001認証と関わりはないし、同じ会社でも別の工場の認証が疑われるいわれはない。

ISO認証はエクセレントカンパニーの証明ではないのだ。そもそもISO審査では売上高も利益率もPERも株価の推移も審査対象じゃない。
そういうものであるISO認証に、広い意味の不祥事が起きないことをなぜ期待するのか? それだけでなく不祥事が起きたら認証を取り消せという発想が起きるのか不思議である。
だいぶ前、市民団体の幹部が「不祥事を起こした企業への信頼を失うと共に、認証制度に不信感を持つ」と語った(注5)
考え中
その論理に興味を持った私は、躊躇せずに主婦連に問い合わせた。そしたら主婦連は「過去よりISO認証企業の製品を勧めたこともなくISO認証を商品選択の判断基準として推奨したこともない」という。
であればその幹部の発言の前半「企業への信頼を失う」ことは理解できるが、後半「認証制度に不信感を持つ」は論理的につながらない。過去ISO認証を参考にしていたが、不祥事が起きたから認証を信頼できなくなったというならわかる。そうじゃない。今までISO認証など購買の際に参考にも気にもしていなかったけど、不祥事を起こした企業がISO認証していたからISO認証が気に食わないということじゃないのですか?

ISO認証なんて元々 B to B の取引における契約条件に過ぎず、エクセレントカンパニーと関係ない。そういう意味合いをマスコミや一般消費者に説明する責任はJABにあるだろう。なぜなら認証制度は法で定められたものではない。民間が認証というビジネスを始めたに過ぎない。ならば認証制度がその意味を広報しなければならない。
JABだけでなく認証制度側は、ISO認証とは、物理的な範囲、対象分野、対象業種、対象製品などの守備範囲が限定であることをマスコミや一般消費者に周知徹底を図らなければならない。そして品質問題が起きた時、マスコミや消費者団体が騒いだならば、その判断は間違いですよ、ISO認証はこういうものですよと訂正を求めなければならない。
もちろん一般消費者が購買に際してISO認証を活用してほしいとは言えなくなるかもしれない。そんなことでは第三者認証制度がいらないといわれるかもしれない。それは甘んじて受けるしかないのだ。
私の語ること何かおかしいですか

そんなことを考えると、マスコミや消費者団体が語る信頼性とは、認証制度とか企業が規格要求を満たしている・いないということと無関係なことと思える。俗な言葉で言えば言い掛かりだ。
だから過去経済産業省やJABそしてJACBが策定した「MS信頼性ガイドラインに対するアクションプラン」など(注6)はまったくの見当違いなのである。
是正処置とは「不適合の原因を除去し、再発を防止するための処置(注7)」である。真の原因を究明しその対策をしなければ解決にならない。そして批判や苦情がお門違い(言い掛かり)なら、それは当方の問題じゃありませんと苦情を申し立てた人を説得するのが是正処置だろう。いや是正処置でなく単なる処置か…

さて今までは世の中が考えている信頼性とは何かということであった。信頼性工学の定義で考えたとき、ISO認証の信頼性はあるのかという問いはどうだろう?
問題をぶり返すのかと問い返さないでほしい。
今までの話はISO認証範囲以外の問題を、ISO認証の信頼性の問題とされたことが問題だと述べたのだ。
ISO認証の本来の意図、ISO9001の要求事項である顧客満足のための仕組みは整っているのか・機能しているのかという観点、ISO14001の要求事項である遵法と汚染の予防のための仕組みは整っているのか・機能しているのかという観点でみて、ISO審査は信頼できるのかということである。
これは今まで考えてきた世の中で言われている信頼性とは異なり、ISO認証の意図そのものである。当然ISO認証が適正に行われているかを確認することは必要であり筋違いではない。
しかしながらこのISO認証の信頼性と考えると、ものすごく多様な観点での見方・考え方が浮かんでくる。
方法としても認定機関の認定審査は審査方法を審査するだけであり、承認審査での結果が適正なのかどうかは見ていないだろう。
調査すべき項目としても、審査能力の問題、コミュニケーションの問題、審査側の是正能力、書き表そうと思うときりも限りもない。
では次回は「信頼性」を信頼性工学の定義で考えたい。


うそ800 本日のエンディング
To be continued. Stay and wait!


注1
注2
正確には「神々自身」という三部作小説の中の一つのタイトル
「神々自身」アイザック・アジモフ、ハヤカワSF文庫、1986

注3
JIS-Z8115:2029「ディペンダビリティ(総合信頼性)用語 (Glossary of Terms Used in Reliablity)」の定義。

注4
ISO9000:2015「品質マネジメントシステム−基本及び用語」3.9.2の定義。
注5
2010年2月23日 2009年度JAB環境ISO大会における主婦連事務局長 佐野真理氏の発言。
注6
注7
ISO9000:2015「品質マネジメントシステム−基本及び用語」3.12.2の定義。


コマゴマ様からお便りを頂きました(2020.03.19)
マスコミと市民団体
いつも拝見させてもらっております。
マスコミと市民団体(特に婦人会)なんてろくなもんじゃないですよね。最初から結論ありきで報道しまくってなぜか国民の代表面しているし。毎日毎日ニュースでもミスだらけですし。いや、少し調べれば分かるだろと。
だからこそ一人一人が考える力を持っていかないといけないと感じています。

コマゴマ様 お便りありがとうございます。
過疎化どころか限界集落状態のウェブサイトなのでお便りをいただきますと天に昇るような気持ちになります。
マスコミも市民団体も怪しいのが多いですからね、
菅直人も枝野も学生運動から市民団体という流れ。最近は名前を聞きませんが奥田愛基なんかもそういう人生を送るのでしょう。うらやましい限りです。
彼らはマスコミと相性がよく、保守系なら取り上げてくれないような些細なことでも、大きく取り上げて国民に知らせてくれるという特権階級ですね。困ったことです。
私も何の力もありませんが、ISOでも政治でも曲がったことが大嫌い、こんな過疎ウェブサイトですが言いたい放題を語っております。
気が向いたらまた書き込んでください。


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