うそ800始末14.認証の目的

20.03.30
うそ800始末とは

「うそ800始末の第1回も目的ってタイトルだった。お前、ボケたのか?」なんて声が聞こえてきそうです。
確かにそうなんですが、暇なときいろいろ考えていると…というか考えが浮かんでくるのですが…言い足りなかったなと気が付きました。それで今回はkwsk(もっと詳しく)と思いましたんで、

御社のISO認証の目的は何ですか?
そう聞かれてすぐに答えられる方はいかほどいますかね?
私?
もちろん答えられますよ。もっとも認証した時期によってその目的は異なります。

初めから蛇足 目的と理由は同じなのかという疑問がハタと頭に浮かんだ。そして「ISO認証の目的」と「ISO認証の理由」はいかように違うのかと思い悩んだ。
調べると、理由とは因果関係の原因とか根拠であり、目的とは何事かを達成する理由とのこと。
ゆえに「理由⊃目的」の関係にある。だから目的は常に理由と置き換えることができ、その逆は成り立つときと成り立たないときがある。調べた甲斐はあった。

私が最初にISO9002を認証したときの目的は、イギリスに輸出していたから。1993年にEUが統合されるので、それ以降 域外からも欧州に輸出するにはISO認証を得ている必要があると取引先から通知があり、それに対応するためでした。つまりビジネスをするために必要だったのです。
もちろん認証を受けたのはイギリスに輸出していた製品についてのみで、対象部門はその営業担当、資材購入、関係する計測器、その製品の製造ラインと検査・保管・出荷部門だけでした。当たり前といえば当たり前です。必要以外に無駄金を使うことはありません。
もちろん審査員も事務所でも倉庫でも製造ラインでも「該当するところはどこか?」と聞いて、別の製品の部署には一歩も足を踏み入れませんでした。

注:ISO9002だったので設計はない。

次に認証したのは別の製品(といっても部品)をアメリカの(今はなき)大手パソコンメーカーに納入していて、その客先からISO9001認証を要求されたからです。
認証する前は、ISO認証したら客先から毎年来て実施していた品質監査がなくなるという話でした。なるほど、それならこちらとしてもメリットがあります。当時は多くの客が定期的に品質監査に来ていましたから、ISO認証によって納入先ごとの品質監査がなくなればありがたい。
計測器 しかし認証してからも、客先が行う品質監査はなくなりませんでした。聞くと、ISOの品質監査はシステムだけだ。だが客先の品質保証要求事項はシステムだけでなく具体的な管理項目も要求しており、それも品質監査でチェックしているからISO審査では不十分だとのこと。
客先が指定している具体的な項目とは、例えば静電破壊防止のためのリストラップの検査方法・頻度とか、アースの接地抵抗、計測器の校正間隔などである。確かにISO規格に基づく審査では、そういうものはチェック項目に上がってこない。

ISO9001の序文(版によって記載場所は違う)に、下記の文言がある。

ISO9001:1987 0.序文: この規格の品質システムの要求事項は、製品・サービスに関する技術的規定要求事項を補うもの(とって代わるものではない)であることを強調しておく。

注:上の文の( )と中の文も規格の文言です。


確かにISO規格は品質システムの骨組みはあるけど、個々の製品対応の基準や手順まではISO規格の範疇ではない。客が行っている二者監査の一部分しか審査対象ではない。
客は購入する品物に対応してさまざまな工作仕様や管理方法を要求するが、それは一般化できない。だからISO規格ではそれは対象外であると書いている。
ISO認証がスタートした直後だったから、最初はISO認証があれば二者監査はいらなくなるだろうと思っていたが、後でチェック項目から漏れているのに気が付いたのだろう。

でも二者監査がなくならなかったとしても、ISO認証によって客先の監査項目や監査時間が減ったのかといえば、少しも減らなかった。まあ計測器の校正間隔が客先の指定通りかを確認するけど、ISO規格にある項目は点検しないという監査の実施は不可能に近いのではないかという想像はつく。二者監査をするなら監査項目すべてを実施するというのは素直なところだ。でもそれじゃISO認証する意味はないじゃないか!
結局、客先の二者監査は何も変わらず、客先の手間も減らず我々はISO認証のための手間暇がかかっただけ丸損である。
おっと、欧州に輸出したときは認証なければ輸出できないのだからその効果は絶大ではある。だが二者間の取引においては、客先がISO規格と元からの品質保証要求の差をあきらめてくれない限り認証の意義はないということを学んだ。そして多くの客はその差を無視しなかった。

その後、ISO14001が現れた時も私はISO9001の経験を買われ関わった。
ISO14001認証の目的は「業界団体がISO14001認証を決めた。当社も(トップにならずとも大勢に遅れずに)認証すること」であった。消極的だが日本の企業がISO認証する最多の目的ではないだろうか。
どうも私自身 性格が悪く不純な人間であると同様に、私が担当した仕事も不純なものが多かったようだ。

ところで……話はガラッと変わって、
戦国時代といえど、ジャイアンのように「俺は強い、だから俺が偉い!」というだけでは大名にはなれなかった。いや大名とは認めてもらえなかった。
下克上などで人様の領地を掠め取って現実に統治していても、それだけでは足りない。正当性(理にかなって正しいこと)と正統性(権威・権力の根拠)が必要だ。
前者としては前政権が悪であり我こそは正義なりと宣言することであり、後者は源氏で天皇につながる家系図が欲しい(注1)殿様 将軍から守護に任命されたとか天皇からもらう位階があれば完璧だ。位階とは正五位下とかいうあれ。
元々由緒ある一族の出ならハッピーだが、そうでないときは守護の養子になるとか、公家に貢げば家系図も位階もなんとかなる。位階とは本来は功績をあげて与えられるわけだが、いつしか位階があれば偉大とみなされた。
それができない者は傀儡をたてる(つまり自分は黒幕になる)か、周りが認めてくれるかどうかはわからないが僭称(注2)するしかない。
もっともこの権威づけってのは、日本人だけでなく欧州でも中国でも同じで、無名のものが革命で皇帝になると「吾は前王朝の○○皇帝の…」というのはお約束だったりする。
聖書ではアダムからイエスキリストまでの系図が書かれているが、どう考えても信じられません(注3)。

ところで捏造の家系図とお金でもらった位階があれば大名になれるのかといえば、なれませんよ。だってそもそも領地をもちそこを統治しているという現実がなければだめなんです。これ重要、覚えておきましょう。

またまた話がそれる。
1970年頃、「日本興業銀行(現みずほ)から借り入れできれば、財務状態がしっかりしていると認められたことになる」と言われた。それで金を借りる必要がなくても日本興業銀行に(以下略)
権威を借りた箔付けですね。現代の…いや昭和時代の位階でしょうか?
日本興業銀行は財務体質の切り口でしたが、品質の切り口でも類似のものはありました。
1990年頃、NTTは NQASエヌカス(New Quality Assurance System between first and second parties)という調達先に要求する品質保証規格がありました。これがまた厳しいという定評でした。NTTに納入するにはNQASを取得しなければなりません。しかしNTTと取引する気がなくてもこの審査を受け合格することで箔をつけようとする会社もありました。私が関わったのはそれくらいでしたけど、別業界ならまたいろいろあったと思います。まさに現代の位階です。
現在ではトヨタと取引していることが優良企業の評価になっているようですが、NQASの場合、取引していなくても箔付けになったのがミソですよ!
なおデミング賞の場合はプライズそのものですが、NQASはデミング賞と違い取引条件だったことです。
その後、ISO9001が世に広まると…非関税障壁だと海外勢から攻撃されたのだと邪推します…NTTも独自品質保証規格を止めてISO9001を採用しました。

ところで日本興業銀行と取引があるなら財務体質が良いとか、NQASの認証を受けているなら品質保証は大丈夫ということはあったのでしょうか?
ありましたよ、だって万が一間違えていたら、いつか問題が起きるでしょうし被害が出るかもしれない。だから二者監査は真剣です。これ重要、覚えておきましょう


でもってお話を戻す。
客先から要求されISO認証をしたら、なぜか取引関係もないところの評価が上がったなんてことが……あったのです。
それで欧州に輸出する予定もないし、客先から要求されていないのに、評判を上げるためにISO認証しようかって会社も現れた。いや現れたなんてもんじゃなく、雨後の筍、like mushrooms after a rain(注4)でありました。

認証業界にとってその発想はウェルカムです。だって欧州に輸出する企業や客先から認証を要求された会社だけでは、ISO認証件数が頭打ちになるのは見えています。
1995年頃、自然発生的なそういう考えを理論化して推進しようとする人が現れました。ISOの太鼓持ちの某大学教授は、これからは客先から要求される受動的認証ではなく、会社を良くするために主体的認証をすべきだと言い出しました。
😧
新しい言葉が出てきましたよ。受動的とか主体的とか、オーバーシュートとかクラスターとか、聞きなれないカタカナ語を使うのは無知蒙昧な国民をだます学者や知識人の常とう手段ではないですか!
主体的に認証するって、私には「だまして無駄金を使わせる」としか聞こえませんが……
ともかく主体的に認証しよう、ISO認証は会社を良くするという声は、正のフィードバックを引き起こし、地球温暖化ならぬISO認証の興隆をもたらしたのです。
この結果、ISO認証の目的は商取引から会社改善に代わったのです。いや認証機関を儲けさせる目的かもしれません。

ともあれISOの流行に乗り遅れないようにと認証する企業が増えてきました。
とはいえ当時日本ではISO9001は製造業のものだという認識が強かった。ところがISO先進国()イギリスでは、劇場、レストラン、商店あらゆる業種においてISO9001認証ブームが吹き荒れていました。実はイギリスではISO9001を認証していないと取引において差別される制度があったようです。当時の事情を調べようとしましたが半世紀も過ぎた今ではネットに見つかりませんでした。
イギリスのそんな状況を嘆いて「こんなISO9000はいらない」なんて本も書かれたのです(注5)
おかしな審査は日本でも同様でしたが、日本では事なかれ主義とか長い物には巻かれろという事大思想で、認証機関の横暴とか審査での理不尽が顕在化しにくかったのです。
シロクマ そしてISO9001が息切れする前にISO14001が登場しました。これは製造業だけでなく非製造業にも広めやすいと、認証制度側は喜んだでしょうね。
そしてその頃は環境保護、地球温暖化、シロクマを守れサンゴ礁を守れっていう集団ヒステリーが蔓延しました。それで大学の先生とかマスコミがISO14001は地球を救うなんて妄想を持ったのですね。それとも流行に乗って金儲けを(ゲフンゲフン)

ISO14001の意図は遵法と汚染の予防、そしてISO14001の目的はそれが継続していくための会社の仕組みつくりでした(注6)。おっと、ISO14001は認証が必要だとISO規格は述べていません。なぜってISO14001は認証されることが必須ではないからです。
もちろんISO9001だって認証が必要じゃありません。認証にも使うことができると書いてあるだけです。

蛇足ですが: 認証に使える規格はタイトルに「要求事項・standard」とあるものだけです。
規格のタイトルが「指針・guideline」とか「手引き・guidance」とあるものは認証に使えません。

とはいえ「ISO14005 環境マネジメントシステム−環境パフォーマンス評価の利用を含む環境マネジメントシステムの段階的実施の指針」なんて規格を使って認証していた認証機関もありましたね。
いつの間にか止めたようですが、どうしたのでしょうか?

でも多くのISO14001認証を目指す企業は、ISOコンサルなる新たに発生した人たちが持ち込んだ雛形を一括変換して文書記録を作り認証を取ることが目的でした。
お金に価値があるのではない

先立つものは金

価値があると思われているだけ
まあ世の中、兌換紙幣でなく不換紙幣でも価値を認められ通用しているわけで、認証そのものが価値を持って独り歩きしても罰は当たらないか?
不換紙幣は価値があると人々から見なされているから通用しています。ではISO認証は会社を良くすると見なされれば会社を良くするのか?
ISO認証したから会社が良くなるわけではなく、実際の会社の仕組みがその会社に適していて、正しく運用されてないと意味がない。そして認証を受けなくてもその効用は変わらないようです。

ところで会社を良くするってどういうことなんですか?
いやいや、良い会社ってなんですか?
良い会社とは何かと問われても、人によって思い浮かべるものは異なるでしょう。
投資家にとって良い会社の指標には、配当、株主優待、開発力、まあたくさんあるでしょう。しかし業績が青色吐息でも倒産寸前でも、売買で利ザヤを稼げるなら投資家にとって良い会社かもしれません。
従業員にとって良い会社とは、潰れないこと、賃金が高く福利厚生がしっかりしているとか、ブラック企業でないことパワハラ・セクハラがないこととかいろいろでしょう。投資家が考える良い会社とは違います。
消費者にとって良い会社、経営者にとって良い会社、行政からみて、近隣住民からみて、取引先からみて、良い会社の条件はみな違うはずです。

ではISO認証で良い会社にしようと語った大学教授は、誰から見て良い会社なのでしょうか? 教えて いやその大学教授が考える良い会社とはどんなものなのでしょうか?
卒業生を大勢採用してくれる、研究依頼をしてくれる、なにかと寄付とか便宜を図ってくれる、まあいろいろあるでしょうけど、それらの項目について指標を示して"あなたの考える"良い会社を説明してほしいです。
そしてISO認証をすると良い会社になるというなら、主張する人は認証前・認証後をその指標で良くなることを示してほしい。証拠なきものは無意味というのは世の理。

このように良い会社のイメージは人により立場によりさまざまですが、ISO認証は誰を満足させてくれるのでしょうか?
まさか、すべての人を満足させるなんてことはないでしょうけど、

どうでもいい話: 20世紀末、エクセレントカンパニーなんて話題になりました。そんな系統の本がたくさんあったと記憶しています。そのほか、寿命の長い会社が良い会社なんて説も唱えられたように思います。
私も流行に弱い人間で、そんな本を何冊も読みました。
読んでみればそのとき利益を出し成長している会社を、すばらしいと言っているだけじゃないかって思いました。
当時エクセレントカンパニーと言われた会社にも、今は消滅はしなくてもパットしない会社もあります。いやいや素晴らしいといわれた会社で、30年後の今も輝いている会社なんて1割くらいでしょう。
2000年頃、某大学院の経営学科の修士論文はそういった本にあるようなテーマ一辺倒だった。流行に乗ったというか、流行には逆らえないということでしょうね。多分5年後の経営学科の修士論文は新型コロナウイルスにおける危機管理の良かった会社なんてのの揃い踏みじゃないですかね?

ところでエクセレントカンパニーって、何がエクセレントなの?

現在ではISO認証はグローバルスタンダードで共産圏も独裁国家にも世界中に広まっています。ではISO認証で会社を良くする諸外国で言われているのでしょうか?
私が知る限り、ISOもIAFもISO認証が会社を良くするとは語っていません(注7)
ISO14001:2015の序文ではISO規格に基づく環境マネジメントシステムによって会社が得られるメリットが書いてあります(注8)。しかし認証が必要とは書いてありません。
そして序文の末尾のほうに認証することにより「この規格への適合を実証することができる」とあります(注9)
つまり規格は環境マネジメントシステムの雛形のひとつであり、これを満たせば一定レベルであるわけでしょう。しかし認証は規格に合っているかどうかを確認するだけで、認証することによって会社が良くなるわけではありません。

ともあれISO認証で会社を良くしようと言っているのは日本だけのようです。それも根拠なく語っているようなのです。気は心、鰯の頭も信心から、信じる者は救われる…足元を
ISO認証が会社を良くすると語る人は、どのような根拠で語っているのか、半日ばかり問い詰めたいと思う私です。
事実と異なることを語るのは「かたる」と書きます。騙るとは「うまいことを言ってだます」ことです。
刑法では「人を欺いて財物を交付させた者は詐欺罪(刑法246条)」とありますが、元々ISO認証が約束していないことを「できる」と語り認証を勧める人は詐欺罪にならないのでしょうか?

最後に本題とそれるが大事だと思っていることを書く。
JAB理事長の飯塚教授が語っているのを聞くと、ISO規格とかISO認証とは別物の話である。品質を良くすることも結構であるし新しい管理手法を提唱するのも良いことである。しかし現行のISO規格や認証とは無縁であることを明確にすべきだ。ISO認証と勘違いさせるのは罪ですよ。
ついでにいえばISO認証制度の中にいて、そのようなことを唱えるのはどうであろう?
昔のことだが吉澤先生はエコステージと関係が深かった。私はISO14001の中心人物である吉澤先生がそういう立ち位置ではまずいと思っていた。彼がエコステージを売り込むなら、認証機関とコンフリクトが生じないようにしなければならない。
また個人的な考えをISO規格のあるべき使い方だと主張するコンサルを見かけるが、ちょっとというか大いに違うぞと思う。世に誤解を招くような発信をすべきではない。
ISOコンサルにも職業倫理があるはずだ。客を増やすためとか売り上げのためとはいえ、やって良いことと悪いことはある。
モーゼ
神の名を語ると罰が当たるぞ

彼らは現行のISO規格やISO認証に不満がある、あるいはもっと改善したいという気持ちがあるのかもしれない。だがそれなら己が語っていることは、ISO規格やISO認証が約束していることとは異なることを明確にすべきだ。認証制度と関係あるような言い方はしちゃいけない。
旧約聖書を共有している宗教には、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教がある。だがそれらは仏教の宗派とは全く異なる別個の宗教だ。
ISO規格の位置づけ、認証の意味、それを勘違いしないでほしい、誤った情報を発信しないでほしい、そう願う。


うそ800 本日の三行まとめ
ISO規格とISO認証は別物です。
認証とは必要があるときするものです。
ISO認証は、会社を良くすることが目的ではなく、良くすると証明もされていません。



注1
「源氏」とは天皇家の出身で、代を経て皇族から離れ武家としての家を立てた一族のこと。
徳川家康も真田昌幸も源氏ですが、お互い源氏と名乗っていても親戚ではありません。もちろん代をさかのぼればそれぞれが何代目かの天皇につながります。
とはいえ徳川をはじめ戦国以降の源氏を名乗る大名の多くの家系図は捏造です。
ちなみに我が本家には敏達天皇からつながる家系図がありますが、絶対にそれは捏造です。

注2
僭称とは勝手に称号や身分を名乗ること。勝手に王を名乗る者をタイラントという。

注3
アダムからイエスキリストまでのつながりは新約聖書の最初の「マタイによる福音書」の冒頭にある。
図にするとこうなる。箔付けなのはわかるけど、冗談なのか本気なのか悩む。

注4
英語で「雨後の筍」のことを、「雨後のキノコ」っていうんですね。発想が同じで驚きです。

注5
「こんなISO9000はいらない」ジョン・セドン、日本図書刊行会、2001
原著
「In pursuit of quality: The case against ISO 9000」John Seddon、b Oak Tree Press、1997

注6
ISO14001:1996 序文 第二段落
注7
ISO/IAF共同コミュニケ
「認定された ISO 9001認証に対して期待される成果」ISO/IAF、2010
「認定された ISO 14001認証に対して期待される成果」ISO/IAF、2010
注8
ISO14001:2015 序文 0.2 環境マネジメントシステムの狙い
注9
ISO14001:2015 序文 0.5 この規格の内容


外資社員様からお便りを頂きました(2020.04.01)
いつも興味深いお話しを有難うございます。
いつも的外れな感想で済みません、お話しを拝見して日本人は「実態と名目の乖離」に寛容なのだなぁと思います。
お書きのISO認証機関が申される「認証の価値」「経営を良くする?」という名目と実態:企業側での目的や受け取り方は、当初から乖離したままで、今でも解消されていないのですよね。

歴史を振り返れば、世界に類を見ない奇妙な「鎌倉時代の北条政権」
名目上執権は「鎌倉将軍」の補佐役、鎌倉将軍は天皇から委嘱された軍事政権の長。実態は、源氏直系の将軍が絶えた後は、京都から宮将軍。これがお飾りなのは誰にも当然の認識。
実質的な権力者は北条執権、この名目は「相模守」ですから、神奈川県知事程度。
委嘱の代理が実質的な政権を担い、「御成敗式目」という法律も出して、承久の変では官軍を破り時の権力者と一族(三上皇島流し、公家の処刑)を処断しました。
世界の歴史の常識では、これは政権奪取に異ならないのですが、なぜか北条氏は相模守のままで、権力者の立場は取らず、結局 代理人の状態のまま滅びます。
これほど、異状な政権の形態は面白すぎます。
それ以降の室町将軍も、南北朝の争いで実質的な皇位決定権は持っているのに、天皇から任命される将軍の立場のまま、その後の徳川政権も天皇を規制する法律「禁中並公家諸法度」を出しながら臨時軍事政権の将軍の立場のままでした。
織田信長は、これは変だと思ったのか、天皇を廃位して実質と名目を一致させようとしたので本能寺の変になったという説もあり、とにかく日本の政権は名目と実質が乖離しているのが当たり前でした。
明治維新で、天皇制が復活して、乖離が解消されるかと思えば、法律上は天皇主権のようでありながら、元首である天皇は国会の定めに反する事は出来ず。
大正デモクラシーで変わるかと思えば、昭和初期になって軍部官僚が法律の隙間をついて、陸海軍大臣を出さないとか、統帥権干犯とか言って、政治的影響を肥大化させ、後はご存知の大敗北。結局、明治維新後も、名目と実体は一致していなかったのではと疑問をもっています。
上がそうならば、下も同じで、前の大きな会社にいた時には、名目と実体が一致していない事は一杯見ました。
高卒ながら人格能力共に優れた課長が現場をしっかりと押さえて、その上に学閥部長がいてこれが出世してゆく。何であの立派な課長が部長になって、経営者にならないのだろうと不思議に思う事は多かったです。

結局、ISOでも名目と実体が一致しなくても平気なのは、歴史的事実からみても当然なのかと思いました。
いつも竜頭蛇尾で済みません。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
おっしゃる通りです。私は日本史は中学で習っただけですが天皇が権力を持っていたのは天武天皇くらいまでではないのでしょうか。それ以降は藤原一族、平清盛など、天皇はシンボルとなってしまい実権は貴族にかすめ取られてしまいます。
天皇家だけでなく武家社会も同じです。外資社員様がおっしゃった北条氏もですが、足利氏も松永とか三好とか細川とか権力がどんどんと手渡され、誰が権力者なのかわかりません。
日本は革命が大嫌いなようですけど、クーデターは常なるできごとのようです。ただクーデターで倒すのは天皇ではなくその下の権力者ってところ不思議です。あるいは天皇は無視で実権を持っている人を倒し自分が実権を取ればよかったのか?
現政府だって権力を持っているのは政治家でなく官僚で、市役所レベルでも市長とか市議ではなく古手の管理職とかです。
おっしゃるように企業でも上級管理者は出世するために転勤が多く、実質的には筆頭課長などによきにはからえでしょう。
外資社員様から言われて気が付きましたが、確かに国政でも自治体でも企業でも権力の簒奪というか委譲が当たり前の国ですから、ISOもそうであるというのは当たり前なのですね。
ISO雑誌などでISOの担当者が「会社を動かしているのは私だ」なんて発言をよく見かけますが、あれって大言壮語ではなく案外真実のことかもしれません。いやあ〜これじゃまともな経営はありませんね。
となるとまともな企業統制を行うには日本の文化を払拭しないとだめなのでしょうか?
ますます見通しが暗いです。


外資社員様からお便りを頂きました(2020.04.03)
コメント有難うございます。
旧軍の暴走は、陸海軍内部の下剋上だと思います。
結局、これを招いたのも、名目と実態の不一致の放置。
大正軍縮は、数少ない統制の成功例と思います。
その流れで「統制派」と呼ばれる官僚が何とか出来そうな雰囲気がありましたが、相沢事件、226事件、515事件などで自称「皇統派」なる、下剋上容認派が主流となり、あとはご存知の通り。

結局、日本型組織は、名目と実態の不一致の方が良いのか?
良い点もあり、天皇制は、名目上のTOPが変わらなくて、その下が変わる。
仰る通り、クーデターにより政体や権力の主体は変わるが、中国や欧州の王朝交代や革命のように、上から下までドンガラの大混乱が起きず、名目上の上が変わらないから、心理的な安心感があり、名目上のTOPの承認により正当性が出来るから、短時間で安定した政権が確立出来ます。
ならば、会社組織ならば、株主を名目上のTOPにして、後は内部抗争というのが、今の日本の会社なのかもしれません。

>ISO雑誌などでISOの担当者が「会社を動かしているのは私だ」
これは実態の無い、思い込みでしょうか(笑)

外資社員様 毎度ありがとうございます。
会社でも一般社会でも日本では周りと協調が重要視され、個人の能力より調整能力が重要視されます。私のマンションでも毎年理事が交代しますが、みな遠慮しあって逆トーナメントで負けた人が理事長になります。
最近「私が理事長になります」という人が現れ、住人一同「ぜひお願いします」となりましたが、皆から引かれています。実は私もそういう人苦手です。
国民性なのかどうかわかりませんが、マンションの活動で「私が決めましたから従え」という独裁者より「どうしましょうかね」とコーディネータータイプのほうが好まれるのは事実です。
今回の感染症流行のようなときは独裁者タイプのほうが粛々と進むのかもしれませんが、中国はともかくアメリカでもイタリアでも民主主義国はみな意見が異なり紆余曲折が続いています。日本も非協力的というよりも存在意義を主張する国民無視の野党ばかりです。まだ非常時ではないということですかね?
独裁者とか英雄が現れるのは非常時だけという説もあり、ならば協調タイプで国が動いている状況が良いのかもしれません。

ISO担当者の発言ですが……
ご賛同いただき私が異常でないことを確認して安心いたしました。
生涯一平社員が考えたことより、経営者の考えが信頼性があります。


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