20.04.02
うそ800始末とは
振り返れば、「うそ800」を書き始めたのはもう19年も前のこと、当時私はもちろん現役で、ISO審査員とチャンチャンバラバラしていました。
お相手はあまりにもアホというか非論理的で不勉強な審査員ばかり、現状逃避ではありませんが、そのうっぷん晴らしに書き始めたのがこのうそ800の始まり。おっと、うっぷん晴らしといっても批判、非難ではなく建設的な正論であったと確信しております。
さて19も年の間この「うそ800」に1500ものコンテンツも書いてきましたから、言いたいことは言い切ったと思います。しかしいくら是正を叫んでも当事者が是正もできないなら、反省を呼びかける言葉を発するのも馬鹿らしくなります。私にとってISO認証は四半世紀も付き合ってきた悪友(?)ですが、もう見切ってさよならすべきでしょう。
ということで古希となったのを記念して、ISO語りを卒業しようと思っております。まだ「決心した」といわないところが私の執着というか未練でしょうか〜?
ともかくヤーメタというだけで終わるのもチョットと思いました。今までさんざんISO認証制度の棚卸しをしてきましたが、最後はその総括をしようと考えております。
はたしてどうなりますことやら……
本日は人間誰にでも守るべきものがあるだろう。別に感染症が流行したら家族のためにマスクを街中探すとか、日本が侵略されたら愛する人を守るために戦うなんて極端なことではない。
本日は矜持を考える。
矜持とは誇りのこと。誇りといってもいろいろな意味合いがあるが、矜持とは自分の仕事や能力へのプライドかな。そして矜持を持つ人が尊敬されるんじゃないかと思います。
タイトルが職業倫理とあって、どう矜持と関係するんだって?
能力があり職業倫理を守るから誇りを持つと思うんですよ。
ISO審査が始まった時期に私が対応した審査員は、船級検査
(注1) をしていたとか、砂漠で石油プラントの品質監査をしていたなんて人ばかりだった。一旦出かけると帰宅するのは数か月後とか聞いた。
だいぶ前、アルジェリアで日揮の人たちが殺害されたテロ事件があった
(注2) 。私の友人のひとりは元そこに勤めていて犠牲者の幾人かは知り合いだという。
ISO審査員になった方々もそんなところで審査していたのかと想像する。
そんな人たちが審査していた1990年代初頭は、審査が終わると接待されるのは当然と考えていた。
一般企業でも、立会検査などで他社を訪問すると接待されるときもあるが、出張が一日であろうと1週間いようと接待は普通1回だろう。出張期間中、毎晩々々接待なんて聞いたことがない。
ところがISO審査員は夕方終了間際になると「今日も昨日のとこですか?」なんて言う。私の上長は最初それを聞いたとき、審査員の言ったことが理解できなかった。これを読んでも分からない方もいるだろう。審査が三日かかれば三日間接待されると思っていたということだ。
当時は審査の間隔は半年でしょっちゅう審査があり毎回来る審査員は異なったが、そういうところは変わらなかった。もちろん中には「接待はいりません。ホテルでゆっくりしたい」と語る方もいたが、接待はあるものと思っていた。
要求されたのは接待だけでなく、お土産もあったし、大きな声で言えないことを求められたこともある。
昔のことだといえばそうだが、当時だって常識ってのはあったのだ。
それに接待を受けることはあっても、取引金額が多かろうと接待してほしいと要求する人はいないだろう。当時私は他社に出張することはめったになかったが、数千万のNC機械の受け入れに行ったときに、接待してほしいとかお土産に地元の銘酒がほしいなんて思いもしなかった。おっとそのときは接待もお土産もなかった。
ISO審査と似たようなものにUL認定がある。UL認定というのは昔からあり、私が関わったのは1970年頃からだ。ULの審査は事前通知がなくエンジニアが突然現れて、製造現場とか倉庫そして種々の記録を見て去っていく。
彼らから接待とかお土産を要求されたことは一度もない。駅に着いたから迎えに来いと言われたこともない。タクシーで来て、タクシー代も彼らが払った。清廉潔白である。
1995年頃からISO審査員の質が変わったと思う。その頃から一般企業からISO審査員に転身した人が現れたようだ。
彼らも元管理職クラスでもてなされることに慣れているようで、宴席のことを話すと拒否されたことは一度もない。もちろんお土産もしっかりと…
20世紀末になると、企業担当者がそれはおかしいのではないかと声を上げるようになった。そもそも商取引において売り手が買い手を接待することはあっても、売り手が接待されることはよほどのことがなければない。それが常識だ。
まあ認証機関はお金をもらって審査というサービスを提供する業者のわけだが、元々は顧客の代理人を自称していた。俺たちは単なる業者じゃない、審査を依頼した企業(顧客)に成り代わって審査をしてやるのだという認識だったのだろう。そうでなければお金をもらう方が態度が大きいのが理解できない。
ともかくそういう考えはおかしいぞ、審査に来るときお土産も持たずに来て、お土産が欲しいなんて盗人猛々しい……いやそんなことは言いませんよ……お互い対等な商取引において一方が接待やお土産を要求するのはおかしいよね!と考えた人は多かった。それは至極まっとうでございましょう。
ISO審査で高級な牛肉を食べたいといったり、帰り際有名な地酒が欲しいといわれたり、2000年頃から結構 新聞に載りましたね。そういうゆすりたかりをした中には、某認証機関の取締役もいたようです。
自前では食べられなかったのでしょうか。
嘘だと思うなら朝日新聞なら知恵蔵、読売新聞なら読売オンラインで過去の記事を検索すればあっという間に10件くらい見つかります。私は突込みに備えて裏はとっております。
私自身も「御社の前に審査した会社では昼にステーキが出たんだよ」なんてしゃあしゃあと言われたことがあります。どう答えたら良かったのでしょうか? 私は田舎者で分かりません。
ともかくそんなゆすりたかりは2003年頃に認証機関が自粛というか、行動指針を定めたようで、だんだんと恥ずかしい行為は見かけなくなりました。それどころか極端に行き過ぎて昼飯持参の認証機関も現れました。
とはいえお土産をたかるのは悪いことと理解したようですが、審査終了後に駅に行く前に地元の名産の店に寄ってほしいなんて語る審査員は後を絶たず……それはOKですか?
第一世代を肉食動物とすると、この第二世代は草食動物のように思えた。草食動物が優しいとか遵法精神があるというわけではない。
肉食動物である第一世代の審査員は、「タカリが悪い」と言われたら「それがどうした」と返すような雰囲気だったが、草食動物の第二世代は「タカリが悪い」といわれるとコソコソしていたという意味だ。
おっと弁当持ちの審査員は第三世代というのかな?
当たり前ですが商取引は対等の関係です。私が現場監督(下級管理者)だったとき部品不良が出たら選別に来てもらったりしましたが、そういうときはしっかりした作業台とか休憩所、喫煙場所、お昼ご飯の手配などしたものです。不良を出したのが悪いと責めるとか、しっかりした場所も確保せずに選別や手直しをしろというのは人権無視のあるまじき行為だ、そう先輩に教えられました。
もちろん私も客先に不良を出したこともありますが、訪問して選別や手直しする作業場所とか休憩所の確保などをお願いして当然対応してもらいました。それが当たり前でしょう。相田みつをではありませんが、
にんげんだもの 。
売り手でも買い手でも不具合を手直しに来た下請けであろうと、社外のお客様が来られたら、お昼のお弁当と休憩時のお茶くらいは用意するのが社会人の常識ではないですか。
そしてよそ様にお邪魔して「接待だ!」「 お土産だ!」というのは、犯罪でなくても非常識でしょう。
と長々書いてきましたが、非常識なことをした審査員もいたということです。
でも私がここで問題にしたいのはそういうことじゃないんですよ。
じゃあ、「お前は何を言いたいんだ」とお叱りを受けるかもしれません。
私の言いたいことは、人間なら誰でもお土産が欲しいとか名物が食べたいのは当たり前、せっかくの機会だからと訪問先にお願いしてもいいと思いますよ。
孔子じゃないですけど矩を踰えなければね。
ただ絶対許せないということもあります。本日はそれを問題提起します。
それは審査における審査基準、考え方、それは絶対に間違えないでほしいということです。
そしてその基本となるのは、個人的特質です。
自分の規格解釈以外は間違いと決めつける。自分の考えが絶対正しいと信じて他人の反論を聞かない。己の間違いは絶対に認めない。間違いを指摘されたら不機嫌になる、切れる。そういう審査員は2000年以降増えてきたように思う。
冒頭に申しました船舶やプラントを審査していたような人たちは、空気を読むというわけじゃないですが、重要性を認識していて些細なことは見つけても我々が対応中なら問題にせず、審査員の勘違いを指摘されたらすぐに修正し機嫌を悪くするなんてことはなかった。要するに本来の仕事である審査においては厳格で公明正大だった。大人の対応というのでしょうか。
だから我々も表も裏もなく裸の王様の子供のように、言いたいことをいい、こちらが間違っていれば我々が改め、向こうが間違っていれば改めてもらうのが当然と考えていた。
まさに過ちて改めざる、是れを過ちと謂うと、ISO審査は論語そのままです。
時代が下ると、変にプライドが高い審査員が多くなり、言ったことは取り消さない、自分の解釈は変えない、指摘されたら機嫌を悪くする……一旦発言したら取り消さない、そういう審査員が多くなったように思います。審査員の地位が向上したのでしょうか。でも審査の質は低下したようです。
こちらが反論すると「これは議論の場ではない。決定するのは私だ」なんて見得を切る方が多いですね。歌舞伎なら大向こうから声がかかりますが、審査では異議申し立てされるかもしれませんよ。
審査員は個人で仕事をしているわけじゃありません。認証機関の看板を背負っているのです。あなたのミスは認証機関のミスなのです。言うじゃありませんか、
「組織の管理下で働く人々が次の事項に関して認識を持つことを確実にしなければならない(ISO14001:2015 7.3)」
私はジャイアンのように無茶苦茶なことを求めてはいません。
私が期待するのは次のような審査員です。
審査員は倫理的でなければなりません。
公正で誠実、正直、分別があること。
審査員は心が広くなければなりません。
別の考え方を否定してしまわない、視点を変えて考えることができること。
外交的であること。
審査は審査員だけではできません。審査を受ける人との共同作業です。
ウェディングケーキを切るのは夫婦の最初の共同作業です……関係ありません。
観察力がなければなりません。
小学校の先生の必須能力は目ざといことだそうです。
審査員は先生と呼ばれていますから同じ力量が必要でしょう。
適応性が必要です。
状況は変われば計画していたスケジュールに拘らず最善、次善の策をとれること。予定通り進まないと機嫌が悪くなられても会社は困ってしまいます。
粘り強いこと。
希望した書類が出てくるのに時間がかかっても頭に来てはいけません。あなたはそれで飯を食っているのです。
決断力があること。
YesかNoか、論理的な思考と分析で決定できること。
自律的であること。
先輩審査員の解釈とか認証機関の統一見解なるものは正しいのか? 間違いならそれに囚われずしっかり仕事をしてください。
前回来た審査員が誤った判断をしたのを見つけたら即訂正してください。いったん判断を誤ると、それ以降 前例を是としてします認証機関も(以下略)
不屈の精神がある。
意見の相違があるとき、対立が起きたとき、それを乗り越えて仕事を達することができること。
異文化に対して敏感で尊重する。
すべての企業は固有の文化があります。審査員が育った文化と異なるからと否定してはだめです。真理はひとつかもしれませんが、組織によって最適解は異なることもあるのです。
協力的なこと。
初めっから企業を疑いの目で見ている審査員もいますね。笑っちゃいますよ。
実はこれは私の意見ではありません。ISO19001:2018「マネジメントシステム監査のための指針」に書いてあります。まさか審査員であらせられるあなた様が読んだことがないとは言わせません。論語とISO19011の語っていることは同じです。
私はこれを満たす審査員であれば、接待とかお土産くらい惜しくはありません。どうぞ要求してください、ご自身のお仕事に自信があれば。
えっ!あなたはこんなことすべてクリアしているって
?
ホントかなあ〜
私は過去上記を満たさない数多くの審査員とチャンチャンバラバラしてきました。1990年代初頭を除き、上記を満たした審査員は1割程度ではないかと思います。
審査員が間違えたことを語るから、ISOTC委員に問い合わせて確認し、審査員が間違えてますよと教えてやったら怒り狂った審査員がいました。
「UKASが言っている」というから、UKASに問い合わせ「そんなことを言ってない」という回答をもらって説明したら「俺の言うのが絶対だ」と誤りを認めなかった審査員もいました。それなら「UKASは語っていないが、俺が言うのが正しい」と言わないと虚偽の説明といいませんか?
どうでもいい話:
「JABNS511:2017 マネジメントシステム認証に関する基本的な考え方−故意に虚偽説明を行っていた事実が判明した認証組織に対する処置−」というのがあります。
これは審査で嘘をついた企業に対する処置を決めたJABの規定です。
ぜひとも「マネジメントシステム認証に関する基本的な考え方−故意に虚偽説明を行っていた事実が判明した認証機関に対する処置−」という規定を作ってほしいものです。
認証組織 と認証機関 の違いワカリマスカ?
えっ! 認定 機関の規定も必要だって?
前回の審査で出された不適合をすべて適合だと説明して拒否したら、次の審査で目を三角にしていた審査員もいました。そっちがその気なら返り討ちにしてやるぞ。いや、虚心坦懐でなければ、
ご自身が勤めていた会社と違う手順の業務を直せ!直せ!と迫ってきた審査員、このタイプは多いですね。
ISOの用語と社内の用語が違うからISOに合わせろと、聞く耳持たない耳なし芳一じゃなかった耳なし審査員、
古い記録を外出して貸倉庫に取りに行ったら遅い!と怒り狂った審査員、
ISO規格では「記録は即座に検索できる方法によって保管すること
(注3) 」であり、「即座に取り出せることじゃないのですが?
本日のまとめ
接待を要求せず、お土産を求めなくても、心が狭く観察力もなく協力的でない審査員は、叩き出します。
そういう審査員はただじゃおきません。
それがなにか?
注1
船の場合は製造から完成まで規格基準を守って作られたかを確認し、合格した船なら保険会社が引き受けるという制度が18世紀につくられた。
船を「良い・普通・悪い」とクラス分け(classify)することから船級(ship's class)と呼ばれるようになった。
船級検査をする会社はロイドとかビュローベリタスとかデット・ノルスケとか日本海事検定とかありますが、おおそれってみなISO認証機関で見かけるお名前ではないか。
もちろんISO認証機関は元船級検査会社ばかりではない。法に基づく試験・検査をしていた財団法人系もあり、業界団体が設立した業界団体系もある。船級検査からの認証機関を老舗と呼ぶ。
注2
アルジェリア人質事件と言われ、2013年におきたイスラム武装集団によるテロ事件。
犠牲者総数は37人で、内10人は日本人だった。
注3
記録の管理についての要求は版によって変遷があったが、ISO9001:1987の「4.16品質記録」では
「Quality record shall be stored and maintained in such a way that they are readily retrievable in facilities.」 とあった。
この文章は
「品質記録は、即座に検索できる方法によって保管し維持する」 と訳されていた。
日本語訳も英文と違うように思うが、いずれにしても「即座に」は「即座にありかがわかること」で「即座にアクセスできる」という意味にはとれないだろう。
最初に来たイギリス人の審査員の話では「どこに記録があるか分かることで、取り出す時間は指定されていない」とのことであった。
電子データになる前の時代は、法律で定める保管期間が長期の書類は事務所に置ききれず、行くのに1時間くらい離れた貸倉庫に保管しているなんて良くあることだった。
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