私はいつもISO審査員の棚卸をしている。
棚卸って在庫を数えることじゃないよ、人や物の欠点をあげつらえることだよ。
ともかく私はいつも審査員の悪口を語っているから、ISO審査員はすべて悪人で、企業担当者は善人とおもっているのか?
そんなことはない。ISO審査員には良い審査員と悪い審査員がいて、企業担当者にも良い担当者と悪い担当者がいるというだけだ。
悪い企業担当者というのは横領とか記録を改ざんする人だけでなく、他人が悪いことをするのを黙認したりなすべきことをなさない人も含まれる。それも積極的にではなく、反論できる雰囲気でなかったとか、気が付かなかったとか、つい言いそびれたとかいうのも、ひとしく悪なのだ。それも犯罪なのかといわれると
我々は悪人になってはいけない。
本日は、企業のISO担当者よ、権力や権威に怯むな、強いものに巻かれるな、腹ふくるるなんて言わずに言いたいことを言え、信じることを主張せよ。正義を貫かないこと、不実を黙認すること、そういうことは罪なのだ、そういう主張する。
私はおしゃべりである。そしておしゃべりであるだけでなく、言いたい放題、遠慮知らずであり空気を読むなんてことができない。それは子供の時からだ。会社に入ってからもそれは変わらなかった。老人になった今も変わっていない。
小学校の理科だったと思うけど、卵と油を酢を混ぜると混ざり合うかどうか実験をした。実験のあとに先生が「さあ、どんなふうになりましたか」と問うわけです。他の子供たちは教科書に書いてある通り乳化したというわけですが、私は「混ざらずに上下に分かれました」と言ったわけです。だって本当なんだモーン。
昔々、ガリレオがピサの斜塔から大きな重い球と小さな球を落とした。二つは同時に地面に落下した。しかしそれをみて多くの学者は「私は自分の目よりアリストテレスを信じる」と語ったそうな……というのは後世の人が作ったお話です。
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まあ教科書に書いてあることは間違いじゃなく乳化するんでしょう。だけど自分の目で二層に分かれているなら「混ざらず上下に分かれました」と答えるのは正しいんじゃないでしょうか。
教科書よりも先生の言葉よりも、自分の目を信じるのが大事じゃないですかね?
有名なキャスターが語ろうと、大学教授が語ろうと、真実とは限りません。あなたの首の上についているのはカボチャやメロンじゃないはずです。
高校のとき、先生が機械計算の式を間違えていたから、「先生それは間違いです。これこれこうなって……」と遠慮せずにしゃあしゃあと語りました。そんなことをたびたびしたので好まれませんでした。骨のある先生は私の成績を悪くしました。私もそんなことにはめげずに行いを変えませんでした。
会社員になってからも同じです。生産ラインの監督だったときのこと、生産計画が変わりA製品からB製品に切り替えるとなりました。私はそんなこと知りませんから生産継続です。その結果、大問題です。査問ですよ!
査問というのは世間なら裁判、軍隊なら軍法会議、その結果は有罪か無罪かってなります。会社ですから有罪でも銃殺にはならず、最悪懲戒解雇でしょう。
原因は上司が生産計画変更を私に知らせなかったのです。その場合の教科書通りの回答は、「上司より生産変更の指示がありましたが、展開するのに時間がかかり遅れました」と言うらしいです。つまりうそをついて上司に責任を負わせず自分が悪者になれば、上の覚えめでたくそんなに悪い処分は受けないらしい。
残念ながら、そんな勧進帳など読めません。私は10歳の子供と同じですから。私は「変更通知がありませんでしたので計画通り生産してました」と陳述しました。私の価値観ではそうなります。その結果、その場は無罪でしたけど、その後ずっと上司にいじめられました。それでだいぶ気を病みました。まあその上司もとうに死にました、きっと罰が当たったんでしょう。
マンションの役員がおかしなことをしたら、総会で徹底的に追求します。もういいだろうなんてナアナアの大人の理屈なんて私には理解不能です。
とまあそんな人生を送ってきましたんで、上からは嫌われました。でもなぜか下からは良く思われました。
人生楽ありゃ苦もあるさ〜♪、人生涙と笑顔あり〜♪
そんなことありません。
人生苦もありゃ次も苦だ〜♪、人生涙と泣き顔だ〜♪
じゃないですか。
ISO審査で審査員の判定がおかしいときもありました。というかほとんど毎回あったのですがね。担当であった私は、納得できないものは断固拒否!という考えでしたけど、部長が「審査員も遠くから来てくれたわけだから、受け入れてやれ」なんて言います。
オカシーダロー? なんで遠くから来たら間違いが通るんですか? 今度は部長とけんかをしました。
でもそんなことが何度あっても私は学ばないんですよね。自分が考える正義が通らなければ抗議します。証拠があるならひるみません。事実と違うことを証言してくれと頼まれても従いません。
もちろん己の間違いに気づけはそれを認めることは吝かじゃありません。
おっと、この性格は監査業務に最適じゃありませんか。
よくわからん、具体的にどんなこと?
そうおっしゃるあなた! そいじゃ事例をいくつか挙げましょう。
「御社では有益な環境側面を取り上げていませんね」
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「取り上げる以前に、規格には有益な環境側面という言葉はありません」
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「規格で……ええっと、6.1.2環境側面の注記に著しい環境側面は、有害な環境影響又は有益な環境影響とあるでしょう」
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「ちょっと待ってください、そこに書いてあるのは有益な環境影響ですよね? 有益な環境側面ではありません」
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「有益な環境影響は有益な環境側面と同じことです」
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「ああ、そうなんですか」
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「御社では環境方針をカードにして配布していませんね」
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「方針カードを社員に配らないとだめなのでしょうか?」
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「社員だけではなくパートの方や所内で働く人にも必要ですね」
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「そうかあ〜、作成したり配ったりカードに名前を記入させたり…大変だなあ〜」
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「これは私の見解じゃないんです。UKASが通知を出しているのです」
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「ユーカスってなんですか?」
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「ご存じない! ISOの審査を受けるならご存じかと思っていました。 ええと御社は日本の認定だけでなくイギリスの認定も申請していましたね。UKASとはイギリスの認定機関です。イギリスのUKASはISO認証に際してISO規格だけでなく、独自の要求を追加しているのです」 | |
「ああ、そうなんですか〜不勉強でした。 わかりました。その審査員さんのおっしゃる通知とは、ユーカスがいつ出した何というタイトルなのか教えてください」 | |
「実は……私も知らないのです」
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「それじゃあとで教えていただけたら対応します」
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「あなたねえ〜、今すぐ要求事項を満たさなくちゃ不適合ですよ」
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「そういわれましてもね、出典と根拠を確認しないで問題が起きては困りますからね」
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「弊○○認証機関はこう考えています」
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「なるほど、その御社のお考えを記したものを配布していただけませんか」
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「弊○○認証機関の統一見解は門外不出なのです」
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「ええと、この審査は御社と取り交わした審査契約書に基づいているわけですが、その契約書ではISO14001の2015年版に基づくとあり、その他には登録マークと認定シンボルの使い方、登録証の使用方法などを根拠にすると書いてありますが……御社の統一見解という記載はありませんね。 お互いの認識を一致させないとなりませんから、その統一見解書というものを出していただかないとこの審査は契約違反ということになりますかね」 |
「おお、これは素晴らしい計画書ですね。一部コピーいただけませんか」
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「コンフィデンシャルですからお渡しできません」
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まとめです。
企業担当者は仕事に対して全身全霊であたり、誤謬や見逃しをしてはならない。取引相手(含 ISO審査員)の発言を不用意に受け取ることは危険極まりない。常に出典、証拠を確認し、不確実なことを信じて業務を行ってはならない。
あなたは己のした行為、しなかった行為について責任を負うのです。
「われは我が咎(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」
おっとっと、この文章 夏目漱石が考えたんじゃありません。旧約聖書の詩篇です。
己の職責を達せなければ、あなたはその罪を負わなければなりません。
裏を取る習慣がなければISO担当なんてしちゃいけませんて、
本日のひとこと
昔「なぜか笑介」ってマンガがありました。その中で主人公が「あと1割の努力」って言うんですよ。いつも一生懸命頑張っているつもりだけど、あのとき本当に最善を尽くしたのだろうか? もう少し努力できたのではないだろうか。あと1割の努力をすれば良かったのではなかったのかと、笑介は常に振り返る。
後悔しないためには常に全力投球するしかない。全力投球しなければならない。そう思います。
おばQさま コロナ騒ぎの中でも、変わらぬ平常運転。 性根の座った方は素晴らしいです。 いつもながらの本旨と違うツッコミで済みません。 >私は10歳の子供と同じですから。私は「変更通知がありませんでしたので計画通り生産してました」と陳述 私にも同様な覚え:「会社として正しいと行動した事が上司はカンカン」がありました。 私は何度も、会社の為が良い事がと考え、同じ問題をおこして、結局会社を辞めました。 ここで言う「教科書通り」の回答「上司より生産変更の指示がありましたが、展開するのに時間がかかり遅れました」があるという事は、その教科書が何かが、私にとって大会社勤めの中の不思議でもあり、長年の宿題でした。 おばQさまと私が違う会社で、多少の時間の前後があっても、理解出来るという事は、少なくとも日本の会社や組織に共通の見えない「教科書」があるのだと思います。 偉いもので、同じ疑問をもった大先達はいるもので、山本七平が「日本教」として読み解いてくれております。 日本教の説明は簡単ではありませんが、この事例に当てはめるならば「自分の周囲の集団(上司とのその周り)の利益が、より大きな組織、社会(この場合は会社の利益)に優先する」という事なのだと思います。 株式会社の定義は、株主からお金を預かり、それを運用して利益を配分する事にあると思います。 だとすると、上記のような問題で、「私がおかしいというならば、株主の前ではっきりさせよう」と、もし言ったら、恐らく日本型組織の中では「自分の配慮不足を責任転嫁して、株主総会で会社の恥をさらす馬鹿」だと指弾されるのだと思います。 日本では社内通報制度なども出来ましたが、パワハラ・セクハラのような社会規範に照らしても害悪な事ですら、第三者に通報すると「会社の恥をさらした」と非難されています。 本旨に話しを近づけると、ISO審査も同様で、「ISO審査にかかわる人々」に対して、より上位の概念、会社の利益や品質向上という、ある意味当然の価値観を持ち出しても「ISO審査にかかわる人々」の利益が損なわれるならば受け入れられないのでしょうね。 このISO審査にかかわる人々は、審査機関だけでなく、会社内部の担当者も含まれるから面倒です。 彼らはサービスを受ける側でありながら、なぜか社外の審査機関側に立っていると、事態を悪化させます。 なぜ、そうなるか考えた事がありますが、想像するに「ISO審査が難しくて大変なのだ」と社内に向けて言った方が、自分の仕事の重要度が上がると考えるからなのでしょうね。 本来は、その上司が、そのような事も含めて判断すべきなのでしょうが、「ISO規格がぁ」と膨大な規格や資料を持ち出されると、突っ込めないのか、それとも自分も退職後はお世話になると思っているのか不明なのですが。 それを排除するのは、おばQさまが仰るように、審査機関もISOに基づいた評価や情報開示をすべきなのだと思います。 手元に規格書が無いのでうる覚えですが、ISO17025では、「顧客満足度を評価できる仕組みを持っている」が要求になっていたと思います。 そういう意味では、審査機関も、同様に「顧客満足度を評価できる仕組み」を持っているはずで、他社よりも優れているというならば、当然に顧客満足度を公開すべきだと思いました。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 山本七平!懐かしいですね。私は1970年代、彼の著作に凝りました。日本教もわかります。 ただ外資社員様がおっしゃるように「自分の周囲の集団(上司とのその周り)の利益が、より大きな組織、社会(この場合は会社の利益)に優先する」とは違うように思います。 日本教徒はそのような積極的な発想ではなく、単に臭い物に蓋をとか、全体の利益を大きくするのではなく全体の不利益を小さくしようとしているのではないかと思います。要するに小姑根性で姑息な視点しか持たないのではないかと、私は相当ひねくれていますね。 ISO規格の思想で行けば、そういう非論理的思考を払拭できそうに思いますが、そもそも各認証機関のトップはどこからかの天下り・横流れで、日本教徒の司祭どころか枢機卿レベルですから、空気を読む、空気を尊重するという思想に染まりきっているのだと思います。 池井戸潤の小説がサラリーマンにもてはやされていますが、それは現実にはできないからこその、憧れ、憂さ晴らしではないのかと思います。昔からサラリーマンものとか、トレンディドラマとか流行ったものはありましたが、それは現実には存在せず夢に描いていたものなのだろうと思います。 己を捨てて果し合いに際しては鞘を捨てて戦う意気地なんてないでしょうね。そういう私もいやだいやだと思いながら働いていたわけで、大きなことは言えません。 認証機関の評価、顧客満足度の算出と公表はぜひともお願いしたいです。顧客(企業)がそれを見て業者(認証機関)を選択するという状況になるといいなと思います。 実際に運用するには難しいというなら、アメリカの格付機関であるムーディーズなどに認定機関・認証機関・認証を受けている企業がお金を出し合い委託するというのもありますね。 そうなったらいいなあ〜 |