うそ800始末29.審査員になりたいか

20.06.18

本日は、私がISO審査員になりたかったこととか、それがどのように変わったかなんて思い出を書く。特段意味のない他愛のない昔話である。
とはいえ、審査員になりたいとお考えの人には参考になるかもしれない。ならない可能性のほうが大ではある。
少なくても私がISO第三者認証制度や審査員に、なぜこのような印象を持ったのかはご理解いただけるだろう。


私が製造現場でミスをして遠島を申し渡され流された先は、品質保証であった。1990年頃の品質保証部門は華々しいところではなかった……今もだろうけど。
そこは第一線を退いた人が定年までの老後を過ごすところ。いや業務経験が豊富でなければ務まらない仕事と言っておく。私はそのとき40歳少々だったから、そこに行くには少し早すぎた。
周りにはやる気がギラギラという人はいなかったが、私は後がない状況だったから、一刻も早く品質保証で一人前になろうと頑張った。

そこで客先の品質監査の対応とか、自分が下請けに行って品質監査する、そんなことをしてきた。もちろん監査だけしたわけではない。私自身も社内規則の制定や維持、品質管理部門の不良対策の支援などいろいろしていて、それに付随する作業としてわずかに品質監査をしたりされたりしていた。
客先から品質監査に来た人も品質監査ばかりするのではなく、本職は受入検査とか品質保証全般とか、部品の信頼性試験が本職なんて人ばかりだった。
だから品質監査の専業になりたいと思うはずがない。


1992年頃、ISO第三者認証制度というものに関わることなった。審査にやってきたのは60を過ぎた赤い顔をしたイギリス人のおっさんで、審査に来たのではなく日本の観光に来たという。もちろん冗談だったのだろうけど、
油井やぐら そのときISO審査員になりたいなんて思うはずがない。私から見た審査員は、ものすごく修業を積んだ専門家・学識者でないとなれないお仕事にみえた。
翌年から審査に来た審査員たちは日本人だったけど、みな砂漠の中の石油採掘現場とか大規模な化学プラントの審査などをしていたとおっしゃるジイサン達ばかりだった。これまた恐れ多く、近づきがたい。
1994年頃、私の上長が会社を辞めてISO審査員になった。
へえ、こんな田舎町の工場の管理職でも審査員になれるんだと驚いた。後で聞いたが、英語の読み・書き・会話が大変らしい。英語が使いこなせないと審査員になれないなら、私は出発点に立つこともできない。


そのころ、私は計器管理室の管理者もしていた。コスト低減、主に標準機を廃止したかったから、社内で校正していたものを外注にしようといくつか校正会社を呼んで話を聞いた。
当時はISO9001の認証が急激に立ち上がっていた時で、今までちゃんと校正していなかった会社がISO対応にしようとしているのでどこも商売繁盛だという。世間の景気もバブル最後の頃で、まだいけいけどんどんという雰囲気だった。
その中の一社が校正だけでなく、ISO審査員の人材派遣を始めたという。人材派遣なのか業務委託なのか詳細はわからないが、社員に審査員講習を受けさせて、一人一日いくらで審査に行かせるのだという。ISO認証が広まれば審査員派遣を、会社の事業のひとつにするという。
それを聞いて、ISO審査員というお仕事も、そう高度な仕事でないようだと感じた。そして今はともかく、将来的には派遣や下請けになるのだろうと思った。

その後、ISO審査に来た審査員からISO審査員になる方法も聞いた。それは大して難しくないようだ。
ただ審査員として雇われるのは難しいという。審査員の話では、財団法人系は企業からの出向がほとんどで、それも賃金は企業負担が多いとか、業界団体設立の認証機関は行先のない上級管理職のために設立されたとか聞かされた。要するに人を出す会社と受け入れる認証機関で話がついてないと、審査員になれないわけだ。
そんなことを聞いて、そのときは審査員は高給で良い仕事だが、ゆくゆく人材派遣とか業務委託になれば、賃金はそうとう低下するだろうと思った。

私は元々は現場にいて、外注や下請けにいって作業指導をしていた。行けば状況を眺めて、人件費、固定費、出来高から下請けの損益などを探るのは当然だ。だから認証ビジネスの費用構造も損益も想像ついた。認証機関というものは、ビジネスとしてあまり魅力のあるものではない。こういう労働集約型のサービス業は人件費管理が最重要というかそれしかない。当時、1990年半ばのように、一日の審査費用として15万も取れば大儲けだろうが、すぐに半値になるだろうと推測した。
なにごとも需要と供給で価格は決まる。1993年頃の審査を申し込み予約金を払っても10か月待ちなんてのは今は昔、1996年頃になると活動している認証機関も増えてきて、企業に売り込みにも来る状態である。
供給が増え競争状態になれば、提供するサービスが同一なのだからすぐにコスト競争になる。それに対応するために審査員の賃金の見直し、稼働率向上、移動時間の扱い、要するにこき使うこと、そして下請け化して賃金を安くするしか手はない。もちろん固定費も減らさないとならず、事務所がクィーンズタワーとか丸の内なんてのはもってのほか。
ともかくこの時代は審査員になりたいという気持ちは失せてしまった。


1997年からISO14001の審査が始まった。ISO9001の審査はだいぶ経験を積んだが、14001は違うと感じることがいろいろとあった。ISO9001の審査員はお土産とか飲み食いを強請るということは多々あった。しかし規格解釈で審査員オリジナルとか偏った考えを押し付けられたという経験はない。もちろん工場に来たとたんに、守衛所でISO認証活動について質問したなんてのは冗談ではなく本当にあったが、審査でオリジナル解釈とかユニーク基準を持ち出してトラブルになったという経験はない。

ISO14001の審査で、まず驚いたのはオープニングである。オープニングミーティングでISO14001で会社を良くしようとか、御社を良くするために来たなんて語る審査員がいた。審査員の1割2割ではなく8割9割がそういうことを語る。
プレゼンテーション そして審査員のプライドがすごい。ISO9001のとき、私が審査員はすごい人たちだと思ったのは、私自身が思ったに過ぎない。しかし当時のISO14001審査員は、オレはすごいんだというオーラ(?)を、もうまぶしいくらいに発散していた。
具体的にはオープニングで審査員が語る話を多くの人に聞いてほしいとか、出席者が少ないからと人が集まるまで「講演」を始めない審査員もいた。
なにかがおかしい

審査になると、これはISO規格じゃないだろうと叫びたくなるような、良く言えば自由奔放、悪く言えば活殺自在、規格の文言を自分好きに解釈して、不適合をじゃんじゃん出すというのがデフォルトのようだった。そりゃないだろうというのには、例えば不適合の根拠にISO14004を持ち出した審査員もいた。今なら笑ってしまうけど、当時は真っ青になった。曲がったことが嫌いな人なら、審査員をたたき出してもおかしくない。
1997年当時は、ISO14001の審査では不適合が軽重合わせて5件ないし8件くらい出されるのが普通だった。今じゃ考えられないほど乱発である。当時は証拠も書かず、根拠は項番だけでどのshallかなど書かないのがこれまたデフォであった。

ISO9001のときはよく見かけた常に英文のISO規格を参照する審査員は、ISO14001では見たことがない。初期のISO9001審査員講習では英語で講習をしたとか英語でCAR(Corrective action requirements)を書く練習をしたというが、ISO14001では第一世代からすべての過程を和文で研修をしたためかどうかはわからない。
ともかく根拠不明、証拠不十分でも不適合を出し、反論しても「御社のためを思って」という殺し文句で締めた。こちらは審査員の首を絞めたかった。

振り返ればISO9001の審査では「御社のためを思って」とか「御社を良くするため」なんてフレーズは聞いた覚えがない。我々は商売のためにISO9001の認証が欲しく、審査員も規格要求を満たしているか否かだけが関心ごとだった。
「御社のためを思って」とか「御社を良くするため」とは、審査員は会社の人たちより知識・知能レベルが高く、上から目線で指導してやるという意味だ。審査を受ける側と審査をする側が思い描く審査が違うのだから話にならない。
なぜかISO14001の審査員は当たり前というか本来の審査に満足できず、経営コンサルタントになったような思い上がりというか勘違いしたのだろうか?
あるいは競争が激しくなって、認証機関はそれが付加価値だと考えたのだろうか?

そうそう、ISO9001の審査で「工場長がいないぞ」と文句を言われたことは一度もない。ISO9001では認証機関を三つ経験したが、どの認証機関でも審査員が変わっても、そんなことを言った審査員は皆無である。だってManagement Representative(JIS訳:管理責任者)がいるじゃないか。Management Representative って文字通り経営者の代表、代理者だよね。
ISO14001の審査も当初そのつもりでいたら、管理責任者だけでなく最高経営者も出てこいという。Management Representative では足りない、最高経営者が出てこいといわれても……
これはISO規格をJISに翻訳したとき、管理責任者としたことによるのかもしれない。管理責任者という日本語から、経営に責任を持つ人ではなく単なる管理者だと考えたのか?

ともかくISO14001の審査では、経営者のインタビューはもちろん、オープニングにも、クロージングでも、トップの出席を要求し、出張などで不在だとイヤミを言われた。
もっとも実際に工場長が出てくれば、名刺をありがたくもらって、雑談をしておしまいだった。あれは何だったのだろう?
あるとき審査後に工場長から「おれが審査に出る時間でいくら稼いでくるのか分かるか」と嫌味を言われた。 将棋の駒 私も工場長がくだらない審査に出ているより、仕事をとってきたり事業を考えてもらいたいと思った。
ただ工場なら工場長、会社なら副社長クラスが出てくると、不適合は出さなかったようだ。不適合を出させないためにはエライサンを出せばよいのか? 軍人将棋みたいだな…

そんなくだらない審査を見ていて、私はISO認証とは無用と考えたのか? 審査員になる気を失せたのか? といえば、その真逆である。このくだらない茶番劇を、日本中から終わらせなければならない、ISO審査とはこんなものではなくISO規格要求との参照であるべき、shallをしっかり理解して……と思い込み、ISO審査をまっとうにせねばならない、そのためには自分が審査員になって改善をせねばならないと考えた。
まさに厨二病である。
認証機関がいかに小さい会社であろうとそれは組織であり、仕事の進め方は審査員個人が決めているわけではなく、会社としての考えのはずだ。御社のためにとばかばかしいことを語るのも、工場長が出ないと機嫌を悪くするのも、審査員個人の意思ではなく会社の方針であり基準なのは間違いない。
いやしくも当時の私は20年以上会社員をしてきたのだ。そこに気が回らなかったのは私の未熟である。
審査の質が低いのは審査員のレベルが低いからでなく認証機関のレベルが低いためなら、私がその認証機関に入っても審査の品質もレベルも変わるわけがない。私がベターと考える審査をしても、おばQ審査員は素晴らしいといわれるはずはなく、それどころかあいつは社の方針に従わないから解雇だとなることは目に見える。

ともかく、そんな仕事でのいろいろ経験から、審査員になりたいぞーと考えたのだ。
当時、審査員になった元上司にメールを出して審査員になりたい、ご助力願えないかとお願いしたが、相手にしてくれなかった。人事への影響力がなかったのかもしれなかいが、彼自身が審査員を素晴らしい仕事と思っていなかった気配がある。そもそも元上長もラインに沿って課長、部長と昇進していれば、わざわざ会社を辞めて審査員にならなかったはずだ。自分が魅力を感じない仕事に元部下を引き込みたくなかったのかもしれない。


とまあ、審査員になりたいなあ〜、でもなるための伝手もなく、困ったなあ〜なんて堂々巡りをしていると、リストラになりました。

芸は身を助ける、藁をもすがり軟着陸しました。一安心。
とはいえ全くの初歩からの再スタートです。そのときまで私は作業環境測定とか、危険物取扱いの実務をしておりましたが、公害防止管理者なんてお仕事はしたことがなく、名義貸しだけです。廃棄物管理の責任者はしていても、マニフェスト伝票なんて書いたことはありません。いつも私が語っていたことは嘘です。まったくのウソというわけでもないけど 
でも嘘を本当にするのは簡単です。語ったことを実際にすればいいじゃないですか。
一生懸命に勉強しましたよ。もちろん行動もしました。品質保証に遠島の刑に処せられた時と同じです。あとがありません。
どんな仕事でも半年すれば一人前です。ましてや公害防止管理者などの資格を持っていたという素地はありましたし……

新しい職場では、ISOに関する情報がたくさん入ってきます。以前の仕事では自分がISO認証した経験と、近隣の付き合いがある会社からしか、審査がどうだったどんなトラブルがあったという情報しか入りません。
ところがここでは傘下にはいくつもの工場や関連会社があり、審査でどんなやりとりがありどんな不適合が出たなどという情報が手に入るのです。
いやそれどころか、そういったところから、これはまっとうな判定なのか教えてほしいとか、審査で違法と言われ行政に相談した結果問題ないといわれた、これからどうすれば良いのかなんて問い合わせがジャンジャン入ってくるのです。
エキサイティングな職場だよね!

私は特段ISO担当と言われたことはないが、なにしろ私は有能だから(?)与えられた仕事をサッサと片付け暇を作り、問合せに対応したり指導することに何も言われなかった。
そんなことをしていて感じたことは、田舎の一工場にいて感じたことの再確認だった。つまりISO14001の審査はくだらないということだ。満足にISO規格を理解もしてないで、自我、自尊心ばかり肥大した、口を出したくて指導したくてたまらない怪獣が審査しているとしか思えなかった。
問合せもおかしなものばかりだ。審査で違法だといわれた。行政に相談に言ったら現状で問題ないといわれた。どうしましょう?
どうしましょうってなんだ! そのエビデンスを持って認証機関に文句を言えばいいじゃないか。
昨年の審査でAからBに直せと言われてその通り是正(?)したら、今年来た審査員はBは間違いだからAに直せという。どうしましょうか?
そのまんま認証機関に怒鳴り込んだらいいじゃないか!
審査員の判定にあきれると同時に、会社側の弱気にも呆れてしまう。

ヤレヤレ 実態を知れば知るほど、会社側の担当者(複数)はなんと従順であろうかと天を仰ぐしかない。まさに肉食動物(審査員)が草食動物(会社担当者)をいいように扱っているとしか思えなかった。
それもしっかりした認識で正しい方向に導いているなら納得はする。でも、思い込み、思い付き、法律を知らずに審査する、「前回のことは忘れた」なんてボガードのセリフを騙られたのでは怒り狂う。
審査員のあふれんばかりのプライド、自負心、全知全能を語っていたのはすべて嘘っぱち!
私は審査員などには絶対になるまいと誓った。そして会社担当者たちをいわれのない苦しみから救うため、審査員と戦う者になろうと誓った。ローマ帝国の護民官になる

そしてマニフェスト伝票にサインはあっても押印がないなんて不適合(いちゃもん)を出された会社の方と一緒にクィーンズタワーに行ったし、環境実施計画が二つないから不適合と言われた方と溜池に行ったし、丸の内にも行ったし、至る所に文句を言いに…いや所見報告書の是正要求というか指導に行った。
正直言うが、私がいちゃもんをつけたもので、私がしっぽを巻いて帰ってきたことは一度もない。私だって恥はかきたくない。裏もとらず感情だけで突貫することはありません。だから行く前にISOTC委員とか、都庁とか、ほかの認証機関のエライサンに確認を取っていきます。相手が間違いを認めるかどうかだけです。
まあ抗議に行けば、認証機関のえらいさんは言を左右して、所見報告書を修正するとか、不適合を抹消するなんてことはめったになかった。せいぜいが間違えて出した不適合については、次回審査では是正確認をしないという言質を取った程度だった。
ともかくそんなことで少しは会社担当者の援護になったと思う。もちろん星の数ほど審査員はいるし、いまだにISO規格と無縁の認証機関名を冠した○○方式とか○○流なんてのもある。
私がしたことなど、杯水車薪はいすいしゃしん、太平洋の水をひしゃくですくうようなことだとは知っている。
引退して7年経った今、昔の仲間の話を聞くと、今どきの審査員は、認証件数が減少するのを反映してか、余計なことを見ない、言わない、聞かない、三猿になったそうな。某認定機関の理事長が語るような厳正な審査とは真逆らしい。まあ規格に則ったという基本から見ればどっちもどっちだろう……
私はそんな審査員にもなりたくないなあ〜、おっと色弱で近視で老眼も進んできた私は、某認定機関の理事長が語る節穴に違いない

ところで… 節穴審査員の存在が確認されてから、審査員に登録申請する際には視力検査が義務つけられたのだろうか?
下図で0.7以上見えれば節穴ではないと認める。
0.10.30.50.71.0
わかるかな?
指し棒幸子

では本日のお別れは、普通のオバサンに唄ってもらいます。

 あなた変わりはないですか〜♪
 日ごと認証減ってます
 聞いてもらえぬ諫言を
 今日もネットに書いてます
 男ごころの 未練でしょう〜♪
 ISOあいそ恋しい 北の宿

都はるみが「普通のおばさんになりたい」と引退したのは、なんと彼女が36歳のとき。安室奈美恵が引退したのは40歳、はるみさんはどうして若くして引退したのだろう。
ああ、もったいないと思ったらすぐに復活しちゃったので、逆にガッカリ


うそ800 本日のタイトル
アメリカ横断ウルトラクイズ 本日のタイトルはもちろん、1980年代の人気番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」の掛け声「ニューヨークに行きたいか!」からです。
私、まだニューヨークに行ったことがございません。行きたくもないですけど。
行くならもう一度ラスベガスですね、砂漠の中のプールで泳いで、バッフェで安い食事をとる。フリーモントストリートにも行かなくちゃならないし、少しは博打も……

GIFアニメなんて作ったの10年ぶりだよ




コマゴマ様からお便りを頂きました(2020.06.18)
いつもお世話になっております。
なぜ審査員は経営を語りたがるんでしょうね〜別に経営に携わっていたわけでもないのに。。
ちなみにカサブランカはいい映画です。

コマゴマ様 毎度ありがとうございます。
私は現場にいたときは、外注や下請けに指導に行くことが多かったです。
何べんもあるいは何十辺も行ったところなら、向こうの社長と冗談を語ったり、儲けるための話もしました。
でも初めていった会社ではそんなこと言えませんよ。別に遠慮したとか出過ぎた真似をしちゃいかんなんてことではありません。費用構造がどうなっているのかさえ分からないところでまともなことは言えません。
例えば障碍者を使っているのを見て、健常者なら良いのにと思うかもしれません。しかし障碍者を雇用することによって多くのメリット、それは対行政だけでなく近隣との関係などもあるわけで、どこの社長だって下手なことはしていません。あるいはNC機械とか塗装ロボットを入れる入れないというのも、県の補助金とか従業員の定着率とか一筋縄ではいかないのです。
私が作業改善をしようとしても、社長も従業員もついてきません。ですから改善するには利益誘導をしないとどうにもならない。休憩時間にパートの人たちが、家に帰ると肩がこるとか、目が疲れるとか語っていれば、やり方を変えると肩こりがしませんよ、仕事をする場所を暗い場所から窓際に移動しましょうとか、とにかく自分たちがやりやすく楽になるというのを示すわけです。
でもそれでもやってみようかなんて言う人はいません。ですから自分がねじり鉢巻きでレイアウトを変えて、自分が直接作業をして見せて、今までしていた方法より楽に速く良い製品ができるというのを示し、社長や従業員にやらせてみる、そして納得させるという山本五十六そのまんまをしなくちゃなりません。
もちろん今までより難しそうで時間がかかり不良を作ったのでは叩き出されるのがオチです。
ですから改善効果に自信のある、自分がすべてを理解していることしか口を出せません。本で読んだだけとかうろ覚えのことを勧めるのは命取りです。実験とか試行錯誤は自分の会社でミスを自分で負えるところでしておくのです。
さて偉大なる審査員が見知らぬ会社に来て、すばらしい改善とか不具合を見つけることが可能なのか? と考えれば、私は無理だろうとしか思えません。審査を受ける側は礼儀を守っていますが、腹の中では「お前さんがやってうまくいってからだ」と思っています。いや「うまくいくはずがない」と思っているでしょう。
もし初めて訪問した会社ですばらしい改善を見出すことができる人なら、審査員をやめてコンサルタントをしたほうが儲かります。いやいや本当にマネジメントシステムの問題点を見つけることができるなら天才ですよ。現実には改定前の文書が使われていたとか、環境側面の決定方法がとか、計画通り会議開催をしていないとか、システムの問題ではなく、現象を見つけて提示しているだけじゃないんですかね?
企業側も税金と思っているだけですよ。
えっ、経営ですか? 経営指標を読む力と人を引っ張るリーダー、そして倒産したとき責任を負う根性がない人には無理でしょう。審査員登録にそんな力量をもとめてはいませんしね、

おっと私もハンフリー・ボガードを真似してるんです。
「昨日のことは覚えていない。今夜のことなど分からない」無責任男と言われています。


うそ800の目次にもどる
うそ800始末にもどる。