ここ数年、胸にでかい丸いバッチを付けている人を見かけるだろう。政治家も、テレビに登場する評論家、会社役員、市議会議員、街の税理士、ISO審査員、お宅の部長も、
いやいやあなたも付けているかもしれない……
これはSDGsバッチと呼ばれる。SDGsとはSustainable Development Goalsの略で持続可能な開発目標のこと。最後のsが小文字なのは単語の頭文字ではなく、目標が17もあるので複数を表すsだ。バッチに17色も並んでいるが、それぞれが目標を表しているらしい。
でもバッチを付ければ持続可能性が実現するわけじゃない。仕事でも家庭でも、そうなるように私たちが努めなければならない。とはいえ人間が頑張れば持続可能性が実現できるかどうか、それさえも分からないのだけどね。
そしてSDGsの目指す目標が17あるが、その中でESGが特に重要だという。ESGとは環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)という3つの要素の略。でもESGを考慮したらSDGsが実現する保証はない。いや、考慮するのを悪いとは言わないよ。悪いことではないだろうが、ESGに努めればSDGs実現に少しでも寄与するのかといえば、どうなんだろうね
最近、保険会社などが資産運用する投資先の選定において、環境活動や社会貢献などESGの観点を考慮するという発表が相次いでいる。またそういうファンドの案内も盛んになってきた。
2020.04.22 第一生命保険は、持続可能な社会の実現に向けたESG投資の基本方針を発表した。 |
2020.10.12 野村証券環境リーダーズ戦略ファンド取り扱いを開始 |
2020.10.20 日本生命保険は、全運用資産で環境や社会、企業統治を重視したESGの観点を考慮した運用に乗り出す。 |
ご存じと思うが、保険会社は保険を売る。つまり客はお金を払って、万が一の時に保険金をもらう権利を買うわけだ。保険会社は集めたお金から不幸にあった客に保険金を支払い、その差額が取り分になる。
もちろん保険会社に利益が出るようにしてあるから、払ったお金より受け取るお金は少なくなる。生命保険は払い込んだ金額よりもらえる金額が大きいようだが、契約者全員が払い込んだ額より、実際に支払われた金額合計ははるかに少ない。
言ってみれば保険は賭けであり、保険会社は賭け事の胴元と同じである。胴元は寺銭・ショバ代(手数料)を取るから、絶対に損をしない。
保険と賭けが同じと聞いて驚くことはない、保険は、そもそも航海が無事か船が沈むかとか、あの爺さんは今年中に死ぬか・死なないかに、お金をかけたのが始まりである。
現代では、前者は輸送保険となり、後者は生命保険となった。おっと、賭ける人も第三者のやじ馬でなく、当事者になった。そして目的も、儲けるためから損をしないためになったわけだ。だが死ぬか生きるか、火事になるかならないか、どちらかを選んでお金を賭けていることは変わらない。
しかし掛け金と支払いの差額だけでは儲けが少ない。また個人年金などは客が支払ってから受け取るまで何十年という長期間になり、その間手元に大金があることになる。
それで保険会社は集めたお金を、証券や債券に投資して利益を得る。実は保険会社の本業は投資である。投資会社との違いはお金を集めるのに投資と言わずに、保険と称していることと、客も受け取るお金を配当と認識するか、損失補償と認識するかの違いでしかない。
前述したESGへの配慮とは、保険会社は投資の際に投資先のESG活動を考慮するということだ。金儲けに徹している企業より、環境や人権や情報公開に努めている企業を優先するということ。もちろん儲かってない企業に投資はしないだろうけど、
金儲けに徹している企業は、短期的には利益が大きく、配当も大きいかもしれない。しかし長期的な視点では、金儲け至上主義の企業の市場競争力は落ちるとみているわけだ。結果としてESGに配慮した企業のほうが生き残り、投資が確実に回収でき利益が大きいだろうという目的が金儲けであることは変わらな
そういう発想は新しいものではない。
昔1990年頃、まだ民営化される前の郵便局だったとき、福祉貯金というのがあった。郵便局に貯金していると利子が付く。その利子の一部を福祉活動に寄付するというものだった。
俳優 山本圭の奥さんで女流棋士 小川誠子が福祉貯金のコマーシャルをしていたのを覚えている。今ネットで確認したら、なんと小川誠子さんが2019年に亡くなっていた。私より若いのに!
1990年頃、あなたが司会する「NHK杯テレビ囲碁トーナメント」を毎週見てました。ご冥福をお祈りいたします。
寄付するにもいろいろ方法がある。思いついたときに寄付するのもあるが、お金を郵便局に積んでおいて利子の一部を毎年寄付するという考えもある。心が暖かく懐も温かい人は福祉貯金も選択肢になるだろう。
今その形態の福祉貯金はない。今も福祉貯金という名のものはあるが、中身はそれとは逆で、障害年金、遺族年金を受け取っている人が預金すると、普通の預金よりわずかだが利子が高いというものだ。
はたと気が付いたが、21世紀の今、ゆうちょ銀行の定期貯金の利子は0.002%である(2020年現在)。これでは100万円1年積んだ利子は20円にしかならない。これでは恥ずかしくて寄付もできない。それでデフレ時代には福祉貯金がなくなったのかもしれない。
私の話はいつも流れ漂い、どうなるかわからない。でもお読みになられるお方はそれに慣れていると思うので……
ISO14001が始まった1996年頃、東京でISO14001の説明会があり、上京して聴講した。その後半にパネルディスカッションがあった。
以前も書いたことがあるが、そのパネルディスカッションで、企業で公害防止の仕事をしてきた人が「ISO14001といっても今までの公害対策の延長だ」と言った。するとISOTC委員という人が、頭から湯気を出して「ISO14001とはそんなものじゃない。根本的に違う、もっとすごいものだ、上位概念である」とかなんとか論じて、その公害防止の方も聴講者も引いた。そんなことがあった。
ISO14001がいかなるものなのかといえば、技術でないのはもちろん、全く新しい考え方でもない。それは単に環境管理をしっかりするための必要条件を決めたにすぎない。勘違いしている人が多いが、環境管理をしっかりする方法を決めたのではない。
それが従来の公害防止と異なるところは、環境部門だけでなく設計や営業まで範囲を広げたこと、また直接環境に関わる業務だけでなく、支援業務……教育とか文書管理とか……なども加えたこと、そして外部の者が検証するという付加価値を追加したものにすぎない。
公害防止は打ち捨てられたのではなく、最重要事項として丸ごと取り込まれたのである。どうして最重要事項といえるのかって? ISO14001の意図である、遵法と汚染の防止そのものだよ、
だからISO14001は従来からの公害防止と根本的に違うわけではないし、ISO14001が公害防止の上位概念であるなんて言えないだろう。
その後、ISOは技術的・現物的なことばかりではなく、システムについても規格を作るようになった。そういった中に「ISO26000 社会的責任に関する手引き」もある。
手引きであるからshallでなくshouldであるが、その対象とする範疇はISO14001よりはるかに広い。実際に10個くらいある課題のひとつに環境がある。つまり「ISO14001」が「公害防止」より上位概念ならば、「ISO26000」は更に上位概念というべきなのか? ISO26000があればISO14001は不要なのか?
ISO14001はISO26000の環境のパートを詳述したものだと言えるかもしれない。実は、ISO14001の本文よりも、ISO26000の環境の章のほうが文字数が多いのだ。
そして「公害防止」はISO14001の一部ではない。過去からの環境保全のための科学的、社会的、政策的な蓄積である。ISOTC委員に矮小化されるいわれはない。
正しくはISO14001は新しい概念ではなく、過去からあった環境管理に必要なものを組み合わせたグループに過ぎず、環境側面とか環境遵法などは、公害防止の法規制や考え方を借用したに過ぎない。またまとめる範囲は理論的根拠があるわけではない。
ISO9001(QMS)とかISO14001(EMS)なんて特別なものとか、新しい概念ではない。 単に過去から企業・組織に存在する機能から、それらに関連するものを拾い上げて、マネジメントシステムと称したものに過ぎない。 実はそれはシステムでさえないのだ。誰も知らんだろうけど。 |
もちろん環境に関する法規制は国によって異なり、日本のように法規制が整備されている国もあるし、整備されていない国においてはISO14001の存在意義が大きいところもあるだろう。
言い換えると環境管理といっても、くくりの大きさやレベルが変われば、多種多様なグループ分けが存在しえるわけで、ISO14001のくくりに意味があるわけではない。現実にISO14001のくくりで満足できないから、エネルギーマネジメントシステムとか化学物質管理システムとかが考えられているわけだ。
しかし管理のグループ分けがいかように変わろうと、公害防止という技術も区分も消滅することはない。これ重要。
話は変わる。
もう10年くらい前2010年頃、あるところで某大学教授と会ったときのこと。私が企業で環境管理やISO14001などを担当していると語った。するとその大学教授は、ISO14001なんて時代遅れだ、これからは彼の専門であるSRI(社会的責任)投資
この教授は元々研究者じゃなく金融機関で働いていた人。業務で社会的責任投資について外国の状況を調査して国内で先駆けて論文(解説?)を書いて大学教授に転じたらしい。
日本の場合、欧米の新しい潮流を探してそれを翻訳し国内に紹介し、その先達という評価を得て…という手法が多用されているようで、この先生もそのルートなのだろう。まあ、それをどうこう言わない。
ただISO14001が時代遅れというのはどうだろう?
昔からコピー機メーカーは環境先進企業といわれるところが多い。当時現役で働いていた私は、何かの会議で某コピー機メーカーをお邪魔した時に、そこにはCSR部門はないと聞いた。なぜならCSRが内部化されれば、そういう部門は不要だという。
その通りだ。
ISO9001認証するとなると、多くの企業ではISO対策室とかISO事務局なる部門を置く。とはいえそれは時限立法的なこと、認証して1年もすればもう認証の仕事は各部門での定常業務となるわけで、当然 担当部署を廃止するだろう。
あるいは認証のためのプロジェクトであれば、目的を果たせば解散する。いつまでも存在したらプロジェクトじゃない。
ただISO認証とCSRとは性質が異なる。ISO認証は認証してしまえばオシマイだが、CSRは要求事項じゃないから、やろうとすれば幅も深さも限りがない。だからもっと推進しようという発想があって、そのためにドライブをかける部門を置くことはあるかもしれない。だけどCSR先進企業では、そういうチャレンジも通常の業務に内部化してしまうのだろう。現実にCSR部門がないのだから。
CSR部門がある会社はCSR先進企業ではなく、ISO担当部署がある会社はまだISOに振り回されているのだ。
10年目のISO事務局なんて言い回しがあったが、実際にそんなものが存在するなら、その会社はおかしい。審査のたびに見せたくないものを糊塗するために存在しているのか? 事務局が各部門の尻を叩かないとなにも進まないほどレベルが低いのか?
もしそうなら、そんな会社はISO認証を返上するか、ISO認証を丸ごと業務委託したほうが良いだろう。中身がなくても審査登録証があればよいのだろうから、
さて話を戻すと、SRI投資というものはなんだろう? それは特別のものではない。
昔から物を買うのはQCDだと言われていた。
まずQは品質、良い品物でなくちゃ買わないのは当然だ。次のCはお値段、そりゃ高いより安い方がいい。最後のDはデリバリーで、納期厳守や供給が大丈夫かということ。
納期が購買活動に影響することは個人でもある。いくらほしい車でも納車が半年先と言われたとき、別の車を買うのは珍しくない。
このように古くからQCDと言われていたが、21世紀ではQCDEだといわれるようになってきた。追加されたEとは、もちろん環境だ。環境といってもカッコよさではない。廃棄するときに金がかかるようなものは困る、電力大食いでは電気代だけでなく省エネ法の規制もあるし外聞が悪い、リサイクル法に関わるより関わらないほうが良い、などなどお金に直結するのだ。
でも購買活動においてEが加わることがいかほどの変更を伴うのかといえば、全くとは言わないが、ほとんどない。まずそんな部署が必要ではないし、技術とか知識といっても、担当者を数回講習会に行かせ、購買規格や手順書を改定する、購買担当の教育課程に新しい分野の知識を追加するという程度ではなかろうか?
同様にこれからはSRI投資だ!といったところで、それが大革新とかイノベーションというわけでもない。そんな程度の変化は普通にある。過去 税制が変わるたびに大騒ぎしたわけではない。SRI投資に対応するにも、調査項目などの手順や基準の追加や修正はあっても、大要は変わらない。過去からの業務プロセスが変わるわけでもない。
ISOTC委員が「公害防止とは違う」と力んでしまったのも、某大学教授が「ISO14001は古い、これからはSRI投資だ」とはしゃいでしまったのも、気持ちはわかる。
これからは、俺たちの時代だ!と喜んだのだろう。
私がSRI投資についてのその大学教授の話を聞いて思ったのは、そういう新しい考えだってすぐに過去からの業務の中に取り入れられて内部化し、あっというまに単独では存在しなくなるということだ。
自分の分野を誇るのは良いが、他の分野を貶めてはいけない。恥をかくから。
公害防止は今も重要な役割を果たしている。過去に公害防止管理者制度を廃止しようかと検討されたが、結果としてその重要性を認識し継続することになった
また公害防止技術も、時代の要請によって分野も追加され技術も常に進歩している。過去にはダイオキシン対応とか、リサイクル技術、乾電池の水銀廃止などが行われてきた。
これからも環境規制が厳しくなりまた従来気づかなかった問題が判明すれば、より公害防止技術は重要になる。すぐに頭に浮かぶものとしてはマイクロプラスチックの除去、リンの回収、自然エネルギー発電からの公害対策などがある。
固有技術は決して社会的要求がなくなることはなく滅びない。
そしてSRI投資あるいはESG投資はいつしかというかすぐに、投資において当たり前の考慮事項となって、特別な名称も使われなくなるだろうし、ひとつの技術とか学問という認識はしなくなるだろう。
私がISO14001やSRI投資という考えを憎んでいるとか、新しいものが嫌いだというのではない。
正直なところ、ISO14001の項番は多々あるが、それらはすべて過去からあるものであり、それぞれが長い間 工夫されてきた固有技術である。文書管理、訓練、是正処置、計測器管理などなどみなそうである。そういった過去から固有技術であったものをセットにして、さあ!新しい概念ですよ!なんてセールストークを聞かされると、そりゃねえだろう 💢 と思うのである。
ISO14001が遠くない将来消滅しても、それを構成する固有技術は消滅することはない。実際の仕事は全く変わらないのだ。
本日のタイトル
日本侵攻の主役マッカーサーは、朝鮮戦争でトルーマン大統領と意見が合わず解任された。退任演説のとき軍歌
今回は、昔から重用されてきた技術は、決して廃れることはないという意味で「老兵は死なず、消えず」とした。
新しい考え方とか新しい手法を提唱することは悪いことではない。しかし過去より伝わる手法を貶し、それよりも素晴らしいとか 取って代わると騙るのは止めたほうがいい。
古いものは有用だから今に残ったのだ。その有効性は
だから古い言われるものは簡単に舞台から去らない。それに対し新しいアイデアで生き残るものは非常に少なく、ほとんどはすぐに消え去り忘れられる。老兵は強かで、新兵はすぐ斃れるのと同じだな。
注1 |
持続可能性なる概念と命名は、1984年に国連の「環境と開発に関する世界委員会」……その会長はノルウェーのブルントラントだったのでブルントラント委員会と呼ばれた……が考え出したものである。 ここで持続可能性とは、自然を守れとか環境を保護しようというものではなく、「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす経済」ということであり、そのための環境改変(環境破壊とは言わないぞ)は許容するのである。 とはいえ、持続可能性が実現可能なのかどうかは誰もわからない。 | |
注2 |
SRI投資とESG投資とどう違うのか?
| |
注3 | ||
注4 | ||
注5 |