私はISO関連のメルマガをいくつもとっている。
最近来たそんな中の一つに、次のような文があった。
こういう「ISOはすごいぞ!」っていう宗教のような考えを見ると、止めてくれよと言いたくなる。
もっとも私の同志には「ISOは宗教である」と揶揄する者もいるから、宗教のようなものではなく宗教そのものかもしれない。
それにさ、ISOMS規格を理解すると、あらゆる組織のあらゆる活動でも活用できるというのか? ISO規格を読まないと知らないというのか? (対偶じゃないから論理的にはイコールではないけどね)
フザケンジャネー!
是正処置とか形態管理(構成管理)なんてのは、ISOMS規格なんて存在しない昔から、軍事規格では当たり前だった。いやそもそもISO9001はそういった過去過去からのノウハウ・ノウホワイの中から、好きなものを拾い集めてでっちあげたんじゃないのか?
このメルマガを読んで私はそう思った。
ということでISO信者に騙されるなよという思いを伝えたく、この小文を書く。
では問題点を考えていこう。
これらをしっかり理解して身に着けた方なら、あらゆる組織のあらゆる活動でも活用できる
これって素面で言ってるの?
ISO規格って要求事項つまり仕様書なんだよね。「こうしなさい」と方法は書いてない。書いてあるのは「しなければならない目標」だけだ。規格の「shall」に続くのは手順でなく課題だけであり、いかにその課題を達成するかはすべて丸投げである。そしてそれが達成可能かどうかも定かでない。
「達成しなければならない目標」を知れば「活用できる」のだろうか? いや活用以前に「達成」できるのか?
現実には「こうしたい」「こうあらねばならない」と思っても、それが実行・実現できないから問題なのだ。
小さいことなら「朝早く起きよう」と思っても、布団から出られない。我々が知りたいのは「こうすれば朝早く起きられるよ」という方法論ではないのか?
大きなことなら「新型コロナウイルス(COVID19)を抑えたい」というのは全世界の願いである。だがISO規格で「新型コロナウイルスを抑えなければならない」と記述しても「できない」のである。だからそのために多くの人たちがワクチンや治療法を研究しているわけだ。
さあ、「ISOMS規格をしっかり理解して身に着けた方なら、あらゆる組織のあらゆる活動でも活用できる」ことを証明してくれよ。この文章を書いた人は真理であると考えて書いたのだろうから真理であることを立証できるはずだ。
成 果 | ||
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固有技術 | 管理技術 | 士 気 |
世の中で管理技術だけで勝利したというものがあるだろうか?
太平洋戦争でアメリカ軍の体制とか指揮は日本軍よりすばらしかったなんて記述はよく見る。
オイオイ、その前に物量そして固有技術にもっと差があったのを忘れてないか? むしろその物量や技術の差をどうにかしようと、体制も指揮も無理したってところが大きかったと考える。
特攻が悪いと言われる。だが現場指揮官としては特攻するか、白旗を揚げるかの選択肢しかなかったのではないか?
この文章を書いた人は、ISOMS規格を活用すれば素晴らしい成果を出せたのだろう。その方法を教えてほしい。
過去に固有技術もなく士気も低いけれど、管理技術だけとか経営幹部が変わっただけで成果を出した企業があるか?
そう問うとアンリ・ファヨールと答えるのを予想する
昇進するため、将来幹部になるために、管理技術を必死で学んでいる人が日本にいるとは思えない。いや管理技術だけを極めても日本企業では大成するはずがない。アメリカならMBAのように経営に特化した学問を学んだ人が存在できる場所があるかもしれないが、日本企業では開発でも製造でも営業でも、固有技術で頭角を現さないと経営幹部になれない。
ISOMS規格の守備範囲は限定されている。固有技術を持たず、あらゆる組織のあらゆる活動でも活用できる ことの証拠の提示を求める。
社会人として発言するときには、お前がやってみろと言われたとき「ハイ」と答えられるということが絶対条件です。会議で発言するには、地位とか権力ではないんです。実績が発言力です。評論家じゃダメなんですよ。
テレビにはコメンテーターと称する話題について専門でない人たちが、意味のないことを語っています。新型コロナウイルス流行について、芸能人の不倫について、新星のごとく現れた歌手、交通事故について、
私はいつも思うんですがね、あんな意味のない言葉を電波で駄々洩れしているコメンテーターを一掃して本当の専門家に語ってもらうとか、それには金がかかるなら、私情とか思い込みとか野次馬根性を排して、事実のみ報道するだけにしたほうがはるかに良い。
経営に寄与する審査をするとか、会社をよくすると語る認証機関も審査員も多い。
ISO審査員は規格に適合しているか否かだけ判定すればよい。会社を良くするとか、経営に寄与するなんてふざけたことを言わないほうがいい。
もしインタビュイーである経営者が「よし
「口は禍の元」と昔の人は語った。「キジも鳴かずば撃たれまい」ともいう。審査員は審査をする人であり、経営コンサルではない。
ISOMS規格をしっかり理解して身に着けた方なら、あらゆる組織のあらゆる活動でも活用できるなんて恥ずかしいことを語るな!
おっと私はISOMS規格は、会社運営に役に立つと思いますよ。でもどんなことで経営に役立ち会社に貢献するのでしょうか?
経営という言葉はいろいろな意味があります。そして経営者がしていることばかりが経営ではありません。
狭い意味では経営者がすることでしょう。
経営層がすることは、上図で@の事業戦略を立てること、人事制度とその運用、財務会計のみっつの要素と言われる。
ここにはISOMS規格が立ち入るすきはないようだ。
経営が広い意味でつかわれることもある。
Aは経営とは経営層だけでなく事業の営みすべてを考えた場合で、この経営にはISOMS規格の働き場はある。それは執務者とか作業者レベルの作業標準や作業手順であるし、それを管理・監督するCで示すものである。
でもBの上級の管理者レベルへの命令や管理には、ISOMS規格は力不足というかお門違いではないだろうか。階層が高い職階では、命令というよりも訓令で動いている
それともうひとつ、ISO規格に書いてあることは会社で働いている人なら常識として知っているレベルだ。だがそれを実務として行うにはとんでもなく深い知識と創意工夫が必要となる。
ISO規格に書いてあることは「自動車はガソリンで動きます」とか「春小麦は春に種をまき秋に収穫します」という程度なのだ。
文書管理を例に挙げよう。ISOMS規格の共通テキストでも9001でも14001でも良いが、そこで要求していることはほんのさわりだ。
本当に文書管理をする職に就いたなら、要求事項だけでなくその要求を満たすには、どうするのかを知らなければならないということは前述した。
しかし仕様を満たすだけでも足りない。ISOMS規格にあることだけではどうしようもない。
実際に文書管理の任につけば、文体から書体から、書式から、発行管理から仕組みをどうするか、どのように運用するのか、検討することは数限りない。それは紙ベースでも電子データでも同じだ。
そのためには法律の体系、書式、親子関係の決め方と表し方、論理的な記述方法、そういったことを学ぶ必要もある。それは極めて膨大な知識を要する困難な仕事である。
ISO規格を理解すればあらゆる組織のあらゆる活動でも活用できるなんてふざけたことを言っちぁいけねえよ
本日の疑問
「MS規格本来の考えをしっかり理解して身に着けた方なら、あらゆる組織のあらゆる活動でも活用できる」と語る人は、それが真理と信じているのか?
それとも商売のためために事実と異なると認識していながら法螺を吹いているのか?
あるいは固有技術もなく改革していく意欲もなく、ISO規格にしがみついているのか?
まあ、いずれにしても救いはない。裁きの日は近い。
いや第三者認証が先細りということは、既に裁かれているのだ。
注1 |
アンリ・ファヨールは19世紀のフランスの鉱山会社経営者。鉱山技師として入社したが、28歳で左前になった会社の社長になり、資金調達、不採算事業の整理、高収益事業への集中などで再建をなす。 テイラーと共に、経営を科学にした双璧を成す。 ![]() | |
注2 |
軍隊の用語からきている言葉で、誰かに仕事を命じる時の与え方はふつう三つといわれる。
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注3 |
事業部(division)とは元々は軍事用語で、部隊編成のひとつである師団(division)の意味である。 師団とは自ら作戦を立案する司令部を持つ組織のこと。多くの国で師団は概ね1万人以上の規模となるが、いくら人数が多くても、作戦を立案せず、命令を受けて行動するのは師団ではない。 そもそもはナポレオン戦争当時、戦いの規模が大きくなり一人の指揮官が指揮してはうまくいかないことから、独立して作戦を立案し行動する組織が考えられた。 その考えがビジネスにも適用され規模の大きな会社では中央集権をやめて、自ら事業を運営していく組織に小分けした。日本ではそういう組織を事業部制、個々の組織が事業部と和訳された。 事業部とは担当する事業に関して、開発、設計、製造、営業を有する自己完結の組織である。いくら規模が大きくても、自ら企画・決定・実行する能力 or 権限のない組織は事業部ではない。単なる大きな部や課である。 最近はより独立性を高めた仕組みを、カンパニー制と称することもある。 ![]() |