文章作法

21.02.04

私が書いている駄文を読めば、私が文章作法などというものを書くとは笑止だろう。私自身そう思う。
ただ私は長年会社でけっこう文章を書いていたから、たくさん失敗をしてきた。その失敗とその反省を書くことも意味があるかもしれない。あるべきお手本でなく、べからず帳なら書けると信じる。

自分の書いた文章を誤解されたことは、誰でもあるだろう。単純に表現が紛らわしいこともあるだろうし、ズバリいうのを憚って婉曲な表現をしたため裏目にということもあるだろう。

まず文章を書くときは、他人に誤解されないように努めるべきだ。だがそうであっても誤解されることもある。ひどいのは第二者がその文章を第三者に誤解させようとすることがある。
もう30年くらい前、私が作成した報告書の一部を引用された。私が書いた文章は「○○について甲という前提で検討した。その結果、Aを行うとBという結果になる」というものであった。
この二番目の文のみ、更に冒頭の言葉を削除されて「Aを行うとBという結果になる」というところだけ使われた。その結果、引用された文章を読んだ人が、私は検討不十分、仕事が甘い、真面目に仕事をしていないと、散々批判した。でも一旦汚名が付けば、後からいくら説明しても言い訳と受け取られ信用は戻らない。まさに信頼の非対称原理そのものだ。犯人は陰でほくそ笑んでおしまいである。
これって私文書変造の罪ではないか!?(実際には独立した私文書変造罪はなく、私文書偽造罪に含まれる)

もう何十年も前だが、石原慎太郎が「私は言いたいことの何割かしか文章に表せない。更にその文章の一部を抜き出して批判されても困る」というようなことを語った。
全く同感だ。

そんな経験から私は短い複数の文を書き連ねることを止めて、長い文を書くようになった。上記の例文であれば「○○について甲という前提で検討した結果、Aを行うとBという結果になる」となる。引用者が文の句読点を変えたり、前後を入れ替えたりすれば、引用とは言えない。つまり文をいじった人の責任である。更に実際の文ではもっとごちゃごちゃしているから単に切り取っただけでは引用できない。
そもそも前にあげた例だって、冒頭をはさみで切ったのだから(前略)を頭につけなければならない。


法律では、条や項は一つの文しかない。といいつつなにごとにも例外はある。まあ例外は少ないから例外である。大多数の法律では、1条一文、一項一文と決まっている。その結果、条や項の文がとても長くなる。

例 廃棄物の処理及び清掃に関する法律 第7条第5項第4号ホ号
第七条の四第1項(第4号に係る部分を除く。)若しくは第二項若しくは第十四条の三の二第一項(第四号に係る部分を除く。)若しくは第二項(これらの規定を第十四条の六において読み替えて準用する場合を含む。)又は浄化槽法第四十一条第二項の規定により許可を取り消され、その取消しの日から五年を経過しない者(当該許可を取り消された者が法人である場合 驚いた (第七条の四第一項第三号又は第十四条の三の二第一項第三号(第十四条の六において準用する場合を含む。)に該当することにより許可が取り消された場合を除く。)においては、当該取消しの処分に係る行政手続法(平成五年法律第八十八号)第十五条の規定による通知があつた日前六十日以内に当該法人の役員(業務を執行する社員、取締役、執行役又はこれらに準ずる者をいい、相談役、顧問その他いかなる名称を有する者であるかを問わず、法人に対し業務を執行する社員、取締役、執行役又はこれらに準ずる者と同等以上の支配力を有するものと認められる者を含む。以下この号、第八条の五第六項及び第十四条第五項第二号ニにおいて同じ。)であつた者で当該取消しの日から五年を経過しないものを含む。)

上の文章は493文字あるが、一つの文である。長いようだが、法律ではこれくらいは普通だ。引用するならこれ全部を引用しないとつまみ食いといわれる。
法律の文は、インプットからアウトプットまで一つの文でひとつの手順なり概念を書ききってしまうわけだ。そのとき情報漏れなくするために、形容詞句や副詞句を複数付けるから、文章がどんどん長くなる。

そうすると文としては漏れがなく完璧になるが、読むのが大変だ。間違いなく読むためには、インプット・プロセス・アウトプットを図表にしないと理解できない。
そのため文章を書くほうは、読み間違いを防ぐために修飾語句を(かっこ)でくくる。上の例では(かっこ)の組み合わせが8組あり、そのうちひとつの組み合わせは3段重ねになっている。
読む方は(かっこ)を読み飛ばしても意味は通る。だから法律の読み方は、最初は(かっこ)をすべて無視して読み、それが理解できたら(かっこ)内を読むようにする。

上記の例で(かっこ)を無視して読むと、

第七条の四第一項若しくは第二項若しくは第十四条の三の二第一項若しくは第二項又は浄化槽法第四十一条第二項の規定により許可を取り消され、その取消しの日から五年を経過しない者

となる。これでも84文字あるが、493文字よりは短い。
法律が長文になるのは誤解を防ぐだけでなく、一文だけ使われることを避けるためだと私は考えている。
私は法律を真似たわけではないが、引用されたとき自分の意図と変わることを防ぐために、前提とか状況説明を漏らさず記述するようになった。正直いって日本語に関係代名詞や関係副詞がないことが残念だ。


職場を代わって出張が多く毎週報告書を書くような仕事に就くと、そのときの上長が私の文は長すぎる、短く書くようにと指導された。まあ確かに毎週法律のような文章を読まされたのでは辛いかもしれない。どうしたかというと、文書を受け取るお客様(上長)に合わせるしかない。

また別の上長からは、主語のない文章を書くなと言われた。小説の多くは主語がない。それじゃ小説は誤解なく読めるのかとなるが、小説を誤解したところで実害がないだろう。主語どころか、AさんとBさんが受け取った小説のテーマが違っても、誰も困らない。読者によって解釈が違っても、むしろ奥行きのある小説だと評価してくれるだろう。

SVOCがそろっている文章は硬く感じる。「月がきれいですね」より「I love you💗」、
きれいなお月様
「サクラチル」より「不合格」のほうが意味は明瞭だが、ドライに感じる。
ともかく仕事の文章は「I love you💗」方式で書くべきだ。

日本人は主語があいまいであっても、いや文そのものがあいまいでも、お互いに阿吽の呼吸で理解しちゃうから多くの場合問題なくいく。
私は結婚して46年になるが、今でも家内に「結婚してくださいと言われたことがない」と責められる。お互いなんとなく付き合って、なんとなく同棲して、なんとなく結婚して半世紀暮らしてきた。不思議といえば不思議である。家内は私と結婚したくなかったのかもしれない。

でも仕事ではお互いの認識がずれていると問題だ。
仕事の文章では主語は必要だ。すべての文に主語があるとくどいと感じるが、ここは書いてここは省くなんて器用なことをするとろくなことはない。すべてに主語をつけるのがベストだ。


ISO認証がお仕事になってから、私は品質マニュアルとか環境マニュアルなど本当に数えきれないほど書いた。自分が所属した組織だけでなく、下請けや子会社から頼まれると、何をどういう風に書くなんて説明するより、自分が書いたほうが早い。冗談抜きで100や150は書いた。
コンサルをしている人だって、私ほどマニュアルをいちから書いた人はいないだろう。
いや、私の書いたマニュアルを入手して他に売ったコンサルはいたに違いない。私が書いた図表を、全く関係ない会社のマニュアルにあるのを見たことが何度もある。

ひな形を作っておいて名詞を一括変換なんて楽しようとするとろくなことがないから、そんなズルはしない。まず対象の会社の仕組みと文書と帳票を調べて(といっても数日あれば十分だ)マニュアルを二日くらいで仕上げた。もちろんその後、その会社の人と議論して最終的に完成させるのは先方だ。
ひな形はないが、どの項番はどこを抑えれば良いと分かっているから、時間をかけなくても余計なことは書かないし不足も起きない。

となると文章を書く能力とは、名文を書ける文才ではなく、与えられた目的の文章を納期までに仕上げるという標準化された文章作成能力であることは間違いない。
マニュアルは標準化できるはずがないが、マニュアル作成は標準化できることを保証する。


私は名文は書けないが実用文は早く書く自信はある。それにしては今書き散らかしている文章は低レベルだとおっしゃるな(笑)。
ウェブサイトやブログに書いている文章は私にすれば遊びだ。環境マニュアルのように審査員のツッコミやうっちゃりを警戒し、ぼろを出さないよう注意を払っているわけではない。むしろあちこちにほころびを作っておいて、いちゃもんが付くのを楽しみにしている。

ともかく私が文章を書くときに注意したのは次のようなことだった。


社内文書の名文を書きたいと思うあなた、それは高邁(無駄)なお考えです。
もっとも仕事の文書といっても多様だ。他社へのレターなどであればお手紙の書き方の本を参考にすることは目的に沿っている。
我々が日常作成するのは、品質マニュアル、環境マニュアル、会社規則・規定類、作業指示書、出張報告、ハードやソフトのマニュアルなどだろう。
そういったものはお手紙とは性格が異なる、微妙なニュアンスを醸し出すよりも、伝達する理由を示し、実施方法が明確で疑義を生じさせないこと、それがすべてである。
そのためには「理科系の作文技術」とか「朝日新聞用語の手引き」とかを読んでもあまり仕事の文章作成には役に立たない。

我々の文章作成はテクニカルライティングというカテゴリーになる。そして完成品はハードコピーでなく、目的によってはブラウザで見て関連事項へはハイパーリンクを使ったチュートリアルシステムかもしれない。
ともかく目的に合わせて、文章による情報伝達が良いのか、イラストによる情報伝達が良いのか、何段階かの選択によって目的の情報を提示するという形式なのかは熟考を要する。

概念や仕事の全体を把握するとか目的を理解するには、あちこち飛ぶものでなく、やはり文章を読む形式が最適かもしれない。ラジオボタンなどで選択する場合、自分の選択の過程がビジブルにわかるように、そしていつでも元の場所に戻れなければならない。
いずれにしても目的を果たすのに最適かどうかを常に客観的に評価しなければならない。新しい技術とか見た目がすごいというだけでは採用してはならない。
会社規則・規定を読んでいて、関連する文書にハイパーリンクで飛ぶにようにしても、元の文書にいつでも戻れることが担保されなければならない。

会社の手順書(規則とか規定)が、帳票とか企画やプロセスの流れごとに存在しているが、本来は会社の業務とは一枚の布のようにシームレスで二次元か三次元に広がっているものだ。

ジグソーパズル

考えてみれば文書管理という手順書(会社規則・規定)が守備する範囲は国境があるわけではない。文書管理をする人の賃金、文具の購入、コピー機のリースなどとつながっているわけだ。全部まとめて一つの手順書にしたらべらぼうに膨大な手順書になってしまうから、まとまりごとに分けて手順書にしたに過ぎない。

だから支援のための情報処理技術が進めば、複数の手順書に分けるのではなく、会社のすべての業務の手順をまとめてデータベースにしておいて、読む人の目的に合わせてその人対応の手順書が作れるようになれば良い。それは今のような固定化した手順書構成ではなく、パーソナライズされたものになる。

具体的には、アクセスした人の職務、職階、そのときの仕事によってデータベースから構成されたものを、PHPで業務手順に組み立てて表示するということになるかもしれない。
あるいはモニターへの表示ではなく、あなたが特定の職務についたとき、その職務が行うべき仕事の業務手順や決裁権限などをまとめて、ついでに関連する部門の窓口とその担当者の一覧をつけたあなた専用の作業手順書のハードコピーになるかもしれない。
そうなったとき、個々の会社規則集あるいは業務手順を考えることなく、会社の全体の業務をいかに円滑に効率的に作るかが最重要となり、それこそがマネジメントシステム構築と呼ばれるのではないだろうか?

それは技術的には可能だろうが、その担当者に合わせた関係情報の抽出や手順書としての構成をどのようにするのか、そのロジックは難しそうだ。私には見当もつかない。担当する業務、決裁権限、所在する場所・職務などをインプットすればできるものだろうか?
そこまで考えるなら、データベースに直接アクセスするAIに任せたほうが簡単で手っ取り早いかもしれない。

思ったのだが…… 会社の仕組み/手順をすべてデータベースとなっていれば、ISO規格要求事項を放り込むと自動的に○○システムのマニュアルができるはずだ。それは今、人が手でやっていることにすぎないんだけどね、嘘がつけないという意味ではそのようにして作られたマニュアルの信頼性は高い。
そのマニュアルなら、審査員は現実との乖離を心配する必要がない。審査員はマニュアルと実際の業務をコンペアして審査を終えることになる。
いやいや、データベースソフトが進化すれば審査そのものが不要だ。


うそ800 本日の振り返り

私は会社でいろいろなものを書いた。製品の製作図、治工具の図面、論文もどき、塗料配合表、各種機械やシステムの操作マニュアル、作業指示書、 ひたすら書きました 計測器の校正要領書、品質問題の対策、出張報告、会社規則、品質マニュアル、環境マニュアル、その他もろもろ。1960年代末から1980年代半ばまでひたすら手書きだ。
そのため右手人差し指と中指は鉛筆の軸で変形し、中指の爪は斜め方向に伸び、一定長さになるとひびが入って割れるようになった。痛くはないが、割れ目が爪の奥のほうに伸びると大ごとになる。それで今でも小まめに爪を切りやすり掛けしなければならない。
これが私の職業病である。労災にならないだろうか?
なお"ペンだこ"は手書きしなくなると、あっという間に消えた。





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