地球温暖化その1

21.03.15

ここ数年下火になっていた地球温暖化が、最近また燃え上がってきたようだ。流行なら乗らなければならない。
私も正直言ってISO規格について最近低調だ。いやアイデア枯渇ではない、盛りが過ぎて取り上げる価値もないように思えてきた。それで、ここらで地球温暖化に悪乗りして環境に鞍替えしようかと…
1回書くだけではもったいないから、とりあえず1回目とした。2回目があるかどうか定かではない。


いささか旧聞であるが、菅首相が2020年11月23日に「温室効果ガスを2050年に実質ゼロにする」とG20サミットで語った。公式な場で首相が語ったわけで国際公約である。達成できなかったらどうなるかといえば、罰則も制裁もないだろうが、まあ評判は落とすだろう。菅さんの評価ではなく、日本という国の評価を。ちょっとそれは困る。

小泉環境相の発言が化石時代だと叩かれたのは2019年だった。でも私は小泉さんを批判しない。 小泉環境相 かっこいいことを言うのと、正直に言うのとどっちがいいかといえば、私は正直な方を取る。
政治家、特に権力を持っている人が語る言葉はものすごい意味を持つ。昔ならすぐに戦争になることもあっただろう。小泉環境相の一言で日本の産業界が大慌てするか、電力会社の投資計画がひっくり返るということもある。慎重に考えて発言するのは当然だ。もっともセクシーはわからない。

ルーピー鳩山 「最低でも県外」と語ったアホがいたが、カッコいいだけではだめ、実現性がないなら。
最近その後継者が「ゼロコロナ」と叫んでおりますが、そりゃ望みは高いほうがいいですが、できないことを叫んでも意味がありません。

枝野幸男 もっとも「最低でも県外」と語ったアホと違い「ゼロコロナ」を叫ぶ某代表は総理大臣ではない。だから彼は何を語っても実行につながらない。何を語っても責任がないともいう。だからこそ当事者能力がないなら語るなと言いたい。
ともかくできるはずがないことを語るのは信用できない。


おっと、地球温暖化の真偽も問題だが、そのための目標が達成可能かどうかということが問題となる。赤信号みんなで渡れば怖くないと同じく、CO2みんなで下げれば平等で各国の負担も平等ならまだいい。現実にはそうではないからそれも問題だ。
菅首相 地球温暖化も対策も、科学ではなく国際政治だと言うが、まさしくとしか思えない。
菅首相の語った「温室効果ガスを2050年に実質ゼロにする」は他国並みにしようとかでなく、わが国で実現可能なのだろうか?
では、菅首相はうそつき爺さんなのか正直爺さんなのか? それを考えよう。

まず今現在 地球温暖化が進んでいるそうだ。確認しておくが、地球温暖化とは地球が温かくなることではない。
これ間違えている人がけっこういる。ネットでも環境の専門家を自称している人が、「地球温暖化が進行しているのは間違いない」とか「地球温暖化と気候変動は違う」なんて語っている。
それって本当ですか

「地球温暖化」の定義は、「地球温暖化対策の推進に関する法律(略して温対法)」と呼ばれる法律で決められている。

「この法律において「地球温暖化」とは、人の活動に伴って発生する温室効果ガスが大気中の温室効果ガスの濃度を増加させることにより、地球全体として、地表、大気及び海水の温度が追加的に上昇する現象をいう(温対法 第2条)」

平たく言えば「人間の活動によって『温室効果ガス』が大気中に増えて、その温室効果によって地球の気温があがること」です。
勘違いしてはいけません。単に地球の気温があがることではないし、また人間の活動(暮らしや生産活動)によって温度が上がることでもない。人間が温室効果ガスを出して、 太陽は命の源 それによって地球の温度があがることをいうのです。
つまり太陽の活動が活発になって気温が上がっても、火山爆発で地球の気温が上がっても、みんなが大量のエネルギーを使った廃熱によって気温が上がっても、それは地球温暖化ではない。

過去数十年地球の気温が上がっているのは事実のようだ。でも温室効果ガスによって気温が上がっているのかどうかはまだわかっていない。

ご注意
地球の気温が上がっているのは事実といった。しかし雪が少なかったり夏暑かったりすると「地球温暖化のせいだ」という人が多いが、それはちょっと違う。
地球の気温が上がっているのは事実だが、過去100年間でたった0.75℃だ(注1)
また年によって暑い寒いがあり、冷夏だった1993年と暑かった2003年では年平均気温が1.8度も違う。それは過去100年間の気温上昇の2倍以上だ。たまたま暑い夏と昔より暑くなったのは区別しなければならない。そして問題となっている地球温暖化は年ごとの暑い寒いではなく、トレンド(傾向)の問題であり、その上昇は年ごとのばらつきよりはるかに小さいのだ。
小さいから問題ではないとは言わない。1年だけ平年より2℃暑いのもつらいが、100年に0.75℃でもたゆみなく上昇していくのはそれ以上の問題であることは自明だ。

ここまでのことで私が嘘をついているなんて言っちゃいけない、IPCCの第5次評価報告書の2ページ目の「第5次評価報告書第1作業部会報告書の主要な結論」の冒頭に次の文句が書いてある(注2)

上記の通り地球の気温が100年前より0.75℃上がったのは事実としているが、人間活動が原因とは断定していない。


おっと、説明が一つ抜けていた。ネットの専門家が「地球温暖化」と「気候変動」が違うと語っている件について……
「国連気候変動枠組条約」を国内展開した温対法では「地球温暖化」と言っているが、条約では「気候変動」とある(注3)ただ条約の定義と国内法の定義にずれがある。

更に「温対法」の下位法である「気候変動適応法」では
「第1条 この法律は、地球温暖化その他の気候の変動(以下「気候変動」という。)に起因して、生活、社会、経済及び自然環境における気候変動影響が生じていること並びにこれが長期にわたり拡大するおそれがあることに鑑み、気候変動適応に関する計画の策定、気候変動影響及び気候変動適応に関する情報の提供その他必要な措置を講ずることにより、気候変動適応を推進し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする」とある。

この法律でいう「気候変動」は人為的及び温室効果ガスによるもの限定されていないから、「国連気候変動枠組条約」の定義とも違う
なお、日本の法律では「気候変動」の言葉を使っているものが7本ある(2021年3月現在)(注4)気候変動適応法を除き、いずれも定義なく条約名の引用などのみである。
だから確かに「気候変動」と「地球温暖化」は条約や法律により意味が違うが、それゆえ「地球温暖化と気候変動が違う」と語るのはナンセンスだ。「○○法の「地球温暖化」は○○法の「気候変動」とは違う」という表現でなければならない。そしてそれは単に定義が異なるだけだ。


ところで法治国家なら推定無罪という原則がある。推定無罪とは、有罪とする証拠がないなら無罪ということ。
逮捕する 日本語では「無罪」は「悪いことをしてない」と解されるが、実は無罪とは「悪いことをしてない」のではなく「悪いことしたとはいえない」こと。
英語ではまずguilty(有罪)があり、無罪はその否定形でnot guilty(有罪でない)だ。これなら意味あいは納得できる。日本語でも「無罪」ではなく「有罪にあらず」といったほうが正しい。

何の話だって
大丈夫 話はさまよっていません。
上記は刑事事件の場合です。環境の場合は全く逆で、推定有罪の原則があります。いや本当は「予防原則」といいます(注5)予防原則とは「環境や人への影響及び被害の因果関係を科学的に証明されていない場合でも、予防のための行動しなければならない」という考えです。
予防のための行動といっても大いに賛成とはいえません。端的に言えば「疑わしきは罰する」ことで、推定有罪といってもおかしくない。

気温が上がっている……これは事実
  矢印
大気中の二酸化炭素の影響らしい……これは推定
  矢印
二酸化炭素を減らせ……予防原則の出番です

すぐさま二酸化炭素を減らそうとなるところですが、地球を取り巻く大気中の二酸化炭素を減らすなんて不可能な話。
大気中の二酸化炭素を減らすのは難しいので、せめて我々が出す二酸化炭素を減らそうというわけです。

どこまで減らせばいいのでしょうか? せめて今以上増やさないようにしようってのがひとつの考えです。
今以上増やさなければ今より悪くならないだろうっていう考えですね。それが正しいのか? 正しくないのか? もちろん誰もわかりません。だって二酸化炭素のせいかどうかわからないんだから。

しかしここまでの論理のつながりはきわめて心細いというか、本当かなあ〜という気がしませんか?
何事も先立つものはお金、二酸化炭素の排出を減らすにはお金がかかります。石炭から石油にするにも、石油を天然ガスにするにもコストアップします。
電気自動車にすれば石油がいらない……なんて幼児のようなことは言わないでしょうけど、

省エネ推進が目的ならそのための投資は温暖化が誤りとわかっても被害は少ないだろう。しかし二酸化炭素を減らすことが目的であればそのための機械やシステムは効率悪化が生じるだろうから、万が一、地球温暖化が誤りであったらそのための投資が無駄になるだけでなく、残されたインフラを持て余す。
もっとも1970年代、車の排気ガス規制が厳しくなり対応した結果、完全燃焼などエンジンの技術が進み結果として燃費も良くなったという歴史もある。そうなれば良いが、

日本の自動車全部を電気自動車にしたらどうなるか?
日本の総エネルギーの中で輸送機械が使っているガソリンや軽油などの二次エネルギーは、全体の23%である。これがすべて電気に変換すると多少エネルギー効率は良くなるとしても発電能力は今より9割以上の増強が必要だ。

注:一次エネルギーとは自然界から得られる変換されていないエネルギー源をいい、石油・石炭・天然ガス・原子力・自然エネルギーがある。一次エネルギーは電気・ガソリン・軽油・都市ガス・水素など二次エネルギーに変えられ、企業や家庭で使われる。
お手上げ 現在二次エネルギーの23%がガソリンや軽油の形で輸送機械に使われており、二次エネルギーの25%が電力である。
輸送機械がすべて電動化したとすれば、二次エネルギーの電気の割合は25%から48%(23%+25%)にほぼ倍増する。どんなエネルギー源でも電気に変換することはできるが、現在の日本は電気への変換つまり発電能力は、原発が停止している今、ひっ迫している。これを倍増するのは?
 参考:エネルギーバランスフロー(資源エネルギー庁)

今2021年である。2050年までに発電所を今の倍作ることが可能だとは思えない。
バブル崩壊から30年、その間に日本がいかほど変化したか振り返れば、これから30年でそれができるとは思えない。

石油も石炭もエネルギーをとりだすと二酸化炭素が発生する。それなら二酸化炭素を大気中に出さなければ良いという発想があります。それがCCSです。
CCSとは、発電所などから出た二酸化炭素を地中深く貯蔵する方法です。聞いただけで大丈夫か?って思いませんか。
ご想像の通り、CCSも簡単ではありません。

CCSといえば CCSで思い出すのはハトポッポのこと。鳩山由紀夫は元自分の選挙区であった苫小牧地区にCCSの実証試験施設を誘致し、 ルーピー鳩山 大いに期待していた人である。
ところが2014年に北海道胆振東部地震が起きたときに「地震の原因はCCSではないか」と発言し、北海道警察はハトポッポの発言をデマと認定した。
私はCCSと地震の科学的な因果関係はわからない。しかしCCSいらっしゃいと誘致して、地震が起きれば過去の自分の行動を忘れてCCSのせいだというのはおかしいだろう。この人の頭は大丈夫なのか?

風力発電ですって
私は10年間京葉線で通勤してまして、新木場駅から南方に大きな風車が見えました。でもプロペラが回っていたのは月に数回です。それであれは風力発電ではなく、なにかの記念オブジェで電気で風車を回しているのかと思ってました。
でも風がなくてプロペラが回らないならまだ良いほうです。建設された風力発電所の多くは、回転することにより発生する低周波騒音で眠れない、家畜が死んだと大変な問題になっています。
太陽光発電ですって
こちらも風力発電に負けず、どこでも公害騒ぎで近隣ともめています。反射光がまぶしい、反射熱で家の中が熱帯だ、草木を刈り払ったので土砂崩れが起きた。そのため水が汚染されて魚が獲れなくなった……
いや、それどころではありません。2015年の鬼怒川の氾濫は、ソーラーパネル設置のとき川岸を崩したところから水があふれたという。もう完全な犯罪だ。とはいえ法に反しないとされ罰則は受けていない。

自然エネルギー発電所はNIMBYニンバイのようです。NIMBYとは「Not In My Back Yard」のことで、火葬場とか廃棄物処理場のように必要だけど自分の近くにはあってほしくない施設を言います。
原発は事故が起きたら大変だけど、風力発電や太陽光発電は事故が起きなくても問題とは困りました。


いやいや、そう考えこんでは環境で飯を食っていくことはできません。ここは勢いです。細ケエことは良いんだよ、
「そうだ、そうだ、二酸化炭素が悪いんだ! 止めろ! 減らせ!
そう叫ばないと時代に遅れます。

でも二酸化炭素排出を減らすって簡単でしょうか?
「俺は二酸化炭素なんて出してない!」と思うかもしれません。確かに私たちが生きていく上では呼吸くらいしか二酸化炭素を出しませんから微々たるものです。
でも電気を使い、電車や自動車に乗り、風呂に入り、バナナを食べコーヒーを飲む…ということはとんでもない量の二酸化炭素を出していることになります。

フットプリントフットプリントフットプリントフットプリント

同じご飯を食べるにしても、住んでいる土地のお米を食べるのと新潟県魚沼産コシヒカリを食べるのでは、運ぶエネルギーが違います。
二酸化炭素が地球環境を踏み潰すというニュアンスから、製品が作られて運ばれて販売するまでの二酸化炭素排出をフットプリント(足跡)なんて呼ぶ人もいます。

もちろん人間だけでなく、機械を使わないゴリラだって呼吸はするし、牛はげっぷもするし、酸素を出すといわれる木々だって呼吸をして二酸化炭素を出している。
でもそういう人間以外が出している二酸化炭素の量は、過去から増えていないからかまわないそうです。

個人的な思いですが、環境問題といっても多様であり、資源枯渇もあり廃棄物問題もあり、公害もあるわけで、ここ20年もの間 二酸化炭素ばかり騒いでいるのはどうかと思います。まあ、細けいことはいいんだと割り切るのが流行なのでしょう。


しかし環境で飯を食っている人は、二酸化炭素を減らすなんてことでは満足できないのです。彼らは叫びます。
環境意識の高い人たちにとって、二酸化炭素を大気中に出すのは犯罪行為らしいです。そこでカーボンニュートラルという発想が出てきたんですね。カーボンニュートラルとはカーボン(炭素)をニュートラル(中立)にするというのです。
早い話が二酸化炭素を出さないことです。


地球温暖化対策というものは予防原則の上に成り立っている。では予防原則とは間違いないものなのだろうか?
その成功事例や失敗事例はどうだろう?

予防原則の成功例
一番有名なものは19世紀初めの医師ゼンメルワイスの事例だろう。
産科の医師だった彼は、医学生担当の病棟では産褥熱による死亡率が13%もあるのに助産婦担当の病棟では2%だった違いに注目し、病人に接している医学生にはばい菌が付いているのだろうと予想し、手の消毒を徹底させた。これにより死亡率が助産婦と同じになったという(注6)

ここで「産褥熱による死亡率」とは、妊婦の13%が産褥熱になって死亡するのかと驚いたが、 あかちゃん 妊婦で産褥熱になる人は10〜30%で、その内の13%が死亡したということのようだ。
とはいえ、出産するとき1.3〜4%死亡したとは恐ろしい。妊娠することはまさに命がけだった。
現在とられている統計である「妊産婦死亡率」とは、出産時ばかりでなく妊娠中から出産後42日後までの死亡率だが、現在の日本では10万人に3.4人(0.003%)である。
なお、この数字は10万人あたり5人が限度のようで、それ以下にはならないようだ。出産とはいつの時代でも女性にとって危険なことであることに変わりはない。


予防原則の失敗例
予防原則に基づく失敗の多くは、当時は科学的に究明されていなかったとか、実験であったと言い訳されるようだ。だからネットを探しても予防原則の成功例はあふれるほどあるが、失敗事例はまず見つからない。

私の通っているフィットネスクラブのトイレとか化粧室にはハンドドライヤーというのでしょうか、手を洗ったら風で乾かすものが設置してあります。新型コロナウイルス流行になってから使用禁止になりました。まあ手を洗った水にはコロナウイルスが入っている可能性があり、それが空気で室内に散乱してはまずいだろうというわけでしょう。聞くとこれはフィットネスクラブ独自の考えでなく経団連の通達とのこと。
その後、手を洗ってから風で水を飛ばしても感染する可能性は低いことが判明した。それで昨年末に経団連がガイドラインの使用禁止を解禁したそうです。
まあ、新型コロナウイルス対策は混乱もあり試行錯誤もあります。良かれと思ってしたことを批判することはありません。ましてハンドドライヤー使用禁止が多大な費用が掛かったりリスクを上げたわけでもない。しかし予防原則の 失敗例 勇み足ではあるでしょう。


うそ800 本日はここまで

いやあ始めるときは菅首相の批判、いや激励をと思ったのですが、そのはるか手前で時間切れであります。
次はカーボンニュートラルって実現可能かどうか書こうと思います。そしていつの日か、当初の目的である菅首相というか日本の政府が考えた政策がまっとうなのか、実現可能なのか、あるいは……と続きを書きたい。
推定有罪・予防原則が正しいのかも考えたいですね。


うそ800 本日の宿題

菅首相が自分で考えて話しているわけじゃありません。環境省や経産省の役人が一生懸命鉛筆をなめて原稿を書いているに違いありません。
 ・環境省の検討状況
カーボンニュートラルなんてできっこないという意見もあります。
 ・できっこないという意見
次回の講演()までに予習をしておくように、😃




注1
注2
注3
「国連気候変動枠組条約(日本語公式訳 環境省 気候変動に関する国際連合枠組み条約
第1条第2項 気候変動の定義
「気候変動とは、地球の大気の組成を変化させる人間活動に直接又は間接に起因する気候の変化であって、比較可能な期間において観測される気候の自然な変動に対して追加的に生ずるものをいう。」
原文は下記の通り
UNITED NATIONS FRAMEWORK CONVENTION ON CLIMATE CHANGE
Article1 clause 2
"Climate change" means a change of climate which is attributed directly or indirectly to human activity that alters the composition of the global atmosphere and which is in addition to natural climate variability observed over comparable time periods.

ところが「国連気候変動枠組条約」を国内展開した温対法の定義は本文に記した通り「人の活動に伴って発生する温室効果ガスが大気中の温室効果ガスの濃度を増加させることにより、地球全体として、地表、大気及び海水の温度が追加的に上昇する現象をいう」で言い回しは違いますが、国連気候変動枠組み条約の公式訳と同じです。
なぜか「Climate change」が「地球温暖化」と変化したのかわかりません。

なぜ英語で地球温暖化といわないのかとなると、気候変動は気温上昇だけでなく多雨化・乾燥化とかところによっては寒冷化が起きるといわれている。
気候変動により北米の寒冷化が起きるという説から作られた映画「デイ・アフター・トゥモロー」がある。世界的に見れば温暖化ばかりではないということでしょう。

注4
「気候変動」という語句を使っている法律は下記の通り。
  • 環境基本法
  • 地球温暖化対策の推進に関する法律
  • 国立研究開発法人国立環境研究所法
  • 生物多様性基本法
  • 水循環基本法
  • 緑の気候基金への拠出及びこれに伴う措置に関する法律
  • 気候変動適応法
気候変動適応法を除き、いずれも定義なく条約名の引用などのみである。

注5
予防原則の考え方は昔からあるが、普通引用されている定義は1992年のリオ宣言の第15原則である。
「環境を保護するために、各国はその能力に応じて、予防的方策を広範囲に適用すべきである。深刻なまたは取り返しがつかない被害の恐れがある場合は、十分な科学的確実性がないことを理由に、環境悪化を防ぐ費用効果の高い対策を先送りしてはならない」
つまり費用対効果が見込めないことはしなくてよいのだが?

注6




外資社員様からお便りを頂きました(2021.03.15)
おばQさま 現状に相応しい話題を有難うございます。
「地球温暖化対策は人類の責務である」とか、「地球温暖化は地球の悲鳴だぁ」とか言っている人が随分居たと記憶しています。
環境活動の人ではなくて、意識高い系の芸能人とか、著名人でも多かったですよね。
そういう人達が、今の「コロナ対策で停滞している状況」を、どう考えているか知りたいです。だって、飛行機は大幅減便で高空に待ち散らかされる二酸化炭素はずいぶん減ったはずです。経済が停滞し燃料価格が暴落、これでエネルギー消費は減ったから万々歳。
結局、いくら立派な理念の人が訴えたり活動するよりも、コロナが流行すれば、今まで言ってきたことが全部実現できたじゃありませんか。「これは素晴らしい」「地球が喜んでいる」(会社や仕事が無くなって泣いている人はたくさんいるし、自殺者も増えているけれど)
どうなのでしょう、これだけ彼ら彼女らにとっては、望んでも実現できなかったことが出来て、大喜びして地球の為にお祝いすれば良いのに、寡聞にして知りません。言ったら失業者から袋叩きになると心配しているのでしょうか?

脱炭素、カーボンフリー社会なども言われていますが、結局 水素を使う。
水素を作るには電気がいる、その電気は原子力の余った電力活用というのが、ついこの間までのシナリオでしたが、それに代わる実績のあるものは、寡聞にして知りません。
企業イメージ向上の為に、「当社はクリーンエネルギーで生産しています」というのも増えました。電力自由化で、昨年末は電力不足でクリーンエネルギーは500円/KW越え(通常の太陽光発電の売電は100円/kwくらい)
企業も馬鹿ではないから、ここまで高いと仕入れ先を変えるでしょうね。
クリーンエネルギーを100%使っていないから名刺やパンフを書き換えたのでしょうか?
結局、現時点で本気でクリーンエネルギーなんて言ったら企業活動は成り立ちません。
特殊な場合:陶業とかパン屋で、水車で挽くならできるかもしれませんが、大規模は絶対無理。
となると、クリーンエネルギーとは小規模生産と見つけたり。
自宅の屋根にソーラがあれば継続可能かと言えば、10年後にソーラを交換する場合、それ以前のそのパネルは、どういう電気で作られたか(中国沿岸で石炭焚いた電気だろう?)
結局、見えない所は見ないフリをするか、小規模で見える範囲で立派にやってみるか。
それを考えると、企業のクリーンエネルギーは当分難しそうです。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
実は私も同じことを考えておりました。(決して外資社員様に言われて、あわてて勉強したわけではありません 汗)
新型コロナウイルス流行の波紋は多方面に及んでいます。
マスク 2020年秋から今春までのインフルエンザ患者は例年の500分の1に激減したそうです。マスク着用、外出を控える、手を洗う、他人との接触を避けるなどによる効果だそうです。
コロナ流行のおかげで全世界の二酸化炭素排出量は2020年に予測より7%減少とのこと。
そう聞くと、すごいもんだ、これで環境保護はバッチリだとお思いでしょうか?
コロナで2021年2月末までの全世界の死者が265万人だそうです。これが通常の死者のどれくらいに当たるのかというと……世界人口は78億(2019)、1年間に誕生が2億人、死者が5600万くらいです。
コロナ流行は死亡率を5%アップして、人口増加は年1.8%を0.13%ほど下げたそうです。
ええ!対して影響ないじゃないですか。
全世界の二酸化炭素の排出を単年だけ7%下げたとしても、資源枯渇を1か月だけ伸ばしたことになるのでしょうか?

A様からお便りを頂きました(2021.03.15)
地球温暖化防止コミュニケーターです(笑)
おはようございます!
いつもいろいろな記事、ありがとうございます。
環境ビジネスが大嫌いなあっきーです。
今朝、ブログを読ませていただいて、地球温暖化防止コミュニケーター事務局の益々の体たらくからのやる気のなさを、ブログに展開させていただきました。
地球温暖化と温室効果ガスの検証(10)<再生可能エネルギーの真実>

A様 毎度ありがとうございます。
添付されたウェブサイト、私も時々拝見しています。言っていることも納得ですし、文章が面白いです。見習わねばと思って読んでいます。
菅首相がああ言ったけど、どうなるんでしょうかねえ〜鼻ホジ
結局、日本が世界中にお金をばらまいて我々が貧乏になるだけなのかなあ〜と懸念しています。


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