ISOが与えてくれたこと

21.05.20

私がISO9000という名前を初めて聞いたのは1986年だと思う。当時、私は生産ラインの現場監督だった。毎週開催される生産状況のフォローや会社からの通知などをする課の会議が終わったあとの雑談で、課長が語った。
「新しくISO9000という規格ができるそうだ。今までISO規格といえば部品や材料の基準を決めたものだったが、今度制定されるものは品質について決めたそうだ。我々も今後はそういう標準に従っていくようになるのかなあ〜」
それを聞いて私は品質の規格とは何だろうと思ったが、調べる気にもならず、その話を右から左に聞き流した。当時は日々の生産を達成するのが私の仕事であり、実を言ってほとんどの場合それを100%達成できなかった。いつ関わるかさえわからないISO規格など、はっきり言ってどうでもいいことだった。

ちょっと一言 これを書いている今は2021年である。上記のようにISO9000を知ったのは1986年だから、今から35年前になる。それは私の年齢の半分になる。そして私が生まれる35年前は第一次世界大戦がはじまった年だ。イヤハヤ、私は長生きしすぎたようだ。

なぜかISO9000という名前だけは頭に残っていて、日経新聞などでその名前を見かけることが幾度かあった。とはいえ見かけても特段興味を持つこともなかった。そして実際の仕事とか取引においてISO9000という名前を聞くことはなかった。


次に私がISOMS規格と出会ったのは1992年だった。そのときまでにいろいろあって、私は品質保証部門に移っていた。 いろいろあってとは、私が仕事でチョンボして左遷されたということだ。その頃、品質保証部門は仕事でミスしたとか能無しの行くところと見られていた。文書管理部門もそうだったね。計測器管理もそうだ。
そういったパッとしない部門が脚光を浴びたのは、ISO9000sのおかげだ 😁

私が異動してすぐにイギリスに電子機器を輸出することになり、そのための準備として輸出先の法規制や安全基準などを調査していた。品質保証もいろいろめんどくさいらしい。 設計の人が先方の規制がどうなっているのかを調べてくれた。そんなことに関わった人はわかるだろうが、法律でも購買規格でもひとつの文書にすべてを書き込むことはまずない。要求仕様が多岐にわたると一つの文書にすれば膨大になることもあるし、個々の要求をひとつの基準文書として、それらを引用して要求仕様の一部とすることが一般的だ。
それは法律の構成と同じだ。新たな法律を作るとき、関連/類似する規制や定義が既にある場合は、それを引用することが多い。「この法律で○○とは○○法で定める○○をいう」なんて文章をよく見かけるだろう。
また詳細事項は法律では定めず、下位文書である施行令とか省規則に振ることになる。


調査結果、品質保証への要求はISO9002を満たすことと分かった。よって品質保証部門の……つまり私の仕事は……ISO9002を認証することになる。当時はISO9000といってもISO9001、ISO9002、ISO9003とあった。それは後の2000年改定でISO9001に統一された。


ISO9002認証

もっともつい最近まで某工場の壁に「ISO9002認証」と大書していたところがある。書き直すペンキ代もなかったのだろうか?

ISO9000認証を要求されたのは初めてだが、客先や法規制が製品のみでなく製造工程についても要求しているのは過去なかったわけではない。
電取法では工程検査とか検査機器の使用や管理とその記録を要求していたし、ULでも部品管理や工程管理を要求している。客先が検査計器の校正手順やその記録の提出を要求するのは一般的だ。中には完成品を保管する倉庫の温湿度管理を要求するところもあった。
まあ、法規制であろうと客先要求であろうと、対応するのが品質保証屋である。
とはいえISO9000sとはなんだろう? そんなところから出発した。

まずISO9002を読むことが必要になるが、ISO9002の和訳がないという。
設計担当者は私にイギリス駐在員が向こうで入手したというISO9001の英文を私に手渡した。そしてあとはよろしくと…

私にとって英語とは中学と高校で習ったことがすべてであり、しかも高校卒業してから25年間も英語と関わったことはない。だから自分が英文を読んで仕事するなんて思いもよらない。英語が必要な仕事は、英語ができる人がするものと思い込んでいた。

実は我々がISO9000sに取り組むはるか前の1988年に対訳本が発行されていた。更にISO9000sは1991年にJISZ9900sとして制定されていた。
田舎の工場にいた私は、そんなものが存在するとはつゆ知らず、英文のISO9002を前にして悩んだ。

今なら日本規格協会のウェブサイトにアクセスしてISO9002の日本語訳を売ってないか、お値段はいくらかとみることができるだろう。あるいはJIS規格になっているかを聞くこともできる。
その前に検索エンジンで「ISO9002+和訳」とググればいいのにと思うかもしれない。

残念ながら1992年頃はインターネットもなかったし、ISO規格にしてもJIS規格にしても八重洲ブックセンターとか、日本規格協会に行ってISO規格のリストを見せてもらうとかしなければならない。田舎にいてはそれは結構ハードルが高い。
それまで何かJIS規格が必要になると、日本規格協会に電話して、このようなJIS規格・ISO規格はありますか? おいくらですか? どこどこに郵送してください、支払いは…と頼むのが通常である。
30年前と今は何が違うかというと、技術が進んだこともあるだろうが、情報がたやすく手に入るようになったことが極めて大きい。

今だって、もしインターネットが使えなければ、仕事をどう進めるか途方に暮れるのではなかろうか?


ともかく私はISO9002を和訳して、審査までに品質保証体制を作らなければならない。そして関係者は皆私がISO9002を和訳してくれるのを待っているのだ。

ISO9002とはISO9001から設計を除いたものである。多少フォントは小さいが本文は12ページしかない。たったこれだけとも言えるが、当時はとんでもなく困難な仕事だと感じた。
なによりもまずは翻訳しなければならない。
とりあえず自宅の本棚を見ると高校時代使ったコンサイス英和辞典がある。高校のグラマーのテキストもある。これ以上何を望むのか?

早速英文を1行読んでは、辞書を引き、日本語訳(?)を書き連ねていく。規格というと使われている単語は限定され、文型も難しくはない。だが文章が長い。誤解を避けるために条件や目的を関係代名詞でつないでいて、形容詞節・句がどんどんと増えていく。一つの文に前置詞や冠詞を含めると単語が30とか40あるのだ。
私の書く文章が長いのは、ISO規格とか法律などを読みすぎたせいもある。誤解を防ぐため……というより誤解されても書いた人が責任を問われないために……には諸条件をもれなく盛り込むことになる。

翻訳を始めてすぐに、まずは単語帳を作らなければならないことに気づいた。というのは規格で使われている単語は一般的な意味ではないのだ。
ISO規格に一番多く出てくる単語は「shall」であるが、それは「するでしょう」という未来を示すのではなく「しなければならない」という義務である。
その他、使われている単語は定義されていないものもすべて一般的な意味ではないのだ。
requirementを要求事項とするのは良い。しかしcontractを契約とするのはペケだ。contractを契約といえば契約なのだろうが、契約書に書かれたことだけでない。対象となるのは、契約書はもちろん電話やFAXでのやり取り、項目は納期とかお金だけでなく細かい約束なども含まれる。だから契約とするよりもっと広く、交渉結果とか話し合いしたこととかのニュアンスになる。そしてそういった情報をどう関係部門に周知徹底するかが問われる。

contract reviewは「契約書の見直し」でないのはもちろん、JISZ9900sの「契約内容の見直し」でもない。前述の交渉結果などすべてが対象となる。
そして「review」の訳も難しい。JIS訳では「見直し」とするのが一般的だが、ふつう使われている「見直し」ともなんか違う。照査(基準と比較すること)とか、チェック(正しいかどうか確認する・事実を調べる)すること、改定するかどうか検討することとか……
そんなことがあり、結局規格に出てくるすべての語の単語帳を作る羽目になる。

困ったぞ 当時はインターネットに翻訳サイトなんてあるわけがない。それどころかインターネットがない。
MS-DOSで動く英和翻訳ソフトを買った部門があり、使わせてよといったら、先方は購入部門以外が使うとアプリの使用許諾違反になるといって貸してくれなかった。同じ企業であればコピーするのでなく、他部門の人がインストールしたパソコンを使うのは違反にならないと思うけど?

あとで気が付いたが、ISOMS規格を翻訳ソフトで翻訳しても、まともな日本語にはならなかったと思う。
ひとつは構文が関係代名詞でどんどんとつながっていること、また主語述語がワンセットで複数のことを実施しなければならない場合、S+Vのみが1行になっていて、個々の実施事項はその下にリストになっていて、それらは句とか節であるものが多い。
第三に単語の意味が辞書にある一般的日本語でない。そんなことで単純に原文をインプットしても役に立つ文章になったとは思えない。

翻訳会社を使えばよいという発想もあるだろう。田舎には翻訳してくれる会社も個人もない。そのときではないが、一度日本規格協会の月刊誌の広告に「技術翻訳をします」なんてあるのを見つけて頼んだことがあった。会って話せば力量とかわかったのかもしれないが、当時は東京まで出張すること自体大変で電話だけで頼んだ。
技術翻訳にもランクがあるのだろうが、そのとき頼んだ会社は、一般語としての翻訳で私が訳したものより使い物にならなかった。同じ単語でも電子と機械では意味も異なるし、日常語とは違うからそのカテゴリーの経験者とか、さもなければこちらがしっかりと対訳表を作って渡さないとならない。それから10年以上してフリーランスで翻訳をしている方と話をする機会があった。ものを見て、技術者と話をしないと翻訳なんてできないという。まあ、そうなんだろう。
でもそれじゃわざわざお金を出して依頼することないじゃないか?
稚拙でも自分が訳して、英語の得意な人に文法とか語尾の変化のチェックをしてもらう方がよさそうだ。


ともかく1週間か10日くらいかけてなんとか訳し、それを簡易製本して関係部門に配った。関係者はおばQ翻訳の怪しげな規格をもとに仕事をしたわけだが、本人は気が気ではなかった。
結果論だが、日本規格協会とやりとりして日本語のJISZ9902を入手したとしても、同じくらい日数がかかっただろう。

ともかくその後、ISO9002審査を受けてみごと(?)合格した。我が生涯最良の日である。背が30センチくらい伸びた気がした。

この仕事の結果、私は英語の力が付いたわけではない。仕事を与えられたとき、それを達成する意思、頑張りという点でやればできるのだという自信がついたと思う。
おっとISO9002認証のための労力は英文を訳したことの10倍はかかった。


当時は維持審査というのは半年に1回だった。審査が終わると毎回宿題(不適合)が出され、その処理を終えた頃次回審査という目まぐるしい感じがした。当時は審査で不適合が出るのは普通だった。他社も同じようなものだったので不適合が出されてもなんとも思わなかった。

もちろん私はISOだけ担当しているわけではなく、複数の客先相手の品質保証を担当していた。こちらはISO審査と違い具体的な製品仕様もあるわけで、立会検査は向こうの検査員も真剣勝負である。
とはいえお金をもらっている身、できませんなんてのは禁句、それにどんな仕事でも経験を積めば要領もよくなりなんとかなるものです。


客先の監査では決めた通りしているかというものが多い。基本的に項番順であるし、チェック項目は品質保証協定とおりである。それは当たり前であるが、監査を受ける身にしてみれば楽だ。

ISO9002の審査はそれとはいささか異なった。客先指定で出荷検査の抜取はMIL105Dによるなんて決めてあるのが普通だった。
ISO審査ではいささか異なり、どのような根拠で抜取検査を決めているのかということになる。確かにISO規格では具体的な検査方法を決めていない。統計的手法という要求事項がありどのような考えで抜取検査を設計したか説明なければならないわけだ。
まあ多くの場合、客先の品質保証協定書に明記してあるので、それを説明すればおわりだ。

とはいえ審査員から問われたとき、客から言われたとおりにしていますというわけにもいかない。
現場にいたときは抜取検査の抜取数の決定やランダムに抜き取る方法は、検査基準に決めてあり、理屈など知らない。そもそもAOLと抜取検査とはどうつながっているのか、なぜその抜取数になるのかということがわからない。
勉強するしかない。

当時二社取引では抜取検査企画はMIL105Dであった。MIL105Dはとうの昔に廃止されていたが、なぜそれが使われているのか、それもわからない。
勉強するしかない。勉強してもわからないこともある。


1996年にISO14001が登場した。このときは商売のために必要ではなく、同業他社に後れを取るなという非常に日本的な理由だった。認証していないと恥だとかそんなことだ。

ともかくまた認証するぞとなった。製品対応のISO9002と違い、工場全体に関わるということで工場各部門から5人ほど選ばれて認証準備することになった。
まずISO14001は法規制をよく調べないとならないらしい。それで環境法規制と思われるものをリストアップして、みんなで分担して調べようとなった。

今考えるとなんでそんなことをしたのかと思う。それまでに公害とか危険物とか毒劇物とかの、届け出とか有資格者の育成などをしていたものを引き当てれば済んだわけだ。無知とは恐ろしい。というか当時依頼したISOコンサルが無能だったのだ。もっとも当時の(今もか)審査員がそのような方法を示したら適合判定したとは思えない。


環境側面というのは点数をつけて決めないとならないらしい。ところが環境側面の候補をたくさん取り上げて配点し計算した結果は、規格でいう著しい環境側面にならない。結局、著しい環境側面であると考えるものが上位になるように配点を調整することになる。
だんだんとISOコンサルの語ることがおかしいと感じてきた


ISO14001の審査ではISO9000sの審査と違うことがある。それは審査員が会社を良くするとか、ISO14001は経営の規格だと信じていたということだろう。
経営者インタビューというのはISO9000sの時代からあったが、インタビューの格調が大幅に上がった()。

注:私が格調高いというのは、とんでもなくレベルが低いということです。

会社によって事業推進にあたってのデシジョンメーキングの方法は異なるだろう。私が勤めていた会社では、工場長(受査組織の最高責任者)は来客があっても挨拶だけしかしない。実務はその下だ。思うに工場長が決めたら絶対で変更がきかないという重みがあったのだろう。だから交渉事はその下が行い、交渉者が工場長に説明して工場長が最終決断を行うという形だったのだろう。
政府でも首相が語ればそれでオワリだが、官房長官が語って支障あれば訂正してもおかしくないというようなものだ。

ISO9002のときも経営者インタビューというのはあった。しかし工場長は名刺交換程度で、インタビューは管理責任者(management representative)が受ける形で行われた。質疑も品質方針への思い入れなんてアヤフヤはことなど聞かない。方針をいつ立てたか、そのインプットはなにか、周知はどうしているか、見直しは……という実務的なことばかり。経営者による見直しも同じ。
それは意味あるインタビューだと思う。

ISO14001のインタビューはそれと違い格調高い()お話であった。
審査員によると環境は経営で一番優先する事項なのだそうだ。そりゃ公害を出してはいけないし法律違反もいけない。でも環境投資が最優先ということもない。設備更新、雇用、宣伝、開発、特許、重要なことはたくさんある。どれを優先するかは経営方針もあるし、周りの環境条件もある。環境が最優先ですなんて簡単に言えるものではない。

工場長は環境保護
にいかなる思いを
お持ちですか

審査員
「工場長は環境保護にいかなる思いをお持ちですか? それを従業員にどのように伝えているのか?」
そういうことを聞くのが経営者インタビューというのだろうか? 私は愚かなのでわかりません。

「工場長は著しい環境側面をご存じでしょうか?」
工場長がこまごましたことを知る必要はないし、こまごましたことに気を取られて大局を見失っては困る。
ちゃんと必要に応じて工場規模で関わる法規制や事故や設備更新や資格者育成などについては報告しているのだ。


ISO14001審査ですべきことはいろいろあるが、法律を知らない審査員のたわごとにいかに対処するかということが最重要だった。なにしろへたをすると問題でないことを不適合にされてしまうのだ。それも規格要求に不適合ではなく法違反と言われては大問題。
最初は真っ向から、ご指摘は○○法何条にあるように問題でないとか、消防署に問い合わせ結果とか、市役所の廃棄物課に確認した結果という説明をしたが、後に審査員に不適合を立証させることが一番と気が付いた。


裁判であれば被告人は無実を証明するのではなく、有罪とされる証拠・根拠を否定することで良い。そもそも無実であることを立証することは理屈から言って、困難あるいは不可能なのだ。ところが審査員の多くは悪魔の証明ということを知らない。
まず勉強、そして論理的に考える そして裁判における有罪か無罪かの議論と、ISO審査における適合か不適合かの議論に本質的な違いはない。
だから審査員は不適合であることを立証しなければならず、受査側は適合を立証するのではなく、不適合とされた証拠・根拠を否定すればよいのだ。
しかしISO14001審査では受査側が適合を立証しなければならないという摩訶不思議、それは理不尽なのである。理不尽とは道理に合わないという意味だ。
だが審査員の摩訶不思議な論理に巻かれることはない。愛が勝つことはめったにないが、正義は勝つのだ。

「ハイ、どの要求事項を満たしていないのですか?」
「どの法律の何条に反していますか?」
これで十分です。審査員がそれを説明できずに不適合というなら「ハイ異議申し立て」、これでだいたい片づけることができた。
もっともその理屈さえ理解できない審査員も多かった。彼らはISO19011もISO17021も読んだことがないようだ。あるいは読んでも理解できなかったのだろう。
20世紀にはISO19011もISO17021もなかったなんて言ってはいけない。当時はガイド62とガイド66があった。
えっご存じありませんか?
いくつになっても学ぶことは大事ですね、

冗談抜きに、ガイド66を読んだという審査員に会ったことがない。
ISO9001ならガイド62、ISO14001ならガイド66を読まないで審査をするというのは、目をつぶって運転するのと同じくらい恐ろしいことだ。だが怖いもの知らずの審査員がウジャウジャいたんだよね。
さすがにISO17021が登場した時は、認証機関が審査員にISO17021の教育をしたという話を聞いた。それでも「適合の立証責任が組織にある」と語る審査員は、教育を受けても理解していないのだ。口頭で語るならまだしも、アイソス誌などに書いていた審査員もいた。少しは恥を知ってくれよ。


私は21世紀になって工場の環境担当から、某企業グループの環境監査をするようになった。別に偉くなったわけではなく、リストラになり拾ってくれた人がいたということだ。
その仕事では、グループ企業のISO審査に立ち会うこともあり、そこでおかしな判断とか適合なのに不適合というものを見ることも多かった。また審査で出された不適合の処理に困ったという相談も多かった。
ISO審査員に悩まされていたのは私だけではなかったのだ。

仕事柄、同業他社の人に会うことも多くなり、審査に関する情報はどんどん増えた。トラブルの多くはISO規格解釈に関わることが多かった。
自分に関わることでなくても、相談を受けたり助けを求められると、色々調べて認証機関に調整(異議とか苦情ではない)に伺ったことも多い。

ISO規格は難解なのであろうか?
そうとも思えないが?


私の世界が広くなったにつれいろいろな会合に行くようになり、大学の先生とか認証機関の取締役クラスに合うことも多くなった。
大学の先生というと専門分野の理屈を知って、そして現実を認識していると思っていたが、それは私の思い込みであった。ISO関係の種々の会合には大学の先生も参画しているのが多いが、彼らが企業の環境担当者より知識があるとか実務能力があるわけではない。まあ調整能力はあるとは思う。

大学の先生の多くは、環境保護というのがまずあって、それを実現するためならいかなる手段でも使えると考えているようだ。そしてISO規格とは個々の要求事項でなく、ISO規格に従えといえば組織はひれ伏すとでも思っているようだった。
そうではないのだ。ISO規格には定められた要求事項があり、要求事項を満たしているならISO14001適合なのだ。
要求事項にないことを持ち出したり、拡大解釈されては困る。ISO規格は書かれたものがすべての法治主義なのだ。

しかし誤った考えは、毎年開催される「JABマネジメントシステムシンポジウム」でもよく見かける。
ISO14001の意図は遵法と汚染の予防である。
だが遵法と汚染の予防のためになることをしていなければ不適合ではないのである。
また違反や事故が起きたら不適合でもないのだ。
だが某認定機関も認証機関もマスコミや消費者団体が怖いのか、不適合と言えない状況でも認証取り消しとか認証停止なんてジャンジャンと出した。

そうそう、消費者団体とは理屈ではないようだ。感情で動いているとしか思えない。そもそも購買活動においてISO認証を参考にすべしと考えてもいないし、そういう指導もしていないのに、認証企業に問題があれば、信頼を裏切られたなんて赤穂浪士のようなことを語る。信頼を裏切るためには信頼されていなければならない。信頼していない人を裏切ることは論理的に不可能なのだ。
マスコミも似たような感じだ。ISOなど聞いたこともなかったのに、問題があればとたんにISO認証していたにも拘らずと言い出す。これも論理とは無縁だ。理屈ではなく屁理屈だ。

審査で違反を見逃したと批判されると認証機関は「審査は抜き取りですから」と語る。その通り、それはISO17021のも明記してある。
だがそれなら受査組織においても不適合が混入するのを許容しなければならない。
恐れ多くもいやしくも、認証機関は抜取検査くらいは勉強しているだろう。抜取検査を行うと購入契約に記してあれば、ロットに不良品を一定割合以下なら許容するということである。受け入れたロットに不良品があったとき、しかもAQLどうこうでなく1件あっただけで契約違反だというのは、己が契約違反ではなかろうか(反語だよ)。
このアナロジーわかりますか?
審査は抜き取りで行います。抜き取った結果認証しました。後に不適合が発覚しました。認証を取り消します。この流れで契約違反をしたのは認証を受けたほうではなく、認証したほうでしょう!
それさえも理解できないだろうなあ〜
どうしても受査組織の契約違反にしたいなら、不適合が契約書に記載したAQLを超えていることを示さなければならない。ところでISO審査のAQLはいかほどに設定しているのですか?

だったらさ、ISO審査なんてしないで、認証希望の企業には全部認証を出して、違反や事故を起こした会社の認証を取り消す方法にしたら手間がかからずお金が儲かるよ。
そうじゃねーだろう!

ISO14001のすべてのshallを満たしても事故や違反を防げないことは当然である。そのときISO14001がダメだ、役に立たないというのではなく規格そのものの見直しもあるだろうし、完璧でなくても良いという考えもあるはずだ。
そして組織(会社)は、すべてのshallを満たしていても不具合が発生したならば、ISO規格要求と関わりなくシステムの改善を図らねばならないのも当然だ。だって、ISO規格適合であれば事故が起きてもよいという理屈はないからね。

そんな人生を10年もやってればアホくさくなる。
そんなことを知り尽くしてISOコンサルに励んでいる人は金儲けしかないだろうし、そんなことを知らずにISOコンサルをしている人はアホしかいない。


ISOMS規格と付き合っていると、ISO規格は法律と近似していることに気が付く。
まず基本として法治主義であること、論理解釈であること、現実は理想とは違うこと。

しかし異なることもある。
法律となると法律、施行令、省規則だけでなく、ものすごくたくさんある通知、また裁判があれば判例、行政の過去の判断事例など、要するに定めたものを理解するだけでなく、過去の記録を読み覚えないと動けない。

ISO審査でも組織に対する要求事項であるISOMS規格だけではなく、審査に対する要求事項であるISO17021を始めIAF基準やJAB基準が重なる。しかし過去の判例などない。だからISO審査に必要な知識のボリュームは非常に小さい。

比較してみよう。公害関係で最もボリュームが少ない法律は騒音規制法だろう。騒音規制法の文字数は16,000字である。ISO14001は序文から付表までで15,000字しかない。
騒音規制に関して理解が必要なのは法律だけでなく、施行令、省規則、通知そして過去の判例、事故違反事例とその罰則の実態などであり、それらを考慮すれば、ISOMS規格の他にISO19021やIAF基準やJAB基準を加えたものの数倍になるだろう。

公害だけで他に水質、大気、振動があり、必要なのはそれだけでなく消防法、化学物質規制、省エネ規制、PCBその他もろもろある。
一番ボリューム大きいのは廃棄物関係だ。廃棄物処理法の文字数だけで120,000字ある。これに施行令、省規則、通知などを加えると250,000字はあるだろうし、判例はもう両手両足で足りない。
となると環境法規制で必要とする知識量はISO関連の知識量の50倍くらいになる。いかにISOMS規格なんてシンプルかってことだ。
ま、そうでなくちゃ一人の人が複数のISOMS規格の審査員ができるはずがない。


話が漂って申し訳ない。
ISOMS規格というものは素晴らしいものではなく、妥協の産物だろう。だって規格改定のたびにISOTC委員が「ここはこういういきさつで……」と解説するのが常である。
とはいえ無用ではない。標準なくして改善なしという。どんな作業であれまずは手本を決めて実行し、不具合を直していくという方法が最善である。方法が確立していないから標準ができないということは絶対にない。分からないなりにあるべき姿を考えて基本とし、実行を繰り返してリファインしていくのが正しいというか最善のアプローチだろう。


それはマネジメントシステムだけでなく、生き方、考え方も同じだと確信する。
仕事で学問が足りないと感じれば大学の通信教育を受けた。ISO認証の現実をおかしいと感じれば、なぜおかしいのかを調べたい、だけど一般市民じゃ認証機関にヒアリングもできない。研究なら対応してもらえるだろう、ならば大学院に行ってみようか。

まあ、そんなバカバカしい発想で生きてまいりました。
ISOが私に与えてくれたものはたくさんありますが、やったことがないことでもチャレンジする気持ちを持たせてくれたことでしょうか。

元々、おっちょこちょいの人間で、大器晩成どころか永遠に成熟する見込みのない人間でしたが、古希を過ぎ自分の人生を振り返るとISOと巡り会って幸運だったと思います。
もし出会わなかったら、品質保証部門で愚痴を垂れていたでしょう。そしてリストラに会えばドンドンと下に下にと流されてオシマイってのは間違いなかったと。
私は幸運な男だと思います。
せめてもの恩返しに、死ぬまでISO認証よしっかりせよと檄を飛ばすことを誓います。

えっ、最後の一行は要りませんでしたか?


うそ800 本日の感謝

ISOと関わって山あり谷あり、いろいろなことがありました。思いもよらない経験ができたことは幸運だと思います。
しかしISO認証制度というものが素晴らしいかと聞かれたら、アホらしいとしかいいようありません。
でも私はISO認証制度があればこそ、生きてこられたというのは間違いない。ISOが私に与えてくれた最大のものは、なんといっても家族が飯を食べられたことです。
それ以外ですか?
そうですねえ〜……ありませんねえ〜




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