信じるとはなんなのか?

21.06.14

信じるとは何なのかなんて哲学的とか難しいことを語るつもりもなく、そんなことを考えるほど真面目でもない。 ウイスキー もともと真面目でない頭で半分酒が入って考えたお話なので大いに怪しい。

地球温暖化とは、今全世界にまたがる喫緊で最重要なテーマであるらしい。これに参加しなければ人にあらず、無関心は犯罪だ、協力しない者は磔獄門と…世界中の首脳を巻き込んだ恐ろしい思想です。

地球温暖化とはご存じでしょうけど、

「この法律において「地球温暖化」とは、人の活動に伴って発生する温室効果ガスが大気中の温室効果ガスの濃度を増加させることにより、地球全体として、地表、大気及び海水の温度が追加的に上昇する現象をいう(温対法 第2条)」

自然現象によって地球が温暖化するではなく、また人間の活動(暮らしや生産活動)によって温度が上がることでもない。人間が出した温室効果ガスによって地球の温度があがることをいう
つまり太陽の活動が活発になって気温が上がっても、隕石が落ちたり火山が爆発したりして地球の気温が上がっても、宇宙人が攻撃してきたから気温が上がっても、それは地球温暖化ではない。

過去数十年地球の気温が上がっているのは事実のようだ。でも温室効果ガスによって気温が上がっているのかどうかはまだわかっていない。まだ分かっていないとは私が言っているのではなく、IPCCの第5次報告書に書いてある(注1)

しかし現実には「地球温暖化は真実である、そして地球温暖化を止めないと人類は滅亡する、よって地球温暖化防止に努めない人は人にあらず。獄門磔だ」と叫ぶ人は多い。
そしてまた日本政府は地球温暖化防止のために、あなたの大事なお金を巻き上げて、役に立つのかどうか分からない様々な施策を進めようとしている。

もちろんそれは地球温暖化が真実であり、温暖化を止めることが可能であり、止めないと人類が滅亡するなら絶対にしなければならないだろう。
だがそもそも地球が温暖化しているのは地球温暖化、すなわち人間が温室効果ガスを出すことによって地球の温度があがっている場合のみ該当するはずだ。地球が温暖化しているというのは種々測定によって間違いないようだが、それが人間とは無関係な自然現象なのか、あるいは人間活動によるのだが温暖化ガスに起因しないのであれば、地球温暖化していないことであり、今考えられている温暖化防止措置は意味がないことになる。

とはいえ多くの科学者も一般人も地球温暖化は真実だと信じているようなので、それを真として話を進める。そうでないと話が進まないからね。

注:論理学において「しん」とは「命題の内容が正しい」ことをいう。命題とは「正しいか正しくないかが明確にわかる文や式」をいう。
もっとも真偽は時代とともに変化するものであり、現在この命題の定義が通用するのかどうか定かではない。
例えば次の文の真偽は過去と今では変わっている。
 (1)妻は女性である。
 (2)女性は17歳の結婚できる。
 (3)人間は単為生殖できない。


現在ISOマネジメントシステム規格というものがあり、それによる認証が行われている。このISO認証とは認証機関を認定している日本適合性認定協会のウェブサイトによると「製品、プロセス、サービスが特定の要求事項に適合していること、つまり"適合性"を第三者が文書で保証する手続き」となっている。

簡単に言えば、認証してほしいと望んでいる組織(企業など)から依頼を受けた認証機関が、その組織を審査して、ISOマネジメントシステム規格に適合しているか否かを判断し、適合しているとき認証を与えることです。

注:「認証を与える」の意味はときと共に変わった。1990年代前半までは「認証機関の認証リストに記載する」ことであった。それから「適合を証明する書面を発行する」ことになり、今も実質的には認証機関や認定機関のリスト(実際にはウェブサイト)に表示することになった。

ISOマネジメントシステム規格に適合しているということは、規格に書いてある要求事項(満たさなければならないことがら)を満たしているわけで、満たしていない組織より提供する製品、プロセス、サービスが安心できるということになりますか?

もちろん安心できるといえるには、要求事項が意味あるものであり、審査がしっかり行われた場合に限るでしょう。
そしてその提供する製品、プロセス、サービスが安心できると思えることが積み重なれば、ISO認証は信頼できるという社会の認識が得られると思います。

では今現在のISO認証は信頼できる状況であるのか否か……
日本のISO認証制度の元締めである日本適合性認定協会(略称JAB)のウェブサイトに「信頼性」という言葉が何件あるかサルベージしてみました。925件ありました(2021.06.12時点)。
信頼性といっても、さまざまなことがらに使われていて、認証の信頼性ということについては検索上位より140件を読んだ結果が14件、ちょうど10%でした。

上記はいずれもISO認証の信頼性を向上させなければならない、いかにして向上させるかということを記していた。

2008年頃からISO認証の信頼性がマスコミや消費者団体から騒がれた。それを受けて経済産業省がしっかりせいと認証制度に声をかけ、その結果 認証制度はISO認証の信頼性向上のためのアクションプランなるものを2009年に策定し活動をしたらしい。

今2021年であるが、そのアクションプランの結果、いかなる成果がでたかという報告は一般社会にされていないようだ。少なくても私は知らない。
しかし前述したように2009年以降たびたび広報や講演で、ISO認証の信頼性を上げなければならないというテーマのイベントがあるようで、それから推察する限り期待された成果を出したとは思えない。

スタート時から既に10年経過して……ということを踏まえると、信頼性向上はなかなか難しいようだ(棒)。認定機関の理事たちも2回くらい代わったようだし、多くの認証機関の社長も代替わりしている。

まあISO認証の信頼性といっても、いかなる指標で示すのか定義も明らかでない。だから到達目標もわからないし、そのための施策も定量化はもちろん定性化もされていないのかもしれない。 あいまいを敵にしては神々の戦いもむなしいに違いない(注2)


【信じる】とは国語辞典によると
@少しの疑いも持たずにそのことが本当であると
A自分の考えや判断が確実であると思う。
B相手のことばや人柄に偽りがないものと思う。
C信仰する。信心する。
という意味とある。
極論すれば、「信じる」とは論理の積み重ねではなく、直感的あるいは感情的に思い込むことといってよかろう。

さて、地球温暖化はひろく世界中で信じられている。IPCCの報告書に
「人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の主な要因であった可能性が極めて高い」とあるのを、「人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の主な要因である」と読むのも信じるといってよいだろう。
私も3σ(99.73%)くらいの確率で示されたものなら納得するだ、その場合は信じるとは言わず納得あるいは同意するとでもいうのではないだろうか。

「科学者の7割が地球温暖化は真実と信じている」なんてフレーズを見たことがあるが、それはないだろうと思う。科学者なら「信じる」とは言わず、「考える」とか、「確信する」と言うのではないだろうか。「信じる」という科学者は同業者から非論理的だと哀れまれるのではなかろうか?
おっと、私は地球温暖化が誤りというのではない。


話を進める。
ISO認証の信頼性は向上しなければならないと語るドキュメントや講演が多いと前述した。ということはISO認証の信頼性が低いこと、ISO認証の効力が信じられていないことである。

奇しくも地球温暖化とISO認証の信頼性問題は2000年代の初め、ほとんど同時期に始まったが、それから15年経って地球温暖化は世界共通の宗教となり、一方ISO認証の信頼性は誰も信じていないようだ。
この違いはなんだ!?

彼方「可能性が極めて高い」というのを間違いないと信じられているのに対し、此方多くの人が信頼性を上げようとしても信じられていないとは何が違うのだろう?

実は皆さんはその違いを知っているはずだ。
地球温暖化を語る人たちは、みな地球温暖化になる、温暖化になると大変だと語っている。
だから地球温暖化と聞くと、間違いなく地球温暖化になる、そうなると大変なことになると頭に浮かぶだろう。 あっ、魔女だ
その流れに乗れない人たちは、温暖化懐疑派と呼ばれ21世紀の今、魔女、悪魔とみなされ罵声を浴びている。火あぶりになるのも遠くはない。

他方、ISO認証制度のほうでは、ISO認証の信頼性を上げよう、価値向上しようと語る。それは現在、信頼性が低い……少なくても向上しなければならない状況にあるということを意味している。当事者が信頼できないと語っているなら、それを聞いた人が信頼しないのは当たり前ではないだろうか?

言葉だけではない。かってアクションプランを出したが、その完了報告または成果報告をしていない。なおかつ、目標の達成/未達が分かる具体的目標もない。
一方、地球温暖化では気温が産業革命のときより〇度上がった。それはCO2濃度が○○ppm増えたからだと語る。
人間、数字を聞くと信じやすい。数字が信頼できるか否かは二の次だ。おっと、私はCO2濃度の変化を疑っているわけではない。要するに地球温暖化論者は、信頼されるように話をしているということだ。

私に人為的CO2温暖化説の真偽はわからない。分かっている人もいないと思う。いるのは信じている人だけではなかろうか。しかし地球温暖化教の信者たちは、温暖化する、温暖化する、危険だ、終末だと大声で叫んでいる。
最近は大人が言ってもインパクトないからか、少女をジャンヌダルクに仕立てて国際会議で叫ばせている。

詐欺師は「本当です」と言って人を騙す。だって「嘘です」といったら信用する人はいないよ。
嘘をついて騙すにしろ、本当のことを広めようとするにしろ、発言する人が「本当だ」「間違いない」と言わなければ信じてくれるはずがない。

ISO関係者が10年たっても信頼性を上げようと語っているのに、ISO認証の信頼性が高いと信じる人がいたら論理的でないのはもちろん、感情的にも正常ではない。
ISO認証の信頼性を証拠でもって示せば納得するのが論理的な人であり、証拠がなくてもISO認証の信頼性は高いと聞いて信じるなら感情的な人かもしれない。ISO認証の信頼性が低いと聞いて信頼性を信じるなら、そりゃ支離滅裂か、あまのじゃくかのいずれかでしょう。


ならばISO認証の信頼性を上げる方法ははっきりしている。
論理的な人を納得させるためには、認証の信頼性の指標を定め、その推移を……当然それは上昇傾向にあるか、あるいは期待水準を超えていなければならないが……示せばよい。
感情的な人を納得させるには、認証の信頼性は高いぞ、素晴らしいぞと常に語ればよい。間違っても信頼性が低いとか信頼性をあげようと語ってはいけない。

イベントや講演などではISO認証の信頼性がいかに高いか、信用しない人は悪魔だ!魔女だと語ればよい。オウム真理教の教宣と同じだよね、

何もせずに手をこまねいていれば、認証の信頼性どころか認証制度の信頼性が駄々下る一方だ。だって10年以上あげよう、あげようと語っているなら、真面目に取り組んでいるとは思えない。根本的なことに不信感を持つ。そして今はそんな状態だ。


うそ800 本日のあとがき

21世紀初めにISO認証企業で不祥事があったことから、認証企業が嘘をついたからだというのが認証制度側のスタンスである。これは今も変わっていない(注3)

企業の格付けをする会社もある。彼らは格付けする会社が嘘ついたらその会社が悪いといえるのだろうか?
現実には格付け会社が誤ったのだと批判されるだろうし、それを甘んじて受けるしかない。それを信じて投資して損をした人たちは、誤った格付けされた会社を恨んでもお金は戻ってこない。格付け会社を恨むのが論理的だ。それはおかしいと思うなら、格付け会社を止めるしかない。
ISO認証が誤っていたら、認証された企業を責めるより、認証した認証機関を責めるのがまっとうな考えだろう。

しかし認証とは完璧を意味しない。ISO17021(今はISO17021-1)には、審査は抜き取りであると明記してある。抜取検査は不良品の混入を前提としている。そして不良品が混入する許容をAQLなどで定めている。当然それはJIS規格などで理論的に危険率が担保されている。

ISO審査は抜取であるといいながら、不適合の混入を認めないのは理論的ではない(注4)
そして認証の信頼性とは何かも定義されておらず、マスコミや一部消費者団体が騒げば企業が悪いと責任転嫁する制度が信頼されるわけがないと思うのは私だけだろうか?

そもそも認証企業は不祥事を起こすはずがないのか? 起こせばISO認証の問題になるのか? 考えるとISOMS規格第三者認証とは不思議なビジネスである。
私は日本におけるISO認証のスタート時から引退するまでの20年間付き合ってきた。私の命のあるうちにこのISO認証の信頼性についてしっかりと決着をつけてほしい。第三者認証制度の結末を見ずに死ねない。



うそ800 2021.06.15追記
不適合が存在しても認証するのを認めるのか?という質問が来ると予想したので追加する。
費用的に全数検査(全数審査)が実行不可能であるのは間違いありません。コストや能力などから抜取審査をするしかないのが現実です。
ですからISO認証制度は「ISO審査は抜き取りですからISO認証は完ぺきではありません」としっかり社会に説明する責任があります。いや、それはそもそもISO17021-1に書いてあることであり、認証制度の責任だ。もし広報していないなら、それは問題である。
もちろん、そのときは間違いの確率も具体的に広報しなければならない。Aの間違い、Bの間違いはこれこれです。審査を受ける企業にはこれを了解して審査を依頼してください、マスコミや一般社会には、ISO認証は抜き取りですからAの間違い、Bの間違いはゼロではありません。現在は〇%に設定していますが、これでご不満なら危険率を変えますと言うべきです。
もちろん認証機関は常時あるいは定期的に、実際の不適合混入率を把握するほか、社会の認証に対する信頼性(どんな指標なのか興味がある)を把握し、それを抜取数にフィードバックをしなければならない。
そういうことを積み重ねればISO認証の信頼性はうなぎ登りだろうと思う。



注1
注2
「あいまいを敵にしては神々の戦いもむなしい」とはアイザック・アシモフの小説「神々自身」の章のタイトル。
「神々自身」アイザック・アシモフ、早川書房、1980

注3
JABはご丁寧に「JAB NS511 マネジメントシステム認証に関する基本的な考え方-故意に虚偽説明を行っていた事実が判明した認証組織に対する処置」なんていう手順書を作っている。
お金を払ってくれるお客様が嘘をつくことを前提としたビジネスは珍しいと思う。

注4
抜取検査はJISZ9000〜6010番台に10件ほど制定されている。残念ながらISO審査における抜取方法は定めていない。
ぜひ「IAF MD5:2015 品質及び環境マネジメントシステム審査工数決定のための IAF 基準文書」を改定して抜取数と必要な審査工数を明記してほしい。



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