諸行無常

21.12.27

2019年末、そのとき私が仕事を辞めてから7年が過ぎた。日々の暮らしも家事の役割分担、フィットネスクラブ・いくつかの同好会・年に数回の夫婦旅行とか、毎日、1週間、一年の行事予定が出来上がっていた。パターン化して面白みがないともいえるが、心配のない日々を送っていた。

そこに起きたのが新型コロナウイルス流行である。中国 武漢市で原因不明の肺炎が流行していると報じられたのが12月初めだった。中国はSARSとかいろいろ怪しい病気がはやるねえ〜と家内と話していたことを覚えている。

日本で大変だ!となったのは、年が明け豪華クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号で感染者が発生した1月末だ。ダイヤモンドプリンセス号 出航も日本、乗客も日本人多数。それからは連日連夜、新型コロナウイルス感染症が新聞やテレビで報道されるようになった。

それから中国人や海外旅行者の感染だけでなく、国外に出たことのない人が感染し、重症になり死亡するようになるのに時間はかからなかった。コメディアンの志村けんが亡くなったのは3月29日、この時期の動きはまさに怒涛のようだった。


アレヨアレヨという間にどんどんと世の中の習慣も変わり、生活も変わった。義務付けられる前から、外出時はマスク着用が必須となり、マスクをしていないと電車の中では人がサッと離れていく。マンションのロビーで話すのも悪いことのようになった。

マスクの品不足はひどく、どこのドラッグストアでもマスクの棚は空だ。家内はマスクを二箱備蓄していたが、マスク 家内の卓球仲間の娘さんが看護師で困っていると聞いて、そのうちひと箱を差し上げた。看護師の場合、一日に何度もマスクを交換するから大変だ。
安倍マスクを批判する人は多いが、批判するのは簡単だ。企画した官僚も苦労したろう。我が家ではもちろん安倍マスクを使った。何度か洗濯してボロボロになってから捨てた。

フィットネスクラブも休館になる前から利用する人が大幅に減り、休館手続きの簡易化とか、月の中で休館届をしても、その月の利用料金を免除とか広報していた。
プール仲間の話では、どのフィットネスクラブも似たようなことをしていたそうだ。
そして3月末からはフィットネスクラブは休館である。


当時私は、これは大問題になる、緊急事態は簡単に解除されないと思った。大きなことでは日本経済とか政治がどうなるだろうという懸念もあったが、 コロナウイルス ミクロで言えば自分自身の健康維持、そしてボケ防止をどうすべきかということも頭に浮かんだ。
冗談ではなく、老人は転んで寝込むと、そのまま寝たきりなる。そして寝たきりになれば、頭がボケる恐れは大なのだ。日々運動してまた人と付き合って、劣化するのを防がなければならない。

フィットネスクラブが休館になると、私はウォーキングを始めた。一番手軽で金もかからない。
市川市の木下街道をウォーキングしていると、通りかかったパトカーが「不要不急の外出はやめてください。直ちにご自宅におかえりください」と私に話しかけてきたのである。これにはギョッとした。恥ずかしくもあり、早々に家に帰った。

ウォーキング その後、習志野市の田舎道をウォーキングしていたときは、巡回していた消防車からウォーキングは止めましょう、自宅待機しましょうと言われた。当時は警察も消防も巡回して出歩いている人がいるとスピーカーで呼びかけたり、わざわざ停車して口頭で注意した。
それから大きな街道でなければよいだろうと農道を歩くようにした。町から離れた鎌ヶ谷大仏の近くの農道を歩いていたとき、バイクで巡回していた警官が遠くでウォーキングしている人に注意しているのを見たので、近隣住民のふりをして細い道に逃げ込んだ。ウォーキングは今や軽犯罪どころか凶悪犯罪になったようだ。もうウォーキングはダメだと諦めた。


フィットネスクラブがダメなら、ウォーキングと思っていたが、それも叶わない。残るはインドアだ。
さてインドアで、運動になることボケ防止になることはなんだろう。
運動はスイミングのキックの練習をすることにした。腹ばいになってクロールのキックを10分ぐらいする、仰向けになって平泳ぎのキックを10分くらいする。はたから見ればバカバカしいだろうが、本人は結構真剣だ。ところで畳の上で20分程度キックの練習をして運動になるのかというと、はなはだ疑問である。


頭の体操はどうしようか?
本を読めばよいといっても、緊急事態になって既に図書館は休館、書店や古本屋に行くのもはばかられる。アマゾンで本を購入したら家計が傾く。それに斜め読みもしていない本を買うのは博打と同じだ。


そんなことから家の中でする趣味ってなにかないだろうか? 私が興味を持てることはないだろうか、そんなことを結構真剣に考えた。
趣味というのは好きで始めるものだろうが、興味がなくても、災害時の暇つぶしをきっかけに始めても罰は当たらないだろう。

プラモデルは以前「退職して5年」に書いたことがある。
1990年代初頭、娘が中学生のときプラモ作りに凝った。娘が組み立てたり塗装したりするのを眺めていて、私が子供時代に作ったことを思い出した。
A10攻撃機 1960年代初めプラモデルは子供には結構値の張る趣味だった。だから私は72分の1なんて大きなサイズは作れず、もっと小さなものを作った。
しかしそのとき私は40歳、大人買いなんて言葉もあるが、プラモなら酒を飲むより安い。子供のときできなかったことをしようと道具一式をそろえ、48分の1とか72分の1の飛行機をずいぶん作った。部屋に飾ったり天井から吊るした。しかし都会に出てくるときに道具も作った模型も全部きれいに捨てた。

引退してからもう一度プラモ作りをしようと思ったが、既に私の眼は老眼となり細かい部品が良く見えない。手先も器用でなくなり細かい作業ができない。別にアル中ではないが、指先の脂分がないせいか細かい感覚がないのだ。
そんなわけでそろえた工具と組み立ててないプラモは、姪の息子にくれた。
あのときから更に数年たっている今、プラモ作りが無理なのは間違いない。


旅行どころか外出もできないので、代償行為として南の島の写真が載っている本を何冊もアマゾンで買った。そもそもはサーフィンとかダイビングの本だが、中に南の島の暮らしや風景がたくさんある。
いや〜、癒されます。少し泳げるようになり、スノーケルつけてサンゴを見たりできるようになると、南の島は憧れです。
とはいえ本で写真を眺めたり、ネットで動画を見ても、やはりあまり楽しくない。
タペストリー
窓からサンゴ礁が見えるなんて素敵 💛

以前ブログに書いたことがあるが、ちょっと気取って(キャンディーズかよ)南国のホテルに泊まった雰囲気が出るよう、壁にタペストリーを吊るしてみた。
一見、本物の窓に見えるかもしれませんが、よく見ると風で布地が煽られて歪んでしわもあります。

左下のファンは扇風機ではなくサーキュレーターである。年中回して、暖冷房が均一になるようにしている。

サンゴ礁
ジオラマが印刷されていた本はなくしちゃい
ました。
この女性の立つサンゴ礁は写真ですが、本の
上のジオラマは印刷でなく、私の作品です。
そんな本の中に、ジオラマの写真があった。
ジオラマとは元々風景画とか模型の家屋などを置いて覗くと、本物の景色に見えるような工作物の呼び名だったらしい。
その後、鉄道模型を走らせる人が、線路だけではつまらないと線路の周辺の建物や風景を模型の縮尺に合わせて作るようになった。
それがだんだんといろいろな方面に広がり、ガンプラ単体じゃなくガンダムを整備中の風景とか、戦車を作れば戦車だけでなくその周囲の状況を作るようになった。

私が見たのはサンゴ礁のビーチで遊ぶ人たちのジオラマでした。写真だけでは満足できないなら、せめて自分が思う風景を作りたいと思いました。
私はすぐさま人間ですから、じゃジオラマでも作ってみようかという気になった。

プラモを作るのは諦めたのに、ジオラマは作れるのかという疑問を持つだろう。
それは私も考えた。プラモは完成形が決まっている。飛行機の翼を左右間違えて取り付けたらそれは誰が見ても失敗作だ。
しかしジオラマは完成形があるわけではない。人の向きが違っても草木の並びがどうあれ、そういう景色だと思えばそれまで……と思った。

私は思い立ったが吉日という人間で、すぐさまネットでジオラマのお店が近くにないかとググり、津田沼モリシアにポポンデッタという鉄道模型のお店があると知った。これが一番近くのようだ。

ところで私は家内からきつく言われていることがある。それは物が増える趣味は禁止ということだ。物が増える趣味とは、陶芸、絵を描く、楽器である。
確かに歴史の勉強が趣味でも増えるのは本くらいだが、陶芸が趣味なら毎回毎回作品が増えていく。狭いマンションだから趣味で物が増えると置くところがない。
でもジオラマなら小さいし、かつ作るものも小さいものにすれば月1個くらいの割で作っても本棚に収まるだろう。そういう計算した。


ポポンデッタに行って、いろいろ話を聞いた。もちろんすぐに作り始めるわけではない。帰宅して、どんなものをどんなふうに作ろうかと考えた。
ジオラマといってもキットを買って作るのもあり、ジオラマ用の草木・人・車とか家屋などを買って並べるものもあり、木とか草などを手近な材料を使って自作するのもあり、作る人のレベルによって多様である。作る技量がなければ完成品も売っている。

まずは情報収集と、アマゾンでジオラマ制作の本を買ったり、ネットでジオラマ作りの動画を見たりした。今は情報化社会だから、どんなマイナーなジャンルでも情報発信する人はいるし、その情報の質も量もすごいものがある。
例えばジオラマで水面を作る方法は多々あるが、それぞれの良し悪しをブログなどで解説しているものは参考になった。ただ残念ながら、ネットの情報は体系化されていない。また一部のことは広く深く情報があっても、まったく情報のない事項もある。


さてそんなことをしていて、ジオラマにも寿命があるということが分かった。
難しい意味ではない。ジオラマは見た目優先で作るから、構成部品が温度・湿度・紫外線などで風化劣化する。趣味の作品に、家電のような耐候試験とかヒートショック試験をするわけがない。
端的な例を挙げると街頭のポスターは、時が経つとインクの黄色や紅色が消えて、最後に青みがかった絵だけ残る。居酒屋の壁に貼ってあるビールのポスターを思い浮かべてほしい。1年経つとインクの黄色が飛び青みがかってくるし、2年経てばサワーにしか見えない。

今年 1年後 2年後
ビール 矢印
ビール
矢印
ビール

多くの小物は身の回りの物を活用した手作りなので、紙とか布とかが多く、当然時とともに色も変わるし風化もする。
実際に模型店に展示してある鉄道模型などを見て歩いたが、ジオラマのミニチュア建物では各部品の接着がハガレているものとか、川の水部分が陸部分から剥がれて浮いているとか目についた。作ったとき水部分はしっかりと陸部分と密着していたのだろうが、双方の材料の膨張の違いとか温度湿度によるソリネジレなどは防ぎようないのだろう。
鉄道車両の模型は外装はプラスチックもあるが、基本的なところは金属なのでさすがに変化は少ない。


ところでプラモデルにも寿命があるだろうか? これもネットでググった。
こちらは多種多様な材質を使ってないせいだろうか、ジオラマより寿命は長いようだ。
40年持つ、50年持つという人もいるが、それはケースに入れて湿気を避け、直射日光を当てない、触らないという条件だ。一般にデカールは1年くらいで浮くとか、10年経つと接着剤の劣化、パテとプラスチックの膨張率の違いで隙間ができるとあった。

プラモデルの完成品は仕上がり次第だが高く売れる。ブックオフや模型店などにそういったものに値札が付いて飾られているが、店頭展示されて1年も経つと飛行機の足が外れたり、戦車砲が取れたりしている。客が見たいというと取り出して触ったりすることもあるだろうし、触らなくても一番の敵はショーケースの光線だ。蛍光灯の紫外線は、プラスチック分子を切断し劣化させる。まあ普通に飾って数年というところだろう。

言い方を変えると、趣味の品物で寿命がないものなどない。寿命が最長なのは陶器類だろうが、それでも色を塗ったり模様を描いていればいずれ顔料が変化して色変りする。もちろん食器などとして実用すれば、こすれて色が落ちるし、ぶつければ欠ける、落とせば壊れる。

ほかの趣味には寿命はないのだろうか?
野菜作りや料理は消費するのが目的だから、そういう意味の寿命はない。
寿命が短い趣味なら生け花だろう。せいぜい数日だ。折り紙も特別なものは額装して残すものもあるが、一般的には折ったらその場で誰かにあげておしまいってのが多い。
だから寿命が短いから悪いわけでもない。

余談だが、衣類は洗濯回数100回くらいで寿命だ。短いと思うか、長いと思うか、妥当と思うか?
私は妥当じゃないかと思う。
下着ならシーズンに30日着て30回洗濯して3年。そんなものだろう


寿命がジオラマ数年、プラモ10年として短いのだろうか? それとも長いのだろうか?
私が今のマンションに住んで13年になる。入居時はもちろん新築だ。それが劣化したかどうか考えてみよう。

まず外装というか共用部分は既に第1回目の大規模修繕工事を行っている。外壁や躯体は劣化を点検し特段大きな問題はなかったが、破損したタイルは貼り換えて塗装はしなおした。その他、通路や階段の床シートは張替え、マンション敷地内の通路や遊び場などの敷石は波打ってきており敷きなおした。玄関ドアは潮風による錆で全戸交換している。
大規模修繕工事の必要性は間違いなくある。

専用部分を考えると、ほぼ半数の家庭ではエコキュートを交換、IHレンジも同様だ。一般家電より寿命が長いだろうけど寿命は10年というところか。
普通の家電品では我が家で13年間使い続けているのは、冷蔵庫くらいだ。テレビは既に3代目、エアコンも4部屋とも1回交換した。洗濯機は1度、電気釜、掃除機、扇風機となると完全な消耗品だ。パソコンは4年ないし5年で更新している。

細かいところとしては、ガラス戸のシーリングゴムの劣化、敷居レールの摩耗、ドアの小口張りハガレなど劣化したところは多数ある。
我が家の自転車はなんと3代目であり、その3代目もかなり錆が目立つ。玄関ドアが錆びるのだから、それより表面処理の甘い安物自転車が錆びるのは当然だ。

小物に至っては、洗濯物のハンガーや洗濯バサミなんて2年で色が変わりひび割れてくる。同じくプラ製品の風呂の椅子とか収納ボックスなどは、屋内で紫外線を浴びないのだが既に更新した。

単なる個々の寿命ではなく、VHSビデオとかレーザーディスクとか製品カテゴリーの寿命が尽きてしまったものもある。義弟は姪が小さいとき撮っていたテープを読める機械がないと嘆いていた。よくビデオテープをDVDに焼き直す商売の広告を見るが、お金を出しても子供が小さい時の動画を保存したいのかどうか? 果たしてだれか見るものだろうか。

真に時間が経過したことによる寿命が来たというものもある。
親父が死んだとき、家族の写真はすべて母がもって姉のところに引っ越した。その後、母が亡くなり姉も亡くなり、姉夫も寝たきりになり、今では親父の写真と私が子供のときの写真がどうなったのか分からない。生きているときにもらっておけばよかったと思うが、手元にあったとしてもセピア色となり、たぶん私の子供の頃の写真や親父が兵隊のときの写真などあっても姿が薄れて見えないかもしれない。

私の子供たちが小さいとき撮っていた写真(35年くらい前)は、まだ見るに堪えないほど劣化していないが、シャープでなくなってきた感じはする。


一番長持ちするメディアは何か?なんてことがネットでよく話題になる。一説によるともっとも長期間保存されたメディアはメソポタミアの粘土板に刻まれた楔形文字だそうだ。
そこまではともかく、現時点で電子データを記録するメディアではどんなものだろう?

種々メディア寿命ランキング(2021年時点)
順位メディア寿命備考
1長期保存用光ディスク1000年
まさかね
耐久性を高めたDVDやブルーレイディスクのこと
2MDディスク50年生産終了・ほぼ市場から消滅
3光ディスク
(CD、DVD、Blu-ray)
30年紫外線によって寿命が短くなる
4磁気テープ10年読み書きの定期メンテナンス必要
5フラッシュメモリー
(SSD、CFカード、SDカード)
10年信頼性低い、書き換え回数限度低い
6ハードディスク5年磁気、振動、衝撃に弱い
7フロッピーディスク10年生産終了・ほぼ市場から消滅

いずれにしても人生に比べて非常に短い。
1980年頃、私の仕事で使っていた紙テープの寿命は、年どころか読み込み回数何百回といったところだろう。
そういえばあの頃のパソコンは5インチフロッピィだったが、オフィスの埃でも支障があり、バックアップは取るし取り扱いははれ物に触るようだった。とても寿命が何年などといえるものではなかった。

フロッピーディスク 私は大事にしているデータなどない。我が子とも言えるこのウェブサイトのデータは、パソコンのハードディスクにもあるが、なくなってもプロバイダーのサーバーにあるし、既に検索エンジンが多くをキャッシュしている。
それどころかなんと私のコンテンツを、ただ単にブログにアップしている人もいる。ある意味ありがたいことだが、著作権的にどうなのだろう?

注:論文がCINIIに収録されると、一定水準だと評価されたとうれしく思う。ところが収録したものを定期的に見直しをしているようで、一度載っても数年後検索しても出てこないのもけっこうある。永遠に残る論文なんてないのかね?


マンションという不動産、家電品や家具といった耐久消費財を考えると、趣味であるジオラマが数年、プラモ10年の寿命というのは決して短くないと気付いた。
言い換えると、身の回りのものすべてがそんなに長持ちしないものなのだ。
話がどんどんとそれてきたが、私の脳内の考えを表わすとそんな流れであった。

この世は諸行無常、形あるもの必ず壊れる。ハードウェアにしてもデータにしても、永遠に残る物はないのはわかる。そう思うと私の命が途絶えた後、少しの時間でも私の考え・主張が残るならすばらしいことだ。

おっと、
今からジオラマつくりに励んだとして、私の平均余命はあと12年でジオラマの寿命を5年として、月1個作成したとしても、5年分以上蓄積することがなく、60個分の置き場があればいつまでも楽しめることになる。
寿命があればこそ趣味が楽しめるということだ。
ヨシ、これからはISOを貶す人生でなく、ジオラマつくりにまい進しようか…


老人マーク 本日の宣言

始まりから終わりまでタイトルと全然違うじゃねえか!というご意見は無用。
引退してから大病もせず俺は老化しないんじゃないかと思っていた人間が、あぁ年を取ったのだなと感じたことからの連想ですから十分要件は満たしていると……




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