退職して5年

2017.04.20
月日の経つのは早いものだ、退職してちょうど満5年になる。気持ち的には通勤電車に揺られていたのが昨日のように思える。とはいえこの5年間にしてきたこと、やろうと考えたことは多々ある。今それらを振り返り総括するのも無意味ではないだろう。

過去の記事です、ご参考までに
退職して

引退して5年もたつと生活も安定し、いや安定というかルーチンになってしまった。日曜日に市場に出かけ〜♪、月曜日にお風呂をたいて〜♪というようなものだ。
まあ平穏な日々を楽しく過ごしている。それでも変化はある。

家事
会社をやめたとき家内から洗濯と風呂掃除、部屋掃除は私の仕事と言われた。それと家内もスポーツクラブとかしているのでお昼は自分で用意することと言われた。
お掃除 洗濯、掃除はなんとかできるが炊事はからっきしだ。炊事を基本から習おうとしたが、あまり難しくて諦めた。今でも、うどんやそばを茹でるとか、冷凍パスタをチンする程度しかできない。天ぷらとかおひたしなど難易度が高くとても無理。家内はお友達としょっちゅう泊りがけでバスツアーに行くが、そのときは昼だけでなく夕飯も弁当を買ってきたりピザ宅配でしのいでいる。
家内が言うには、一人だけなら炊事するよりも弁当の方が安いし、レストランで食べた方が食器も洗わなくていいからそうしたほうがいいとのこと。もちろん長期とかこれからずっととなれば別だろうが、月に1日とか2日であればそのほうが安く済むようだ。私より家内が長生きしてもらわないと困る。
お掃除は私担当と言っても、ものぐさを絵にかいたような私だからお掃除はするが整理整頓はあまりしない。というか家内のものや娘息子が置いていったものに触るのは躊躇する。自分のものは捨てる片付けるを徹底している。
とはいえ家内も捨て魔で片付け魔だから不要なものはそんなにないのでちらかさない。ゴミ屋敷とか物あふれる屋敷になることはなさそうだ。

病気
誰にとっても健康は重要だが、年を取ると誰もが持病の一つや二つあるし、また体力も衰え怪我や病気になりやすい。
私は毎年健康診断を受けている。会社時代に定期健康診断で病気が見つかり手術したことがある。それで退職してからも定期健康診断の案内が来ると受診するのはもちろん、血液検査項目追加とかその他いくつかオプションを追加している。わずかなお金を追加して病気が見つかるならその方が良い。見つからなければ更に良い。
実際に過去4回の健康診断では肺、循環器、肝臓といろいろと悪いところが見つかり毎回ヒヤッとしている。5回目の今年は幸いなにもなくホッとした。
自分は去年1年なにもなかったが、病気になった友人や元同僚は何人もいる。昨年も会社の先輩が入院して手術したし、別の先輩が脳梗塞になってリハビリ中だという電話があった。退職後できた友人たちも入院したとか救急車で運ばれたとか何人もいる。今年になってからも知りあいの一人は足元がおぼつかなくて、ドアの下のほんのちょっとした段差でつまづいて転びひじを骨折した。後で現場を見たが、普通の人なら気にもしないようなわずかな段差であった。
年寄りは骨折すると直りが悪くリハビリも大変だ。昨年私が水泳のやりすぎで肩を痛め整形外科に半年通ったが、そこではリハビリをしている老人が多かった。私より年配の人が不自由な手足を少しでも動くようにしようとおもちゃのようなダンベルとかゴムひもを伸ばしたりするのに難行苦行をしているのを見ると辛い。でもその頑張りには励まされる。
ともかく先のことはわからないが、とりあえず今年1年は生きられるだろう。とりあえず生、とりあえず1年である。歳をとったせいか2年先3年先というのはあまり考えないというか考えられない。今が勝負、目の前の試合に負ければ明日がない、甲子園みたいなものだ。

趣味
年に一つくらい新しいことにチャレンジしようと考えている。
とはいえ興味の移り変わりが結構激しい。というか全く知らないからやってみようかと聞き歩いたり趣味の集まりに参加させていただいたりするのだが、始まる前に挫折してしまうものが多い。

おもちゃレベルでない本格的ラジコンというのをしたことがないので、飛行機やヘリを飛ばしている人たちのクラブに顔を出して話を聞いた。
まず模型本体とプロポが必要だ。私にとってはそれは大金だがそればかりではなかった。事故、それも人身事故の恐れもあるので保険をかけなければならないし、飛ばすときも事故に備えて救急箱を持っていくそうだ。事故とか保険と聞いて驚いた。模型飛行機に危険があるとは知らなかった。それとプロペラは消耗品らしい。技量にもよるのだろうが数回飛ばすと機体も損傷するのは覚悟とのこと。市内にラジコンを飛ばせる河川敷があるそうだけど、そこまで模型や道具一式を運ぶには車が必要だ。趣味のために車を買うわけにはいかない。話を1回聞いただけで、これは無理だとわかった。

1990年頃、娘が中学の頃プラモデルに凝った。女の子でもプラモが好きな子はいるものだ。娘が作っているのを見て子供の頃やったのを思い出し、私も始めた。 ムスタング 子供の頃お金がなくて存分にできなかったが大人になればプラモ作るくらいのお小遣いはある。48分の1とか72分の1の飛行機をずいぶん作った。都会に引っ越すときに皆捨てた。それ以降作ったことがない。
昨年プラモでもやってみようかという気になった。工具を買い塗料をそろえ早速飛行機を作り始めたが、老眼が進んで細かい部品が見えない、そして部品をつかむにも指先がきかずどうしようもない。途中でギブアップした。
そろえた工具などは小3になる姪の息子にくれた。もっとも今の子供はゲームがメインでプラモなどしないらしい。

フリマ巡り
2年ほど前だろうか、津田沼のモリシア前のフリマで計算尺を見つけて500円で買った。うれしかった。
計算尺
それがきっかけでネットをググってフリマを歩いた。船橋競馬場、靖国神社、錦糸町公園その他あちこち。何回か行くと同じ人が同じものを出品していることに気が付き、一通り見れば次回以降行くことがないということを知って行くのをやめた。

習い事
引退してすぐに邪馬台国の会に入り、1年後に古事記の会に入った。それぞれ毎月講演会や行事に参加していたが、 竪穴住居 どちらも2年くらいでやめた。
といっても興味を失ったのではなく、どちらも毎回同じ大学の先生の講演を聞く。だから偏るというと言い方が悪いが、その先生の考えしか聞くことができない。いろいろな考え方を聞くにはひとつのクラブだけではだめなのだ。特にいろいろ説のある古事記とか邪馬台国では一人の先生の話では面白くない。私としてはいろいろな説を聞きたい。いろいろな考えの先生を呼んでお話を聞くクラブがあればよいが、今まで行ったところにはそういうものはなかった。

ボランティア
小学校に学童保育というのがあり、そこで子供たちの相手をする人を募集している。難しいことではなく、ゲームの相手をしたりケンカしないように見てやったりということらしい。私の仲間数人が近くの小学校に行っている。応募者が多いらしく週1回とか2回くらいらしい。私も誘われたが躊躇した。責任もあるが、小さな子供の相手は苦手だ。
市はボランティア観光ガイドも募集している。知りあいから誘われたがとても私にできることではないとお断りした。まず地域の歴史や地理などを勉強しなければならないし、そういう研修を受けても年に数回しか仕事が回ってこないという。案内した仕事の回数でその後のレベルアップが決まるとか、ヒエラルキーを登るのは大変なようだ。多くは最下級でかつほとんどガイドをせずに終わるらしい。

図書館
会社員時代はとても図書館に行く暇がなかったし、必要な本は買った方が早かった。会社を辞めると暇があるしお金がない。だから図書館が便利だ。借りるのはタダ、欲しい本があれば購入依頼するのもタダ。もちろん希望しても買ってもらえるとは限らないが。それと新刊特にベストセラーは希望者が長い行列を作っているので自分の番に回ってくるのが1年後とか1年半後というのは珍しくない。そのときは予約するものの、流行が過ぎると興味がなくなり予約解除してしまうことがほとんどだ。今年「君の名は」という映画が公開されたが、その小説はもう50人くらい並んでいる。一人1週間として1年半か・・・
公営図書館が月曜休みというのは昔からだが、最近は月曜日も開館するところも多くなりとても便利だ。図書館で働く人は大変だなと少し同情する。
とはいえ図書館も5年も通うと興味を持っている古事記や邪馬台国の本は読み尽した。何冊あろうと興味のない分野の本は無関係だ。
ところで普通の人は読む本をどんな風に選ぶのだろうか。いや、言い方を変えるとその本をどうして読もうとしたのか?
私の場合、ネットやリアルの会話で気になったこととか興味を持つと、すぐに出てきた書籍名とかその分野の本をネットで検索してメモっておく。市の図書館蔵書検索であればネット予約する。ないときは近隣自治体の図書館を検索してあればそこから取り寄せ依頼する。それでないときはアマゾンの中古本を探す。中古本がないときは新品。値段が高いときは諦めるか大学の図書館を探す。というステップ。実際には9割は図書館にある。待たなければならないものも多いけど、時間があるから待つことはできる。
そんなふうにして年150冊から200弱読んでいる。だんだんと読む本が少なくなってきた。好奇心が衰えてきたのかもしれない。

旅行
会社をやめてから年に数回家内と安いツアーに行く。現役時代は出張で北海道から沖縄まで歩いていたが、用のある会社にしか行かない。神社仏閣とか名所旧跡など無縁だ。今は行きたいところに行っている。
札幌雪祭りを見たついでに旭山動物園や網走の流氷も見た。日本人なら行かなくちゃならないという善光寺、伊勢神宮、金毘羅様、出雲大社、厳島神社などなど。一般的なところは5年間でほとんど歩いた。
家内があまり興味がないところは一緒に行ってもらうのもかわいそうなので一人で行く。私は自衛隊のオープンベースに行くのが好きだが、家内はブルーインパルスは好きでも陸自の戦車などは興味がない。そういうところはひとりで行っている。来月は呉市の「てつのクジラ館」に行く予定だ。
原爆ドーム 習い事で一緒になった方は世界遺産をすべて見ると語っていた。80までに外国の世界遺産を歩き、80過ぎたら国内を見て歩くという。国外で1032、国内で20あるのだからすべては無理だろうが、それでもすごいこと。
ちなみに私が見た日本の世界遺産は退職してから行っただけでも、平泉、日光、国立西洋美術館、熊野古道、姫路城、石見銀山、原爆ドーム、厳島神社、琉球のグスク、おお半分は見てるじゃないか。

落ち葉マーク 本日の抱負
とりあえず今年の目標は親父の年齢を超えることだ。今年を生き延びれば親父の年齢を超える。
親父は明治45年の生まれだった。私にとって明治は遠くない。



帰ってきた萬太郎様からお便りを頂きました(2017.04.22)
帰ってきました
左為様、覚えていただいていらっしゃいますでしょうか。
「帰ってきた萬太郎」でございます。ひさびさに帰ってまいりました。
と言っても、実を申せば「サイレント読者」として、ときどきチェックしながら佐井様のご活躍をこっそりと、ズ〜と、うかがっておりました。
ときどき便りを届けないといけないかなあ、と思いながら幾星霜。
いろいろと忙しくて…というのも、8〜9年前から日本会議某支部の副支部長に就任したのを皮切りに、いろいろな活動が始まって…最近では保守系団体の役員や日本第一党の党員、自民党後援会…あと…6年前からは生涯学習塾の講師をしたり、4年前からは通信の大学生となって勤労学生になり…。
というわけで、忙しい日々を過ごしていたので「音信普通の萬太郎」でありました。
もちろん『忙しいという言葉を使わないのが日本人としての奥ゆかしさ』ということは承知しております。
が、忙しいです。(^-^;
と、言い訳をしたところで筆を置かせていただきます。
「なんだ、そりゃ」という感じですが、取り急ぎ、「どっかに飛んで行った萬太郎」ではないことをお伝えしたくてお便りしました。
近々、またお便り致します。 萬太郎拝

萬太郎様ご無沙汰しております。
名前がユニークなので覚えておりました。いつだったろうかと検索しますとなんと2009年3月21日、今からちょうど8年前のことでありました。お互いに歳をとったことでありましょう。
こじ○の子も3年すればみっつになるといいますので、我々も精神的に9歳成長したはずです。はずですが・・
私は定年退職し、嘱託しながら大学院に行き、その後引退して早5年になろうとしております。悠々自適、晴耕雨読といいたいところですが、北朝鮮の核ミサイル、韓国の慰安婦詐欺、中国の南京詐欺と困ったことばかりです。あげくに某サヨク政党は二重国籍をトップに担いでもうハチャメチャですよ・・
私はウルトラマンと違い人望がなくただおみこしを担ぐのみ、一兵卒として毎週朝日サヨク新聞社前のデモに参加しております。お互いにところと立場は変われども日本再生に向けて頑張りましょう。
空を飛べないおばQでありますが死んでもラッパを離さないよう頑張ります。

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